ユーフォニアム。 管楽器,ユーフォニアム

チューバとユーフォニアムの違い 吹き方に気をつけろ!|吹カツ!

ユーフォニアム

Contents• チューバとユーフォニアムの違いとは チューバとユーフォニアムの大きな違いを挙げてみると• 音域が違う• 役割が違う の2つです。 音域が違う チューバは低音でユーフォニアムは中音域です。 ユーフォニアムのマウスピースはバストロンボーンと同じです。 ですからユーフォニアムはチューバと同じではなく、トロンボーンと同じパートで練習します。 ですが、ユーフォニアムはトロンボーンと違って役割が理解しにくい楽器でもあります。 ある時はサックスと一緒、ある時はトロンボーンと一緒、ある時はメロディのオブリガードを一人で・・・なんてことも。 ホルンとユニゾンのこともあるし、チューバの裏打ちを一緒に吹くこともあります。 全体として、音に厚みを持たせるのがユーフォニアムの役割とも言えます。 その響きはとても美しく、聞いている人をほんわかさせてくれる音です。 役割が違う チューバはバスパートのエース。 チューバ無くしてはバスパートはあり得ません。 他のバスパートの音まで拾って響かせる、親分のような役割をしています。 ユーフォニアムはバスパートではないので、全体のリズムを刻んだり低音を支えるという役割は全くありません。 中音域で間を埋めて音を響かせるのがユーフォニアムの役割です。 役割から見てみると、チューバとユーフォニアムは全くの別物ということが分かりますね。 スポンサーリンク チューバとユーフォニアムの吹き方の違い チューバとユーフォニアムは役割が違うのでもちろん吹き方も違います。 チューバは低音として力強く、響かせるように吹きます。 チューバの音が聞こえないところがあってはいけません。 控え目に演奏しなければならない場面と言うのはまずありません。 低音が聞こえないと全体がしまらないからです。 一方、ユーフォニアムは聞こえすぎてはいけないところもあります。 サックスメインでユーフォニアムも音が乗っているところは、サックスの邪魔をしないように控え目に吹かなくてはいけません。 ユーフォニアムメインのユニゾンやメロディのアンサンブルなどでは、ユーフォニアム持ち前の豊かな音で大きくひびかせて聴かせます。 チューバは必ず聞こえるように、ユーフォニアムは場面によって緩急をつけるように吹くんですね。 スポンサーリンク チューバからユーフォニアムに楽器変更 学校の吹奏楽部ではチューバからユーフォニアムに楽器変更する人もいます。 メロディーを吹いているユーフォニアムにあこがれて変更する人が多いようです。 吹き方も運指もチューバもユーフォニアムも同じなので、持ち替えは比較的楽にできるようです。 でも役割が全く違うし楽譜の音域が全く変わってしまうので、音を鳴らせたあとに苦労する人も。 チューバのようにいつでも目立って裏打ちを!とユーフォニアムを吹いていたら、「もう少し静かに」と言われることも。 ユーフォニアムからチューバに持ち替えて吹いていたら、「もう少し出して」と言われることもあります。 子供の吹奏楽部でユーフォニアムの先輩が持病で2カ月間休部することになって、ユーフォニアムが入りたての1年生1人だけになったことがありました。 あまりに頼りないので、お手本をと顧問の先生がチューバの子に「そのフレーズ吹いてみて?」と言って吹かせてみたら。 吹奏楽部全体がびっくりするほど大きな大きな音が出たそうです。 そしてそれを聞いて「えぇ!・・・やばっ!」と部屋中が笑いに包まれたとき。 トロンボーンの先輩が 「先生、ユーフォはボーンと近いのでウチで面倒見ます 笑 」と叫んだそう。 そのあと子供たちはチューバの子の周りに集まって「すごかったね~!!」と大騒ぎ。 チューバの子もなんだか嬉しそうに「音が小さいって悩んでたけど、私十分吹いてるね 笑 」と言ったのだとか。 人数に対してチューバの数が足りなかっただけなんですよね。 このチューバの人数問題は新しい顧問の先生になって解決したそうです 笑 この記事ではチューバとユーフォニアムの違いについてご紹介してきました。 失言により袋叩きにされてしまったクラの子ですが、チューバとユーフォニアムはエスクラとクラの違いくらいに思っていたら、大間違いだったと反省していたんだとか。 初心者には見た目が同じに見えるので、なかなか違いを見抜くのは難しいかもしれませんね。 実際はチューバは低音楽器でユーフォニアムは中音楽器。 ユーフォニアムはトロンボーンの仲間なんですね。 ちょっと調べてみると、チューバとユーフォニアムのもともとの楽器は同じ楽器から派生したようです。 でも今ではもう全く違うの別の楽器になっているんですね。

次の

ユーフォニアムの歴史

ユーフォニアム

ユーフォニアムの歴史 ユーフォニアムの歴史 1. ユーフォニアム発明前史 1590年にフランスのギョーム E. Guillaume が考案したセルパン Serpent という中低音域を担当した金管楽器があります。 バルブが発明される以前です。 管に音程を変える為の穴が空いており、リコーダーのように奏者がその穴を直接自分の指で塞いで音程を変えます。 形状がくねくねして独特ですが、セルパンとはフランス語で「蛇」の意味です。 このセルパンと同じ仕組みで音を出す楽器として、1821年にフランスのアラリ Halary が特許を取得したオフィクレイド Ophicleide という楽器があります。 キイシステムによって穴を開閉しました。 セルパンが木製であったのに対し、金属の管を持ち、また、形状もファゴットやバリトンサックスのように管を折り曲げた形をしています。 アップライト型のセルパン、という位置付けです。 1850年にセルパンの改良形として、バスユーフォニアム Basseuphonium、Bass-Euphonium と呼ばれるキイシステムを採用した楽器が開発されました。 この楽器が出来た1850〜60年頃はセルパンやオフィクレイド、そしてこれから説明する初期のユーフォニアムがライバルとして共存した時代です。 ユーフォニアムの発明の時代 2 - 1. バルブとユーフォニアムの発明 1843年にゾマーによってユーフォニアム Euphonion が発明されました。 この楽器はテナーバスホルンを原型にしていますが、これはバルブの発明による様々な楽器の製作の過程から生み出された物です。 産業革命を経験し、金属加工の技術を飛躍的に高めたヨーロッパ諸国は、1810年代から40年代にかけて様々なバルブを発明・改良しました。 このバルブの発展に伴い、中低音域を担当する様々な形状の楽器が考案されました。 1820年代後半に変ロ調のテナーバスホルン Tenorbasshorn と呼ばれる金管楽器がドイツに現れ、1835年にイタリアのペリッティ G Pelitti が、ボンバルディーノ Bombardino と呼ばれる楽器を製作し、1838年にベルリンのモーリッツ C. Moritz は、より広い音域を担当出来るようにテナーバスホルンに4本のバルブを備え、管を太くしたテナーテューバ Tenor Tuba と呼ばれる楽器を製作しました。 2 - 2. サクソルン 1843年頃に、ベルギーのサックス Adolph [Antoine-Joseph] Sax によって考案された一連の金管楽器群をサクソルン Saxhorn と呼びます。 8種類の楽器は音色の統一が図られていました。 このサックスが考案したサクソルンバスと現在の日本で普及しているユーフォニアムとが異なる点は、3番バルブの運指の設定です。 3番の抜き差し管がさらに半音低く設定されている為 英国式の2・3番の運指と同じ管の長さになります に、以下のようになります。 また、サクソルンバスはサイドアクションの4本バルブの形状の楽器が主に普及をしていました。 したがって、2番管のデザインと共に、3番バルブの設定からサクソルンバスであるかどうかを判断する事も出来ると思います。 saxhorn barytonはFlicorno tenore バリトン、日本 に対応しています。 つまり、2種類のsaxhorn バリトン・バス に3種類のFlicorno テナー・バリトン・バス が対応する事になりますので注意が必要です。 サクソルンはベルギーのヴァン・エンゲレン社やフランスのクルトア コルトワ 社、ケノン社が製造していましたが、ヴァン・エンゲレン社は製造を中止、クルトワ社は近年クランポン社の傘下に入り、クルトアのブランド名の楽器として販売されています。 写真『H. ベッソン Besson の創始者ギュスターヴ・ベッソンGustave Auguste Besson 1820-1874 は1838年頃にフランスのパリに楽器工場を建てたという説が有力で、ベッソンは1851に英国のロンドンにも工場を建て楽器の生産をしています。 ギュスターウ゛が死亡した後、フランスの工場は娘が引き継ぎましが、1880年にAdolph Fontaine と結婚し、工場を「Fontaine- Besson」と呼びフランス製の楽器は「F. Besson」英国製の楽器は「Besson」と表記されています。 このフランスの工場は第2次大戦後も存続しましたが、1957年にケノン Couesnon に所有者が変っています。 このケノン社はフランスの工場をメインに金管楽器の生産を主に行ったメーカーで、そのルーツは1827年に先駆者であるギシャール Auguste Guichard のパリの工房にさかのぼります。 と呼ばれています。 ケノンの工場は最盛期の1910〜20年代は世界最大級の規模と生産台数を誇りましたが、その後衰退し、1968年の企業再編を経て1995年頃に消滅しています。 木管楽器のメーカーとして有名なビュッフェ・クランポンBuffet Crampon 社は、Denis Buffet 1783-1841 によってフランスの木管楽器メーカーとして1825年に誕生しましたが、その後様々な経営者によって運営されています。 Paul EvetteとErnest Schaefferとは1885年より1926年まで経営を共にしており、この間オフィスをロンドンに置いています。 1896年にクランポン社は金管楽器の製造を開始していますが、2006年にベッソン、クルトア コルトア 両ブランドを引き継ぎ、金管楽器の製造を行っています。 2 - 3. 英国のサクソルンとサクソルンバンド 英国の金管楽器奏者のジョン・ディスティン John Distin, 1798-1863 は4人の息子達とディスティン・ファミリー・クインテット Distin Family Quintet と呼ばれた金管アンサンブルを1833年に結成しました。 ディスティンファミリーは1844年にパリに演奏旅行をして、サックスに会い、製作されたばかりのサクソルンを自分達のアンサンブルに採用しました。 次男のヘンリー Henry Distin,1819-1903 は1850年にこの店を継ぎ、この年から楽器の製造を始めています。 ゾマーは1851年の英国博覧会において、オルガンの伴奏でゾメロホーン Sommerohone と呼ばれる楽器でリサイタルを開催し、この楽器は高評を博しました。 しかし既にこのようなタイプの楽器はユーフォニアムという名称で呼ばれる事が一般的になっていた為に、彼の名前を楽器の名称として記録させ、永続させるという試みは失敗しました。 この頃の英国は金管楽器による合奏が盛んに行われていました。 現在の英国スタイルの金管バンドの前身です。 1853年にはサクソルンの楽器で統一されたサクソルンバンド saxhorn band によるコンクールが行われましたが、その後、サクソルンの名称は使用されなくなり、このコンクールは現在の英国の金管バンド ブラスバンドbrass band のコンクール コンテスト としてその後発展をしました。 ユーフォニアムの発展の時代 3 - 1. 英国におけるユーフォニオンの登場と楽器メーカーの統合 ディスティン社がサックスとの提携を解消した1857年頃からはディスティン社のカタログからサクソルンの名称は使われなくなり、上向きベルの楽器にユーフォニオン Euphonion の名称が用いられるようになりました。 演奏家の記録では、アルフレッド・フェアセイ Alfred Phasey, 1834-88 がロンドンのユーフォニアム奏者として、オフィクレイド奏者から転向しています。 1860年頃には英国のほとんどのブラスバンドにおいてオフィクレイドからユーフォニアムに楽器が置き換えられています。 主な英国の楽器メーカーの誕生と統合は以下のように行なわれてきました。 、翌1851年にはベッソン besson 社もロンドンに工場を建設し、管楽器の製造を開始しています。 また、管楽器製造メーカーのホークス社 hawkes は1860年に誕生しています。 と呼ばれて1874年まで存続しています。 ブージー社はディスティンの金管楽器の生産を引き継ぎました。 また、ヘンリー・ディスティン本人やディスティンに務めていた技術者達は1870年代後半に米国に渡り、米国の金管楽器の発展にその足跡を残しています。 その後、ブージー&ホークス・グループとしてさらに他企業との連携をした後、2003年にはザ・ミュージックグループとして再編されましたが、この後、ベッソンブランドはフランスのクランポン社の傘下に入り、2006年にはベッソンブランドの製造工場がドイツに移転しました。 3 - 2. コンペンセイティング・システムの発明 写真 : 1989年に三浦徹氏と筆者が英国エッジウエアーのベッソンの工場を視察した折に撮影したユーフォニアム。 担当者からブレイクリーが制作したコンペンセイティングのユーフォニアムの1号機であるとの説明を受けた 1874年に英国のブレイクリー D. この特許は1974年に消滅しています。 このバルブシステムはユーフォニアム以外の様々な楽器にも採用されましたが、このバルブを選択する事によって、英国式のユーフォニアムはフランスのサクソルンとは別の発展の道を歩むことになり、ここにおいて現在の日本で普及しているユーフォニアムに繋がる道筋が見えて来ます。 ヤマハはこのコンペンセイティング・システムのYEP641を開発し、1984年に発売を開始しました。 3 - 3. イタリアで発展したユーフォニアム イタリアにおいて、フリコルノと呼ばれる楽器群があります。 「フリコルノ Flicorno 」とはフランスの「サクソルン Saxhorn 」やオーストリアの「フリューゲルホルン Flugelhorn 」に相当する楽器を示す言葉です。 したがって、サクソルンのように音域や管の形状によって、示す楽器の種類が異なり、その中で、ユーフォニアムに相当する音域の楽器として、『tenore, baritono, basso』と呼ばれる楽器が存在します。 トロンボーンは変ロ調の「テナー」と「バス」の2種類ですが、この音域に対応するフリコルノは「テナー・バリトン・バス」の3種類と考えて頂くと解りやすいと思います。 ユーフォニアムに関連するこれらの楽器の対応表は以下の通りです。 Flicorno sopracuto Flicorno sopranino Flicorno soprano Flicorno contralto Flicorno tenore テナー バリトン 日本・現在 に相当 Flicorno baritono バリトン ユーフォニアムに相当 Flicorno basso バス 4本バルブのユーフォニアムに相当 Flicorno basso-grave Flicorno contrabasso 1872年にフリコルノ・バッソ Flicorno basso のためにA. ポンキエルリ A. Ponchielli が協奏曲「Concerto per flicorno basso」を作曲しています。 1924年にはO. レスピーギ Ottorino Respighi が交響詩「ローマの松」を作曲し、バンダのパートにFlicorno bassoを指定しています。 ショスタコービッチは、「Baritono」という楽器をオーケストラの作品で指定しましたが、この「バリトン」が「Flicono baritono」を示すのであれば、細管のユーフォニアムに相当します。 また、この「バリトン Baritono 」が、英国の「バリトン Baritone 」やフランスの「バリトン Baryton 」を示しているとすれば、さらに細身の楽器、現在の日本でバリトンと呼ばれている楽器「バリトン」、つまり「Flicorno tenore」を示す事になります。 3 - 4. ロータリーバルブのユーフォニアムの発達 1848年にボヘミアの楽器製作者チェルベニー Cerveny が考案したバロキシトン Baroxyton と呼ばれる楽器は当時のロシアのバンドで最も重要な低音楽器となりました。 チェルベニーは1880年代前半には、より大きいボア 楽器の広がり を持ったカイザーバリトン Kaiserbariton と呼ばれるロータリー式の楽器を開発しました。 この楽器の形状はテューバのデザインを模倣する事が一般的であり、以来ドイツ語圏の楽器製造業者によってこの楽器は製作されています。 その形状からテューバだとよく誤解されますが、楽器の分類上はユーフォニアムです。 また、テューバの高音域を担当する楽器として、テナーテューバと呼ばれる名称の楽器を販売しているメーカーもありますが、これらの楽器についてもユーフォニアムとして分類されると考えられています。 3 - 5. 米国で発展したユーフォニアム 1. サクソルンと米国の金管楽器メーカー 米国におけるユーフォニアムについての最も古い記載は1853年のドッドワースの楽器編成表 Dodworth's Brass Band School におけるサクソルンの表記であると思われます。 サックスが考案した8種類のサクソルンが、この楽器編成表では、ソプラノ、アルト、テナー、バリトン、バス、の5種類に統合されており、このバリトン baritone が現在のユーフォニアムに相当します。 また、ヘンリー・ディスティン 1819 - 1903 は1877年にニューヨークに移住し、ヘンリー・ディスティン製造会社 Henry Distin Manufacturing Co. として米国にて楽器の生産を始めました。 1882年にヨーク York 社がミシガン州に創設され、同社のテューバは「ヨーク・テューバ」と呼ばれる銘器として、その後の各社の模範となりましたが、1976年に生産を終了しました。 この「ヨーク」ブランドのユーフォニアムは、ドイツの工房で製作される楽器として、2008年より日本での販売が開始されました。 オーバー・ザ・ショルダー・サクソルン 南北戦争時 1861-65 に楽器を肩に乗せてベルが後方を向く形状 Over the Shoulder design のサクソルンがバンドで使用されましたが、この形状の楽器は1851年のボストンブラスバンド Boston Brass Band の挿絵の中にも描かれています。 オーバー・ザ・ショルダー・サクソルン Over the Shoulder Saxhorn とも呼ばれています。 この楽器は大小二つのベルを持ち、バルブにより、それぞれのベルに音の切り替えが出来る機構になっています。 また、小さい方のベルの向きを変える事が出来る機種もあります。 シモニー・マンティア Simone Mantia, 1873-1951 がスーザバンドの名手として活躍しました。 ダブルベルのユーフォニアムは4本もしくは5本のバルブを持ち、様々な形状の楽器が考案されましたが、バリトンホーンやコンペンセイティング方式の機種と置き換わり、1960年頃には製造が中止されました。 バリトンホーン 米国で発展したバリトンホーン Baritonehorn は、バルブを楽器の中央に配置する形状の楽器で、ベルが奏者から見て前方に途中から曲がっています。 ベル・フロントと呼ばれる形状の楽器です。 この楽器の名手にレオナード・ファルコーニ Leonard Falcone, 1899-1985 が挙げられます。 このファルコーニの業績を記念し、国際ファルコーニコンクール Leonard Falcone International Baritone Competition が1986年より開催されました。 ヤマハは現在このバリトンホーンと呼ばれている楽器 YEP-211 を製造していますが、日本では販売されていません。 ジャズ 米国で発達したジャズをユーフォニアムで演奏する奏者として、リッチ・マティソン Rich Matteson, 1929-93 が登場しました。 マティソンはハーヴィー・フィリップス Harvey Phillips, テューバ奏者 とジャズグループ「The Matteson-Phillips Tuba Jazz Consort」を1976年に結成し、スイス、モントルーの第1回国際ブラスコングレスにて発表しました。 日本からの留学生として山岡潤氏がマティソン氏に師事をし、山岡氏は日本におけるユーフォニアム・ジャズのパイオニアとなりました。 マティソンはヤマハのYEP-321を愛用していました。 国際テューバ・ユーフォニアム協会 1973年には世界テューバ協会 Tubists Universal Brotherhood Association、略称T. が結成され、カンファレンス International Tuba Euphonium Conference、略称ITEC が行われるようになりました。 世界中から奏者や研究者が集まり、研究の成果が発表され、楽譜の販売も行われています。 現在では国際テューバ・ユーフォニアム協会 International Tuba Euphonium Association と改称され、発展しています。 3 - 6. ドイツの工房で製作されるユーフォニアム 1. ヨークブランドのユーフォニアム 1882年にヨーク York 社が米国ミシガン州に創設され、同社のテューバは「ヨーク・テューバ」と呼ばれる銘器として、その後の各社の模範となりました。 このヨークのドイツでの生産は1976年に生産を終了しましたが、この「ヨーク」ブランドのユーフォニアムが、ドイツの工房で製作される楽器として復活し、2008年より日本での販売が開始されました。

次の

TVアニメ『響け!ユーフォニアム2』公式サイト

ユーフォニアム

ユーフォニアム その歴史と発展 あとがき 私は中学1年生の時はニッカンで、2年生からはラッカー仕上げのYEP-321を使用しました。 私の中学時代は「ユーホニューム」と呼んでいました。 「ユーホ何とか? という聞き慣れない楽器名に戸惑う中学1年生の私に、「君の担当する楽器は、バリトンだ、」と吹奏楽部の顧問が宣告した日の事を、今でも鮮明に覚えています。 もっとも生まれて初めて聞いた名称なので、「ユーホ? バリトン? バリカン? 」いったいどのような楽器か、実物を見るまで全く解らなかった想い出があります。 当時の中学の顧問は、「バリトン」と「ユーホニューム」の区別はしていなかった、ということです。 ラッカーの剥げたニッカンのユーホニウムを黒い台形のケースから出して、金属磨きの白い溶剤を含ませた布で楽器がピカピカになるまで毎朝磨きました。 楽器を磨き終わる頃には、この溶剤を含んだ布は真っ黒になり、手に染み付いた記憶があります。 私の中学はマーチングバンドで、顧問の先生は声楽とピアノがご専門の音楽の先生でした。 当時、私がユーフォニアムの専門の先生に習う事が出来たのは、年に1回の講習会だけです。 私が始めて参加したのは、横浜の青葉台中学を会場にして行なわれた初心者講習会でした。 受講生が使用していた楽器は、私を含めてニッカンが2〜3割であったと記憶しています。 その他は全てYEP-321で、銀メッキのYEP-321Sはまだ数本でした。 という状況下で悩みました。 今思えば当時の指導者はずいぶんと乱暴な事をしたな、と思いますが、吹奏楽の基本編成が米国スタイルの吹奏楽の編成で統一される過程での一コマであったと思います。 講師の先生は音大生だったと記憶しています。 ですので、私は中学時代に「小バス」という名称は全く聞いた事がありませんでした。 またこの名称を使っている方にも残念ながらお会いした記憶がありません。 私の新入生時は楽器が足りずに、ニッカンを使用していましたが、上級生になった時には、学校の楽器が全てYEP-321に置き替えられました。 私はニッカンの最後の生き残りです。 私の高校時代は「ユーフォニウム」と呼んでいました。 私の高校は昭和30年の創部で、創部当時「バリトン」と「小バス」と呼ばれた楽器が購入されました 鎌倉学園同窓会報第16号2007年による。 ニッカンや田辺の時代です。 しかし、昭和54年入部の私の時代にはこれらの楽器は既に使用されていませんでした。 私は学校の備品のYEP-321を使用しましたが、初代のOBの方々に「バリトン」や「小バス」のお話を学生時代に聞く機会が得られなかった事を大変残念に思います。 私達がユーフォニアムの歴史から学ぶ物があるとすれば、それは人間の英知です。 人間の身体のサイズや使う息の量は、昔も今もそんなには変わりません。 この「人間の身体の機能を利用して音を出す」という制約の中で、いかに「より豊かな美しい音」を奏でる楽器を製作するか、これがユーフォニアムの制作の歴史です。 また、作曲家と演奏家がその腕を競い合うからこそ、ユーフォニアムはその性能を十二分に引き出してもらえる、ということです。 イギリス産業革命やフランス革命という人類の偉大な歴史の転換により近代国家が誕生しましたが、この産業革命と国民国家の成立と同じ時期に金管楽器の夜明けとも言えるヴァルブが完成して、金管楽器が飛躍的に発展し、ユーフォニアムが登場する条件が整いました。 バッハやモーツァルトが活躍した時代、演奏会の会場は王侯貴族のサロンでしたが、市民革命後にはたくさんの一般大衆が屋外の演奏会場へ足を運ぶようになり、コンサートホールも大型化しました。 ユーフォニアムが誕生した頃は各国の軍楽隊は屋外での演奏で、どれだけ大きく吹いても音量が足りないというような状況に置かれていました。 現在の技術では、マイクやスピーカーを使って、会場の音量を自在にコントロールできますが、当時はその問題を克服する為に各国は競って楽器を開発しました。 バルブの改良が進み、様々な形状の楽器が考案されましたが、試行錯誤の結果、ユーフォニアムの基本的な構造が徐々に確立し、ユーフォニアムは聴衆を楽しませる楽器として改良を重ね、近年にはオーケストラの演奏会にソリストとして呼ばれるまで成長しました。 この事は、人類の歴史と音楽の関連として誠に興味深い事実です。 日本における西洋音楽の発展を考えると、その初期に於ける軍楽隊の役割は非常に大きく、その評価は正当にされなければならないと考えます。 そして、国民国家が誕生し、私達はこのように表現の自由の下に音楽を奏でる事が出来るようになりました。 また、産業革命が達成されて、廉価で性能の良い楽器を市民が手にする事も出来るようになりました。 産業革命や国民国家の成立が、私達に与えてくれた素敵な贈り物、芸術を表現する楽器、それがユーフォニアムであると私は思います。 さて、これから、ユーフォニアムはどのように発展していくのかを考えると、楽器を太くし、金属を厚くすれば、それだけ「逞しい」音は出ると思います。 時代の要請の本質はいつも変わりません。 しかし、その分繊細な表現からは遠ざかるのではないかとも考える事が出来ます。 様々な意見があるとは思いますが、ダブルベルのユーフォニアムが廃れたのは歴史の当然の結果だと感じるのは私だけでしょうか。 複雑な物よりも、よりシンプルな物の方がより「美しい」ということはここでも証明されていると思います。 私は、よりシンプルで、繊細な表現が出来て、なおかつ他の楽器に負けないような豊かな音色と広い音域・音量を担当できるユーフォニアムが必要だと感じています。 それが、「美しさ」であると共に、これからの音楽界で勝ち残る「強さ」という条件であると思うからです。 ユーフォニアムが登場し、オフィクレイドと入れ替わるのには数十年の月日が必要でした。 今、私達が次の世代を担う楽器を作っています。 ユーフォニアム奏者 深石宗太郎 謝辞 1870年に薩摩藩軍楽隊の尾崎平次郎がユーフォニアムを始めて吹いてから134年後の2004年に同郷、鹿児島県出身の航空自衛隊中央音楽隊の外囿祥一郎氏が東京芸術大学に初の講師として就任しました。 歴史の不思議な巡り合わせを感じます。 ユーフォニアムという楽器について、この資料を通してより深く理解して頂けましたら、これ以上の幸せはないと思います。 最後になってしまいましたが、これらの資料や年表を作成する過程で貴重な御教示を頂きました、三浦徹氏、千脇健治氏、梅田徹氏、井上歩氏、小島修一氏、伊東明彦氏。 また洗足学園音楽大学大学院の修士副論文をまとめ上げた福田博和君を始め御協力頂きました多くの関係者の皆様に感謝を申し上げます。 2005年6月1日 深石宗太郎 この度、内容についてより正確を期す事と目的として、HP開設以来、年表と一緒に扱ってきたこの稿を独立して扱う事にしました。 内容につきましても、一部に手直しをしました。 あらためまして、これらの資料を作成する過程で貴重な御教示を頂きました、三浦徹先生、千脇健治氏、梅田徹氏、井上歩氏、小島修一氏、伊東明彦氏、山岡潤氏、馬渡健氏、岡山英一氏、洗足学園音楽大学大学院の修士副論文をまとめ上げた福田博和君をはじめ、お世話になりましたした皆様方に感謝申し上げます。 2006年7月26日 深石宗太郎 前回の改訂以来、内容について書き足しを続けた結果、一部で内容が重複する事が増えて来ました。 このウエブを管理して頂いている伊東氏の助言もありまして、レイアウトから全て一新する事に致しました。 あらためまして、お世話になった先生方、諸氏に感謝申し上げます。 2006年のクリスマスの日に感謝の気持を込めて 深石宗太郎 この度、戦前、戦後のニッカンのユーホニウムについての項を書き足しました。 ニッカンの楽器について、その機種名や歴史について、ヤマハアトリエの山領茂氏、管設計の松隈 義彦氏より貴重なご意見を賜りました、この場をお借りしまして、厚く御礼申し上げます。 2007年2月12日 深石宗太郎 この度、文中で使用する用語等について見直しを行ない、レイアウトも含めて大幅な改訂を行ないました。 また、ビュッフェ・クランポン 株 技術課の長島智宏氏より、ベッソンブランドの楽器の改良についての説明を賜りまして、年表及び本文にその内容を反映させて頂きました。 厚く御礼を申し上げます。 2007年9月 深石宗太郎 このたび、都賀城太郎氏の発表による「戦前日本の学校文化とスクールバンド」 洋楽文化史研究会第98回例会 を拝聴しました。 この資料を参考に「3-2-2. 吹奏楽の民間への普及」につきまして一部加筆、修正をしております。 また、「3-5. 戦時下のユーフォニアム」の項につきましても、都賀城太郎、奥中康人氏よりご教授いただきました資料を基に一部加筆、写真の追加をさせていただきました。 都賀城太郎、奥中康人両氏に感謝申し上げます。 サックス没後100年」 日本ユーフォニアム・テューバ会報No. 32 1995年 前田美奈子 パリ通信「フランスの楽譜について」日本ユーフォニアム・テューバ会報No.

次の