法悦 の マグダラ の マリア。 カラヴァッジョの真筆《法悦のマグダラのマリア》、西美で世界初公開へ

カラヴァッジョ「法悦のマグダラのマリア」は、人を殺さないと描けない絵です!

法悦 の マグダラ の マリア

《あのお腹のふくらみは何だ?》 カラヴァッジョの「聖ヨハネの斬首」を、マルタ島にある聖ヨハネ騎士団の教会で観たときもその鮮烈さがショックでしたが、今回もう八重桜の時期になった4月中旬、東京上野の国立西洋美術館で、世界初公開という「法悦のマグダラのマリア」を前にして、あまりにも妖美なマグダラのマリアの像に魅せられました。 と同時に、「あのお腹のふくらみは何だ」と、同行のユング研究者である松代洋一君と二人で、首をかしげたものです。 画面が暗く定かでなかったのですが、マリアの左下に頭蓋骨らしい像が見えました。 画面前方の闇には十字架がわずかに浮かんでいて、上の方は赤みの差す空間になっています。 買い求めたカタログにはお腹のふくらみについて何の言及もありません。 ただ、向こう隣に並んでいた同じような図柄のマリア像ははっきり頭蓋骨を抱いていました。 松代君は別れてから、すぐネットで調べたらしく、メールして来ました。 「右下部分の鮮明な画像が見つかりました。 やはり頭蓋骨の左側面でした。 すると腹部のふくらみがなんなのか疑問になります。 頭蓋二つはおかしい、と言って妊娠だとしたら、免罪を願い出る旅の土産にふさわしくないし、しかも相手はイエスと思われかねません。 」と言ってきました。 さらに「「私に触るな ノーリ・メ・タンゲレ」の言葉は、それまでは触っていたからだという説もありますから。 謎は深まるばかりです。 映画にもなって物議を醸した『ダ・ヴィンチ・コード』は、このマグダラのマリアがイエスの子を産んで、カロリング王家の始祖につながるという大層なお話でしたが、イエス没後、マルセーユ近辺の沿岸に逃れてきたという話もありますし、ユダヤの地にとどまったとも言われます。 私はガリラや湖近くで、白い円丘の形をしたマグダラのマリアの墓なるもの(乳首のような赤い突起が上に付いていましたッケ)を観たこともあります。 そんなことを想い出しながら、松代君に【メール1】を出しました。 【メール1】 松代洋一さま カラヴァッジョはワイン・グラスに自分の顔を映し込んで描いたり、一種の謎かけを楽しむ画家ですね。 ネットで見つけられた像はあの部分だけ増光処理をして見せてくれたもので、頭蓋骨であることを明確にはしてくれますが、実像であるはずがありません。 構図から言ってもそんな不自然なものをそこにおいて描くはずもないでしょう。 余計なものはみな黒の背景に塗り込めてしまうのが彼のやり方です。 座椅子の黒い袖板に頭蓋骨を映すことによって、上着の下に文字通り肌身離さず隠し持つ丸いものを暗示しているのだと思います。 マグダラのマリアは墓から消えて昇天するイエスを初めて証言した女性ですね。 そして自分の髪でイエスの足を拭いた元娼婦でもあるとすると、この像はイエスと精神的に ことによったら肉体的にも 一体となって法悦の境地にいるマリア、でしょう。 もう一つ謎は、マリアの前方の闇に細めの十字架が浮かび、それにイエスをいたぶったらしいイバラの王冠(鋭い棘が7本ほど輪になった枝から出ています)が架かっていることです。 頭蓋骨は肉体の残滓であり、それをマリアが隠し持っていて、イバラの冠を残して昇天したイエスの霊と昇天を暗示しているのでしょうか。 その上方にやや赤みを帯びた円光が広がり、その縁にそって黒い像 人か天使か花弁か;花弁と見て天上の王冠という解説者もいましたが が六つ七つ浮かんでいますが、それが天上界を表すのでしょう。 お示しの、「私に触るな ノーリ・メ・タンゲレ」の言葉ですが、マグダラのマリアに対していった言葉ではないのでは。 小生の記憶では、奇跡の治癒を願う病者たちに向けたものだったのではありませんか。 以上、松代君のメールに触発されて、感想の一端を記しました。 金子務 これに松代君から間もなく返事をもらいました。 私の記憶違いを正してもらった上に、篤学の松代君らしいコメントが付いています。 同君の許しを得て、そのまま引用しておきます。 【松代氏の返信】金子務様 「座椅子の黒い袖板に頭蓋骨を映すことによって、上着の下に文字通り肌身離さず隠し持つ丸いものを暗示している」これが正解ですね。 「イエスと精神的にも肉体的にも一体となって法悦の境地にいるマリア」も同感で、こんな大胆な図柄をものせるのはカラヴァッジョしかいないでしょう。 ヒエロス・ガモスの言葉に表れているように、求道と求愛は二分されたものの合体と言う一点で一致しているのですから。 ノーリ・メ・タンゲレは、復活のイエスに駆け寄ろうとしたマリアへの言葉で、普段から抱きついたりキスしたりしていたのだと言う説もあるようです。 なおこれらとの関連で、ナグ・ハマディ写本にある『トマスによる福音書』という共観福音書とは別系列のグノーシス的文書に面白い文言があります。 「イエス言いたまえり、 汝ら二つを一となすとき、 内なるものを外なるもの、 外なるものを内なるものとなし、 上なるものを下なるものとなすとき、 そして男と女とを、ただ一つのものとなし、 もはや男は男でなく、女は女でなくなるとき、 そのとき汝らは天の王国に入るを得ん」 以下が私の返信【メール2】です。 【メール2】松代洋一さま いつも貴兄の博識には感心させられますね。 マグダラのマリアの一件、小生の見解に前半のところは賛成していただいたようでありがとう。 後半の「ノーリ・メ・タンゲレ」の言葉を確認しようとして、聖書を繰ってみました。 そのくだりは共観福音書にはなく、ヨハネ伝福音書にありました。 「イエス言い給ふ。 『われに触るな、我いまだ父の許に昇らぬ故なり。 』」20-17ですね。 はじめ主の遺体が見あたらないので泣いていたマグダラのマリアがふと後ろを振り返ると、そこに立つイエスが「をんなよ、何ぞ泣く、誰を尋ぬるか」マリヤは園守ならんと思ひて言ふ『君よ、汝もし彼を取去りしならば、何処に置きしかを告げよ、われ引取るべし』20-15のあと、イエスが「マリヤよ」と声をかけると、やっと気づいたマリアが、「ラボニ」と呼んでうれしさのあまりすがりつこうとした様子がわかります。 「ノーリ・メ・タンゲレ」はその時の言葉ですね。 病人も信者もイエスの霊力による治癒や清めに期待してみな、イエスに触れようとした記述は聖書の随所(たとえばルカ伝18-15「イエスの触り給はんことを望みて人々、嬰児らを連れ来たりしに」)にありますが、「われに触るな」という記述はほかにはないかも知れませんね。 マグダラのマリアが触れる行為は、マリアに抱かれていたかも知れない地上の神人イエスが、まさに昇天して父なる神と聖霊と三位一体化しようとするときの禁止の句ですから、貴兄が指摘したようなグノーシス的解釈も成り立つのでしょう。 小生もそうだろうと思います。 トマスの福音書は読んでませんから、そのうちに見ておきます。 金子務 その後、松代君から、「トマスの福音書」についてこういうメールをもらっています。 【松代氏の返信】メールはどうか自由にお使い下さい。 お役に立てて光栄です。 松代洋一 以上、不敬な老童二人の痴話をお許しあれ。

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女性に宿る「マグダラのマリア」の伴侶となる男性の条件vol.4★夏目祭子

法悦 の マグダラ の マリア

マグダラのマリアの 携香女、亜使徒 崇敬する教派 カトリック教会、正教会、聖公会 記念日 7月22日(カトリック)、8月4日(正教会、修正ユリウス暦を使用する正教会では西方と同じく7月22日) 守護対象 改悛した娼婦、罪を悔いる人、身体に障害のある子供、葡萄酒醸造業者、造園業者、織物業者、美容師 マグダラのマリア(: Maria Magdalena)は、中のに登場する、に従った女性である。 マリヤ・マグダレナとも音訳される。 ・・で。 では携香女・の称号をもつ聖人。 香油の入った壷を持った姿で描かれているが、これは墓にあると思われていたの遺体に塗るために香油を持って墓を訪れたとの聖書の記述に由来し、「携香女」(けいこうじょ)の称号もこの記述に由来する。 は、マグダラのマリアは、がにつけられるのを見守り、イエスが埋葬されるのを見つめ、そして墓の方を向いて座っていた婦人たちの中で一番重要な人物とされる。 「罪深い女」と知られているため、の『最後の誘惑』等のような現代小説をはじめ、イエスとの結婚を語る様々な非歴史的な伝説はあるが、歴史的根拠は未だに見出されていない。 マグダラのマリア 、による の主要でいずれもに列せられている。 のマリアを聖人とする(、)での記念日()はである。 一方、ではに携香女・として記憶する(を使用する正教会では西方と同じく7月22日)。 固有の記憶日に加え、後第二を「携香女(けいこうじょ)の主日」として他の聖人とともにマグダラのマリアを記憶する。 マグダラのマリアは、イエスの死とを見届ける証人であるとともに、西方教会では男性原理を重視し組織形成していたため、教義上「悔悛した」とした。 (正教会)ではマグダラのマリアを「罪深い女」と同一視してこなかった。 これまで多くの解釈が生まれ、真実などはっきりしないまま今に至る。 従って「罪深い女」と「マグダラのマリア」を関連付けたことによる伝承は・西方教会(ことにカトリック教会)独自のものである。 福音書中の聖女 [ ] 四福音書中の記述 [ ] マグダラのマリアについて四福音書がはっきり語っているのは、七つの悪霊をイエスに追い出していただき、磔にされたイエスを遠くから見守り、その埋葬を見届けたこと。 そして、したイエスに最初に立ち会い、「すがりつくのはよしなさい。 まだ父のもとへ上っていないのだから」とイエスに窘められる。 『』などによれば、彼女は復活の訪れを弟子()たちに告げるため遣わされた。 このため彼女は初期キリスト教父たちから「使徒たちへの使徒」 the Apostle to the Apostles と呼ばれ、での彼女の称号「」はこの事績に由来する。 マグダラのマリアともう一人のマリアは、が終わって、週の初めの日の明け方にイエスの納められている墓に向かった。 その時、大地震が起こり、墓の入り口を塞いでいた大きな石が転がり、墓の入り口が開いた。 マタイによる福音書によると、それはの仕業であり、墓の中にはイエスの遺体はなく、天使にイエスの復活を告げ知らされた婦人たちは そこで、イエスは自分に触れようとするマグダラのマリアに、父である神のもとへ上る前であるため、触れないようにと言われた。 — ヨハネによる福音書20章17節、新共同訳による また、他の弟子たちにイエスの復活を告げ知らせるようにと言われたのである。 外典の記述 [ ] 20世紀になって、『(マグダラの)』(断片のみ)、からは『』、『』などが発見された。 これらの中にマグダラのマリアは、イエスとの親密な様子のみならず、男性たちと並ぶイエスの弟子として現れる。 これら最新の聖書研究はイエス宣教の旅での女性たちの役割や、マグダラのマリアの地位を見直させることとなった。 外典の記述については外部リンクを参照。 伝説 [ ] マグダラのマリアは古来より・いずれの教会でも崇敬されてきたが、ことにでは特有の多くの伝説で彩られている。 マグダラのマリアとベタニアのマリアは同一人物であり(第二バチカン公会議以後は別人とされることが多い)、マグダラのマリアは晩年に、とともにに暮らしてそこで没し、後に(現イスタンブール)に移葬されたと信じられている。 正教会での伝承の概略 [ ] マグダラのマリアについて、福音書に記載の無い伝承は以下の通りである。 後、()や使徒達とともに常に祈り、広くエルサレム中に主のを伝え、第一の証人となった。 神の道を伝えるために、方々を旅した。 へ行き、皇帝に会って紅い鶏卵を献上し、を伝え、主のの死を物語り、ピラトによるの死刑は不法であったと皇帝に訴えた。 ユダヤ人には、貧しい者が祝賀・敬意の気持ちを示す際に鶏卵を贈る習慣があり、この習慣に則ってマグダラのマリアが皇帝に紅卵を献上してから、復活の記憶()に鶏卵を贈る習慣が始まった。 カトリック教会での伝承の概略 [ ] 「」も参照 四福音書にはマグダラのマリアと特定されていない女性が何人か登場する。 その中のなどがマグダラのマリアと同一視され、イエスの足に涙を落し、自らので拭い、香油を塗ったとされる。 それゆえ図像ではの香油壺を手にする姿が代表的。 伝説中のマグダラのマリア、たとえばの『』 などによれば、マグダラのマリアは金持ちの出自であって、その美貌と富ゆえに快楽に溺れ、後にイエスに出会い悔悛したという。 をも意味する「 罪深い女」 the Sinner との異名を与えられたり、以降「マグダラのマリアの悔悛」 The Penitent Mary Magdalene を主題とする、が多く制作される。 このイメージはカトリック教会の作為が関与していると指摘されている。 洞窟のマグダラのマリア() 後、兄弟、 らとともに南仏(あるいは)に着き、晩年はの洞窟で隠士生活を送ったのちにその一生を終え、遺骸はいったん郊外の に葬られたと信じられた。 のはその遺骸()を移葬したものと主張している。 しかし、サン=マクシマン側はいまも遺骸を保持していると主張しており、一部はのにも分骨されている。 名前の由来 [ ] 沿いの町マグダラの出身であるために「マグダラのマリア」と呼ばれたとするのが通説である。 「ヘアー・ドレッサー」を意味するヘブル語「メガデラ・ネシャヤ」から来ており、これは身持の悪い女を暗喩すると、17世紀にが唱えた。 (のben-Stadaの項参照)• 「塔」を意味する「ミグダル」あるいは「マガダン」に由来し、彼女の揺るがぬ堅い信仰のゆえに名付けられたと、4-5世紀の神学者は示唆した。 彼女のイメージがさまざまであったことが分かる。 娼婦だったか? [ ] 『ルカによる福音書』が紹介するものは次のものだけである(ルカ8:1-3, 23:55)。 イエスに七つの悪霊を追い出していただいた• マグダラの女と呼ばれるマリア• そのほか多くの婦人たちと一緒に• 自分の持ち物を出し合って• 一行に奉仕していた• ガリラヤから付き従ってきた カトリック教会では、『ルカによる福音書』 7:36-50)に登場する「罪深い女」と彼女が同一人物とされた。 (「」を参照) この女性がどのような罪を犯したのかは記載されていないが、性的不品行と説明されてきたようであり、それが娼婦とされていた原因かもしれない。 彼女は(悔悛した)娼婦のでもある。 いっぽうでカトリック信仰の強い国々を中心に、娘を名付けるにあたってこの聖女の名が好んで使われている。 諸文学で彼女の娼婦的な過去を扱うものが多いが、職業的娼婦であったとするものは、あまり見受けられない。 しかし、の多くが、彼女がかつて娼婦であったとの設定で登場させている。 イエスと結婚していた? [ ] さきの『』で十字架上のイエスがマグダラのマリアとの結婚生活を夢想する。 マーガレット・スターバードもこれに追随し、『』で、イエスとの間の娘をとした。 の小説『』がそれをストーリー中に使っている。 結婚していたとする論では、あちこちに暗喩や象徴の形で残っていると主張している。 そもそも西洋美術には作品の中にシンボルとしての形や色を配し、暗示的に表現する手法があるのである。 古くから中心的な宗派以外は、異端として迫害されたり証拠品を焼き払われたりしてきた歴史がある。 迫害の対象となるような表現であれば、当然その手法を美術家たちは用いてきた。 明示的なものでは、2-3世紀ごろの著作と見られる『』の記述がある。 古代社会でも国を治める者によって宗教内容の統制が行われ、統率者の意向にそぐわない教義は何度も隠蔽と書き換え、そして迫害が行われてきた。 この結婚という内容もその隠蔽の1つとみられている。 イエスの結婚を巡り、近年さまざまな研究書、追跡書などが出ている。 20世紀の半ばに、異端の書としてこれまで姿を消していた書物がの発見などにより、その姿を現してきた。 そんな世論の中、娼婦を否定し妻とするのは「同じ見方の裏と表」と、エレーヌ・ペイゲルス は指摘した。 ペイゲルスによれば、「男たちは、マグダラのマリアがイエスの弟子でも、リーダーでもなく、性的な役割だけを与えようとして、このようなファンタジーを作っているのではないかとさえ思える」と。 しかし、史実の対象となる古書の中にイエスが結婚をしていないという具体的な表現もなく、重要な文書が削除され教義が歪曲されたとも解釈できる。 太古の時代に地球上のあらゆる文化でリーダーとしての女神崇拝があったことの名残でもあるマグダラのマリアの存在に恐れを感じた組織が「性的」や「ファンタジー」という言葉によって、逆に貶めているとも考えられる。 キリスト教美術における表現 [ ] マグダラのマリアはにおいて、と並ぶ重要な聖書の登場人物である。 聖母は超越的な奇跡的存在であり、多くの宗教画家は最大級に理想化された聖母像をつくった。 対して、マグダラのマリアはエモーショナルな存在を象徴する女性として描かれた。 聖母とともにマグダラのマリアを常に重要な場面に登場させるキリスト教美術は、そうすることでキリスト教における人間の愛のありようを相互補完的に表した。 但し、・においてはマグダラのマリアについて、西欧で伝承されたようなマグダラのマリア理解の伝統は生まれなかった。 西欧キリスト教美術において [ ] 以下、西欧のキリスト教美術における伝統につき詳述する。 概要 [ ] に描かれた絵画• 宗教画において以降の宗教画では、聖書の人物によって衣服の色がおおむね定まっており、聖母が青や紺色の衣やマントを着るのに対し、マグダラのマリアは緑色の下衣、朱色のマントを身につける事が多い。 多くは豊かな金髪を見せ、高価な油壺を手にする。 時代にもよるが、古い15世紀の絵画などでは聖母が赤い衣に暗濃色のマントであることもある。 画題はイエスの、すなわち『の道行き』や『』、『降架』、『』、『埋葬』、『』、『イエスの復活の場面』の各場面の情景で聖女マグダラのマリアが多く描かれる。 多くの宗教画おいてはがイエスに近い構図に、マグダラのマリアはイエスの足もと近くの構図へ配置される。 『イエスの復活の場面』ではマグダラのマリアがイエスと共に画面に描かれる。 宗教画家に好んで描いた主題に『ノリ・メ・タンゲレ 我に触れるな』 がある。 復活したイエスに気付き、マグダラがすがろうとするのをイエスが台詞とともに制する様子(20:17)である。 聖人群像画である『』などでも他の聖女らの中でそれと判るように、マグダラのマリアはトレードマーク()である香油壺を手に持つことが多い。 幼子イエスを抱く聖母マリアを中心とする聖人群像画『と聖会話』での主な人物はであり、周囲の人物にマグダラのマリアが描かれることもある。 『マグダラのマリアの浄化』()• マグダラのマリアのみを描く宗教画は、とくに以降の西欧を中心に『マグダラのマリアの悔悛』という主題で多く制作された。 晩年の苦行、隠修生活を描いたものでは西欧キリスト教の聖女の中では珍しく肌を露出し、ときに裸身で描かれる(ではも肌をある程度露出した姿で描かれる)。 隠修生活中でしばしば天国に昇り、天使の歌声を聞いていたとして『マグダラのマリアの昇天』という主題でも描かれる。 絵画・最後の晩餐 [ ] 『』(さいごのばんさん、伊:Il Cenacolo o L'Ultima Cena) はレオナルド・ダ・ヴィンチが彼のパトロン、ルドヴィーコ・スフォルツァ公の要望で描いた巨大な絵画。 これはキリスト教の聖書に登場するイエス・キリストの最後の日、最後の晩餐の情景を描いている。 ヨハネによる福音書13章21節より、キリストが12弟子の中の一人が私を裏切る、と予言した時の情景である。 小説『ダ・ヴィンチ・コード』はの『』でキリストの右隣には女性らしき性別の人物が座っており、マグダラのマリアではないかとする説を紹介している。 しかし、使徒ヨハネと解釈されてきたこの人物を、髭の無い青年もしくは女性的に描き、金髪で衣装もマグダラのマリアと同じ朱色とするのは、ダ・ヴィンチに始まらず、それ以前からの伝統であり 、小説『ダ・ヴィンチ・コード』の記載は適切な解釈ではない。 『最後の晩餐』の絵にはキリストと12人が描かれているので、件の人物が使徒ヨハネとして描かれたことはほぼ確かである。 この絵は『ヨハネによる福音書』をもとに描かれている。 同福音書には、イエスの愛しておられた弟子がイエスに寄りかかっていたと書かれている 13:23-26。 この「」(この表現は別の箇所にもみられる)が他の人物である仮説、あるいはマグダラのマリアではないかとの仮説は、ダ・ヴィンチの絵画よりも以前から囁かれており、最近になって明らかになったものでもない。 東欧の正教会美術において [ ] マグダラのマリア(・) におけるマグダラのマリアを巡る事情は西欧とはかなり異なる。 そもそも東方教会・において、以外の美術としての宗教絵画がまとまった形で生まれたのは近世以降にほぼ限定される。 イコンにおいては当然の事ながら性的表現・感情的表現は(たとえ技法に西欧的なものが導入されているものであっても)抑制され、マグダラのマリアについてもこれは例外ではない。 また、確かにマグダラのマリアは正教会でも篤く崇敬されてはおり、これを元にした世俗絵画も無い訳ではないものの、「(聖母マリアのこと)に続く第二の聖人」と称されてマグダラのマリア以上に崇敬されるのは、である。 西欧における聖女にちなむ名前 [ ]• 聖女マグダラのマリアにちなんで女の子にその名が付けられることも多い。 したがって同名の別人も多い。 英語では 「メアリ・マグダレーン」 Mary Magdalene。 映画にもなったジューン・ゴールディング著『』は聖女の名を冠する修道院を舞台とする。 では「マリー・マドレーヌ」 Marie Madeleine となる。 の、パリのはこの聖女を祭る。 焼菓子のもこの名に由来する。 17世紀フランスの連続殺人犯、の本名がマリー・マドレーヌ・ドルー・ドブレー Marie Madeleine Dreux d'Aubray である。 愛称は「マルレーン」もしくは「マレーネ」 Marlene。 もこの名前である。 イタリア映画『』もこの名前を持つ、美しくも運命に翻弄されるヒロインを描き、がその役を演じた。 イタリア語では「マリア・マッダレーナ」 Maria Maddalena。 ちなみにモニカ・ベルッチは映画『』でもマグダラのマリア役を演じている。 の「マリリン」もこの愛称。 現スウェーデン国王の末娘であるはファッション雑誌の表紙モデルを務めるなど、その美貌が人気となる。 の女性シンガーソングライター、(Lene Marlin Pedersen もこの名前。 すなわちレネもその愛称。 彼女のデビュー・シングル『Unforgivable Sinner』 邦題:天使のように... )の Sinnerは聖女の異名「罪深い女」を意味する。 聖女の名は教会だけでなく教育機関などにも冠されることが多い。 また地名も多くある。 脚注 [ ]• 「」『』。 2018年5月28日閲覧。 「」『』。 2018年5月28日閲覧。 『諸聖略伝 八月』(教団発行)、および『The Orthodox Study Bible』ルカ福音書7章36節から50節の注解:1378頁(英語:『正教聖書研究』)にも、罪深い女 Sinful Woman とマグダラのマリアを同一視する見解は皆無である。 『 マグダラのマリア、第一の使徒 - 権威を求める闘い』 (A. 出典:『諸聖略伝 八月』(教団発行)• もともとはの文書の中で、イエスの母マリアについて使われていたもの Sanhedrin 67a and Chagigah 4b of the Babylonian Talmud をJohn Lightfootが発見した。 もこの説を紹介している。 (1961年)• (1965年)• (1973年)• (1988年) いずれもアメリカ映画。 サイモン・コックスによる『ダ・ヴィンチ・コードの謎』(2004年)では、研究者リン・ピクネットによるとマグダラのマリアはエジプト人かエチオピア人であり、有色人種だった可能性があるという。 この中でマグダラのマリアが2カ所で触れられており、1カ所では「イエスの伴侶」と紹介されている。 主は、マグダラのマリアをすべての弟子たちよりも愛していた。 そして、主は彼女の口にしばしば接吻した。 他の弟子達は、主がマリアを愛しているのを見た。 彼らは主に言った。 「あなたはなぜ、私たちすべてよりも彼女を愛されるのですか? 」救い主は答えた。 「なぜ、私は君たちを彼女のように愛せないのだろうか」 — 「フィリポによる福音書」、『ナグ・ハマディ文書』(荒井献訳、岩波書店)より 正式な夫婦と認められていたとすれば、弟子たちの問いはやや妙である。 妻ではなかったと主張される場合の根拠としては、「伴侶」とされる箇所は原典のコプト語では単なる「連れ」であり、配偶者の意味はないということ。 また、接吻についても、グノーシス文書において、接吻は特に性的な意味がなく、イエスは男性信者に対しても接吻をしていたことが挙げられる。 や など。 「」も参照のこと• 『マレーナ』作中では、裁判にかかったマレーナが自らの正式名を「マグダレーナ」と名乗るシーンがある。 関連書籍 [ ]• マーガレット・スターバード 『マグダラのマリアと聖杯』 英知出版、2005年、。 /山野貴彦/山吉智久 『図説聖書の世界』 学習研究社、2008年、• シンハ・ヤコボビッチ、バリー・ウィルソン(共著)、守屋彰夫(翻訳監修)『失われた福音-「ダ・ヴィンチ・コード」を裏付ける衝撃の暗号解読』 桜の花出版、2016年、 関連項目 [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。 外部リンク [ ]• (英文)•

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マグダラのマリア

法悦 の マグダラ の マリア

マグダラのマリアの 携香女、亜使徒 崇敬する教派 カトリック教会、正教会、聖公会 記念日 7月22日(カトリック)、8月4日(正教会、修正ユリウス暦を使用する正教会では西方と同じく7月22日) 守護対象 改悛した娼婦、罪を悔いる人、身体に障害のある子供、葡萄酒醸造業者、造園業者、織物業者、美容師 マグダラのマリア(: Maria Magdalena)は、中のに登場する、に従った女性である。 マリヤ・マグダレナとも音訳される。 ・・で。 では携香女・の称号をもつ聖人。 香油の入った壷を持った姿で描かれているが、これは墓にあると思われていたの遺体に塗るために香油を持って墓を訪れたとの聖書の記述に由来し、「携香女」(けいこうじょ)の称号もこの記述に由来する。 は、マグダラのマリアは、がにつけられるのを見守り、イエスが埋葬されるのを見つめ、そして墓の方を向いて座っていた婦人たちの中で一番重要な人物とされる。 「罪深い女」と知られているため、の『最後の誘惑』等のような現代小説をはじめ、イエスとの結婚を語る様々な非歴史的な伝説はあるが、歴史的根拠は未だに見出されていない。 マグダラのマリア 、による の主要でいずれもに列せられている。 のマリアを聖人とする(、)での記念日()はである。 一方、ではに携香女・として記憶する(を使用する正教会では西方と同じく7月22日)。 固有の記憶日に加え、後第二を「携香女(けいこうじょ)の主日」として他の聖人とともにマグダラのマリアを記憶する。 マグダラのマリアは、イエスの死とを見届ける証人であるとともに、西方教会では男性原理を重視し組織形成していたため、教義上「悔悛した」とした。 (正教会)ではマグダラのマリアを「罪深い女」と同一視してこなかった。 これまで多くの解釈が生まれ、真実などはっきりしないまま今に至る。 従って「罪深い女」と「マグダラのマリア」を関連付けたことによる伝承は・西方教会(ことにカトリック教会)独自のものである。 福音書中の聖女 [ ] 四福音書中の記述 [ ] マグダラのマリアについて四福音書がはっきり語っているのは、七つの悪霊をイエスに追い出していただき、磔にされたイエスを遠くから見守り、その埋葬を見届けたこと。 そして、したイエスに最初に立ち会い、「すがりつくのはよしなさい。 まだ父のもとへ上っていないのだから」とイエスに窘められる。 『』などによれば、彼女は復活の訪れを弟子()たちに告げるため遣わされた。 このため彼女は初期キリスト教父たちから「使徒たちへの使徒」 the Apostle to the Apostles と呼ばれ、での彼女の称号「」はこの事績に由来する。 マグダラのマリアともう一人のマリアは、が終わって、週の初めの日の明け方にイエスの納められている墓に向かった。 その時、大地震が起こり、墓の入り口を塞いでいた大きな石が転がり、墓の入り口が開いた。 マタイによる福音書によると、それはの仕業であり、墓の中にはイエスの遺体はなく、天使にイエスの復活を告げ知らされた婦人たちは そこで、イエスは自分に触れようとするマグダラのマリアに、父である神のもとへ上る前であるため、触れないようにと言われた。 — ヨハネによる福音書20章17節、新共同訳による また、他の弟子たちにイエスの復活を告げ知らせるようにと言われたのである。 外典の記述 [ ] 20世紀になって、『(マグダラの)』(断片のみ)、からは『』、『』などが発見された。 これらの中にマグダラのマリアは、イエスとの親密な様子のみならず、男性たちと並ぶイエスの弟子として現れる。 これら最新の聖書研究はイエス宣教の旅での女性たちの役割や、マグダラのマリアの地位を見直させることとなった。 外典の記述については外部リンクを参照。 伝説 [ ] マグダラのマリアは古来より・いずれの教会でも崇敬されてきたが、ことにでは特有の多くの伝説で彩られている。 マグダラのマリアとベタニアのマリアは同一人物であり(第二バチカン公会議以後は別人とされることが多い)、マグダラのマリアは晩年に、とともにに暮らしてそこで没し、後に(現イスタンブール)に移葬されたと信じられている。 正教会での伝承の概略 [ ] マグダラのマリアについて、福音書に記載の無い伝承は以下の通りである。 後、()や使徒達とともに常に祈り、広くエルサレム中に主のを伝え、第一の証人となった。 神の道を伝えるために、方々を旅した。 へ行き、皇帝に会って紅い鶏卵を献上し、を伝え、主のの死を物語り、ピラトによるの死刑は不法であったと皇帝に訴えた。 ユダヤ人には、貧しい者が祝賀・敬意の気持ちを示す際に鶏卵を贈る習慣があり、この習慣に則ってマグダラのマリアが皇帝に紅卵を献上してから、復活の記憶()に鶏卵を贈る習慣が始まった。 カトリック教会での伝承の概略 [ ] 「」も参照 四福音書にはマグダラのマリアと特定されていない女性が何人か登場する。 その中のなどがマグダラのマリアと同一視され、イエスの足に涙を落し、自らので拭い、香油を塗ったとされる。 それゆえ図像ではの香油壺を手にする姿が代表的。 伝説中のマグダラのマリア、たとえばの『』 などによれば、マグダラのマリアは金持ちの出自であって、その美貌と富ゆえに快楽に溺れ、後にイエスに出会い悔悛したという。 をも意味する「 罪深い女」 the Sinner との異名を与えられたり、以降「マグダラのマリアの悔悛」 The Penitent Mary Magdalene を主題とする、が多く制作される。 このイメージはカトリック教会の作為が関与していると指摘されている。 洞窟のマグダラのマリア() 後、兄弟、 らとともに南仏(あるいは)に着き、晩年はの洞窟で隠士生活を送ったのちにその一生を終え、遺骸はいったん郊外の に葬られたと信じられた。 のはその遺骸()を移葬したものと主張している。 しかし、サン=マクシマン側はいまも遺骸を保持していると主張しており、一部はのにも分骨されている。 名前の由来 [ ] 沿いの町マグダラの出身であるために「マグダラのマリア」と呼ばれたとするのが通説である。 「ヘアー・ドレッサー」を意味するヘブル語「メガデラ・ネシャヤ」から来ており、これは身持の悪い女を暗喩すると、17世紀にが唱えた。 (のben-Stadaの項参照)• 「塔」を意味する「ミグダル」あるいは「マガダン」に由来し、彼女の揺るがぬ堅い信仰のゆえに名付けられたと、4-5世紀の神学者は示唆した。 彼女のイメージがさまざまであったことが分かる。 娼婦だったか? [ ] 『ルカによる福音書』が紹介するものは次のものだけである(ルカ8:1-3, 23:55)。 イエスに七つの悪霊を追い出していただいた• マグダラの女と呼ばれるマリア• そのほか多くの婦人たちと一緒に• 自分の持ち物を出し合って• 一行に奉仕していた• ガリラヤから付き従ってきた カトリック教会では、『ルカによる福音書』 7:36-50)に登場する「罪深い女」と彼女が同一人物とされた。 (「」を参照) この女性がどのような罪を犯したのかは記載されていないが、性的不品行と説明されてきたようであり、それが娼婦とされていた原因かもしれない。 彼女は(悔悛した)娼婦のでもある。 いっぽうでカトリック信仰の強い国々を中心に、娘を名付けるにあたってこの聖女の名が好んで使われている。 諸文学で彼女の娼婦的な過去を扱うものが多いが、職業的娼婦であったとするものは、あまり見受けられない。 しかし、の多くが、彼女がかつて娼婦であったとの設定で登場させている。 イエスと結婚していた? [ ] さきの『』で十字架上のイエスがマグダラのマリアとの結婚生活を夢想する。 マーガレット・スターバードもこれに追随し、『』で、イエスとの間の娘をとした。 の小説『』がそれをストーリー中に使っている。 結婚していたとする論では、あちこちに暗喩や象徴の形で残っていると主張している。 そもそも西洋美術には作品の中にシンボルとしての形や色を配し、暗示的に表現する手法があるのである。 古くから中心的な宗派以外は、異端として迫害されたり証拠品を焼き払われたりしてきた歴史がある。 迫害の対象となるような表現であれば、当然その手法を美術家たちは用いてきた。 明示的なものでは、2-3世紀ごろの著作と見られる『』の記述がある。 古代社会でも国を治める者によって宗教内容の統制が行われ、統率者の意向にそぐわない教義は何度も隠蔽と書き換え、そして迫害が行われてきた。 この結婚という内容もその隠蔽の1つとみられている。 イエスの結婚を巡り、近年さまざまな研究書、追跡書などが出ている。 20世紀の半ばに、異端の書としてこれまで姿を消していた書物がの発見などにより、その姿を現してきた。 そんな世論の中、娼婦を否定し妻とするのは「同じ見方の裏と表」と、エレーヌ・ペイゲルス は指摘した。 ペイゲルスによれば、「男たちは、マグダラのマリアがイエスの弟子でも、リーダーでもなく、性的な役割だけを与えようとして、このようなファンタジーを作っているのではないかとさえ思える」と。 しかし、史実の対象となる古書の中にイエスが結婚をしていないという具体的な表現もなく、重要な文書が削除され教義が歪曲されたとも解釈できる。 太古の時代に地球上のあらゆる文化でリーダーとしての女神崇拝があったことの名残でもあるマグダラのマリアの存在に恐れを感じた組織が「性的」や「ファンタジー」という言葉によって、逆に貶めているとも考えられる。 キリスト教美術における表現 [ ] マグダラのマリアはにおいて、と並ぶ重要な聖書の登場人物である。 聖母は超越的な奇跡的存在であり、多くの宗教画家は最大級に理想化された聖母像をつくった。 対して、マグダラのマリアはエモーショナルな存在を象徴する女性として描かれた。 聖母とともにマグダラのマリアを常に重要な場面に登場させるキリスト教美術は、そうすることでキリスト教における人間の愛のありようを相互補完的に表した。 但し、・においてはマグダラのマリアについて、西欧で伝承されたようなマグダラのマリア理解の伝統は生まれなかった。 西欧キリスト教美術において [ ] 以下、西欧のキリスト教美術における伝統につき詳述する。 概要 [ ] に描かれた絵画• 宗教画において以降の宗教画では、聖書の人物によって衣服の色がおおむね定まっており、聖母が青や紺色の衣やマントを着るのに対し、マグダラのマリアは緑色の下衣、朱色のマントを身につける事が多い。 多くは豊かな金髪を見せ、高価な油壺を手にする。 時代にもよるが、古い15世紀の絵画などでは聖母が赤い衣に暗濃色のマントであることもある。 画題はイエスの、すなわち『の道行き』や『』、『降架』、『』、『埋葬』、『』、『イエスの復活の場面』の各場面の情景で聖女マグダラのマリアが多く描かれる。 多くの宗教画おいてはがイエスに近い構図に、マグダラのマリアはイエスの足もと近くの構図へ配置される。 『イエスの復活の場面』ではマグダラのマリアがイエスと共に画面に描かれる。 宗教画家に好んで描いた主題に『ノリ・メ・タンゲレ 我に触れるな』 がある。 復活したイエスに気付き、マグダラがすがろうとするのをイエスが台詞とともに制する様子(20:17)である。 聖人群像画である『』などでも他の聖女らの中でそれと判るように、マグダラのマリアはトレードマーク()である香油壺を手に持つことが多い。 幼子イエスを抱く聖母マリアを中心とする聖人群像画『と聖会話』での主な人物はであり、周囲の人物にマグダラのマリアが描かれることもある。 『マグダラのマリアの浄化』()• マグダラのマリアのみを描く宗教画は、とくに以降の西欧を中心に『マグダラのマリアの悔悛』という主題で多く制作された。 晩年の苦行、隠修生活を描いたものでは西欧キリスト教の聖女の中では珍しく肌を露出し、ときに裸身で描かれる(ではも肌をある程度露出した姿で描かれる)。 隠修生活中でしばしば天国に昇り、天使の歌声を聞いていたとして『マグダラのマリアの昇天』という主題でも描かれる。 絵画・最後の晩餐 [ ] 『』(さいごのばんさん、伊:Il Cenacolo o L'Ultima Cena) はレオナルド・ダ・ヴィンチが彼のパトロン、ルドヴィーコ・スフォルツァ公の要望で描いた巨大な絵画。 これはキリスト教の聖書に登場するイエス・キリストの最後の日、最後の晩餐の情景を描いている。 ヨハネによる福音書13章21節より、キリストが12弟子の中の一人が私を裏切る、と予言した時の情景である。 小説『ダ・ヴィンチ・コード』はの『』でキリストの右隣には女性らしき性別の人物が座っており、マグダラのマリアではないかとする説を紹介している。 しかし、使徒ヨハネと解釈されてきたこの人物を、髭の無い青年もしくは女性的に描き、金髪で衣装もマグダラのマリアと同じ朱色とするのは、ダ・ヴィンチに始まらず、それ以前からの伝統であり 、小説『ダ・ヴィンチ・コード』の記載は適切な解釈ではない。 『最後の晩餐』の絵にはキリストと12人が描かれているので、件の人物が使徒ヨハネとして描かれたことはほぼ確かである。 この絵は『ヨハネによる福音書』をもとに描かれている。 同福音書には、イエスの愛しておられた弟子がイエスに寄りかかっていたと書かれている 13:23-26。 この「」(この表現は別の箇所にもみられる)が他の人物である仮説、あるいはマグダラのマリアではないかとの仮説は、ダ・ヴィンチの絵画よりも以前から囁かれており、最近になって明らかになったものでもない。 東欧の正教会美術において [ ] マグダラのマリア(・) におけるマグダラのマリアを巡る事情は西欧とはかなり異なる。 そもそも東方教会・において、以外の美術としての宗教絵画がまとまった形で生まれたのは近世以降にほぼ限定される。 イコンにおいては当然の事ながら性的表現・感情的表現は(たとえ技法に西欧的なものが導入されているものであっても)抑制され、マグダラのマリアについてもこれは例外ではない。 また、確かにマグダラのマリアは正教会でも篤く崇敬されてはおり、これを元にした世俗絵画も無い訳ではないものの、「(聖母マリアのこと)に続く第二の聖人」と称されてマグダラのマリア以上に崇敬されるのは、である。 西欧における聖女にちなむ名前 [ ]• 聖女マグダラのマリアにちなんで女の子にその名が付けられることも多い。 したがって同名の別人も多い。 英語では 「メアリ・マグダレーン」 Mary Magdalene。 映画にもなったジューン・ゴールディング著『』は聖女の名を冠する修道院を舞台とする。 では「マリー・マドレーヌ」 Marie Madeleine となる。 の、パリのはこの聖女を祭る。 焼菓子のもこの名に由来する。 17世紀フランスの連続殺人犯、の本名がマリー・マドレーヌ・ドルー・ドブレー Marie Madeleine Dreux d'Aubray である。 愛称は「マルレーン」もしくは「マレーネ」 Marlene。 もこの名前である。 イタリア映画『』もこの名前を持つ、美しくも運命に翻弄されるヒロインを描き、がその役を演じた。 イタリア語では「マリア・マッダレーナ」 Maria Maddalena。 ちなみにモニカ・ベルッチは映画『』でもマグダラのマリア役を演じている。 の「マリリン」もこの愛称。 現スウェーデン国王の末娘であるはファッション雑誌の表紙モデルを務めるなど、その美貌が人気となる。 の女性シンガーソングライター、(Lene Marlin Pedersen もこの名前。 すなわちレネもその愛称。 彼女のデビュー・シングル『Unforgivable Sinner』 邦題:天使のように... )の Sinnerは聖女の異名「罪深い女」を意味する。 聖女の名は教会だけでなく教育機関などにも冠されることが多い。 また地名も多くある。 脚注 [ ]• 「」『』。 2018年5月28日閲覧。 「」『』。 2018年5月28日閲覧。 『諸聖略伝 八月』(教団発行)、および『The Orthodox Study Bible』ルカ福音書7章36節から50節の注解:1378頁(英語:『正教聖書研究』)にも、罪深い女 Sinful Woman とマグダラのマリアを同一視する見解は皆無である。 『 マグダラのマリア、第一の使徒 - 権威を求める闘い』 (A. 出典:『諸聖略伝 八月』(教団発行)• もともとはの文書の中で、イエスの母マリアについて使われていたもの Sanhedrin 67a and Chagigah 4b of the Babylonian Talmud をJohn Lightfootが発見した。 もこの説を紹介している。 (1961年)• (1965年)• (1973年)• (1988年) いずれもアメリカ映画。 サイモン・コックスによる『ダ・ヴィンチ・コードの謎』(2004年)では、研究者リン・ピクネットによるとマグダラのマリアはエジプト人かエチオピア人であり、有色人種だった可能性があるという。 この中でマグダラのマリアが2カ所で触れられており、1カ所では「イエスの伴侶」と紹介されている。 主は、マグダラのマリアをすべての弟子たちよりも愛していた。 そして、主は彼女の口にしばしば接吻した。 他の弟子達は、主がマリアを愛しているのを見た。 彼らは主に言った。 「あなたはなぜ、私たちすべてよりも彼女を愛されるのですか? 」救い主は答えた。 「なぜ、私は君たちを彼女のように愛せないのだろうか」 — 「フィリポによる福音書」、『ナグ・ハマディ文書』(荒井献訳、岩波書店)より 正式な夫婦と認められていたとすれば、弟子たちの問いはやや妙である。 妻ではなかったと主張される場合の根拠としては、「伴侶」とされる箇所は原典のコプト語では単なる「連れ」であり、配偶者の意味はないということ。 また、接吻についても、グノーシス文書において、接吻は特に性的な意味がなく、イエスは男性信者に対しても接吻をしていたことが挙げられる。 や など。 「」も参照のこと• 『マレーナ』作中では、裁判にかかったマレーナが自らの正式名を「マグダレーナ」と名乗るシーンがある。 関連書籍 [ ]• マーガレット・スターバード 『マグダラのマリアと聖杯』 英知出版、2005年、。 /山野貴彦/山吉智久 『図説聖書の世界』 学習研究社、2008年、• シンハ・ヤコボビッチ、バリー・ウィルソン(共著)、守屋彰夫(翻訳監修)『失われた福音-「ダ・ヴィンチ・コード」を裏付ける衝撃の暗号解読』 桜の花出版、2016年、 関連項目 [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。 外部リンク [ ]• (英文)•

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