いすゞ 産業。 産業用エンジン ラインナップ

産業用エンジン ラインナップ

いすゞ 産業

トラック [ ] 車種 初登場年 現行型 備考 発表 マイナーチェンジ 小型 ELF 1959年8月 2006年12月13日 2018年10月29日 いすゞ自動車が製造、販売する小型トラック 中型 FORWARD 1970年4月 2007年5月24日 2017年4月27日 いすゞ自動車が製造する中型トラックである 大型 GIGA 1994年11月 2015年10月28日 いすゞ自動車が製造する大型トラックである 73式 1973年 1999年 いすゞ自動車が生産して自衛隊で使用されている車両である バス [ ] 車種 初登場年 現行型 備考 発表 マイナーチェンジ 小型 JOURNEY 1959年 1999年2月 2010年7月 いすゞ自動車が販売するマイクロバス 中型 ERGA MIO 1999年6月23日 2016年4月5日 いすゞ自動車が販売している路線用中型バス GALA MIO 1999年6月 2004年8月 2017年7月4日 いすゞ自動車が販売する観光・自家用中型バス車両である 大型 ERGA 2000年6月20日 2015年8月18日 いすゞ自動車が2000年から販売している路線・自家用大型バス ERGA DUO 2019年5月27日 2019年5月27日 ジェイ・バスが製造し、いすゞ自動車が販売している路線用大型ハイブリッド GALA 1996年 2005年8月22日 2017年6月22日 ジェイ・バスが製造し、いすゞ自動車が販売している観光・高速路線用大型バス車両である その他 [ ]• (のOEM)• 特殊車両• - 工場で生産される。 の姉妹車。 向けは旧型を販売。 - タイで生産されるD-MAX派生。 の姉妹車。 - で生産。 の姉妹車。 商用車• - D-MAXのフレームを用いた新興国向け小型キャブオーバートラック。 - 専売の。 マイクロバス• (との提携でで生産されているマイクロバス)• バス・• (輸出用バス・シャーシ)• (輸出用バス・シャーシ) エンジン [ ] 自動車用 [ ] ディーゼルエンジン単体を傘下の各社に供給している。 2 9. 5 2. 3 7. 1 16. 8 3. 2 11. 8 21. 7 920 8. 0 10. 1 17. 7 1,124 10. 0 13. 5 7. 7 18. 0 38. 7 1,499 13. 6 18. 6 33. 7 1,499 15. 8 21. 8 21. 1 39. 4 30. 0 28. 9 51. 7 87. 4 117. いすゞ・マリーンエンジン UM4BG1TCG型• UM6WG1TCG 825ps• UM6SD1TCG 534ps• UM6HE1TCG 430ps• UM6BG1TCX 330ps• UM4BG1TCG 247ps• UM4JG1TCG 150ps• - 同社がと共同開発した 世界初の・デジタルシステム。 自社製品ブランドのを、「BESCO」と冠して国内外で展開する。 自社製品ブランドの消耗部品(、、等)は、「BEST FIX」と冠して展開する。 過去の取り扱い車種 [ ] 車種 初登場年 販売終了年 世代数 備考 乗用車 HILLMAN MINX 1953年 1956年 1代 かつていすゞ自動車がルーツ自動車と提携し、CKD(完全ノックダウン生産)で製造販売していた自動車である BELLEL 1962年 1967年 1代 いすゞ自動車初の自社製造乗用車である BELLETT 1963年 1974年 1代 いすゞ自動車が販売されていた小型乗用車である FLORIAN 1967年 1983年 1代 ベレル後継及びアスカの先代車 117 COUPE 1968年 1981年 1代 いすゞ自動車が生産していた乗用車である。 コンセプト、デザイン、パッケージ、スタイリングはジョルジェット・ジウジアーロのカロッツェリア・ギアに委託された STATESMAN DE VILEL 1973年 1975年 1代 いすゞ自動車が発売していた高級車。 オーストラリアのホールデン・ステーツマンを輸入していすゞブランドで販売したものである GEMINI 1974年 2000年 5代 ベレット後継。 4・5代目はのOEMモデル FARGO 1980年 2001年 2代 2代目は3代目のOEM PIAZZA 1981年 1994年 2代 117クーペ後継。 海外ではインパルスとして販売。 ASKA 1983年 2002年 4代 フローリアン後継。 2代目以降は他社OEM PA NERO 1990年 1994年 1代 発売元は OASIS 1996年 1999年 1代 初代のOEM FILLY 1997年 2002年 1代 初代のOEM SUV [ ]• (日本未発売)• (米国専売、の)• - 初代D-MAX派生。 他社へのOEM• 富士重工へのビッグホーンOEM• ホンダへのミューOEM 商用車 [ ] トラック [ ]• 1947~1960年頃• (全駆トラック)• (エルフのボンネット版)• (ベレットのトラック版)• (米国専売。 の車種)• (インドネシア市場向け。 三菱デリカ(二代目)がベース)• バン [ ]• (バンのOEM)• (バンのOEM)• (のバン) バス [ ] いすゞ・ガーラ S (KC-LV782R1型) うみねこ号• 1947~1960年頃• :TXから派生したボンネットバス• :BXから派生したフレームレスリヤエンジンバス• :BAのフレーム付き版• :BAより更に大きいリヤエンジンバス• (BE系)• (BL系)• (RX系、との統合車種)• 大型路線• (HR系 :の車種• (LV7系) その他 [ ]• (フルキャブ仕様のクレーンキャリア)• (救急自動車)• (小型船舶)• (船舶)• (救急自動車、2代目の車種) 関連技術 [ ]• (用エンジン)(公式発表はないが、にの車両を用いて試走が行われた)• (に発表されたが、実用化されなかった)• 脚注 [ ]• みまもりくんオンラインサービスweb• リクルート 2019年12月21日. 2019年12月21日閲覧。 リクルート 2019年12月21日. 2019年12月21日閲覧。

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中古部品一覧

いすゞ 産業

最先端技術のディーゼルをお客様のもとへ 当社は産業エンジンとその周辺製品に特化した、エンジニアリング会社です。 最先端技術により開発されたいすゞディーゼルエンジンは、そのトップレベルの「信頼性、耐久性」が全世界で高く評価されております。 当社では、その優れたエンジンをベースに、様々な用途(建設機械・発電機・産業機械・農業機械など)に、長年培ったエンジニアリングを付加して、お客様の製品に最もマッチしたクリーンで高性能のエンジンをお届けいたします。 地球環境に優しい製品が求められる今日、米国、欧州、日本などの厳しい排ガス規制に適合したエンジンを提供することが重要です。 当社では、お客様のご要求する仕様にマッチしたエンジンと、その周辺機器・部品につきましても、様々な分野に精通した技術スタッフが最先端の知識をもとに検討を重ね、最適な製品をご提案いたします。 エンジンの整備、補修部品につきましても、長年の経験を生かし、的確・迅速に対応いたします。 また、当社の技術・サービススタッフは、その最新の知識と経験をもとに、4次排ガス規制など、最新のエンジンに対する、技術・サービス教育を、お客様のご要求されるレベルに合わせ、当社の研修設備などで行っております。 熟練した製造スタッフが溶接、組立、塗装をして、お引き合いから完成まで短期間で、製品に仕立て上げ、お届けいたします。 出荷後の製品に対しましては、経験豊富な整備スタッフが、立会いからメンテナンスまで、一貫した流れで、お客様のご要望にお応えいたします。 ISUZU INDUSTRIAL ENGINES enjoy higher reputations for their reliable and durable performances developed by the most advanced technology evolved in mass-production of vehicles and engines. Isuzu-Yamato Engines, Inc. established in 1948, has been serving in many industries by providing appropriate solutions for a variety of OEMs such as construction equipment, agricultural machine and power generation manufacturers. We also design and develop packaged products; Hydraulic Pump Units and High-Pressured Water Jet Units etc. powered by diesel engines in accordance with the needs of customers. Then the units will be assembled by our skilled production stuff in a short period of time. After the shipment of the units, our experienced maintenance stuff supports the customers.

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いすゞ・やまとエンジン株式会社

いすゞ 産業

歴史は幕末にまでさかのぼる。 ペリー来航を受け、幕府の命で水戸藩が江戸石川島に造船所を設立したのが始まりだ。 ここでは西洋式帆船の旭日丸や軍艦千代田形が建造されており、高い技術力を持っていたことがわかる。 明治に入ると民営化され、1893年に石川島造船所株式会社に改組。 船舶はもちろんのこと、火力発電機や蒸気機関車なども製造し、日本の近代化に貢献した。 第1次世界大戦がぼっ発すると、造船の注文が殺到して莫大(ばくだい)な利益が生まれる。 そこで新たな投資先として選ばれたのが、自動車製造だった。 1916年に自動車部門を設立し、2年後にイギリスのウーズレー社と提携契約を結ぶ。 当時の日本では自動車製造の試みは始まっていたものの、まだ産業と呼べる段階には達していなかった。 技術を習得するためには、ヨーロッパの自動車メーカーから学ぶのが早道だと考えたのである。 これがいすゞ自動車の起点とされている。 一方、日野自動車の母体とされているのは、1910年に設立された東京瓦斯工業株式会社である。 ガス事業を始めた千代田瓦斯会社の子会社として、ガス器具の製造を行っていた。 主な製品は、ガス灯の発光体として使われるマントルという部品である。 ガス灯の代わりに電灯が使われるようになると、社名を東京瓦斯電気工業(瓦斯電)と改め、電気製品の部門にも進出した。 第1次世界大戦で自動車の有用性が明らかになると、軍部はその国産化推進を図った。 規格を定め、合格したモデルを軍用保護自動車に認定し、補助金を交付する制度を作ったのだ。 補助金は購入者にも与えられるので、販売促進にも効果がある。 軍が直接購入するのではないが、民間に自動車を普及させておき、有事には徴用して軍用車として利用するというもくろみだった。 輸送車として使う必要性から、補助金の対象はトラックなどに限られた。 瓦斯電の社長だった松方五郎は、かねてから自動車に興味を抱いていた。 それまでは乗用車やトラックの輸入事業を行っていたが、補助法制度を利用すれば、念願の自動車製造事業に参入することができる。 しかし、自動車の開発を進めるためには、専門的知識を持った技術者が必要だった。 松方が目をつけたのが、大倉喜七郎の日本自動車で技師長として働いていた、星子 勇である。 星子はイギリスとアメリカに留学して研修を積んでおり、『ガソリン発動機自動車』という著作も執筆していた。 彼は自ら乗用車を設計・製造することを志していたが、自動車の輸入と整備をするだけの日本自動車では、技術を生かすことができない。 星子にとっては、瓦斯電の誘いは千載一遇のチャンスだった。 大阪砲兵工廠(こうしょう)からの依頼で4トン自動貨車を製造したのが初めての仕事である。 シュナイダーの軍用トラックを参考にしたモデルで、5台を納入した。 星子は並行して別のトラックの設計を行っていた。 アメリカのリパブリックを参考にしつつ、独自の設計を取り入れたTGE-A型である。 " のイニシャルからとっている。 このモデルが軍用保護自動車認定第1号となった。 当時の各社の取り組みを見てみると、石川島は1927年にウーズレーとの提携を解消し、独自の設計でトラックやバスを製造するようになっていた。 商標についても、工場の所在地にちなんでスミダに改称。 六輪駆動車やクレーン車などの製造にも手を広げていった。 この後、同社の自動車部門は1929年に造船所から独立。 石川島自動車製造所が誕生した。 同じころ、瓦斯電では航空機用エンジンの開発に手を伸ばしていた。 ダイムラーなどのライセンス生産を手がけた後、独自設計で作り上げたのが空冷星形7気筒エンジンの神風である。 これは国産初の航空エンジンで、海軍の練習機に採用された。 同社では天風、初風などのエンジンに加え、機体の製造も行うようになり、この部門は後に日立航空機となる。 一方、自動車事業では、軍から戦車の製造も依頼されるようになり、「豆タンク」と呼ばれる94式軽装甲車が年間200〜300両の規模で生産された。 こうした需要に応えるために日野製造所が建設され、これが今日における日野自動車の源流となった。 なお、瓦斯電は1930年に宮内庁御用達になったのを機に、商標をTGEからちよだに変更している。 戦後の復興が始まると、日本政府は海外メーカーとの提携によって自動車産業の立て直しを図る。 いすゞはルーツ・グループ、日野はルノーからの技術供与を受け、ノックダウン生産を行うことになった。 両社とも戦前は商用車と軍用車ばかりを製造していたが、もとはといえば乗用車を作ることを目標にしていた。 1960年代に入ると、両社はノックダウン生産の経験を生かし、独自の乗用車の生産を開始する。 日野はRRの小型乗用車コンテッサを生み出し、ミケロッティの手になる繊細なデザインと車体後方から空気を吸い込むユニークな冷却方式で高い評価を受けた。 しかし商業的には成功とはいえず、1966年にトヨタと業務提携を結んだのを機に、乗用車事業からは撤退することとなった。 陸軍では日露戦争の経験から輸送力増強が必要だと考え、自動車の研究を始めていた。 砲兵工廠ではシュナイダーのトラックを購入して分解し、研究を重ね、1911年に試作車を完成させている。 第1次世界大戦ではイギリス軍がソンム会戦で初めて戦車を使用し、圧倒的な力を見せつけた。 日本軍でも青島に送ったトラックが物資輸送に活躍したことから、自動車の優位性が広く認識されるようになった。 自動車を安定供給するためには、平時から量産体制を整えていなければならない。 軍事に転用できるトラックを民間企業に生産させることを企図し、軍用自動車補助法が定められた。 この制度はドイツにならって制定されたものだが、日本では自動車産業が未発達だったことが運用を困難にした。 さらに軍事主導で自動車開発が進められたため、乗用車の研究は後回しにされることになった。 戦前の日本における自動車産業の基礎を築いた技術者であり、1917年に東京瓦斯電気工業に入社して以降、東京自動車工業、ヂーゼル自動車工業、日野重工業と活躍し続けた。 熊本工業高校機械科で学んだ星子は、軍務を終えた1911年に日本自動車に入社。 自動車の設計を志したがかなわず、修理や整備とはいえクルマに触れることのできる会社を選択した。 その後、1913年に農商務省実業練習生に合格し、欧米に留学。 帰国後、1917年に瓦斯電に移籍し、自動車製造に腕を振るうようになった。 当時の世界情勢を鑑み、非常時には軍需転換工場となることを自動車産業に求めた星子だが、同時に大衆車による社会の発展と日本の工業化を夢見た人物でもあった。 1940年には、論文を通して乗用車生産の重要性を主張。 軍需に偏った日本の自動車産業に警鐘を鳴らしたが、戦争末期の1944年に他界した。 いすゞは自動車御三家ともいわれた名門だが、小型大衆車のラインナップがなかったことからモータリゼーションの波に乗れず、1960年代には経営が行き詰まっていた。 同じころ、日本の自動車産業は大変動の時代を迎え、1965年に日産がプリンスを吸収合併、翌年にはトヨタと日野が業務提携を結んだ。 資本自由化によって海外からの投資が可能になると、いすゞは1971年にGMとの資本提携に踏み切った。 仲介したのは伊藤忠だった。 GMグループ各社の間で、商用車やディーゼルエンジンなどの共同開発が行われた。 1974年に登場したジェミニは、グローバルカーとして開発されたもので、オペル・カデット、シボレー・シェベットなどの名でも販売された。 GMは経営悪化を受け、2006年にいすゞの株を売却した。 資本関係はなくなったが業務提携は続けられており、2016年からは新たにいすゞの中型トラックがシボレーブランドで販売されることが発表されている。

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