福島 50。 Fukushima 50(フクシマフィフティ)

【 今語られる、福島第一原発の地獄 】〈第1回〉[ 福島の50人 ]

福島 50

C 2020「Fukushima 50」製作委員会 2011年3月11日。 東北地方を襲ったマグニチュード9. 0、最大震度7という巨大な地震は誰も想定していなかった大津波を引き起こした。 津波は福島第一原子力発電所(イチエフ)を襲い、浸水によりイチエフは全電源を喪失、原子炉を冷やせないという状態に陥る。 このままではメルトダウンが引きおこり想像を絶する被害がもたらされてしまうため、1、2号機当直長の伊崎をはじめとする現場作業員は原発内に残り、制御に走り回る。 吉田所長は全体の指揮を執り行っており部下たちを励ましているが、本店や官邸からの状況の把握ができていない指示に怒りを示す。 そして現場の頑張りも虚しく事態は悪化し続け、近隣住民の避難を余儀なくされてしまう。 官邸の試算によると最悪の場合、被害範囲は東京を含む半径250キロメートル、対象人口は5,000万人・・・それはつまり東日本の壊滅を示すものだった。 唯一残された方法は「ベント」という未だ世界で実施されたことのない手段であり、作業員たちがなんと体一つで原子炉に突入して手作業で行うというもの。 外部との情報も遮断されてしまったなか、ついに前代未聞の作戦が始まる。 C 2020「Fukushima 50」製作委員会 「フクシマ50」という言葉を聞いたことはあるでしょうか。 フクシマ50とは東北地方太平洋沖地震が起きた時に福島第一原子力発電所の対応業務に従事していた従業員のうち、事故後も現場に残り作業を続けた約50人の作業員に対し、日本国外のメディアが与えていている呼称のことです。 彼らは当時、混乱した状況下の中、度重なる原子炉爆発事故や火災が起き放射性物質が飛散した可能性があるため東京電力から避難警告が出たにも関わず現場に残り、被害を食い止めることに尽力しました。 放射能汚染の危険レベルは非常に高いものでしたが、そのリスクを承知で現場にとどまった彼らの名は「Fukushima 50」として広く日本国外に広まりました。 しかしそんな彼らの情報は東京電力によって氏名や勤務会社などの一切の情報の開示が禁じられています。 この映画の原作、門田隆将著「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発」は90人以上の関係者の取材を基に執筆されたノンフィクション小説です。 とは海外メディアが付けた福島第一原発作業員たちの呼び名。 2011年3月17日の時点ですでにそう呼ばれていました。 — 映画『Fukushima 50』 フクシマフィフティ Fukushima50JP スポンサーリンク キャスト紹介 キャスト 佐藤浩市(伊崎利夫)…福島第一原発1・2号機当直長 渡辺謙(吉田昌郎)…福島第一原発所長 吉岡秀隆(前田拓実)…福島第一原発5・6号機当直長 解説 この映画の主演を務めるのは佐藤浩市です。 日本映画界を代表する実力俳優であり、父親も俳優である三國連太郎です。 俳優デビューは1980年、ドラマ「続・続事件 月の景色」であり、翌年映画「青春の門」でブルーリボン賞新人賞を見事受賞しています。 その後わき役がしばらく続いたといいますが、重厚な演技が話題となり出演作も増え、現在では数多くの主演作・ヒット作を持つ大俳優です。 賞の受賞も多数あり、「忠臣蔵外伝 四谷怪談」、「64 ロクヨン 前編」で日本アカデミー賞最優秀主演男優賞、「ホワイトアウト」、「壬生義士伝」では同最優秀助演男優を獲得しています。 映画『』劇中スチールを解禁。 2011年3月11日午後2時46分、東日本大震災が発生。 その直後、福島第一原発内の中央制御室で指揮を執る、1・2号機当直長の伊崎利夫。 さんが演じます。 映画の公開は2020年3月に決定しました。 — 映画『Fukushima 50』 フクシマフィフティ Fukushima50JP 福島第一原発所長を演じるのは渡辺謙です。 今や活躍の幅は日本を超え、世界で最も活躍している日本俳優の一人と言われています。 1982年に「未知なる反乱」でテレビデビュー、映画は1984年の「瀬戸内少年野球団」にて初出演を果たしました。 1987年に主演を演じたのNHK大河ドラマ「独眼竜政宗」は大河ドラマ史上最高の平均視聴率である視聴者39. その後闘病生活を経て一時治療に専念していましたが俳優復活、2003年に「ラストサムライ」でハリウッドデビューを果たし第76回アカデミー賞助演男優賞や第61回ゴールデングローブ賞 助演男優賞などにノミネートされるなど海外でも高い評価を受けています。 その後も「バットマン ビギンズ」「硫黄島からの手紙」「GODZILLA ゴジラ」など日本を代表する国際俳優として活躍しています。 映画『』劇中スチールを解禁。 福島第一原発の免震重要棟内にある緊急対策室で、現場からの深刻な報告に表情が険しくなる吉田昌郎所長。 さんが演じます。 2020年3月全国ロードショー — 映画『Fukushima 50』 フクシマフィフティ Fukushima50JP 見どころ紹介&こんな人におすすめ C 2020「Fukushima 50」製作委員会 この映画は実際の関係者90人以上を取材して書かれた小説が基となっており、実際に現場で起きていたことを知ることができる映画です。 見どころは正にそこであると言え、2011年3月11日未曾有の大災害が日本を襲う最中、被害を食い止めようと必死に闘った人たちの存在を、そして彼らが感じたであろう緊張感をリアルに感じることができます。 彼らの想いや闘いをニュースなどの報道機関で私たちが知ることは難しいですが、だからこそこの映画の存在が大きな意味を持ってくるのだと思います。 この映画は本当に全日本国民に観ていただきたいといえるものです。 あの時、あの時間に起こったことを私達は知り、そして忘れることなく世界に発信していく義務があるのだと思います。 ついに観てしまった。 フクシマフィフティの試写。 いろんな思いが溢れて今は言葉もありません。 父は技術者の端くれとして福島第一、第二原発に関わった。 浜岡の原発にも敦賀の原発にも出向した。 来年公開されたら、これだよって言ってみせてあげよう。 東北大震災から9年経とうとしていますがあの時おこった出来事を忘れることのないよう、今こそ見るタイミングである映画でしょう。 試写会の応募も行われており、応募者全員にムビチケ50円引きになるプロモーションコードがもらえるみたいなので是非応募してみてください。 参照: 拙著『死の淵を見た男』が原作の映画「Fukushima50」の全国試写会が決定。 あの福島第一原発で何があったのか。 渡辺謙、佐藤浩市両主役の迫力に息を呑む。 病身を押して長時間取材に応えてくれた故吉田昌郎氏に観てもらえない事だけが残念。 — 門田隆将 KadotaRyusho.

次の

映画【Fukushima 50】あらすじキャスト見どころ!あの時福島第一原子力発電所で起こっていた真実

福島 50

マグニチュード9. 0、最大震度7という巨大地震が起こした想定外の大津波が、福島第一原子力発電所(イチエフ)を襲う。 浸水により全電源を喪失したイチエフは、原子炉を冷やせない状況に陥った。 このままではメルトダウンにより想像を絶する被害をもたらす。 1・2号機当直長の伊崎ら現場作業員は、原発内に残り原子炉の制御に奔走する。 全体指揮を執る吉田所長は部下たちを鼓舞しながらも、状況を把握しきれていない本店や官邸からの指示に怒りをあらわにする。 しかし、現場の奮闘もむなしく事態は悪化の一途をたどり、近隣の人々は避難を余儀なくされてしまう。 官邸は、最悪の場合、被害範囲は東京を含む半径250㎞、その対象人口は約5,000万人にのぼると試算。 それは東日本の壊滅を意味していた。 いまだ世界で実施されたことのないこの手段は、作業員たちが体一つで原子炉内に突入し行う手作業。 外部と遮断され何の情報もない中、ついに作戦は始まった。 『日本海大海戦 海ゆかば』『魚影の群れ』(83)、『THE 有頂天ホテル』(06)、『ザ・マジックアワー』(08)、『最後の忠臣蔵』(10)、『あなたへ』『のぼうの城』(12)、『起終点駅 ターミナル』(15)でも同賞優秀賞を受賞している。 近年の作品として、『愛を積むひと』(15)、『花戦さ』(17)、『北の桜守』(18)、『友罪』(18)、『空母いぶき』『ザ・ファブル』『記憶にございません』『楽園』(19)など。 福島第一原発所長 吉田昌郎 [渡辺 謙] ハリウッドデビュー作となった『ラスト サムライ』(03)でアカデミー賞助演男優賞にノミネート。 以来、『SAYURI』(05)、『バットマン ビギンズ』(05)、『硫黄島からの手紙』(06)、『インセプション』(10)、『GODZILLA ゴジラ』(14)、『ゴジラ キング・オブ・モンスター』(19)などハリウッドの話題作に出演を果たす。 映画デビュー作は『瀬戸内少年野球団』(84)。 『明日の記憶』(06)、『沈まぬ太陽』(09)で日本アカデミー賞最優秀主演男優賞、『絆 -きずな-』(98)、『千年の恋 ひかる源氏物語』(01)、『陽はまた昇る』(02)で同賞優秀助演男優賞を受賞。 その他の代表作は『タンポポ』(85)、『海と毒薬』(86)、『北の零年』(05)、『はやぶさ 遥かなる帰還』(12)、『許されざる者』(13)、『怒り』(16)など。 日大芸術学部卒業後、TVドラマのAD、演出補を経て、共同テレビジョンに入社。 「振り返れば奴がいる」(93)、「それが答えだ!」(97)、「やまとなでしこ」(00)など数多くの人気ドラマの演出を手がける。 映画監督として『ホワイトアウト』(00)、『沈まぬ太陽』(09)で日本アカデミー賞優秀監督賞を受賞。 その他の映画監督作は『COMPLEX BLUE』(94)、『子宮の記憶 ここにあなたがいる』(06)、『夜明けの街で』(11)、『柘榴坂の仇討』(14)、『空母いぶき』(19)。 監督を務めた主なドラマは「弟」(04)、「救命病棟24時」「熟年離婚」(05)、「石つぶて 〜外務省機密費を暴いた捜査二課の男たち〜」(17)など。 「地球の王様」(12)では舞台の演出を手がけた。 テンプル教会は合唱団が設立される前から著名な音楽家達との関わりが多く、英国国教会のための楽曲がここで作曲されたり、1734年に当時教会付きのオルガニストで作曲家だったジョン・スタンレーの演奏を聴きにヘンデルが訪れたりするなどがあった。 合唱団は、現オルガニスト兼音楽監督のロジャー・セイヤーらの下、テンプル教会での聖歌隊活動に加え、演奏会活動やCDリリースでも高く評価されている。 近年では、2015年6月にマグナカルタ制定800周年記念式典にてエリザベス女王とエジンバラ公の御前でジョン・ラッター作曲の「Give the king thy judgements, O God」を演奏し、シンガポールとオーストラリアへの単独演奏旅行を成功させ、2017年9月にはルター派宗教改革500周年を記念したドイツでの演奏旅行を成功させた。 2018年クリスマスにはロイヤルアルバートホールにてジョン・ラッター自身の指揮でロイヤルフィルハーモニー管弦楽団と演奏している。 『Fukushima 50』 オリジナル・サウンドトラック 計器類まで全て再現された 中央制御室 手動でベントを行う上で「最前線」となった中操は、停電の時間などもあり、基本的には「薄暗い」状態が続く。 指揮をとるのは佐藤浩市が演じる伊崎当直長。 緊対の吉田所長からの指示を受け、高い放射線量の中、誰がベントへ向かうのか。 佐藤の「まず俺が行く」という覚悟を決めたセリフに、不安を抱える他の運転員たちも「僕が」「俺が」と次々に手を挙げる。 ベテランのキャストは毅然とした表情に、そして若いキャストは真剣そのものの表情となり、ワンカットごとに現場のテンションが上がっていく。 その間も、元運転員の方の「緊急時も走ってはいけない。 急ぐ時は早足で」などのアドバイスで、徹底的にリアリティが追求された。 その中操のセットの撮影で最も過酷を極めたのが、1号機原子炉建屋の爆発時のシーンだ。 突然の爆発による激しい振動が起こる。 監督からの「予期しない揺れでパニック状態に」という指示で、運転員のキャストたちが防護マスクを探して右往左往するなか、天井の板や蛍光灯が落下してくるのだ。 この落下は「手動」で行われ、天井板や蛍光灯が細かくワイヤーで繋がれ、セットの脇でそのワイヤーを持ったスタッフが、タイミングよく手を離す。 一度落としたら、元の状態に戻すまで長い時間がかかるので、一発勝負の緊張感が漂う。 監督の「バーン!」という掛け声とともに、見事に天井が崩れ、セット中にホコリが舞い、スモークがたかれる。 俳優たちは椅子から転げ落ちるなどパニック状態を演じながらも、ケガがないように立ち位置には細心の注意を払う。 作品の中でも最もチャレンジングな撮影は無事に終了し、爆発時の生々しい映像への期待が高まった。 セットの中心には福島第一原発全体のジオラマが置かれ、それを囲むようなテーブルに渡辺謙らが座り、刻一刻と変わる状況に対応し、苦渋の決断を繰り返していく。 「時刻」が重要なので、本番のたびに壁の時計の針が直される。 本社からのあまりに無謀な指令に、声を荒げる渡辺謙の熱演は迫力満点だ。 この緊対には、佐野史郎が演じる総理大臣もやって来るが、彼に対して状況を説明する吉田の長いセリフには、「電動弁」「炉心を冷却」など複雑な用語も入るので、渡辺謙は本番前の時間に何度も練習を繰り返していた。 そんな渡辺の吉田役に感動していたのが、現場を見学に来た吉田所長を知る人たち。 「背中の曲がり方や首の動きが吉田所長にそっくり。 後ろ姿は本人かと思うほどで、のりうつったかのようだ」と口々に話す。 徐々にやつれていく作業員たちを描写するため、本作の撮影はほぼ順撮りで行われた。 中操のメンバーがこの緊対に加わる後半シーンは、作品が描く「5日間」の終盤でもあり、役柄と同じようにヒゲを剃らず、疲れきった顔のキャストたちが、自分たちの任務をまっとうする決死の演技に、撮影現場の熱量はピークに達するのだった。

次の

事実と表現、記録と記憶:『Fukushima 50』とそれへの批判について考える(山口浩)

福島 50

「自分たちのすべてを犠牲にする事を求められた、神風特攻隊のような気持ちでした。 」 チェルノブイリ以来最悪の事故がもたらした放射性物質をどうするか、苦悩が続く日本で、福島第一原発のスタッフたちは誰の目にもとまることなく事故の影の中で生きている。 東京電力の職員、吉澤厚文(よしざわあつふみ)氏がこう語りました。 しかしそんな彼自身の口から語られたのは、日本史上最悪の原発事故の真っただ中に留まり、自分の命を危険にさらしながら働いた現場の技術者、特殊作業担当者、自衛隊員、そして消防士たちの物語です。 しかし、福島第一原子力設備で3基の原子炉のメルトダウンに対処するため、その場にいた作業者の実際の数は数百人に上りました。 彼らは、この巨大災害の英雄になりました。 世界は彼らの勇敢さと献身的な行動に賛辞を贈りつづけました。 そして、その割を食うように、何ら有効な手立てを持たない日本の原子力行政にたずさわる人間たちと政治家に対しては、世界中から批難が浴びせられました。 何割かの人々は、英雄として脚光を浴びることを潔しとはしませんでした。 しかし[ 福島の50人 ]の中で一番多かったのは、チェルノブイリ以来最悪の原子力事故を引き起こし、放射性物質をまき散らし、政治的な問題まで引き起こした福島第一原発に関わっていたことにより、何者かに報復されることを恐れていた人々だったのです。 数少ないインタビューのひとつとなった会見の中で、吉澤氏は危機が登勢のように展開したのか、そしてなぜ自分を英雄とは思えないのか、胸の内を明らかにしました。 2011年3月11日の午後、マグニチュード9. 0の地震が東北沿岸を襲った時、吉澤氏は2つの事だけを考えていました。 自分は決して逃げない、そして死ぬことは無いだろう。 最初の強力な衝撃が見舞われたとき、54才の原子力技術者は福島第一原発における勤務シフトを終えようとしていました。 凶暴な揺が襲い、天井からパネルが次々と剥がれ落ちました。 発電所の主制御室の外の廊下に居た吉澤氏は、自分の机の近くにあるシェルターに行くこともままならず、その場にしゃがみ込むしかありませんでした。 「何とか態勢を建て直して窓の外を見ると、地震のものすごい力で、駐めてあった車が上下にボンボンはねていました。 そんな光景を見たのは、生まれて初めてでした。 」 東京電力本社で最近行われたインタビューで、吉澤さんがこう話しました。 大学を卒業してすぐに東京電力の社員となった吉澤さんは、当日午後に福島第一原発内に居た6,000人の作業者のうちの一人です。 当時このうち約2,000人の人が、6基の原子炉の立ち入り制限区域内で作業を行っていました。 吉澤さんの頭にとっさに浮かんだのは、東京の南郊、横浜市内で暮らす妻と2人の娘のことではありませんでした。 彼女たちについては、無事だと思うしかありませんでした。 彼が考えたこと、それは福島第一原発のほとんどの職員の家族が、発電所近くに住んでいるという事でした。 しかしこの時、一旦揺れが収まった後、彼は自分が部長を務める核燃料サイクル部門の部屋で、素早く放射線防護スーツを身に着け、今後の対応をどうするか検討するため幹部職員が集まっていた、耐震工事を施した避難棟に向かいました。 その場所で吉澤さんは、予想もしない現実に直面させられることになったのです。 地震発生から一時間も経たないうちに、福島第一原発が高さ3メートルをはるかに超える津波が襲われたと、ニュースが何度も繰り返して伝えました。 伝えられた津波の高さは、福島第一原発の防波堤が想定する高さを、はるかに超えるものだったのです。 彼らがいた避難棟には窓が無かったため、津波が原子炉建に襲いかかる場面を実際に見た人間は一人もいませんでした。 行く手を阻むものすべてを根こそぎ押し倒し、何もかも飲みこんでしまった真っ黒な濁流を。 「私の耳に飛び込んできたのは、電気の供給に問題が発生したという報告でした、そして海の上一面に破片が浮かんでいるという報告も。 」 吉澤氏が語りました。 しかし、進行していた現実はもっと恐ろしいものだったのです。 津波は福島第一原発の予備電源装置を破壊し、発電所内は闇に包まれました。 そして闇より恐ろしい事態が発生しました。 もし吉澤氏がかろうじて助かった、そう思う事があったとすれば、それは2機の原子炉、5号機と6号機がすでに冷温停止の状態にあった事でした。 この2機は定期点検のため、稼働を停止していたのです。 しかし送電停止の状態が続けは、残り4基の原子炉内部では核燃料棒が熱のために溶けてしまい、大量の放射性物質の放出につながる危険性があります。 そうなれば、放射性物質の飛散は福島の県境を越え、はるか遠くにまで広がることになります。 [ガーディアン]の記事は、私はアメリカのニューヨークタイムズと並んで、内容が充実したレベルの高いものだと感じています。 特に今回の記事はすべて訳し終えた後に、出来のいい短編小説を読んだ様な感動を覚えました。 ぜひ全3回、お読みいただけたら、と思います。 そしてできれば「主人公」が東京電力の社員だという事で、偏見等を持たずに読み進んでいただければ、と思います。 ちょうど100年前の2月1日、グランド・セントラル駅舎内のすべての鍵の束が初代駅長に手渡されました。 その日、夜明けを迎える前、一番列車が静かホームを離れて行ったのです。 以来数百万の人々がこの駅舎内を行き来することになりましたが、変化にとんだ空間、魅力的な建築は、それ自体ニューヨークの重要な観光名所となったのです。 ニューヨーク市は現在、グランド・セントラル駅100周年を祝う様々な行事でにぎわい、『大スケールのデザイン、グランド・セントラル駅』と銘打たれた展示も行われています。 「私はグランド・セントラル駅が、好きで好きでたまらないのです。 」 歴史学者でありながら、ニューヨーク市内のツアーガイドも勤めるジャスティ・フェレート氏が語りました。 「世界一とはいかないでしょうが、グランド・セントラル駅はアメリカでもっとも偉大な建築物です。 」 フェレート氏は日に2回、1週間に5回、空港に観光客を迎えに行き、記念写真を撮る生活を何十年と続けて来ました。 彼は空港で観光客たちに、こう尋ねることにしています。 「空港はあなた方を温かく迎えてくれましたか?降り立った時、ほのぼのとした気持ちになりましたか?」 イエスと答える人々はほとんどいません。 空港は、訪れる人々すべてに何かを語りかけてくるグランド・セントラル駅とは違うのです。 1930年代、太陽の光が射しこむグランド・セントラル駅構内。 (写真下・以下同じ) 写真の上部は駅構内を行き来する人々。 下部は構内のアップルストアに集う人々。 1月31日。 グランド・セントラル駅中央通路の天井に描かれた夜空の12宮。 59の星は金箔をあしらって表現している。 1月25日。 100周年を迎える前日の駅構内。 1月31日。 イナゴマメの樹が一面に生い茂る辺りから、か細い小鳥たちの鳴き声が聞こえてきました。 それはカスミ網に捕えられた小鳥たちが上げるものでした。 午前中、一人の男がカスミ網に絡まった中から6羽ほどの小鳥を取り出し、その首を歯を使ってへし折ると、持ってきたバケツの中に入れました。 何世紀もの間、キプロスの人々にとって、野鳥はごちそうでした。 キプロスの人々は、カスミ網やとりもちを使って野鳥を捕獲します。 野鳥は煮るか塩漬けにされるかして、丸ごと皿に乗せられ食卓に出されます。 キプロス以外の人々にとっては何のためにそんなことをするのか理解に苦しむ光景ですが、キプロスには、その独特の甘みを味わう瞬間は、至福の時だと語る人もいます。 しかしEUに加盟した際、キプロスは伝統にしてきた習慣を禁止され、野鳥の捕獲は違法になりました。 キプロス内に生息する野鳥の中には、絶滅危惧種も含まれていました。 現在、ヨーロッパを覆う経済危機は、出稼ぎをしていたキプロスの人々に島への帰還を余儀無くさせています。 国内の軽食堂に料理として出される野鳥料理の食材を扱う闇の市場に売り払うべく、彼らは罰金と収監のリスクを冒し、野鳥の捕獲を行うのです。 今や貴重な現金収入の途なのだと語りながら…。

次の