目次はこちら• オウム真理教とは オウム真理教とは日本史最大の事件を引き起こした宗教団体(テロ組織)です。 教祖である松本智津夫(麻原彰晃)の指示により、猛毒の化学兵器であるサリンを使用して無差別大量殺人など一連の事件で29人が死亡し(殺人26名、逮捕監禁致死1名、殺人未遂2名)負傷者は6000人を超えたと言われています。 オウム真理教は勢力拡大のために国政選挙に立候補するも惨敗した事をきっかけに、教団の武装化を行い日本を支配する(国家転覆)だけでなく世界征服を目論むも、11月戦争と呼ばれる無差別テロの前に公安当局による強制捜査により頓挫しました。 現在では、全ての刑事裁判が終結し、189人が起訴され、13人の死刑判決と5人の無期懲役判決が確定しました。 世界史的に見ても、アルカイダやISILによるテロを先取りした事件とも言われ、 世界中から未だに現在のオウム真理教の動向が注目されています。 オウム真理教の現在 オウム真理教は現在は解体されています。 一連の事件の後もオウム真理教は法人格を失うも活動は継続していましたが、2000年に破産を申告しオウム真理教という名は消滅しました。 しかし、破産と同時にオウム真理教の元信者や元幹部が後継団体を立ち上げ、現在では実質的な後継団体となっています。 現在は、 主流派(Aleph アレフ 、山田らの集団など)と上祐派(ひかりの輪)に分かれて活動しています。 主流派と上祐派の違いは麻原回帰を表立って進めるか、麻原隠しと言われ表立って麻原信仰を謳わないかの違いで、どちらもオウム真理教の教義を共通の基盤としている事には変わりありません。 そのため、現在でも閉鎖的・欺まん的な組織体質を有し、地域住民に恐怖感・不安感を抱かせる危険性が高いため公安調査庁からの監視が続いています。 教団の現在の活動状況等などは公安調査庁のHPに都度、アップされています。 また、オウム真理教の海外拠点の1つロシアでは、2016年にオウム真理教をテロ組織と認定しテロ組織リストとして追加され、教団活動への参加や資金提供、勧誘などの行為が刑事罰の対象とされました。 現在の信者数 オウム真理教の後継団体の信者数は現在も伸びています。 後継団体全体の信者数は出家信者で約300人、在家信者は約1500人と言われています。 最も信者数の多いAleph(アレフ)では毎年100人ほど新規の信者が入信していると公安調査庁の発表がなされています。 後継団体全体で約13億円ほど資産があり、Aleph(アレフ)は、年間1億円ペースで資産を増やしているとの調査結果が報告され、現在も オウム真理教という名は変わっても教団としての勢いは衰えていないと言っても過言ではないでしょう。 現在の活動状況 オウム真理教は後継団体によって現在でも活動されています。 主流派(Aleph アレフ 、山田らの集団など)と上祐派(ひかりの輪)など多少の違いはあれど、本質的には麻原への絶対的帰依が現在の活動状況からも伺えます。 公安調査庁による報告を元に、オウム真理教の後継団体の現在の活動状況をまとめました。 主流派 主流派ではオウム真理教の名が変わっただけで現在でも教団として同じ活動を行なっています。 麻原の生誕を祝う「生誕祭」を開催し、年3回開催している集中セミナーにおいて、麻原が「グルと共に転生するためには、タントラ・ヴァジラヤーナ(殺人を暗示的に勧める危険な教義)の実践が必要である」と説法する映像を視聴しながら同様の内容を唱和する修行などが現在も行われています。 加えて、休憩・睡眠時間を与えない状態で数日間取り組ませたりするなど、 オウム真理教が使っていたマインドコントロール(洗脳)の手法が現在でも修行という名目の元で続いています。 また、小学生や未就学児童に対しては、麻原の説く教義に結び付けた「真理かるた」や「真理すごろく」などの教材を使用して教義の定着を図っており、麻原への絶対的帰依を徹底する指導が現在も続いています。 同派の勧誘は、麻原の説く「衆生救済」を実現するための重要な活動と現在でも位置付けられ、各教団施設(支部)で組織的に取り組んでいます。 具体的には、宗教色を感じさせない手法が一般的です。 ヨガ、占い等の各種イベントを開催して、ヨガや精神世界に興味を示した人を教団名を秘匿したヨガ教室や勉強会に勧誘します。 見込み信者との人間関係を構築しながら、まずは一般的なヨガ理論を説教する所から始まります。 その後で地下鉄サリン事件等の一連の凶悪事件への教団の関与を否定する陰謀論を説いたり、麻原の名前を明示せずに、麻原が説いた教えの重要性を扶植したりするなど、教団への抵抗感を低減させた上で入会させるという巧妙なトリック(手法)を使って現在も勧誘活動を行っています。 上祐派 上祐派では巧妙な手口を使って観察処分から逃れようとする活動を現在も続けています。 上祐派であるひかりの輪ホームページに松本・地下鉄両サリン事件の総括文書等を掲載したり、ひかりの輪の基本理念に麻原の教義を信じることが誤りである旨加筆したりして、麻原との決別や主流派との違いを主張するなど、対外的に脱麻原をアピールした麻原隠しと呼ばれる活動を現在でも継続しています。 その一方で、在家信徒に対し「麻原に犯罪の責任が全てあるとはどう考えても思えない」などと説法したり、全国いずれの施設においても麻原の化身であると説かれた仏画を掲示し続けたりするなど、同派が現在でもオウム真理教の影響下にある実態が確認されています。 信者には公安調査官との関係があった場合に、除名などの処分の可能性があることを明示して 公安調査官との接触を強く牽制するなど、オウム真理教の後継団体だと認識されないよう組織防衛の強化に現在も取り組んでいます。 オウム真理教が活動する現在の場所 オウム真理教の拠点を後継団体が現在も保有しています。 全国で 15都道府県34施設の場所に拠点があります。 主流派の場所と上祐はの場所で違いはあれど、当時のオウム真理教の場所をそのまま拠点として使われているようです。 オウム真理教元幹部の現在は? 現在、オウム真理教の幹部は多くが死刑となりました。 死刑執行された13人のうち幹部は5人で、主要幹部の1人だった上祐史浩は懲役3年の実刑判決を受けましたが一連の事件に直接的な関与が立証されず、偽証罪のみ立件されました。 一連の事件後に報道でメディア露出が多かった幹部の1人で、現在ではひかりの輪を後継団体として立ち上げています。 基本的に幹部と呼ばれる人達は、オウム真理教の内部組織である 24省庁制の代表(大臣)です。 上祐や死刑囚を除く、元幹部の現在を公表されている範囲で調べました。 麻原正妻と麻原三女(松本麗華)はAleph(アレフ)の相談役、石井紳一郎は不明、石井久子は訪問介護、麻原四女(松本聡香)は不明、林郁夫は千葉刑務所に服役中(無期懲役)、青山吉伸は出所後は不明、越川真一はAleph(アレフ)の入信を断られた後は不明、杉浦茂はAleph(アレフ)脱会後は不明、山本まゆみは癌で病死、野田成人はAleph(アレフ)を追放されホームレスの支援「」代表、岐部哲也は不明、飯田エリ子は出所後に右半身麻痺のため都内実家にてリハビリ中、都沢和子は不明、大内早苗は不明、村岡達子は関西にて翻訳業が元幹部たちの現在です。 元信者の現在は? 元信者の一部は、現在もなお後継団体に入信しています。 オウム真理教の後継団体では麻原不在のため、元信者たちの内部対立が起きてしまい主流派(Aleph アレフ 、山田らの集団など)と上祐派(ひかりの輪)に分裂し現在も活動を行なっています。 その中心となっているのは、いずれの教団もオウム真理教時代の元信者です。 麻原の正妻や四女を中心としたAleph(アレフ)は勿論ですが、内部対立によってAleph(アレフ)から独立した山田らの集団、そして上祐派と呼ばれるひかりの輪は、いずれもオウム真理教時代の元信者と共に新たな教団を作っているため、麻原に対する絶対的帰依は変わりません。 元信者が全て過激な思想かどうかは判断できませんが、 殺人を教義として善と出来る「タントラ・ヴァジラヤーナ」が現在も元信者の間では信仰されている事は公表されています。 ダーキニーの現在は? ダーキニーとは麻原の愛人です。 ダーキニーとして教団内で公認されていた人数は33人以上で、公認されていないダーキニーも含めれば100人以上だとも言われています。 ダーキニーとして有名なマハー・ケイマ(石井久子)、麻原との間に1人の子を持ったスメーダ(木田裕貴子)、当時17歳だったマハームドラー・ダーキニーと呼ばれる元信者の名前は現在でも明らかになっていません。 石井久子は麻原との間に3人(+死産1人)の子供持ち、出所後に精神を病むも現在は訪問看護の仕事をしながら実家マンションで2人暮らしをしているようです。 木田裕貴子は、18歳の時に麻原との子供を1人出産しています。 現在は、群馬県で実母と麻原の子供と3人で生活しており、近隣住民の話では乗馬クラブなどに通っているようです。 松本智津夫(麻原彰晃)の現在は? 松本死刑囚は現在、死刑が執行されています。 執行日は、2018年7月16日に東京拘置所にて行われ、同月9日に府中市内の斎場で火葬され、当面は東京拘置所において遺骨を安置されています。 松本元死刑囚の遺骨は後継団体の正当性や示す象徴になる可能性や、神格化も懸念されているため、 現在も未だに公開されていません。 まとめ.
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目次はこちら• オウム真理教とは オウム真理教とは日本史最大の事件を引き起こした宗教団体(テロ組織)です。 教祖である松本智津夫(麻原彰晃)の指示により、猛毒の化学兵器であるサリンを使用して無差別大量殺人など一連の事件で29人が死亡し(殺人26名、逮捕監禁致死1名、殺人未遂2名)負傷者は6000人を超えたと言われています。 オウム真理教は勢力拡大のために国政選挙に立候補するも惨敗した事をきっかけに、教団の武装化を行い日本を支配する(国家転覆)だけでなく世界征服を目論むも、11月戦争と呼ばれる無差別テロの前に公安当局による強制捜査により頓挫しました。 現在では、全ての刑事裁判が終結し、189人が起訴され、13人の死刑判決と5人の無期懲役判決が確定しました。 世界史的に見ても、アルカイダやISILによるテロを先取りした事件とも言われ、 世界中から未だに現在のオウム真理教の動向が注目されています。 オウム真理教の現在 オウム真理教は現在は解体されています。 一連の事件の後もオウム真理教は法人格を失うも活動は継続していましたが、2000年に破産を申告しオウム真理教という名は消滅しました。 しかし、破産と同時にオウム真理教の元信者や元幹部が後継団体を立ち上げ、現在では実質的な後継団体となっています。 現在は、 主流派(Aleph アレフ 、山田らの集団など)と上祐派(ひかりの輪)に分かれて活動しています。 主流派と上祐派の違いは麻原回帰を表立って進めるか、麻原隠しと言われ表立って麻原信仰を謳わないかの違いで、どちらもオウム真理教の教義を共通の基盤としている事には変わりありません。 そのため、現在でも閉鎖的・欺まん的な組織体質を有し、地域住民に恐怖感・不安感を抱かせる危険性が高いため公安調査庁からの監視が続いています。 教団の現在の活動状況等などは公安調査庁のHPに都度、アップされています。 また、オウム真理教の海外拠点の1つロシアでは、2016年にオウム真理教をテロ組織と認定しテロ組織リストとして追加され、教団活動への参加や資金提供、勧誘などの行為が刑事罰の対象とされました。 現在の信者数 オウム真理教の後継団体の信者数は現在も伸びています。 後継団体全体の信者数は出家信者で約300人、在家信者は約1500人と言われています。 最も信者数の多いAleph(アレフ)では毎年100人ほど新規の信者が入信していると公安調査庁の発表がなされています。 後継団体全体で約13億円ほど資産があり、Aleph(アレフ)は、年間1億円ペースで資産を増やしているとの調査結果が報告され、現在も オウム真理教という名は変わっても教団としての勢いは衰えていないと言っても過言ではないでしょう。 現在の活動状況 オウム真理教は後継団体によって現在でも活動されています。 主流派(Aleph アレフ 、山田らの集団など)と上祐派(ひかりの輪)など多少の違いはあれど、本質的には麻原への絶対的帰依が現在の活動状況からも伺えます。 公安調査庁による報告を元に、オウム真理教の後継団体の現在の活動状況をまとめました。 主流派 主流派ではオウム真理教の名が変わっただけで現在でも教団として同じ活動を行なっています。 麻原の生誕を祝う「生誕祭」を開催し、年3回開催している集中セミナーにおいて、麻原が「グルと共に転生するためには、タントラ・ヴァジラヤーナ(殺人を暗示的に勧める危険な教義)の実践が必要である」と説法する映像を視聴しながら同様の内容を唱和する修行などが現在も行われています。 加えて、休憩・睡眠時間を与えない状態で数日間取り組ませたりするなど、 オウム真理教が使っていたマインドコントロール(洗脳)の手法が現在でも修行という名目の元で続いています。 また、小学生や未就学児童に対しては、麻原の説く教義に結び付けた「真理かるた」や「真理すごろく」などの教材を使用して教義の定着を図っており、麻原への絶対的帰依を徹底する指導が現在も続いています。 同派の勧誘は、麻原の説く「衆生救済」を実現するための重要な活動と現在でも位置付けられ、各教団施設(支部)で組織的に取り組んでいます。 具体的には、宗教色を感じさせない手法が一般的です。 ヨガ、占い等の各種イベントを開催して、ヨガや精神世界に興味を示した人を教団名を秘匿したヨガ教室や勉強会に勧誘します。 見込み信者との人間関係を構築しながら、まずは一般的なヨガ理論を説教する所から始まります。 その後で地下鉄サリン事件等の一連の凶悪事件への教団の関与を否定する陰謀論を説いたり、麻原の名前を明示せずに、麻原が説いた教えの重要性を扶植したりするなど、教団への抵抗感を低減させた上で入会させるという巧妙なトリック(手法)を使って現在も勧誘活動を行っています。 上祐派 上祐派では巧妙な手口を使って観察処分から逃れようとする活動を現在も続けています。 上祐派であるひかりの輪ホームページに松本・地下鉄両サリン事件の総括文書等を掲載したり、ひかりの輪の基本理念に麻原の教義を信じることが誤りである旨加筆したりして、麻原との決別や主流派との違いを主張するなど、対外的に脱麻原をアピールした麻原隠しと呼ばれる活動を現在でも継続しています。 その一方で、在家信徒に対し「麻原に犯罪の責任が全てあるとはどう考えても思えない」などと説法したり、全国いずれの施設においても麻原の化身であると説かれた仏画を掲示し続けたりするなど、同派が現在でもオウム真理教の影響下にある実態が確認されています。 信者には公安調査官との関係があった場合に、除名などの処分の可能性があることを明示して 公安調査官との接触を強く牽制するなど、オウム真理教の後継団体だと認識されないよう組織防衛の強化に現在も取り組んでいます。 オウム真理教が活動する現在の場所 オウム真理教の拠点を後継団体が現在も保有しています。 全国で 15都道府県34施設の場所に拠点があります。 主流派の場所と上祐はの場所で違いはあれど、当時のオウム真理教の場所をそのまま拠点として使われているようです。 オウム真理教元幹部の現在は? 現在、オウム真理教の幹部は多くが死刑となりました。 死刑執行された13人のうち幹部は5人で、主要幹部の1人だった上祐史浩は懲役3年の実刑判決を受けましたが一連の事件に直接的な関与が立証されず、偽証罪のみ立件されました。 一連の事件後に報道でメディア露出が多かった幹部の1人で、現在ではひかりの輪を後継団体として立ち上げています。 基本的に幹部と呼ばれる人達は、オウム真理教の内部組織である 24省庁制の代表(大臣)です。 上祐や死刑囚を除く、元幹部の現在を公表されている範囲で調べました。 麻原正妻と麻原三女(松本麗華)はAleph(アレフ)の相談役、石井紳一郎は不明、石井久子は訪問介護、麻原四女(松本聡香)は不明、林郁夫は千葉刑務所に服役中(無期懲役)、青山吉伸は出所後は不明、越川真一はAleph(アレフ)の入信を断られた後は不明、杉浦茂はAleph(アレフ)脱会後は不明、山本まゆみは癌で病死、野田成人はAleph(アレフ)を追放されホームレスの支援「」代表、岐部哲也は不明、飯田エリ子は出所後に右半身麻痺のため都内実家にてリハビリ中、都沢和子は不明、大内早苗は不明、村岡達子は関西にて翻訳業が元幹部たちの現在です。 元信者の現在は? 元信者の一部は、現在もなお後継団体に入信しています。 オウム真理教の後継団体では麻原不在のため、元信者たちの内部対立が起きてしまい主流派(Aleph アレフ 、山田らの集団など)と上祐派(ひかりの輪)に分裂し現在も活動を行なっています。 その中心となっているのは、いずれの教団もオウム真理教時代の元信者です。 麻原の正妻や四女を中心としたAleph(アレフ)は勿論ですが、内部対立によってAleph(アレフ)から独立した山田らの集団、そして上祐派と呼ばれるひかりの輪は、いずれもオウム真理教時代の元信者と共に新たな教団を作っているため、麻原に対する絶対的帰依は変わりません。 元信者が全て過激な思想かどうかは判断できませんが、 殺人を教義として善と出来る「タントラ・ヴァジラヤーナ」が現在も元信者の間では信仰されている事は公表されています。 ダーキニーの現在は? ダーキニーとは麻原の愛人です。 ダーキニーとして教団内で公認されていた人数は33人以上で、公認されていないダーキニーも含めれば100人以上だとも言われています。 ダーキニーとして有名なマハー・ケイマ(石井久子)、麻原との間に1人の子を持ったスメーダ(木田裕貴子)、当時17歳だったマハームドラー・ダーキニーと呼ばれる元信者の名前は現在でも明らかになっていません。 石井久子は麻原との間に3人(+死産1人)の子供持ち、出所後に精神を病むも現在は訪問看護の仕事をしながら実家マンションで2人暮らしをしているようです。 木田裕貴子は、18歳の時に麻原との子供を1人出産しています。 現在は、群馬県で実母と麻原の子供と3人で生活しており、近隣住民の話では乗馬クラブなどに通っているようです。 松本智津夫(麻原彰晃)の現在は? 松本死刑囚は現在、死刑が執行されています。 執行日は、2018年7月16日に東京拘置所にて行われ、同月9日に府中市内の斎場で火葬され、当面は東京拘置所において遺骨を安置されています。 松本元死刑囚の遺骨は後継団体の正当性や示す象徴になる可能性や、神格化も懸念されているため、 現在も未だに公開されていません。 まとめ.
次のhtml 「 オウム真理教」の黒幕は安倍 晋三と! オウム===CIA! 晋三…事故・... このページに 2 回アクセスしています。 岸の義理の息子である は、時代のモスクワにあった オウム真理教が運営する大学の背後の黒幕だった、そしてそこはの兵器設計者たちの募集センターを務めた。 次に、第3世代の子孫である安倍 晋三は、 オウムの先端兵器技術の研究... 彼は世田谷一家... Embed. 【 も オウムと深い関係】 しかも安倍 晋三の父 はロシア日本カレッジに出資。 安倍 晋三はに勤めた時期があるが、 この時の同僚の一人が村井秀夫(後の オウム真理教幹部にして、... 安倍 晋太郎(あべ しんたろう、(13年) - (3年))は、の。 、、、、、、、、を歴任。 のの長男。 岳父にの、義理の叔父はの、次男はのである。 政界のプリンスと呼ばれ、、と並び ニューリーダーの一人に数えられて将来を嘱望された。 後にとなり、総理を確実視されるまでに至ったがそれを目前にして病死し、 悲運のプリンスと呼ばれた。 政治家として (昭和26年)、の長女・洋子と結婚し、(昭和31年)、岸がのとして入閣したのを機にを退職し、となって岸に仕えた。 が成立すると、に就任。 外相秘書官になった頃から、総選挙に出馬を考えていたが、岸も岸ののも時期尚早と反対する中、「岸に迷惑がかかるなら、妻を離縁してでも」と決意し、(昭和33年)のに、郷里の からも得て出馬、2位で初当選する(この時の総選挙では、が初当選しており、新人時代からの盟友関係が後の「安竹同盟」まで繋がった)。 (昭和38年)のでは落選し、支持母体流動化など選挙区の情勢から政界への復帰が危ぶまれていたが、二回連続落選しては復活の目途が立たなくなるため、義父である元首相および叔父である首相二人から異例の仲介が為され、同選挙区選出議員で地盤も重なる、直系の大物議員の後援会長を務めていた会の重鎮、を後援会長に迎えることによって(昭和42年)のでに返り咲いた。 このため、周東が政界引退する遠因となった。 以降、安倍は死去するまで連続当選を続け、地盤は次男のへと引き継がれた。 選挙区後援会の集会に於いては、「藤本万次郎さんは私にとってかけがえのない恩人であります」との一節を必ず演説に盛り込み、「郷土に恩を返す為にも、日本の舵取りを目指す所存であります」と締めるのが常であった。 がの岸と対岸の熊毛郡出身の藤本は、共に幼少時は「熊毛の」とうたわれ交流があったが、長じて二歳年上の岸に藤本が畏敬の念を持つ事となり、この交誼が期せずも岸の娘婿となった安倍の将来に関わることとなった。 岸、佐藤、安倍はこの功績に報いるため、(昭和43年)のでは、藤本にから公認で出馬を要請したが、藤本は辞退した。 その後の選挙区は、予定であったがを引き続き務めることとなり、(昭和49年)も再出馬。 (昭和55年)のでは、安倍が推しが後援会長を務めるに地盤をする事となったが、(昭和62年)二期目途中の江島の死去により、7月12日補選で二木の子息であるに地盤は戻り、(10年)のでは二木の地盤は後継者へ引き継がれるも落選、無所属のが当選する。 (平成16年)のでは、安倍の実子で岸家へへ入ったが当選した。 このには、の鞍替えによる(平成25年)ので江島淳の子息である元市長のが就くこととなった。 では、岸派とそれを継承したに所属し、派閥領袖であったを支え、との党内抗争「」を争った。 安倍は岸の全面的支援を背景として、福田派における世代交代の旗手と位置づけられていった。 行政面では、農林・外交・国防各部会の副部会長、農林を務めるなど、農政を得意としながら外交などでも研鑽を積む。 大蔵委員長を経て(昭和49年)、においてとして初入閣。 以後、(昭和51年)にを務め、(昭和52年)、のとなり、締結などに関与。 1978年(昭和53年)には福田の再選への流れを作るためにはが有効と考えた安倍は「解散風」を煽るが、が解散反対を公言する などして解散は頓挫。 同年暮れので福田はに敗れ、は退陣する。 (昭和54年)から(昭和56年)まで大平総裁の下でを務めるが、福田派が大平と対立する中で、それぞれ籍をおく執行部と福田派の板ばさみになる。 の際には、と党執行部の一員でありながら採決直前に福田派議員によって議場から連れ出される一幕もあった。 退任直後にでに就任。 この時期までに内閣・党の要職を次々と歴任し、総裁候補としての地歩を固めたが、当時の派閥会長であった福田が政局の節目で再登板に意欲を示したため派閥の継承は遅れる形になった。 安倍は派内の若手から支持を得ていたものの、長老たちを掌握しきれていなかったのである。 (昭和57年)、の首相退陣表明後、の支援する総裁候補に対抗すべく、福田は安倍の総裁選出馬への支持を表明。 総裁予備選開催に必要な4人の立候補者を出した上でを総理総裁とする反政権を樹立する目論見 であったが、安倍への党員の支持が伸び悩み、と思われていたにも脅かされ最下位に転落する可能性も見えた。 岸は最悪の場合、安倍の将来に関わると考え、立候補取りやめを要求したが容れられなかった。 予備選の結果は3位だったが、中曽根がを大きく上回る得票で1位につけたため、河本以下の候補は本選挙を辞退し、ここに福田派の目論見も潰えた。 中曽根は安倍に人事の相談をするなど、安倍重視の姿勢を見せる。 ではとして入閣し、連続4期務めた。 安倍は必ずしも国際派というわけでもないが、義父・の米国を生かし、韓国など諸国との外交にも尽力したこともあり、などでは「外交の安倍」という評価を受けるようになった。 一方でパフォーマンスに長けた中曽根の陰に隠れ、 外相としても新機軸を打ち出せずに終わったとも言われ、ポスト中曽根を目指して打ち出した政策である「グローバル・」も、国民世論の理解を得たとは言い難かった。 また、長きに渡って激務である外相を任されたことが、を縮めた面も否めない。 (昭和61年)、衆参同日選挙となったでが大勝し、で、安倍は党総務会長に就任。 同時に派閥会長の座もされた。 中曽根の総裁任期満了により、後継総裁候補としてが出馬するが、中曽根の巧妙な戦略とたちのひ弱さにより、結局は中曽根に指名権が握られ、世論などでは雰囲気として安倍有利とされたが、結局、中曽根は竹下を後継総裁に指名した()。 この際竹下が自分を総裁にするのに協力すれば次は安倍に譲るとを持ちかけたという説もあるが、当時彼のであった次男の晋三ら関係者は否定している。 後継総裁を逃したことで、当時安倍派の中堅議員だったが激怒し、他の議員たちの前で安倍を叱咤したという。 (昭和62年)にが成立し、安倍はに就任。 導入などでの先頭に立ち、「ポスト竹下」の最有力候補として自他共に認める存在であった。 発病・死去[] (昭和63年)、自身の秘書が(現「」)のを譲り受けていたために巻き込まれたが、その最中にが判明し、緊急入院を余儀なくされた(当時は、のほとぼりを冷ますための避難入院と見る政治もいた)。 (平成元年)5月、表向きには「結石治療」と称して手術を受けた。 (平成2年)1月にはを訪問。 総理・総裁就任に向けて、全国各地で安倍派の新人議員を擁立し、同年2月に行われたでは、自派から若手議員を大量に当選させた。 同年6月に訪米するも8月に病状が悪化し入院。 9月に予定されていた訪ソを断念したが、病身を押して初代大統領の来日に尽力、との会談を行ったがこれが安倍にとって最後の政治活動となった。 1990年(平成2年)9月に再入院した。 この際に次男の晋三から「です」と告げられた時、「ああ、やっぱりそうか」と反応しただけだったという。 1991年(平成3年)5月15日、入院先のので死去した。 67歳没。 韓国やとの関係 義父・は「」・「」()と友好的な協力関係を持っていたが、晋太郎も同じく、関連が深いとの見方がたびたび取り沙汰されていた。 「内部のシンパとしてさかんに議員に員を秘書として紹介し、ナーへの勧誘をしていた 」と言われており、には『』がと国会議員の繋がりを暴いた記事で「氏がナー等への勧誘を行っていた」と報じた(参考: より記事原文画像 )。 事実、は晋太郎を総理大臣にするべく応援 してきており、当時、竹下を後継指名した中曽根を強く非難していた。 には、息子の晋三(当時は)が「」の関連団体のイベントに祝電を寄せたことが報道され、、の代からの深い関係があるのではと見られ波紋を呼んだ。 この件に関し晋三は、「秘書が行った行為で、誤解を招く行為であった」という旨のコメントをした。 晋太郎は当時反共独裁体制だった韓国政界と太いパイプを持っていたので、親韓派と言われることが多い。 晋太郎の福岡事務所が入っていたビルは事業で成功を収めたの実業家の経営する本社のビルであり、末には、その実業家との癒着に疑惑がもたれたこともあった。 「」の教祖、は「日本の今度の選挙だけでも、私たちが推してあげたのが百八当選した。 」、「派閥で見れば、中曽根派は六十二にもなって、安倍派は八十三。 私が全部そういうふうに作ってあげた。 」と述べている(韓国の『』機関紙『統一世界』1990年4月号).
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