童謡 赤い 靴。 「赤い靴」アンデルセン童話あらすじを簡単に★「傲慢の罪」により少女に下った恐ろしい罰は?(ネタバレ有)

童話「赤い靴」は怖くない!あらすじと教訓、靴が何を象徴しているのか考察

童謡 赤い 靴

童謡「赤い靴」の歌詞 (一) 赤い靴 はいてた 女の子 異人さんに つれられて 行っちゃった (二) 横浜の 埠頭から 汽船に乗って 異人さんに つれられて 行っちゃった (三) 今では 青い目に なっちゃって 異人さんの お国に いるんだろう (四) 赤い靴 見るたび 考える 異人さんに 逢(あ)うたび 考える (五) 生まれた 日本が 恋しくば 青い海 眺めて いるんだろう 異人さんに たのんで 帰って来 作詞:野口雨情 作曲:本居長世 はじめて知りましたが 5番までありました。 女の子が一人で知らない土地に 連れられて行った その後を思う歌だったんです。 本当に 悲しい歌ですね。 赤い靴の女の子は実在した!! 歌詞を見ても悲しい歌だなって思うんですが 実際、もっと悲しい物語がありました。 赤い靴の女の子が実在し 宣教師夫婦に預けられアメリカに渡っていたのです。 なぜ預けられたのか? モデルとなった女の子の名は 岩崎 きみ さん 明治35年に横浜で生まれたそうです。 母親は 18歳で 未婚の母として きみさんを産みました。 両親もすでに他界し、身内がいないなか 周囲からは 未婚の母とはふしだらな!! と白い目で見られていたそうです。 親子はそんな目から逃げるように 北海道に移住したそうです。 母親は土産店で働きながら きみを育てていました。 そんな中で男性と出会います。 その 男性はきみがいることを 承知の上、結婚を申し出てくれました。 しかし結婚後、 開拓に参加しないか と声をかけられ夫は参加することに。 しかし、そこは極寒の土地で オオカミや熊がいるような危険な場所。 そんなところに、身体の弱かった きみは連れては行けず 偶然知り合った アメリカの宣教師夫妻に きみを預けることにしました。 当時、まだ 4歳だったそうです。 異人さんに預けられたその後 宣教師夫婦に預けられたきみは 2人に 可愛がられたそうですが アメリカには行かなかったそうです。 正確には 行けなかったそうです。 なぜなら、 その当時、 不治の病と言われていた 「結核」に罹ってしまったからです。 そのような状況で母国アメリカから 帰国命令があった夫妻は その命令には逆らえず また、病気で弱った子どもを 長時間の船旅に連れては行けず 教会の孤児院に預けたそうです。 そして、きみは病床のまま 9歳で短い生涯を終えました。 そんな事とは知らない実母は 亡くなるまでずっと 今頃、きみはアメリカで大切に育てられ 幸せに暮らしているよ と きみの幸せを思っていたそうです。 まとめ 他にも、 きみは初めから孤児院にいて そこで異人さんの養女になったんだ という説や 宣教師夫妻にはあっておらず 誘拐され異国に連れて行かれたなどの 説もあるそうです。 しかし、この赤い靴の女の子のように 親子離れ離れになる事が多かった時代 そういった中で異人さんに連れられっていた きみちゃんはきっと幸せな人生を全うしたんだ と思うこの詞が 一番いい物語のように感じます。

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赤い靴 日本の童謡・唱歌 歌詞と試聴

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雨情がこの詩を書くきっかけになったのは1907 明治40 年、札幌の小さな新聞社「北鳴新報」の記者時代です。 一軒家を借りて住まううち、新しく入社してきた鈴木志郎記者夫妻も同じ屋根の下で暮らすことになります。 この志郎記者の妻かよから、意外な話を聞くのです。 かよは静岡県生まれ。 志郎と結婚する前に、佐野という男性との間に、きみという女の子がいたのです。 でも、かよは未婚の母であり、きみは父を知らない「非嫡出子」扱いでした。 かよは幼子を抱いて逃げるように北海道へ渡り、函館で過ごすうち、志郎を知ります。 開墾(かいこん)を目指す志郎に求婚されたかよは、幼いきみを連れていくのは無理と断ります。 そこへ別れたはずの佐野が現れ、東京にいるアメリカ人宣教師夫妻が養女を欲しがっていると伝え、きみを手放すよう勧めます。 かよは涙ながらにきみを宣教師夫妻に託したのでした。 志郎とかよは北海道の留寿都(るすつ)村に入植し、開墾にいそしみますが、やがて夫妻で札幌に移り、新しい暮らしを始めたのでした。 雨情は、その女の子がいまはアメリカでどんな暮らしをしているのかと思い、後に東京に移ってから雑誌に発表したのです。 「赤い靴」は大評判になり、誰もが口ずさむようになりました。 昔は「人さらい」がいるといわれ、子どもが悪いことをすると、「異人さんに連れていかれるぞ」などと脅されたものです。 異人さんに連れられて船で遠い異国へ旅立った女の子への物悲しい思いが、美しい旋律と重なって人々の心を揺さぶったのでしょう。

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赤い靴 日本の童謡・唱歌 歌詞と試聴

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母思像 赤い靴公園 童謡「赤い靴」の歌詞にある女の子をイメージして建てられたものです。 この歌詞は、留寿都村に開拓に入るために幼い娘をアメリカ人宣教師に預けた母親が娘を案じた心情を、歌詞家・野口雨情が「赤い靴」として発表したものです。 留寿都村では「赤い靴」ゆかりの地として女の子の像を建てました。 女の子の名前は岩崎きみ。 母親の像は「ルスツふるさと公園」に「開拓の母像」として建てられています。 開拓の母像 ルスツふるさと公園 ルスツふるさと公園の開拓の母像は、童謡「赤い靴」の女の子の母親をはじめ、開拓に関わった多くの女性をイメージして建てられました。 「赤い靴」の女の子の母親の名前は岩崎かよ。 母は娘 「赤い靴」の女の子 がアメリカに渡ったと思いながら一生を過ごしましたが、病に冒され孤児院で9歳の生涯を遂げていたそうです。 開拓の苦労の陰に、童謡「赤い靴」の悲話もありました。 浪越徳治郎先生像 赤い靴ふるさと公園 「指圧の心、母心、おせば命の泉わく」の名言で一世を風靡。 吉田茂元首相やマリリン・モンローにも指圧を施したことで有名ですが、実はその浪越氏が少年時代を過ごしたのがここ留寿都村。 製作者は道内でも有名な米坂ヒデノリ氏によるもので、全ての人に減にと勇気がわくことを願うものです。 紅丸薯記念碑 紅丸公園 留寿都村は紅丸いも発祥の地。 貧困に苦しむ農民たちを救うため村の増田氏、大西氏らによって紅丸いもは作られ、腐敗も少なく多収を得られるとして昭和13年に優良品種に決定、同22~26年ころになると全道馬鈴しょ作付面積の半分を占めるほどになり北海道農業の基礎を築くに至りました。 この業績を讃えて「紅丸薯記念碑」が建てられました。

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