概要 [ ] に、ルノー車の輸入・販売などを行うことを目的に、日本におけるルノーの100年近い歴史上初のルノーの地域統括本部直轄の日本法人として、 ルノー・ジャポン株式会社 RENAULT JAPON K. が設立された。 その後はフランス本社と、に置かれていたアジア太平洋統括本部の支援の元で、国内のディーラー網やアフターサービス網の整備、モータースポーツ活動と結びつけたブランディングや、(MT)仕様や右ハンドル車の積極的な導入を含む様々な活動が行われた。 その後4月1日に、同年2月に行われたルノーの中期経営方針計画の発表を受け、同年内に日本法人を清算し、(ルノーの子会社である日産自動車の輸出入業務などを行う商社)にルノー・ジャポンの業務を移管することが発表され、11月1日をもって日産トレーデイングと合併(「 ルノー・ジャポン」の名称は存続)。 4月2日より、日産自動車の完全子会社の 「ルノー・ジャポン株式会社」 RENAULT JAPON CO. ,LTD. として事業分割することを新車発表会の席で発表。 ルノーの子会社の日産の傘下という立場ながら再び独立法人化し、同時に日本法人設立時の社名に戻った。 日本法人設立後は販売台数が増加を続け、2005年には年間2,000台を超え、そのあとは上記のような経営体制の変化の影響もあり足踏みがあったものの、2013年には前年比21. 2015年の販売台数は5000台を超え、5082台を記録。 これは、ルノーが日本に上陸して以来最も多い年間販売台数であると同時に、6年連続で前年比の販売記録更新でもある。 10月、車の日本進出のためにビジネスユニット「アルピーヌ・ジャポン」を設立。 2018年6月22日、新型アルピーヌA110の発売を開始した。 現在の本社所在地は、代表はルノーのの出身の大極司(だいごく つかさ)。 日産との併売ディーラーを含む全国に70店舗近いディーラー網を構築し、各種マーケティング活動を行い、3年間6万kmの新車保証、車両の応急修理、牽引、ドライバーと同乗者の移動、宿泊の手配などを24時間365日で行う「ルノー・アシスタンスサービス」の提供などのサービス展開を行っている。 マーケティング戦略 [ ] 2006年に当時のアジア太平洋地域統括本部のマーケティング本部が発表した、日本を含む同地域の中長期マーケティング戦略(Frencehness、Safety、Sports)を受けて、日本市場の現状に合わせて、「FTS」(French touch、Trendy、Sports)とした。 その後は、ルノー車オーナーとのふれあいを目的としたイベント(「ジャンボリー」「ジャンボリー」等)や限定車の発売などを精力的に行っている。 また、この中長期マーケティング戦略を受けて、ルノーの一つの柱であるを波及させるべく「ルノースポールモデルを積極的に採り入れることで日本市場におけるルノーブランドを極め、お客様と共に車を楽しんでいきたい」と大極は語っている。 実際に、他のヨーロッパメーカーの販売車種と比べ、やの設定比率が高い事が特徴である。 また、ルノー・スポールを除いた多くの車種で「ZEN(ゼン、のに由来)」「INTENS(インテンス)」などフランス本国と同じグレード名を採用し、ボディカラーにフランス語を用いるなどして、フレンチテイストに盛り込んでいる。 その効果もあってか、2010年12月に限定30台で発売した・ゴルディーニ・ルノースポールは即日に、2011年に発売した・コレクションや・・(いずれも限定30台)、2012年に発売したメガーヌ・エステートGT(限定60台)は早期に完売となった。 また、2014年12月に発表し、2015年2月から発売開始予定だった2人乗りのスペシャリティモデル、メガーヌ・ルノー・スポール・トロフィ-R(60台)、そして2016年7月に発表し、9月から発売予定だった・パックスポールならびに5S(各50台)に至っては、いずれもが発売開始前の予約で程なくして予定限定台数全てが完売するほどの人気となった。 ブランドメッセージ [ ] の 「Vis Tes Passions(ヴィ・デ・パッション)」(=直訳すると「あなたの情熱を送ってください」)を日本流に解釈した 「好きを、走れ。 」だが、この言葉には「好きなことをやろうよ。 我慢していないで大好きなことをやっていこうよ」という意味を込めている。 2015年6月からは、公式サイトを他国同様の新 「RENAULT -Passion for life-」に変更したことで「Vis Tes Passions」のメッセージは消滅したが、日本語の「好きを、走れ。 」については継続採用する。 販売車種 [ ] コレオス 現在販売されている車種 [ ]• Scenic• セニック RX4 Scenic RX4• Laguna• Safrane• Avantime• Spider• カングー・ビボップ (Kangoo BE POP)• Wind• ウインド ゴルディーニ Wind GORDINI• Koleos - ルノージャポンのラインアップで唯一の生産車種• クリオ・ルノースポール• ゴルディーニ• ルノースポール• ルノースポール ジョン プレミアム• ルノースポール トロフィー• クリオ• イニシアル・パリ• エクスプレッションMT• フレンチクールリミテッド• クレール• ガナッシュ• リミテッド• S MT• コレオス• エディション リミテ ブランシュ• エディション• キャプチャー• ファースト アニバーサリー エディション• プラスナビ• (2015、2016、2017年)• ジーンズ• プレミアム• エクスプレッション• メガーヌ• エディション フィナル• メガーヌ ルノースポール• モナコGP• メガーヌ・ルノースポール トロフィ• トロフィ2• トロフィ-S〈LHD〉• レッドブル・レーシングRB7• レッドブル・レーシング• カップ-S• 273 ファイナルエディション• パックスポール• カップ• メガーヌ・エステート• カングー• クルール(より、を除いて毎年設定される)• ペイサージュ(2014年、2015年)• カングー・コンフィテュール• ビボップ(日本)発売記念モデル• カングー・ショコラ• ラ ポスト• オーセンティック• ウィズ・ペット• アン プロヴァンス• S MT• ルノースポール Twingo RENAULT Sport GORDINI• ルノースポール• ルノースポール カップ• トゥインゴ パック スポール• カジャー• BOSE ディーラー網 [ ] 新車販売・メンテナンスを行う「サテライト」店と、メンテナンスのみ行う「サービスサテライト」店に分かれている。 更にその内25箇所は、全モデルの試乗車および専門研修を受けたスタッフが配備されている「ルノー・スポール スペシャリストディーラー」となっている。 また、70カ所ある販売店の内、14カ所(さいたま桜、所沢、東京有明など)は、アルピーヌ車との併売店舗となっている。 なお、はサービスサテライトのみの設置であり、・・・・の5県は両方ともない。 ルノー 東京有明(株式会社東京ベイが管轄)などごく一部の独立系を除き、サテライトの多くが日産自動車のディーラー系列や外車の取扱い経験のあるディーラーで、前者は日産車との併売もしくは日産車ディーラーの至近距離に店舗を構えることも多い(東京都を例にとると、・・・・稲城の各サテライトは()グループのルノーNT販売が管理。 東京有明は上述の東京ベイ。 (かつて存在していたは地場企業のスペス・ラノバ 、はが管理していた )。 また、日産ディーラーだった場所を改装してサテライトにした例(ルノー 厚木インター、ルノー 柏、ルノー 練馬、ルノー稲城 など)や日産ディーラーの販社拠点名をそのまま使うサテライト(ルノー )も存在する。 脚注 [ ] []• Car Watch. 2012年3月29日. 2012年3月31日閲覧。 2014年1月10日• 2015年1月11日(2015年1月26日 閲覧)• 2016年1月8日• Response 2010年3月1日(2012年3月30日 閲覧)• 2011年9月号 P41-42• 2012年7月12日(2012年7月19日 閲覧)• 2015年6月29日(2015年7月9日 閲覧)• 香川県は、かつてが「ルノーアルティス高松」を運営していたが閉店しており、空白地帯になっていた。 販売網に参加し車の正規ディーラー「フォード東四国・ルート11号店」を運営していたが、フォードの日本撤退に伴い、新たにルノーのディーラー権を取得した。 なお、フォード車のアフターサービスも同店で継続する。 長野県の工作機械部品メーカー「アルプスツール」の関連会社。 廃業後のスペス・ラノバは、において開始の命令を受け、清算決了後同年にて法人格が消滅した。 太洋日産の営業権譲渡・解散に伴い、ルノー墨田は2015年6月で閉店。 但し、東京日産墨田菊川店に改装後もサービスサテライトとして機能する。 関連項目 [ ]• (かつての子会社。 この会社から業務継承)• 外部リンク [ ]• (英語)•
次の日本ではなかなかメジャーな存在になりきれないルノー。 そんな状況を打破するために、新生ルノー・ジャポンはどのような策を考えているのか。 ルノー・ユーザーのひとりとして見ると、日本の自動車メーカーがバックにつくのは心強い反面、多くの販売店が日産車との併売という現状は、ブランドイメージを確立する点ではマイナスに思えるのだが。 「これまでも、物流などの分野では協力体制にありましたが、今後はサービスやパーツなどの分野でも、日産とのシステムの一元化を進め、効率化を図っていくつもりです。 ただし販売店では、いたずらに数を増やすことよりも、ルノーを売りたいという熱意のあるディーラーを育てていきたい。 日産車との併売ではない、専売店を増やしていくことも目標としています」 新体制になって早くも変わったことがある。 『あなたに素敵と快適を。 Myフレンチスタイル・ルノー』という新しいスローガンを掲げたことだ。 これは、フランスのクルマ、日々の生活を彩るクルマであることを前面に押し出していきたいという方針の現れといえる。 そんな新生ルノー・ジャポンの今後についてもうかがってみた。 「今年の後半は、新型ルーテシアにルノースポール(RS)を追加し、メガーヌのマイナーチェンジをハッチバックから順に行っていきます。 その後もラインナップの拡充を積極的に行っていくつもりで、たとえば現在は販売を中止しているトゥインゴを、新型への移行を機に再投入することなどを考えています。 そして2009年までに販売台数5000台、ネットワーク90店舗を目指します」 今回のニュースを最初に聞いたとき、ニッポンのルノーの将来に不安を抱かなかったといえば嘘になる。 しかし今回、徳山氏に直接話をうかがうことで、日産への移管はむしろいい結果をもたらすのではないかという気がしてきた。 日本を知り尽くした会社をバックにつけ、外国車を扱うエキスパートが率いる新生ルノー・ジャポン。 ジャーナリストとして、そしてユーザーとして、今後の動きを期待しつつ見守っていきたい。 photo 人物 :篠原晃一 リンク ガイド記事: ガイド記事: おすすめリンク: おすすめリンク:.
次のこの項目では、自動車メーカーについて説明しています。 F1のコンストラクターについては「」を、その他の用法については「」をご覧ください。 ルノー Renault S. 市場情報 : 本社所在地 、ケ ル・ガロ13-15 設立 輸送用機器 事業内容 代表者 ジャン=ドミニク・スナール ) クロチルド・デルボス(CEO) 資本金 24,567 Million Euro (2011年12月31日時点) 売上高 連結:42,628 Million Euro (2011年12月期) 営業利益 連結:1,244 Million Euro (2011年12月期) 純利益 連結:2,139 Million Euro (2011年12月期) 総資産 連結:72,934 Million Euro (2011年12月末時点) 従業員数 128,000人 (2011年12月末時点) 決算期 主要株主 19. 現在はおもに中小のや商用車を手がける。 過去には商用車専門の子会社ので大型や軍用車両の生産、前はやも生産していた。 1970年代以降、と並んでフランスの二大自動車企業の一角を占め、先進的なデザインと優れた安全性能、高品質が高い評価を受け、以降まで連続で第1位の販売台数を維持した。 現在、の、の、のの株式を保有し、これらを傘下に収めている。 またのとお互いの株式を持ち合い名目上は対等の「」 を構成しているが、日産はフランスの国内法の制限によりを行使できないため、ルノーが事実上傘下に収めている。 これらの傘下に収めたグループ企業を含めると、度の新車販売台数の実績では、日本のを抜いて、のとのに次いで世界第3位の規模の会社となる。 安全への取り組み [ ] クリオ・ルノースポール 市販車で初の四輪採用など、古くから安全性の向上に力を入れている。 近年では、運転中の危険回避を補助するESP(エレクトロニック・スタビリティー・プログラム)を積極的に採用するほか、世界でもっとも高い権威を持つ自動車衝突安全性テスト「」において、2006年現在で8車種(、、、メガーヌ・グラスルーフ・、、、、、)が5つ星の評価を得ており、これは世界の自動車会社中最多を誇る。 歴代会長 [ ] 氏名 在任期間 初代 ルイ・シュバイツァー 1992年 月 - 年 月 2代 年 月 - 2019年1月 3代 ジャン=ドミニク・スナール 2019年1月 - 歴代CEO [ ] 氏名 在任期間 初代 ルイ・シュバイツァー 1992年 月 - 2005年 月 2代 2005年 月 - 2019年1月 3代 ティエリー・ボロレ 2019年1月 - 2019年10月 暫定 クロチルド・デルボス 会社概要 [ ] ルイらルノー兄弟 本社• フランス、ブローニュ=ビヤンクール 設立• 1898年 設立者• 経営陣• 最高経営責任者 - ティエリー・ボロレ(1月 - )• 取締役会長 - (、)(1月 - ) 従業員数• 300,217人(傘下のルノーサムスン自動車、ダチア、日産自動車を含む) 生産台数• 852万台- 度世界第4位(子会社のルノーサムスン自動車、ダチア、日産、インフィニティブランドを含む。 日産・インフィニティを除くと280万1,592台。 世界第13位) 純利益• - ルイ・ルノーによってルノー・フレール設立。 - 「ヴォワチュレット」発表。 - 日本への輸出を開始。 - のに初の海外工場を建設。 - 株式会社化され、ソシエテ・アノニム・デ・ユジーヌ・ルノー(ルノー工場株式会社)となる。 - ()を買収し製造に乗り出す。 - 第二次世界大戦におけるのフランス占領により工場が接収される。 - ルイ・ルノー死去。 - 終結後、の行政命令で国営化され「ルノー公団」になる。 - で「」がクラス優勝。 - と提携開始。 - チューナーのを買収。 - チューナーのを買収。 - 世界選手権に参戦を開始。 - アメリカ第4の自動車会社であるを買収。 - ()会長が「」に暗殺される。 - アメリカン・モーターズをに売却。 - の自動車会社・との合併を発表するが、その後白紙撤回する。 - 完全民営化達成。 - と資本提携を行い、同社を事実上の傘下におさめる。 - を傘下におさめ、韓国にて「ルノーサムスン自動車」を発足させる。 - F1世界選手権でコンストラクターズ、ドライバーズの両タイトルを獲得。 - 2年連続でF1世界選手権のコンストラクターズ、ドライバーズの両タイトルを獲得。 4月 - ドイツ・ダイムラーとの業務提携を発表。 - とパートナーシップを結び、2021年から車両にカスタマイズした オペレーティングシステムを搭載することを発表した。 新しいシステムではで車両診断に加えてや、などを利用でき、デバイスとも互換性がある。 2018年 - は、カルロス・ゴーン日産自動車代表取締役会長を違反(の虚偽記載)容疑でした。 ゴーンの逮捕を受けてルノーは、同月20日に暫定的なCEO代行にCOOをあてる人事を決定する一方、ゴーンの会長兼CEO職の解任は見送った。 歴史 [ ] ヴォワチュレット [ ] ヴォワチュレットを運転するルイ・ルノー フランスのパリ郊外に住む若いアマチュア技術者であったルイ・ルノーは、にド・ディオン・ブートン3輪車を4輪式に改造する取り組みの過程で、現在のプロペラシャフト式フロントエンジン・リアドライブ方式(FR)の原型である「ダイレクト・ドライブ・システム」を発明した。 この斬新な機構でルイ・ルノーは1899年にフランスを取得、ほどなくフランス中の自動車会社に模倣されることとなり、に特許が切れるまでの間に当時の金額で数百万を越える莫大な特許料がルノーに転がり込んだ。 にはこの機構を搭載した小型自動車「 ヴォワチュレット」( Voiturette )を市販し、商業的成功を収めたことを受け、ルイは兄のマルセル、フェルナンとともに同年10月に「ルノー・フレール」社(ルノー兄弟社)を設立した。 その後は事業規模の拡大に合わせ、にはフランス国内に120店舗の販売代理店網を構えるなど、事業基盤を強固なものにする。 先進諸国のモータリゼーションの拡大により、や、など諸外国への輸出も開始したほか、に工場を建設するなど急激にその生産台数を伸ばした。 生産規模の拡大 [ ] FT-17軽戦車 1900年代以降は、小型車を中心とする量産政策によって生産規模が拡大したことから、先に創業されたなどを追い抜きフランスで最大の自動車製造会社となった。 前後にはなどのや、などの軍用車両や、飛行機および航空用エンジン、さらには小型船の開発・生産を行うなど、その事業範囲を拡大した。 また、このころから日本や、などへ販売代理店を通じて本格的な輸出を開始したほか、での生産を開始するなど、世界各国へ積極的に進出した。 なお1900年代から1930年代初頭までのルノーは、エンジンの直後にラジエーターを置く独特の方式をとっており、前頭部に他社のような垂直のラジエーターグリルがない、変わった形態が特徴であった。 これはウォーターポンプによる冷却水の強制循環機構に信頼を持てなかったルイ・ルノーが、温度差を利用する古典的な自然循環ラジエーター(サーモ・サイフォン方式)に長くこだわってラジエーター位置を制約した結果で、冷却機構の直接のトラブルは減ったが、客室内に熱が多く伝わり、また冷却水量も多く要するなど、効率面では決して有利な手法ではなかった。 1930年代末期に至るまで、ルノー車の多くはサーモ・サイフォン式冷却機構で生産され続け、また動弁機構もほとんど一貫して効率の悪い式のままだった。 マルヌのタクシー [ ] パリの辻馬車会社は、フランスにおける自動車の普及を見て1905年からいち早く自動車化()へのシフトを開始した。 ルノーが1905年当時生産していた最小モデルの2気筒1060cc車「8CV」がタクシー用車種に選定され、のべ1,500台に達するオーダーが入った。 これにより、1900年代後期には小型のルノー・タクシー多数がパリ市街を往来するようになった。 第一次世界大戦が勃発してから間もない9月初旬、はフランス領内に侵攻し、パリにほど近いまで到達した。 ここでドイツ軍を止めようとするとの間で「」と呼ばれる凄絶な激戦が展開されたが、防衛するフランス側は当初形勢不利であった。 鉄道輸送だけでは前線への兵士の増援が足りなかった。 として首都防衛にあたっていた将軍は、ここでかつてない奇策を打ち出した。 パリ市内を走るタクシーを緊急に大量チャーターし、兵員輸送に充てることにしたのである。 動員に応じ、600台ものルノー・タクシーがドライバーとともに集結した。 9月7日深夜、完全武装のフランス軍兵士5名ずつを載せ、ヘッドライトを消したタクシーの車列がパリ - マルヌ間を2往復した。 結果、一夜にして6,000人の兵士がフランス側前線に増援され、ドイツ軍の猛攻は食い止められた。 この「ルノーのタクシーの働きでパリが守られた」という逸話によって、その後パリを走るルノーのタクシーは「 マルヌのタクシー」( Taxi de la Marne )と呼ばれることになった。 自動車の軍事的重要性を世に知らしめたエピソードのひとつである。 両大戦の狭間 [ ] NN(1926年) 第一次世界大戦の終戦後にはルノーをめぐる情勢にも変化が生じる。 戦闘用車両や武器生産という特需がなくなったうえ、やドイツなどからの輸入車の増加によりフランス国内の販売競争が急激に激化した。 また競合メーカーのプジョーや後発メーカーのシトロエンなどが、生産車種を減らして量産効果を追求する手法で急速に追い上げをかけてきたのに対し、ルノーは下の厳しい経済事情にあっても、4気筒小型大衆車から巨大な8気筒高級車に至るまでの多様なボディバリエーションを伴う多車種少量生産を継続し、1930年代にはその地位をフランス第3位に後退させた。 さらに老年に達したルイ・ルノーは保守的な設計思想に傾くようになり、1920年代末期に至っても第一次大戦直前レベルから大差のない、古典化したレイアウトの低効率なモデルがラインナップの多数を占めた。 機械式ブレーキサーボだけは早くから導入したが、当時導入が急速に進んだ独立懸架も油圧ブレーキも、ルノーへの導入は競合他社に比べて大きく遅れた。 製品の品質こそ優れていたものの、業界をリードする製品を作るメーカーではなくなっていた。 それでも老舗メーカーとしての信用は厚く、高級車分野では当時フランスに多数存在した高級車専門メーカーにも劣らぬステータスを誇った。 6気筒9. 1Lの「40CV」(原型は1913年発表で7. 5L、1919年型で排気量拡大)とその後継車である8気筒7. 1L「レナステラ」(1928年)、8気筒5. 5L「ネルヴァステラ」(1934年)といった巨大な高級モデルは、フランスの大統領専用車として1910年代から1930年代に一貫して用いられた。 ラジエーターもようやく1930年前後からノーズ最先端配置となり(しかし相変わらずポンプなしのサーモ・サイフォン式であった)、ブレーキサーボの装備も行われた。 ルノーにようやくモダンな設計手法が取り入れられたのは1937年発表の1,000cc級小型大衆車「ジュヴァキャトル」で、モノコック構造とウィッシュボーン式の前輪独立懸架を採用、全体的には1935年に発表されたドイツのの亜流ともいうべきコンセプトではあったが、1939年までに3万台近くを売り上げるヒットとなった。 しかし、その先進性が他のモデルに波及する以前に、ルノー社は危機的事態を迎える。 第二次世界大戦 [ ] ジュヴァキャトル(1937年 - 1960年) に勃発したにおいて、戦争への準備がほとんど整っていなかったフランスは緒戦から敗北に次ぐ敗北を重ねた。 6月にはがパリを占領し、まもなくフランス全土はドイツの占領下に入ってしまう。 この事態を受け、ルイ・ルノーは工場と従業員を守るために、やむなくドイツの占領軍とその傀儡政権・に協力することになった。 しかしその結果、ルイ・ルノーはの軍によるフランス解放後に対独協力者として逮捕され、同年10月、失意のうちに獄中で病死した。 一説には対独協力者として憎まれ、獄中で虐待・暴行を受けた結果の死とも伝わる。 なお、大戦中のからにかけて主力工場のひとつであるビヤンクール工場がアメリカ・イギリス両軍の爆撃を受けて深刻な被害を受けたほか、戦争によるの破壊により、生産設備や販売網が壊滅的な打撃を受けている。 国営化 [ ] 第二次世界大戦中に創業者の死と生産設備の破壊という苦難に陥ったルノーは、大戦終結後のに、大戦中の・の指導者で、新たにフランスの指導者となった将軍(のちの)の行政命令により国営化のうえ、「ルノー公団( Regie Nationale des Usines Renault )」に改組され、エンジニア出身のピエール・ルフォシューの指揮のもとで戦禍により破壊された生産設備や販売網の復興を進めると同時に、戦前から行われていた新型車の開発を続行することとなる。 4CVの成功 [ ] 4CV(1946年 - 1961年) フランスは戦勝国となったものの、連合軍の度重なる空襲を受け各地の工場施設が破壊されていただけでなく、工場を稼動させるためのインフラの整備や資材の調達にも事欠く状況であったが、従業員の士気は高く、終戦後わずか1年しか経っていないので、フェルナン・ピカール技師 が戦時中から開発を進めていた小型車「」を発表し、翌年から発売した。 4CVは廉価かつ経済的であったうえ、当時としては優れた走行性能を備えていたことから、大衆ユーザーの広範な支持を受けた。 戦後のヨーロッパにおいてベストセラーとなったほか、アメリカでも多くが販売された。 その結果、までの間に110万5,547台が生産され、フランスで初めて100万台を超えて生産された車種になった。 日本でもがから「 日野ルノー」の名でライセンス生産し、その多くがタクシーとして使用されたことから、一躍日本中にルノーの名が広まった。 また、ミニマムな小型車でありながらル・マン24時間レースやなどの国際レースでも活躍するなど、4CVは第二次世界大戦後のルノー復興の立役者となった。 小型車 [ ] 4(1961年 - 1993年) 第二次世界大戦後の復興期における「」の大ヒット以後、ルノーは特に小型車の分野において実績を上げた。 2月に死去したピエール・ルフォシューの後を継いだピエール・ドレフュス総裁指揮のもと、「4CV」の系譜を引く「5CVドーフィン」や「8」などのリアエンジン小型車に続いて以降は「」や「6」などの前輪駆動()方式の小型車を多数送り出した。 特に「4」の大ヒットは、当時行ったアメリカ進出の失敗により苦境に陥った経営を助けることになった。 他にも「カラベル」や「フロリド」などのスポーツタイプの車種にバリエーションを広げたほか、のを受賞した「16」や、「12」などの比較的収益性の高い中型車もヒットさせ、これらの相次ぐヒットによりヨーロッパ有数の自動車メーカーとしての地位を不動のものとした。 先進技術の導入 [ ] 5(1972年 - 1984年) フランスの多くの自動車会社の例に漏れず、ルノーも古くから技術的、デザイン的なチャレンジに対して積極的である。 に発表されたリアエンジンの小型車「8」には、大量生産車として世界初の4輪ディスク・ブレーキを採用するなど、当時の最新技術を惜しげなく導入し高い評価を受けた。 その後に発売された「16」は、世界初のハッチバックスタイルを持つ中型車としてヨーロッパ中でヒットし、までの長きにわたり生産された。 に発売されたFF駆動方式のハッチバック小型車である「」とその後継の「シュペール5」(発売)は、その先進的なデザインと高い実用性、経済性が広く受け入れられて、ヨーロッパだけでなく世界中で大ベストセラーとなった。 またこのモデルは量産市販車としてはもっとも早い時期に樹脂製の前後バンパーを採用している。 にはに世界で初めて赤外線リモコン操作による施錠装置(キーレスエントリー)を採用している。 ただし、こちらは運転席ドアハンドル付近にあるキーパッドに暗証番号を入力する方式である。 ) 「モノスペース・コンセプト」 [ ] エスパス(初代、1984年 - 1992年) また、に発売された、ヨーロッパの自動車メーカーとしては最初の本格的「」は、その未来的で斬新なデザインと実用的で広々とした室内スペース、高い経済性がフランスやイギリス、をはじめとするヨーロッパの消費者に受け入れられて大ヒットモデルとなった。 エスパスがヒットしたことでヨーロッパ中でミニバンブームを巻き起こし、ヨーロッパの多くの自動車メーカーがそのコンセプト(ルノーでは「モノスパッセ・コンセプト」と呼んでいる)を模倣することとなった。 なお、その後もルノーはエスパスの後継モデルをヒットさせているほか、セニックなどのミニバンのヒット作を出している。 アメリカン・モーターズ買収 [ ] 21 "ネヴァダ"(1986年 - 1994年) には、スケールメリットとアメリカ市場への本格的進出を狙い、初頭から提携関係にあったアメリカ第4位の自動車会社、(AMC)を買収し、「5」(アメリカ仕様は「ル・カー」の名で販売され、フランス国内でも一時期同名で販売された)や、のヨーロッパ・カー・オブ・ザ・イヤー受賞車でもある「9」(同「アライアンス」)、「11」(同「アンコール」)、「フエゴ」などの複数のモデルを擁し、1950年代後半の撤退から10数年を経て再度市場に本格的に参入した。 アメリカン・モーターズの販売網を使ってアメリカと全土で大々的に発売を開始したものの、先に参入していた日本車やアメリカ製小型車との競争で苦戦したうえに、ルノー本体の経営不振もあり、最終的にに当時のにアメリカン・モーターズを売却し北アメリカ市場から撤退した。 なお、アメリカン・モーターズの売却後もクライスラーとの提携に基づき、までクライスラー()ブランドで「21」などのルノー車の販売が継続された。 民営化 [ ] サフラン(1992年 - 1999年) には、アメリカ進出失敗などによる財政再建への打開策の一環として、民営化に向けた舵取りを取っていた当時の会長のジョルジュ・ベスが、パリの自宅の玄関前で集団のに暗殺されるという悲劇が起きた。 その後、ベスの後を継いで会長に就任したレイモン・レヴィとルイ・シュヴァイツァーの指揮のもと、スケールメリットを狙って2月にの大手自動車メーカーであると業務・資本提携することを決定し、これを機会に第二次世界大戦直後から45年間続いた公団体制からに改組された。 また、同9月にはボルボとの完全合併案が発表されたが、フランス政府の干渉にボルボ側の経営陣や株主、従業員などが態度を硬化したことにより交渉が決裂し、同年12月には合併が正式に撤回された。 ボルボとの合併案は撤回されたものの、その後もフランス政府は株式を売却し続け、会長の暗殺やの反対という困難を乗り切ってには完全民営化を果たした。 日産自動車を事実上の傘下に [ ] に、当時深刻な経営危機下にあった日本第2位の自動車会社である日産自動車を事実上の傘下に収めることが発表された。 その後、同社と相互に資本提携し、ルノーが日産自動車の株を44. 当時のであるルイ・シュヴァイツァーによって日産自動車のとして送り込まれた副社長のとそのチームが、同年10月に発表された「日産リバイバルプラン」計画のもと、にあるやの京都工場(当時。 現・)などの余剰な生産拠点の閉鎖や余剰資産の売却、余剰人員の削減、子会社の統廃合や取引先の統合によるコスト削減や車種ラインナップの見直しなどのリストラを行うと同時に、新車種の投入や国内外の販売網の再構築、インテリアおよびエクステリアデザインの刷新やイメージの一新などの大幅なテコ入れを敢行した。 当初は両社の文化的土壌の違いやラインナップの重複、日産自動車の負債の大きさなどを理由に、同業他社やアナリストをはじめとする多くの専門家がその行く先を危惧した。 しかし、最終的には提携前のには約2兆円あった日産自動車の有利子負債を6月に返済し終え、再建を成し遂げた。 ルノー・日産アライアンス [ ] (かつて北米で販売されていた小型車である「ルノー・アライアンス」については「」、および「」を参照) 両社の間で言葉通りのアライアンス関係を構築し、やエンジン、トランスミッションなどの部品の共通化、購買の共同化などを通じてコストダウンを図っているほか、などいくつかの国ではルノーの車を日産ブランドで販売したり(OEM供給)、その逆を行うなど、アライアンスの内容は多岐にわたっている。 その後、5月に日産自動車の兼を務めていたカルロス・ゴーンが、公団時代のより13年間の長きに渡りを務めたルイ・シュヴァイツァーに代わり、ルノーの9代目の社長兼最高経営責任者(PDG)に就任し(日産の社長兼CEOも兼務)、それを受けシュヴァイツァーはに就任(2010年に退任)した。 近年ではや市場を中心とした、などでの売り上げが伸びている。 2005年11月には、ヨーロッパでもっとも権威のある自動車賞である「2006年」を発売されたばかりのクリオが受賞した。 なお、ルノーにとって同賞を受賞するのはのメガーヌ以来3年ぶり6度目、クリオとしては以来2度目で、同車種が2度同賞を受賞するのは史上初のことである。 この計画の中には、2009年までにルノー初のを含む26車種の新型車の投入が含まれ、2007年内だけで初の本格的SUVであるコレオスやラグナ3、カングー2が新たに投入された。 2008年には、までに複数のルノーブランドの(EV)を市場投入することも発表されたが、これに先立つには、複数の幹部が電気自動車関連の機密情報を中華人民共和国の企業に漏えいさせたとして解雇される騒動が起きた。 2013年には、それまでのパトリック・ルケモンに代わって、のデザイン本部長から転籍したが初めて指揮を執った、ルノーとしてはコレオスに次ぐであるが登場した。 2016年、傘下の日産自動車がの筆頭株主となったことを受け、当社のカルロス・ゴーン取締役会長兼CEO(PDG)が同社の会長に就任した。 ルノー・日産アライアンスの一員として三菱自動車との今後の協業拡大が検討されている。 2020年前半、世界的なの感染拡大により顕著な景気減退に直面。 4月に予定されていたを6月19日に延期することを発表した。 開発・生産・販売 [ ] 研究開発 [ ] 総合研究所()はパリの南西郊外ののそばのにあり、150ヘクタールの敷地に、42万5,000平方メートルの建物がある。 1998年に開設され、2010年現在1,100人が働いている。 生産拠点 [ ] ルーマニアから輸出されるダチア・ロガン 2017年現在、ルノー本体としては本国フランスのほかに、、()、、、、、など世界各国に生産拠点を持つほか、や、、、、で組み立て(ノックダウン)生産を行っている。 さらにではとのである東風ルノーを立ち上げ、現地生産している。 また日産自動車やの、ルーマニアのなどの傘下企業が各国に生産拠点を持っており、生産と販売を行っている。 特にルノーサムスンにおいては(韓国国内においては)と(同)を全量生産・輸出するなど、近年、ルノーグループのアジアにおけるハブ的な役割を果たしている。 アジア太平洋地域 [ ] アジア太平洋地域においては、に本部を置く(まではのに本部が置かれていた)アジア太平洋地域統括本部の指揮下で日本、、中華人民共和国、、シンガポール、マレーシア、、、、と、フランス領および海外県のとの合計12の国と地域で販売しているほか、マレーシアではタンチョンとの提携を行いカングーのノックダウン生産を行い、近隣諸国への輸出も行っている。 なお、オーストラリアでは1995年にフランスがで行ったの影響でルノー車が売れなくなり、翌1996年から輸入・販売を中止。 その後、傘下においた日産自動車の支援を得て2001年に輸入・販売を再開した。 日本での販売 [ ] 日本市場参入 [ ] 日野・ルノー4CV 後の(43年)に、に本社を置く・水嶋商会を販売代理店として正式に日本市場に参入した。 またには中外ルノーという会社が輸入業務を行っていた時期があった。 その後、(28年)から(昭和38年)まで、が「」(日野ルノー)をライセンス生産し、多数がタクシーとして使用されたことから「亀の子ルノー」と呼ばれて大衆にも親しまれ、ルノーの名は日本全国に広まった。 相次ぐインポーター変更 [ ] その後、(昭和52年)にグループのが輸入権を獲得し、などを輸入した。 (昭和58年)にはなどを輸入していた「」も加わり、輸入権は2社体制となった。 (昭和61年)には当時車を輸入していた「(JAX)」 が輸入権を獲得したが、(3年)にドイツのがの販売撤退で穴があいた東京地区のディーラー網を獲得するためにJAXを買収したため、ルノーの輸入は宙に浮くこととなる。 (平成5年)には、独立系インポーター最大手(当時)のヤナセが子会社「」を設立したが、競合車種の多いとの兼ね合いでディーラー網を別々に作らなければならず、またなどの利幅の少ない低価格車に人気が集中したことから、結果的に、親会社であるヤナセの経営を圧迫する原因にもなってしまった。 このようにインポーターが次々と変わった結果、既存のオーナーに対して満足なを行うことができなくなったばかりか、新規顧客獲得のための継続的な活動もできない状態に陥ってしまった。 その後、ルノー本社のリストラが行われたことを受けて、同社は(平成19年)に日産自動車の子会社である「日産トレーディング」に業務移管され、同社の一部門とされた。 なお、その後も「ルノー・ジャポン」のブランドは継続して使用された。 その後、ルノー車の販売実績が上向きになり始めてきたことからルノー・ジャポンを再分離させることとなり、(平成24年)より日産自動車の完全子会社として「ルノー・ジャポン株式会社(RENAULT JAPON CO. ,LTD. )」が再スタートすることとなった。 車種一覧 [ ] 現在生産されている車種 [ ] (バス・トラックなどの商用車を生産しているの車種は除く) アラスカン• シティコミューターであるトゥイジーを除いた、ルノーの最小車種。 日本国内へ正規輸入はされていない。 子会社のダチアの車種だが、、などいくつかの国ではルノーのブランドで販売されている。 ボディタイプは4ドアセダン、ステーションワゴン(ロガンMCV)、バン、ピックアップ。 日本国内へ正規輸入はされていない。 こちらもダチアの車種だが、ロシア、ブラジルなどいくつかの国ではルノーのブランドで販売されている。 ボディタイプは5ドアハッチバック。 日本国内へ正規輸入はされていない。 こちらもダチアの車種だが、、などいくつか国ではルノーのブランドで販売されている。 ボディタイプは4・5ドア、バン、ピックアップ。 日本国内へ正規輸入はされていない。 こちらもダチアの車種だが、ロシア、ブラジル、などいくつかの国ではルノーのブランドで販売されている。 ボディタイプは5ドア。 日本国内へ正規輸入はされていない。 こちらもダチアの車種だが、ロシア、ブラジル、インドなどいくつかの国ではルノーのブランドで販売されている。 ボディタイプは5ドア、4ドアピックアップ(ダスターオロチ)。 日本国内へ正規輸入はされていない。 ボディタイプは5ドアハッチバック。 日本への導入は2016年(平成28年)7月から。 シュペール5の後継。 従来モデルについてはの名で販売されている国もある。 ボディタイプは5ドアハッチバックとステーションワゴン(エステート)。 をベースとしたコンパクト。 韓国市場においてはの名で販売している。 日本国内では(平成26年)2月27日より発売。 「カングー」の後継モデル。 のカングー・エクスプレス( Kangoo Express )にはロングの「マキシ」とショートWBの「コンパクト」もあり、コンパクトの乗用派生車種として「BE POP(ビボップ)」もある。 カングーにはとして日産・キュビスター( KUBISTAR )が存在した(はキュビスターの後継車種)。 2に関しては日本国内へは標準仕様とビボップが正規輸入され、コンパクトも並行輸入車として入っている。 「19」の後継。 初代は「19」のシャーシを使っていた。 ホディタイプは、3ドアと5ドアハッチバック、4ドアセダン、ステーションワゴン、グラスルーフ、(本国での呼称はクーペカブリオレ)、バージョンがある。 メガーヌセダン後継。 傘下であるのと共通のボディとメカニズムを有する4ドアセダンである。 生産は基本的にのが担当。 日本国内へ正規輸入はされていない。 ルノーにおける最高級車種であり、事実上のである。 韓国市場のみで販売されるは兄弟車。 ただし、仕様は他国仕様とは異なり、2代目がベース。 生産もルノーサムスン釜山工場で行われる。 ともに日本国内へは正規輸入はされていない。 メガーヌをベースにした。 欧州ではタクシーとしてもポピュラー。 日本国内へはグラン・セニックのみが正規輸入されている。 先代モデルでは「RX4」という風の4WDモデルの設定もあった。 5代目ではそれまでの典型的なミニバンスタイルから一転、風のデザインとなっている。 日本国内へ正規輸入はされていない。 との間を埋めるタイプの。 との間を埋めるで、と共通のプラットフォームアーキテクチャ()・メカニズムを有する。 日本では2018年(平成30年)4月12日より発売。 これに先立って2017年(平成29年)8月に100台限定で「カジャー Bose」が先行発売された。 傘下のとルノーサムスン自動車とのジョイントベンチャーにより開発されたルノー初の本格 である。 2代目となる現行は とほとんどのパーツを共有し、生産もQM6とともにルノーサムスンの釜山工場で行われる。 1995年(平成7年)以来の復活となるブランドの。 日本では2018年(平成30年)内に発売される予定。 これに先立って同年6月に50台限定で「プルミエール・エディション」が先行発売された。 現行モデルは、ルノー、欧州、日産によるジョイントプロダクト。 乗用、商用バージョンのほか、レジャービークル色の強い「ジェネレーション」がある。 日本へ正規輸入はされていないが、乗用、商用とも、少数が並行輸入されている。 ルノー最大の車(FFベースの4WDもある)。 など、積載量がこれ以上のモデルはとなる。 日本国内へ正規輸入はされていない。 ルノー初の専用車。 5シーターのコンパクトカーである。 EVシティコミューター。 のコムスとは性格が酷似している。 (D23系)のとなるピックアップトラック。 2016年に南米にて発売されたのを皮切りに、グローバルな展開が予定されている。 ( トロワ)• ( カトル)• ( サンクおよびシュペールサンク)• ( シス)• ( シエテ)• ( ユイット)• ( ヌフ)• ( ディズ)• ( オンズ)• ( ドゥーズ)• ( キャトルズ)• ( キャーンズ)• ( セーズ)• ( ディセット)• ( ディジュイット)• ( ディズヌフ)• ( ヴァン)• ( ヴァンティアン)• ( ヴァンサンク)• ( トラント)• アルピーヌ [ ]• A410• (日本名:V6ターボ)• ルノーと日産の共通のプラットフォーム [ ] 1999年に傘下におさめた日産自動車の間に構築されたアライアンス関係に基づき、近年発売された両社の小・中型車の多くが共同で開発したやエンジニアリングアーキテクチャを積極的に導入している。 これらの車種の多くは、車台だけでなくエンジンやトランスミッションなどの主要部品も共用している。 アライアンス・Bプラットフォーム使用車 [ ] を参照 アライアンス・Cプラットフォーム使用車 [ ] を参照 アライアンス・Dプラットフォーム使用車 [ ] を参照 CMF採用車 [ ] を参照 モータースポーツ [ ] 詳細は「」および「」を参照 ルノーは創業当初から技術向上を目的に、モータースポーツへの参加を積極的に行った。 モータースポーツ史の黎明期、1890年代末期から1900年代初頭のヨーロッパで多く開催された公道レースでは、開発者のルイ・ルノー自身と兄マルセル・ルノーが、自ら運転する競技用車で多くの勝利を勝ち取り、名声を獲得している。 1899年から1901年にかけては、ド・ディオン・ブートン製の単気筒エンジンを搭載したヴォワチュレット車でさまざまな長距離レースに参戦した。 当初3. 5HPから最終的にも8HPに過ぎない非力ながら、軽さとタフネスさを活かし、多くのレースで完走して軽量車クラスで上位を独占した。 1,000キロを超える長距離レースでも4気筒・7L〜10Lの怪物的なクラスに属するハイパワーなやモールなどに伍して活躍、クラス優勝・上位入賞を達成している。 これらのレースではルイも大いに健闘したが、兄マルセルがそれ以上の成績を収めた。 ルノー車はさらに強豪がひしめく上級クラスにも進出した。 特筆すべきは1902年6月に開催された1,700キロのパリ-レースでの活躍である。 後半の山道を行く過酷な山岳コースで激戦が展開されたが、4気筒3. 7L中型車の14CVルノーに搭乗したマルセル・ルノーは、7番手だったからの最終区間で、先頭にいた搭乗の13. 7Lパナールを含む強力な大排気量車6台すべてに競り勝ってトップでウィーンに到着、総合優勝した(ルイも同型車で参戦し、途中で他車とクラッシュして61位まで後退しながらも、壊れかけた車を操り20位まで回復して完走した)。 このフランスGPではマシーン自体の高性能・高出力に加え、後輪に当時最新鋭の式脱着ホイールを採用したことでタイヤ交換時間の大幅短縮に成功、以後の脱着ホイール普及の端緒となった。 事態を危惧したフランス政府は途中のボルドーでレースを中止させ、以後、自動車競技はクローズドサーキットを中心に実施されるようになる)。 1909年を最後にモータースポーツへの参戦は控えられるようになり、第二次世界大戦前まで、市販モデルをベースにした速度記録・連続走行記録などのレコード達成挑戦が散発的に行われるにとどまった。 第二次世界大戦後には国有企業となりながらも、1940年代末期からやなどのチューナーを通じ、やなどに積極的に参戦した。 に、それまでルノーの準ワークスチーム的存在であったアルピーヌを買収してモータースポーツ関連子会社のを設立。 以来、、などの耐久レース、などさまざまなカテゴリーで活躍を繰り広げ、1978年には、2005年と2006年には2年連続でF1のコンストラクターズとドライバーズの両タイトルを獲得するなどしている。 自社チームによりレースに参戦するだけではなく、の開催やなど若手の育成プログラムの充実などを通じてモータースポーツの振興にも力を入れている。 フォーミュラ1 [ ] 詳細は「」を参照 革新的技術の積極的導入 [ ] にはフォーミュラ1世界選手権に、史上初の1. 当初は苦戦するものの、まもなく高い戦闘力を発揮し数々の勝利を挙げた。 1980年代中盤までルノーチームとして参戦したあと、1989年から1997年までエンジンサプライヤーとして、2002年以降は再びフルコンストラクターのルノーチームとして参戦し、さらに複数のチームにもエンジンを供給している。 これら3期いずれも強豪の一角に名を連ねたが、参戦のたびにターボエンジン、、低重心広角エンジンといった革新性のある技術コンセプトを投入しており、単なる強豪にとどまらない影響を及ぼしている存在でもある。 2年連続チャンピオン [ ] 長らく低迷していたチームを買収して誕生したルノーチームだが、この再建をも果たし、特に2005年以降はチャンピオンタイトルを争い、やといったライバルを凌駕し、との2年連続でコンストラクター(製造者)部門とドライバー部門()の両タイトルを獲得した。 ラリー競技 [ ] ラリーで大衆車ベースとして投入される1960年代よりドーフィン、4、以降の時代に入るまでは8、12、17をゴルディーニ仕様として投入、、Gr. 4マシンであるアルピーヌ・A110の投入、の活躍により、ライバルのはフェードアウト気味であったが、、、を凌駕。 WRCマニュファクチャラーズタイトルを獲得する。 以降、選手権が再開され、が席巻するようになってからはA310の熟成に時間を費やし、下のグループで走らせていた5をアルピーヌ仕様へ進化させ、80年代のグループB時代に入り5ターボマキシへと進化していくとFF車使いでもある、らの活躍により激しいトップ〜中堅争いを繰り広げる。 それが過ぎ90年代に入るまでにはを投入する。 1970年代後半のERAヨーロッパラリークロス選手権にもA110は投入され、ヴィック・クォイトフが駆り、並居るポルシェ・911と中堅争いを繰り広げている。 広告・ブランド [ ] 4CV フランスの自動車会社の例に漏れず古くからに力を入れていることで知られており、グローバル担当であるとの長年の関係のもと、の5(サンク)のデビュー時の広告キャンペーンなど、広告史に残る有名な広告をいくつも世に送り出している。 コーポレートカラー [ ] イエローと呼ばれる濃いをコーポレートカラーにしており、ロゴマークの背景色となっているほか、モータースポーツに参戦する際などはこの色を基調に白もしくは黒を組み合わせるのが基本である。 テレビCMに関するエピソード [ ] ころにの広告代理店により制作され、ドイツをはじめとする複数の国で放映されたテレビCM(日本においてもルノー・ジャポンのウェブサイト上で公開された)には、するために以下に示すような奇抜な内容のものがあった。 車を食べ物(おもな自動車生産国になぞらえたもの)に置き換えて衝突テストを行った。 (ドイツ車)・(日本車)・(の一種、スウェーデン車)が次々と「大破」していく中、(ルノー車)だけは先端が一瞬ひしゃげつつもほぼ無傷で終わり、ラストにもこのフランスパンが登場していた。 砂漠の中、シルバーに塗られたさまざまなルノー車が隊列を組み、かつてののCM(「街の遊撃手」シリーズ)のように踊るような走行をするが、ドアミラーの接触・破損に始まり、接触や横転などを経て最後は2台がジャンプしながら激しく正面衝突してしまう。 しかし、それら満身創痍のルノー車群は、ラストに勢揃いし全車が徐行ながらも動いていた。 子会社・提携先など [ ] 子会社・系列会社 [ ]• ルノー・マーチャンダイジング• DIAC(ファイナンス)• 提携先・その他 [ ]• - 日産自動車の子会社。 (商用車)• - 現・UDトラックス。 - かつての子会社。 現在はボルボ(商用車)の子会社。 - ルノーのバス部門を、とともに統合。 現在は資本関係がない。 - ダイムラーの子会社。 出典 [ ] [] 注釈 [ ]• [ ]• [ ]• [ ]• [ ]• [ ]• [ ]• 2017 年上半期世界販売台数。 三菱自動車を迎えた日産自動車・仏ルノー連合が首位。 次いで、フォルクスワーゲン、トヨタ自動車、ゼネラル・モーターズ。 毎日新聞 2017 年 7 月 29 日東京朝刊(2017 年 10 月 24 日閲覧)• プレスリリース , 日産自動車株式会社, 2017年9月15日 , 2020年5月10日閲覧。 プレスリリース , 三菱自動車工業株式会社, 2019年3月20日 , 2020年5月10日閲覧。 2018年11月2日閲覧。 朝日新聞社 : p. 朝刊 11. 2018年9月19日• - 産経ニュース 2018年11月19日• - 朝日新聞デジタル 2018年11月21日• 時事通信 2020年4月10日. 2020年5月14日閲覧。 4」より抜粋、参考。 動画ポータル等にアップされている当時の放映VTRより確認。 [ ]• 関連項目 [ ] ウィキメディア・コモンズには、 ルノーに関連する および があります。 外部リンク [ ]• - チャンネル• (英語) (フランス語)• (英語) (フランス語)• (英語).
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