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毒耐性

概要 [ ] はや、毒そのものの、そしてなど様々な目的で用いられ、やその他さまざまの学問において飛躍的な進化を遂げてきた。 発見されたのは太古の昔であり、原始においても化ののちにも獲物や敵を素早く確実に倒すための道具として使用された。 毒の用法は洗練されていき、古代人たちは武器としての威力を高めるため毒と関わり続けてきた。 歴史が下り、特にの時代がくると、というさらに今日的な使い方が現れるようになる。 すでにごろにはディナーテーブルの飲み物に忍ばされた毒がその役目を果たしたことが記録されているし、同様の試みは既に広くなされるようになってきた。 この致死性の物質を使うことは、あらゆる社会階層においてみられる。 身分の高い人々であっても、目障りな政敵や商売敵を亡き者にするため、しばしば毒を用いてきたのである。 で毒は、殺人術の一つとしてさらに一般的になっていった。 一方でよく知られた毒の多くに解毒の方法が見つかるようになるが、これは毒の有用性がさらに高まったことを受けてのものである。 アポセカリーとして知られる商家では毒だけでなく様々な医薬品を扱っていて、表通りに店を構えているのが普通だった。 伝統的に薬としても使われていたこの物質は、しかしより陰惨な目的も持ち始めていたのだ。 おそらく同時期に、世界の他の地域でも暗殺をより不透明なものにし、検出されないようにする毒物が求められていた。 この「毒の叙事詩」はの一部でもやはり隆盛をきわめていたのである。 世紀が変わっても、人の道を外れたような、誰かに危害を加えるための毒の使用は広まる一方だった。 これらの解毒方法もまた進化していたのだが、新たな毒物の発見は止まらず、犯罪に常用されていくのである。 今日では有害物質による毒殺はその数を減らしてはいるが、工業製品に囲まれた日々のなかで毒による事故という新たな危険が生まれている。 いってみれば毒を使うことそれ自体は累乗的に広まったということだ。 や、、などの形で毒はどこにでも存在している。 他方、ではいまもなお毒がの道具という最初期の使われ方をしている。 例えば、や、アジアなどの一部である。 毒の起源 [ ] Strychnos toxiferaはの植物。 抽出される毒はしばしば矢じりに塗られた 考古学の成果によれば、たちはや、すこし時代が下ってを武器にするとともに、それらをより強力にし容易く命を奪うことができるようにする方法を求めていた。 その答えが毒であった。 (ツヅラフジ科の植物の浸出液で、毒性を含んでいる)を蓄えもっておくような賢い人間たちはそれを狩りの道具として活用していた。 初期のが様々な効果をもつ毒を発見し、それを武器としていたことは明らかである。 この奇妙なる毒物の存在とその使用法はやの長老たちによって秘蔵されるとともに、偉大な力の象徴とみなされていたという考え方もある [ ]。 それは典型的な「」 medicine man や「」 witch doctor という概念の誕生でもあった。 毒の危険性とその扱い方が理解されるようになったのは、その危うさを味わった人間がいるからでもある。 ポントス に君臨したは毒による暗殺に怯えながら一生を過ごした。 彼は解毒の方法を求めて奔走した先駆者でもある。 在位中のミトリダテス4世は死刑囚に毒を盛りつつ解毒薬の治験を行い、自分があらゆる毒への耐性をえることができるよう、なかば偏執的なまでに毎日いくつもの毒を試みた。 ついに彼はわずかな量のハーブをいくつも調合することでこの時代もっとも有名になった治療薬を発見しており、ミトリダティウム Mithridatium と名づけられた。 それは彼の王国がのによって征服されるまで極秘の扱いを受けていた。 ポンペイウスが勝利すると、ミトリダテス王の解毒薬の製法、および薬草の研究書はのものとなった。 は7000以上もの毒について記述している。 彼によれば、「ポントスの一地方で毒入りの餌を与えられていたとおぼしきアヒルの血、それが後にミトリダティウムの調製に用いられた。 なぜならそのは毒入りの餌を食んでも、まったく健康であったのだ」。 のススルタは遅効性の毒のまわり方とその治療薬について書き残しているが、やはり毒を返すための伝統的な素材を用いたこの解毒薬について語っている。 インド [ ] 毒を塗った武器はで用いられ、戦術にも取り入れられた。 の詩行にこんなものがある。 「井戸には毒が流され、汚された Jalam visravayet sarmavamavisravyam ca dusayet 」 (紀元前350年-283年頃)は、初代チャンドラグプタ王(紀元前340年-293年頃)の相談役であり首相でもあった。 カウティリヤはを得るために秘密の武器、すなわち毒をつかうよう王に誘いかけた。 一方で彼は暗殺への警戒も怠ることなく、毒見役の設置を急ぎ、毒を検出するための方法も洗練させた。 さらに王命に逆らったものへもしばしば毒をもって死刑とした。 狩りにもちいられた石剣や石槍 エジプト [ ] 他の文明と異なり、では毒の使用およびその知識についてほとんど記録がされておらず、紀元前300年ごろと推定される史料までしか遡ることができない。 しかし最初期の有名なエジプトの、が毒性のある植物や毒液の分析を進めていたと考えられる記録もある。 紀元前350年ごろの王ナクタネボ2世の治世の時代に、神官エサトゥムが彫ったといわれている石碑が現存している。 メッテルニヒ碑文もしくは魔術碑文といわれている。 人々が病気の治癒の相談にやってくる神殿に石碑を建てたといわれている。 この聖なる石碑に刻まれた呪文を読みながら、石碑に注がれる聖水を飲み治療したと推測される。 しかしその後のエジプトでは毒に関する知見が存在したという証拠が、古代のアガトダイモン(おそらくごろ)の著作にみつかる。 彼はある種のとナトロン(ソーダ石)が混ざると「猛毒」が生み出される、と語っているのだ。 この毒は、すっきりした解決を与えてくれる「水没 disappearing in water 」と表現されている。 エムズレーはこの「猛毒」がではないかとし、この正体不明の鉱物がかと結びついたためだと推測している。 エジプト人には、、、、天然の、、さらにはといった素材への知識も継承されていたと考えられている。 他にもこのような秘密がには蔵されている。 はじめて毒を高度に抽出し、巧みに操ったのはエジプト人だといまでは考えられている。 それは桃の種から取り出されたものだった。 そしてついにの時代が訪れる。 彼女はアントニウスの訃報を耳にし、の毒で死ぬことを選んだといわれている。 その死に先立って、彼女はまるでのように何人もの下女たちにや、の木の種などいくつもの毒を試したと伝えられている。 ローマ [ ] ローマの皇帝ネロの胸像。 彼は気に入らない人間を排除するために青酸カリをもちいていた ローマでの毒殺は晩餐の席や公共の飲食スペースなどで実行され、紀元前331年にはすでに確認されている。 こういった毒殺は、社会のあらゆる階層で私利私欲のためにひろく行われた。 はローマの上流階級や貴族たちのうちで毒殺された人間を記録している。 ローマのも側近に毒を与えるのを好んでいたことで有名で、私設の毒殺者さえ置いていたという。 お気に入りの毒はシアン化物だったといわれている。 ネロの先帝であるクラウデイゥスはかそれに代わるで暗殺されたという説があり、その死因については議論がわかれている。 彼の毒見役であったハロタス、侍医であったクセノフォン、悪名高い毒殺者ロクスタ、この3人全員が暗殺につかわれた死の薬に関わったといわれている。 しかしクラウディウスの最後の妻であったアグリッピナこそが疑惑の中心人物とされており、おそらくは彼女自身が毒を調製したのだという。 一説では、夕食を一口啜ったクラウディウスは延々と苦しんだのちに死んだ。 またその場では何とか一命を取りとめたという者もいる。 それによれば、毒を吐き出そうとするのを助ける風を装うアグリッピナに、毒に浸された羽毛を喉に押し込まれて殺されたのだという。 また毒を盛られたのは、夕餉の皿だとも浣腸器だともいわれている or by poisoned gruel or an enema. ネロを寵愛していたアグリッピナは息子を帝位につかせようという野心を抱いており、クラウディウスにその陰謀を疑われたために彼を毒殺したと考えられている。 中世 [ ] 時代が下った中世ヨーロッパでは毒の性質が知られ、それが単なるやではないことが理解されるようになると、薬と毒を販売し供給するアポセカリーと呼ばれる商店が現れた。 毒のもつ医学的な側面はほとんど知られていなかったのだが、そのあまり実用的ではなく合法的でもない目的から人々は公然と毒を買い求めたのだった。 それらアポセカリーで働く錬金術師たちは直に毒を扱わざるをえず、いつ健康を損なうかもしれない危うさのなかで仕事をしていた。 この頃には世界中で毒を扱う技術が進んでおり、たとえばアラブ世界では飲み物に入れた砒素を透明化し無味無臭にすることに成功しており、この手法を用いた暗殺者たちの毒は、発見する側の科学の未発達もあり、少なくとも100年間は検出されないままだったとされている。 の「」は14世紀から15世紀に書かれたとされるテクストだが、このアポセカリーから害獣駆除だといって毒を買い求める殺人者の話がでてくる。 Yea, starve die he shall, and that in lesse while Than thou wilt go a pace but not a mile The poison is so strong and violent — — 免罪符売りの話. Lines 565—581. この引用は毒に言及した文学作品の例である。 毒と薬はフィクションのなかでは非常に普遍的なテーマであって、例えばにもそれは当てはまる。 また学術的テクストでもこのテーマを論じたものがある。 フィクション、ノンフィクションに関わらず、その多くは僧侶によって書かれたものだった。 当時の僧侶は一流の知識人でもあり、このテーマで出版されたものの大部分が彼らの手による。 ノンフィクションの著作の一例として、「毒の本 The Book of Venoms 」がある。 これは当時有名だった毒の効能と使用法について記したもので、1424年にMagister Santes de Ardoynisによって書かれた。 この本はその毒について最も知られるところとなる処方を記したものとも評されていた。 とはいえこの実際的な本は出版されることがなく、研究のためにとあるサークル内に留めおかれていたと推測されている。 大衆の反応 [ ] 真理が大衆から遠ざけられたままであれば、眼をそむけたくなるような毒の使い方についての民話や噂が広まることは防ぎようがない。 当時、をはじめとしたヨーロッパには毒への妄想症が蔓延した。 適量をひそかに調製したなら致死性をもつであろうその「薬効」が周知の事実となったことにも後押しされ、毒への関心はうねりとなってひろがったのである。 毒をつかえばたやすく殺人が行える上、痕跡が残りにくく人目につかないため、大抵その犯罪は気づかれずに済む。 おそらくこの妄想症の大波は巷の話題を独占したのだが、大衆が毒素に対する対策を求めても、それに関する本は不安を煽るだけか完全に間違っていたりしたことも背景にはあるのだろう。 当然ながら冴えた書店員はこの問題を本を売るための「手」にし、人々がありもしない安全策をもとめて本を買うために危険を誇張した。 商なども毒素を弱めるアミュレットを販売し、傷薬を扱う医師は当時この疑惑によって大きな利益を得た。 大衆が待ち焦がれていた情報は結局学徒とだけのものであり、一般人はその妄想を確かめることができないままだったのである。 中世ペルシア・インド [ ] 生まれの(ラゼス)の著した「秘中の秘 Secret of Secrets 」に( corrosive sublimate 和訳は昇汞水)を発見する糸口をつかんでもいる。 これに由来する軟膏は、現在では疥癬と呼ばれるところの「痒み」とアル・ラーズィーが表現した症状を緩和するために用いられた。 この軟膏は効果的であった。 水銀の毒は肌に浸透し、痛みと痒みを消し去ることができたからである。 インドでは14世紀から15世紀にかけてラージャスターンに内乱を抱えていた。 そこはの本拠地であったのである。 そしてラージプートの女性たちは、息子、兄弟、夫が戦死したならば、自ら毒によって jauhar(文字通りに「命を奪う」)を行う習わしを持っていた。 jauhar はという武人階級の間で行われていたもので、侵略者のもとでの従属や隷従、強姦、殺人という不幸を拒むためのものであった。 ルネサンス期 [ ] ごろには、違法かつ卑劣な目的で毒をもちいることが隆盛を極めていた。 それが人殺しや暗殺者に必須の道具となっていたことは間違いない。 犯罪結社などで毒がそれだけの人気を得たのは、毒そのものに新たな発見がされ続けていたことにも理由がある。 14世紀から15世紀に生きたのある錬金術師は、毒性をもった物質をかけ合わせることで同じものを増量するよりもはるかに強い効果を生みだすことに気づいていた。 学問としての体系も整えられ、今日毒性学として知られるものに近づいていく。 こうして人を殺すための手段として毒は社会に根付いていき、夜会に訪れる人間は、主賓あるいは客の誰かが食事に毒を盛りはしないかと恐れるようになったのである。 ボルジア家 [ ] ローマ教皇アレクサンデル6世。 本名はロドリーゴ・ボルジア はの息子であった。 5人の息子を高位につけるために権力を振るった父は、おそらくその正当性を巡って史上最も議論を呼んだ法王の一人だろう。 彼は好戦的で残忍な人間であったと考えられており、忌諱と畏怖とを一身に集めていた。 チェーザレ・ボルジアはそのような問題の多い父を持っていたというだけではなく、毒をこのんだ殺人者であったことでも悪名高い。 その犠牲者へのやり口を、アポリネールは「ボルジアの処方箋」と呼んだ。 「 名高いカンタレラ。 ボルジア家が正体を知らぬままにと併用した成分はであった。 この秘密の成分の知識をボルジア家にもたらしたのはスペインの修道僧で、その解毒方、および砒素の解毒方についても知悉していた。 おわかりだろう、これこそが彼らの強力な武器だったのである。 」 チェーザレ・ボルジアの父が亡くなると、その死因についていくつもの噂が飛んだ。 そしてそれはたいてい教皇が毒によって凄まじい死に方をしたという話に落ち着くのだった。 アレクサンデル6世が飲んだ毒入りのワインは、実は別の人間のために用意されたものだというのがアポリネールの考えである。 ワインではなく砂糖菓子だったという説もあった。 いずれにせよ法王の死を嘆くものは少なく、その地位を汚したと考えるものはむしろ心待ちにしていたのだった。 史料が示しているのは、彼が実際に何らかの方法で毒殺されたということであり、彼の遺体は見るも無残なほどに腐敗していたという。 あらぬ疑惑を呼ばぬため、それを目にすることができるのはろうそくを灯した真夜中だけであった。 Council of Ten [ ] 16世紀には毒がある種の学問にすらなっていた。 やローマをはじめとしたイタリアのいくつかの都市では毒の使い方および学問としてのそれを教える学校が誕生していた。 それに先駆け15世紀には錬金術師と毒殺者による、Council of Ten が組織されている。 この毒専門の暗殺者たちによるカルト組織は契約を結んで報酬をうけとるもので、その対象となった人物は、何種類かの毒物を検出不可能な量で混ぜ合わせた薬品で殺されたのだった。 Neopoliani Magioe Naturalis [ ] 「Neopoliani Magioe Naturalis」という本の初版は1589年末である。 これは学問としての毒と、実践に役立つ技術とを詳細に解説したものである。 この著作によれば最も効率がよいのは狙った人間のに毒を混ぜることであり、この手法は当時たいへんに普及した。 「狼の毒 Veninum Lupinum」という猛毒の調合法もこの本には載っている。 これは、属の液果、、砒素、ビター、粉末をと混ぜ合わせるというものである。 完成品はほどの大きさの錠剤になったと考えられている。 16世紀以降 [ ] 16世紀の終わりごろには技術としての毒の中心地はイタリアからへと移り、犯罪に毒がもちいられることはますます多くなっていった。 1570年代にはだけで三万人もの人々が何らかのかたちで違法かつ道徳的でない毒の使い方をしていたという数字もあり 、もはやこの現象そのものが「悪疫」あるいは「伝染病」と呼ぶにふさわしいものになっていた。 この伝染病はいくつもの弔いの鐘を響かせる一方で、犯罪とは何のかかわりもない人々にも大きな影響を与えている。 とりわけ貴族の多くは毒の恐怖に怯えるばかりであった。 彼らはごく信頼できる人間との晩餐会にしか訪れないようになり、雇い入れる従者も自らが選ぶのが当たり前になる。 きわめて高貴な生まれであり、毒を極端に恐れていた有名な人物を何人か挙げることができる。 とである。 彼女は毒を気にするあまり、でになるやいなや毒が盛られたのだと早合点をした。 ヘンリ6世もを訪れた際には自分で調理したしか食べなかったと記録されており、飲み物も自分で注いだしか口にしなかったという。 1662年、はアポセカリーに規制をかけ、信用できると判断された人間以外が毒を販売することを禁止した。 Chambre Ardente [ ] 毒物の販売へ規制がかかった頃、 [ ]のたちは毒にまつわる懺悔の多さに驚きの声を残している。 彼らは王へと「毒の伝染病」がどれだけ悪影響をもたらしているか、その実態を報告することにした。 それに対して王は「 Chambre Ardente 」と名づけられた調査を行うという布告を出す。 この調査は「 affaire des poisons 」として知られている。 この取り締まりは国家権力のもとで行われたにも関わらず、罰を逃れるためのつてを持っていた凶悪な毒殺者たちのほとんどが逮捕されることはなかった。 それでも布告の期間中におよそ442人が捕らえられ、処罰を受けている。 この命令には反動、あるいは余話がある。 この騒動で毒物やその使い方への関心が高まり、なぜかそれを取り締まるための布告が出された後のほうが毒に手をだす人間が増えてしまったのだ。 スペインのカルロス2世 スペイン [ ] イタリアやイギリスを根城とした犯罪者たちは、毒が人に危害を加えたり、命を奪ったりする手段として有効であることを示した最初の人間たちだった。 毒の扱い方は当時の全体に知れわたっていた。 もを亡き者にしようとして失敗を繰り返してきたことで有名である。 のロドリゴ・ロペスというは女王を暗殺するためスペインに声をかけられた。 しかしそれは失敗し、彼は逮捕され絞首刑に処されている。 もっとも女王と宰相はその有罪を疑っていた。 シェイクスピアの「」の登場人物は、部分的にこのロペス医師に着想をえたものだと考えられている。 この象徴的な事件ののち、女王の食事はつねに毒見がなされるようになり、調理過程の警備も厳重になった。 彼女は予防のため週に一度解毒薬を飲んでいたことでも知られている。 反対にスペイン国内でも王族を毒殺しようという企てはあり、何人かの人間たちが主君の命を狙っていた。 これが成功したものとして(ヨーロッパでは数少ない成功例である)、の妃、マリア・ルイサの毒殺がある。 彼女は1689年9月に急逝したのだった。 20世紀 [ ] この傾向は時代まで続き、一つながりの叙事詩のようなものとみなされている。 なおも毒は人を殺す一番てっとりばやく、シンプルな方法だと考えられていたのだ。 しかし、この時代には多少の違いもみることができる。 たとえば毒による「当世風の」犯罪を扱う会社の誕生である。 これは保険をかけられた人間が毒殺された場合には、その不幸な親族に大金が支払われることを保証するものであった。 しかし1900年代にはいると、毒に対する技術もまた改良され、効果的なものとなっていき、毒をつかって悪事をなすことは前世紀にくらべて非常に難しくなっていった。 毒殺者にならんとする人間に立ち向かうため日々進歩する技術を取り入れることがはっきりと目指されていたのだ。 しかし教育を受けた層が広がったことで、毒の使いかたを理解することのできる人間も増えてしまい、そういう人々は毒をつかった犯罪を計画的に行うことのできる知識と技能をも持ち合わせていることがほとんどだった。 限られた一部の人間だけが殺人を実行できるだけの知識を持っていたのがまったく過去のことになってしまったのだ。 昔の毒 [ ] 毒はいまもむかしもの道具として用いられてきた。 はじめには砒素がよく使われたが、半ばごろにはシアン化物がたいへんポピュラーになった。 のエージェントたちにとって毒は自殺の手段に重宝された。 逮捕された場合は敵国から凄惨な拷問をうけるからである。 の指導者であったも、でが前提となった夜にシアン化物を飲み、自ら死を選んだ。 しかし新たな毒は、毒性学の研究範囲を飛び越えて幾度となく使われ続けた。 これはつまり新しい未知の毒物をつかい誰かを殺しても、その死は珍しい病気による不幸なケースとして処理されてしまうということである。 毒性学をはじめ毒を扱う学問領域にかかる負担はいままでにないものだ。 これまで出会ったことのない毒をつかって罪を犯そうとする人々に追いつくため、常に研究をしていく必要がある。 脚注 [ ]• 毒とは「飲み込んだり吸収することで命や健康に害をなす物質」と定義される Colins Dictionaries, from the Bank of English 2001. Collins English Dictionary. 594. 2007年4月1日閲覧。 時代の北方の古王国• Grout, James. June 2008. Retrieved on 29 April 2007. Wujastyk, D. et al. The Roots of Ayurveda: Selections from Sanskrit Medical Writings. 144• International Law and Inter-state Relations in Ancient India 1958. Mukhopadhyay. 104• Boesche, Roger January 2003. The Journal of Military History 67 1 : 9—37. ISSN 0899-3718. カウティリヤはしばしばに比されチャンドラグプタ王の宰相 chancellor とも呼ばれる• Chamola, S. Kautilya Arthshastra and the Science of Management: Relevance for the Contemporary Society. Boesche, Roger September 2002. Critical Horizons Brill Academic Publishers 3 2 : 253. Archer, Christon I. World History of Warfare 2002. University of Nebraska Press. 2—3• Readers Digest. 1986. Magic and Medicine of Plants. Pleasantville, N. Y: Reader's Digest Association. 389. Tacitus; Annals XII p. 64, pp. 66—67;• Accounts of his death: Suetonius Claudius p. 43—44; Tacitus; Annals XII 64, pp. 66—67; Pliny the Elder Natural History II p. 92, XI p. 189, XXII p. 2007年4月1日閲覧。 BBC. 2007年4月21日閲覧。 Emsley, pp. 3—4• Bose, Mandakranta. Faces of the Feminine in Ancient, Medieval, and Modern India 2000. Oxford University Press. 2007年4月1日閲覧。 2007年4月2日閲覧。 2007年4月3日閲覧。 2007年4月3日閲覧。 Retrieved on 3 April 2007. Retrieved 21 May 2007. 参考文献 [ ].

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【ドラクエウォーク】毒(猛毒)のスキルと耐性持ちのこころ|マークは?|ゲームエイト

毒耐性

毒の効果 マーク 効果 重ねがけ 毒 対象に持続的にダメージを与え続ける効果 不可 猛毒 ダメージは敵の最大HPと耐性によって決まる 毒のダメージは基本的に敵の最大HPが多いほど高くなりますが、耐性によっても変化するようです。 HPが高い場合でも耐性があるとダメージは低くなります。 毒と猛毒ではダメージ量が約2倍異なる 毒と猛毒の大きな違いとしては敵に与えるダメージ量が異なることです。 猛毒は毒に比べて与えるダメージが約2倍になり大ダメージを与えることができます。 毒の効果は強力ではないので放置していても問題はないでしょう。 まもりのたてを使うことで防ぐことができる 一部の盾が習得可能なスキル「」を使うことで事前に防ぐことができます。 他の状態異常も使う敵であれば同時に対策ができるのでおすすめ度は高いです。 まもりのたてを習得可能な盾 どくけしそうで治すことができる どくけしそう 毒状態はアイテムの「どくけしそう」を使うことで回復できます。 パーティ全員がいつでも毒状態を回復できるのが利点ですが、アイテムを消費するうえ、1人回復するのに1ターン使わなければならないのでおすすめ度は低いです。 注目記事 最新ガチャ• 強敵モンスター攻略• 最新イベント• メガモンスター攻略• 掲示板• ランキング記事• 攻略記事 初心者攻略• 効率系• システム情報• 職業 上級職• 基本職• 武器 レア度別• 武器種別• 防具 レア度別• 部位別• スキル• 系統別• 属性別• モンスター図鑑・こころ• 色別こころ• 条件付き出現モンスター• 系統別モンスター• 心珠関連記事• クエスト攻略 ストーリー• 腕試し•

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【パズドラ】毒目覚め耐性たまドラ(潜在覚醒)の入手方法と使い道

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サブキャラだと装備をケチりがち、メインキャラでもお買い得装備を血まなこになって探す、まふーです。 今回はバージョン4で導入された装備ドロップの確率をこの目で確かめるべく、探検隊を結成しました。 装備が入っている白宝箱に関して聞き及んでいることは、以下の通り、• 実際のプレイヤーがパーティーにいるほど入手ドロップ率アップ• 通常ドロップ率やレアドロップ率も関係なし 今回は 「プク口探検隊が行く! 幻の毒耐性僧侶装備は本当にドロップするのか? 結局つきあってくれるフレがいないからサポート仲間で探検隊結成してんじゃねーか! 本当にフレいるの? 幻覚じゃないの? そもそもドラクエ10なんか存在するの? 本当はバスティーユ牢獄の窓から冷たく輝く青い月を見ているのではないか貴殿は?」をテーマにお送りします。 略して「プク口ヒロシ探検隊が行く!」は実録です。 ストップウォッチ片手に検証アンド探検スタートなのです! (以降、探検隊隊長視点の文章です) 目次• 狙うお宝(装備)は…… はじめまして、プク口ヒロシ探検隊隊長のプク口だ。 まずは、探検隊が今回狙うお宝の貴重さを知って欲しい。 ダークキング戦に僧侶は欠かせない存在だが、毒耐性とレーザーを耐えるHPを両立するのがなかなか難しい。 戦士やどうぐ使いは、からだ下防具がフリーとなるセットが存在するので(大戦鬼の鎧セットと、ヴァンガードコートセット)からだ下に安い毒耐性の装備を入れ、頭でHPを盛りまくることが可能なのだが、僧侶にはからだ下が自由となる実戦的な防具セットが存在しない。 かといって、パルプンテで幸運にも 毒耐性がついたレベル93の賢哲のころも下は、400万ゴールド以上するのだ。 (2018年2月23日アストルティア旅人バザー調べ) つまり、今回のお宝は最低でも400万ゴールドの価値ある品なのだ! 装備枠を圧迫するだけの微妙耐性の防具じゃないのだ。 その希少性を座学で隊員たちに説いていたら、全員寝ていた。 星のタロットを引いたつもりはないのだが……、先が思いやられる! 賢哲のころも下をドロップするモンスターは数種いるようだが、その中でもポピュラーなのがスライムエンペラーとのこと。 (情報をまとめているサイトを参考にした) ちなみにスライムエンペラーがドロップする装備は、• 賢者のころも上• 賢者のころも下• 魔弓サジタリウス• リトルフェザー となっているようだ。 なんとも後衛にやさしいセレクション! そしてターゲットであるスライムエンペラーの出現箇所は、 魔幻宮殿、真のゼドラ洞、ガイオス古海、神墟ナドラグラム。 このうちガイオス古海と神墟ナドラグラムは、それぞれバージョン3. 4と3. 5のマップなので、魔幻宮殿と真のゼドラ洞に挑戦することに。 (毒耐性装備が重要なダークキングはバージョン3. 3のコンテンツなので、できればそれ以前にいけるマップで入手したいため) 魔幻宮殿に出発! 「魔幻宮殿に出発だ!」 てきとうにかき集めたフレンド系サポートなかまに号令をかけると、 オーガ隊員「バナナはおやつに入るんですか?」(ゴリラ系オーガ) ウェディ隊員「食材は現地で調達ですか?」(調理系ウェディ) プクリポ隊員「むなげちゅわ!」(よくわからない系プクリポ) 遠足と勘違いしている隊員と、食べることばかり考えている隊員と、行動予測不能な隊員がいて、開始5分で隊長ヘッドが激しい頭痛に襲われる。 こんなんで無事探検ができるのだろうか……。 魔幻宮殿到着、そして…… ねじれたる異形の大地の奥、怪しくも禍々しい気を放つ宮殿が存在する。 そこは、迷路と階層と仕掛けが存在する危険な場所なのである。 オーガ隊員とウェディ隊員は雰囲気にのまれ、言葉数が少なくなっている。 唯一プクリポ隊員だけが「むなげちゅわ!」と謎の言葉を連呼しながら、元気に隊長の背中をロストスナイプである。 って痛い上にテンションも下がるわ! でもプクリポなので許す! ここで巨大な毒蛇があらわれて、探検隊的なクライシスに襲われて欲しいところなのだが、 どっこい襲ってきたのはプクリポ隊員のフレンドリーファイアなわけで、かなりカオスな展開になってきた。 スライムエンペラーの出現場所がようわからん」 絶品シュークリームの皮のごとく、ふんわりと出現箇所をチェックしてきた隊長だったが、現地にいったら思ったより移動に時間がかかる上、ルートを間違えたのか迷ってしまった。 まだ一匹もスライムエンペラーを倒してないのだが、ここは男らしく撤退命令だ! 「てったーい!!!!!」 撤退の号令をかけた瞬間、 隊員たち三名による息のあったトリプルツッコミが! なんでこんな時だけコンビネーションいいんだよっ! さっきまでそれぞれ好き勝手やってたよね? いきなり黒い三連星もびっくりのコンビネーション見せないでくれる? 急にそれやられると心臓に悪いわ! 突然のコンビネーションにびびりながらも、おもいでのすずを使って魔幻宮殿を脱出。 短い探検であった。 そして一番の山場は最後のトリプルツッコミであったのだ。 (プク口浩回顧録より) 気を取り直して真のゼドラ洞へ スタートダッシュでつまずいてしまったものの、我々探検隊は不撓不屈の精神をもって次なる探検場所へ移動した。 その名も 真のゼドラ洞。 スライムエンペラーが出現するダンジョンとしては一番モンスターの強さが穏やかで、そこまでマップも広くなく、なおかつドルボードが乗れるという 「ビギナー探検家にぴったり! でもピクニック気分ではいくなよ! アストルティア探検家協会からのお願いだよ!」的なポジションである。 気がゆるんだ隊員たちは、オーガ隊員が食べ終わったバナナを地面にセットして、すっころびシーンの撮影大会を始める余裕。 この余裕が吉と出るか凶と出るか……。 洞窟の奥に潜む青く光るモノ 我々は進んだ。 いくらモンスターレベルがあっさりめのダンジョンとはいえ、ろくな明かりのない洞くつ内であるし、ドラクエ伝統の不安をあおるようなBGMが我々探検隊一同を心細くさせる。 さきほどまで騒がしかった隊員たちも、いまはすっかり無言で……と思ったらおやつ食ってたのかよ! 隊長の分だけないのかよ! 悲しいよ! 心の洞くつに閉じこもりたい気分だよ! おやつ三昧ではなくツッコミ三昧の瞬間を味わっていると、通路の奥に、ぼうっと青く光る何かが! すわ幽霊か!? 我々探検隊は、とうとうターゲットであるスライムエンペラーを発見できたのである! いよいよ計測開始! それまでに倒したスライムエンペラーの数をせんれきより確認し、ストップウォッチを作動させてから、いざ戦闘開始! 身内フレンドによる雑なパーティー構成だが、蘇生もちがパーティーに二人いれば大崩れしないし、隊長自身が戦士なので真やいばくだきを入れればぐっと安定感がますのである。 撃破は苦もなく終わった。 宝箱の出現はない。 むしろ一発目であたりを引いては企画だおれである。 探検隊は次なるスライムエンペラーを求めて洞くつ内の別エリアに向かった。 ひたすら移動と再出現待ちを繰りかえす。 計測開始から30分をすぎたのに、まだ10匹倒したぐらいの厳しい状況だ。 隊員たちは暇をもてあまし「個人的にはあわないと思うカレーのトッピング」を話し始め、その話題のせいで急激におなかが減り始めた。 空腹による隊長ストマックのピンチである。 頭の中はカレーのことで一杯になり「ここでダラダラ狩っていても効率が悪い、スライムエンペラーが一番出るという神墟ナドラグラムに行くしかあるまい。 さっさと計測を終えてカレー食いたい! カレーカレーカレー」と脳内がカレー祭りに。 バージョン3. 4以前のダンジョンで入手しようと考えていたのだが、ここは苦渋の決断である。 真のゼドラ洞での調査を断念し、もっとターゲットが出る場所に移動することを伝えると、 オーガ隊員「全然かまわないウホ!」 ウェディ隊員「最初からそうして!」 プクリポ隊員「むなげちゅわ!」 と賛成意見(?)が出揃ったので、我々探検隊は撤退を開始した。 調理担当のウェディ隊員におねだりポーズをとってみたが、食いかけのクイックケーキすらよこさなかった。 隊長はつらいよ! こちらも本気だが、敵も本気の神墟ナドラグラム ナドラグラムも魔幻宮殿同様、敵から逃げられない厳しいダンジョンだ。 バージョン3. 5のフィナーレ近辺を飾るだけあって敵も強く、探検隊を見かけるとピキンピキンいって襲ってくるものも。 ここに来るんだったら、もっと隊員を厳選すれば良かったと思ってもあとの祭り。 現有戦力でがんばるしかないのだ! スライムエンペラーが、まるで泉のように 噂に聞いたスライムエンペラーこってり出現ポイントまで移動を開始する我々。 モンスターに散々からまれ、ピクニック気分であった隊員たちにも緊張と疲労の色が見られる。 プクリポ隊員だけがおそらく「ばくれちゅわ!」からパクったであろう「むなげちゅわ!」というフレーズを連呼し、緊張しているんだかなんだかわからない。 あまり耐性を見ずに隊員を選んできたので、状態異常が変なタイミングでかぶると全滅もありうる。 それだけは回避しなくては……。 艱難辛苦を乗り越えた隊員たちは、やっとその場所にたどりついた。 そしたらね! なんかうじゃうじゃいるんすよ! ありがたみがないくらい! 真のゼドラ洞を駈けずり回っていた今までの苦労は一体なんだったのだろうか……。 そして、ここは倒しても倒しても泉のようにスライムエンペラーが湧くので、待ち時間0のファストフード状態。 ありがたみ0。 販売開始三日で半額になるゲームソフトよりありがたみがない悲しさ。 エンペラーという名称を名乗っちゃいけない感じ。 これはこれでちょっと悲しい。 第二のスタート、狩って狩って狩りまくる! ぽこぽこと湧くスライムエンペラーをさくさくと狩る隊員たち。 緊張感もうすれだんだん鼻唄まじりに。 真のゼドラ洞では青く光る宝石にも見えたスライムエンペラーの勇姿も、 もはや珍妙デザインのカラフルせんべいといった具合。 これは楽勝なんじゃなかろうか? 開始一時間もせずに毒耐性入り賢哲のころも下ゲットできちゃうんじゃなかろうかと余裕をぶっこいていた探検隊をある事実が襲う! 地味なる恐怖、その名はMP切れ 討伐数50を過ぎたところで、ある事実に気づく。 スライムエンペラーをさくさく倒せればあっという間に終わるだろうと甘くてみていた隊長だったが、50体倒しても装備が入っている白宝箱が落ちないことに危機感をおぼえる。 白宝箱が落ちても中に賢哲のころも下が入っているとも限らない。 そして、目当ての防具が出たとしても、それに毒耐性がついてなければ意味がないのだ。 ひょっとしたらとんでもない低確率のものを狙っているのではなかろうか……。 探検隊を再編成して、この神墟ナドラグラムのこの地点へ戻ってくるのは一仕事。 大人しくMP回復タロットがある占い師を自分でやるか、隊員に魔法戦士かレンジャーを入れればよかったと後悔しても時すでに遅し。 じわじわとMP回復アイテムが減っていき、このままでは探検隊全滅の危機と思ったその時である。 待望の白宝箱出現! 白宝箱なんか本当は導入されてないんじゃないか、 ドラクエ10プレイヤーの妄想が具現化したもので、念能力が低い者の前には出てこないんじゃないかと疑心暗鬼になっていた時、まるで闇をはらうかのように白い宝箱が出現した。 息をのんで宝箱の中身を確認すると、 り と る ふぇ ざ ー がっかりしたのは否めないが、白宝箱が出たのは大きな前進である。 オーガ隊員「ほんとうに白宝箱ってあったウホね!」 ウェディ隊員「早く家へ帰ってくつろぎたいな」 プクリポ隊員「むなげちゅわ!」 隊員たちも三者三様の喜びよう(?)だ。 隊長も実にうれしい! 白宝箱の出現に念能力は必要じゃなかったんだ。 ばんざーい! 命の危機? 撤退判断迫る 白宝箱を開けてテンションが上がったものの、いよいよMP回復アイテムが少なくなってきた。 このままではMP不足により回復も攻撃スキルも使えなくなり、探検隊を危険にさらすことになってしまう。 残りはまほうのせいすい30個。 これを使い切ったら探検隊の安全を考え撤退である。 たまたま現地に回復の泉があったり、通りがかったオンラインプレイヤーがせいすいを分けてくれる神展開を期待しつつも、スライムエンペラー討伐続行。 討伐数100体超える、この探検は無謀だった? スライムエンペラーの討伐数が100を超えるも、白宝箱は一回だけ。 白宝箱のドロップ率を100回に1回と計算すると、このあと目的の品(賢哲のころも下毒耐性つき)を手に入れるためには、500以上は倒さないと難しそう。 とてもじゃないがまほうのせいすい30個でカバーできる討伐数ではない。 「これは第二回探検隊の遠征、下手すると第三回の遠征もありえるな……」と近い将来におもいをはせていた時、白宝箱がドロップ。 その絶叫を聞いてひき気味の隊員たち。 中身を入手する前に決定的瞬間のスクリーンショットをとらなきゃと焦る隊長。 次々と再出現して白宝箱出現の位置にうろつくスライムエンペラーたち。 帰還後の夕ご飯プランを話しあう隊員たち。 白宝箱をあけた状態でのスクリーンショットを狙うも、何度も何度もスライムエンペラーに邪魔をされ、撮影を断念。 ログや履歴という形で証拠提出という形になった尻すぼみのプク口探検隊であった! 決定的瞬間撮影したかったなぁ……。 探検結果報告 プク口探検隊、無事目的の装備(賢哲のころも下毒耐性つき400万ゴールド相当)を入手して参りました! 倒したスライムエンペラーの数は122体! 開けた白宝箱の数は2個! スライムエンペラー初エンカウントからの時間は110分でした! 一時期MP回復アイテム不足から撤退を考えたものの、ラッキーなことに白宝箱2個目でお宝が出て無事探検を終えることができた。 今回の探検に参加してくれた隊員たちの言葉を紹介する。 ありがとう隊員たち! オーガ隊員「探検が無事にすんでスッキリしたウホ! このスッキリ感は荷物いっぱい問題が解決して以来ウホ!」 ウェディ隊員「料理の腕をふるう機会がなかったけど、これでいいのかな? 機会があったらドームパスタの一つや二つ作ったのに。 あと、楳図かずお先生みたいな格好だからってまことちゃんって呼ぶのやめてね」 プクリポ隊員「生死の境を共にした我々には不可視の紐帯がござる。 この絆ある限り我々探検隊の名誉は永遠に不滅でござろう。 実に天晴れである!」 プクリポ隊員最後まで同じキャラで通してよ! 最後の最後でキャラ変わるの心臓に悪いよ! こんなツッコミで探検終わるのやだよ! (ここで探検隊隊長視点終了) 無事ドロップしたらダークキング戦に挑戦してみましょう! 僧侶の立ち回りはこちらから まとめ 開始早々からネタ文章になりながらも、目的のお宝装備(賢哲のころも下毒耐性つき)の市場価値、ターゲットとなるモンスターの選定と、ダンジョンに実際出現する様子、討伐数と白宝箱が落ちた回数などに触れて参りました。 実際に装備ドロップを狙って思ったのは、• パーティー内にMP回復要員を入れ持久戦にそなえる(魔法戦士かレンジャー)• 自分で占い師をやれば、範囲強化とMP回復を兼ねられる• タッピツ狩りも兼ねるなら自分で盗賊をやる(メタル香水使用)• 経験値または特訓ポイント稼ぎたいならパーティーにムチ装備のスーパースターを入れる(メタル香水使用)• ちゃんと攻撃をできる回復役を入れる 以上の項目でしょうか。 効率を上げたとしても、100体単位で倒すことになるので、タッピツ狩りやレベル上げなど、並行して行うのがいいでしょう。 みなさんが好みの装備を入手できることを願いつつ、筆をおかせていただきます。 【今回の元ネタ】• 川口浩探検隊• 機動戦士ガンダム• 水曜どうでしょう• ゴリラ.

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