泉谷閑示 [精神科医] 1962年秋田県生まれ。 東北大学医学部卒。 東京医科歯科大学医学部付属病院医員、(財)神経研究所付属晴和病院医員、新宿サザンスクエアクリニック院長等を経て、現在、精神療法を専門とする泉谷クリニック院長。 著書に『「普通がいい」という病』(講談社現代新書)と最新刊の『「私」を生きるための言葉』(研究社)がある。 8人に1人が苦しんでいる!「うつ」にまつわる24の誤解 泉谷閑示 いまや8人に1人がかかっているといわれる現代病「うつ」。 これだけ蔓延しているにもかかわらず、この病気に対する誤解はまだまだ多い。 多数の患者と向き合ってきた精神科医が、その誤解を1つずつひも解いていく。 皆さんもよくご承知の通り、自殺は「うつ」における最大のリスクであり、社会的にも大きな問題になっているものです。 「どのような心理で、人は死を望むようになってしまうものなのか?」 「死を望む状態の人に、周囲の人間はどう関わることができるのか?」 非常に重いテーマではありますが、「うつ」を考える上で、決して避けて通れないこれらの問題について、今回は真正面から考えてみたいと思います。 死を望む人の心境とは? 多くの場合、「死にたい」と訴えるクライアント(患者さん)は、積極的に「死」を望んでいるというよりは、むしろ、終りなく続くように見える苦しみからとにかく解放されたいという気持ちを強く抱いて、「死にたい」という言葉を口にされるものです。 「死にたいなんて、とんでもないことを考えてはいけない」 「死んだら周りの人がどんなに悲しむか、考えてごらんなさい」 「死ぬのは罪であって、人は生きなければならないものだ」 「生きるのはとても素晴らしいことなのだから、死んではいけません」 「死にたい」と告げられた周囲の人は、このような言い方で反応することがとても多いようです。 どれも「どうにか生きてほしい」という強い願いから発せられたはずの言葉なのですが、しかし、これらの表現では意図に反して相手に「理解してもらえなかった」という落胆をひき起し、さらにその人の自責の気持ちを強める結果を招いてしまうことになってしまうのです。 さて、それはなぜなのでしょうか? 「死にたい」という言葉 の裏にある気持ち 「死にたい」という気持ちを口にする人は、たとえわずかでも「ひょっとしてこれを話すことによって何らかの救いが得られるかもしれない」という期待を持っています。 だからこそ、言いにくい気持を思い切って打ち明けているのだ、ということを聴く側は見落としてはなりません。 打ち明けている本人は、「死にたい」と思っていることについて、決して罪悪感を持っていないわけではありません。 むしろ、そんなことを考えてしまう自分を、執拗に責め続けてさえいるのです。 そんなところに、先ほどのような「道徳的な説教」をされてしまいますと、「道徳的に自分を律することもできないダメな自分」という形で、さらに自己否定を強化する方向に追いつめてしまうことになるわけです。 このような場合にまず必要なのは、本人の感じている辛さへの「共感」の作業です。 「死にたい」という言葉が発せられている時点では、まだ「死ぬ」こととイコールなのではありません。 むしろ、「死にたいくらい辛い」というSOSのメッセージなのです。 ですから、何ら有効な助言などできなくともかまいません。 中途半端に口を差し挟まずに、ただひたすらに「聴いてくれる」人間がいるだけでも、「死にたい」ほどの辛さは少しでも軽くなる部分があるのです。
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就活が失敗続きのときは、死ぬしかないと思うかもしれない 就活は、決して簡単ではありません。 これは身を以てあなたが体感していると思います。 どれだけ頑張っても、納得のいく結果が出ずにもう無理だと諦めてしまいたくなるのが就活です。 数えきれない程の企業を受けて、その全てに否定され続けるのですから、辛くないわけがない。 今までの人生を、自分自身をたった1通のお祈りメールで否定されたような気がして、面接のときにしっかりと答えられなかった後悔や、なぜもっと早くから就活のために動かなかったのだろうと自分に対して怒りすら感じるほどに、あらゆることが嫌になってしまう。 ESの紙切れ一枚で、たかだか数分会話しただけで自分のなにが分かると言うのか。 偉そうにしている面接官は、本当にそこまで偉いのか。 辛さの原因は、自分そのものを否定され続けられているような感覚に陥ってしまうことだと思います。 本当はもっと上手にできるはずだったのに、もっと良い結果を出すはずだったのに…という自分自身への期待があればあるほど、その辛さは増すと思います。 うまくいかず周りに取り残され、なんとかしないといけない…と思う気持ちが強くなってしまい、空回りして更にうまくいかない、という悪循環が生まれてしまうのです。 どれだけ辛くても、就活に失敗したからと死ぬなんて思わないでほしい 本当はもっとうまくできるはずだった…でも、うまくできなかった。 その現実と理想のギャップに、あなたは苦しんでいるのだと思います。 ですが、決して自分への期待を持ってはいけなかった…というわけではありません。 学生はみな、多かれ少なかれ、自分と将来への期待を持って就職活動に挑んでいるのですから、あなたも例外ではないはずです。 今はまだ分からないかもしれません。 ただ、死にたい、と思っているかもしれません。 ですが、決して、お祈りしたからといって企業はあなたを否定している訳ではありません。 もし、否定してくるような企業があれば、そんなところには内定が出たとしても行く必要はありません。 だって、あなたは頑張っているのですから。 その頑張りを否定できる権利なんて、誰にもないんですよ。 そんなあなたの頑張りは、あなた自身が一番知っているはずです。 その頑張りを、死んでしまっては誰が認めてくれるのですか。 自分が自分の頑張りを少しだけでも認めてあげること、「お前、よく頑張ってるよ」と自分の心に声を掛けてあげること、少しで良いので、自分自身を褒めてあげてください。 就活に関するこんなニュース記事を知っていますか? ひと月前は、「あなたはうちに合っているから来てほしい。 」とか言われて、働く自分の姿にワクワクしていました。 そう言ったくせに平気で何社も落とされて、嘘をついた学生だけが内定をもらっていって、何が正しいのか分からなくなりました。 選考を受けても、自分は社会から必要ない、とただ烙印を押される作業のような気がしました。 ノイローゼになって、心療内科で薬をもらわないと、外を普通に歩けなくなりました。 普通に就活をこなしてきた人からすれば、私は甘く見えるのかもしれません。 今からでも、もっと頑張れと思うのかもしれません。 〜中略 毎日泣いています。 こんな私の姿を見て、母親も泣いています。 本当に死んでしまいたいです。 もうどうせ将来は暗いんですから。 なんでこんなに苦しい就職活動を作ったのですか。 数社の選考を受けていたさなかの7月23日夕方、自宅マンションのリビングで首を吊って自殺した。 前者は就活そのものを失敗してしまい、死にたいと懇願するようになってしまったパターン。 後者は急かされた内定辞退の判断を失敗したことにより、本当に自殺してしまった…という、とても悲しいニュースです。 実際に亡くなった方の記事を見ていると、亡くなった学生の父が苦悩している様子が手に取るようにわかります。 死ねば何も考えなくて良いので、楽になるかもしれません。 ですが、死んでしまってはいけません。 20数年間、あなたを育ててくれた親を悲しませてはいけない。 考えてみてください。 母が我が子のためにと料理を作る背中を。 あなたを見守り続けた父親の働きを。 死ぬことでは何も解決しないのです。 多くの人が、「就活中に本気で死にたい」と考えた経験がある 画像出典元: 2013年の調査なので少し古い情報かもしれませんが、NPO法人ライフリンクによる就活に関わる意識調査というものがあります。 あなたは今、とても辛いかもしれません。 ですが、日本にはあなたと同じように死にたいと悩みを持つ仲間が毎年これだけいて、しかもその多くは乗り越えているのです。 生きていれば、必ず人生は好転します。 今がどん底なのであればここから上がっていくしかありません。 同じように考えた学生たちも、それを乗り越えているのです。 本当に辛ければ卒業しなくても良い よく、そんなに辛いなら働かなくても良いよ、と優しい声を投げかけてくれる人がいます。 もちろん、声を掛けてくれることはとても嬉しい。 実際、その言葉に救われた人も多いでしょう。 ですが、あなたはそうではないのではないですか。 「辛いけれど、なんとかして正社員として働きたい。 周りから無能だと思われたくない。 絶対に働かないといけない。 だから働くても良いなんて、軽々しく言わないでほしい」…こういった思いがあるのではないですか。 もしそうなのであれば、まず現状を受け入れて、前を向いていくしかありません。 残った時間でできることをやりましょう。 もしどうしても辛くて今年の就活ができなくなってしまったのであれば、就職浪人という手もあります。 あなたの周りの人間は働き始めるかもしれませんが、就職浪人は決して悪いことではありません。 今この時、判断力が鈍っている状態で内定を貰った企業で嫌々働くのであれば、今年の反省を踏まえて、絶対に行きたい会社や業界から内定を貰えるために動いていくほうがよっぽど有意義です。 就活をしていると、就職浪人する奴は愚か、負け犬、などという風潮があるかもしれませんが、いざ社会に出てみると就職浪人なんて腐る程います。 周りも、浪人したからといってあなたを無能扱いするような人はいません。 就活が本当に辛く、死ぬしかないと思っているのであれば少し休みましょう 就活が失敗続きでもう無理だと思ったとき、死ぬしかないと思うかもしれません。 ですが、ここまで読んだあなたは、きっと、なんとか頑張ろうとしているのだと思います。 そんなあなたなら、きっと大丈夫です。 もし、少しでも頑張ろうと思うのであれば、またこのサイトに来てください。 きっと、お役に立てるはずです。
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である私が独断と偏見と実体験を踏まえ、「の人がいう『死にたい』について思うこと」を話してみたい。 あくまで一個人の見解であること、やの病状および思想などは人それぞれだということ、死にたいということを否定しているわけではないということ、を前提にしてお読みいただきたい。 私はやを内でのみオープンにしており、同様の病気の方々をフォローさせてもらっている。 毎日のように「死にたい」「消えたい」「生きてる意味ない」といった言葉がTL上に流れてくるわけで、失礼すぎることを言えば内心「どんだけ死にたいんだろうか…」なんて風に思っていた。 当初は。 ところが、一連のツイートを見ているとほとんどの人が(一部を除いて?) 自ら望んでをしているわけもなく 「死にたい」の本当の意味ってそもそも違うのではと考えるようになった。 「死にたい」の奥にある当人の複雑な感情は 下記のような類例が多いのではないかと推測する。 「死にたい」=辛い、苦しい、痛い、悲しい、寂しい、逃げたい。 ・・・痩せたいのに食べたい、せっかくの食事を吐いてごめんなさい、お父さんお母さん申し訳ありません、食べ過ぎて吐ききれなくって発狂寸前です、なんでわかってもらえないの? などなど、が原因で発生する悩み嘆きの数々が死にたいの一言で表されているのではないかと。 当てはまるだろうか? こんな風に考えるようになってから、それぞれに痛みを抱えて ツンドに吐き出してるんだなと思えるようになった。 ただ、矛盾するようだがこうも思う。 「たまには、死にたいだけでなく何が辛いのか具体的に書いてみてもいいのでは? 多分それ『死にたい』では無いかも。 本当に解決したくて求めてるものは他にあるかも。 」 死にたいの奥にある気持ちを言葉にしたら、周りの人に何が辛いか具体的に伝えられるきっかけになるかもしれない。 私は死にたいって言って病気がよくなるはずもないよなと気付いてからは、口にしないよう心掛けている。 疲れた辛い悲しいはバンバン言うけど。 言霊の力、わりと信じてる。 以上、死にたいというのを止めもしなければ否定も肯定もしないじゅんこによる、 自分自身は死にたいって言わないように気をつけてますアピールでした。 自戒をこめて。 食べて、吐いて、一言目には「死にたい」と発して どうしようもない奇人変人と捉えられがちな。 人間の三大欲求のうちのひとつである食欲が原因で死ぬほど苦しんでるなんて普通の人からは想像もつかないよね。 こちらからすると 痛くて辛くて悲しくて仕方ない。 この一言に尽きる。 何が苦しいのかもわからなくなって、 「死にたい」って言葉が出てくるのかもしれない。 私の場合は突き詰めて考えると「逃げたい」「消えたい」って気持ちに行き着くことが多い。 この感情から逃げたくて、この状況から逃げたくて、この体型から逃げたくて、逃げたくて逃げたくて、何もかもから逃げたくなって、してる。 こういう場合の心のもっていきかたをまだよく知らないので これから勉強し習得する。 言うは易し行なうは難しだよね、ホント。 さて終盤。 こんな支離滅裂な文章なのに随分時間がかかってしまった。 普通の人にどうやったらこの辛さを理解してもらえるのかなあと 考えながら書いてみたが、なんともまとめられず終いになってしまった。 がただの弱い人、ただの意思が弱い人、って思われるのが嫌だ。 見えない所で日々闘って頑張ってる人たちなのに。 贅沢を言えば、すぐに普通の生活を送れないってことも知ってもらいたいな。 この病気が奇人変人扱いされるのもわかるけど、認められ受け入れられる世に近付いてほしいな。 だって一昔前とは捉えられ方が変わったのだし、だって変わると信じてる。 読み返して思うこと。 が死にたい死にたい言うのに対して メンヘラで済まされてしまうのは癪だなあと思う一方で これがいわゆるメンヘラなのかと思わざるをえないのだった。 の悩みを打ち明けられる場が少しでも増えますように、打ち明けるハードルが低くなりますように。 そんな願いを込めながら、、、寝ます。 長々とお読みいただきありがとうございました。
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