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来歴・人物 私立。 既婚者。 のはである。 妻はの元座員。 師匠は。 吉本新喜劇のスターとして関西で絶大な人気を得た。 「 アヘアヘアヘアヘ…」「 ア〜メマ! 」「 かい〜の」などので有名。 (24年)7月20日、との県境にある橋上町出井に生まれる。 間の姓は母の再婚相手の姓であり、実父の姓は岡村。 実父は寛平が生まれる直前に23歳の若さでで亡くなっている。 岡村家はから逃げ延びたのか何かだったと本家では伝えられており、長らく地元のをしていたが、明治の頃に一族の一人の放蕩が原因で寛平の実父が生まれた時には集落で一番貧乏になっていた。 実父は筋の出身だが、彼の家は木材の切り出しなどで糊口を凌ぐなど一族全部が困窮を極める有様で育ったため、15歳で地元のの木材切り出し人の給与算出係をし、戦争の終戦間際にのに志願する(シゴキと結核に倒れては入院先の病院で迎えた)という苦労を重ねていた。 実父と母の馴れ初めは戦後間もなく地元の青年会の演劇サークルであった。 寛平が4歳の時に近所の人の紹介で母は木材の切り出しをしていた男性と再婚し、一家でに転居。 の需要減少ででは食べていけなくなり、12歳の時にに引越した。 この頃、亡き実父の存在を知る。 - 高校卒業後、に憧れて上京。 歌手を目指すが、挫折して大阪に戻り、様々な職を転々とし社会人も経験。 - らが出演していたラジオの公開収録で岡と知り合い、岡が当時所属していたのに出入りするようになる。 千日劇場の閉鎖後、を紹介され、最初に弟子入り志願したが、既に弟子がいたために断られ、に弟子入り。 のにあった「温泉劇場」()に入り、幕間に出演して修行を積む。 - 喫茶店でアルバイトをしていた時に、店主のの紹介によりに移籍、の研究生になりの付き人になる。 同期にらがいる。 - とのコンビで入団から4年、24歳にしてのに昇格。 実質的には10月より班では平・木村、そして間の「三枚看板座長制」という形を採っており(ただし、正式にその班を統率し、脚本・演出内容にも強い発言力を有するという意味での座長には昇格していない。 現在の「ニューリーダー」に相当する位置付けであった。 そして4月からは木村、寛平それぞれ別の班を統率することとなった。 - 『』で歌手デビュー。 100万枚のセールスを記録。 には同じタイトルの日活ロマンポルノに主演するなど活躍した。 - 同じ新喜劇の団員だった光代夫人と結婚。 - バッジを 10万個作成し、消費者金融に6000万円の借金。 (元年) - を退団して東京進出(ただし、自宅はに置く)。 を頼り加入を希望するが断念、その後に師事し、またと漫才コンビを結成する(その後解消)。 から放送を開始したのクイズ番組『』のレギュラー解答者としてからまで出演した。 - の自宅でに遭うも、家族全員無事だった。 (平成20年) - 12月17日に大阪をスタートして2年以上かけてマラソンとヨットで世界一周する「」に挑戦する。 この間、日本には一度も帰国しない予定なのでレギュラー番組は降板した。 - 1月4日、福岡港に上陸。 2011年 - 1月21日、2年1か月のアースマラソン4万1000kmにも及ぶ長い旅を終え、午後7時43分にを第一終着地としてゴールインし親交ある芸人と一般視聴者に祝福された。 その後最終終着地、 NGK に午後8時40分ゴールインし、先輩や後輩芸人、家族に囲まれて祝福された。 この様子は2時間生放送特番を組まれた。 番組のしめ言葉は本人とNGK内にいた全員での「アメマ」であった。 8月、()(前年3月11日発生)で被災の・・の3県を激励のためマラソンで走破。 今度は西日本で幅広い層に震災復興支援を訴えるため発起人となり、翌9月の24日、家族で参加できる形式でのマラソン大会「」の詳細を発表。 大阪府枚方市内を発着点として、淀川の環境保全という視点も含め、間は「楽しい大会にしたい」、同席のの社長は「大阪名物として定着させたい」と語っている。 2月4日、淀川寛平マラソン第1回大会に、吉本タレント約100人とともに出場。 寛平自身は距離10キロのコースに参加、約50分で完走し「みんなが頑張ってくれたので、最高のマラソン大会だった」と語った。 - 7月20日、若手芸人育成を目的として、「 劇団間座」を立ち上げ 、12月24日・25日に旗揚げ公演『恋の虫』を上演。 エピソード• 柏原高校時代は野球部に所属していた。 2011年の夏の高校野球で母校が初出場した時に、野球部OBとして、アルプススタンドで観戦した。 野球は南海時代からの筋金入りのファンである。 現在でも年に数回、まで観戦に足を伸ばす。 映画「」シリーズで主人公(戸沢康平)の役を演じた時には、毎回福岡ダイエーホークスのウインドブレーカー(黒とオレンジが基調のホーム用)を着て登場していた。 が南海ホークスにいた時代は共に本拠地である難波で豪遊していた。 「寛平」の芸名の由来は、 をチラ見してしまうことに由来 [ ]。 当初は「貫平」だったが、尊敬する喜劇役者・にあやかって字を変更した。 それ以前、「ふんどししめお」「はまぐり寛平」という芸名の時期もあった。 無類の好き。 1回に500mlのビール10缶を飲み干したことがある。 寒さが大の苦手。 妻・光代とは仲が良く、50歳過ぎの時にに入りながらふざけて互いの足を蹴り合って遊んでいたところ、妻が足をぶつけて骨折した事があり、さんまに「ええ歳して何してんの?」と呆れられた。 また、21時前になると妻が2時間ドラマを観たいために、とお茶を出してきて「これを食べて寝ろ」という合図を出される。 母親と顔がそっくりである。 ただし、本人は性格も含めて実の父親に似ているなと、で実父の過去の調査結果を聞いた時に語っている。 (18年)に長女が初孫を出産。 当時56歳にして名実共に「おじいちゃん」となった。 「ついにおじいちゃんになりましたが、いくつになっても甘えまくります! 」とのコメントを発した。 人柄が良く、芸人仲間や後輩からも信頼される。 、、、、も今もって若手の頃に良くしてもらったことを感謝している。 特にさんまは当時大忙しだったにもかかわらず、寛平がスパルタスロンを走る番組で、「兄さんのためなら」と付き添いのために(さんまの付き添いは、プロデューサーが番組制作の条件として出されたものであった)、無理やり10日間スケジュールを開けたことがある。 また『』で共演したやなどからも信頼されている。 持ちネタは古いものでは何十年も同じものを使い続けており、ネタをしても滑るのが慣例となっている。 に倒れ、リハビリを続けていたかつての盟友・木村進へさまざまな支援を行っていた。 漫画『』の4巻巻末では、作者のと間寛平の共演が行われ、作者が弟子として教えを受けるギャグが展開された。 大阪なんば・NGK近辺の食堂から出前を取るときなども、電話で「アヘです〜」と言うだけで通じてしまう。 同様に、後輩芸人に電話する際にも「アヘ坊やけど〜」で誰かが分かってしまう。 のモノマネが得意。 「」で披露した事がある。 家にいる時は必ず妻が、午後8時半に珈琲と共に出すので食べている。 2013年9月25日放送の「」で「一年の内300日は食べてます」と語り、さらに「妻が9時からドラマやサスペンスを見ているけど、僕がいたら「こいつが犯人やと思う」とか一々うるさいので9時には寝るように言われていて、わらび餅はもうすぐ寝ろと言う合図」とも語っている。 100万枚を超える大ヒット曲となった「」だが、元々は当時若い女性に人気であった桂三枝(現在の)向けの曲だった。 ただ、当時の吉本興業の社長が猛烈に反対し「こんなん、寛平にでも歌わせとけ!」という一言で寛平が歌うことになった。 大ヒットした曲だったが、受け取った印税は全部で24万円だったと述べている。 愛車は(BNR34型)であり、時折自身のTwitterで車両の写真を公開している。 デビュー前から結婚まで• 十代の頃、屋の見習いをしていたが、風呂場の貼りを命じられた際、余ったをそのまま排水溝に流してしまい、詰まらせたことが原因でになった。 芸能界へ入る前、の運転手をしていた。 中には短時間でを処理するため人目に付かない池へ不法廃棄したところ池がなくなってしまったという出来事もあった。 また、若手の頃は経済的に苦しく、吉本に内緒でトラック運転手のアルバイトをしていた時期もあり、地方でうっかり事故したエピソードなどをときおり披露している。 入りを目指したきっかけは、テレビでを見て、「こんなブサイクがテレビに出れるのなら俺でも」と思ったからであった。 芸能人を目指すべくキャバレー店に勤務、ボーイに就くも、ある日、芸能界の入り口にすら立っていないことに気付く。 その後、大阪アメリカ村にある飲食店店員の職で稼ぎを得ていたが、入店した女性客()から面相を大笑いされ「君、おもしろい顔をしているから吉本に紹介してあげる」と告げられ、言われるままついて行き吉本興業に入所。 元々寛平とその妻・光代は先輩後輩の間柄。 光代はの大ファンで萩本の追っかけをしており、萩本とも顔見知りであった。 光代曰く、萩本との結婚も本気で考えていた。 だが、後に萩本の結婚を知り大ショック。 寛平が光代を慰めたのが付き合いの始まりであった。 光代の実家が大きな家だったことに加え、当時は家がなく、などの家を渡り歩いており、これをきっかけに寛平は光代の実家に少しずつ自分の荷物を置いて行き、いつの間にか寛平が光代の実家に住み着いた。 東京進出• 仕事先の宿のの目が「東京行け、東京行け」とささやいたからとの理由で東京で頑張りたいと独立を考えた時に 、当時、吉本の社員だったに懸命に説得されて慰留が決まり、吉本興業東京本社(当時は東京事務所)に所属する事になったと同時にを退団した。 なお、寛平は東京に吉本の事務所があるのを知らなかったという。 東京進出の理由として、アメマバッジの件(後述)も関係していた。 東京ではに師事し、干されても3年は頑張ると約束していた。 吉本新喜劇を退団し上京、東京で仕事を探すも、関東での知名度が低いため苦労する。 そんな時に妻から萩本の所へ行けと言われ、寛平が萩本の所へ行き助けを求めた。 寛平との面識がなかった萩本は最初は驚き困惑したが、萩本が吉本に電話をして「(寛平は吉本に)必要な人だって」と寛平に告げ、その後、萩本の仲介で自分の番組に寛平を出すなど、手助けをした。 のちに萩本は「妻と一緒に来ていたら断っていた」と語っている。 借金・アメマバッジ関連• 生来、お人好しと無知が災いして次々と他人の借金の連帯になってしまう。 付いたあだ名は「歩くハンコ屋」。 他にアメマバッジの失敗により6000万円 の借金を背負うが、妻の光代が必死の借金返済で当時0歳だった長女を連れて、街金の金融業者の前で長女をつねって泣かせて、金融業者を同情させる作戦で、借金の利子を免除してもらったと言う逸話がある。 普通の人間なら、利子を免除してもらえないのだが 、当時、寛平も売れ出し始めたこともあり、寛平自身が家族を養う事が厳しかった事から、光代が必死に訴えた努力の甲斐が実り、利子を免除することが出来た(現在は完済)。 アメマバッジの件では、を製作した会社から費用の不払いのため訴えられて裁判沙汰となる(通称 「アメマ裁判」)。 この口頭尋問で、から「『アメマ』とは何ですか?」と訊かれ、「『ア~メマァ~』です」と答えたら、再び「ですから、『アメマ』とは何ですか?」と訊かれたため、再度「『ア~メマァ~』です」と答えた。 このやり取りが尋問中、何回も繰り返され、法廷内全体を爆笑させたのは裁判でも過去に例がない語り草となっている。 なおアメマバッジは、『』に出演したゲストにプレゼントされ、『』では会場の観客に 、さらに『』では出演した親子全員にプレゼントされていた。 当時は売れなかったアメマバッジであったが、2006年5月の『』の企画でYahoo! のチャリティーオークションに出品された際には入札が36件あり、2万5,501円で落札された(元の売り値1500円)。 これを作った当時は「ICが入っているから高い」と聞かされていた寛平だが、実はICは入っていなかった。 TV進出のきっかけは、当時の出演番組がの『』(週1本のレギュラー)しかなく、さんまとの会話で「兄さん、そのギャラじゃアメマの借金返せまへんやろー! 」と言われたことがきっかけで、さんまが出演しているテレビ番組に共演するようになったことである。 アメマバッジの作成や連帯保証人として長年にわたって請け負った全ての負債を完済して安堵したのも束の間の数日後、が発生しに建てたばかりのマイホームを失ってしまう。 地震保険にも加入していなかったため家の再建費用などで、その後もまた債務を負うことになった。 マラソン・他のスポーツ関連• 趣味としてをしており、3時間8分42秒(1998年)という市民ランナーとしては驚異的な記録を持っている。 の鉄人「スパルタスロン」では246kmを3度も完走、『』の24時間マラソンでも200km(は-間、約600kmを7日間で完走)を完走するほどの健脚の持ち主でもある。 24時間テレビチャリティーマラソンの最初のランナーである。 番組スタッフがに 間寛平の深夜帯10分程度の出演オファーをした所、当時のマネージャーである比企啓之から「10分とは言わず24時間走らせましょうか?」と提案された事がきっかけでこの企画が始まっている。 もともと寛平がマラソンを始めた理由は、の治療のためであったが、マラソンを続けているうちに心臓疾患を克服したばかりか、心臓の強さが陸上選手並みになったという。 後々、長距離レースへとエスカレートしていった原因は、間の祖母にルーツがある。 高齢であっても足腰が強く、幼少だった重美少年が追いつかずに音を上げる程に意気軒昂であったことから「もしかして長命の家系なのでは」と疑い、祖母も頑丈であるのなら、同じ血を引く自分の限界はどこまでなのか知りたくなった事にあるという。 マラソンから転じて鉄人レースにも参加するようになり、仕事の行き来も走って練習を積む。 しかし運動量の多さから食欲不足に陥り「ビールなら麦から作っているから米と同じだろう」と、自己判断で食事を採らずにビールを飲んでいたという。 そのうちに身体がだるくなり、診察を受けたところ栄養不足と診断され、「ビールしか飲まないなんてとんでもない、普通の人間ならとっくに筋肉がずたずたになっているはずだ」と、医者はびっくりしていたという。 『』のマラソン競技でも、50歳代半ばにして一般男子以上のハンデがある。 しかし近年はミニマラソンの高速化により、ミニマラソンではなく駅伝の方での参加が多くなっている。 、の『24時間テレビ』内ではにも挑戦。 改めて鉄人振りをまざまざと見せ付けた。 吉本以外の後輩ではを大変かわいがっている。 そのため2006年、2007年の『24時間テレビ』で十種競技に挑戦する寛平を、村上ショージ、シベリア文太、レギュラーらと応援に来ていた。 アースマラソン• のに、将来的に芸能活動を3年間休止して 世界一周マラソンに挑戦する意向を表明。 寛平本人はその理由を「目立ちたいから」だと語っている。 2008年、東南部のに挑戦。 食料などが入った重さ14キロのリュックを自ら背負い、総距離245キロメートルのコースを、3月30日 - 4月5日までの7日間をかけて、51時間46分5秒のタイムで完走。 2008年8月19日、1999年から続いていた寛平まつりを2008年10月12日の10回記念公演を以って幕を下ろすことを公表。 理由は2007年2月27日に公表した地球一周 (KANPEI EARTH MARATHON)を2008年12月から実行に移すためというのが実情。 2008年8月31日にKANPEI EARTH MARATHONの概要について公表された。 そして2008年12月17日の正午にスターターを務めたの合図で、大阪のをスタート。 過酷なアースマラソンの旅が始まった。 舞台には、、、、、、等の大御所や仲間がスタートの瞬間を見守った。 2010年1月4日には、『アースマラソン』の際立ち寄ったにてを発症していることが判明。 同13日に公表。 今後は、治療を行いながら『アースマラソン』を続けていくことが明らかになった。 3ヶ月後に到達後、病状が悪化する前に放射線治療を受けるために一時中断してに引き返したが、6月18日に再スタートした。 2011年1月21日に2年1か月のアースマラソン4万1000kmに及ぶ長い旅を終え、午後7時43分に大阪城音楽堂を第一終着地としてゴールインした。 『アースマラソン』にて太平洋大西洋横断や中国大陸から日本への帰国の手段としてを駆使するなどしたことから、から間寛平に「セーリングの普及、認知度向上に貢献を果たした」として功労賞が贈られることになった。 忌野清志郎との関係• この日のでは、普段は入場時に配られるが配られず、退場時に「ジャングル野郎」の広告と一緒に配られたことから、寛平の登場はシークレット扱いだったとされる。 この模様は、後に日本テレビ系列の深夜番組で放送された。 また、「ジャングル野郎」に収められている提供の曲は、リリースの際、寛平の所属事務所側に一部歌詞を変更されてしまった。 また、寛平バージョンは寛平ならではのセリフが入っている。 『アースマラソン』中の5月2日にに突入した直後に妻・光代から電話が入り、忌野が亡くなった事を知る。 光代がなかなか言い出せずにおり、間は「大丈夫か?どしたん?」と心配しているとついに切り出し、間は「えぇ!?」と発するとカンザスの看板にしがみつき、カメラに背を向けて声を上げて号泣。 立つ事もままならないほどであった。 バラエティ番組でのエピソード• 過去にのメンバーとしてに数度コンビを組まないかと誘われ、「洋・寛」という漫才コンビを結成したりするも長続きしなかった。 ただ池乃めだかとは何度かコンビを組んで舞台に上がった事がある。 その後、東京進出の際には、洋七の親友であるの弟子軍団である『』入りも検討し、たけしからもOKをもらったが、断念した。 ハゲ頭のを被ったおじいちゃん役(通称:最強ジジイ)での出演が非常に多く、吉本新喜劇での名物キャラの一人であった。 ヒザをカクカクさせながら杖を振り回し、最後に「がんばっとるか〜」と言う姿は多くの観客の笑いを誘ったが、調子に乗ってあまりにも膝をカクカクさせすぎて、本当にヒザを痛めたことがある。 また、多額の借金を抱えていたとき、その姿を見た妻から「アンタは杖の先にハンコつけて(判をつきながら)歩き回っているのか! 」と言われたことがある。 なおが老人用の薬の宣材にこのキャラクターを起用した。 主な持ちネタ・ギャグ• 「 ア~~~メマ!! 『』でが8回連続NGを出した時にこのギャグを放ってハマりのループから救った。 「頑張っとるか~?」(舞台に現れる時に使用、またVHSの『吉本新喜劇ギャグ100連発2〜野望編〜』のパッケージにもなっている)• 「おっさ〜ん、おっさんアホか、アホかおっさん、おっさん、アホかぁ。 「こら、犬どけ! コン キャンキャンキャン…」 舞台からハケるときに使用される• 「誰が付けたかインベーダー ビッビビッビ」• 「パパパパッ、パ〜ンプキ〜ン」(アースマラソンで北米大陸を横断中に開発したと言う)• 「 かい〜の」(大道具の角・自分の持っている杖などに尻の割れ目をこすりつけて上下運動)• 「 アヘアヘアヘアヘ…」「 アヘアヘウヒハアヘウヒハ…」(アへ語)マネージャーの妻から5000円で購入• 「血ぃ吸うたろか!」• 「止まると死ぬんじゃ」(おじいちゃん役の時)• 「だ〜れ〜が〜じゃ」「ど〜〜してじゃ」「な〜ぜじゃ」(おじいちゃん役のとき)• 「お礼のプ〜」(「俺のプ〜」のバージョンあり)• (掴み合いになって、すぐにフラフラと倒れる)(共演者)「おっさん、骨ないんか!? 」(寛平)「カルシウム足らんねん」その後、相手の股間を「ピッ、ピッ」とつつく。 「いくつになっても、甘えん坊〜」• 「脳みそパ〜ン! 」(アメリカでは「ブレインパ〜ン! 」として使用した)• 「じゅとじゅでにじゅ、あとじゅでさんじゅ」(10と10で20、あと10で30)• の形態模写と、のの形態模写との掛け合い。 めだか猫と一緒にボールにじゃれついたりするが、そのうちにらみ合い、大喧嘩を始める。 しかしいつの間にか寛平猿がめだか猫を押さえ込み、交尾を始めてしまう。 暴れているうちにめだか猫と向き合う形となり、2人ともビックリして腰を抜かすパターンもある。 二人のモノマネがエスカレートし、特にめだかの猫マネが最高潮に達しているにも関わらず寛平の方は素に戻ってしまい、一人梯子を外された形になっためだかが恥ずかしさの余り突っ込むというパターンも存在する。 池乃めだかとの掛け合いで、果てしなく池乃めだかの言動を真似し、そのまま以下のやりとりに流れ込むパターンがある。 (めだか)「ちょっと話がある」(寛平)「誰が放し飼いやねん! (めだか)「 重大な話やねん」(寛平)「誰が10代じゃ! わしゃ60代じゃ! (めだか)「 えもんかけ()取って」(寛平)「誰が猿公(エテコウ)やねん! 」(orモンキー)• (めだか)「 本気で言うてるんですか? 」(寛平)「誰がモンキーやねん! (めだか)「またそんな 得手勝手言うて…」(寛平)「誰が猿公(エテコウ)飼ってるねん! (めだか)「 折り入って相談がありまして…」(寛平)「誰が檻に入って相談せなあかんねん! (めだか)「本当は ええとこの子なんですやろ? 」(寛平)「誰が猿公(エテコウ)の子やねん! (めだか)「 ええとこ連れて行ったる言うねん」(寛平)「誰がエテ公やねん! (めだか)「ほんま、 品のない顔して。 」(寛平)「誰の顔にフンがついとるんじゃ! (めだか)「もっと 情け深い人やと思うとったで! 」(寛平)「誰が毛深いんじゃ! お前、わしの見たんか! (めだか)「わけわからへんがな!! 」(寛平)「誰がじゃ! (めだか)「キリがないやろ!! 」(寛平)「誰がじゃ! (めだか)「いいかげんにせえ!! 」(寛平)「誰が胃が痛いねん!! 「かかかか堪忍な〜」• 「チャッチャマンボ チャチャマンボ ヘイ パキューン・パキューン・パキュンパキュンパキュン」(パキューンに合わせて腰を前後運動)(『』での定番ギャグ)• 「しっかりできたらぼさっとするかいな! 」(後輩芸人などから「しっかりして下さいよ〜」と言われた時)• も「しっかりできたらうっかりせんわい! 」というギャグを使う。 (アメマバッジのモデル)通常バージョンとロックバージョンがある。 先っちょマン• ホレホレレンジャー「ホーレホレ掘れ」「おったまげったんよー」• 引きずり女• 姿、白塗りで額に「引」の文字、髪の毛にいろんな物をヒモで結びつけて引きずっている姫。 「引きずり女は福を呼ぶ」と書かれた扇子を常に持っている。 娘の結婚式の余興で、娘の友人(素人)が引きずり女をやろうと用意していたのだが、寛平は本家本元の引きずり女をお色直し後の新郎新婦入場時に娘の友人より先にやってしまい、娘の友人の演し物は台無しに。 本人曰く、「娘に頼まれた」とのことだが、真相は不明。 「まいど〜! 」(鼻声で)• 「フェー」(鼻声)• 「ふひは! 」(鼻声)• 「ちょっとしたミスさ」• (突然怒り出した後に)「きつく言ってごめんね」• 「じいさん、ばあさん、山のぼろ〜」• 「」の「ひょうきんベストテン」にとして主演した際、これを叫びながら脚立を登り、足を踏み外して股間を強打したことがある。 「うんばらばー」• 「イカルスピークサンシン」(呪文のように唐突に唱える。 一瞬で空気を変える力を持つ、不思議なギャグ。 大阪ほんわかテレビで登場)• (ギャグではないが、『』での発言より)「私は今、耳クソが不足している」「からの自宅まで車で帰ったが、その間ブレーキを一度も踏まなかった」「私はについて語れる」、など。 いずれの発言もさんまからツッコミが入り(特に耳クソでは大説教された)、エンディングコーナーの投げ手・すくい手に採用された。 (両乳首を両手で引っ張って)「乳離れしたくなーい」• (両手を肘から前に出し、機関車のように前後して)「ぐぐかか、ぐぐかか、ぽっぽ〜」• セリフはないが、右手を頭の上に持ち上げた状態で手先だけを前に倒し、手に不規則な動きを加える。 本人曰く、アルバイトでパワーショベルを操縦していたことがあり、その動きからヒントを得たとのこと(『』での発言より)。 アレンジとして、ダチョウのような動きになることもある。 (手のひらを下にし、顎に当てがって開いたり閉じたりしながら)「ワオ、ワオ!」• 塩野一平(廃業)• 』で全国巡業した。 作詞作曲(この曲を元にしたロマンポルノ映画も制作された)。 大ヒットして、には「 間寛平withアメマーズ」として、に出演している。 『』ではで作詞作曲した歌を歌い出すこともしばしばある。 ヘビおんな物語(「ひらけ! アタレ! 宝くじ(歌手表記名は「間寛平とボーイフレンド」。 山本正之作詞作曲。 ゲイボーイ ブルース(「アタレ! 宝くじ」のB面)• わたしは宇宙人(山本正之作詞作曲。 からから節(「わたしは宇宙人」のB面)• (のヒット曲のカヴァー。 とのユニット「 かんコーラ」名義)• 大阪で生まれた男(の同名曲とは異曲)• なめくじ君(寛平作詞、作曲、コーラスにが参加している)• たまご丼• さよなら(が作詞・作曲)• ジャングルジム• 天国野郎• やどもり• 月光バスボーイ• コスモス• TALKIN' BLUES• RUN RUN RUN(「ファンキー・モンキー・ティーチャー」挿入歌)• チャチャマンボ島(とのユニット「 まきたんとかんぺいたん」名義) 出演 レギュラー番組 以下の番組には、アースマラソンへの出発前から出演。 マラソン期間中にも、滞在先から不定期で登場した。 (、探偵)• 月曜日(、準レギュラー)• (、月1回放送) 以下の番組には、からレギュラー(または準レギュラー)として出演。 金曜日(MBSテレビ、準レギュラー)• (、2012年以降の第2期、準レギュラー) 映画• (1975年)• くノ一忍法 観音開き(1976年)• (1976年)• 撃てばかげろう(1991年)• シリーズ• パッパカパーシリーズ• (2002年)• シリーズ• (1995年)• 罪と罰〜ドタマかちわったろかの巻(2002年)• (2002年)• (2003年) - タクシー運転手役• (2005年)• (2007年)- 役• (2008年)- 子泣き爺役• (2008年) - 荻野千恵蔵役• (2009年) - 久保尚典役• (2013年、監督) - 北山俊夫役 劇場アニメ• (2015年) - 本人 役 テレビドラマ• (ABCテレビ)八寸のへろ松役• (NHK)• 「10」(1991年、ABCテレビ)• 第13話「ドジな男の恩返し -高知-」(1991年2月4日) - 藤次 役• 「柵」(1991年、)• 戦慄のスーパーギャグドラマ・吉本最後の日? (1992年、) - 本人 役• 「本気でオンリーユー」(1992年、よみうりテレビ)• (関西テレビ)• (1993年 時代劇スペシャル 役)• (1994年、日本テレビ)• 「ど素人刑事殺人事件簿 慕情編」(1996年、TBS)荒畑伝三郎 役• (1997年、TBS)• (NHK )• PART-IV (2000年、) 第22話袴田 役• はみだし刑事情熱系PART-V (2001年、テレビ朝日)第19話袴田 役• (2001年、NHK)東海林大吉 役• (2001年、NHK)西原甲子男 役• (2003年、NHK連続テレビ小説)牛じい 役• 「笑う扉」(2004年11月22日、) 過去の出演 レギュラー• (日本テレビ):東京進出初のレギュラー番組• (日本テレビ)• (日本テレビ 3月 - 9月の最終回まで出演):寛平の知名度が全国区になったきっかけの番組でもある。 (日本テレビ)• (テレビ朝日)• (NHK教育、2003年度)• (MBSテレビ)• (ABCテレビ)• (ABCテレビ)• (関西テレビ)• (関西テレビ)• 水曜日(MBSテレビ)• 花月爆笑劇場(MBSテレビ)• お笑い花月劇場(ABCテレビ)• (日本テレビ 春 - 春の特番のみ出演)• 日本テレビ• (日本テレビ)• TBS• (日本テレビ)• MOTTAINAI( )• (日本テレビ)• (フジテレビ)• (2011年、NHK総合)• 日曜特番・夢をつくった男たち〜お笑い100年のパイオニア〜(、)• (テレビ朝日、2016年1月11日) - 「すぐにハンコを押して保証人になっちゃった先生」として出演。 ほか多数• (、不定期出演) 舞台• 舶来上等、どうでっか? (2012年6月12日 - 7月1日) - 役• 百年感謝 これからもよろしく(2013年3月20日 - 4月7日) - 猿田彦大神 役• 旗揚げ公演『恋の虫』(2016年12月24日・25日、)• 劇団間座『発明王』(2017年9月17日・18日、ABCホール) ゲーム• 爆笑 吉本新喜劇 今日はこれぐらいにしといたる!( 1994年 ) コマーシャル• 寛平のリトルコロコロ(1970年代後半)• (1992年)• 「ほんだし かつお・こんぶだし」(1994年)• 「シーズケース」 1995年• 「デミオ」(2003年)• 「極め羽釜」(2011年)• 「フレッツ光 光もっと割引」(2011年)• 「2015年度大阪地域キャンペーン『間寛平さん親子の忘災会議』」• ラジオNIKKEI中央競馬競馬実況web. 日経ラジオ社. 2018年4月2日閲覧。 吉本興業• 2015年5月8日放送分• 85)• HEAD PLAN雑貨店. 2006年11月24日時点のよりアーカイブ。 2007年4月20日閲覧。 (平成24年)9月25日 震災支援と淀川の環境保全に「淀川寛平マラソン2013」来年2月3日開催• 産経新聞2月4日朝刊 1万3000人快汗「淀川寛平マラソン」• スポーツ報知. 2016年7月20日. 2016年10月21日閲覧。 ステージナタリー. 2016年10月21日. 2016年10月21日閲覧。 夕刊 2014年12月22日(月)11面「一笑懸命」• テレビ番組(関西版). 2015年1月13日閲覧。 2018年04月14日放送 「」での発言より• 寛平自身は妻に相談せずに決断したが、妻は文句を言わず送り出した• 『』より• 『』にゲスト出演した際に自ら明かした。 光代夫人が『』にゲスト出演した時に明らかになった。 但し、やの場合でも借入履歴の状況次第で利子が免除される事もある。 最初は観客全員にもらえたが、後に抽選で観客全員にもらえる方式に変わった。 『』2015年4月26日放送• 産経新聞 2011年3月2日閲覧• 映画-Movie Walker. 2019年2月24日閲覧。
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