二 人 の ローマ 教皇。 ローマ教皇(法王)の歴代と現在は誰?初代はイエスの弟子?

ローマ教皇(法王)の歴代と現在は誰?初代はイエスの弟子?

二 人 の ローマ 教皇

解説 「シティ・オブ・ゴッド」「ナイロビの蜂」のフェルナンド・メイレレス監督がメガホンをとり、2012年に当時のローマ教皇だったベネディクト16世と、翌年に教皇の座を受け継ぐことになるホルヘ・マリオ・ベルゴリオ枢機卿の間で行われた対話を描いたNetflixオリジナル映画。 カトリック教会の方針に不満を抱くベルゴリオ枢機卿は、ベネディクト教皇に辞任を申し入れる。 しかし、スキャンダルに直面して信頼を失っていたベネディクト教皇はそれを受け入れず、ベルゴリオをローマに呼び寄せる。 考えのまったく異なる2人だったが、世界に10億人以上の信徒を擁するカトリック教会の未来のため、対話によって理解しあっていく。 ベネディクト16世役にアンソニー・ホプキンス、ベルゴリオ役に「天才作家の妻 40年目の真実」のジョナサン・プライス。 脚本は「博士と彼女のセオリー」「ボヘミアン・ラプソディ」のアンソニー・マッカーテン。 Netflixで2019年12月20日から配信。 日本では配信に先立つ12月13日から、一部劇場にて公開。 2019年製作/125分/G/イギリス・イタリア・アルゼンチン・アメリカ合作 原題:The Two Popes 配給:Netflix スタッフ・キャスト 様々なスキャンダルを抱えるカトリック教会の運営に限界を感じた現ローマ教皇が、革新派の枢機卿をわざわざバチカンに呼び寄せて、徹底的に腹を割って話し合う。 背景のリアリズムが、ドイツ人独特の無骨さで教皇を演じるアンソニー・ホプキンスと、方や、やがて、南米初のローマ教皇となるホルヘ・マリオ・ベルゴリオを、巧みなスペイン語とスペイン語訛りの英語と、実物そっくりの外見と 今年来日したので分かりやすい 、まろやかな人物の造形によって具現化するジョナサン・プライスによって、さらにリアリティを増していく。 やがて浮かび上がるのは、教皇となる人間にも深い悩みと矛盾を抱え、孤独に苛まれることもあるという、とても普遍的な現実。 人は何と愛おしい生き物か!? そんな後味が残る実録ヒューマンドラマだ。 「テリーギリアムのドンキホーテ」のキホーテ役の俳優さんがフランシス教皇役! さて。 謙虚で質素で親しみやすく、サッカーとジョークが好き。 ダンスも踊る。 弱い立場、貧しい人たちに寄り添いながら、考えを実行する行動力と、大きな組織に対しても臆せずNOと言える人物。 今までのやり方にただ従うのではなく、その体制を切り崩し、階級制度を変えようとしている。 「祈り」とは、悩みや心配ごと、喜び、悲しみをそのまま神に伝えることだ。 願わくば、涙を流すなら悲しい涙より嬉し涙がいい。 傷付いた者がこれ以上傷付かないように。 傷はシミではない。 癒されるべきだ。 自らの良心の声に耳を傾け、決して裏切らない姿は、カトリックという宗教を超えて人々の胸を熱くさせる。 だからこそフランシス教皇は稀代のロックスターと呼ばれるのだろう。 ベネディクト16世は、自分は神学理論家にすぎず、今日のキリスト教徒の現実の生活をほとんど理解していなかったと言う。 彼とフランシス教皇との間に「内なるつながり」があることが、とても嬉しかった。 アンソニーホプキンスだからこそベネディクト16世の人間臭さもまた魅力的だった。 手ぶれ風のカメラで臨場感を煽らず、固定カメラで二人の演技を観たかった気もする。 サン・ピエトロで撮影するなど、かなり贅沢でNetflixがここまでの作品が作れるようになったと感じさせられる作品。 途中までは完全にベネディクトの保守的で排他的な側面を多く見せ、誰からも好かれるベルゴリオ(現在のフランシスコ)の建設的な立場に誰もが共感し、もどかしさ、悔しさを感じたのではないだろうか。 一方最後には2人の友情に繋がるハッピーエンドになるのだが、あまりにもベネディクトが可哀想で絶対的な悪としては見れなくなった。 時代の変化についていけなくて、もがき苦しんでいただけ。 もしかしたら、共感すべきはこちらだったかもしれない。 日本人としては宗教はかけ離れたものに感じるが、教皇であっても感じている問題は近く、2人の関係性にも同じような境遇に出会したことがある。 かなり宗教が身近になった瞬間だった。 カトリックとしては最高のPVじゃないだろうか。

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映画「2人のローマ教皇」ネタバレ感想 老人の会話を魅せ続ける2時間

二 人 の ローマ 教皇

現在のローマ教皇は誰?Wiki情報では! 現在のローマ教皇は フランシスコという名前の方です。 本名は ホルヘ・マリオ・ベルゴリオで2013年から第266代ローマ教皇(在位は2013年3月13日)になりました。 フランシスコさんのWikiの情報を載せておきます。 本名 ホルヘ・マリオ・ベルゴリオ Jorge Mario Bergoglio 出生 1936年12月17日(83歳) アルゼンチン、ブエノスアイレス 原国籍 アルゼンチン 宗派 カトリック(イエズス会) 居住地 バチカン 母校 ブエノスアイレス大学 引用: 歴代のローマ教皇一覧 過去のローマ教皇の一覧です。 歴代教皇 教皇名 在位期間(かっこ内は正式に教皇職を開始した日) 1 聖ペトロ ~64年か67年 2 聖リノ 68年~79年 3 聖アナクレト 80年~92年 4 聖クレメンス一世 92年~99年か、68年~76年 5 聖エヴァリスト 99年か96年~108年 6 聖アレクサンドロ一世 108年か109年~116年か119年 7 聖シスト一世 117年か119年~126年か 128年 8 聖テレスフォロ 127年か128年~137年か138年 9 聖ヒジノ 138年~142年か149年 10 聖ピオ一世 142年か146年~157年か161年 11 聖アニチェト 150年か157年~153年か168年 12 聖ソテル 162年か168年~170年か177年 13 聖エレウテリオ 171年か177年~185年か193年 14 聖ヴィクトル一世 186年か189年~197年か201年 15 聖ゼフィリノ 198年~217年か218年 16 聖カリスト一世 218年~222年 聖ヒッポリト 217年~235年 17 聖ウルバノ一世 222年~230年 18 聖ポンツィアノ 230年7月21日~235年9月28日 19 聖アンテロ 235年11月21日~236年1月3日 20 聖ファビアノ 236年~250年1月20日 21 聖コルネリオ 251年3月6日か13日~253年6月 ノヴァツィアノ 251年 22 聖ルチオ一世 253年6月か7月~254年3月5日 23 聖ステファノ一世 254年3月12日~257年8月2日 24 聖シスト二世 257年8月30日~258年8月6日 25 聖ディオニジオ 259年7月22日~268年12月26日 26 聖フェリクス一世 269年1月5日~274年12月30日 27 聖エウティキアノ 275年1月4日~283年12月7日 28 聖カイオ 283年12月17日~296年4月22日 29 聖マルチェリノ 296年6月30日~304年10月25日 30 聖マルチェロ一世 306年~309年1月16日 31 聖エウゼビオ 309年4月18日~309年8月17日 32 聖ミルツィアデス 311年7月2日~314年1月10日 33 聖シルヴェストロ一世 314年1月31日~335年12月31日 34 聖マルコ 336年1月18日~336年10月7日 35 聖ユリオ一世 337年2月6日~352年4月12日 36 リベリオ 352年5月17日~366年9月24日 フェリクス二世 355年~365年11月22日 37 聖ダマソ一世 366年10月1日~384年12月11日 ウルシノ 366年9月24日~367年 38 聖シリチオ 384年12月15日か22日または29日~399年11月26日 39 聖アナスタジオ一世 399年11月27日~401年12月19日 40 聖インノチェンツィオ一世 401年12月22日~417年3月12日 41 聖ゾジモ 417年3月18日~418年12月26日 42 聖ボニファツィオ一世 418年12月28日 29日 ~422年9月4日 エウラリオ 418年12月27日 29日 ~419年4月3日 43 聖チェレスティノ一世 422年9月10日~432年7月27日 44 聖シスト三世 432年7月31日~440年8月19日 45 聖レオ一世 440年9月29日~461年11月10日 46 聖ヒラリオ 461年11月19日~468年2月29日 47 聖シンプリチオ 468年3月3日~483年3月10日 48 聖フェリクス三世(二世) 483年3月13日~492年2月25日か3月1日 49 聖ジュラジオ一世 492年3月1日~496年11月21日 50 アナスタジオニ世 496年11月24日~498年11月19日 51 聖シンマコ 498年11月22日~514年7月19日 ラウレンツィオ 498年11月22日~499年か502年または506年 52 聖ホルミスダス 514年7月20日~523年年8月6日 53 聖ヨハネ一世 523年8月13日~526年5月18日 54 聖フェリクス四世(三世) 526年7月12日~530年9月20日か22日 55 ボニファツィオ二世 530年9月20日か22日~532年10月17日 ディオスクロ 530年9月20日か22日~530年10月14日 56 ヨハネ二世 532年12月31日 533年1月2日)~535年5月8日 57 聖アガペト一世 535年5月13日~536年4月22日 58 聖シルヴェリオ 536年6月8日~537年 59 ヴィジリオ 537年3月29日~555年6月7日 60 ペラジオ一世 556年4月16日~561年3月4日 61 ヨハネ三世 561年7月17日~574年7月13日 62 ベネディクト一世 575年6月2日~579年7月30日 63 ペラジオニ世 579年11月26日~590年2月7日 64 聖グレコリオ一世 590年9月3日~604年3月12日 65 サビニアノ 604年3月 9月13日 ~606年2月22日 66 ボニファツィオ三世 607年2月19日~607年11月10日 67 聖ボニファツィオ四世 608年8月25日~615年5月8日 68 聖デウスデディト (別名聖アデオダト一世) 615年10月19日~618年11月8日 69 ボニファツィオ五世 619年12月23日~625年10月23日 70 ホノリオ一世 625年10月27日~638年10月12日 71 セヴェリノ 638年10月 640年5月28日 ~640年8月2日 72 ヨハネ四世 640年8月 12月24日 ~642年10月12日 73 テオドロ一世 642年10月12日 11月24日 ~649年5月14日 74 聖マルティノ一世 649年7月5日~655年9月16日 75 聖エウジェニオ一世 654年8月10日~657年6月2日 76 聖ヴィタリアノ 657年7月30日~672年1月27日 77 アデオダト二世 672年4月11日~676年6月16日 78 ドノ 676年11月2日~678年4月11日 79 聖アガト 678年6月27日~681年1月10日 80 聖レオ二世 681年1月 682年8月17日 ~683年7月3日 81 聖ベネディクト二世 684年6月26日~685年5月8日 82 ヨハネ五世 685年7月23日~686年8月2日 83 コノン 686年10月23日~687年9月21日 テオドロ 687年 パスカリス 687年 84 聖セルジオ一世 687年12月15日~701年9月7日 85 ヨハネ六世 701年10月30日~705年1月11日 86 ヨハネ七世 705年3月1日~707年10月18日 87 シジンニオ 708年1月15日~708年2月4日 88 コンスタンティノ一世 708年3月25日~715年4月9日 89 聖グレコリオ二世 715年5月19日~731年2月11日 90 聖グレゴリオ三世 731年3月18日~741年11月28日 91 聖ザカリア 741年12月3日~752年3月15日 92 ステファノ二世(三世) 752年3月26日~757年4月26日 93 聖パウロ一世 757年4月 5月29日 ~767年6月28日 コンスタンティノ(二世) 767年6月28日 7月5日 ~768年7月30日 フィリッポ 768年7月31日 94 ステファノ三世(四世) 768年8月1日 7日 ~772年1月24日 95 ハドリアノ一世 772年2月1日 9日 ~795年12月25日 96 聖レオ三世 795年12月26日 27日 ~816年6月12日 97 ステファノ四世(五世) 816年6月22日~817年1月24日 98 聖パスカリス一世 817年1月25日~824年2月-5月 99 エウジェニオ二世 824年2月-5月~827年8月 100 ヴァレンティノ 827年8月~827年9月 101 グレゴリオ四世 827年9月 828年3月29日 ~844年1月25日 ヨハネ 844年1月25日 102 セルジオ二世 844年1月25日~847年1月27日 103 聖レオ四世 847年1月 4月10日 ~855年7月17日 104 ベネディクト三世 855年7月 9月29日 ~858年4月17日 アナスタジオ 855年9月21日~24日 105 聖ニコラオ一世 858年4月24日~867年11月13日 106 ハドリアノ二世 867年12月14日 ~872年11月か12月 107 ヨハネ八世 872年12月14日~882年12月16日 108 マリノ一世 882年12月~884年5月15日 109 聖ハドリアノ三世 884年5月17日~885年8月か9月 110 ステファノ五世(六世) 885年9月~891年9月14日 111 フォルモゾ 891年10月6日~896年4月4日 112 ボニファツィオ六世 896年4月11日~896年4月26日 113 ステファノ六世(七世) 896年5月か6月~897年7月か8月 114 ロマノ 897年7月か8月~897年11月 115 テオドロニ世 897年12月~897年12月か898年1月 116 ヨハネ九世 897年12月か898年1月~900年1月-5月 117 ベネディクト四世 900年1月-5月~903年7月 118 レオ五世 903年7月~903年9月 クリストフォロ 903年9月~904年1月 119 セルジオ三世 904年1月29日~911年4月14日 120 アナスタジオ三世 911年6月か9月~913年6月か8月か10月 121 ランド 913年7月か11月~914年3月 122 ヨハネ十世 914年3月か4月~928年5月か6月 123 レオ六世 928年5月か6月~928年12月か929年1月 124 ステファノ七世(八世) 929年1月~931年2月 125 ヨハネ十一世 931年3月~936年1月 126 レオ七世 936年1月~939年7月13日 127 ステファノ八世(九世) 939年7年14日~942年10月 128 マリノ二世 942年10月30日 11月 ~946年5月 129 アガペト二世 946年5月10日~955年12月 130 ヨハネ十二世 955年12月16日~964年5月14日 131 レオ八世 963年12月4日 6日 ~965年3月 132 ベネディクト五世 964年5月~964年7月4日か965年 133 ヨハネ十三世 965年10月1日~972年9月6日 134 ベネディクト六世 972年12月 973年1月19日 ~974年7月 ボニファツィオ七世 974年6月-7月?984年8月~985年7月20日 135 ベネディクト七世 974年10月~983年7月10日 136 ヨハネ十四世 983年11月か12月~984年8月20日 137 ヨハネ十五世 985年8月~996年3月 138 グレゴリオ五世 996年5月3日~999年2月か3月 ヨハネ十六世 997年2月か3月~998年5月 139 シルヴェストロ二世 999年4月2日~1003年10月12日 140 ヨハネ十七世 1003年5月16日~1003年11月6日 141 ヨハネ十八世 1004年12月25日~1009年6月か7月 142 セルジオ四世 1009年7月31日~1012年5月12日 143 ベネディクト八世 1012年5月18日~1024年4月9日 グレゴリオ 1012年5月~12月 144 ヨハネ十九世 1024年4月19日~1032年 145 ベネディクト九世 1032年8年か9月~1044年9月 146 シルヴェストロ三世 1045年1月13日か20日~1045年3月 147 ベネディクト九世 1045年3月10日~1045年5月1日 148 グレゴリオ六世 1045年5月1日~1046年12月20日 149 クレメンス二世 1046年12月24日~1047年10月9日 150 ベネディクト九世 1047年10月~1048年7月 151 ダマソ二世 1048年7月17日~1048年8月9日 152 聖レオ九世 1049年2月2日、12日~1054年4月19日 153 ヴィクトル二世 1055年4月13日~1057年7月28日 154 ステファノ九世(十世) 1057年8月2日 3日 ~1058年3月29日 ベネディクト十世 1058年4月5日~1059年1月 155 ニコラオニ世 1058年12月 1059年1月24日 ~1061年7月27日 156 アレクサンドロニ世 1061年9月30日 10月1日 ~1073年4月21日 ホノリオニ世 1061年10月28日~1064年5月31日 157 聖グレゴリオ七世 1073年4月22日 6月30日 ~1085年5月25日 クレメンス三世 1080年6月25日 1084年3月24日 ~1100年9月8日 158 福者ヴィクトル三世 1086年5月24日 1087年5月9日 ~1087年9月16日 159 福者ウルバノ二世 1088年3月12日~1099年7月29日 160 パスカリス二世 1099年8月13日 14日 ~1118年1月21日 テオドリコ 1100年 アルベルト 1101年 シルヴェストロ四世 1105年11月18日~1111年4月12日か13日 161 ジェラジオ二世 1118年1月24日 3月10日 ~1119年1月28日 グレゴリオ八世 1118年3月10日~1121年4月22日 162 カリスト二世 1119年2月2日 9日 ~1124年12月13日か14日 163 ホノリオ二世 1124年12月15日 21日 ~1130年2月13日か14日 チェレスティノ二世 1124年12月 164 インノチェンツィオニ世 1130年2月14日 23日 ~1143年9月24日 アナクレト二世 1130年2月14日 23日 ~1138年1月25日 ヴィクトル四世 1138年3月~1138年5月29日 165 チェレスティノ二世 1143年9月26日 10月3日 ~1144年3月8日 166 ルチオニ世 1144年3月12日~1145年2月15日 167 福者エウジェニオ三世 1145年2月15日 18日 ~1153年7月8日 168 アナスタジオ四世 1153年7月12日~1154年12月3日 169 ハドリアノ四世 1154年12月4日 5日 ~1159年9月1日 170 アレクサンドロ三世 1159年9月7日 20日 ~1181年8月30日 ヴィクトル四世 1159年9月7日 10月4日 ~1164年4月20日 パスカリス三世 1164年4月22日 26日 ~1168年9月20日 カリスト三世 1168年9月~1178年8月29日 インノチェンツィオ三世 1179年9月29日~1180年1月 171 ルチオ三世 1181年9月1日 6日 ~1185年11月25日 172 ウルバノ三世 1185年11月25日 12月1日 ~1187年10月20日 173 グレゴリオ八世 1187年10月21日 25日 ~1187年12月17日 174 クレメンス三世 1187年12月19日 20日 ~1191年3月 175 チェレスティノ三世 1191年4月10日 14日 ~1198年1月8日 176 インノチェンツィオ三世 1198年1月8日 2月22日 ~1216年7月16日 177 ホノリオ三世 1216年7月18日 24日 ~1227年3月18日 178 グレゴリオ九世 1227年3月19日 21日 ~1241年8月22日 179 チェレスティノ四世 1241年10月25日 28日 ~1241年11月10日 180 インノチェンツィオ四世 1243年6月25日 28日 ~1254年12月7日 181 アレクサンドロ四世 1254年12月12日 20日 ~1261年5月25日 182 ウルバノ四世 1261年8月29日 9月4日 ~1264年10月2日 183 クレメンス四世 1265年2月5日 22日 ~1268年11月29日 184 福者グレゴリオ十世 1271月9月1日 1272月3月27日 ~1276年1月10日 185 福者インノチェンツィオ五世 1276年1月21日 2月22日 ~1276年6月22日 186 ハドリアノ五世 1276年7月11日~1276年8月18日 187 ヨハネ二十一世 1276年9月16日 20日 ~1277年5月20日 188 ニコラオ三世 1277年11月25日 12月26日 ~1280年8月22日 189 マルティノ四世 1281年2月22日 3月23日 ~1285年3月29日 190 ホノリオ四世 1285年4月2日 5月20日 ~1287年4月3日 191 ニコラオ四世 1288年2月22日~1292年4月4日 192 聖チェレスティノ五世 1294年7月5日 8月29日 ~1294年12月13日 193 ボニファツィオ八世 1294年12月24日 1295年1月23日 ~1303年10月11日 194 福者ベネディクト十一世 1303年10月22日 27日 ~1304年7月7日 195 クレメンス五世 1305年6月5日 11月14日 ~1314年4月20日 196 ヨハネ二十二世 1316年8月7日 9月5日 ~1334年12月4日 ニコラオ五世 1328年5月12日 22日 ~1330年8月25日 197 ベネディクト十二世 1334年12月20日 1335年1月8日 ~1342年4月25日 198 クレメンス六世 1342年5月7日 19日 ~1352年12月6日 199 インノチェンツィオ六世 1352年12月18日 30日 ~1362年9月12日 200 福者ウルバノ五世 1362年9月28日 11月6日 ~1370年12月19日 201 グレゴリオ十一世 1370年12月30日 1371年1月3日 ~1378年3月26日 202 ウルバノ六世 1378年4月8日 18日 ~1389年10月15日 203 ボニファツィオ九世 1389年11月2日 9日 ~1404年10月1日 204 インノチェンツィオ七世 1404年10月17日 11月11日 ~1406年11月6日 205 グレゴリオ十二世 1406年11月30日 12月19日 ~1415年7月4日 クレメンス七世 1378年9月20日 10月31日 ~1394年9月16日 ベネディクト十三世 1394年9月28日 10月11日 ~1422年11月29日か1423年5月23日 アレクサンドロ五世 1409年6月26日 7月7日 ~1410年5月3日 ヨハネ二十三世 1410年5月17日 25日 ~1415年5月29日 206 マルティノ五世 1417年11月11日 21日 ~1431年2月20日 207 エウジェニオ四世 1431年3月3日 11日 ~1447年2月23日 フェリクス五世 1439年11月5日 1440年7月24日 ~1449年 4月7日 208 ニコラオ五世 1447年3月6日 19日 ~1455年3月24日 209 カリスト三世 1455年4月8日 20日 ~1458年8月6日 210 ピオ二世 1458年8月19日 9月3日 ~1464年8月14日 211 パウロ二世 1464年8月30日 9月16日 ~1471年7月26日 212 シクスト四世 1471年8月1日 9日、25日 ~1484年8月12日 213 インノチェンツィオ八世 1484年8月29日 9月12日 ~1492年7月25日 214 アレクサンドロ六世 1492年8月11日 26日 ~1503年8月18日 215 ピオ三世 1503年9月22日 10月1日、8日 ~1503年10月18日 216 ユリオニ世 1503年11月1日 26日 ~1513年2月21日 217 レオ十世 1513年3月11日 19日 ~1521年12月1日 218 ハドリアノ六世 1522年1月9日 8月31日 ~1523年9月14日 219 クレメンス七世 1523年11月19日 26日 ~1534年9月25日 220 パウロ三世 1534年10月13日 11月3日 ~1549年11月10日 221 ユリオ三世 1550年2月7日 22日 ~1555年3月23日 222 マルチェロニ世 1555年4月9日 10日 ~ 1555年5月1日 223 パウロ四世 1555年5月23日 26日 ~1559年8月18日 224 ピオ四世 1559年12月26日(1560年1月6日)~1565年12月9日 225 聖ピオ五世 1566年1月7日 17日 ~1572年5月1日 226 グレゴリオ十三世 1572年5月13日 25日 ~1585年4月10日 227 シスト五世 1585年4月24日 5月1日 ~1590年8月27日 228 ウルバノ七世 1590年9月15日~1590年9月27日 229 グレゴリオ十四世 1590年12月5日 8日 ~1591年10月16日 230 インノチェンツィオ九世 1591年10月29日 11月3日 ~1591年12月30日 231 クレメンス八世 1592年1月30日 2月9日 ~1605年3月3日 232 レオ十一世 1605年4月1日 10日 ~1605年4月27日 233 パウロ五世 1605年5月16日 29日 ~1621年1月28日 234 グレゴリオ十五世 1621年2月9日 14日 ~1623年7月8日 235 ウルバノ八世 1623年8月6日 9月29日 ~1644年7月29日 236 インノチェンツィオ十世 1644年9月15日 10月4日 ~1655年1月7日 237 アレクサンドロ七世 1655年4月7日 18日 ~1667年5月22日 238 クレメンス九世 1667年6月20日 26日 ~1669年12月9日 239 クレメンス十世 1670年4月29日 5月2日 ~1676年7月22日 240 福者インノチェンツィオ十一世 1676年9月21日(10月4日)~1689年8月12日 241 アレクサンド口八世 1689年10月6日 16日 ~1691年2月1日 242 インノチェンツィオ十二世 1691年7月12日 15日 ~1700年9月27日 243 クレメンス十一世 1700年11月23日、30日 12月8日 ~1721年3月19日 244 インノチェンツィオ十三世 1721年5月8日 18日 ~1724年3月7日 245 ベネディクト十三世 1724年5月29日 6月4日 ~1730年2月21日 246 クレメンス十二世 1730年7月12日 16日 ~1740年2月6日 247 ベネディクト十四世 1740年8月17日 22日 ~1758年5月3日 248 クレメンス十三世 1758年7月6日 16日 ~1769年2月2日 249 クレメンス十四世 1769年5月19日、28日 6月4日 ~1774年9月22日 250 ピオ六世 1775年2月15日 22日 ~1799年8月29日 251 ピオ七世 1800年3月14日 21日 ~1823年8月20日 252 レオ十二世 1823年9月28日 10月5日 ~1829年2月10日 253 ピオ八世 1829年3月31日 4月5日 ~1830年11月30日 254 グレゴリオ十六世 1831年2月2日 6日 ~1846年6月1日 255 福者ピオ九世 1846年6月16日 21日 ~1878年2月7日 256 レオ十三世 1878年2月20日 3月3日 ~1903年7月20日 257 聖ピオ十世 1903年8月4日 9日 ~1914年8月20日 258 ベネディクト十五世 1914年11月3日 6日 ~1922年1月22日 259 ピオ十一世 1922年2月6日 12日 ~1939年2月10日 260 ピオ十二世 1939年3月2日 12日 ~1958年10月9日 261 聖ヨハネ二十三世 1958年10月28日 11月4日 ~1963年6月3日 262 聖パウロ六世 1963年6月21日 30日 ~1978年8月6日 263 ヨハネ・パウロ一世 1978年8月26日 9月3日 ~1978年9月28日 264 1978年10月16日 22日 ~2005年4月2日 265 2005年4月19日(24日)~2013年2月28日 266 2013年3月13日(19日)~ 引用: スポンサーリンク 初代ローマ教皇『聖ペトロ』はイエスキリストの弟子だった? 細かい話をするととても長くなるのでかなり端折りますが、初代ローマ教皇の『聖ペトロ』はイエスキリストの最初の弟子でした。 そのイエスキリストの弟子ペトロがローマ教皇になったのにはこう言った由来があります。 あなたは岩(ペトロ)である。 この岩の上に私の教会をたてよう。 死の力もこれに勝つことはできない。 わたしは天の国の鍵を授ける。 あなたが地上で縛るものは天でも縛られ、あなたが地上で解くものは天でも解かれるだろう。 (マタイによる福音書16:18-19) イエスキリストがペテロを弟子にしてから随分と時が経ち、弟子たちの信仰も熱くなったところでイエスキリストが弟子を試そう「私を誰と言うか」と言った質問をするんです。 そのときにペテロが「あなたこそ、生ける神の子キリストです」と答えました。 イエスキリストが「 この岩の上に私の教会を建てよう」、「あなたに天の国の鍵を預ける」といってペトロを褒め称えます。 これの話の流れからペトロがカトリック教会の初代教皇だとされています。 ちなみに 「ペトロ」という名前は「岩」を意味するあだ名で、ペトロの墓があるところに 『 サン・ピエトロ大聖堂』があります。 ローマ教皇を決めるのためのコンクラーベとは? コンクラーベとはローマ・カトリック教会で教皇を決める選挙ですが、一般的な選挙と違い外部と隔離された部屋で行われます。 前教皇が亡くなった時点で開催され、全世界のカトリック聖職者の中から80歳未満の人がバチカンのシスティーナ礼拝堂に100人近く集まって行われます。 コンクラーベの語源は「鍵のかかった」と言った意味があるそうですが、 日本では『根比べ』と言われて駄洒落になったりしていますよね! でもかなりシビアらしく外部とは連絡もできないし、 高齢の聖職者たちは体調を崩すことも多く、文字通り『根比べ』な選挙のようです。 ローマ教皇 法王 の歴代と現在は誰?初代はイエスの弟子?のまとめ.

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『2人のローマ教皇』実話に基づく映画~プラトンとダモクレスの剣~

二 人 の ローマ 教皇

ー今作品が素晴らしいのは、ローマ教皇を聖人ではなく、世俗の垢を拭いきれない一人の悩める人間として描いているところである。 - 冒頭、2005年のコンクラーベの場面から物語は始まる。 ここでは、3回目の投票で教皇(ベネディクト16世)に選出された(白い煙・・)、ラッツィンガー枢機卿(アンソニー・ホプキンス:保守派:ドイツ)を始め、ベルゴリオ枢機卿(ジョナサン・プライス:改革派:アルゼンチン)らが、同じカトリック教徒ではあるが、思想信条が違う事がさり気無く描かれる。 - ーベネディクト16世(以下、教皇)とベルゴリオ枢機卿の教皇の別荘での二人きりの会話ー ベルゴリオ枢機卿の若き日の自らの告解のシーン。 ) そして、教皇の口から出た言葉。 ーベルゴリオの1983年軍事政権崩壊時の失権から1998年、彼が多くの民衆に法話を聴かせるシーンが描かれる・・。 彼が時間をかけ、罪を償ってきた事が分かる。 -街中のピザを二人で並んで食べるシーンが良い。 それまで、食事は独りだった教皇がピザにかぶりついている・・。 ー そして、二人でゆっくりとお互いの手を肩と腰に回し、ステップを踏んだ後(ベルゴリオは恥ずかしそう・・)別れる。 2013年、教皇が大広間で重々しく何か喋っている姿がベルゴリオの部屋のTVに映し出される。 愉しそうにベルゴリオは言う。 - そして、ベルゴリオはコンクラーベで新たな教皇になる。 (絶妙に上手い、脚本だなあ・・。 ) <清廉だが、人間味溢れる二人の教皇が交わす言葉の数々が心に沁み渡る。 > キリストだったり仏陀だったり、信じる対象は異なっても、宗教は生きづらさを少しでも助けたり支えたりしてくれる、人類に平等なものだと思います。 でも、全ての組織にいえるのかもしれないけれど、大勢の人が集まってくると、必ずパワーバランスや考え・感性の違い、そしてそれが軋轢や争い、闇も生みます。 正しく堅牢にしようとすると、堅い殻の中で、何か空気が澱み、おかしな感じになっていく。 昔も今も、体制へ意見し風穴を開けようとすることは、キケンを孕みます。 特に、自分が勝つことにこだわる人が上に立つと、違う意見は潰され、排除され、存在ごと消される。 いつしか組織は、上に気に入られるかどうかが評価基準となり、不祥事が起きても蓋がされ、シモジモの声は置き去りにされていく。 意見する方も、諦め、離れることで生き延びようとする。 きっと上に行くほど、不安は告解出来なくなる。 本音での対話を避け、不信が生まれる。 「不信」は、感染するのが怖いですね。 そして、人を信じられないのはやっぱり、気の毒だ。 見過ごせない。 教皇はいつも食事を、1人で、とっているのです。 相当これは不信病、重症です。 愛を説くのがキリスト教、そのトップがそういう事態になっている。 不信、それに対する予防や治療の術はあるのか。 教皇が云います。 「神の声が、最近は聴こえなくなってしまった。 」トップの、きっとはじめて吐く弱音。 多分、神の声を聴くくらいの真剣さで、人の声を聴かないといけない。 でもそれにはまず、本音を吐き出さないと。 吐き出して、初めて人の声が入る余地ができるのでしょう。 そしてそれは、教皇だけでなく、私たちも同じ。 吐き出して、且つ、聴けたら。 私も努力してはいるけれど、もちろん、必ずしも、話せばわかりあえるわけではない。 そんな簡単じゃないことも、生きていけばわかってくる。 新たに教皇になる方も、辛い過去がある。 人間らしく人生を楽しみたいだけなのにね、本当に。 新教皇、応援してます。 辞めたい。 辞めないでほしい。 タイトル通り、2人のローマ「教皇」の対話を中心としたヒューマンドラマ。 実話を元にした作品であり、彼等は実在、というかご存命だし、教皇今もやってるし。 日本にもいらっしゃいましたね。 カトリックの信者減、幼児虐待、移民問題等等、社会情勢もかなり入っており、メッセージ性も強め。 ただ、2人の人間としての悩み・理解がメインなので、硬派過ぎない仕上がりです。 踊ったりはしゃいだり、コミカルな部分も多いし。 なぜ彼等がお互いを理解するに至ったのか、ふに落ちないところは多かったですが… 壁画の意味や2人の立場(世界的な影響も絶大なはず)など、宗教的知識があればより楽しめたのだろうな… 良作、ホッコリする良い話ではあるものの、キリスト教に特に思い入れがない(知識も乏しい)私にとっては、それ止まりの作品でした。 これは対立の物語では無く、ふたりの罪と赦しの物語だったんだ。 と後半ようやく気づいた。 もうそこから涙が止まらなくて… ストーリーも凄くわかりやすくて万人向け。 シーンのつなぎも面白い。 ちょっとした言動がふたりのキャラクターを示しててそれがまた、真逆なのが面白いんだなあ。 これが実話なのだから凄いよなー。 これだけシリアスで繊細で扱いづらい内容を、コメディ混じりに、でも真剣に作り上げたことに脱帽。 映画はこうでないといけない。 笑えて、泣けて微笑ましくなる。 そして最後には感動があり、私たちの明日を生きる糧となる。 現実に戻す境界も映画に含まれる要素でしょ。 そういう意味でも作品賞を絶対にとってほしい1本。 今の暗い世の中に信じるべきものや信念を示してくれる作品だった。 実際に、2人の教皇がだいすきになったし、史実と、実際2人が歩んできた道や葛藤が見えて、きっとこの想いは庶民にも届くと思う。 この映画見ると絶対お気に入りのシーンができると思う。 サッカーとダンスのシーン。 あとピザも。 アカデミー、ホアキンが強いがジョナサンプライスが獲るべきだと思わざるを得ない演技。 なにあのずっと泣きそうな感じの演技。 目がうるうるしてて赤いの。 しかも当人に激似。 そしてリスペクトも感じました。 アンソニーホプキンズもなーーめちゃめちゃよかったのですよ。 あの自然体な感じ。 目の奥が笑っていない感じ。 ピザ初めて食べたみたいな表情。 そんで大声で怒るときにはもはや泣きそうになったよね。 作品賞もどうかとっていただきたい… 最近のなかではそれほど良かった作品。 配信という形ですら、貧困社会で出来るだけ多くのひとが見れる形だと思う。 間違いなく脚色賞は取るんじゃないかな。 監督誰だろうと思っていたら、シティオブゴットの人だっだのね。 絶対みます。 ネタバレ! クリックして本文を読む 当時のローマ教皇から次期教皇へと代替わりをするその時を描いたドラマということで、観る前は一体どんな作風になっているのだろうかと、予想もつかないような気持ちだった。 例えば、ジョナサン・プライスとアンソニー・ホプキンスのシーンは会話劇の要素が極めて強く、宛らそのまま舞台戯曲に展開できそうな佇まい 追記:こう書いた後で、この作品が戯曲原作だと知りました。 そしてホルヘ・マリオ・ベルゴリオ枢機卿 当時 の回想として描かれるシーンは歴史ドラマや伝記映画の雰囲気。 そこにニュース映像を模したようなドキュメンタリー風の この辺はメイレレス監督らしい演出という気がする 世相を描き出したリアリティのあるシーン。 という具合にそれぞれ別々の特徴を持った演出が与えられ、それらが複雑に絡まり合って一本の映画になったような。 それでいてそれらが齟齬を起こすでもなくそれなりにまとまって見えるというのは、なかなか凄いことだと思うし、なんなら最終的にはハートウォーミング系の映画のように回収して締め括るものだから「この映画のジャンルは?」と訊かれても一言で答え切れないような、不思議な感覚のする映画だった。 それでも一番の見所はやはりプライスとホプキンスという名優の演技対決になるのではないかと思う。 片や枢機卿を辞意を抱き、片や教皇の座を譲り渡したいと考えているという対極な二人が、それぞれの思惑を抱えつつ交わすやりとりと駆け引きを実に充足感の在る見応え魅せてくれて、かと言って主演のお二人とも力んだような大芝居を打つでもなく、さらさらと台詞を放っておきながらその一言一言にぐっと惹きつけられるパワーのようなものがあって、名優ってひたすら凄いなと思うばかり。 『天才作家の妻』の時には堅物にしか見えなかったプライスが本作では実に柔和でキュートな人に見え、ホプキンスに至っては彼にとっての新たな名演と言える作品になったのでは?と思うほど素晴らしい演技だった。 もう惚れ惚れ。 尚且つ会話劇として非常に良く出来た内容で、前半でさらりと交わした会話が後半で立場を逆転させて再浮上したりといった技巧のほか、運動不足を報せるアラームがうまく場面転換を促したり、窮屈になりがちな会話劇に風を通して軽やかに魅せる。 単純に二人が会話を交わすシチュエーションの美しさやにもうっとりさせられるし、いっそ全編に亘って二人の会話劇で映画を成立させても良かったのではないか?と思うほど。 というのも、途中で挿入される回想シーンがやや中途半端というか蛇足のように思えてしまったからかもしれない。 もちろん教皇フランシスコの人となりというか半生や、現在のカトリックの信念に行きつくまでというようなその過程という意味では描かれて疑問のない内容ながら、あえてそれを映像化し視覚化させてまで描くほどの魅力までは導き出せておらず、いやはやジョナサン・プライスほどの名優ならば、もしかしたらわずか一言の台詞や表情のひとつでさえ、あの回想シーンの本義を物語ってしまえたのでは?など私なんか思ってしまった。 事実、もう一方の名優アンソニー・ホプキンスはベネディクト16世の告解を余分な説明を加えることなく語りつくしていたわけだし。 それにしても、他国ではこの映画にしろヘレン・ミレンの「クィーン」にしろ、王室やカトリック協会のしかも存命中の関係者をメインにしたフィクション映画を作ってしまえるというのにいつも驚く。 日本に置き換えて考えたところで到底ないことだろうなぁと思う 別にやれとも思わないけれど。 あと若干、現教皇のプロモーションっぽい感じが否めないでもないようなないような・・・。 あながち間違いではない。 Netflixオリジナルだが劇場公開しているところを求めてねじ込んで観た。 これも『ROMA』のように、音響効果をちょいちょい仕込んでいるので、劇場で観て正解だった。 飛行機のチケット取りたいんだけど」 「あら、教皇様と同じお名前とはステキですね。 どちらにお住まいですか」 「うん、本人です。 住所はバチカン」 「イタ電やめろや」ガチャン 「えっ」 イタ電扱いされて自分で飛行機の予約ができない教皇…カワエエ。 観る前はお爺ちゃんたちの茶飲み話が延々続くならちょっと辛いかもと覚悟していたが、ベルゴリオ枢機卿のアルゼンチン軍政時代の回想シーンにも時間を割いており、そもそもお二方のやりとり自体も面白くて見てて飽きない。 ご本人にそっくりだというジョナサン・プライスに加え、悪人顔で結構ネタにされていたベネディクト教皇はアンソニー・ホプキンスなのでラスボス感も申し分なし。 二人の会話シーンはなんかドキュメンタリー観てる気になるほど違和感がない。 最初は意見の相違で対立していたはずなのに、だんだんお互いを認め出したと思ったら、いつのまにかじゃれあいだして、ラストの仲睦まじさときたらもうね。 その上そろってアカデミー賞候補とは…。 結論:ドイツ優勝。 現在のローマ教皇ベルゴリオの人となりは、2017年に観た「ローマ法王になる日まで」でひと通り紹介されていた。 本作品では生前退位したベネディクトとの関わりの中で、長い間の信仰についての真意を吐露する。 本作品は、権威主義的な世界観だった「ローマ法王になる日まで」とは一線を画し、現ローマ教皇と次のローマ教皇が虚心坦懐に語り合うシーンが中心だ。 映画だから本物の教皇がどう考えているかは別の話ではあるが、本作品の中では権威主義に縛られているのは教皇庁であり、教皇本人は権威主義とは無縁であるように描かれている。 実際のベネディクトやベルゴリオの演説などを聴くと、本作品の教皇は実際の教皇に近いのではないかと思われる。 サン・ピエトロ大聖堂の威容やシスティナ礼拝堂の見事な天井壁画の下での会話で、ベネディクトはそこに描かれた神は神ではなく人間だと喝破する。 聖職者にとって神は見るものではなく、その声を心で聞くものであり、その存在を感じるものなのだ。 初代ローマ教皇は十二使徒のひとりであるペテロ(ペトロ)であったらしい。 神の子イエスの使いである。 二人は教皇が神の使いに過ぎないことを知っている。 神の権威を借りているだけなのだ。 教皇庁と教会にはそこを誤解している人がいる。 人間はどこまでもひとりの人間に過ぎず、何の権威もない。 二人は虚栄心や自尊心を捨てて、信仰と真摯に向かい合う。 夜の会話。 聞いていてとても心地のいい会話である。 ドビュッシーの月の光の旋律が美しい。 ドイツ人のベネディクトとアルゼンチン人のベルゴリオは英語とラテン語で語り合う。 ベネディクトが英語の多義性を嘆くシーンが面白い。 意味に幅のある言語は、誤解を生みやすい反面、短い言葉に多くの意味を含ませることが出来る。 当方はクリスチャンでも仏教徒でもないが、聖書の言葉や仏教の経典には真実が含まれていると思っている。 もともとの言葉は書かれた言葉ではなく、語られた言葉である。 あるいは歌である。 しかしイエスもブッダもいなくなると、口伝か、紙に書かれた言葉を読むしかない。 ドイツ語の聖書、スペイン語の聖書、英題の聖書、そしてラテン語の聖書。 現教皇と次期教皇は様々な言語の向こうにイエスの言葉、神の言葉を聞こうとする。 まるで虹の向こうに行こうとする子供のようである。 しかしふたりは子供ではない。 汚れつちまつた悲しみを知る大人である。 それでも聖職者である。 汚れを振り落として心を無垢に保とうとする。 その努力が美しい。 魂が洗われるような佳作である。

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