わたし は 愛さ れる 実験 を 始め た。 わたしは幸せなのだから

わたしは愛される実験をはじめた。第37話「男との会話を笑顔で逃げる女がモテない理由」

わたし は 愛さ れる 実験 を 始め た

デートの当日までLINEは続けたほうがいいの? 次の火曜日、仕事帰りに祇園四条駅でおりた。 いつの季節になっても、京都市民や観光客でにぎわう四条大橋をわたると先斗町のオレンジの灯りや、木屋町のマクドナルドを横目にぬけて、洋館のようなフランソア喫茶室の扉をあけた。 いつもの赤い布ばりの席にむかった。 「正直、めちゃくちゃ悩みました。 スプーンでかきまぜる。 「 正解は〝どっちでもいい〟だと思ったんです。 モテる女だったら、そんなの気にしないから。 LINEしたくなったらする。 めんどくさくなったらやめるだけだって」 私は顔をあげた。 壁にフェルメールの〝真珠の耳かざりの少女〟があった。 その複製画を背景に、ベニコさんが足をくんでいた。 ぽっちゃり体型ながら、ワンカールした黒髪、欧米風メイク、あいかわらずアメリカンドラマのキャリアウーマンという感じだった。 「話はみなまで聞くものね」ベニコさんはカップを持っていた。 「それで?」 「いまはテラサキさんとのLINEをストップしてます」私はいった。 「デートまで十日以上あるしいいかなって。 その中断のさせ方も〝モテる女の既読スルー〟してもよかったけど。 普通に寝ますって送って終わりました。 それに対するスタンプには返信してません。 どっちでもいいやって」 気づけばひざの上に手をおいていた。 そっとベニコさんの顔をのぞいた。 自分で選んだことだけど、正直、正解なのかわからなくて不安だったから。 ベニコさんは珈琲を飲んだあとカップをおいた。 「パンケーキちゃん」 「ミホです」私は即答した。 「エクセレント」 「はい?」 「嬉しいわ。 あなたが愛される実験におけるひとつの真理をつかんだようで」 「え? なんです?」私は予想外に褒められてあせった。 飲みかけたグラスの水がよだれみたいにこぼれた。 「まったくなんのことかわからないんですけど」 「ちょっと汚い」 「すいません」私は紙ナプキンであごにこぼれた水をぬぐった。 「急にほめられたから」 「いい?」ベニコさんはひとさし指をたてた。 すべての技術は〝使わなくてもいい〟といえるようになるのが到達点だから。 これは少なくともモテる女の行動じゃないなと思った。 「勝つかどうかは相手次第だけれど、負けないかどうかは自分次第」ベニコさんはひとさし指に撃ちぬいたあとのピストルのように息をふきかけた。 そのモテる女という単語がくすぐったかったから。 教室の中心にいるスペシャルな人間だけが生まれ持つ才能みたいなものだと。 でもベニコさんと出会ってそうじゃないと教わった。 恋愛は学べるメソッドだ。 いくつになっても。 人生は変えられる。 それは私自身アクションしながら実感したことだった。 私はカップに口をつけた。 そして、もし私が〝モテる女〟に少しでも近づけてるのなら、こんなに嬉しいことはない。 「ただデートまで一週間以上あくようなら、さすがに放置せず 〝チューニングLINE〟を行っておくのがベターよ」 「なんですかそれ」私はiPadをみせられた原始人みたいに眉をよせた。 ベニコさんは山型を作るように左右のひとさし指をくっつけた。 「 デートまでテンションを保つためにLINEすること。 話題はデートと関係なくてもいい」 「え、それって、どれくらい続けたらいいんですか」 「五往復くらいして既読スルーしてもいいし、もう少しはずませてもかまわない。 大事なのは〝なんのためにそれをするのか〟を見失わないことよ。 ひとさし指を鼻の頭につけた。 「デートを実現させるためですか? それまでテンションが下がらないようにするっていうか」 「答えはイエス」ベニコさんは他人の作品でもみるように自分の右手をながめた。 レトロな照明に赤い爪が反射した。 「この世のすべては、チューニングしないと手からぬけおちてどこかにいってしまうさだめなのよ」 フランソア喫茶室の音調もあって、その言葉から、いろんなことを想像した。 子どものころに一年だけ習ったピアノはいまも弾けるのかなとか。 小学生のときにザリガニの世話をしなくて死なせてしまったことがあったなとか。 「みんな消えちゃうから」私はぽつりといった。 「チューニングは必要なんですね」 「縁は努力。 なにごとも作りあげるより保つ方が難しいの」 「ベニコさん」 「なに?」 「それって、もしかして」私は首をかしげた。 「モテる女になるより、モテる女で居続けるほうが難しいってことですか?」 ベニコさんは、かすかに口紅をひらいた。 おどろいた顔だった。 そのあと微笑んだ。 「そうね。 あなたも、私も、女でいるかぎり愛される実験は終わらないということよ」 その言葉にほっとした。 なぜか愛される実験に終わりがないということが嬉しかった。 恋愛認知学は恋人ができたら終わりのインスタントな学問なんかじゃない。 生きるための哲学だ。 「あれ?」そこで私はフランソア喫茶室をみまわした。 「ていうか壁の色、変わってません?」 さらにキョロキョロとながめた。 店内の壁や柱の隅々まで、ホイップクリームをぬりつけたみたいに白くなっていた。 以前は、レトロな古地図の色だっただけに違和感があった。 ベニコさんは余裕めいた表情だった。 「歴史があるって感じがして。 でも、わかんないです。 なれてないだけかも。 「人生の秘訣は変化を恐れないことよ。 私たちは変わらないでいるために変わらなければいけないの。 すべてのものは手から砂のようにこぼれおちていくから。 大事なものを失くさないためにはそれしかないわ」 「どういうことです?」 私は首をかしげた。 その意味を本当に理解できている気がしなかったから。 でも言葉のなかには、あとから、じんわり胸の奥に響いてくる種類のものがあって、これも、そのうちのひとつなんだろうなと思った。 ベニコさんは答えるかわりに微笑んだ。 「どうか、あなたは世界に変えられないでね」 私はもう一度フランソア喫茶室に目をやった。 新しい白さに満ちていた。

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[B! tips] わたしは、わたしの世界を大切にします。

わたし は 愛さ れる 実験 を 始め た

アナーキー・イン・ザ・スリープ 正直にいって、わたくし、作家デビューして以来、経験したことのない生活形態で過ごしております。 ずっと家。 一歩も外に出ない日だってあります。 もしかしたら、同じような状態のみなさんも多いのではないだろうか。 2月末からずっと自宅待機している子どもたちも同じ。 待機期間はすでに2カ月を超えた。 ということは、もう夏休みより長期間、家にいるのである。 長男は入学したはずの高校に登校できず(ただし、オンライン授業は開始)、中学3年の次男も学校とはオンラインで繋がっているのみで、少しずつ、「授業」も始まってはいるが、実際にはほとんど家。 そういうわけで、高橋家結成以来の異変が起こっている。 たとえば、睡眠に関してである。 次男が一日18時間を超える長時間睡眠に入り、一時は「新人類の誕生か?」と、高橋家内が騒然としたことについては前回触れたとおりだ。 残念ながら、それは新人類としての「覚醒」ではなく、単に眠たかっただけで、「もう寝飽きた」といって、通常の12時~13時起床に戻ってしまったのだ。 ところが、「禍福はあざなえる縄の如し」というように(なんか間違ってるかも故事成語の使い方)、いつもきっちり午前7時起床だった長男が昼近くまで起きてこなくなったのである。 彼もまた暇すぎて深夜まで「アニメを15本見た」りしていたからなのだが、そうなると、困るのが、妻である。 朝食の用意をしても誰も起きてこない(わたしは、少し離れた仕事場から、だいたい夕刻あたり毎日帰っている)。 なので、体調が悪いときには、いったん起きてもまた寝たりしてしまった。 でもって、起きてきた次男が食卓に行ってみると、誰もおらず、お母さんは寝ているらしいので、仕方ないなとベッドに逆戻り。 そこへ起きてきた長男が、どうやら全員寝ているらしいことに気づいて、ぼくの知らないうちになんかそんな決まりができたのかと、シリアルに牛乳をかけて食べて、またベッドへ戻ると、そこへわたしが戻ってきて、全員が寝ていることに気づき、あれもしかしていま明け方?……といったことが繰り返され、数日間ではあったが、高橋家では、「全員が同時に起きている状態」がなくなってしまったのである。 あるいは、「食堂に行ってみてもひとり」(なんか、尾崎放哉みたい)というか。 朝起きて、洗面所で顔を洗い、朝食をとることから始まる一連の作業は、それぞれの「社会生活」が前提なので、現在の「コロナ下」のような「準戦時体制」もしくは「非常時」で「社会生活」が破壊されると、人間の「自然状態」が露出してくるのではあるまいか。 いつ寝て起きてもかまわない。 ある意味で、これ以上にアナーキーな状態は存在しない。 これは、もしかしたら、ある種の「(災害)ユートピア」なのかも。 とまあ、なんだか、ちょっと興奮したのだが、それもまた、束の間の夢で終わってしまったのである。 しかし、社会の規律とはちがうところで生きてみる実験には、うってつけの時期ではないだろうか。 確かに、現在、「新型コロナウイルス」によって社会は閉塞状況に陥っているが、考えようによれば、これは、「突然、社会全体に訪れた夏休み」みたいなものなのかもしれない。 わたしのような自由業でさえそうなのだから、もっときちんとした社会生活をおくってきた方々にとっては(不自由やら経済的なデメリットがあることは重々承知の上で)、このような「長期の休暇」、ロングバケーションは空前絶後のものだろう。 一年中、動きを止めなかった社会が、(完全にではないにせよ)、急ブレーキをかけてストップしてしまった。 こうなったら、ふだんなら絶対できないことをやってみる、あるいは、もう一度、生き方を考え直してみるという手もあるのではないか。 あれは高校1年の夏休みのときだった。 わたしは、父の実家に居候していた(家にいると「夏休みの宿題は?」とうるさく訊かれるのだが、実家のばあちゃんやおばちゃんは、わたしを完璧に甘やかしてくれたので)。 ふだんは、大学生に貸している部屋が、夏休みで彼が帰省中のため、わたしの居室となったのである。 そこで、わたしはこの夏休みを読書にあてることにした。 いまでも覚えているが、「ドストエフスキー全作品読破」に挑んだのである。 いったいなにを考えていたのやら。 昼飯を食べて読みはじめ、気がつくと、夜9時、食卓に行ってみると、みんなはすでに終了していて、わたしの分だけが残されている。 なので、晩飯を食べて、再び読書。 明け方になってそのまま倒れるように寝て、昼頃に起きて、食卓の上に置かれたご飯を食べて、また読書。 そんなことを繰り返しているうちに、いったい何時に起きて、何時に寝て、いま食べているのが、朝飯なのか昼飯なのか晩飯なのかもわからず、そういえば、もう3日ぐらい誰にも会ってないんだけど、みんな家にいるのかな、っていうかまだ夏休み? ……というような状態で、およそ半月を過ごしたのではないかと思う。 思えば、生涯でいちばん「自由」だったのは、そのときだったのかもしれない。 そして、初めて、自由に起きて寝ていると、起床時間がずれていくこと(要するに体内時計が24時間ではないこと)に気づいたのである。 西野精治『スタンフォード式 最高の睡眠』 サンマーク出版 「人間はおよそ『24・2時間』のサーカディアンリズムで動いている。 そんな私たちが、24時間の地球のリズムに同調できるのは、光があるためだ。 では、光がなかったらどうなるのだろう? マウスのサーカディアンリズムは24時間より短く、たとえば『23・7』時間の種類もいる。 このマウスを光がまったくない状態に置く実験をすると、彼らは固有のリズムで生活することになるので、生活の開始時間が毎日18分ずつ早くなる。 マウスの体温の変化から、彼らにとっての『生活開始』は、ヒトでは起床や洗顏、朝食にあたると思われる。 この条件で1か月飼育を続けると、夜行性のマウスはなんと、昼の時間帯に活動しだすのだ」(『スタンフォード式 最高の睡眠』西野精治著 サンマーク出版) どうして、身体のリズムが24時間ではないのだろう。 もしかしたら、人類が発生した太古の時代は一日が24時間ではなかった、ってことなんだろうか。 それは、ともかく、ダイエットに関するエッセイなのに、なぜ「睡眠」が出てくるのかが不思議と思われる方もいらっしゃるだろう。 いえいえ、「睡眠」とダイエットには深い関係があるのだ。 「カナダ内科学会が発行する『カナディアン・メディカル・アソシエーション・ジャーナル』誌に、睡眠不足がダイエットに直接関係することを実証する実験が載っていた。 被験者全員が同じ運動をして同じ食事をとったにもかかわらず、睡眠不足のグループ(毎晩6時間未満)は、毎晩8時間以上眠ったグループに比べて一貫して体重や脂肪が減らなかったという」(『SLEEP 最高の脳と身体をつくる睡眠の技術』ショーン・スティーブンソン著 花塚恵訳 ダイヤモンド社) ほらね! 次男が超長時間睡眠で劇的に痩せたのにも科学的な理由があったのではないだろうか。 まあ、そんなことより、この部分の少し先の方を読んでいくと、 「別の研究では、睡眠不足はガン、アルツハイマー病、鬱病、心臓病にかかる確率を高めることも実証されている。 たとえば、アメリカ睡眠医学会が発行する『スリープ』誌( しかし直接的なタイトルだな、これ……わたしの感想)の記事によると、14年間に9万8000人を調査した結果、睡眠時間が4時間未満の女性は、心疾患によって死期が早まる確率が2倍に高まるという。 女性の例をあげたからといって、男性諸君も安心はできない。 男性のほうがただでさえ心臓病で死亡する確率が高く、そこに睡眠不足という要素が加わると、事態はかなり深刻だ。 WHO(世界保健機関)が14年にわたって657人の男性を追跡調査した研究がある。 それによると、睡眠の質が低い男性は心臓発作を起こす確率が2倍に上昇したほか、実験期間中に発作を起こした確率は4倍近くになったという」 ちょっと。 これはもう「食べ順ダイエット」や「炭水化物抜きダイエット」をやってる場合じゃありませんね。 生命の危機の方が緊急じゃありませんか……と思う、誰だって。 いやいや、そうではありません。 「良い睡眠」を得るためには、なにより食事が大切なのである。 「睡眠の質には食べたものも大きく影響する。 食べものを単なる食べものだと思ってはいけない。 食べものは情報だ。 何かを食べれば自動的に体内で処理され、食べたものがどういう種類のもので、どんな栄養素が含まれている(いない)かによって、身体、健康、睡眠の状態が決まる。 それだけではない。 良質な睡眠がとれるかどうかは、お腹のなかの環境に左右される。 この章で学ぶことは、あなたの人生を一変させる可能性があると思ってもらいたい」 ショーン・スティーブンソン『SLEEP 最高の脳と身体をつくる睡眠の技術』 花塚恵(訳) ダイヤモンド社 「人生を一変」ですよ! そりゃ、読みたくなりますね。 「第2章で、セロトニンの95パーセントが消化管に存在すると説明した。 セロトニンは、腸粘膜にある腸クロム親和性細胞によって生成される。 生成されたセロトニンが体内に分泌されると、腸の運動が活発になる。 文字どおり、消化の働き全般を助けているのだ。 セロトニンが睡眠に深くかかわっているのは、快眠ホルモンであるメラトニンの原料であることからも明らかだ。 とはいえ、消化の働きを助けるという意味でも、セロトニンが脳や睡眠に与える影響は私たちが想像する以上に強力だ」 睡眠の謎を求めて、研究してきた著者は、その謎が、なぜか「脳」ではなく、「第二の脳」といわれる「腸」にあることを発見する。 腸の中に、人間の全細胞の10倍もの数で存在しているといわれる「腸内細菌」こそ、睡眠の質を決定する秘密の司令塔であり、人間の健康を左右する鍵だったのだ……。 さて、今回のテーマは、ここからである。 科学的か、科学的ではないか、それが問題だ…… ダイエットに関して読んできた本はすでに200冊を超えた。 その中には、おもしろい本も、つまらない本も、「眉に唾」しなきゃならない本も、うさん臭い本も、「おまえ、宗教か!」な本も、あった。 当然とはいえ、その中には、科学的な説明をしている本も、たくさんある。 こういった場合、こちらが最後に納得できるのは、科学的な説明、ということになる。 ところが、だ。 これがまた難しい。 というのも、ていねいに読んでいくと、その本に書かれているのは、「その本が主張していることを支持するような科学的説明だけ」ということも多いのである。 そりゃそうだ。 「当方の主張に反する科学的説明もあります」では、商売にならないからである。 世の中には「スタップ細胞はあります!」とか「宇宙人と交信しました」とか「あの世は存在します」といったことを「科学的に証明している学者」だっているのである。 けれども、読んでいくと、その中には、「ここで使われている科学的説明は良心的だな」と思えるものもある。 いま、とりあげた、2冊の「睡眠」本も、けっこういい線行ってたし。 というわけで、現在のところ、あらゆる「ダイエット関連本」の中で、わたしがもっとも「良心的」かつ「科学的」だと考えている本を紹介してみたい。 それは、『ダイエットの科学 「これを食べれば健康になる」のウソを暴く』(ティム・スペクター著 熊谷玲美訳 白揚社)だ。 サブタイトルが泣かせる。 『「これを食べれば健康になる」のウソを暴く』ですよ。 だって、ほとんどすべてのダイエット本が主張しているのは「これを食べれば健康になる」ということだからだ。 ティム・スペクターさんは「ロンドン大学キングス・カレッジ遺伝疫学教授、英国医科学アカデミーフェロー。 双子研究の世界的な権威であり、近年はとくにマイクロバイオームを中心に研究を続けている。 これまでに発表した論文数は八〇〇本以上、論文の被引用数は世界でもトップ一パーセントに入る」(著者プロフィール)である。 読んでみると、スペクターさんは、もともと双子研究の世界的権威で、双子研究のおもしろいところは「同じ遺伝子なのに、環境によって違いが出るのはなぜか」を調べることにあるからだ。 なにより「疑り深い」研究態度が、いい感じなのである。 スペクター先生は、この双子研究から、さらに歩を進めて、ダイエットや栄養学、人間の健康に深い関心を示した。 そして、自ら、実験・研究をするだけではなく、世界中の信頼できる研究を集めてくださったのである。 いい人だ。 ちなみに出版している白揚社は、科学本の名作『ゲーデル、エッシャー、バッハ』(ダグラス・R・ホフスタッター著)やガモフ全集やクワインの『哲学事典』等々、優れた科学啓蒙本や学術書で知られている。 こういう場合、本の身元調査は絶対必要なのである。 どことはいわないが、ダイエット本を出版している傍ら、他にどんな本を出しているか調べてみると、「オカルト本」だったり「占い本」だったりするから、用心しなきゃならないのだ。 「はじめに」を読んでいくと、スペクター先生が、この本を、というか、この種の研究を始めたのは、どうやら、健康を害してこれは食生活を変えなきゃと思ってみたものの、どの方法も信用できないことを発見して、じゃあ、自分で調べてみるか、と思ったのが発端だったのである。 自分の健康のために研究したのである。 そりゃ、真剣だよね! 「私は栄養学と生物学のさまざまなテーマについて何百もの科学論文を執筆してきたが、いざ自分の食生活を見直そうとしたとき、一般的なアドバイスに従うことはできても、実践的な判断をするのは難しかった」のだ。 なぜなら、 「世間には、混乱を招く、矛盾したメッセージがあふれている」からである。 すでに書いたことがあるように、世界には、無数のダイエット法がある。 そして、それらをぜんぶ集めてみると、矛盾し、相反するものの集合となってしまうのである。 いったい、なにを信じればいいのやら。 ちなみに、スペクター先生が調べた限りで「ダイエットに関する書籍の数は三万冊を優に上回っていた」のである。 すごいですね。 ここで、スペクター先生の、科学者としての血が騒いだ。 自分も健康になりたいけれど、人間が健康でいるための真実とは何かを研究しよう、もちろん科学者としての良心に恥じないように、と決心するのである。 そういえば、と、そこでスペクター先生は思い出した。 「私が研究対象としているイギリス人の双子の多くにはダイエットの経験があるが、ダイエット経験の有無と体重の関係を調べてみると面白いことがわかった。 全体として見ると、減量目的のダイエットを過去に三カ月以上やったことがある人のほうが、やったことのない人よりも太っている傾向があるのだ」 ええええっ! これ、衝撃じゃないですかね。 双子というのは遺伝子的にはまったく同じ生きものなんですが、彼らを研究してみてわかったのは、ひとことでいうと「ダイエットをすると結果的には太る」ということなのである。 逆効果……。 3万冊オーヴァーのダイエット本、基本的に意味なしですから。 実は、わたしも経験的にそうじゃないかと思っていたのである。 その理由について、スペクター先生は簡潔に、こう書いていらっしゃる。 「カロリー摂取量が減っても、私たちの体は進化によるプログラムに従って、その状態に適応するだけのようだ。 つまり、制限だらけの単調な食事制限をしても、脂肪を減らすまいという体からの信号がそれを無効にしてしまうらしいのである。 それに加えて、しばらく肥満の状態を経験すると生物学的変化がいくつも起こり、食べ物に対する脳の報酬メカニズムや脂肪の蓄積が、維持されたり強化されたりするようになる。 ダイエットのほとんどが失敗してしまうのは、こうした理由による」 わたしたちの体はきわめて保守的で、変化を好まない。 こちらから一方的に「減量しろ」と命令しても、体の方は「イヤです」と返事をする。 この、体の、変化を好まない在り方は、遺伝的でもあり、環境の影響もあるが、ある意味で、もっとも根本的な人間の性質なのである。 でも、ダイエット本の著者は、みんな、減量したままじゃないですか。 そう思われるかもしれない。 みんな、スリムだし、からだは柔らかくて、ぴったり胸が床につくし。 あの人たちは、超人だから、できるのである。 自分のダイエット法を信じて、それを布教することに全身全霊をかたむけているから、あの体型を保っていられるのだ。 生物としての在り方を否定できるぐらい強い意志を持っているから、できるのだ。 ふつうの人は無理です。 みんな、リバウンドします。 簡明にいうと、スペクター先生が、(300頁を超えるこの本の中で、あらゆる分野の栄養に関する臨床的研究をもとに)たどり着いた結論は、以上のようなものである。 それでは、わたしたちは、無力なのか。 ダイエットが可能なのかどうかはともかく、人間というものが健康になるためには、何を食べればいいのか。 どんな食べ方をすれば、豊かに生きられるのか。 こんなことを考えながら、スペクター先生は、あらゆる食べものの善し悪しを吟味し、わたしたちがよく知るダイエット法や健康法の謎について、科学の立場からメスを入れてゆくのである。 わたしがスペクター先生を信頼するに至ったのは、まず、この本で、(あくまで)「結論のようなもの」にたどり着くまでの過程が、まるで冒険小説のようだからだ。 主人公のスペクター先生が、ときに失敗し、ときに成功したかと思うと、結局はぬか喜びに過ぎなかった、という波瀾万丈の物語としても読めるのである。 あるいは、探偵小説のようでもあるからだ。 ティム・スペクター『ダイエットの科学 「これを食べれば健康になる」のウソを暴く』 熊谷玲美(訳) 白揚社 いや、それ以上に、この本の向こうに透けて見える、スペクター先生の人柄や生活スタイルが信用できるように思えるからだ。 いや、もっとはっきりいって、スペクター先生の文章が、読むに耐えるからなのである。 わたしは、どんな本でも読む。 どんな種類の本でも。 60年以上読みつづけて、結局、出た結論は、たったひとつ。 すぐれた作家は、その人が書いた文章を判定すればわかる。 同じように、すぐれた学者も、その人が書いた文章でその程度がわかる、のである。 もちろん、すぐれた内容(であるはず)なのに、文章が追いつかない書き手も、たいした内容でもないのに、文章で誤魔化すことができる書き手も、いないわけではない。 けれども、それは、例外に留まるのである。 ノーベル賞を日本で最初に受賞した物理学者・湯川秀樹の達成した学問の中身は、わたしにはよくわからない。 しかし、彼が書いたエッセイのレベルの高さに驚愕することはできる。 数学者・岡潔の文章、経済学者・都留重人(やカール・マルクス)が書いたもの、例をあげればきりがない。 いちばんいい例は、昆虫学のファーブル先生ではありませんかね。 さて、話をつづけよう。 スペクター先生が、最後に見つけた「食と健康」を司る犯人は、「腸内細菌」であった。 遺伝的ちがいや人種的ちがい、歴史的ちがい、さまざまな環境によるちがいを、厳密に除いてゆき、最後に残る健康の秘密は、わたしたちの腸の中に蠢く無数の細菌たちだったのである。 実は、この点については、たくさんの本で触れられている。 現在、健康とダイエットに関して書かれるものについて、もっともポピュラーなテーマなのだ。 だから、スペクター先生の本が腸内細菌をとりあげていることがすごいのではない。 それをあらゆる食品や栄養、健康法について応用し、実験・観察してみせたことがすごいのである。 「朝食抜き」は健康に悪い、という俗説を、綿密な研究の下に一蹴し、「抜いても抜かなくても、どちらが健康に悪い、というエビデンスはないよ」とあっさり証明してくれる箇所など、涙なしでは読めない。 そんなスペクター先生の真骨頂はやはり最後のところだろう。 ちょっと、長編小説のラストっぽくて、いい感じなので、引用しておこう。 最終節のタイトルは、「腸はあなたの庭である」だ。 「万能のダイエット法などというものは存在しない。 ここまで繰り返し見てきたように、脳や腸は個人差がとても大きいし、食べ物に対する体の反応も人によってさまざまで、なおかつ柔軟性が高いからだ。 また、二番煎じの理論が正確な実験結果の一万倍もあふれているこの世界では、絶対に間違いを犯さない専門家や、完全に公正な判断を下せる人も存在していない。 現代は合成DNAやクローン動物さえも生み出せる時代だが、実のところ、私たちの生命を支える仕組みについては、驚くほど少ししかわかっていないのだ。 こうしたことを考えれば、私たちの人生は、自分の体にとって最適な食生活を見つけるための、いわば発見の旅とも言えるだろう。 私がこの本で実現したかったのは、ダイエット法や食べ物にまつわる無数の神話の真実を明らかにすることだった。 それによって、もっともらしく売られているダイエット商品や食品の宣伝文句を、読者のみなさんが懐疑的な目で見られるようになったのなら、著者冥利に尽きると言えよう。 また私は、ダイエットの神話や根拠のないルールを一掃しようとするにあたって、それらの代わりに新たな制約を持ち出すのではなく、知識をもたらそうと試みた。 その代表的なものが腸内細菌だった。 私たちの腸とそこにすむ細菌は、庭の手入れをするように世話をしてやることで、きっと豊かになっていくはずだ。 肥料、つまりプレバイオティクスや食物繊維や栄養素をたっぷりと与えよう。 そしてその庭には新しい種(たね)、つまりプロバイオティクスや未経験の食べ物を定期的にまいてみよう。 断食をして、ときどき土を休ませるのもいいだろう。 保存料たっぷりの加工食品や殺菌効果のあるマウスウォッシュ、ジャンクフードや砂糖で、自分の腸という庭の反応を試してみるのはかまわない。 しかし、それで庭が汚染されてしまうようでは本末転倒である。 こうして世話をしていけば、あなたの腸内細菌の種類は増え、多様性が最大限に高まり、さまざまな栄養物を合成してくれるようになる。 たまに洪水(食べすぎ)や干ばつ(空腹)、あるいは有害な雑草の侵入(感染症やがん)が起きても、腸内細菌の豊かなコミュニティがうまく対処してくれる。 もちろん、嵐が襲来すれば多少の犠牲は避けられないだろう。 しかし、多様性とバランスのおかげで、その災害を乗り切った後には、あらゆる細菌が再生して、それまで以上にしっかりしたものになり、体や腸内細菌を健康に保ってくれるはずだ。 自分の体を寺院だと考えなさいという教えがあるが、私はむしろ、自分の体をこうしたかけがえのない庭と考えていきたいと思っている。 ダイエットと食生活について、研究すべき問題はまだたくさん残されている。 だとするなら、スペクター先生のこの文章こそ、そうではあるまいか。 確かに、ここで、スペクター先生は、「腸内細菌」やダイエット法について書いている。 しかし、「汚染」や「庭」や「洪水」や「干ばつ」や「コミュニティ」や「多様性」ということばが、わたしたちに指し示すものは、もっと大きなものではあるまいか。 思えば、ダイエット以上に個人的なものはない。 最初から「わたしと一緒にダイエットしない?」と呼びかける人はいない。 ひとりでひっそり、「太ったから痩せたいな」と思って、静かに始めるのがダイエットなのだ。 しかし、スペクター先生は、ダイエットや健康は、食べ物や体のことを考えることがなくては不可能であり、そして、食べ物や体は、個人的な問題に留まらないことを示唆してくれるのである。 人びとの精神や社会を変えることなく、食べ物や体を変えることはできず、そしてそれ故、ダイエットに成功することも健康になることも不可能なのではないか、そんなことを、スペクター先生はおっしゃっているような気がするのである。 健康な社会がなくては、健康な体は生まれないのだから。 最後に、スペクター先生の、たくさんあるアドバイスの中の一つを、書き記しておきたい。 これは、わたしがもっとも気に入っているアドバイスだ。 スペクター先生は、健康で知られる地中海沿岸諸国の人たちの食事を研究し、こう書いている。 「食事を心から楽しむ人々は実際に、その脳を通じて、自分自身をより幸せな気分にさせると同時に、腸内細菌を刺激することができるのかもしれない。 前の章で述べたとおり、フランスや地中海沿岸諸国では、自分たちの食事や食の伝統に愛着をもつという文化があり、そうした国の人々はアングロサクソンと比べると、食事をしたり、それについて語り合ったりすることにはるかに長い時間をかけるものだ。 そして彼らは、自分たちの祖母が食べていたものは何であれ、自分たちにとっても良いものが多いということを、しっかりとした食文化を通して理解しており、祖母の時代と同じ調理法を絶えず学んでいるのである」 この節のタイトルは「祖母が食べていたものを食べること」だ。 ここには深い文化的叡知があるように思える。 「おばあちゃんと同じものを食べるダイエット」がなぜないのだろうか。 それは、おばあちゃんやおじいちゃんと同居しなくなったからである。 わたしたちやわたしたちの息子や娘、孫たちは、おばあちゃんが何を食べていたのかを知らないのである(もしかしたら、いまの「おばあちゃん」はすでに、「そのおばあちゃんが何を食べていたのか」を知らないのかもしれないのだが)。 確かにそうだ。 わたしの記憶の中で、母方の実家で祖母や祖父が食べていたもの、その食卓に並んでいたものは、新鮮なもので種類も多かった。 加工食品も保存料を使ったものもジャンクフードも存在しなかったのだから。 いや、だからといって、絶望することはあるまい。 スペクター先生のいう通り、必要なのは「多様性」だからである。 最後に、もう一つ、わたしの好きな本を一冊、紹介しておきたい。 愛のダイエット 海老坂武さんは1934年生まれの(現在は)85歳。 わたしたちの世代にとっては、ポール・ニザン、フランツ・ファノン、そして、なによりジャン・ポール=サルトルの翻訳家として名高い(他にもメルロ=ポンティやジャン・ジュネやジョルジュ・ペレック)。 そればかりではなく、優れた評論家、批評家であり、さらに、海老坂さんを有名にしたのは『シングル・ライフ』という大ベストセラーで、男性がひとりで生きる道を提出したことだろう。 上野千鶴子さんが女性の「シングルライフ」の提唱者なら、その男性版が(という言い方は失礼だが)、海老坂さんなのである。 この『海老坂武のかんたんフランス料理』は、半分が海老坂さんの料理本、半分が、海老坂さんへのインタビュー本ということになる。 海老坂さんが、インタビュアーを含む、男女の訪問者に対して、毎回、豪華な料理を作っておもてなししてくれるのである。 4回分のレシピがそれぞれ、 「タイのソース・ブランをメインにした献立」では、 「クスクス・サラダ、ニンジン・サラダ、ジャガイモ・グラタン、タイのソース・ブラン、バゲット」が、 「ポテをメインにした献立」では、 「イカのイタリアン・ソース、パプリカのオーブン焼き、ポテ、ごはん」が、 「タラのベシャメルソース・グラタンをメインにした献立」では、 「豚肉のテリーヌ、ニンジン・サラダ、タラのベシャメルソース・グラタン、バゲット」が、 「牛頬肉の赤ワイン煮込みをメインにした献立」では、 「カボチャのポタージュ・スープ、ラタトゥイユ、アスパラ アボカド・ソース、牛頬肉の赤ワイン煮込み、バゲット、ごはん、はちみつクレープ」が、それぞれレシピと共に供される。 実際に海老坂さんが作っているところと、それをみんなで食べる光景を見ていると、ほんとうに美味しそうだ。 この材料の中には、一般的には、ダイエットに不向きとされるような牛乳、生クリーム、バター、豚ロース肉、小麦粉、牛頬肉も大量に使われる。 海老坂さんは、このような料理を何十年も自分で作り、また、人々に振る舞ってきた。 そして、84歳(この本の刊行時)になっても、太ることも、健康を害することもなく、ひとりで悠々と暮らしておられる。 ボケることも、弱ることもなく、スクワットを一日20回(!)、夜中に1時間歩き、シュークリームとショートケーキを愛し、朝起きたときには70回の腹筋と30回の腕立て伏せを欠かさず、いまの目標は90歳でマスターズ陸上の60メートル走に出場して優勝すること……。 どうしてそんなことが可能なのか。 その秘密は、インタビューを読むとわかるのである(ちなみに、インタビューをしているのは作家の黒川創さんである)。 海老坂 はじめのころは相手がフランス人で、フランスと日本で離れて暮らしているというのがあったね。 その次は相手が結婚してた。 そのあとになってくると、相手が若いとか。 黒川 若かったらなんで一緒に住まないんですか? 海老坂 ほほほ。 やがて離れていくのがわかってるからね」 かくして、海老坂さんはひとりで生きることを選ぶ。 海老坂さんの料理のレパートリーが広いのは、ガールフレンドたちに教わったからだそうだ。 でも、作るのは海老坂さんだ。 相手のことを考え、相手のために作る。 そんな料理は多様で、美味しく、健康にいいのである。 ダイエットなんかくそくらえ。 でも、その結果が、健康でスリムな体となったのである。 おお、海老坂パラドックス。 なんか、生きる希望が湧いてきませんか。 高橋源一郎(たかはし・げんいちろう) 1951年広島県生まれ。 横浜国立大学経済学部中退。 1981年、『さようなら、ギャングたち』で作家デビュー。 『優雅で感傷的な日本野球』で三島由紀夫賞、『日本文学盛衰史』で伊藤整文学賞、『さよならクリストファー・ロビン』で谷崎潤一郎賞を受賞。 主な著書に『ミヤザワケンジ・グレーテストヒッツ』、『恋する原発』、『銀河鉄道の彼方に』、『今夜はひとりぼっちかい? 日本文学盛衰史 戦後文学篇』などの小説のほか、『ぼくらの文章教室』、『ぼくらの民主主義なんだぜ』、『ぼくたちはこの国をこんなふうに愛することに決めた』、『お釈迦さま以外はみんなバカ』、『答えより問いを探して』、『一億三千万人のための『論語』教室』など、多数ある。

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[B! tips] わたしは、わたしの世界を大切にします。

わたし は 愛さ れる 実験 を 始め た

デートの当日までLINEは続けたほうがいいの? 次の火曜日、仕事帰りに祇園四条駅でおりた。 いつの季節になっても、京都市民や観光客でにぎわう四条大橋をわたると先斗町のオレンジの灯りや、木屋町のマクドナルドを横目にぬけて、洋館のようなフランソア喫茶室の扉をあけた。 いつもの赤い布ばりの席にむかった。 「正直、めちゃくちゃ悩みました。 スプーンでかきまぜる。 「 正解は〝どっちでもいい〟だと思ったんです。 モテる女だったら、そんなの気にしないから。 LINEしたくなったらする。 めんどくさくなったらやめるだけだって」 私は顔をあげた。 壁にフェルメールの〝真珠の耳かざりの少女〟があった。 その複製画を背景に、ベニコさんが足をくんでいた。 ぽっちゃり体型ながら、ワンカールした黒髪、欧米風メイク、あいかわらずアメリカンドラマのキャリアウーマンという感じだった。 「話はみなまで聞くものね」ベニコさんはカップを持っていた。 「それで?」 「いまはテラサキさんとのLINEをストップしてます」私はいった。 「デートまで十日以上あるしいいかなって。 その中断のさせ方も〝モテる女の既読スルー〟してもよかったけど。 普通に寝ますって送って終わりました。 それに対するスタンプには返信してません。 どっちでもいいやって」 気づけばひざの上に手をおいていた。 そっとベニコさんの顔をのぞいた。 自分で選んだことだけど、正直、正解なのかわからなくて不安だったから。 ベニコさんは珈琲を飲んだあとカップをおいた。 「パンケーキちゃん」 「ミホです」私は即答した。 「エクセレント」 「はい?」 「嬉しいわ。 あなたが愛される実験におけるひとつの真理をつかんだようで」 「え? なんです?」私は予想外に褒められてあせった。 飲みかけたグラスの水がよだれみたいにこぼれた。 「まったくなんのことかわからないんですけど」 「ちょっと汚い」 「すいません」私は紙ナプキンであごにこぼれた水をぬぐった。 「急にほめられたから」 「いい?」ベニコさんはひとさし指をたてた。 すべての技術は〝使わなくてもいい〟といえるようになるのが到達点だから。 これは少なくともモテる女の行動じゃないなと思った。 「勝つかどうかは相手次第だけれど、負けないかどうかは自分次第」ベニコさんはひとさし指に撃ちぬいたあとのピストルのように息をふきかけた。 そのモテる女という単語がくすぐったかったから。 教室の中心にいるスペシャルな人間だけが生まれ持つ才能みたいなものだと。 でもベニコさんと出会ってそうじゃないと教わった。 恋愛は学べるメソッドだ。 いくつになっても。 人生は変えられる。 それは私自身アクションしながら実感したことだった。 私はカップに口をつけた。 そして、もし私が〝モテる女〟に少しでも近づけてるのなら、こんなに嬉しいことはない。 「ただデートまで一週間以上あくようなら、さすがに放置せず 〝チューニングLINE〟を行っておくのがベターよ」 「なんですかそれ」私はiPadをみせられた原始人みたいに眉をよせた。 ベニコさんは山型を作るように左右のひとさし指をくっつけた。 「 デートまでテンションを保つためにLINEすること。 話題はデートと関係なくてもいい」 「え、それって、どれくらい続けたらいいんですか」 「五往復くらいして既読スルーしてもいいし、もう少しはずませてもかまわない。 大事なのは〝なんのためにそれをするのか〟を見失わないことよ。 ひとさし指を鼻の頭につけた。 「デートを実現させるためですか? それまでテンションが下がらないようにするっていうか」 「答えはイエス」ベニコさんは他人の作品でもみるように自分の右手をながめた。 レトロな照明に赤い爪が反射した。 「この世のすべては、チューニングしないと手からぬけおちてどこかにいってしまうさだめなのよ」 フランソア喫茶室の音調もあって、その言葉から、いろんなことを想像した。 子どものころに一年だけ習ったピアノはいまも弾けるのかなとか。 小学生のときにザリガニの世話をしなくて死なせてしまったことがあったなとか。 「みんな消えちゃうから」私はぽつりといった。 「チューニングは必要なんですね」 「縁は努力。 なにごとも作りあげるより保つ方が難しいの」 「ベニコさん」 「なに?」 「それって、もしかして」私は首をかしげた。 「モテる女になるより、モテる女で居続けるほうが難しいってことですか?」 ベニコさんは、かすかに口紅をひらいた。 おどろいた顔だった。 そのあと微笑んだ。 「そうね。 あなたも、私も、女でいるかぎり愛される実験は終わらないということよ」 その言葉にほっとした。 なぜか愛される実験に終わりがないということが嬉しかった。 恋愛認知学は恋人ができたら終わりのインスタントな学問なんかじゃない。 生きるための哲学だ。 「あれ?」そこで私はフランソア喫茶室をみまわした。 「ていうか壁の色、変わってません?」 さらにキョロキョロとながめた。 店内の壁や柱の隅々まで、ホイップクリームをぬりつけたみたいに白くなっていた。 以前は、レトロな古地図の色だっただけに違和感があった。 ベニコさんは余裕めいた表情だった。 「歴史があるって感じがして。 でも、わかんないです。 なれてないだけかも。 「人生の秘訣は変化を恐れないことよ。 私たちは変わらないでいるために変わらなければいけないの。 すべてのものは手から砂のようにこぼれおちていくから。 大事なものを失くさないためにはそれしかないわ」 「どういうことです?」 私は首をかしげた。 その意味を本当に理解できている気がしなかったから。 でも言葉のなかには、あとから、じんわり胸の奥に響いてくる種類のものがあって、これも、そのうちのひとつなんだろうなと思った。 ベニコさんは答えるかわりに微笑んだ。 「どうか、あなたは世界に変えられないでね」 私はもう一度フランソア喫茶室に目をやった。 新しい白さに満ちていた。

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