2012年11月11日からおよそ6年の時を経て、ようやくキャッツが東京に戻ってきました。 まずオーケストラが新録になったので、今までの音源に慣れている人からすれば違和感を感じるのはもう仕方ない。 重厚さがなくなってチープに感じる部分もあるかもしれない。 でも慣れだと思う。 グレーキャット追加、マンペルとバストファさんナンバーが少し長くなったことで他のナンバーが全体的に少しずつカットされて従前のキャッツに比べると忙しなさを感じる。 たとえばで靴が落ちてきて猫たちが歌い出すまでの少しの間とか。 ソングが終わってガスがマンカスと目を合わせゆっくり口を開くまでのあの余韻とか。 そういったものが少しずつ短くなっているので、違和感を感じさせる原因にもなっている。 でも、どんなに演出変更があっても私はキャッツが好きだ。 キャッツシアターに入るとワクワクするし、猫の人生を垣間見ることができるあの場所が大好きだなあと改めて思った。 以下ナンバーごとの演出変更まとめプラス雑感。 ネタバレには配慮していません。 目チカは特に変更なし。 雌猫の高音がジェリロだけになり、靴が落ちてくるタイミングも早い。 ミストが手をあげて一呼吸入れる仕草もなくなりすぐに全員で歌い出す。 途中からとはいえわりとガッツリ時間はある。 完全に別のナンバー。 ・ジェニエニのソロでマンカスとミストが懐中電灯でおばさんを照らすようになる ・ランペがゴキタップに参加する ゴキタップの曲はジャズっぽいアレンジだけど、イメージとしてはハニーハントのズオウとヒイタチの曲みたいな… わかりづらい 1列に並ぶのも、おばさんに怒られて固まって行進するのも、マンカスとミストがスロープ下に落とされる演出もすべてなくなっていた。 これはこれで好き。 懐中電灯で照らすのはかわいい。 ラムタムタガーコイツは厄介ッッ!!!みたいな… どれだけモテないんやお前ら… それ以外は大幅な変更はないかな。 個人的にはスキンブルとコリコの頭グルングルンが残っていて嬉しい。 特にマンペル、ランペがグリザの顔を覗き込んだり、マンゴがグリザの尻尾を掴んで引っ張り2匹でクスクス笑ったり ・ラストで曲がストップ。 その後グリザが歩き出してまた曲が始まる。 マンペルは海外版もそんな感じだった記憶。 まあマンペルだから悪気はなさそうに見えるか、マンペルだからやってほしくなかったかどうかかは意見が分かれるかな。 舞台上にいる猫はほぼ全員参加でバストファさんを盛り立てていたと思う。 そのせいかタイヤ上にぽつんと座っているマンカスの孤独感が増した(かわいそう) 浮かない顔~のあたりもちょこっとマイナーチェンジ、その後の旧ごちそうリレーからはほぼ前と一緒。 雄猫たちが一歩ずつ横にずれていく振付は横じゃなく前にずれるように変わっていた。 個人的にはバストファさんナンバーは長くしなくてもよかったかなあ。 他のシーンが割を食わないなら大歓迎だけど、実際に短縮されているわけだし。 このバージョンも好き! ただ振付は激しくなったけれど、泥棒っぽさが薄れたかな~。 日本人にとってのいわゆるスタンダードな泥棒って抜き足差し足忍び足でこっそり盗むに入るようなイメージなので、マイナーバージョンの曲調と振付は本当にピッタリだったけれど、コソコソ感は殆どなくなったよね。 舞踏会の支度を!とか堂々と宣言しておきながらちょっとその前にこれ歌わせて?みたいな雰囲気のマンカス。 よっぽど歌いたかったのだろう。 そう考えると途端にマンカスがかわいく思えてきますよね(そうか?) 個人的な感想としてはランパスナンバーの曲は大好きなので復活はわりと嬉しい。 印象的なフレーズとして「Bark! Bark! Bark! Bark! Bark! Bark! 」(Bark=犬などの鳴き声)という言葉を繰り返すのだけど、日本語版では「ワン!キャン!ワン!キャン!ワン!キャン!」になっている。 かわいいなオイ。 ジェリロやボンバルみたいな大人な猫も参加してワンキャン言ってるの、かわいくない? 海外版だとマンペルの活躍が印象に残っているが、日本版はほぼすべての猫が登場して客席降りもある。 ソロはほぼ全てマンカスで、実質マンカスのソロナンバー。 あとタガーが時々を演奏しながら出てきて邪魔してくる。 美味しい。 ランパスはまあ…うん… でもダンスは多い。 海外版と同じかな? ここのメロディーすごくロイドウェバーっぽくて好き。 ・ボール序盤、雌猫4匹と雄猫4匹のペアダンスがなくなる コリコの数少ない見せ場が ・終盤のミストのピルエットがなくなる ミスト、タガー、タンブルで一緒に踊る。 ここめっちゃユダを先頭にして出てくるザスのスパスタカテコ。 ・スキンブルがフィナーレで登場する スキンブルがフィナーレで登場する(大事なことなので2回 前と同じタイミングで一度はけて、最後の最後にデュト様の隣に登場する。 バブがグリザに駆け寄ろうとするのをスキンブルが止めようとしてジェリロが近付くのを見て彼女に任せる。 グロタイ終わってはけるときに最初ガス1人だけで歩いていって、最後の最後にジェリロが立ち上がって体を支えてあげるようになってたかな。 かわいい。 バラード調ではなくなった。 日本版の、スキンブルが思い出を大切に抱えたまま、暗闇の中から微かに見える夜明けという光に向かって手を伸ばす、ちょっぴりせつなくてだけど希望もある。 そういう複雑な情感を私たちにまで伝わるように歌い上げてくれるあの瞬間が大好きだった。 とても大切な瞬間だった。 それがまさに「思い出」になってしまったことは、正直に言えば残念ではある。 キャッツはすごく難しいミュージカルだと思う。 天上に昇る猫を選ぶというストーリーがあるだけで、個々のナンバーの繋がりは一見全くない。 でも私はストーリーなんて理解できなくてもいいと思っている。 この作品が何を伝えたいかもどうだっていい。 歌とダンス、そして個性的な猫たちとキャターだけで充分に観客を魅了するだけの力がキャッツにはあると思う。 何故だかわからないけれど、また観たい。 そんな不思議な魅力に突き動かされて私もキャッツにハマった。 だけど何回も繰り返し観るうちに自分なりにストーリーを解釈しようとしていた。 きっとこのナンバーにはこういった意図があって、哲学的な死生観が隠されていて、全てが最後グリザベラが天上に昇る瞬間に繋がっていて… 今回の大幅な演出変更で考えたのは、私はそもそもキャッツの何が好きだったのかということだった。 そういえば最初はストーリーなんてどうでもよかったんだなと思い出した。 深いことなんて考えないでただ感動していた。 作り手が伝えたいことを観客がどう受け止めるかは自由だと思う。 だけど観客が変わらなくても舞台は日々変化していく。 そして、必ずしもその変化が自分が思い描いた解釈と一致するわけではない。 そんなとき、少しだけ私はキャッツを初めて観たあの日に還ってみることにしようと思います。 それで何かが変わるわけじゃないけれど、こだわりがなかったころの気持ちを思い出せたらきっと今の猫を受け入れられる気がするんだよね ていうかもう慣れつつある 早い その他 ・雄猫ベッドのところの「ポッポー!」がかわいい。 タガーがあおむけになってポッポー!って言っているのもかわいい。 ・スキンブルリフトがタイヤ上からではなく床から飛び乗って持ち上げる形になった。 マンゴから背中おさえてんだよね。 縁の下の力持ちか。 ・リプライズが短くなった。 少し歌っただけですぐマキャ登場。 コリコはマキャに立ち向かって一撃を食らって退散。 マキャを追いかけるマンカスの後を追うようにギルも上手スロープから客席へ。 マキャナンバーの方はほぼ同じだと思う。 マキャファイは大幅にアレンジが変わっていて、なんか心臓に悪そうな音になっていた。 これが全てだと思う。 ミストのソスが終わったあとにタガーがミストを再度紹介するように歌う。 色々な大人の事情が透けて見えてしまうのだけれど、ミストのソロを歌えるダンサーは限られていてそれがきっとデビューの弊害になっていたのかな。 残念ではあるけれど難しい問題だ。 一見大人しい黒猫であるミストフェリーズが、自信に満ち溢れた顔でみんなに魔法を披露する。 でもタガーが歌うのも悪くないよ。 あんなに嬉しそうに歌うタガー見てたら2人の信頼関係がすごく伝わってくるしね。 タガーがシャイなミストの心の声を代弁してるのかも。 順番もかなり違う。 思いついたら追記するかも。
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2012年11月11日からおよそ6年の時を経て、ようやくキャッツが東京に戻ってきました。 まずオーケストラが新録になったので、今までの音源に慣れている人からすれば違和感を感じるのはもう仕方ない。 重厚さがなくなってチープに感じる部分もあるかもしれない。 でも慣れだと思う。 グレーキャット追加、マンペルとバストファさんナンバーが少し長くなったことで他のナンバーが全体的に少しずつカットされて従前のキャッツに比べると忙しなさを感じる。 たとえばで靴が落ちてきて猫たちが歌い出すまでの少しの間とか。 ソングが終わってガスがマンカスと目を合わせゆっくり口を開くまでのあの余韻とか。 そういったものが少しずつ短くなっているので、違和感を感じさせる原因にもなっている。 でも、どんなに演出変更があっても私はキャッツが好きだ。 キャッツシアターに入るとワクワクするし、猫の人生を垣間見ることができるあの場所が大好きだなあと改めて思った。 以下ナンバーごとの演出変更まとめプラス雑感。 ネタバレには配慮していません。 目チカは特に変更なし。 雌猫の高音がジェリロだけになり、靴が落ちてくるタイミングも早い。 ミストが手をあげて一呼吸入れる仕草もなくなりすぐに全員で歌い出す。 途中からとはいえわりとガッツリ時間はある。 完全に別のナンバー。 ・ジェニエニのソロでマンカスとミストが懐中電灯でおばさんを照らすようになる ・ランペがゴキタップに参加する ゴキタップの曲はジャズっぽいアレンジだけど、イメージとしてはハニーハントのズオウとヒイタチの曲みたいな… わかりづらい 1列に並ぶのも、おばさんに怒られて固まって行進するのも、マンカスとミストがスロープ下に落とされる演出もすべてなくなっていた。 これはこれで好き。 懐中電灯で照らすのはかわいい。 ラムタムタガーコイツは厄介ッッ!!!みたいな… どれだけモテないんやお前ら… それ以外は大幅な変更はないかな。 個人的にはスキンブルとコリコの頭グルングルンが残っていて嬉しい。 特にマンペル、ランペがグリザの顔を覗き込んだり、マンゴがグリザの尻尾を掴んで引っ張り2匹でクスクス笑ったり ・ラストで曲がストップ。 その後グリザが歩き出してまた曲が始まる。 マンペルは海外版もそんな感じだった記憶。 まあマンペルだから悪気はなさそうに見えるか、マンペルだからやってほしくなかったかどうかかは意見が分かれるかな。 舞台上にいる猫はほぼ全員参加でバストファさんを盛り立てていたと思う。 そのせいかタイヤ上にぽつんと座っているマンカスの孤独感が増した(かわいそう) 浮かない顔~のあたりもちょこっとマイナーチェンジ、その後の旧ごちそうリレーからはほぼ前と一緒。 雄猫たちが一歩ずつ横にずれていく振付は横じゃなく前にずれるように変わっていた。 個人的にはバストファさんナンバーは長くしなくてもよかったかなあ。 他のシーンが割を食わないなら大歓迎だけど、実際に短縮されているわけだし。 このバージョンも好き! ただ振付は激しくなったけれど、泥棒っぽさが薄れたかな~。 日本人にとってのいわゆるスタンダードな泥棒って抜き足差し足忍び足でこっそり盗むに入るようなイメージなので、マイナーバージョンの曲調と振付は本当にピッタリだったけれど、コソコソ感は殆どなくなったよね。 舞踏会の支度を!とか堂々と宣言しておきながらちょっとその前にこれ歌わせて?みたいな雰囲気のマンカス。 よっぽど歌いたかったのだろう。 そう考えると途端にマンカスがかわいく思えてきますよね(そうか?) 個人的な感想としてはランパスナンバーの曲は大好きなので復活はわりと嬉しい。 印象的なフレーズとして「Bark! Bark! Bark! Bark! Bark! Bark! 」(Bark=犬などの鳴き声)という言葉を繰り返すのだけど、日本語版では「ワン!キャン!ワン!キャン!ワン!キャン!」になっている。 かわいいなオイ。 ジェリロやボンバルみたいな大人な猫も参加してワンキャン言ってるの、かわいくない? 海外版だとマンペルの活躍が印象に残っているが、日本版はほぼすべての猫が登場して客席降りもある。 ソロはほぼ全てマンカスで、実質マンカスのソロナンバー。 あとタガーが時々を演奏しながら出てきて邪魔してくる。 美味しい。 ランパスはまあ…うん… でもダンスは多い。 海外版と同じかな? ここのメロディーすごくロイドウェバーっぽくて好き。 ・ボール序盤、雌猫4匹と雄猫4匹のペアダンスがなくなる コリコの数少ない見せ場が ・終盤のミストのピルエットがなくなる ミスト、タガー、タンブルで一緒に踊る。 ここめっちゃユダを先頭にして出てくるザスのスパスタカテコ。 ・スキンブルがフィナーレで登場する スキンブルがフィナーレで登場する(大事なことなので2回 前と同じタイミングで一度はけて、最後の最後にデュト様の隣に登場する。 バブがグリザに駆け寄ろうとするのをスキンブルが止めようとしてジェリロが近付くのを見て彼女に任せる。 グロタイ終わってはけるときに最初ガス1人だけで歩いていって、最後の最後にジェリロが立ち上がって体を支えてあげるようになってたかな。 かわいい。 バラード調ではなくなった。 日本版の、スキンブルが思い出を大切に抱えたまま、暗闇の中から微かに見える夜明けという光に向かって手を伸ばす、ちょっぴりせつなくてだけど希望もある。 そういう複雑な情感を私たちにまで伝わるように歌い上げてくれるあの瞬間が大好きだった。 とても大切な瞬間だった。 それがまさに「思い出」になってしまったことは、正直に言えば残念ではある。 キャッツはすごく難しいミュージカルだと思う。 天上に昇る猫を選ぶというストーリーがあるだけで、個々のナンバーの繋がりは一見全くない。 でも私はストーリーなんて理解できなくてもいいと思っている。 この作品が何を伝えたいかもどうだっていい。 歌とダンス、そして個性的な猫たちとキャターだけで充分に観客を魅了するだけの力がキャッツにはあると思う。 何故だかわからないけれど、また観たい。 そんな不思議な魅力に突き動かされて私もキャッツにハマった。 だけど何回も繰り返し観るうちに自分なりにストーリーを解釈しようとしていた。 きっとこのナンバーにはこういった意図があって、哲学的な死生観が隠されていて、全てが最後グリザベラが天上に昇る瞬間に繋がっていて… 今回の大幅な演出変更で考えたのは、私はそもそもキャッツの何が好きだったのかということだった。 そういえば最初はストーリーなんてどうでもよかったんだなと思い出した。 深いことなんて考えないでただ感動していた。 作り手が伝えたいことを観客がどう受け止めるかは自由だと思う。 だけど観客が変わらなくても舞台は日々変化していく。 そして、必ずしもその変化が自分が思い描いた解釈と一致するわけではない。 そんなとき、少しだけ私はキャッツを初めて観たあの日に還ってみることにしようと思います。 それで何かが変わるわけじゃないけれど、こだわりがなかったころの気持ちを思い出せたらきっと今の猫を受け入れられる気がするんだよね ていうかもう慣れつつある 早い その他 ・雄猫ベッドのところの「ポッポー!」がかわいい。 タガーがあおむけになってポッポー!って言っているのもかわいい。 ・スキンブルリフトがタイヤ上からではなく床から飛び乗って持ち上げる形になった。 マンゴから背中おさえてんだよね。 縁の下の力持ちか。 ・リプライズが短くなった。 少し歌っただけですぐマキャ登場。 コリコはマキャに立ち向かって一撃を食らって退散。 マキャを追いかけるマンカスの後を追うようにギルも上手スロープから客席へ。 マキャナンバーの方はほぼ同じだと思う。 マキャファイは大幅にアレンジが変わっていて、なんか心臓に悪そうな音になっていた。 これが全てだと思う。 ミストのソスが終わったあとにタガーがミストを再度紹介するように歌う。 色々な大人の事情が透けて見えてしまうのだけれど、ミストのソロを歌えるダンサーは限られていてそれがきっとデビューの弊害になっていたのかな。 残念ではあるけれど難しい問題だ。 一見大人しい黒猫であるミストフェリーズが、自信に満ち溢れた顔でみんなに魔法を披露する。 でもタガーが歌うのも悪くないよ。 あんなに嬉しそうに歌うタガー見てたら2人の信頼関係がすごく伝わってくるしね。 タガーがシャイなミストの心の声を代弁してるのかも。 順番もかなり違う。 思いついたら追記するかも。
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現在、話題騒然の『キャッツ』。 海外の映画批評がこぞって大喜利を始めてしまう程大惨事となっていますが、日本では割と冷静に対応できているようです。 無論、どうしてそうなったと思ってしまうような部分、全編自己紹介という原作を知らないとあまりの前衛さに耐えられないストーリー構成など困った部分が多い作品なのですが、ブンブンは割と好きです。 特にラム・タム・タイガーのセクシーで陽気すぎる踊りっぷり、そして何よりもテイラー・スウィフトの圧倒的魔性の女ニャンコっぷりには惚れ惚れとしました。 これは舞台版『キャッツ』と比較したいなーと思っていたら、丁度Amazon Prime Videoにて配信されているではありませんか! ということで、今回舞台版を観てみました。 そして T・S・エリオットの原作『キャッツ — ポッサムおじさんの猫とつき合う法』とも比較し、『キャッツ』とは一体なんだったのか? について ネタバレ考察していきます。 Twitterを読むと、舞台版や原作を恐らく知らない人がこぞって 「内容がない。 」「自己紹介しかしていない。 」と絶叫していますが、それもその筈。 そもそもT・S・エリオットの原作枯らして、猫の自己紹介を言葉遊びで描いているだけの詩集なのだから。 そして、それを鬼才アンドリュー・ロイド・ウェバーはそのまま舞台化してしまったのだ。 ウェバーは、物語るよりも猫や犬、ネズミにゴキブリといった非人間たるものの動きをどのように身体表象していくのかに特化させた。 なので、舞台版を観ると、ストーリーがよく分からないのだ。 映画版ですら、本来ジェリクル・キャットに選ばれるべき猫は、長老猫をマキャヴィティから救ったミストフェリーズだろうと思う。 なんで、マキャヴィティの悪行で駆逐された果てにフラリと現れた落ち武者猫グリザベラが選ばれるのだろうか? 漁夫の利過ぎないか? と思うところがあるのだが、舞台版ではミストフェリーズの功績がより一層際立つ上、マキャヴィティが出落ちだったりするので彼女が選ばれる理由を見つけるのが困難になってくるのだ。 そして、全編歌進行なのもあり、結局舞台上で行われている高揚感に満足するものの、ストーリを振り返ると虚無を感じる。 とにかく物語を歌詞だけで理解するのは困難だ。 THE WHOのロックオペラ『』は、トラウマで聴覚・視覚を失った少年がピンボールの伝道師になる物語だが、歌詞だけでその全貌を把握することは困難だ。 映画版はその難解さを助けるガイドブックになっている。 トム・フーパーは結局、一つの物語に落とし込むことに成功はしているが、やはり舞台版が持つ物語の弱さを払拭することはできなかったと言えよう。 原作を知っていると驚愕! ラストは原作通り。 舞台も同様だ。 Twitterでラストがヤバすぎると話題になっている。 グリザベラがジェリクル・キャットとして天に召された後、ジュディ・デンチ演じる長老猫オールドデュトロノミーが第四の壁を破って、猫の接し方について説教を始めるのだ。 でも、これは原作詩集においても終盤に位置されている話なのだ。 アンドリュー・ロイド・ウェバーは中身のない《いかがでしたかブログ》さながら、ラストに「いかがでしたか」と猫の生き様を振り返り締めくくるのです。 スキンブルシャンクスジャンクスとミストフェリーズ部分における映画版の罪深さ まずスキンブルシャンクスについて。 鉄道猫スキンブルシャンクスの軽妙な音楽は、段々と舞台のボルテージを上げていき、舞台の端々から取り出されるオブジェクトによって巨大機関車が生み出される。 この0から1を生み出す過程と曲の高揚感が劇場をも熱く盛り上げていくのです。 映画版では、このギミックは使えないので、スキンブルシャンクスにタップダンス要素を追加させ、線路を行進させる策が練られているのだが、このタップの動きと音が合っていないように見えてしまう。 そして、線路を歩いていくと、開けた場所へ出ていくのだが、コテコテのCG背景による変化が施されているのでなんだか興醒めしてしまう。 この感覚は、2000年代初頭の、なんでもCGに頼ろうとするあまりに作り物感が、それもポンコツハリボテに見えてしまうことによるガッカリさに近い。 今の映画は、割とセットやロケで撮影を行い、CGはポイントポイントで使用するのだが、本作はガッツリCGに頼ってしまっているので、舞台の持つ臨場感に勝てないものがありました。 同様に、映画と相性が悪いのは手品。 編集可能な媒体である映画の中で手品をすることは余程の技量がない限り興醒めを呼んでしまう。 舞台版では、盛り上がりどころにミストフェリーズが手品で、誘拐されたオールドデュトロノミーを救うという場面がある。 彼が手をかざすと次々と火花が飛び散り、猫が出現する。 シルクハットからは虹色のベールが颯爽と駆け抜けていき、赤いマントを使ってオールドデュトロノミーを復活させる鮮やかさは、目の前で生身の人間がやっていることによる緊迫感あってこその面白さがある。 映画版は、ただでさえ不利な描写なのに、オールドデュトロノミーが勝手に復活したような魅せ方をするもんだから、ミストフェリーズが無茶振りに失敗して恥をかいているいるようにしか見えないのだ。 舞台版以上に、くどく 「Oh! Well I never was there ever a cat so clever as magical mister Mistoffelees」と復唱し、観客を魔法がかかる一瞬に巻き込もうとしているだけに、オールドデュトロノミー復活の奇跡を強調しないと! と思ってしまいました。 結局舞台版と映画版の違いはなんだったのか? 今回、映画版、舞台版を観比べてみてかなりの温度差を感じました。 舞台版は、儀式に観客を強制参加させる、人間と人間が直接対峙することにより生じる契約関係に依存したものでした。 儀式なので、物語の粗にツッコミを入れさせない。 ツッコミを入れたくなる気になる前に、空間の魔力で観客を没入させる演出がされていた。 一方、映画版は物語ることを重要視した。 自己紹介しかしていない原作及び舞台版へ最大のリスペクトを払いながらも、それぞれの行間を埋めていく。 そして、映画が持つ視点を移動できる特性、一番良い演技を繋ぎ合わせることができる特性を利用し、舞台版以上に滑らかで美しい身体表象を観客に叩きつけた。 ただ、『ザ・フライ』においてA地点からB地点に移動しようとしたら蝿が転送装置に紛れ込んでしまいモンスターに化けてしまうように、本作もなんらかのバグが混ざり込んで、ガンビーキャットがゴキブリを捕食したり、まるで薬物中毒者の幻覚再現映像のように隅で蠢くネズミ人間といった怪物が生み出されてしまった。 ただ、原作、舞台版、映画版は相互に影響を及ぼし合い、全てを触れていくうちに全部に愛着が湧くようになりました。 原作は、言葉遊びの原石を楽しむことができる。 舞台版は、音楽と儀式的動きにより洗脳されていく面白さがある。 映画版は、不気味の谷に留まろうとする異様な空間で微かに見えたりする面白いショットに興奮したりします。 海外の批評家も如何にバズるかしか考えていないような評価だらけとなてしまいチョッピリ度が過ぎているなと思う。 やっぱり、なんだかんだ言って問題多いけれども『キャッツ』は魅力的な作品だと言えよう。 いつか劇団四季かブロードウェイで観てみたいなと思いました。
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