甲賀 ゆれ の 説明 として 正しい もの は 次 の うち どれ か。 過去日記2005/2

【18】伊賀上野城下町

甲賀 ゆれ の 説明 として 正しい もの は 次 の うち どれ か

【18】伊賀上野城下町 伊賀上野城下町 No. 2003年7月26日 土曜 「No. 89 伊賀上野城下町周遊コース」の「てくてくまっぷ」は右のもの。 先月は壷阪・高取を歩いた。 司馬さんの「街道をゆく・第7巻」に「大和・壷坂みち」の章があって、散策の前にこの章を読み返したが、その前章は「甲賀と伊賀のみち」だった。 司馬さんは伊賀上野を訪ねておられる。 伊賀に住む私としては、ここは訪れておかねば。 (志摩国となると伊賀国よりもさらに小さい) 伊賀国が小さいながらも一国となっているのは、四方を山で囲まれ、西の大和国(一部は山城国)、東の伊勢国、北の近江国、南の宇陀山系(大和国である)から隔絶した盆地であるためだろう。 ここに伊賀国分寺跡もあれば、伊賀国一ノ宮もある。 うかつなことに、つい最近まで「伊賀上野市」であると思い込んでいたが、「上野市」が正しい名称であり、東京の台東区上野は伊賀上野の「上野」がそもそもの始まりである、と上野市生まれの近所の人がいっていた。 これは失礼しました。 上野市は名張市のすぐ北に隣接している。 行政上では、名張は上野の出先機関の位置づけで、税務署も裁判所も保健所も全部上野市にある。 名張市は近鉄大阪線が通っているために、大阪への通勤圏となって、人口は85,000人へと急増した。 一方上野市は大阪線から支線に乗り換えねばならず交通の便はよくない。 上野市の人口は62,000人とこの10年はほとんど増加していない。 ということは城下町の風情がなお残っている町である。 上野へ行くには、名張から名古屋へ向かって3つ目の伊賀神戸(いがかんべ)駅で、近鉄伊賀線に乗り換える。 伊賀線は単線である。 車両は2両編成で、運転手さんだけが乗務する。 車掌さんはいない。 伊賀神戸駅から上野市駅までは10駅あるが、無人駅も多い。 無人駅ではワンマンバスのように車内で両替をし、料金を支払うようになっている。 名張駅から伊賀神戸駅までは8. 3Km。 伊賀神戸駅から上野市駅までは12. 7Km。 運賃は420円。 上野市駅に到着。 「てくてくまっぷ」を貰おうと駅員さんにお願いしたら、まっぷは切れていた。 替わりに「伊賀上野・散策絵地図」を頂戴した。 まっぷの4倍の大きさがあり、カラー印刷である。 どういう名所や旅館・店舗があるのかはよくわかるが、「まっぷ」ほど細かくはない。 (まっぷには、道にミラーがあるとか、坂が急であるとか、桜がきれいだとかの書き込みがあって、ほぼ迷わずに道を辿ることができる。 ) 絵地図によれば、近鉄の線路は東西に伸びて、上野市街を南北に切断している。 北側が上野城を中心とする昔の丸ノ内で、南側が町人・商人町である。 まずは北側の武家の町を、ついで南側の町人の町を歩くことに。 線路の北側にある道は広い。 国道163号線である。 163号線は西は木津川に沿って走っており、京都・奈良と上野を結ぶメインの道である。 東は山越えをして津市につながっている。 昔の「伊賀街道」である。 上野市の中心部では特に「大名大路」と呼ばれている。 この道の北に上級武士の屋敷が並んでいたからだそうだ。 さらに北には上野城がある。 当然のことながら、今の大名大路には武家屋敷はなく、跡地は学校になっている。 東から、西小学校・上野高校・崇広中学校である。 いずれも公立の学校。 写真は西小学校。 夏休みであるが、サッカーの試合があると見えて、何組ものちびっ子チームがグラウンドで練習している。 向こうのスタンドでは父兄が声援。 さらに向こうの校舎を見ると、なんと木造2階建ての瓦葺である。 西小学校を西へ過ぎると、 大きな城門がある。 白鳳門という。 最近作ったもののようであった。 おそらくは大手門であるようだ。 (この門をくぐって坂道を登れば、上野城に通じているということが後でわかった。 ) 白鳳門の左の並びには上野高校がある。 この校舎も木造である。 左側に普通のコンクリート作りの校舎があるから、この木造校舎は教室としては使われていないようだが、戦前の建物の風情がある。 案内板があって、「旧三重県第三中学校」とある。 1900年(明治33年)に四日市に二中、上野に三中、宇治山田に四中が建てられたが、他の2校は戦災や火災で焼失し、現存するのはこの校舎だけである。 とあった。 明治の建築だったのですな。 上野高校を西へ過ぎると長屋門がある。 崇広堂(すうこうどう)といって伊勢・津藩の支校であったようだ。 見学料は200円。 入ってみる。 パンフレットによれば、1821年に津藩の第10代藩主・藤堂高兌が創設したとある。 私はよくわかっていないのだが、藤堂高虎以来、津藩は伊勢および伊賀(大和・山城の一部もそうだったらしい)を領地とした。 32万石であった。 司馬さんの本によれば、1か国を領土とする大名は「国持ち大名」と呼ばれ、大藩・大大名であったらしい。 藤堂藩は1か国どころか2か国を支配していたので、伊勢には津城を建て、伊賀には上野城を建てて支城とし、藩校においても津に有造館を、上野に支校として崇広堂を建てるという二重の費用をかけなければならなかったようである。 崇広堂は藩校であるから、学問を学ぶ講堂のほかに、武道場も併設されており、馬術・槍術・柔術などの各流儀・各流派を教えたらしい。 図の模型のような配置だった。 しかし創建後33年して起きた大地震によって、講堂を除く多くの建物は崩壊したが、その後復興したと説明がある。 復興したのは1854年以降ということになるが、それは明治維新まであと13年という時期。 明治になって藩校は廃止されるから、崇広堂は約50年ほどの命脈であった。 ただし、200余りあった藩の藩校の建物が残っているのは珍しいそうで、今は国の史跡に指定されているらしい。 (震災復興の努力が報われた。 ) 写真は玄関と講堂。 白壁で区切られているのは講堂の周りが庭になっているため。 講堂は7間四面とあるので、49坪・98畳の大建築物である。 この講堂で一斉教授をした。 教員は10名、学生は300名。 作詩・作文・医学・算術などの教育がなされた。 と説明板にあった。 見学者は私だけであった。 掃除をしていた係りの人に、ご自由に歩いてご見学ください。 と声をかけてもらったので、気随に歩き回ったが、この講堂は品があって非常に気分のよい建物であることがわかった。 学問はこのような凛とした場所で学ばねばならない。 (いまの小学校・中学校の教室は汚すぎる) 講堂のぐるりは板敷きの廊下で囲まれており、東面と南面から庭が見える。 西面にも中庭があって、三方から明かりが採れる上、風が講堂の畳の上を通り過ぎていくのである。 座っていれば実に気持ちがよい。 感心して出た。 よい建物ですなあ。 といったら受付の人が喜ぶ。 崇広堂の西隣りには市立の崇広中学がある。 旧崇広堂の武場があった場所である。 中学校は「崇広」の名前を貰ったのですな。 重い校名である。 大名大路をさらに西向きにあるくと、下り坂となった。 (国道163号線は途中で北に折れていたので、この道は163号線ではない。 ) 坂の下に林がある。 「鍵屋ノ辻」の石碑があった。 この場所で渡辺数馬と荒木又衛門が河合又五郎を討ち果たした。 「伊賀越仇討ち」として歌舞伎・浄瑠璃で演じられるほど有名である。 と案内板にある。 三大仇討ちのひとつである、ともある。 まあ知らないわけではないが、興味はあまりない。 これまたうかつな話しながら、「鍵屋ノ辻」の石碑を見ていて、「辻」という字は「十」に「しんにょう」がついたものだから、十字路の交差点であることに気がついた。 道路は交差して「十字型」でなければならず、「T字型」や「Y字型」のものは辻とはならない。 こんなことを知らずに50何年過ごしてきた。 馬鹿ですな。 奈良から上野に入ってくる河合又五郎一行を、渡辺数馬と荒木らは奥に見える茶店で待った。 その茶店に入ってみる。 茶店は「数馬茶屋」という。 わらび餅を頼んだら、「お茶はどうですか」と聞かれる。 抹茶を頼んで630円。 「きな粉は体にいいので、全部食べられるようにスプーンもつけたから。 」おばちゃんが言う。 あんまり好きじゃあないんやけどな。 4切れあったわらび餅を3つ食べたとき、ああそうそう写真をとろうと思ってカメラを向けたら、お盆を換えるという。 ちょっと小奇麗な朱盆に取り換えられて、写真を撮った。 「鍵屋ノ辻」から引き返して、北へ折れ曲がっている163号線に沿って歩く。 少しして広い163号線から離れて脇道へそれる。 緩やかな下り坂となる。 右手には上野城がある。 上野城の西側を歩いている。 明治の建築物があった。 「旧小田小学校本館」で、今は資料館になっている。 見学料は100円。 ここでも私一人が見学者であるので、受付の男性(老人)が説明をして下さる。 パンフレットによれば明治14年に建てられたもので、現存する小学校校舎としては三重県で最古のものであるらしい。 木造洋風2階建ての寄棟造りの桟瓦葺き。 ポーチは切妻造りで、壁は漆喰仕上げ。 屋上に太鼓楼という小さな塔がついている。 明治の教育にかけた意気込みが伝わってくる。 2階は初等教育の資料室になっているので、見て回ったが存外に面白い。 古い教科書が展示してある。 初等教育の制度の歴史の説明もある。 明治5年にフランスの教育制度を手本にした学制を発布したが、明治12年にアメリカの制度に変え、翌13年にまたもとに戻した。 この明治13年の改正教育令で、初等教育の内容が決まったらしい。 これを受けて、明治14年には各地で小学校舎が新築されたようだ。 全国に残るこの時期の小学校校舎14校の写真が地図とともに展示してあった。 ざっと見ただけだが、14校のうちわけは、山梨県が5校、長野県が2校、滋賀県が2校で、あとは5県に1校ずつだった。 どれも明治14年の建築である。 明治13年の改正教育令は小学教育のエポックとなったようだ。 国語の教科書の内容が面白い。 明治19年〜36年までは、「ハナ・トリ・キリ・カンナ」であり、明治37年〜42年は、「イ(イスのイ)・エ(エダのエ)」であり、明治43年〜大正6年は、「ハタ・タコ・コマ」のシリトリである。 大正7年〜昭和7年は「ハナ・ハト・マメ・マス」。 昭和8年〜15年は「サイタ サイタ サクラガ サイタ、ススメ ススメ ヘイタイ ススメ」。 昭和16年〜20年は「アカイ アカイ アサヒ」である。 戦後の昭和21年〜23年は「おはな を かざる」であり、昭和24年からは「ひろこさん はい」であるらしい。 私は「ひろこさん はい」を習ったのだろうか。 記憶はない。 旧小田小学校本館の裏は保育所になっている。 この敷地はもとは小田小学校の第二校舎があったところ。 なお小田小学校は廃校になった後、ここへ通っていた生徒らは、この散策の起点となった西小学校に通うことになったらしい。 東へ向いて登る。 登れば上野城域である。 内堀へ出た。 石垣は日本でも有数の高さであるらしい。 「高石垣」と呼ばれている。 伊賀は、鎌倉期までは東大寺の荘園であり(東大寺二月堂のお水取りで使う巨大松明は、いまでも名張から運んでいる)、戦国期に入っても有力な戦国大名は出なかった。 藤林・百地・服部などの小勢力が割拠していた。 そこへ織田信長の命によって伊勢の織田信雄(のぶかつ)が伊賀へ侵攻してくるのであるが、伊賀勢は連携し、いったんはこれを打ち破る。 (第一次の天正伊賀の乱) しかし2年後の1581年、信長は丹羽長秀・滝川一益・蒲生氏郷らに命じて、4万(3万ともいう)の大軍を伊賀に送り込み、伊賀勢 9000人)は壊滅する。 虐殺であったらしい。 上野城は、天正伊賀の乱が終わった1581年に、大和郡山から移った筒井定次が、この地に縄張りし、三層の天守を備えた城を構えたのが始まりである。 (その前に何人かが伊賀に送り込まれているが) 筒井氏はその後改易となり、1608年に伊予から伊勢・伊賀の領主として移封された藤堂高虎によって築き上げられたのが、この石垣である。 これは裏門(搦め手)への道か。 1600年の関が原で勝利した徳川家康は江戸に幕府を開くが、大阪城にはなお豊臣秀頼がいる。 これを滅ぼすために大阪冬の陣・夏の陣の2度の戦闘を必要としたが、藤堂高虎が伊賀に築城を命じられたのは、大阪城攻略の準備の一環としてである。 司馬さんは「甲賀と伊賀のみち」の中で、上野城を訪れ、その築城の顛末について書いておられる。 つまり、大阪城攻撃が万が一失敗したときは、嫡子の秀忠は近江彦根城へ後退させ、家康はこの上野城に退いて、攻撃再開の準備をするつもりだった。 そのために伊賀のような小国には大きすぎる城を造らせた。 藤堂高虎は五層の天守閣を建てたが、落成と同時にこの天守閣は取り壊された。 『伊賀は小国ながら京・大阪の裏にあたり、天下攻略にとっては大切な国である。 そういうところに大きな天守閣をもつ城をつくるというのは、高虎どのになにか思惑があるのでないか』というようなうわさが出て、保守感覚の異常に鋭敏な高虎は、いそぎこわしたのではないか。 といったようなことを書いておられる。 ただ城の前の案内板には「竣工直前に暴風雨のために天守閣は倒壊した。 そのうち大阪夏の陣で豊臣家は滅亡し、天守閣を建てる必要はなくなった。 」と書いてあった。 どちらが真実か。 高虎が造ったものを自ら命じて壊させた、というのは面白いが、暴風雨のために倒壊したというほうでしょう。 今の天守閣は昭和12年に建てられたものである。 三層であるから高虎が作ったものとは異なる。 ただ、立て直された各地の城の多くはコンクリート造りであるが、この城は木造であるところが上野の自慢であるらしい。 司馬さんは、伊賀については、上野城に2頁ほど費やしただけで、あとは御斎峠(おとぎとうげ)についてばかりを書かれている。 残念ながら御斎峠は遠い。 訪ねるほどの時間はない。 本丸から西北を望む。 向こうの山並みのうち、中央の最も高い山の左側(写真で1. 5cmほど)の少し窪んだところが、御斎峠ではなかろうか。 わずかに道が見えている。 ここを越えると甲賀である。 城内(二の丸跡)に松尾芭蕉を顕彰する俳聖殿が建てられている。 上野は芭蕉が生まれた土地である。 この建物は芭蕉の生誕300年を記念して1942年(昭和17年)に建てられたもので、古いものではないが(それでも私が生まれる前のこと)、形はユニークである。 案内板によれば、芭蕉の旅姿を表現したものである。 すなわち、最上層の屋根は芭蕉の旅笠であり、下部の丸い堂は顔。 その下の八角形の屋根は蓑と衣を表し、最下層の八角堂は脚部であり。 堂の周りの柱は杖と足を表すのだそうだ。 異形のモニュメントであるが、眺めていればこの建物は芭蕉をよく象徴しているという感じも湧いてくる。 ただし私は芭蕉は(というより俳句が)苦手である。 俳聖殿の東隣の一角には、忍者屋敷がある。 伊賀といえば、司馬さんの「梟の城」であり、漫画では「伊賀の影丸」であり、(女性向けコミックでは「伊賀のカバ丸」というのもあった)、やや古い講談本では「猿飛佐助」である。 忍者屋敷は大人気である。 子供たちがワイワイ言って騒いでいる。 入場料は700円。 私は入らない。 昔の観光地の土産物屋では、木刀とかおもちゃの刀は定番であったが、最近はほとんど見受けなくなっている。 第一チャンパラというのがはやらない。 しかしこの土産物屋にはあった。 珍しい。 子供たちも忍者ショーを見た直後であるせいか、買いたそうではある。 城を出る。 道は城の東側を南に向いている。 下れば散策を始めた国道163号線(大名大路)にでる。 ちょうど上野城の周りを一周したことになる。 大名大路に出て、左(東)へ折れて、少し行くと芭蕉の生家があった。 芭蕉の生家は長く不明であったようだ。 以前テレビを見ていたら、柘植(つげ)が生誕の地であるようなことを言っていたが、今では綿密な考証の結果、柘植は父の出身地であり、この家が芭蕉の生家であると決まっている。 見学料は300円。 パンフレットによれば、1644年、松尾与左衛門の次男としてこの地(赤坂町)で出生(ほかに一姉三妹)。 13歳のとき父が亡くなり、19歳のとき藤堂良精(よしきよ)につかえる。 実際は良精の子の良忠(俳号は蝉吟(せんぎん)・芭蕉より2歳年上)につかえ、共に京都の北村季吟(きぎん)に俳諧を学んだが、23歳のとき良忠が没したために、芭蕉も藤堂家への武家奉公を辞めざるをえなくなる。 23歳から29歳まではどのような生活をしていたのであろうか。 ともかくも、いくつかの句集に伊賀上野松尾宗房の句が入集されていき、松尾宗房の名は世に出ていったらしい。 (当時の芭蕉は宗房(そうぼう)といった。 ) 生家の奥には「釣月軒(ちょうげつけん)」という小さな庵がある。 松尾宗房は29歳で初めて30番の発句を撰し、「貝おほひ」としてまとめる。 写真の釣月軒で想を練ったのである。 釣月軒は狭い。 間口2間・奥行き半間ほどの土間(たたきというのか)が手前にあって、座敷は6畳一間である。 この場で芭蕉は20代の日々を過ごした。 芭蕉は、「貝おほひ」を上野天満宮に奉納し、29歳にして江戸に出立する。 芭蕉の生家からほど近いところに、愛染院がある。 真言宗豊山派とあった。 ここは松尾家の菩提寺である。 芭蕉の父も母もここに葬られている。 芭蕉は江戸に出てからは、松尾宗房から「桃青」(とうせい)に名を改め、34歳にして宗匠(俳句の師匠)となる。 37歳で江戸深川の庵に移る。 ここは芭蕉の葉が茂っていたことから、39歳ころより「芭蕉」の俳号を使うようになる。 芭蕉は江戸に出た後も、なんどか上野に戻っている。 帰省した折は先の釣月軒で起居したらしい。 40歳のとき母が亡くなり、翌年帰郷している。 この愛染院に墓参したはず。 「野ざらし紀行」は芭蕉42歳のときの作品であるが、これは伊賀から奈良・京都・大津・名古屋・木曽路を経て江戸に帰る折に作った句集である。 奈良・京に行く際には当然に鍵屋ノ辻を通ったに違いない。 46歳には奥州への旅に出かけ、「奥の細道」の句想を練る。 このときも伊賀に滞在している。 51歳で「奥の細道」の清書本が完成し、伊賀に帰郷している。 境内には、このとき松尾家の一同(6人兄弟である)と愛染院に墓参し、読んだ句碑がある。 家はみな 杖に白髪の 墓参り 兄弟はみな年老いた。 手には杖をつき、頭髪は白髪となったことよ。 それだけ父母が亡くなったのは遠い昔である。 愛染院には芭蕉の「故郷塚」がある。 芭蕉は51歳のとき、伊賀から奈良を経て大阪に行きここで客死した。 遺言によって近江の膳所の義仲寺に葬られた。 (芭蕉はここに草庵を持っていた。 ) 芭蕉の死の知らせを受けた伊賀の門人の服部土芳(はっとり・どほう)らは義仲寺に駆けつけて芭蕉の遺髪を持ち帰り、愛染院の藪陰に埋めて小さな塚を作った。 それが写真の塚である。 小さい石標には「芭蕉翁桃青法師」 と刻んである。 愛染院を少し南下して、西へ折れ曲がると近鉄の広小路駅がある。 線路を渡れば、向こうに上野天満宮がある。 天満宮の手前に「でんがく大和屋」という食堂があった。 鍵屋ノ辻の数馬茶屋のおばさんが、上野でおいしいもんは多いけれど、とうふの田楽は名物だと言っていた。 午後1時半である。 昼飯を食うことにした。 でんがく定食を注文した。 その前にビールを1本。 写真のようなものである。 豆腐は1cm角の長さ5cmくらいを1単位として、これに串が刺されてある。 5単位ごとに焼き、でんがく味噌を塗ってある。 食べるときは1単位ごとに分けて食べてもよいし、面倒であれば2単位・3単位の串をまとめて一気に食べることもできる。 とろろ飯は美味かったが、でんがくは塩辛かった。 でんがく定食は1250円。 上野天満宮である。 菅原神社ともいう。 神社は瓦葺である。 塀にも瓦が載っていて寺院風である。 近づいてみれば、「奉燈」と書いてある。 夏祭りの献燈なのか。 ひとつひとつの献燈の中には電球が入っており、夕刻になれば灯がともるようになっている。 その献燈だが、写真のごときである。 上部に「奉燈」の文字と天神さんの梅の紋。 下部には協賛者の名前。 写真では「御菓子司 田山屋」とある。 肝心なのは中央の絵と添え書きしてある「句」である。 「御菓子司 田山屋」のものは(やや読みにくいが)、 手のひらに のせて涼しや 初真瓜 とあって、ざるにいれたとうもろこし・茄子・瓜と、竹ざるの外にかぼちゃが描かれている。 俳画というやつですな。 はじめはずらりと並んだ献燈のかたまりしか目につかなかったが、1つ1つの献燈の絵と句はすべて違ったものであることがわかってから、少していねいに句を読んでみた。 先にもいったが私は俳句は苦手である。 ということだろう。 それでもゆっくりと読んでいれば、なるほどいいなあと感じる句もあったので、以下に掲げる。 もっとも献燈したスポンサーが作句したものとは限らない。 手花火の子や 湯あがりの髪ぬれて 今日は花火をするから、早くお風呂に入っておいで。 と親にいわれて風呂に入ったが、こどもは待ち遠しくてしょうがない。 ザブンと湯船に浸かって、急いで出てきた。 体や髪を拭くのはいいかげんである。 親はしょうがない子ね。 と思いつつも、その気持ちはよくわかる。 火に気をつけなさいよ。 といって花火を許した。 そういう情景であろうか。 奉燈者は、「左官用品 上田建材店」とあった。 母の肩 小さく揺れて 日傘行く ややレトロな趣きである。 子供が母の外出を見送っている。 暑い日ざしの中、母親はどこへ行くのであろうか。 後姿の肩がゆれている。 ここで母の行く先をあれこれ思えば、この句の印象はずいぶん変ってくる。 母が買い物とか所要で出かけるのであれば、これは普通である。 「肩が揺れる」を重視すれば、母の不安な心境が肩に出ているのかも知れない。 不安はなんであるのか。 子供の学期末の成績を聞きに学校にいくのかも知れないし、母の身内が入院して見舞いに行くのかもしれない。 逆に久しぶりの同窓会に行くために、少し気分が高揚しているのかも知れないし、ボーナスがでたのでかねてより買いたいと思っていた物を、喜びつつ買いに行くのかも知れない。 ともかく、揺れる母の肩はいろいろな想像を引き起こす。 奉燈者は、「ファッションメゾン ミキヤ」とあった。 いっせいに 喉もと反らし 燕の子 こういう情景を歌った句はわかりやすい。 親燕がエサを確保して巣に戻ってくると、とたんに4・5羽の雛がピーピーと鳴いて、エサを求めた。 親燕が持ち帰ったエサは1羽分なのである。 エサを貰えなかった他の大勢がピーピーいっている以上、すぐにエサを求めて飛び立たねばならない。 エサを獲り、雛に与えるということを、一日に何度繰り返さねばならないのであろうか。 奉燈者は、「米岡家具センター」とあった。 上野天満宮から少しバックして、南下する。 この道は寺町通り。 鍵屋ノ辻で討たれた河合又五郎の墓が、このどこかの寺にあると案内板にある。 寺町通りは、近鉄・茅町駅に突き当たる。 ここで西に向いて5〜600mほど歩くと「蓑虫庵」があった。 芭蕉は伊賀にしばしば帰郷しているが、ここには芭蕉の門下生が大勢いたからでもある。 「蕉門伊賀連衆」と呼ばれている。 その伊賀連衆の中心人物が、この蓑虫庵の主の服部土芳(はっとり・どほう)である。 土芳は31歳のとき、この庵を作り、以来ここに隠棲し、この庵を伊賀における俳諧道場として蕉風俳句を広めた。 同時に芭蕉の偉業を後世に残すために多くの執筆をしており、芭蕉の伊賀における活動の緻密な記録として残っている。 見学料は300円。 受付にいったら、蚊取り線香を差し出された。 もちろん線香には火がついていて、煙が立ちのぼっている。 「庭内は薮蚊が多いので虫除けに持ち歩いて下さい。 」 蚊取り線香をぶら下げての見学となる。 蓑虫庵が出来た直後に、芭蕉が訪れ、 みの虫の 音をききにこよ 草の庵 の句を作り、土芳に与えた。 ここから庵は蓑虫庵と呼ばれるようになった。 とパンフレットにある。 「蓑虫の音」とはなんだろうか、蓑虫は鳴くのであろうか。 それとも木にぶら下がった蓑が揺れて木の葉にぶつかって擦音を出すのを「音」というのだろうか。 こうなると物ごとを知らない私には、「蓑虫」の句のよさがわからない。 蓑虫庵は6畳二間だけである。 土芳は奥の間で起居し、手前の間で句想を練り、句会を催し、芭蕉の記録を執筆したのであろうか。 蓑虫庵を出て、北向きに歩く。 この筋は中ノ立町通りという。 上野は城下町だけあって、きちんとした町割りがされている。 北に丸之内があり、東西に大名大路が走る。 その南には、これに平行して本町通り、二ノ町通り、三ノ町通りがある。 南北に通じる道は、東から順に寺町通り、銀座通り、中ノ立町通り、西ノ立町通り、である。 ほぼ碁盤目に道が走っていてわかりやすい町である。 ただ人通りは少ない。 東西に走る本町通り。 名前からして、この道がかつての上野第一等の商業地であったと思われるが、今はそう賑わっていない様子である。 近鉄上野駅に戻りついた。 駅前には芭蕉の像があった。 芭蕉は東を向いている。 今日は多くの建物を見た。 崇広堂はよかった。 蓑虫庵もよかった。 天満宮では多くの俳句を目にした。 敬遠していた俳句に少しは近づけた気がしないでもない。 万歩計は21300歩だった。 執筆:坂本 正治.

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吉川英治 鳴門秘帖 剣山の巻

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それから四、五十日の日が過ぎた。 南国らしい暑さの夏! 雄大な雲の峰の下に、徳島の城下は、海の 端 ( はし )に平たく見えて、 瓦 ( かわら )も焼けるようなギラギラする 陽 ( ひ )に照らされている。 カチ、カチ、カチ! たえまのない 石工 ( いしく )の 鑿 ( のみ )のひびきが、炎天にもめげず、お城のほうから聞えてくる。 町人の 怠惰 ( たいだ )を 鞭 ( むち )うつようだ。 徳島城の 出丸櫓 ( でまるやぐら )は、もうあらかた工事ができている。 今は、いつか 崩壊 ( ほうかい )した石垣の修築が少し残っているばかり、元気のいい 鑿 ( のみ )の音は、そこで火を出しているひびきである。 阿波守重喜 ( あわのかみしげよし )も、その後、めっきり快方に向っていた。 ひと頃、家臣たちが眉をひそめた、病的な 乱行 ( らんぎょう )も 止 ( や )まって、今では、神経衰弱のかげもない程、まっ黒に日にやけている。 あまたの若侍と一緒に、徳島城の大手から津田の浜へ、 悍馬 ( かんば )をとばしてゆく重喜の姿をよく見かける。 水馬、水泳、浜ではさかんな稽古である。 ある時は、 家中 ( かちゅう )をあげて、 陣練 ( じんねり )、兵船の 櫓稽古 ( やぐらげいこ )などが行われた。 今日も阿波守は、 水襦袢 ( みずじゅばん )に 馬乗袴 ( うまのりばかま )をつけた りりしい姿で、津田の浜のお茶屋に腰をすえ、生れ変ったような顔を潮風に磨かせていた。 そして、白浪をあげて乗り廻している水馬の群れを眺めて、時々、ニッコとさえしている。 健康とともに、強い希望の火が、かれの行く手によみがえってきていた。 赫々 ( かっかく )としてきた。 潮音、海風、すべて 討幕 ( とうばく )の声! そう胸を 衝 ( う )つのである。 炎日、 灼土 ( しゃくど )、すべて 回天 ( かいてん )の熱! そう感じられてくるのである。 健康な心には、迷信の 棲 ( す )みうる闇はなかった。 間者牢 ( かんじゃろう )のことも俵一八郎の死も、阿波守の脳裏からいつか駆逐されて、その後には、ただ大きな望みだけが 占 ( し )めていた。 ことに。 もう五十日ほど前に、 沼島 ( ぬしま )の沖合で、 法月弦之丞 ( のりづきげんのじょう )とお綱とが、 暴風雨 ( あらし )の狂瀾を目がけて身を躍らせたので、とうとう、それなり海のもくずになったであろうという三位卿の報告は、かれをして、ホッとした息をつかせたに違いない。 「 幸先 ( さいさき )はよいぞ!」 阿波守の意気があがるとともに、 出丸曲輪 ( でまるぐるわ )の工事は成り、石垣の 普請 ( ふしん )は近く手を離れるばかり、火薬は 硝薬庫 ( しょうやくぐら )にみち、兵船はそろい、家中の士気は揃ってくる。 すべてが、不思議なほどトントン拍子に吉事を重ねてくる。 近くは、前もって盟約のある京の代表者、 徳大寺 ( とくだいじ )家の密使をはじめ、加担の西国大名、 筑後 ( ちくご )の 柳川 ( やながわ )、 大洲 ( おおず )の 加藤 ( かとう )、 金森 ( かなもり )、 鍋島 ( なべしま )、そのほかの藩から、それぞれの使者が徳島城に集まって、幕府討て! 大義にくみせよ! の最後にして最初の 狼火 ( のろし )をあげる 諜 ( しめ )しあわせをすることになっている。 で、阿波守の 爽 ( さわ )やかな胸から、時々、明るい笑いが頬へのぼる。 波を見ては 笑 ( え )み、人をみては笑み、馬をみては笑む。 「阿波殿!」 と、お茶屋の端にかけている三位卿が、それを見て声をかけた。 「あれにいるのは何者か?」 と、重喜が妙な顔をした。 ひとりは頭巾をつけ、ひとりは 総髪 ( そうはつ )。 どちらも大名の前に出られる 風姿 ( なり )ではない。 「もと 川島郷 ( かわしまごう )の 原士 ( はらし )、関屋孫兵衛です」 と、待っていたように、有村がひきあわせた。 「ひとりは旅川周馬という浪人、一角にも劣らず、弦之丞を討つについて骨を折りました」 「ウム」 重喜は 鷹揚 ( おうよう )にうなずいた。 さきに、天堂一角から推挙があったので、その名前だけは耳にしていた。 有村は、お言葉をたまわりたいと願った。 そして、関屋孫兵衛は、某所で果し合いをした折の 刀傷 ( かたなきず )を病んでおるので、頭巾のままおゆるしを願いたいとつけ足した。 これは、三位卿も真偽を知らないことだが、孫兵衛のいうままを取次いだのである。 で、機嫌のよい阿波守は、 謁 ( えつ )をゆるして、当座の手当を与えるように 近侍 ( きんじ )へいいつけた。 納戸方の侍の手から、金一封ずつが渡された。 すくない金ではないらしい。 「なお、いずれ後日には、何かのお沙汰があるであろう」 ということに、周馬も孫兵衛も予期どおりな つぼへ来たわえと、内心ニタリとして、 殊勝 ( しゅしょう )らしく引退った。 だが頭巾のことでは、さすがなお十夜も冷汗をかいたらしく、 腋 ( わき )の下を拭きながら、周馬とくすぐったがりながら、空いている浜小屋のひとつへ入ってくる、とそこに天堂一角が、水 襦袢 ( じゅばん )に馬乗 袴 ( ばかま )の姿で、腕をくんで 鬱 ( ふさ )いでいた。 「お」と、顔を見あわせて、 「どうした」 と、肩を叩く。 「う……」と一角は元気がない。 「水馬で疲れたとみえる」 「そうでもない」 「今、阿波守に 拝謁 ( はいえつ )してきた」 「ふーん……」 「貴公の推挙もあり、三位卿の口添えも 利 ( き )いて、すっかり面目をほどこしたというわけさ」 「そうか」 「よろこんでくれ」 「うム」 「おれも川島へ帰って、元の原士千石の身分になれる。 周馬だって、いずれ、近習とまではゆかなくっても、馬廻りやお納戸ぐらいには役づくことになるだろう」 「早いな、話は」 「とにかく、吉運到来だよ」 「そうかしら」 「オイ、一角」 「え」 「そうかしらって、お 前 ( めえ )だって、噂にきけば、たいそういい運が向いてきたというじゃねエか」 「ウム、 加増 ( かぞう )のお 墨付 ( すみつき )をいただいた」 「不足なのか」 「過分さ」 「じゃあ」 少し話がこじれてきた。 周馬が代って、 「おれたちが仕官したり帰参するのが気にいらないのか」 とひがんでいう。 「ばかをいえ!」 と一角は 傲岸 ( ごうがん )になった。 「お互いに立身出世の 緒口 ( いとぐち )がついたのを、誰が気にいらない奴がある」 「それならよろこんでしかるべきじゃないか」 「だからよろこんでおるではないか」 「ちッ、まずい 面 ( つら )をしているくせに」 「ほかに 屈託 ( くったく )があるからだ」 「なんだ?」 「おれは少し気になってきた」 と一角はまた首をたれて考えこんでしまった。 「どうしたっていうんだ。 天堂一角にも似合わん憂鬱じゃないか。 今、蜂須賀家もおれたちも、吉兆と吉運にめぐまれているのに」 「だからよ、その夢が 凶 ( わる )く、裏切られてきやしないかと心配しているのだ」 「妙なことをいう……」 解 ( げ )せない。 ふたりは眉をひそめて一角を見た。 一角は何か真剣になって苦念していた。 剽悍 ( ひょうかん )で一徹者、何ごとにも荒けずりな性格を見せる天堂が、妙に楽しまぬ色で、考えこんでいるので、周馬と孫兵衛がだんだんたずねると、やっと、口を開いた。 「どうも、吾々の吉運到来は夢らしいぞ。 夢はいいが、さめた後の悪さが思いやられる」 と、何かに、おびえていうのである。 「なぜ?」 「どうも、弦之丞とお綱は、まだ死んではおるまいと思われる。 もし、ふたたびかれが姿をあらわすことでもあった日には、殿を 欺 ( だま )したことになる」 「ばかな!」と周馬は一蹴して、 「あの 怒濤 ( どとう )の中へおどりこんで、助かるわけがあるものか」 お十夜も同意した。 「一角、そりゃ、余りお 前 ( めえ )が考え過ぎるよ」と。 そして、もう 一言 ( ひとこと )、冷笑をまぜてつけ加えた。 「運が向くと人間は臆病になる。 金持になると病気ばかり怖くなる、この夢がさめるな、この夢がさめるなってやつよ。 それと同じだ。 ばかばかしい。 夢といってしまえば、棺桶の底へ あぐらを組むまでは、みんな夢じゃないか」 「くだらんことをしゃべってくれるな、拙者は心の底から心配しているのだ。 恩賞の帰参のと、吉運に酔っている貴公たちを見るといっそう後が思いやられる。 決して、 根柢 ( こんてい )もなく取越し苦労をしているのではない」 「どうして急にそんなことを考えだしたのか。 おれたちにはおかしくってしようがない」 「実をいうと、拙者も、今しがたまでは得意だった。 で、今日この浜で出会った叔父貴にも自慢をしたくらいなのだが」 「ウム」 「叔父というのは水泳 指南番 ( しなんばん )で、 赤組頭 ( あかぐみがしら )、 生島流 ( いくしまりゅう )の達人で、 平常 ( へいぜい )は船預かりという役名で四百石いただいている、海には苦労をしている人間だ」 「 成瀬銀左衛門 ( なるせぎんざえもん )のことではないか」 「そうだ」 「その成瀬に自慢をしたというのは、法月弦之丞のことをだな」 「 刃 ( やいば )で 止 ( とど )めを刺したのではないが、とにかく、海の 藻 ( も )くずになったことは分りきっておる。 かたがたお墨付をいただいたから、それを話したのだ。 さだめし、叔父にしても家中へ鼻が高かろうと思って」 「なるほど、そしたら?」 「おめでたい奴じゃ! 頭からそうどなられたものではないか」 「ふウむ、変り者だな」 「どうして、常識過ぎるくらいな常識家だ。 その叔父が 苦 ( にが )りきって、 罵倒 ( ばとう )するのだから、拙者もちょッと面食らった。 必ずどこからか陸地へ上がっている! 祝杯に酔ッぱらうなよ、阿波守様はいい時にはいい殿だが、悪い時にはその逆がひどく出るお方だぞ! こう叱るのだ、拙者をな。 で、だんだん叔父貴の説に耳をかしてみると、どうも彼はまだ生きているという結論になってくる」 周馬もお十夜も、なんだか嫌な気持になった。 あまり正確な推理がそのあとから出るのが怖ろしく思えた。 「深いことはいわないが、叔父は水泳と船術の経験から、近海の潮流に詳しい。 また、みずから海へ飛びこんだ程の弦之丞だから、必ず自信があったろう。 相当にいける者なら、あの晩の波ぐらいは大したものではない。 ことに隠密というものは、捕われるまでも決して自殺をしないものだ、 拷問 ( ごうもん )にたえ、恥をしのび、首を斬られる最後の一瞬まで、生きて 命 ( めい )をまっとうしようともがく 粘 ( ねば )り 気 ( け )のあるところに、隠密の本分と、かれらの誇りがある。 その辺は なみの武士のいわゆる最期の美とはよほど違う。 だから、弦之丞も、お綱を引っ抱えて海へ入ったのは、おそらく、逃げるだけの自信があってしたことに違いないし、船も阿波の沖へ近づいていたといえば、かたがた 油断 ( ゆだん )はなるまいというのだ」 「けれど、もう五十日あまり過ぎた今日になっても、かれがどこに潜伏していたという知らせも、ないではないか」 「その代りに、かれの死骸がどこへ流れ着いたということも聞かない」 「そういえばそうだなア……」と周馬の声は 溜息 ( ためいき )に似てきた。 吉運到来の歓喜は苦もなくぐらつきだした。 そう疑いをもってくると、弦之丞の変幻自在なことから推しても、ヒョッとすると、徳島の城下あたりを澄まして歩いているような気がする。 下手をすれば、浜で動いている足軽や人足、お城に取ッついている石工の仲間などに、かれが巧妙な変装をしていない限りもない。 「祝杯に酔っぱらうなよ!」 海で苦労をした人間がいったという言葉が、気味わるく耳にこびりついてきた。 阿波守が浜から帰城した後で、三人は思案にあまった顔を揃え、三位卿にどうしたものか相談してみた。 「ふウム……」と聞いていたが、かれも専門家の成瀬銀左衛門がいった説というのでは、頭から否定もしきれないで、 「そういわれてみると、ほうってもおけぬな」 と、同じ疑念にとらわれてしまった。 そして、またこういった。 「なにしろ万全を尽くしておくに限る。 それには、第一案も第二案もあるから決して心配することはない」 翌日、かれは三名の者をつれて、 助任町 ( すけとうまち )の代官所に 桐井角兵衛 ( きりいかくべえ )をおとずれた。 「こういう者であるが」 と有村が、代官の角兵衛に示したのは、前夜、周馬が入念に 描 ( か )いた弦之丞とお綱の人相書で、骨格、年配、特徴、 背丈 ( せたけ )などが、微細にわたっている二枚の巻半紙。 それをひろげながら、 「今から五十三日前の 暴風雨 ( あらし )の夜から後に、こういう男女の死骸が、御領内の沿岸へ上がったことはないか。 あるいは、無智の 漁師 ( りょうし )などが、 曲者 ( くせもの )に 騙 ( かた )られて 匿 ( かくま )っているような様子はないか、また、巧みに変装して御城下などにまぎれ込んでおるようなことはあるまいか、どうか、入念に至急、お調べを願いたい」 と、むずかしい注文を持ちこんだ。 桐井角兵衛は罪人の 揚屋 ( あがりや )を預かり、手代手先の下役を使って、阿波全土の十手を支配している役儀上、いやとはいえないで、すぐに人相書を十数枚複写させ、それを 美馬 ( みま )、 海部 ( かいふ )、 板野 ( いたの )、 三好 ( みよし )などの各地の配下へ持たせて、 しらみ 潰 ( つぶ )しに各村を調べさせた一方、代官所の手先に命じて、城下はいうに及ばず、阿波の沿海、残るくまなく捜索させた。 叩けば ほこりの道理で、その結果いろいろな報告が集まった。 だが、ひとつとして取るに足るような手がかりはなかった。 ただ、あの 暴風雨 ( あらし )から数日の後、徳島より南の 燧崎 ( ひうちざき )に、一枚の渋合羽が流れついたということと、まるで方角違いな、 富岡郷 ( とみおかごう )の山林の中に、日数をへた男女の死骸が抱き合って朽ちていた、という二つの事実があったが、それも深く探ってみると、いずれも縁のない暗合に過ぎない。 ふたりの消息は、依然として 謎 ( なぞ )であった。 求め得たものは、そういう偶然が起こさせる 錯覚 ( さっかく )と、吉運をおびやかす疑惑、それだけである。 で、有村は、前から阿波守には内密に考えていた、第二の案を実行しようとした。 それを天堂や孫兵衛や周馬に打ち明けると、三人も異議なく 雷同 ( らいどう )した。 重喜 ( しげよし )に話せば、無論許されないにきまっていることであった。 許されないよりは或いは激怒を買うかもしれないと思ったので、秘密に出立しようとなった。 山支度! できうる限りの軽装で、竹屋三位卿以下、夜にまぎれて城下を抜けだし、剣山へ指して行った。 お十夜孫兵衛だけは、久しぶりで、途中郷土の川島 郷 ( ごう )へ立ち寄りたいというので、それより一日前に立っていた。 そして、後の者を川島で待ちあわせ、そこで、何かの手筈を 諜 ( しめ )しあわせる約束。 孫兵衛にしても木の 股 ( また )から生れた男でない以上、川島へ帰ってみれば、老いさらぼうた祖父だとか、顔を知らない 甥 ( おい )だとか、麦畑でねじ伏せた女だとか、古い記憶の中から彼を取りまくさまざまな人があった。 「おれもこんどは落ちつくぜ。 うム、御恩賞と 扶持米 ( ふちまい )を大事に守って、昔のとおり川島の 原士 ( はらし )となって、この屋敷を建てなおすつもりだ」 周囲の者にも、こんな放浪児らしくない気持をもらした。 焼きが廻ったというものであろうか、それとも、人間らしいところへ落ちついてきたのであろうか、とにかく、吉運到来がだいぶ 獰猛 ( どうもう )性を 和 ( やわら )げているのは事実だ。 「おれだって、後生は 安穏 ( あんのん )に送りてえからな」 といったところが本音であろう。 そこへ有村が来てかれを誘い、一行四人、吉野川の上流へと急いだ。 灼 ( や )くような 陽 ( ひ )が、かれらの笠の上から 焦 ( い )りつけた。 有村も一角も、 袴 ( はかま )の上から小袖を脱いで、白い肌着になっていた。 柄頭 ( つかがしら )の金具や刀の 鍔 ( つば )も、手をふれると熱いほど焼けている。 やがて仰ぐ行く手の雲と雲の間に 剣山 ( つるぎさん )の姿が どっしりと沈んで見えた。 甲賀世阿弥 ( こうがよあみ )のいる山だ。 全身の血と ぎらん草の汁をしぼって、かれが 孜々 ( しし )と書き 綴 ( つづ )っていたものは、もうどの辺まで進んでいるか? 三位卿たちは世阿弥が最後の仕事として、そういうことに魂を打ちこんでいるとは夢にも知らなかった。 だが、ぜひとも、かれを殺してしまうことが、最善の手段だとは考えついていた。 いずれ、お綱は父に会うべく、また、弦之丞は世阿弥から阿波の内秘を聞きとるべく、剣山へ目指してくることは想像される。 こう有村は考えたのであった。 そして、それを実行するために、四人は焼け土を踏んで剣山へ急ぐのだった。 鼬 ( いたち )のような鋭さをして、今朝、 塀裏町 ( へいうらまち )の 横丁 ( よこちょう )を出てきた手先の 眼 ( がん )八は、ツンのめるようなかっこうで、牢屋 塀 ( べい )の下草へ 痰 ( たん )つばを吐きかけながら、そそくさと、代官屋敷のほうへ急いで行った。 それを見かけると、城下の者は、 「オヤ、何かまた朝ッぱらからお 召捕 ( めしとり )があるぜ、眼八が大股で行った」 と、すぐに伝えあうほどな記録を持っているすごい眼八。 手拭でふくれている 懐中 ( ふところ )も、人一倍長い 捕縄 ( とりなわ )の束でアアなっているのだろうと 恐 ( こわ )がられている手先である。 「お早う」 と、その眼八が門に立った。 黒い 冠木門 ( かぶきもん )の外から中へ、玉砂利が奥ふかくしきつめてある。 城下代官と町奉行を兼ねている 桐井角兵衛 ( きりいかくべえ )の役宅だ。 箒 ( ほうき )と打水で、役宅の前を掃除していた 菖蒲革 ( しょうぶがわ )の 袴 ( はかま )と、尻 はしょりの 折助 ( おりすけ )が、 「やあ、眼八」 と、朝機嫌のいい声を出して、 「ばかに早いな、何かあるのか」 と、竹箒を肩に立てかけた。 待っている間、眼八と折助は、何かの話の末に思いだして、 「そういやあ、森の屋敷の宅助はどうしたろう?」 と、眼八からいいだした。 「あいつにこまごまと積もって、十両ばかりの 貸 ( か )しがあるンだが」 「借金で首が廻らないところから、出先で 随徳寺 ( ずいとくじ )をきめてしまったンじゃあないか」 「だが、主人の啓之助も、まだ御城下には帰っていないらしい」 「噂によると、何かマズいことがあって、大阪表でお 扶持 ( ふち )放れとなったそうだ」 「ヘエ、森啓之助が?」 「なんでも浪人したという話だ」 そこへさっきの菖蒲革が帰ってきて、 「眼八、やはりお役宅のほうで待っていろとおっしゃったよ、すぐにお越しになるだろう」 「ありがとうぞんじました」 と、およその時間を計りながら、そこで、二、三服煙草を吸ってから、役宅の奥へ入って行った。 案内を知っている代官部屋を 覗 ( のぞ )いてみると、桐井角兵衛はもう机に積み重ねてあるいろいろな書類をめくっている。 それがみんなこの間うちから八郡の地方代官所へ問いあわせをした、人相書の反響かと思うと、眼八は、なんとなくおかしくって、しばらく、苦笑を押えていた。 と、それに気がついて、 「眼八ではないか、早朝から折り入って話したいこととは何だな」 と声をかけた。 ところで、何かそちの手で、めぼしいことが 挙 ( あが )ったか」 「ちょっとばかり心当たりがございますので、それで、お指図をうけに上がりました」 と眼八は、 煙管 ( きせる )を抜いて、指に挟んだが、煙草盆が遠いので、その手を空しくさせたまま、しばらく言葉を切っていた。 「ふウム……そうか!」 と桐井角兵衛は、机に山積している各地の 郡奉行 ( こおりぶぎょう )の報告よりは、眼八が、煙草入れの 筒 ( つつ )と一緒に抜いた心当たりという一句に、すっかり引きずり込まれて、 「して、その二人の生死は?」 と、まず、 訊 ( たず )ねた。 「奴らは、たしかに死んではおりません」 と眼八は、 濁 ( にご )りのない声で、言いきった。 ゆうべ、手先の眼八は、 免許町 ( めんきょまち )の 刀研師 ( かたなとぎし ) 大黒宗理 ( おおぐろそうり )の店へ寄って、ある兇行に使われた 小柄 ( こづか )の 目利 ( めきき )をして貰っている間に、思いがけない拾いものにぶつかった。 髪切虫 ( かみきりむし )のヒゲみたいに鋭いかれの感覚は、そこへ来た男と宗理の対話を 二言三言 ( ふたことみこと )聞いただけで、 「こいつあ 」 と、思った。 職業的な興奮を 超 ( こ )えて、一種の功名心に燃ゆる 動悸 ( どうき )さえうった。 この間うちから、阿波全土の代官や手先や町同心が、 蚤取眼 ( のみとりまなこ )でたずねていても、なお、その生死すら判定しない法月弦之丞という江戸方の隠密と、お綱という女を、ひとつ、この眼八の手で、アッサリ引っくくってみたら、節穴同様な目玉をもって納まっている町同心や郡奉行などが、どんな 面 ( つら )をするだろうか? 思ってみるだけでも痛快だ。 乗り気になる 値 ( あたい )がある。 で、眼八。 その男が帰ったあとで、何食わぬ顔をして、宗理の口 うらをひいて家へ戻ってきた。 寝床の中で、 とっくりと前後のことを綜合してみると、やはり弦之丞もお綱も立派に阿波へ入って、どこかにほとぼりをさましているという結論が生れてくる。 眼八は寝られなかった。 当たった 富札 ( とみふだ )をふり廻しているような興奮で一世一代の仕事だと考えた。 初めは直接に三位卿のところへ持ち込んで、城内で 羽振 ( はぶり )のきく若公卿に取り入ろうと 胸算 ( むなざん )をとったが、それもあまり支配者を出しぬく形になるので、とにかく 蒼惶 ( そうこう )として起き抜けに代官屋敷へやってきたわけ。 それは桐井角兵衛にも寝耳に水であった。 「で、お前がいた時に、大黒宗理の所へ来あわせた男というのは、いったい、何者なのだ? まさか弦之丞自身ではあるまい」 「そうです、無論弦之丞じゃありません、どこかこの辺の浜へ稼ぎに来ていた船大工の 手間取 ( てまとり )。 そいつが 研師 ( とぎし )の宗理の手から、 研 ( と )ぎ上がった二本の刀を受け取って帰って行きました」 「船大工が?」 「ヘエ、しかし、ひとつは、無銘の長い 刀 ( やつ )、ひとつは新藤五という小脇差で、すばらしい名作、 鑿 ( のみ )や 手斧 ( ちょうな )なら知らないこと、船大工風情の手にある 代物 ( しろもの )でないことは分っています。 で、頼み主はと台帳を見て貰うと、 海部 ( かいふ )の 日和佐 ( ひわさ )の 宿 ( しゅく )、 大勘 ( だいかん )という 棟梁 ( とうりょう )の名になっています」 「ふム、そして?」 「 頼 ( たの )み 人 ( て )の名に偽りのないことは、品物が大事な金目のものだけに、まあ、嘘はないと見ておきました。 それに日和佐の宿あたりには、それ程の刀を 研 ( と )ぐ腕の研師はありますまいから、わざわざ徳島の城下まで持ってきたに違いありません。 ことに、その刀もただの 研 ( とぎ )ではなく、 潮水浸 ( しおびた )しになったのを、 鞘 ( さや )、 柄糸 ( つかいと )、 拭上 ( ぬぐいあ )げまですっかり手入れをしなおしたもので、宗理の手もとでも五十日ほどかかったという話。 というなあ、無銘の方の 小柄 ( こづか )には、弦之丞の 印 ( しるし )と聞いた三日月紋の 切銘 ( きりめい )があり、もう一腰の新藤五の古い 鞘 ( さや )には、甲賀 世阿弥 ( よあみ )という 細字 ( さいじ )が 沈金彫 ( ちんきんぼり )に埋めこんでありました。 で、もうこれ以上の 詮索 ( せんさく )は無用でしょう。 すぐに使いの男をつけて、その場から 日和佐 ( ひわさ )へ突ッ走ってもいいところですが、大事を取って一応ご相談に上がったわけです」 「ウーム、そうか」 桐井角兵衛にも、もう少しも疑う余地がなかった。 「日和佐の宿に 潜伏 ( せんぷく )して、刀の手入れのできるのを待っているものとみえる」 「それと、これにゃ弦之丞をかくまっている奴が、ありそうですから、ただいきなり捕手をくりだしても、風を食らってしまうでしょう」 「とにかく、何より先に、このことを、有村 卿 ( きょう )のお耳に入れて、お指図をうけた後の手配とするが順序であろう」 「あれが仕上がって届いたとすると、弦之丞はすぐにも日和佐にいないかもしれません。 どうか、ご相談に暇どって、大事な 機 ( おり )をはずさないようにお願いいたします」 にわかに 蒼惶 ( そうこう )とした気持で、桐井角兵衛は使いをもって、このことを城内の三位卿に知らせてやると、その有村は、きのう山支度をして、かねて望んでいた剣山の踏破に出かけてしまったという返辞。 「あれほど役人の手を騒がしておきながら」 と、かれの 腹蔵 ( ふくぞう )を知らない桐井角兵衛は、三位卿の行動を不快に思ったが、みすみす眼八がつきとめてきたものを、悠々と、有村の帰りを待ってはいられないので、かれは彼の独断で、日和佐へ手配することにきめた。 手先の眼八は わらじをはいた。 足は自慢な男である。 城下から海ぞいに、土佐街道を南へ十四里ばかり、日和佐の宿へ急いだのだ。 磯の香の高い 海辺町 ( うみべまち )にはいった晩、かれの姿は、すぐと、 海部 ( かいふ )代官所の中へ消えていた。 で、何かの手筈はその晩にすんだとみえて、翌日になると眼八、旅職人の 風 ( ふう )つきで、わざと間のぬけた顔をしながら、 厄除橋 ( やくよけばし )の辺をウロついていた。 薄暮の海が眺められた。 漁港らしい灯が日和佐川に映っている。 宿 ( しゅく )の中を通っている街道には、ひとしきり 荷駄 ( にだ )の鈴や、宿引きの女の声や、さまざまな旅人の影が織っていた。 四国二十三番の 札所 ( ふだしょ ) 薬王寺 ( やくおうじ )にゆく足だまりにもなるので、 遍路 ( へんろ )の人のほの 白 ( じろ )い姿と、あわれにふる鈴の 音 ( ね )もこのたそがれのわびしい点景。 「あ、こちら様だナ」 と、やっと見つかったというふうに、眼八、とある 角構 ( かどがま )えの格子先に腰をのばした。 船玉祀 ( ふなだままつ )りの 御幣柱 ( ごへいばしら )が、 廂 ( ひさし )の裏に掛けわたしてあり、荒格子に三 間 ( げん ) 土間 ( どま )、雑多な履物が上げ潮でよせられたほど脱いである。 部屋にいる手間取か内弟子か分らないが、いけぞンざいな若いのが出てきて、 「なんだい」と見下ろした。 「 旅人 ( たびにん )でございます。 親方のお名前を承知しまして、お頼り申してまいりました」 「同職か」 「ヘエ」 「 上 ( あ )がンねエ」 「ありがとうぞんじます」 「裏へ廻ると井戸がある。 その側に小屋があるから、そこでゆっくり泊ってゆくがいい。 朝立つ時にゃちょっと俺たちの部屋へ声をかけて行きな、 わらじ銭と 午飯 ( ひるめし )だけは 餞別 ( せんべつ )してやることになっているんだから」 「ご厄介になります」 格子を出て裏へ廻った。 路次の横に窓があった。 すだれ越しにチラと見ると、 羅漢 ( らかん )のような裸ぞろいが、よからぬ 弄戯 ( あそび )に 耽 ( ふけ )っている。 同職の渡り者といえば、宿なし犬に縁の下を貸すくらいな気安さで泊めてはくれるが、ちゃんとあしらいの寸法がきまっていて、何ひとつ道具のない部屋で、 塗 ( ぬ )りの 剥 ( は )げた 箱膳 ( はこぜん )に、 沢庵 ( たくあん )四きれ、汁一 椀 ( わん )、野菜の煮しめが一皿ついて、あたりに人はなしといえども、それをあぐらで食うわけにはいかない。 禅僧のように、椀や皿の残り汁まで、きれいに湯で洗って飲んで、きちんと隅へ下げておく。 一椀の恩に対する作法である。 そこへ中年の小僧が、 「客人、すんだかい」と膳をさげに来て、 「 蒲団 ( ふとん )と 行燈 ( あんどん )は、その板戸をあけると中にあるから勝手に出してくんな。 油があったかしら、油壺を見てくンないか、客人」 「ございます、どうもご馳走様で」 「そうか、じゃお 寝 ( やす )み」 「もし、もし。 ちょっとお待ちなすって」 「何か用かね」 「親方にご挨拶をしたいと存じますから、ひとつお取次ぎを願います」 「親方はいないよ、この間うちから留守なんだ」 「じゃお 内儀 ( かみ )さんか誰か、お身内の方に、ちょっと会わせて貰えませんでしょうか」 「お内儀さんは近所の衆と、 遍路 ( へんろ )に出て今は留守だし、ほかにゃ弟子か部屋の者ばかりだが、何か用かい、客人」 「ナニ、別段なことじゃございませんけれど……じゃ、お前さんに伺ってみますが、誰か、ここの家に商売違いなお客が二人ほど、お世話になっちゃあいませんかね?」 「商売ちがいな?」 「若い男と女です」 「いねエなあ、そんな者は」 「いませんか……」と眼八が、ダメを押して 額越 ( ひたいご )しに相手を見つめた。 ひょいと、その眼光りが変ったのを自分でも気がついて、 「へ、へ、へ、へ。 まことに、妙なことをきくようですが、私の身寄りの者で、今は、大勘さんの家にお世話になっているというような噂を、ちょっとよそで聞いたもんですからね……それで、何ですが……じゃ、そんな方はおりませんか?」 「いつ頃のことだい、それやあ」 「さようで……」 と、額に 平掌 ( ひらて )をあてて、わざと考えるふうを 装 ( よそお )いながら、にわかに、思いだしたように、鼻紙へ一分銀を一ツ包んだ。 「 兄哥 ( あにき )、これやホンの少しだけれど」 「いらねエや、お 前 ( めえ )は 旅人 ( たびにん )じゃないか。 旅人からそんな物を貰うと、部屋の者に叱られら」 「なアに、誰がそんなことをしゃべるもんですか、まア取っといておくんなさい、私だってこうしてお世話になれば、 旅籠賃 ( はたごちん )というものが助かっているんですから……。 エーところで、その若い男と女の客が、多分、こちらへ来たろうと思うのが、そうですネ、今から五十日前の前後か、それから後のことなんですが、よく考えてみておくんなさい、きっと、お心当たりがあるでしょう」 「ああ、そうか……」 「知っているね!」 と眼八、一分銀を握らせたその腕くびをギュッとつかんで、 「それごらんなせえ、やっぱり、お前さんが忘れていたんだ」 眼八の誘いにツリこまれて、大勘の内弟子は、うっかり、 「ア、そういえばネ、客人」 と、しゃべりだした。 「似た話があるぜ」 「ある? ふム」 「もう一月あまりも前なんで、すっかり忘れていたけれど、ちょうど、客人のいった頃にあたるよ。 小雨がソボソボ降っていた、 暴風 ( しけ )あがりからズッと降り通しで、部屋の者も仕事がなしで、早く床についた晩なのさ」 へたな言葉をさし挟んで、相手のしゃべる 図 ( ず )をはずすまいと、眼八、大事そうにソッとひとつうなずいた。 「……とネ、宵の 五刻 ( いつつ )ごろ、トントンと表をたたく人があるんだ。 おらあ親方の 瘤 ( こぶ )みたいな肩を 揉 ( も )ませられていたので、イイ 機 ( しお )だと思ったから、親方、誰か表に客人でございますヨ、そういって顔を 覗 ( のぞ )くと、ふム、分っているとうなずいて、部屋の奴アみんな寝たか、とこう聞くんでございます」 「なるほど」 「ヘエというと、親方は、いずれ今頃ウロついてくる客は、旅人だろうから、あっちの小屋へ 行燈 ( あんどん )を入れておけ、そして、後はおれが見てやるから、てめえは床に着くがイイ。 しかも、頭から 酒菰 ( さかごも )をかぶって、まるで 乞食 ( こじき )のような風態をしているのに、親方はばかに親切に世話をしていました。 すると、てめえはあっちへ行って寝ろといわれたので、そのまま、 母屋 ( おもや )のほうへ戻りながら、井戸端で足を洗っているお 菰 ( こも )を見ると、とても、白い足をしているんで、オヤ、とその時気がつきました。 ひとりのほうは、ゾッとするようないい女、ひとりは五分 月代 ( さかやき )の若い浪人者です」 しめた! と眼八は、腹の中で 雀躍 ( こおど )りしていた。 なお、さあらぬふうで、言葉巧みに聞き出してみると、その晩、ここへ泊った素姓の知れない 男女 ( ふたり )は、翌朝、部屋の者が眼をさました時分には、もうどこかへ立ち去っていて、誰も知らないくらいであったという話。 「そうでしたか、それでおよその事情が分りました。 イヤ、 大 ( おお )きにありがとう」 眼八はていねいにこういってから、自分の 振分 ( ふりわけ )を解いて、 「うるさいことをきいてすみませんが、ついでに、もうひとつお伺いしたいと存じますが……」荷物の中から取り出した渋紙の端をほごすと、コロコロと一本の 鑿 ( のみ )がころがりだした。 商売道具。 「 平鑿 ( ひらのみ )だネ」 と、すぐに向うも目をつけた。 「エ、なかなかよく使いこんである 鑿 ( のみ )です」 「売るつもりなら部屋の者に見せてあげるぜ」 「なに、これは、手放すわけにはゆかない品なんで」 と、眼八、 のみの平首に 拇指 ( おやゆび )を当てて、ピカリと、ひとつ引っくり返した。 「これや、私が徳島の城下はずれで、フイと拾った物なんです。 眼八は拇指の腹であご 髯 ( ひげ )をコスリながら、畳へおいた 平鑿 ( ひらのみ )を見つめておった。 何かのクサビになるだろうと、この間、 研師 ( とぎし )大黒宗理の店さきで、そこにいた職人の道具箱からソッと一本かすめておいた品物だ。 「この鑿を持っている源次という職人を取ッちめてみれば、大黒宗理のところから受け取って行った刀を、どこへ届けたか分ってくる。 そいつさえ当たりがつけば、もうしめたものだが……」と、息を殺していると、 「ここか」と、外で職人らしい声がした。 「客人」 と、前の中年者が顔を出して、 「聞いてみたら、やっぱり鑿を 失 ( な )くしたのは部屋の源次という人だった」 「ア、それやどうも、お世話様で」 「先でも、使い馴れていた 稼業 ( かぎょう )道具を 失 ( な )くして、困っていたところなんで、話してやったら大よろこびさ。 で、今ここへ連れてきたからね」 「そうですか」 と、片手をついて身をねじりながら、 「源次さんとおっしゃるのは? ……」 と、土間の外を見ると、まぎれもなく、この間、宗理の店から、弦之丞とお綱の刀をうけ取って帰った、あの若い男である。 失くしたとばかり思っていた道具が手に戻って、大工の源次は、わけは知らずに礼をいった。 「近づきの 印 ( しるし )に、どこかで 一杯 ( ひとくち )やろうじゃねエか」 どっちから誘うでもなく、涼み半分、ぶらりと、連れ立って飲みに出かける。 眼八には思う 壺 ( つぼ )。 「不案内でございますから」 と、ついて行った。 源次は礼におごるつもりなので、町の西端れの 馴染 ( なじ )みの家へ案内した。 だが、そこの払いも眼八が先に越して、 「どうせ、今から部屋へ帰っても、この暑さじゃ寝つかれやしません。 少し、どこかで涼んで行こうじゃありませんか」 と、 厄除薬師 ( やくよけやくし )の石段を上りかける。 「上へあがってみなせエ、寒いようだから」 同職と思って、源次はすっかり気をゆるめているらしい。 だが腹の底はしまった男とみえて、飲屋で話しあっている間に眼八がチョイチョイ かまを試みたが、いっこう、口を 辷 ( すべ )らせてこなかった。 で、かれは、少し 業 ( ごう )が煮えていた。 どこかで睨みの 利 ( き )くところを見せて泥を吐かせてしまおう胸算。 足場ばかり見廻している。 山は 医王山 ( いおうざん )の 幽翠 ( ゆうすい )を背負って、 閑古鳥 ( かんこどり )でも 啼 ( な )きそうにさびていた。 厄年 ( やくどし )の男女がふめば厄難をはらうという、四十二段、三十三段の石段を上ると、日和佐川の はけ口から、 弧 ( こ )をえがいている磯の白浪、ひと目のうちだ。 明鏡のような夏の月が、荒海から天へ洗い上げられている。 うろこ雲の徐々とした歩みに、月光が変るにつれ、海もたえず明暗の変化を見せていた。 その、冴えきった一瞬には、 水天髣髴 ( すいてんほうふつ )の境、 紀 ( き )の 路 ( じ )の山が、ありやなしやに見えている。 「エエ、気味のいい風だ」 と汗をひそめて、眼八は境内の捨石へ腰をすえ、 「なるほど、ここはいい所だ」といった。 眺めのいい所という意味と、源次を ひっぱたくにはいいお 白洲 ( しらす )だという二様の意味にとれる。 「夏知らずというところさ、あっしゃあ、 昨日 ( きのう )もここでウットリとしてしまった」 「昨日?」 と、眼八は、すぐに 揚足 ( あげあし )をとって、 「きのうは浜へ仕事に行ったと言いなすったが」 「なに、ちょっとこの辺へ使いがあってね」 「 一昨日 ( おととい )はたしか徳島にいなすった」 「エエ、親方の代りに、 新造船 ( しんぞう )の絵図をとりに行って、帰りに、御城下を少しブラついてきた」と、源次もそこで 鑿 ( のみ )をなくしたという事実があるので、これだけは隠されなかった。 よウし! この辺からソロソロ 締木 ( しめぎ )を責めてやろうか。 眼八はそう思いながら、 「源さん、まア掛けねえな」と、 煙管 ( きせる )の先で、杉の木の根あがりを指した。 「 御輿 ( みこし )をすえると、眠くなるからなあ」 「眠くならねエようにしてやるから、とにかく、そこへ落ちつきねえ」 「いやだぜ、悪い 喉 ( のど )なんかを聞かせちゃ」 「いいやな、お 前 ( めえ )、ここは四国二十三番の 札所 ( ふだしょ )だ、 御詠歌 ( ごえいか )ぐらいはおつとめしなくっちゃ、霊地へ対して申しわけがない。 そこでぼつぼつ始めるが……オイ、源次ッ」 と、肩を突ッ張って、にわかに鋭くなった。 「なんだ、旅人」 と源次はあッ気にとられた顔をした。 「お 前 ( めえ )は何か、 先刻 ( さっき )おれが返してやった 平鑿 ( ひらのみ )を、徳島のどこでなくしたか気がついているか?」 「冗談いうない、落した所を知っているくらいなら、何も、わざわざ 他人 ( ひと )に拾われやしねえ」 「そうだろう。 じゃ教えてやるが、実は、あれや御城下の刀 研 ( と )ぎ、 大黒宗理 ( おおぐろそうり )の店先で、お 前 ( めえ )が頼み 刀 ( もの )をうけ取っている間に、道具箱からぬけだしていたんだ。 なにも、平鑿に足が生えたわけじゃねえから、無論、おれの指先が、黙ってお預かりと出かけたんだが……」 源次は静かに顔色をかえていた。 その時、宗理の店で、背中合せに掛けていた男の姿を思い浮かべて、かれは、しまった! と 臍 ( ほぞ )をかんでいるらしかった。 眼八は相手の 眸 ( ひとみ )を読みながら、 「オイオイ、駄目だ駄目だ、逃げようたって逃がしゃあしねえ。 徳島奉行の御配下で、 釘抜 ( くぎぬ )きの眼八といわれている 鬼手先 ( おにてさき )だ。 その釘抜きが噛みついてしまった以上は、めったにここをズラからすものか」 「野郎!」 と、源次は片足ひいて、 「じゃてめえは、旅人といっていたが、徳島から 潜 ( もぐ )りこんできやがった岡ッ引だな!」 「神妙にしろッ」 「やかましいやいッ」 手拭にくるんでいた平鑿が、風を切って眼八の脳天に跳びかかってきた。 「ふざけやがって!」と、眼八は身をねじって、鑿の腕くびを引っつかみ、デンと投げ 業 ( わざ )をかけたが利かず、腰をくだいて、ふたつの体、よじれながら横ざまにぶっ倒れた。 「ちイッ……この野郎」 「御用だ……御ッ……御用」 と、組んず、ほぐれつ。 龍姿 ( りゅうし )の松をすく月の 斑 ( ふ )に、ここを必死に、キラめき合う鑿と十手。 月光の 下 ( もと )に、黒いふたつの体、ややしばらくというもの、転々と、上になり下になってよじれ合っている。 下に組み伏せられたと見えた眼八、 足業 ( あしわざ )にかけて、相手の胴を 万力 ( まんりき )のように締めつけ、源次が、 「うッ」 と、気を遠くしたのを見すまして、 「骨を折らしゃアがった」 と、起きかえって、側を離れてくると、その手と源次の間に、いつのまにかタランと、 捕縄 ( とりなわ )がつながれている。 源次はもう抵抗しなかった。 肘 ( ひじ )で、やっと体を起こしながら、縛られている自分の手へ眼を落したままうつむいている。 「ばかな奴だ」 と、月に光っている足もとの 鑿 ( のみ )を遠くの方へ蹴とばして、眼八、捕縄の端を三尺ばかり垂らして持った。 「名 うてな釘抜きだといい聞かせているのに、ムダなあがきをしやがって、ふざけた野郎だ。 さッ、お 白洲 ( しらす )だぞ、世話をやかせずに、泥を吐かねえと、捕縄の端の 鉛玉 ( なまりだま )が横ッ面へ飛んで行くからそう思えッ」 と、凄味を加えた言葉つきで、右腕の袖をつまみあげた。 宗理の店の 研物 ( とぎもの )台帳から、ちゃんと洗いあげてあるンだから、いい 遁 ( のが )れはかなわねえ。 あの 双腰 ( ふたこし )を、てめえいったいどこへ届けてやったのか、まず、それからひとつ 訊 ( き )こうじゃねえか」 「……おれに訊いたって無駄だからよしてくれ、源次は口が固いと見込まれて、親方から固く頼まれてしたこと、代官所へショッ曳かれたって、 算盤 ( そろばん )ゴザへ坐らせられたって、決して口を 開 ( あ )きゃしねエから」 「ふん……面白い」 と、あざ笑って、 「てめえがそういう男なら、眼八の釘抜き根性も、いっそう 脂 ( あぶら )がのってくるというもンだ。 腕によりをかけても、その口を開かしてやるから見ていろいッ。 おうッ、 吐 ( ぬ )かさねえか」 ブランと 提 ( さ )げていた縄の端で、 荷馬 ( にうま )の尻をなぐるように、いきなり二ツ三ツ源次の頬を見舞った。 「さッ、申し上げちまえッ。 あの双腰を誰に届けてやった! いや、その届け主は読めている、場所をいえ、隠れ場所を!」 「そんなことまでおれは知らねえ」 「ナニ、知らねえ!」 「知らねえ! おらあ、そんな深いことまで知っちゃいねえ」 「甘く見るなッ」とまたひとつ、鉛玉をビュッとうならせて、源次の顔に血を吹かせた。 「ア 痛 ( つ )ッ……」 「いてえか!」 「し、知らねえものを」 「野郎」 と、土足でその背中を踏みつけて、 「知らねえというなア申し上げますという枕言葉だ。 そんな 白 ( しら )をいくら切っても、手加減をするような眼八じゃあねえ! 吐 ( ぬ )かせ、いえ、ひとこというのが遅れるたびに、ひとつずつてめえの 面 ( つら )にアザが 殖 ( ふ )えるぞ」 ばらばらと冷たいものが降りかかった。 いくらてめえが親方に義理だてをしたところが、やがてすぐに判ることじゃあねえか、つまらぬ強情を突っ張っていねえで、 潮 ( しお )びたしをなおしにやったあの刀を、どこへ届けた。 その 匿 ( かく )れ 家 ( が )を白状してしまえ。 すなおに泥を吐いてしまえば、眼八のとりなしで、お 上 ( かみ )のお 咎 ( とが )めはいいようにしてやるぜ。 どうだ源次、オイ源次、よく胸に手をあてて考えなおせよ」 「徳島へ出かけたついでに、刀を受け取ってきたのはたしかだが、それを途中で 棟梁 ( とうりょう )の手へ渡したきり、後のことは何にも知らねえ」 「しぶてえ奴だ、じゃ、どうあっても 実 ( じつ )を吐かねえな、よし」 と、捕縄に輪を描かせて、グルグルと源次の 喉 ( のど )へからませたやつを、グンと引っ張って、 「知りませんという 音 ( ね )を止めねえうちは、しばらく、こうしてやるから、 根 ( こん )くらべをするがいい」 「ウーム……」と、源次は縄の輪に 喉笛 ( のどぶえ )をしめられて、苦しそうな眼を吊りあげた。 そこから木立を隔てて見えるのは、月光の底に沈んでいる二十八柱の 大伽藍 ( だいがらん )、僧 行基 ( ぎょうき )のひらくという医王山 薬師如来 ( やくしにょらい )の 広前 ( ひろまえ )あたり、 嫋々 ( じょうじょう )としてもの淋しい 遍路 ( へんろ )の 鈴 ( りん )が 寂寞 ( せきばく )をゆすって鳴る……。 その鈴は、この境内では常に聞くところの、珍しくない 音 ( ね )であったが、伽藍の森厳にひえびえとした夜気を流して、なんとなく、釘抜きの眼八の鬼の心をも寒くさせた。 で、場所が悪いと気がさしてきたものか、 「立て!」 といって、源次の首の 輪縄 ( わなわ )をはずし、その縄尻をショッ 曳 ( ぴ )いて、 「せっかくここで、おっ放してやろうと思っていたが、そう情を突っぱるならゼヒがねえ、代官所の砂利を 咬 ( か )ませて、ゆっくり、荒療治で聞くとしよう。 ばかな奴だ、ここで白状してしまえば、眼八の胸ひとつ、お 咎 ( とが )めなしに見のがしてやるものを、向うへ行きゃあ 公然 ( おおっぴら )になる、泣いてもわめいても間に合わねえぞ」 「…………」 「棟梁の大勘が、どれほど口止めしたかは知らねえが、こんなことで臭い飯をくうなんて、気の 利 ( き )かねえ話があるものか。 御牢舎ぐらいですみゃいいが、隠密を 匿 ( かくま )いだてした 連累 ( れんるい )となると、とても、そんなことじゃすむまいぜ……エエ源次」 「…………」 「船大工の部屋にゴロついているお 前 ( めえ )にしろ、どこかの在所にゃ、肉親もいるだろうに、 助任川 ( すけとうがわ )の 曝 ( さら )し場へてめえの首が乗ってみろ、親兄弟にまで、泣きを見せなくちゃなるまい。 アア、口が 酸 ( す )ッぱくなった、俺にもこれ以上の親切気は持ちきれねえ、さ、立ちなよ、そろそろ行く所へ行くとしよう」 「……ま、待って下さい」 「腰が立たねえのか」 「いってしまいます、隠していたなあ、あっしが悪うございました」 「白状するっていうのか」 「ヘイ……」と源次はしおれ返って、唇の血を吸うように噛みしめた。 「じゃ、弦之丞とお綱の奴は、いったい、どこに 匿 ( かくま )われているのだ」 「それだけは、まったく源次も知らないことなんです……ただ、あっしの知ってるだけを白状します」 「嘘はあるめえな」 「ヘエ、嘘と 真 ( まこと )を七分三分にまぜたところで、なんの役にも立ちゃしません。 ほかのことは、洗いざらい申し上げます」 「ウム」 「あっしは、あの侍と若い女が、法月というのかお綱という女か、国者かどこの者か、 皆目 ( かいもく )、そんなことだって知りゃしません。 ただ棟梁の大勘が、お家様の義理合いでやむなく一時の 匿 ( かく )れ 家 ( が )を、どこかへ探してやったことから、細かい用事をあっしにいいつけたんでございます」 「そのお家様というのは」 「徳島の御城下と大阪表に出店のある、四国屋のお 久良 ( くら )様、たしか、そういったと思います」 「ふウム」 どうやら筋がほぐれてきた。 眼八は、釘抜きのように固く結んでいた口もとから、大きな前歯をニッとむいて、 「その四国屋のお久良に、大勘のやつは、どういう義理合いをうけているんだ」 「あすこの持船以外の仕事は、 雑魚 ( ざこ )舟ひとつつくろわないというほどな 大顧客 ( おおとくい )でございます」 「ウ、なるほど」 「ことに、お家様には可愛がられている大勘なので、こんどのことも、嫌とはいえずに頼まれたことだろうと思います」 「そういう仲じゃ無理はねえ、そして、お久良は今大阪にいるはずだが、どうしてそんな打合せができたのか」 「ちょうど、先々月の 月半 ( つきなか )ばでした」 「ウム」 と、胸で日数を繰っている。 「お久良様からきた飛脚をうけて、棟梁が何か心配そうに考えていました。 「ウーム……それから」と、 笑壺 ( えつぼ )にいって一心に聞く。 「その十九日の朝、棟梁が突然、 小松島 ( こまつじま )に長崎型の船が入っているから、仕事のために見ておこうといって出かけました。 わっしも、自分から頼んでついてゆくと、向うへ着いたのはもう夕方で、浜へ行ったが、そんな船は見当たらねえんです。 「それから?」 と眼八は、相手に顧慮のいとまを与えないで、問いつめた。 「じゃあ船図面を取りに来たわけじゃないンですか、ときくと、棟梁は、ウム、と少し怖い顔をして、小松島の磯をブラブラあるいていましたが、そのうちに、どこからか、船頭三人、ギーと棟梁の前へ漕いできて、どっちも 黙 ( だ )ンまりで乗りました」 「それが、十九日の夕方だな」 「そうです。 宵はよかったが 夜半 ( よなか )です、イヤな雲になってきました」 と源次は、その晩のことを思い浮かべるらしく、海の方へ眼をやった。 宵に飲んだ酒の気もどこへやら、 更 ( ふ )けるほど冴えてきた月明りに病人のような顔色だ。 で、みんなヘトヘトに疲れた頃、真っ黒な沖合に、ポチと、赤い灯が一ツ、浪にもまれて見えました」 「……オオ、……ウム……」 「あれだ! というと棟梁が、三人の船頭に、十両ずつの 酒代 ( さかて )を投げだして、腕ッ限り 漕 ( こ )がせました。 何がなんだか分りゃあしません、途方もねえ 大暴風雨 ( おおあらし )です。 だが、ヒョイと目を開いた時には、向うの船の赤い灯が、前よりよッぽど大きく見えて、なんだか、わーッという声が聞こえやした。 近寄ったナ、と思う途端に、その灯も消えれば向うの船も、グルグル廻っているようでした。 なおワッワッという人間の声です。 まもなく 白々 ( しらじら )と夜が明けて、少し 凪 ( な )いだ時には、こっちの船は、 昨日 ( きのう )の小松島を素通りにして、 日和佐 ( ひわさ )手前の 由岐 ( ゆき )の 浜 ( はま )へ、ギッギッと帰っていたんです。 ……ヘイ、これだけいえば、もうお分りでございましょう、その船の中へ、何をすくい込んで来たか、これ以上、棟梁のしたことをはッきりいうのは、なんぼなんでも、舌がしびれていえません。 どうか、お察しなすって下さいまし」 いかにも眼八には、これ以上の 贅言 ( ぜいげん )をきく必要がない。 あの理智の澄んだ四国屋のお久良が、大阪表から つづらを首尾よく乗せただけで、阿波に到達した時の、より以上きびしい岡崎の 船関 ( ふなぜき )や、 撫養 ( むや )の木戸の厳重を、案じていない筈はない。 で、沼島の沖あたりで、こう、かく、というような 諜 ( しめ )しあわせは、とくから 諜 ( しめ )しあわされてあったのだ。 してみると。 そして、あの晩の 暴風 ( しけ )と、弦之丞の運命が窮極にまで行ったと見えたことが、それから後、 二月 ( ふたつき )あまりの経過とともに、すっかり阿波の要心をゆるませ、かなり目ばしこい三位卿にしてからが、一度は、弦之丞の最期を 漠然 ( ばくぜん )と信じたものだ。 眼八は、息を内へひいて源次の自白を聞いていた。 かれも、大阪以来の 顛末 ( てんまつ )は承知していたが、こんな裏面があろうとは、想像もつかないこと、潮びたしの刀から足をつけてここに到ったのは、自分ながら、あやまちの功名という気持がする。 「そうか! ……」 と太い息と一緒に、聞き終って、 「その晩 傭 ( やと )われた船頭、誰と誰だか、覚えているだろうな」 「存じません。 へい」 「徳島 訛 ( なま )りか、それとも日和佐の船頭か」 「この辺の者ではなく、おそらく、 抜荷屋渡世 ( ぬきやとせい )の仲間だろうと思うんで」 「抜荷屋か? ……」と眼八も少しウンザリした顔だ。 弦之丞の召捕をすました後で、大勘をはじめそいつらも、 芋 ( いも ) づるにあげてしまおう下心で聞いたのが、海鳥のように、巣を定めない抜荷屋では、いくら釘抜きでも手がつけられない。 長崎沖渡しで、 蛮船 ( ばんせん )から禁制の火薬や兵器を買いこむため、一時、蜂須賀家を利用した抜荷屋のともがらが、いまだに近海の 野々島 ( ののしま )、出羽島、弁天島あたりに巣を食っていて、手のつけられない 海辺漂泊者 ( かいへんひょうはくしゃ )となっている。 山の 山窩 ( さんか )、海の 抜荷屋 ( ぬきや )、どっちもどっちのしろものだ。 「じゃ、まあ、それはいいとして……」と、 匙 ( さじ )を投げて「 由岐 ( ゆき )の 浜 ( はま )へあがってからどうしていた?」 「あっしはすぐに、 潮水浸 ( しおびた )しになったお 両人 ( ふたり )の刀を、大黒宗理の所へ頼んでくれと渡されて、棟梁と別れました」 「そこは?」 「八幡様の森でした」 「弦之丞と口をきいたか」 「あっしがいる 間 ( うち )は、棟梁もその人も、黙りあっておりました。 「そうか、それですっかり事情が分った。 まア、今のところじゃこの辺でよかろう、オイ源次、立ってくれ」 「ヘイ、ありがとうございます」 「なにがありがてえんだ」 「知ってる限りのことは白状しました。 約束どおり、放しておくんなさるんでしょう」 「けッ、虫のいいことをいうなッ」 と、いきなり縄尻をしぼった眼八、 「さ、代官所へ歩け!」 と、源次の腰を蹴って、石段の方へ引きずってきた。 欺 ( だま )しに乗ったと知って、源次は、地 だんだをふんだ。 いまさら、大勘の信を裏切ったことをすまなく思う。 親方の秘密を売って助かろうと思った根性が、われながら情けない。 だが、もう追いつかない。 ただ、歯ぎしりを噛むばかりであった。 釘抜きの眼八に、弱腰を蹴とばされて、勢いよく突ンのめりながら、何かわめいた。 眼八は、セセラ笑いをして、 「さ、出かけた、出かけた!」 と、もう一つ、足をあげて 弾 ( はず )みをくれる。 よろけた途端に、捕縄が張って、また仰むけにひっくりかえった。 もう 自棄 ( やけ )だという風に、 「畜生ッ」 と、かぶりついてくるのを、 「 亡者 ( もうじゃ )めッ」 と、 用捨 ( ようしゃ )のない捕縄の端で、牛を 懲 ( こ )らすようにひッぱたく。 そして、半死半生にさせながら、女坂をゴロゴロと蹴転がして行った。 すると。 眼八は、 「あっ?」と、 むねを 衝 ( う )ったが、その明りの一つに、 海部代官所 ( かいふだいかんしょ )という朱文字を認めてホッとした。 桐井角兵衛 ( きりいかくべえ )のさしずで、少し遅れて 出張 ( でば )ってきた徳島の 町同心 ( まちどうしん )、 浅間丈太郎 ( あさまじょうたろう )、田宮善助、 助同心 ( すけどうしん )岡村 勘解由 ( かげゆ )。 提灯 ( しるし )を持っているほうは、海部同心の安井 民右衛門 ( たみえもん )と 土岐 ( とき )鉄馬のふたり。 「どうしてここにおったか」 と、一同、不審な顔つきである。 実をいうと眼八は、大勘の家へ旅人として静かに泊り込んだまま、 夜半 ( よなか )に、外へ迫る 捕手 ( とりて )へ案内をする約束であった。 それが、 無益 ( むだ )だとみぬけたし、源次という者に執着をもったので、急に独断で方針をかえた。 そして、これからその源次を代官所へ曳いて、 断 ( ことわ )りに行こうと思っていた 出鼻 ( でばな )だったので、向うも、合点がゆかない様子である。 手短かに、源次から調べ上げた事実を話すと、五人の同心、少し出しぬかれて 鼻白 ( はなじろ )んだ様子に見えた。 眼八は 傲慢 ( ごうまん )に胸を張って、 「じゃ、こいつを渡しておくから、弦之丞を 召捕 ( あげ )るまで、海部の 揚屋 ( あがりや )へ預かっておいて貰おうか」といった。 海部側の同心は、 言下 ( げんか )に、 「それは困る」と 拒 ( こば )んだ。 すわとばかり、代官所の騒ぎである。 折から、助勢にきて打合せ中の徳島同心、浅間、岡村、田宮の三名も加わって、捕手はうしろ巻きとして山下に伏せ、五人は先廻りをしてここへ登ってきたところ。 「今、源次をここで預かるのは困る」と、にべなくいったのも、ムリではない。 寸刻を争っているのだ。 だが、眼八は 我 ( が )を曲げない。 ここは、海部代官の支配区域、本来、お手前たちの腕だけで、こんな者は、とうにパキパキと 召捕 ( あげ )てみせなければならないのではないか。 それを、徳島から釘抜きの眼八様が 助 ( すけ )に来てやっているんだ。 おまけに、縄までかけて渡してやるんだ。 慢心もあるし、 郡奉行 ( こおりぶぎょう )の配下というと低く見る癖がついている。 で自然と、手先のくせに同心を 顎 ( あご )あつかいな物言いぷし、海部側も納まらない、ガヤガヤしばらくもめていた。 ところへ、捕手のひとりが飛んできた。 大勘の姿が、 参詣 ( さんけい )道に見えたという。 もうグズグズしてはいられなかった。 「おい、捕方」 と、仲を取って、 助同心 ( すけどうしん )の岡村 勘解由 ( かげゆ )が、 「お前が暫時これを預かっておけ」 と、半死半生の縄つきを渡した。 渡された捕手は、源次を抱きこんで、女坂を駈け上がり、さっき、眼八が腰をすえたあたりの巨木へ、縄尻を巻いて、番に立った。 海部側も徳島側も、もうケチな仲間割れをいいあっているひまはない。 無言で、広い境内の物かげへ、思い思いに姿を散らかす……。 腕でこい! と眼八は、ふたたび前の木蔭へ返って、 伽藍 ( がらん )の正面につづく白い敷石を睨みながら、腹巻を固く締めた。 もう、 人気 ( ひとけ )は滅している。 時折、伽藍の近くから、 夜籠 ( よごも )りの 遍路 ( へんろ )の 鈴 ( りん )が、ゆるく、眠たげに……。 シーンとしてしまった。 月の位置もだいぶ変って、 細 ( こま )やかな針葉樹の影は、大地へ 蚊帳 ( かや )の目のようにゆれている。 石段の口から、一ツの影が上ってきた。 月に白い 菅笠 ( すげがさ )に、顔は暗く隠されているが、肩幅のひろい 巨男 ( おおおとこ )、 裾 ( すそ )をとって、 脚絆 ( きゃはん ) わらじ、道中差を落している。 ジッと、境内を見廻していたが、やがて、大股に本堂へ向ってきた。 と、思うと、またふと足を止めて、 参差 ( しんし )とした杉木立の奥をすかすように見た。 鈴 ( りん )が鳴っている。 かすかだが、耳にふれた。 夜籠りの 詠歌 ( えいか )の 鈴 ( りん )の 音 ( ね )。 それを便りに、木立の蔭へまぎれ込もうとすると、いきなり、 「大勘ッ」 と、おどりかかって行った釘抜きの眼八が十手で、力まかせに 肘 ( ひじ )を 撲 ( なぐ )りつけてから、 「御用だッ」 と 烈声 ( れっせい )をあげた。 「あッ」と、よろめきながら大勘。 「しまった!」 という様子で、 脱兎 ( だっと )のように後へ駆け戻ったが、もう、むらがる人数が足もとを待ちかまえて、 「御用ッ」と、 飛縄 ( ひじょう )の風! 「御用だ!」と十手の雨。 月光を 衝 ( つ )いてわめきかかってきた。 わらわらと八方を 塞 ( ふさ )いで、入れ代り立ち代り、からんでは離れ、組んでは解かれる。 「 退 ( ど )いた」 と眼八、海部側の者に見よがしとばかり、群れをわけて正面から飛びかかる。 大勘は道中差を抜いて、かれの 真 ( ま )っ 向 ( こう )を待ちかまえた。 だが、眼八の十手が、風を切って入るのと同時に、飛んできた 捕縄 ( とりなわ )が、拝み打ちに下ろしたかれの手元をさらって、ガラリと刃物を巻き落してしまった。 黒い人間の声が、山になって、ひとりの上へ 揉 ( も )みあった。 「ご苦労だった」 と、徳島の同心浅間丈太郎と田宮善助が、火事を消したように一同をねぎらった。 海部側の安井、 土岐 ( とき )の二同心も、自分たちが、手を下すにいたらなかったことを 同慶 ( どうけい )しあって、 「眼八、さすがに、鮮やかだな」 と、ほめた。 「オイ、そっちの奴も曳き出してこい」 助同心の岡村勘解由が、口へ手をかざして向うへどなると、 「おっ」と、さっきのひとりが預けられた縄付きの源次を曳いてくる。 「引きあげましょうか」 と同心連中、涼しい顔で、月明りの顔を見あった。 わざと、正面の参詣道を避けたのは、医王山薬師如来の霊地を意識するおそれであった。 かれらも、 不浄役人 ( ふじょうやくにん )ということを、気づかずに自認している。 「暗いな」 「こう廻るのが近道なのだ」 そういったほど、 喬木 ( きょうぼく )の厚ぼったい茂りが、一同の上をふさいできた。 みんな わらじばきなので、シト、シト、シト……と揃う 跫音 ( あしおと )が言葉のない間を静かにつなぐ。 ドウーッと、滝の落ちるような音の奥から、寒いような 嵐気 ( らんき )が樹々の眠りをさましてくる。 大勘は時折、ものいいたげに源次のほうを見た。 源次もうなだれて棟梁の影を眺めた。 だが、無論、 一言 ( ひとこと )声をかけることもできない。 白衣 ( びゃくえ )をまとった 遍路 ( へんろ )である。 紺 ( こん ) べりの 道者笠 ( どうじゃがさ )をかぶり、白木の杖と一個の 鈴 ( りん )を手にしていた。 そして、 黙然 ( もくねん )と、そこに突っ立った白い姿に、 絣 ( かすり )のような木の影が落ちている。 「 退 ( ど )けっ」 と、ひとりの捕手がどなった。 うつむき加減に、杖をついた道者笠は、月に咲いた 毒茸 ( どくだけ )のごとく、ジイと根を 生 ( は )やしたまま、 退 ( ど )こうともせず、驚いた様子も見せない。 道者笠の遍路、いやに、 おっとりとした物構えで、意気揚々と引き揚げてきた捕手の前に、 鷺 ( さぎ )とも見える 白木綿 ( しろもめん )の姿を立たせ、肩杖をついて、 黙然 ( もくねん )と、いつまでも狭い山笹の小道をふさいだまま、どなられても、動く様子がないので、先に立ってきた捕手の四、五人、少し、小気味がわるくなってきた顔色。 「オイ、同役」 と、後からボツボツ歩いてくる仲間を待ちあわして、 「変なやつがいる」 と、肩だけは突ッ張ったが、やや息を殺したかたちである。 「なんだ、 遍路人 ( へんろにん )ではないか」 「そうらしい」 「さっきから間の抜けた 鈴 ( りん )を振って、しきりと医王山の境内をウロついていた奴だろう。 退 ( ど )け 退 ( ど )けッ、海部代官所の者と徳島同心の方が、縄付をつれて通るところだ。 動かねえと蹴飛ばすぞ!」 遍路の笠へ顔をよせて、 威猛 ( いたけ )だかにどなりつけたが、かれは、依然として、ヌックと立ったまま、肩杖をついたまま、そして、紺 べりの笠をうつ向けたまま、返辞もせねば、微動もせぬ。 ははア! とそこで顔を見あわせたことである。 こいつア片輪だ。 ツンボか 唖 ( おし )か、気の変な脳病もちかに違いない。 常人なみにあしらって、 埒 ( らち )のあかないのはこっちの落ち度。 だが、不具者の遍路、お 上 ( かみ )の者といって手荒くもなるまい、どこかそこらの横へソッと抱いて片づけてしまえ! と目くばせで五、六人ゾロゾロと前へ出ると、その手も 触 ( ふ )れさせず、杖一歩、かえって向うから 一跨 ( ひとまた )ぎして、 「あいや」 と、少し笠を揺るがせる。 とは知らずに、得意な眼八と五人の同心組、なお十四、五人の捕手に縄付の前後をまもらせて、何かガヤガヤと話しあいながら、杉と杉との間をうねって押してきたが、道が狭いので三人と肩を並べては歩けず、そのまに先がつかえてしまった。 「オイ、どうしたんだ?」と、うしろのほうであせっているのは眼八の声。 その返辞もこずに前の者が、逆に、タジタジと 後退 ( あとずさ )ってきたので、のび上がってみると、ひとりの遍路を相手に何か言い争っているふうなので、眼八は縄付のそばを離れて、すばやくそこへ 潜 ( くぐ )って行った。 と見て、海部同心の安井、土岐、助同心の岡村 勘解由 ( かげゆ )、眼八について列の前へかき分けて出る。 遍路は、 磐石 ( ばんじゃく )のように 佇立 ( ちょりつ )したまま、しきりと 猛 ( たけ )る捕手などには、言葉もくれず、耳も 藉 ( か )さない。 そうして、同心組の者が来るのを待ち設けていたように思われる。 「てめえは夜籠りの遍路だろう、何をグズグズいっているんだ、ついでに海部の百姓牢へも 参籠 ( さんろう )して行きたいというのか」 と、眼八は無造作に見て、その 襟 ( えり )がみをつまみそうに、片腕の袖をまくりあげたが、キラッと笠の蔭から 射向 ( いむ )けられた眼光りに、そう簡単に手がのびなかった。 「お前たちに用はない、上役がおるであろう、同心の者をこれへ出せ」 「な、なにッ?」 「話がある! 同心衆」 呼ぶように腰を伸ばした。 「何者だッ、貴様は」 海部の安井民右衛門、胸を張って 威喝 ( いかつ )した。 浅間丈太郎、田宮善助、徳島側の者も何事かと騒いで、捕手を 排 ( はい )して進んできた。 そうして、口々にまた 咎 ( とが )めた。 「拙者は」 と、もの静かに名のりかけ、 「おのおのの尋ねている、法月弦之丞でござるが……」 と、澄みきった 態 ( さま )で、向うの 動 ( どう )じ方を眺め廻した。 ぎょッとして足もとを浮かしかけたが、同心も捕手の者もひるがえって、自分たちの耳を疑っているように。 こういったと思う相手の、こともなげな今の声を反復して、見つめあった。 そうして、彼とこれとの間に、氷のような無言が張りつまった。 徳島の城下はいうまでもなく、八郡の代官手代が、血眼になって検索している人間が、捕手や同心の集まっている直面へきて、こう冷然と、みずから名乗って立つ ばかがあろうか。 と、一度は思ったが……。 彼の 自若 ( じじゃく )として不敵な 態 ( さま )。 わずかにうかがわれる 面 ( おも )ざし、背 恰好 ( かっこう )、まぎれもあらず、人相書のそれとピッタリ。 無益な殺傷沙汰はしたくないと思う、で、話がある! 静かにせい」 と、自分の配下でも 鎮 ( しず )めるように威圧した。 十手を 把 ( と )る者が、これだけのことを、 対手 ( あいて )に 悠々 ( ゆうゆう )といわせただけでも恥辱の限りだ。 多少の犠牲者を出すまでも、一気に、召捕ってしまえ! そうはじりじり思ってみるが、どうにもならない 対手 ( あいて )だった、どこから飛びつく隙もない、いや、既にそういう衝動を作る大きな意気というものを失っていた。 弦之丞は知っている。 すでに、捕手の 頭 ( かしら )は冷智になって自分を見ている。 何か一瞬の狂人にさせるきッかけがなければ、かれらは決して、 朱 ( あけ )をあびる域へまで、捨身にかかってこられない。 「弦之丞!」 やむなく浅間丈太郎がいった。 しかし、拙者一身のため、 縛 ( ばく )をうけた大勘と源次を見捨ててもおかれぬ。 どうでもこのほうへ申しうけるぞ」 「だ、だまれッ」 「アイや」 「文句をいわさずに、弦之丞を召捕ってしまえ」 「騒ぐなッ、ここは医王山の霊域、汝ら、不浄な血と死骸を積んで、寺社奉行への申しわけ何とするか。 それはともあれ、仏地への 畏 ( おそ )れ、また第一足場が悪い。 まず騒がずにおいでなさい。 山を下るまでご同道申しあげよう」 先に立って歩きだした。 まさか、逃げるとは考えられない。 「 傍若無人 ( ぼうじゃくぶじん )なやつだ、よしッ、俺が」 と、釘抜きの歯がみをさせた眼八。 目をつぶってゆく気もちで、一 跳足 ( ちょうそく )に、かれの体へ貼りついた。 と、弦之丞、身をひねって、 「これッ」 と、眼八の小肥りな体を、左の腕の中へ締め込んで、グッと抱きあげ、 後 ( あと )の十手へ白木の杖を一 揮 ( ふ )りするや、急に、眼八をかかえたまま、女坂を闇の底へ、ドドドドドッと駈けだして行った。 怯智 ( きょうち )な居 すくみをどやされた捕手や同心たち、あッと眼色をかえ、初めて、瞬間的な狂人になり得て一散に、 麓 ( ふもと )へ小さくなる白いものを追いかけた。 やがて、薬王寺の山の 裾 ( すそ )で、ワーッと、乱闘の叫びが起こる。 目前にいた 対手 ( あいて )を逸して、今さら仰天した捕手のわめきであろう。 逃がしては大事と、駆け廻っている同心たちの 叱咤 ( しった )であろう。 ところが、皆の疾走したあとに、三、四人ほど駆けおくれていた。 召捕った二人の縄尻をつかまえていた者で、これは 空身 ( からみ )でないから、走るに走り得ないで、縄付を突きとばすように、後からあわてて気を急ぐ。 いちど走りだした同心の 土岐鉄馬 ( ときてつま )は、ふと思いあたって、 「アッ、もしや?」 と、途中から 踵 ( くびす )をめぐらし、大急ぎで後へ戻ってみた。 かれの推測は誤っていなかった。 はたして、大勘は、この機会にすなおになってはいなかった。 自分の縄尻をつかんでいる捕手を蹴倒し、源次も、腕はきかないが、親方の大勘と一緒に、死にもの狂いで、あばれ廻っていた。 近づくに従ってその様子の見えた土岐鉄馬は、いい所へ戻ってきたと一足 跳 ( と )びにそこへ来るが早いか、 「おのれ、まだ無用な 手抗 ( てむか )いをしているかッ」と、十手をもって、骨ぶしの砕けるほど、源次の肩を 撲 ( なぐ )りつけた。 「わッ……」 と、大地へ仆れたが、それは、打たれた源次ではなく、鉄馬であった。 後頭部から背すじへかけて、土岐鉄馬は斬られていた。 傷が浅いので死にきれず、ウームとうめいたかと思うと、十手をつかんだなり自分の血の中をころげている。 「あッ」と、縄尻をほうりだして、逃げかけた捕手も、 脛 ( すね )を払われて前へ のめった。 残るひとりは、源次が夢中で蹴とばした足の先に、 脾腹 ( ひばら )をかかえて 悶絶 ( もんぜつ )した。 その、 茫 ( ぼう )とみはった目の前には、ひとりの美女が立っていた。 艶 ( えん )とはいえないがすきとおる水のような美しさ、白い 行衣 ( ぎょうえ )を着た肌の白い黒髪の美女である。 「オオ、お綱さん!」 大勘は源次へ目くばせした。 源次は 縛 ( いまし )めを切られた腕をさすりながら、あたりを見廻してかがまり込む。 それはまだ大黒宗理の手で 研 ( と )がれてきたばかりの 刀 ( もの )、斬ってもその切ッ 尖 ( さき )に、口紅ほどの血も 止 ( と )めていない。 「ここにいては海部の捕手が、また押し返してくるにきまっているから、お綱さんは、源次に道案内をさせて、ここの裏山を抜けて、 赤河内 ( あかかわち )へお逃げなさい。 あっしは、捕手に追われて行った弦之丞様の安否を見届けて行きます」 「ご親切だけれど、それに及ばない。 弦之丞様は、わざと捕手を釣りこんで、麓のほうへ駆けだすから、後で三人はここから先に、土佐街道の 寒葉 ( かんば )へ出て、そこで待ちあわしていてくれろとおっしゃったのだから」 「ですけれど、あの人数に囲まれちゃあ……」と、大勘が不安らしくいうのを、お綱は、 微笑 ( ほほえ )んだきりで、自分から先に裏山の道を上りだした。 そして、予定どおりに 寒葉 ( かんば )の近くで、後から来た弦之丞と落ちあった。 かれの手甲と 裾 ( すそ )の 二所三所 ( ふたところみところ )に、黒い 血痕 ( けっこん )がついていた。 大勘は、怖ろしいような、不可解なような顔をして、歩をともにしてゆく、その人の横顔を眺めていた。 こんもりした 槙 ( まき )の森蔭で、わずかな眠りをとった後。 大勘はふところから一枚の山絵図を出して弦之丞に見せた。 お綱もそばへ寄って眼を落した。 剣山 ( つるぎさん )の山絵図である。 源次は森を出て見張っていた。 こうしている間も、 日和佐 ( ひわさ )から殺到してくるであろう捕手の跫音が聞えるようでならない。 「まるで、道がないような所です」 大勘は、数日家を空にして、苦心して描いた山絵図を前に、あれこれと、細かい心おぼえを説明した。 かれが指さす図面に目を 辿 ( たど )らすと、 彼岸 ( ひがん )剣山の 頂 ( いただき )へ行きつくには、まだ 重畳 ( ちょうじょう )たる山また山が 阻 ( はば )めている。 杣 ( そま )か 猟師 ( りょうし )でもなければ、通わない所が多い。 大体、剣山へのぼるべく、ここを選ぶのは順路ではない。 だが、順路をとって行かれぬ二人の目的、ぜひがなかった。 弦之丞とお綱よりは、二日半ほど早く徳島の城下を出ている竹屋三位卿とほか三人組が、急いで行ったあの道こそ、剣山へのぼるに都合のいい表道。 途中、お十夜の用で、川島に一日あまり費やしたにしても、かれらの一行は、やがて 貞光口 ( さだみつぐち )から 塵表 ( じんぴょう )の巨山を仰いでいるに違いない。 かれは北、これは南、かれは表道から、ふたりは道なき裏にかかっている。 だが、その者たちが、自身より一足早く、甲賀 世阿弥 ( よあみ )を殺しに向っているとは、もとより知らないふたりであった。 「何よりの心づけかたじけない」 大勘の厚意を謝して、弦之丞はその山絵図をふところに納め、追手の姿を見ぬうちにと、また一心に道を急いだ。 ある時は、口もきかず、ある時は、 行願 ( ぎょうがん )に向っているような汗をしぼっている自身に気づいた。 「剣山は……まだ?」 お綱はそういう言葉を、時折、大勘へくり返していた。 「まだ見えません」 …………。 「剣山は?」 「まだです」 清澄な空気、耳なれぬ 禽 ( とり )の声、 森々 ( しんしん )と深まさる山また山。 行けども山である、行けども山である。 沢を下り、 岨 ( そば )をめぐり、わずかな山村を眺め、また奥へ奥へと歩みつづける。 たまたま逢う 樵夫 ( きこり )や部落の人も、遍路姿のふたりに、何の怪しみも持たなかった。 「あれだ!」 力のこもった声で、大勘がこう指さした。 四人は、 星越峠 ( ほしごえとうげ )を踏んでいた。 「えっ、剣山?」 「あれが剣山です。 次郎笈 ( じろぎゅう )と 矢神丸 ( やじんまる )の間から、肩を張りだしている山がそうです」 「アア、あの……」と、お綱も大勘が指さすところを指さした。 弦之丞も 黙然 ( もくねん )と、ふたりの見まもる山を見つめている。 お綱は何かの感慨に 衝 ( う )たれて、白雲の流るる行く手に 佇立 ( ちょりつ )した。 そう思って見た山は、父の姿を仰ぐのと同じ感銘を与えた。 まだ見ぬ父の姿は、剣山を見て逢ったと等しい心地がした。 動こうともせずじっと山と直面しているうちに、お綱の目がしらは、涙でいッぱいになってきた。 涙で山が見えなくなった。 (お父さん! 生れてからまだ顔を知らないお父さん! お綱はここまで来ているんですよ! あなたに会いに、あなたが生涯をかけた仕事を 活 ( い )かしに) 声いッぱい、あなたの 雲表 ( うんぴょう )へ、お綱は呼びかけてみたかった。 だが、直前に見えるようでも、まだそこへは数里、それも、これからはいっそう 嶮 ( けわ )しい 峡谷 ( きょうこく )や岩脈に 阻 ( はば )まれている距離がある。 「では、大勘も源次も、どうか、ここまでとして、後へ帰ってくれるように」 弦之丞は、笠ぐるみ 頭 ( ず )を下げて、二人へ礼をのべ、袖を別つことを宣した。 「気の毒な……」と、弦之丞はふと暗くなった。 「じゃ……どうぞ御堅固に」 と大勘も別れをつげたが、弦之丞のすまぬ色を見て、言い足した。 「お案じ下さいますな。 あっしと源次は、これから土佐 境 ( ざかい )の港へ出て、そこから 抜荷屋 ( ぬきや )の仲間をたのみ、しばらくどこかの島でほとぼりをさましております。 そのうちには、四国屋のお家様にお目にかかって、何とかいたすつもり、そこは手に職のあるありがたさで、 尺金 ( さしがね )一 本 ( ぽん )さし込んでいれば、どこの国にも 天道様 ( てんとうさま )は照っております」 なおいろいろと、山へかかった場合の注意を残して、大勘と源次は後へ取って返した。 そこは廃寺の方丈のあとであろう。 荒れはてているが、古ぶすまの 白蓮 ( びゃくれん )には 雲母 ( きらら )のおもかげが残っていた。 古風な院作りの窓から青い月影がしのびやかに洩れている。 荒涼とした室内の、 くもの巣だらけな 欄間 ( らんま )や 厨子 ( ずし )に、はげ落ちた 螺鈿 ( らでん )の名残りが猫の目みたいに光っていて、 湿 ( しめ )っぽい 妖気 ( ようき )を漂わせ、 かびと土の香をまぜたような、一種の 臭 ( にお )いが 面 ( おもて )を 衝 ( う )つ。 「明日のために」 との心がまえで、あれから峠を下りた弦之丞とお綱は、充分な眠りをとるべく、この廃寺へ入った。 眠ろう。 眠らなければいけない。 お綱は 経筥 ( きょうばこ )にもたれ、弦之丞は何かに腰をかけて、杖に肩を 支 ( ささ )えていた。 しかし、しきりと 旋舞 ( せんぶ )する毒虫やバサと壁をうつ 蛾 ( が )の音に、ふたりの神経は容易にしずまらなかった。 「明日は剣山にかかるのだ」 そう思う 昂奮 ( こうふん )も、よけいに眠りを拒んでいる。 ほとんど、死の世界のような 寂寞 ( せきばく )さも、かえって心を冴えさせた。 うつうつとまどろんでいたかと思った弦之丞も、やはり眠りつかれずにいたとみえて、不意に立って、方丈を出て行った。 しばらくすると、枯れ杉と 榧 ( かや )の枝をつかんで戻ってきた。 そして、所を見計らって、その 榧 ( かや )の木をプスプスと 煤 ( いぶ )しはじめる。 お綱の眠りつけないでいる様子をみて、蚊や毒虫を追ってやろうとする、弦之丞の心づかいであった。 うすくまつわう煙の情けが、お綱の身を 和 ( やわ )らかに巻く。 ようやく、虫の責め苦からのがれた。 だが、お綱はまだ眠れなかった。 「弦之丞様、まだ夜明けには間がありましょうか」 「そちは少しも寝ないようだが」 「なんとなく気が冴えて」 「それはいけない」 「でも、ゆうべあの森で、だいぶよく眠りましたから」 いっそ夜の明けるまで語り明かしたいとお綱は思った。 弦之丞も眠られぬまま、つい答え、つい話頭を向ける気持になる。 万吉はどうしているだろうか? 常木 鴻山 ( こうざん )もさだめし消息を案じているだろう? 松平左京之介様は、自分たちの 吉左右 ( きっそう )を、首を長くして待っているに違いない。 そんな話。 かれは、それなり 黙然 ( もくねん )としてしまった。 お綱は自分のつつしみを破って、ふと弦之丞を 憂暗 ( ゆうあん )にさせたことをすまなく思った。 もとより、この人とお千絵様とは、切る、捨てる、ことのならない仲なのである。 生れた時から悲恋の宿命をもっている恋。 咲かない土に 芽生 ( めば )えた花、それが、自分の恋ではなかろうか。 普通の 境遇 ( きょうぐう )の人なら、なんでもない、実父の顔をひと目見るということが、生涯最大な希望になるほど 不幸 ( ふしあわ )せな身には、恋にも、同じような恵まれない宿命をもっていた。 自分の恋のゆるされる道のりだ。 そしてその恋も、あるものを 超 ( こ )えてはならない恋。 はかない! こんなはかない恋があろうか。 父の世阿弥に逢うという、希望の 彼岸 ( ひがん )に立った時は、恋人を、義理のあるお千絵様に返さねばならない時だ。 剣山のいただきは、お綱に最大な希望と最大な失望の二ツをもって待っている。 人生の悲喜明暗ふたいろの雲がそこには たなびいている。 弦之丞は沈黙をまもり、お綱は眠りを 装 ( よそお )って、思い悩む。 「ああ、もっとあの山が、遠ければいい……」剣山にいたることが遠ければ遠いほど、お綱の恋はこのままでいられる。 よしやそこに、あるものを 超 ( こ )えるまでの強い力が結ばれなくても、ふたりの世界、楽しい旅が、お綱にはある。 道が 嶮 ( けわ )しければ 嶮 ( けわ )しいほど、夜が暗ければ暗いほど、お綱の旅は人知れず楽しい。 しかし、もう二人は、剣山の 裾 ( すそ )まで来てしまった。 苦難、迫害、ふりかえってみても、お綱には、なお短かった心地がする。 明日 ( あす )は明暗の雲をわけて、間者牢に初めての父の顔を見る! それも待たれてやまぬものだ、今でも、想像の父の顔が、眼の前にチラつくほどである。 どういおう! なんと名乗ろう! 千々 ( ちぢ )に乱れて涙ばかりを見あわすであろう! そんな想像だけでも涙がわく。 と、かの 女 ( じょ )の乱れた胸に、微笑をそそるような空想がかすめた。 「死ぬという方法があるじゃないか。 剣山へ行きついた後に、弦之丞様とふたりで死ぬのが、すべての幸福をもちつづける一番いい道じゃないか。 死出の旅は長い! 剣山へ来たよりは遠い! そして静かで果てというものがない」 父に会った 歓 ( よろこ )びの絶頂に、弦之丞とともに手をとって死のう。 そう思うそばから、また、一方の心は、 (お千絵を不幸に 墜 ( おと )してもよいのか!) と責める声がする。 剣山に行きついて、剣山の土になるのは、いわゆる、 木乃伊 ( みいら )とりの 木乃伊 ( みいら )になるの 類 ( たぐい )で、弦之丞がここまでの 苦艱 ( くかん )も、結果は、無意味なものに帰してしまう。 ふたたび重囲の阿波を逃れ出なければならない。 その時になって、初めて、父の名も闇から光明へ、弦之丞も一箇の武士として、栄光の江戸に迎えられる。 すべての、いい結果を 呪 ( のろ )って、わがままな死の世界へ、弦之丞を導こうとする心を、お綱は自身でおののいた。 「そうはなれない、私の気性でもそうはなれない」 お綱は情熱と理智のたたかいにもまれて、固く 睫毛 ( まつげ )をふさいでいた。 「生きねばならない」 と、つよく思い返した。 「目ざして上る時よりも、いっそうなまっしぐらで、剣山をのがれ出なければならない。 私はそれを信じよう、考えてみればもともとから何もなかったお綱じゃあないか」 眠りを 粧 ( よそお )っている まぶたから、いつか、涙……涙……涙……とめどなくながれている。 廃寺の内陣で唱える人声があった。 お綱は、今宵この荒れ寺に、自分たちのほかにも行き暮れた遍路が雨露をしのいでいるのを知って、そっと、涙をふきながら弦之丞を見た。 杖により、壁にもたれて、 寂 ( じゃく )としているその人は、寝ているのか、起きているのか分らない。 お綱は遠いところの、 鉦 ( かね )と 詠歌 ( えいか )の声に、思わず耳をすませられた。 と、突然。 バリバリッと、院作りの窓を破り、おどり込んできた同心四、五名。 山支度をして十手をくわえ、まっ先に、 豹 ( ひょう )のごとく飛びこんだのは 海部同心 ( かいふどうしん )の 安井民右衛門 ( やすいたみえもん )。 「弦之丞、お綱、御用であるぞ」 と、雷声をつんざかせた。 眠っているように見えた弦之丞が、 咄嗟 ( とっさ )、そこを支えたのである。 「ウム!」と気丈な安井同心、杖をつかんで奪おうと試みた。 白刃を仕込んだ杖! 相手につかませておいて、弦之丞、 合口 ( あいくち )に掛けていた指を 弾 ( はじ )くように開いた。 と杖はそこから二ツに別れて、アッというと民右衛門、 鞘 ( さや )だけ持ってよろよろと後ろへ。 そこを 真 ( ま )っ 向 ( こう ) 胸落 ( むなおと )し! 切ッ 尖 ( さき )はなお余って、 膝行袴 ( たっつけ )の前まで裂いた。 たじろぐ隙に、弦之丞は、死骸のつかんでいる鞘をとり、それを下段に、白刃を片手上段に持って、四、五たび廃寺の廊下を駆け廻っていたが、やがて、お綱の姿をチラと見て、 庫裏 ( くり )の裏手へ飛び下り、大竹藪の深い闇へ、ふと、影をくらましてしまった。 間者牢 ( かんじゃろう )の 柵外 ( さくがい )に、山番が焼飯の 糧 ( かて )をおいてゆくのを取りに出る時と、 渓流 ( けいりゅう )へ口をそそぎにゆく時のほかは、 洞窟 ( どうくつ )の奥に 陽 ( ひ )のめも見ず、精と根を 秘帖 ( ひじょう )にそそいで、ここに百四十日あまり、血筆をとって岩磐の火皿にかがまったきりであった 甲賀世阿弥 ( こうがよあみ )も、今はようやく疲れてきた。 疲れてふと洞窟の 床 ( ゆか )へ身を投げて 臥 ( ふ )すと、 昏々 ( こんこん )として二日もさめないことがある。 そんな時、 頭心 ( とうしん )だけが 錐 ( きり )のように 研 ( と )げていた。 書こうとする意気をもつ、これを書き 遺 ( のこ )すことによって、自分は犬死をまぬがれる、 隠密生涯 ( おんみつしょうがい )の墓石が立つ、武士の本分をつくし得る。 で、書こうとして起つのである。 けれどその意気はあるが、今は精根がつづかない。 精根はしぼりだしても、筆を濡らす血がもう出ない。 指、腕、 股 ( もも )、かれの全身は油液を 採 ( と )りつくされた 漆 ( うるし )の木の皮みたいに傷だらけだった。 十幾年もの間この山牢に生きて、たださえ痩せ衰えていたかれは、血筆をもち初めてから一層 枯骨 ( ここつ )をむきだして、幽鬼のようになっていた。 一 行 ( ぎょう )に精をきらし、半行に血が出なくなると、世阿弥は落ちくぼんだ眼を光らして洞窟の外へ出てくる。 そして、餓鬼のように、 野葡萄 ( のぶどう )や山 苺 ( いちご )を食べ草の 茎 ( くき )を噛む。 渓流にかがみこんで、小魚や水に 棲 ( す )む虫まで口に入れた。 血を 摂 ( と )るべく食うのである。 生きようとする本能よりも、筆にぬる血墨をつくるために食うのが、この場合の世阿弥であった。 ひと頃、山牢の近くに春を染めていた 岐良牟草 ( ぎらんそう )のむらさき花も散りつくして、真ッ赤な山神の 錫杖 ( しゃくじょう )や 白龍胆 ( しろりんどう )や 桔梗 ( ききょう )の花がそれに代っていた。 かれはまた ぎらん草にかわる色素をたずねて、それには事を欠かさなかった。 ほんの常識的にわきまえていた 本草学 ( ほんぞうがく )が、どれほど実際に役立ったかしれない。 かれは自分の知識にある限りのことを今の上に応用した。 そして、ともあれ、三位卿の落した 小法帖形 ( こほうじょうがた )の海図の余白から裏へかけていちめん、微細な文字をもって埋めた。 もうわずかだ、もう五、六行。 そこまで 辿 ( たど )りついてきて、世阿弥はふと、 「おれは死ぬだろう」 と直覚して、筆の穂をふるわせた。 「あとの五、六行を書きおえたとたんに、おれはバッタリ眼をおとしてしまうに違いない! そんな気がする! アア、あと五、六行だ」 かれは高い山の 頂 ( いただき )へついた時のような呼吸の 逼塞 ( ひっそく )をおぼえだした。 指をやらなくても感じられるくらい、乱れた脈を 搏 ( う )っていた。 「アア、あと五、六行だ」 火皿の獣油がとぼりきれたのを 機 ( しお )に、洞窟から這いだした。 ぐッたりと山牢の口によりかかって、かれはしばらく目を閉じた。 そのわきに 合歓 ( ねむ )の大木が立っていた。 淡紅色の合歓の花と俊寛のようなかれの姿とは、あまりにふさわしくない対照であった。 尖 ( とが )った膝へ手を結んで、独り語につぶやいた。 「ここで、おれのなすべきことだけはした」 だが? ……と世阿弥はすぐに後の 哀寂 ( あいじゃく )にうたれた 態 ( さま )で、おそろしく光る、そして空虚な目を、 的 ( あて )なく空に向ける。 血をしぼってなしあげた穏密覚え書の一帖も、江戸の 大府 ( だいふ )へ送り届ける頼りはなし、このまま 木乃伊 ( みいら )となる 肋骨 ( あばらぼね )に、抱いてゆくより道はないのである。 「それでいい」 かれは、 諦 ( あきら )めるよりほかない所へさびしい 肯定 ( こうてい )を落して、 「それでいいのだ……」と重ねて、独り語をいった。 「やがて、おれの死に 骸 ( がら )からあの一帖を見出した時には、阿波の武士たちも、いかに大府 笹 ( ささ )の 間 ( ま )の隠密というものが、使命を奉じるに根強いものか、侍根性にない執着をもつものかを知って 慄然 ( りつぜん )とするだろう。 そして、後には人の口からわしの最期も江戸表へ通じるであろう。 しかし、それと共に、仲間で誇る隠密魂もおそらく、この世阿弥の終りと一緒に甲賀組にも亡ぶに違いない。 世の中が変っている、わしが江戸を出た時からもう 元和 ( げんな ) 寛永 ( かんえい )の世の中ではなかった。 その優しい膝の花を眺めていると、かれの想像は、ふッと 翅 ( はね )が生えたように飛んで、ふたりの可愛らしい少女をとらえてくる。 江戸表に残してきたお千絵であり、腹ちがいのお綱である。 もう二人の娘は、その頃の少女ではないと思っても、かれの想像はやはりあの当時の 稚 ( おさ )な顔を描いてみせる。 「ふびんな娘たちよ……」 合歓 ( ねむ )の花は世阿弥のくぼんだ眼からポロポロと涙を呼んだ。 「しまった!」 と、三位卿、素早く二の矢をつがえて向うを見た。 山牢のある 瘤山 ( こぶやま )の 裾 ( すそ )は、 覗 ( のぞ )き 滝 ( だき )の 深潭 ( しんたん )から 穴吹 ( あなふき )の渓谷へ落ちてゆく流れと、十数丁にあまる 柵 ( さく )が、そこの地域を囲っている。 柵外の 爼板岩 ( まないたいわ )の上に立つと、あなたのほうに洞窟の暗い口と、 合歓 ( ねむ )の巨木が見えた。 有村は、弓を構えて 磐石 ( ばんじゃく )の上に立っていたが、 「ちイッ……」と舌打ちして、しぼりかけた二の矢、弓ぐるみ、ガラリと手から捨ててしまった。 「お 手際 ( てぎわ )」 と、下から賞めた者がある。 「皮肉を申すな」 と三位卿は、岩から跳び下りて、天堂一角、お十夜孫兵衛、旅川周馬、その三人の前へ立った。 「むごい殺し方をするよりは、ただひと矢にと思ったのだが、一の矢、 襟元 ( えりもと )をかすめて合歓の木の幹へ刺さってしまった」 「では、世阿弥のやつ、 覚 ( さと )りましたな」 「ふいと姿を隠しおった。 しかし、逃げられる場所ではないから安心じゃ」 「 殺害 ( せつがい )しに来たのを知ったとなると、かなわぬまでも、さだめしジタバタするでしょう」 「なぶり殺しもぜひがない」 「衰えきった老いぼれ、大したことはあるまい。 じゃ一刻も早く殺してやるほうが、せめて 殺生 ( せっしょう )の罪も軽かろう。 おい、天堂」 と、お十夜は先に立って、 「どこから柵を超えるんだ?」 「もっと上だ、この辺は一帯に柵と激流が一緒になっているから、とても乗り超えてはゆかれない。 もう少し上へ登ると、山の腹へかけて流れに添っていない所がある」 「よし!」と、周馬も前へ出た。 周馬の 気負 ( きお )ったうしろ姿を見ると、天堂はニッと笑った。 決して、悪い意味ではなかった。 「最初は、ひどく油断のならない男と考えていたが、決して、ムキになって憎むほどの人間じゃない。 むしろ、愛すべき 稚気 ( ちき )さえ持っているじゃアないか! こうして世阿弥を殺すにも先に立ってゆくんだからな」 と、かれの背なかを眺めながらゆく。 お十夜は幾度も剣山を踏んでいるが、周馬は初めてなので、 嶮 ( けわ )しいのにあきれている、 倶利伽羅坂 ( くりからざか )でもかなりヘトヘトになった。 だが、ひと度 冷 ( ひや )やかな 山気 ( さんき )に 面 ( おもて )を吹かれると、その疲れも忘れてしまう。 次の山容をあおぎ、谷をのぞいて、森々たる 喬木林 ( きょうぼくりん )の間に、 合歓 ( ねむ )の木の多いのにも驚いた。 和州 ( わしゅう ) 多武 ( とう )の峰にのぼった折に、この花の多いと思った記憶はあるが、かくも 幽邃 ( ゆうすい )な光線と深い冷気のうちに 塵 ( ちり )もとめぬ神秘さをもった花とは違ったように思われた。 人を 殺害 ( せつがい )しにゆく人間にも、山は 冷寂 ( れいじゃく )な反省と幽美な感激を与えている。 けれど人間はなかなかそれに 浸 ( ひた )りきらず、邪念なかなかそれには消えない。 すでに四人は、大刀に 反 ( そ )りを打たせて踏み登ってくる。 世阿弥の 生命 ( いのち )は風前のともし灯。 さっき、かれがふと意識した脈音のみだれは、この 兇事 ( きょうじ )の来たることを肉体の持主に予察させた霊感の微妙であったろうか。 「死ぬナ、おれは」 不思議にみずからこういった。 しかし、人間にさほど霊の感知がありうるならば、父子同じ血をもっているお綱の血のうちへ、世阿弥の今 搏 ( う )つ脈音がひびいてゆかないものだろうか。 深夜、廃寺の方丈から、ふたたび徳島 海部 ( かいふ )の同心に追われた弦之丞とお綱は、あれから、深林、 峡谷 ( きょうこく )をよじのぼって、剣山の裏伝いへかかったことは想像に難くない。 それは弦之丞が、医王山の境内でも廃寺の折でも隙を見るや一散に逃げ去ったことであきらかに知れている。 かれには、 捕手 ( とりて )も同心もない。 ただあるのは、目指す剣山の山牢があるばかりだ。 けれど、 貞光口 ( さだみつぐち )から難なくここへ来た三位卿の一行と、道なき裏山の、それも山番の目を忍び忍びくる彼とは、時間にして半日、 嶮路 ( けんろ )の不利にしてだいぶな差がある。 ただ、 僥倖 ( しあわせ )というべきことは、 深更 ( しんこう )に十手の襲うところとなったため、勢い、あのまま暁へかけて、道を急ぎにかかったであろうと察しられる一点。 そうすると、 麓 ( ふもと )の見付役所で、山嵐の寝心地よく、遅くまで、熟睡してここへ着いたお十夜などよりは、ゆうに半日以上の 早駈 ( はやが )けとなり、時間の差だけは取り返して余りがある。 かれの消息については、漠然として 疑惧 ( ぎぐ )をもっただけで、徳島の城下を離れてきた有村や三人組、もとより 間髪 ( かんはつ )の差で、ここへ弦之丞とお綱がくるとは夢にも知らない。 急ぐうちにもどこか悠々として柵を越える場所を見廻してくると、やがて面前に見た 急坂 ( きゅうはん )の上から、早足に駆け下りてきた人物があった。 四人が姿を隠したと知らずに、そこへ駆け下りてきた男、 日除笠 ( ひよけがさ )をおさえて、大股にゆくところを、いきなり跳びついたお十夜が、どこをすくったか、気味よく投げた。 「あっ!」といったが、日除笠、すッくと向うに立ったので、怪しい! と天堂や周馬が、いちどに三方から姿を見せると、 「な、なンだ!」 声は でかいが、案外なあわてざま。 「貴様こそ何者だ、見れば、町人姿、山牢のあるこのあたりへ何の用があってウロついている」 「じゃあ、あなたがたは蜂須賀家の……」と言いかけたが、町人、小首をひねった。 総髪、十夜頭巾、顔の見えない編笠、見くらべて妙な顔をした。 「アー」と、そのうちに、後ろにいる三位卿を見つけると、あわてて、笠の 紐 ( ひも )を解いて、 「そちらにいるのは、御城内のお公卿様、わっしは、徳島御奉行の下廻り、釘抜きの眼八という者でございます」 「オ、手先の眼八か」 一角は顔を見知っていた。 「あ、天堂様でございましたか、ひどい目に会わせますな、あぶなく谷間へ玉転がし、命を棒にふるところでした。 だが……ああ、いい所で会ったもンだ」 胸板へ汗ビッショリ、押し 拭 ( ぬぐ )って、笠を 団扇 ( うちわ )に、ほっと一息ついている。 「眼八」と、一角は素振りを見て、 「妙なほうからやってきたな、いったい何用があってこの剣山へ来ているのか」 「ご存じはありますまい」と、眼八は、これほどのことを苦もなく話してしまうには惜しい気がして、 「何しろ 大事 ( おおごと )になったもんです」と、もったいをつけた。 そうした後で、眼八は、事実の細要より自分の功を誇り顔に、弦之丞とお綱の行動を手にとるように話した。 その生死すら疑惑にしていた四人は、聞くにつれて開いた口がふさがらない。 のみならず眼八の言によると、お綱と弦之丞のふたりは、 星越 ( ほしごえ )とこの山の中間にあたる廃寺からのがれだして、遂に剣山の樹海のような森林へ影を隠してしまったということである。 それにご承知のとおり土佐境から海部方面は、道が 嶮 ( けわ )しい代りに、目付役所もなく、山番も手薄なので、案外楽に来られるということを実地に踏んできましたから、こりゃあいけねえと、急に泡をくッて考えなおし、これから、 原士 ( はらし )衆の詰めている 麓 ( ふもと )の木戸へ行って、この大変をお 報 ( し )らせしようと存じ、急いで、 平家 ( へいけ )の馬場から降りてきたところでございます」 ひと息にいって、汗光りの 赭 ( あか )ら顔を手拭で拭き廻った。 「ではお綱と弦之丞めは、すでにこの山の深みへ入り込んでいると申すのじゃな」 「多分……」と少し 曖昧 ( あいまい )になったが、眼八、自分の見込みに誤りはないと自信をもって、 「……そうだろうと思います、いや、こっちで 下手 ( へた )を踏んでいると、いつ、この 間者牢 ( かんじゃろう )へあらわれて、世阿弥を助けだそうとするか分りません。 なにしろ、ご要心なすって下さい」 三位卿は混惑してきた 脳髄 ( のうずい )をいきなり 村正 ( むらまさ )かなんぞの鋭利な 閃刃 ( せんじん )で、スッカリと 薙 ( な )ぎ抜けられたような心地がして、踏みしめている足の裏から、かすかな戦慄さえおぼえた。 「ここへやって来る以上は弦之丞も、死にもの狂いに違いありません。 たださえ腕の冴えた奴、そいつが 夜叉 ( やしゃ )になって暴れ廻った日には、とても、同心方やあっしの手では抑えがつきません。 どうか、よろしく一つお手配を願いとうございます」 「そうか……」と、すべてを聞き終った有村は、下唇を締めて、こうしてはおられないという 焦躁 ( しょうそう )を、静かな動作のうちにゆるがせた。 「眼八、そちはこの足で麓へ急げ、そして山見付の 溜 ( たま )りへ急を知らせ、十分に、手分けをしておくよう、この有村がいいつけじゃと伝えるがよい」 「合点です、じゃ……」と、笠をかつぐのと目礼を一緒に、釘抜きの眼八、汗の乾くまもなく、足を急がせて、 倶利伽羅坂 ( くりからざか )を降りて行った。 後に残った四人、何かヒソヒソささやいていたが、やがて、目配せをしあって、 柵 ( さく )の尽きる所から 重畳 ( ちょうじょう )した岩脈へ這い上がり、ヒラリ、ヒラリ、山牢の地域へおどり込む。 まだ 七刻 ( ななつ )を過ぎたころ、 黄昏 ( たそがれ )には間のある時刻だが、剣山の高所、陽は遠く 山間 ( やまあい )に蔭って、 逆 ( さか )しまに 射 ( さ )す日光が 頂 ( いただき )にのみカッと 赫 ( あか )く、谷、 峡 ( かい )、山の ひだなどにはもう暗紫色な深い陰影がつくられている。 お十夜と天堂一角は、 抜刀 ( ぬきみ )を 背後 ( うしろ )へ廻して膝歩きに、ソッと、穴の両脇から、息を殺して暗い奥を 覗 ( のぞ )きこむ。 氷室 ( ひむろ )のような冷気を感じながら天堂とお十夜孫兵衛、洞窟の奥へスルスルと這い進んで行った。 「ヤ、いねえぞ」 先へ向った孫兵衛の声が、暗闇の突き当たりから、ガアーンと響いて返ってきた。 「ナニ、おらんと?」 「ウーム、見えない」 「さてはほかへ隠れおったな」 「隠れたって、間者牢の柵、あれより外へは出られねえものを」 「こんな中に生きていても、やはり 生命 ( いのち )は惜しいものとみえる。 出よう、外へ」 手探りで後戻りをしはじめたが天堂一角、またひょいと気がついたように、 「どこぞ横穴へでも へばりついているようなことはあるまいな」 「いや、そんな隠れ場所はねえようだが……」 と答えながら、お十夜は後ろを眺めなおした。 しかし、なくはなかった。 よくよく闇に眼を馴らしていると、妙な所が一ヵ所ある。 どんづまりの真ッ暗な岩壁が、右側へ少し 窪 ( くぼ )みこんでいるらしい。 その袋穴の 漆壺 ( うるしつぼ )みたいな狭い所に、人の眼らしいものがギラリと光っている。 動かずに光っている。 そして、孫兵衛を睨みつけている。 けれど、にわかにそれが人の眼だとは断定されない。 なにしろそれ以外には何も見えないのである。 すると、向うの呼吸が感じられた。 世阿弥はやはりそこにじっとしていたのだ。 一角は、孫兵衛の最初にいないといったのを信じて、気早に外へ這い出していた。 「ふーん、すくみこんでいるな」と感づいたけれど、お十夜は、あえて助勢を呼ぼうとは思わない。 十年以上、日蔭干しになっている死にぞこない、 そぼろ助広で一突きに 抉 ( えぐ )るくらいはなんの造作もないこと。 そう思っている。 しかし暗い、どんな得物を持って、どう構えているか見当がつかない。 窮鼠 ( きゅうそ ) 猫 ( ねこ )を噛むということも一応思ってみる必要がある。 ちょっと暗闇に 眸 ( ひとみ )が馴れてこないうちは 迂濶 ( うかつ )に飛びかかれぬ気もした。 すると不意に、岩壁の 窪 ( くぼ )みへじっとしたまま、 目無魚 ( めなしうお )のごとく動かずにいた甲賀世阿弥が、 「おおう! ……」と、不意に、太い息をもらして、さらにまた低く、 「オウ……」と驚いたような声を繰り返した。 この暗所に 棲 ( す )みなれている世阿弥の眸は、自然生理的に、闇の中でも見とおしが 利 ( き )く筈だが、お十夜には、皆目、 対手 ( あいて )の見当がつかない。 ただ、 爛 ( らん )と射る 双 ( ふた )つの眼を感じるばかりだ。 「狂いだすな、こいつア。 よし、そのほうが始末がいい」と、かれは世阿弥が 呻 ( うめ )いたのを、恐怖のあまりだと思って、爪を立って来る猛獣を待つくらいな覚悟をもった。 だが、相手は身ゆるぎもしないで、 「そこへまいったのは、川島 郷 ( ごう )に 棲 ( す )んでいた原士、関屋孫兵衛に相違ないと思うがどうだ」 といった。 「あっ……」孫兵衛は、ズバリと気構えを割られて、思わず、見えぬ闇にムダな目をみはった。 「世阿弥! てめえはどうしておれの 氏素姓 ( うじすじょう )を知っているのか」 「知っておるとも、知っているわけがあるのだ! 孫兵衛、お前もよく思いだしてみるがいい」 「思いだせ……ウーム、不思議だなあ……何しろそちの 面 ( つら )がまるで見えない」 「もう一昔も以前のことだから、こっちの顔が見えたにしろ、或いは思いだされまい。 わしも、わしを殺しに来た人間の前で、そんなことを思い浮かぶ筈はなかったが、フトお前の頭巾を見て思いだされた、その、 じゅうや頭巾を見て」 「な……なンだって……」 頭巾といわれて、孫兵衛の声は意気地なくみだれてきた。 外の光線で見たなら、 面貌 ( めんぼう )まッ 蒼 ( さお )に変っていたかもしれぬ。 世阿弥には、ありありとその 態 ( さま )が見て取れた。 「因縁だな……」 かれはこう嘆じた。 「お前がおれを殺しに来る……まさか川島にいたあの孫兵衛が、わしを殺しに来ようとは……、ウウム面白い、 冷 ( ひや )やかに生死を超えて人の世の流転を観じれば、おれがお前に殺されるのも面白い」 「とすると、てめえはこの山牢へ捕まってくる前に、川島の村にも忍んでいたことがあるんだな」 「川島の 郷 ( さと )はおろか、阿波の要所、探り廻らぬところはない。 まだ誰に話したこともないが、徳島城の殿中にまで、わしの足跡が 印 ( しる )してある。 そして、一番永く身を隠していた家が、孫兵衛、お前とお前の母親とがふたり 暮 ( ぐ )らしで棲んでいた川島の丘のお前の屋敷だ」 「えっ! お、おれの元の屋敷にいたッて?」 「しかし、そうはいっても、隠密の甲賀世阿弥を、みつめていたでは、いつまで、考えだされる筈がない。 十一年前、わしは阿波へ入り込むと同時に、すぐに 畳屋 ( たたみや )に化けていたよ、紺の 股引 ( ももひき )にお 城半纏 ( しろばんてん )を着て、畳針のおかげで 御普請 ( ごふしん )を幸いに、本丸にまで入り込んだものじゃ。 そして、いたる所を畳屋の職人で歩いた末に、川島の 郷 ( さと )で、元のお前の屋敷の畳代えにも雇われて行った」 「はて? ……」孫兵衛には、まだ何を話されているのか思い当らない。 ただしきりと気になるのは、世阿弥が頭巾の秘密を知っているらしい口ぶりである。 世阿弥は覚悟をしていた。 死に直面しつつ話すのである。 その態度は、姿に見えなくても、 語韻 ( ごいん )に感じるので、お十夜も、殺すべく握っていた大刀を忘れかけた。 わしは畳代えの職人で、名前はかりに六 蔵 ( ぞう )といっていた。 あの奥の十八畳の部屋、十二畳の客間、六畳の茶の間、十畳の書院」 孫兵衛は自分の旧屋敷の畳数を心でかぞえた。 世阿弥のいうところ一畳の間違いもない。 「そして、玄関、女中部屋、仏間だな。 話はその仏間から起こってくる。 そこの古いお 厨子 ( ずし )は 青漆塗 ( せいしつぬ )りで 玉虫貝 ( たまむしがい )の 研 ( と )ぎ出しであったかと思う、その厨子の前へ、朝に夕に 眉目 ( みめ )のいやしくない老婆が、合掌する、不思議はない、御先祖を拝むのだ。 ところがそこから不思議が生れた、わしが、畳代えの手をかけた日に、敷きつめの工合をなおす響きから、お厨子のそばの柱がポンと口を開いた。 ちょうど、 平掌 ( ひらて )が楽に入るくらい、切り 嵌 ( は )めになっている 埋木 ( うめき )がとれて落ちたのだ」 「ウーム、分った」 「分ったろう」 「じゃてめえは、それが縁になって、半年ほど下男になっていたあの六蔵か」 「そうだ、お前の母親は、それからぜひ屋敷にいてくれという、わしも都合のいいことだ、隠密甲賀世阿弥は当分下男ということに早変りした。 するとまもなくお前の 母者人 ( ははじゃひと )が重病にかかった。 うすうす事情を眺めていると、その当時、関屋孫兵衛というひとり息子、 博奕 ( ばくち )は打つ、 女色 ( にょしょく )にはふける、手のつけられない 放埒 ( ほうらつ )に、それが病のもとらしかった」 ガチャッと、何か金属性な音がしたので、世阿弥は突然言葉を切った。 すでに最前、 合歓 ( ねむ )の木の下で、鋭い 鏃 ( やじり )にかすめられた時から、自分へも、 俵 ( たわら )一八郎と同じ運命が訪れてきたなと直覚して、覚悟はきめているかれだったが、話し半ばに、剣の音を聞くと、やはりぎょっとして舌が 吊 ( つ )りあがった。 その 鍔 ( つば )の音だった。 で、言葉を次ごうとすると、先に、岩穴を出た一角が、 「お十夜、何をいたしているのだ!」と とば口から奥へ言った。 井戸へどなったように、その声が、おそろしく大きく響く。 孫兵衛はハッとして、大刀を持ちなおした。 しかし、声に応じて世阿弥をすぐに突き殺す気は出なかった。 今の話は、多分な好奇心もあり、後に、阿波守の耳へ伝えていい重要なこともあるが、何より、彼をたじろがせたのは、自分の母親のことを、世阿弥が話しかけているせいだ。 あらゆる 放埒 ( ほうらつ )、物盗り、辻斬りまでやって、なお 恬然 ( てんぜん )たる悪行の甘さを夢みるお十夜だが、母を思う時、かれはもろい人間だった。 不思議なくらい、その常識の一ツだけは、誰にも負けない善人孫兵衛であった。 もっとも、悪党の常として、お十夜も、母親のことなどは、おくびにも口に出していったことはない。 よその母親が手を 曳 ( ひ )かれてゆくのを、 後 ( うし )ろからバッサリ斬るくらいな無情さは平気で持ちあわす男であって、自分の 女親 ( おんなおや )のこととなると から意気地のない特殊な愛情の持主だ。 が、孫兵衛は、身辺の者や 悪行仲間 ( あくぎょうなかま )に、そんな 微量 ( びりょう )な人情でもあることを気取られるのは、ひどく恥辱だと信じ、 倶利伽羅紋々 ( くりからもんもん )の 文身 ( いれずみ )に急所が一ヵ所彫り落ちているような考えで、努めて まる 彫 ( ぼり )の悪人を気どっていた。 後 ( あと )にも 前 ( さき )にも、たった一度、何に感じてか、その 彫落 ( ほりおと )しの気持を口に洩らしたというのが、木曾路へかかる 旅籠 ( はたご )で、飯盛の女を買った晩、周馬と一角に向って、 「おれもさまざまな女に逢ったが、いつまでも好きな女は、やはり、おふくろという女ひとりだ」 と、冗談まじりにいったくらいなもの。 今度七、八年ぶりで阿波へ帰り、剣山へ来る途中、郷里の川島へ立ち寄ったかれが、こッそりと、屋敷裏の丸い墓石と逢ってきたことも、誰も知らない事実である。 で、孫兵衛は、たじろいだ。 世阿弥がまだ母親のことを何かいいそうなので、すぐに殺すのは惜しかった。 「おウ! 孫兵衛!」 一角がまたどなっている。 「おらんと見たら早く出てこい、手分けをして探さねばならぬ」 「待て」と、孫兵衛も奥から胴間声で、「ちょっと横穴を見つけたから念のためにあらためている」 「そうか、さてはそこだな」 「オイ、待て、入ってくるな」 「なぜ」 「怖ろしく狭そうだ。 それより、ここはおれ一人でいいから、ほかを探してくれ、いなかったらすぐに出てゆく」 「ウム、じゃ入念に頼むぞ」 「ぬかるものか! 周馬と三位卿は?」 「血眼でそこらをかき分けている」 一角の立ち去った足音を聞いて、孫兵衛はふたたび暗闇の眼へ問いかけた。 「だが世阿弥! 初めにてめえは、おれの頭巾を見て思い浮かんだといったが、こいつア 腑 ( ふ )に落ちねえ。 隠密から畳屋、畳屋から下男と、三段に化けてあの当時すましていた者にしろ、おれの頭巾の 曰 ( いわ )くを知っているはずはねえんだが」 世阿弥の眼と孫兵衛の影が向い合って、洞窟の奥の不思議な暗闇問答は、それからであった。 「わしがお前の頭巾の秘密を知らないと思っているのか」 と世阿弥がいった。 するとお十夜も、ふと、 「あの晩は、おれとおふくろ、あとは身寄りだけだった」と古い記憶をよび起こした。 「いかにも、わしは使いに出されていた、吉野川を越えて向う地へ」 「その間に……」とお十夜はゴックと 唾 ( つば )を飲む音を重苦しくさせて、「おれのおふくろは息を引き取ったのだ」 「世間の者は、不審とも気づかなかったろうが、わしには読めた。 なみの下男なら知らぬこと、かりにも 大内府直遣 ( だいないふちょっけん )の隠密、しかも棲み込んでいる家の中の出来事だ。 その夜以来、孫兵衛、いつのまにかお前のその十夜頭巾が 脱 ( と )れないものになっていたな」 「おう、ではあの時、使いに出て行った後のことを?」 「いかにも、残らず見届けていた。 お前の母が危篤というと、すぐに七人の肉親ばかりが集まった。 そこは例の 厨子 ( ずし )のある仏間、出入りに 錠 ( じょう )をおろしあたりを見張り、そして、静かにお前の母の枕元をとり巻いた。 ……と、あの柱だな。 切 ( き )り 嵌 ( は )めにして妙なものを埋め込んであるあの柱だ。 それより前に、わしが畳を敷き代えた日に、 埋木 ( うめき )の口が落ちた途端には、何か、 燦然 ( さんぜん )としたものを見たが、お前の母親が茶の間から飛んできて、妙にあわてて隠したものだ。 その柱へ、臨終にのぞんでいるお前の病母は、枕へ 頭 ( つむり )をのせたまま、弱い 眸 ( ひとみ )を向けたようだ。 そうして、あれを……という意味を見せると、 寂 ( じゃく )としていた七人の中から、ひとりが立ってうやうやしく埋木をはずし……」 「ウーム……」 と、孫兵衛、頭の鉢をしんしんと締めつけられるように 呻 ( うめ )いて、 「もういい! 話は止めろ」 突然、 対手 ( あいて )の声を打ち消した。 「世阿弥、おれはてめえを殺さなけれやならない。 分っているだろうな」 「うむ」 自若 ( じじゃく )として、 「この春、俵一八郎が 殺 ( や )られているから、わしにもやがてやってくるだろうと思っていたところ、観念はしている。 だがの、孫兵衛、もう少し話してもいいじゃないか」 「つまらねえ」 「いや、 愉悦 ( ゆえつ )だ、わしは話したい」 「おれはてめえを殺そうとしているのだ。 殺されるこの孫兵衛と話をするのが、愉悦だというばかはあるめえ」 「この身を殺す敵でも悪人でも、こうして、世間の人間と口をきくのはわしにとると言いようのない珍しさだからな、まアゆるしてくれ、そこで今の話だが……」と、世阿弥は低い 声音 ( こわね )で、平調な言葉を自然につづける。 白蛇 ( はくじゃ )の 喉 ( のど )をおさえるようにつかんでいた。 そこで息を殺していると、病人の指の間に小蛇の首みたいな形のものが、弱い 灯明 ( あかり )にも さんらんとしている。 と七人の肉親の者たち、みんなシーンと後ずさりをし、顔を上げる者はなかった。 ああいう時には原士という者も、みな怖ろしく森厳だ、儀礼みだれず古武士のよう、ことにその晩の七人は、川島 郷 ( ごう )の原士の中でも、また特別な 密盟組 ( みつめいぐみ )らしい、切ッても切れない因縁の仲間だ」 「やめろ、どこまで聞いてもくだらねえ、もうそんな思い出話なんざア聞きたくもない」 「わしにも、少し謎が残っている、まあ今しばらく聞くがいい」 「止めろというのに、くどい奴だ! サ、 殺 ( ばら )しにかかるぞ」 「耳に 飽 ( あ )きたらその時に、黙って、突くとも斬るともするがよい。 世阿弥はここにかがまったきり、とても、逃げる体力はないのだから。 「頭巾の悩みとでも申そうか」 孫兵衛は口をつぐんだ。 孫兵衛よとまた呼んだ。 お前は立たない、あの時の女親は怖かったのであろう、で、病人は三度目に、お 祖父様 ( じいさま )、どうぞ、孫兵衛をこれへ、と側にいる老人へ眼で哀願した。 名は知らぬが 白髯 ( はくぜん )の老武士、あとで聞けば、川島郷の原士の 長 ( おさ )で、ひとたび、その老人に、あいつと杖を向けられた者は、たとえ、どう他国へ逃げ隠れしても、必ず手を廻して殺されるという、怖ろしい 支権者 ( しけんしゃ )であるそうな」 高木龍耳軒 ( たかぎりゅうじけん )のことをいうのだなと孫兵衛には分った。 それや 龍耳 ( りゅうじ )老人は怖ろしいにきまっている。 原士の 長 ( おさ )はあの人だから治まっているといわれているくらいなものだ。 仲間の脱走者で、長崎の果てまで逃げたやつがあるが、老人はいながらにして、その男の首を見た。 孫兵衛も故あって、他国へ出ていても、絶えず 龍耳 ( りゅうじ )老人の監視をうけている身だから、すぐに 頭脳 ( あたま )へピーンときた。 世阿弥はまた話しつづける。 「お 祖父 ( じい )様と病人が頼むと、その老人が、黙ってお前の襟がみをつかみスルスルと母親の枕元へ引きずってきた。 その片手には、柱の隠し穴から取り出した さんらんたるものをつかんでいる。 アッ、お前は悲鳴をあげて四 肢 ( し )を突っ張る、同時に母は息をひきとりそうになった。 ぎょッとしたが、周囲の者も、見ているよりほかなかったらしい、白い 蒲団 ( ふとん )は血で染まった」 しばらく言葉を切っていたが、孫兵衛は、刻一刻と、世阿弥を突く機を逃がしていた。 孫兵衛めに私のお祈りが要らなくなるまで、 遺物 ( かたみ )に与えた 頭 ( つむり )のものをとることもなりませぬ。 この遺言を破った時は、お 祖父 ( じい )様、川島郷七族のため、どうか、お情けに孫兵衛を殺してやって下さいませ。 でなければ一生このまま日蔭者にしてやっておいて下さいませ。 子が可愛いからです。 ほかの七人方も、お頼みいたします。 こういって最期の眼を閉じた」 「…………」はッ、はッ、と、聞こえるような息をついて孫兵衛は無言。 孫兵衛聞けよ、その与えられた恩愛の秘密をみずからやぶる時は、貴様、たとえどこに逃亡潜伏しても、必ず、五十日の間に命を 奪 ( と )るぞよ! と……」 ふと、落涙していたらしかったが、お十夜孫兵衛、いきなり猛然と、大刀の 鍔 ( つば )ぶるいをさせて世阿弥の胸もとへ跳びかかった。 「ええ、果てしがねえ! ぐずぐずしちゃいられねえんだ、片づけるから覚悟をしろ」 「待て、もう一 言 ( こと )」 「ちッ、未練を 吐 ( ぬ )かすな」 「隠密根性といおうか、ここで、最期に一目見せて貰いたいものがある。 わしも甲賀世阿弥だ、なんでこの 期 ( ご )に見苦しい死にざまを望むものか。 実をいうと、わしはその晩の有様を覗いた後から、お前のかぶり 初 ( そ )めた十夜頭巾の下に、おそろしい興味と執着を持った、隠密の執着だ。 得心のゆくまで見届けなければ気がすまぬ。 しかも、頭巾にくるまれたお前の秘密は、やはり一つの阿波の秘密だ。 江戸城へはいい 土産 ( みやげ )、それをつかんだなら阿波から足を抜こうと、一念に、お前の頭巾の中を狙っていた。 と、お前は 放埒 ( ほうらつ )に 荒 ( すさ )んだ揚句、阿波を 出奔 ( しゅっぽん )して行方をくらまし、わしは、原士の 長 ( おさ )に見破られて、とうとう、この剣山へ捕われの身となってしまった。 よくよくの因縁だ。 そのお前が今日はわしの痩せ首を斬りにきた。 で、古いことを思いだしたのじゃ……。 しかし今、死の間際に、頼んであの時の秘密を見せて貰ったところで、何の役にも立ちはしないが、わしが捕われの原因となった物だけに、山牢へきた後も、自分の眼が誤っていたか正しかったか、始終気になっていたところ、人にはわからぬ隠密 煩悩 ( ぼんのう )、 死際 ( しにぎわ )の欲望に、ありありと、手にのせて見て死にたい。 孫兵衛、わしのいおうとする中心はここだ、ひと目でいい、見せてくれ」 「な、何をだ?」 「その頭巾の下に隠されているものを」 「ばかなことを 吐 ( ぬ )かせッ」 「嫌か」 「当たりめえだ!」 「じゃあ、話はそれまでのこと。 その刹那だった。 ふた声ほど絶叫して、天堂一角は岩牢の外へ仆れてしまった。 孫兵衛は足もとの大地が めりこむような響きにうたれた。 かれの眼は頭巾の蔭にあわてきった輝きをうごかせた。 そうして、思わずつかんでいた者の襟もとを離して、 「くそうッ! 弦之丞などに」 と、洞窟の奥から走り出ようとしたが、また思いなおして、どうせのこと、世阿弥を殺してから行こうと、戻りかけると、世阿弥は発作的に、突然、居どころから飛びあがった。 とがった肩骨がかれの胸を打った。 上へ刀を振りかぶれる空間があれば、 据物斬 ( すえものぎ )り、ただ一 揮 ( ふり )に割りつけること、孫兵衛の手になんの苦もないことだろうが、見当のつかない暗闇。 胸もとへぶつかったのを幸いに、孫兵衛は世阿弥の細い のど首を左の腕へすくい込んだ。 甘んじて死をうけるようであった甲賀世阿弥は、今の一瞬に、もの狂わしく変って、 「わしは死なぬ! わしはまだ死なぬ!」 とない力をふりしぼり、孫兵衛の腕から 逃 ( のが )れようともがいた。 「じたばたするなッ」 「むむむッ、一 刻 ( とき )ちがいッ……」 滅前 ( めつぜん )の一 燦 ( さん )、おそろしい 念力 ( ねんりき )で 対手 ( あいて )の腕くびへ歯を立てる。 白い刃は、世阿弥のわき腹に当てがわれていた。 かれの前歯が孫兵衛の肉へ入ってゆく力は、同時に抱かされた刃を食い入れる力となった。 孫兵衛は腕くびの痛みをこらえつつしばらくソッとしておいた。 サーッと早い血汐が裾へ行った。 「よかろう」 と、孫兵衛は思った。 強く刀をしごいて、平手で世阿弥の顔を押すと、闇の中へドシンと音をさせて、仰むけになった目と歯が白い。 グウッと、一度腹をつきあげた 傷負 ( ておい )は、 「一 刻 ( とき )ちがいッ……」 とまたいった。 そうして、ビク、ビク、と大動脈から息を吐き出すように 痙攣 ( けいれん )する。 「とどめを」 と思って孫兵衛が探りかけると、ふたたび洞窟の外で、お十夜、お十夜ッ、と三位卿と周馬の声が響いて、あわただしい足音の重なってくるのを感じ、かれの手も心もますますうろたえたらしく、そのまま 豹 ( ひょう )のごとく洞窟の外へ向って駈けだしてきた。 頭の上から、明るい光線を浴びた途端に、孫兵衛はやわらかいものを蹴って、 もんどりを打ちそうによろけた。 蹴ころがされて、ウムと 呻 ( うめ )きながら立ち上がったのは、口元に 昏倒 ( こんとう )していた一角で、正気づいたが 深傷 ( ふかで )を負っている、左の肩先から袖半身、染めわけたような 紅 ( くれない )である。 それにもぎょッとしたが。 外の有様を眺めるとともに、孫兵衛には天堂などを 顧 ( かえり )みている余裕もなかった。 法月弦之丞がそこから見下ろされる傾斜に立って、周馬と三位卿を 対手 ( あいて )に斬りむすんでいる! 月山流 ( がっさんりゅう )とやら 薙刀 ( なぎなた )の型はやるが、初めて、白刃対白刃の境に立った三位卿はしどろもどろだ。 周馬とて腕にかけてはまことに頼りがうすい。 いわんや、法月弦之丞の前に立ってをや。 ふたりは、何か高声をあげあっているが、弦之丞の剣前に近づくことはなしえないで、走れば追い、追われれば逃げ、そして、息の間に、お十夜お十夜ッ、としきりに助けを呼びつづけている。 なおかなたの 柵 ( さく )と 山際 ( やまぎわ )との境を越えて、ここへあせってくる武士の姿が見えた。 弦之丞とお綱とを追跡して、からくも駈けつけてきた 海部 ( かいふ )と徳島の役人、浅間、岡村、田宮の三同心。 その急なるを知り、またからまる二人をあしらいつつ、弦之丞は隙あるごとに、お綱へ向って叫びを投げた。 しきりと手を振って 急 ( せ )きたてた。 「お綱ッ」 「あい」 お綱もかれに添って働いていた。 「ここはかまわぬ、山牢の安否を!」 「あい」 「早くゆけ! 世阿弥殿と名乗りをしてこい」 お綱は夢中で側を離れた。 洞窟の黒い口がもう真上に! 三、四十間ぐらいの距離しかない! 新藤五の 柄 ( つか )を固く右の手に、片手で草の根をつかみながら、上へ上へ、洞窟の口へと、かの 女 ( じょ )は汗と涙の力をつづけた。 いちど立ち上がった天堂一角は、また 合歓 ( ねむ )の木の下へ仆れてしまった。 何か声をかけたが、お十夜は返辞も与えないで洞窟の前から駈け下りている。 ドドドッと傾斜な地面を下りかけると、互いちがいに、向うの 灌木 ( かんぼく )の間をかき分けて、懸命に登ってゆく白い影がある。 「や?」 と、急にそっちへ駈けだしてみると、振り向きもせず洞窟へ向って行くのは、白い 手甲 ( てっこう ) 脚絆 ( きゃはん )をまとったお綱であった。 「おうッ、お綱」 お綱はその声をすら顧みていなかった。 必死に上へあえいでいた。 孫兵衛は幾百里の山河を越え、今ここまで会いにきたかの女の父世阿弥の血を塗ったばかりの 刃 ( やいば )を持って、お綱のうしろへ追いかかった。 かれは阿波へ来る前まで、ふたりの仲がどれほど 密 ( みつ )に深いものかを思ってみて、寝苦しい夜があった。 その後、あの 暴風雨 ( あらし )の夜の 狂瀾 ( きょうらん )に、死んだものとのみ信じた後はさすがに 煩悩 ( ぼんのう )の霧が散ってせいせいとした気もちであったので、今、お綱の姿を見ても、得ようとする念はなかった、殺意のほうが強かった。 遂げえぬ悪魔の恋は、必然な、破れかぶれに変ったのである。 殺刀 ( さっとう )の 下 ( もと )に 魂切 ( たまぎ )らすことによって、永い間の 鬱怨 ( うつえん )を思い知らせてやろうとする。 追いつくと一緒に、孫兵衛、 「そこへはやらねえ」 と、背すじへのぞんで、助広の 白光 ( はっこう )を一 揮 ( ふ )りなぎつけたが、崖に等しい傾斜であり、灌木の小枝に邪魔されて、行き方少し軽かったか、 「あッ」 と、横ざまに走った小脇差、女の力ではね返された。 「孫兵衛だね!」 「急いだところでムダだろう、甲賀世阿弥はたった今おれが 殺 ( ばら )してきたばかりだ。 サ、次にはてめえの番」 「えーッ……じゃあ……」 山の根も 揺 ( ゆ )るいだかと思うほど、 仰天 ( ぎょうてん )してよろめいた身を、お綱はあやうく手で 支 ( ささ )えた。 「てめえにはまたさんざッぱらな 怨 ( うら )みもある、なぶり斬りにしてやらなけれや、このお十夜の虫が納まらねえ。 お綱、覚えていたろうな」 かの 女 ( じょ )が、何か叫んだ声を割って、サッと白い風がきた。 孫兵衛の下りてくる足もとを、お綱は新藤五の切ッ 尖 ( さき )で待った。 上の顔は 嘲笑 ( あざわら )って、構えをとりながら飛ぼうとする。 途端である。 「おのれッ!」と耳もとで。 はッと見ると、法月弦之丞、浅間、岡村の同心と、周馬、有村の四人を上へ上へとおびきよせて、それを捨てるが早いか、お十夜の方へ 疾風 ( しっぷう )に来た。 迎えざるを得なかった。 孫兵衛はすばしこく刀を持ちかえた。 これは四人を 束 ( たば )にしたよりもこたえがある。 すでに、ここまで一同が吊り上げられてくるうちに同心のひとり安井民右衛門が斬り伏せられていた。 それと、最も頼むべき天堂一角が弦之丞の姿を見つけた真ッ先に、機先を制せられて一太刀浴びてしまったのは、なんといってもはなはだしい力を失していた。 頼むは孫兵衛だけといってもよい。 弦之丞はたえずお綱を見ていた。 四人を 対手 ( あいて )にしつつ、かの女の身辺を開くように開くようにと防いでいた。 「あッ、間者牢へ」 お綱がそれに力を得て、洞窟の入口へ近づいたのを見た同心の浅間丈太郎は、こういって敵の 剣前 ( けんぜん )を離れ、上へ這おうとすると、飛び寄った弦之丞の 皎刀 ( こうとう )が、鋭く足をすくった。 丈太郎の体は雑木の茂っている所まで、一気に、俵のようにころげて行った。 「寄りつくものは 一太刀 ( ひとたち )に 薙 ( な )ぐぞ」 徐々と力の練りだされてきた弦之丞は、丈太郎を斬り落した弾力で、さらに上へ踏み登った。 お綱はその後ろを風のようにすりぬけて、洞窟の中へ夢中で走りこんだ。 孫兵衛がああは言ったが、なお半信半疑であった。 甲賀世阿弥様 ( こうがよあみさま )! 甲賀世阿弥様!」 と、固い言葉で、続けざまに呼び立てて入ったが、深い闇は 冷々 ( れいれい )となんの答えも与えない。 奥のほうからガアーンと返ってくるのは、おのれの口 真似 ( まね )をする 穴山彦 ( あなやまびこ )。 ふいに、お綱の足の くるぶしをつかんだ手がある。 洞窟の一番奥であった。 はッと、よろめいた 弾 ( はず )みに、ヌラリとした 岩苔 ( いわごけ )に手を 辷 ( すべ )らせて、 「よ、世阿弥様 」 何がなし、ぞっと毛穴をよだたせて、つかまれた足を抜こうとすると、だらりと重い感じがそのままついてもち上がる。 「ううウ……」 人の 呻 ( うめ )きだ、弱い、苦しそうな息……。 わなわなした指先が、その冷たい顔から胸を撫でて行った。 骨ばった老人の四 肢 ( し )、誰? と疑ってみるまでもなくお綱はつづけざまに名を呼んで、腕の中へ抱きあげた。 夢中で、よろばうように、洞窟を後へ戻りだした。 だが、口元の明りを見ると同時に、ギクと足をすくませてしまった。 「 敵 ( かたき )は?」 外へ気を 研 ( と )ぎすまして、 「弦之丞様?」 と、そこの激しい 乱刃 ( らんじん )を想像した。 ままよ! 必死な気もちでお綱は新藤五を構えながら、 薄暮 ( はくぼ )の白い明り目がけて走りだした! と、その勢いの余りに鋭く、まッしぐらな姿は世阿弥の体と 縒 ( よ )れて、 合歓 ( ねむ )の木の根元まで泳いで仆れた。 いちめんな霧だ。 漠 ( ばく )として山も樹木も見えない、ただ西の方に 夕照 ( ゆうでり )の光だけがボッと虹色を立てている。 微小な 水粒 ( みずつぶ )は、 睫毛 ( まつげ )の先にギヤマンの玉のように光って、息づまるような乳色の気流がムクムクとゆるい運動を描いてゆく。 どうしたろうか? 弦之丞、そのほかの者の影も見当らない。 耳をすましたが、霧の中にも、それらしい叫びを聞かない。 お綱は身を起こすと一緒に、世阿弥の顔をむさぼるように見つめた。 世阿弥は目を開いていた。 深傷 ( ふかで )だ、 眸 ( ひとみ )は 虚空 ( こくう )にすわってうごかない、だが、何か言いたそうに、唇がかすかに 歪 ( ゆが )む……。 お綱は、お十夜の一言を思いだした。 そして、さすがに取り乱した。 「ウーッ……」と少し通じたらしい。 世阿弥の手が、目の先の白い霧をつかむようにした。 「お……」 「分りますか! 分りますか」 「…………」 「お父さんッ」 「…………」 ゴクリと 喉 ( のど )の骨がうごいた。 と、少し楽な呼吸がふッと洩れて、ニイとお綱を見て笑った。 「あなたの子のお綱です、江戸表から……あ、逢いにきました」 「ウ……ム」 「お千絵さんも、私のように、無事に向うで成人しております。 お分りになりますか、わ、わたしの顔が……わたしの……」 世阿弥はひとつうなずいた。 そして、ふところから例の 血筆 ( けっぴつ )の一 帖 ( じょう )をとりだして、お綱の手へ持たせて、 「こ、これを」 とかすかにいった。 「え」 「江戸へ」 「ア…… 御遺書 ( ごゆいしょ )?」 「弦之丞の手へな」 「わかりました」 「と……」 「ハイ」 ぼろぼろと 湯玉 ( ゆだま )のような涙が走る。 お綱は拭こうともしないで、 「ハ、ハイ……」と声を曇らせた。 「ず……頭巾の……」 と舌を巻くように言ったきり。 「あっ、お父さん」 「…………」 水! お綱は夢中で駈け下りた。 白い片袖に、流れの水を濡らして帰ってみると、もうまるで世阿弥の顔が変っていた。 けれど、その死顔は満足していた。 だが、 禍 ( わざわ )いはまだあった。 今、水をしめしに行った留守に、世阿弥のそばへおいた大事な 秘帖 ( ひじょう )が、わずかな間に 失 ( な )くなっていた。 麓 ( ふもと )から仰げば、山の中腹を、一 朶 ( だ )の白雲が通っているのであろう。 その霧が過ぎぬうちは山牢の前から遠くを見渡すことはできないが、ふと気づくと、さして 隔 ( へだ )ててもいない岩の間を、ひとりの男が這ってゆく。 そこに見えなくなった秘帖を、涙の目で探していたお綱は、霧をとおして怪しい男の影を認め、 「盗んで行ったな!」 と直覚した。 急いで、父の 亡骸 ( なきがら )を洞窟の内へ隠し、向うへ這ってゆく男をつけた。 駆けるかと思いのほか、男は、振り向いても、なお、這っていた。 近づいてみると、 屈強 ( くっきょう )な武士、しかし、肩にどっぷり 朱 ( あけ )をにじませている。 最前、お十夜が走りだした時、足にかけられて、草の根に 呻 ( うめ )いていた天堂一角だった。 かれには、 深傷 ( ふかで )ながら、まだ這うだけの気力と意識があった。 一角は、今の隙に、世阿弥のそばから血筆の秘帖をつかみとり、はッ、はッ、と荒い息づかいで這いだした。 同じように這いかがみ、足音をぬすんで、お綱は後ろへ寄っていった。 おのれ、おのれ、おのれ。 心のうちで叫びながら、一太刀にと狙い廻した。 一角は熊のように、岩から岩の上へ 攀 ( よ )じてゆく。 三位卿はどうしたろう? 周馬はどうしたろう? 声をあげて呼ぶ力はなし、霧は深い。 風をつらぬいた白い 条 ( すじ )が、一角の後頭部へ消え込んだ。 と思うと。 ズンと、刀だけ、岩へ深く、斜めに立ってしまった。 肩越しに腕をつかまれ、お綱は一角の前へ投げられている。 どっちも 死身 ( しにみ )、組むなり火のような息を争って、秘帖を 奪 ( と )り返そうとする! 渡すまいとする! 組んではもつれ、伏せられては突っぱねる、一方は女、一方は 傷負 ( ておい )、天堂 勇 ( ゆう )なりといえどもなにしろ前からの痛手がある。 お綱は江戸女の勝気とはいえ、やはり女だけの力である、力量公平に 減殺 ( げんさい )されているのでいずれともいえない、秘帖を中心に 双鶏羽毛 ( そうけいうもう )を飛ばすありさまだ。 * * * めったにないことだ。 原士 ( はらし )の 長 ( おさ ) 龍耳 ( りゅうじ )老人が出かけるなんて 稀有 ( けう )なことだ。 第一、吉野川の上流平和な地域にそんな事件がかつてないせいもあったろうが、なにしろ、 龍耳 ( りゅうじ )老人が 出張 ( でば )ってくるなんてまことに珍らしい。 夕方、真っ白に隠された剣山は、夜になって、すッかり 霽 ( は )れていた。 「秋が近いな」 空の銀河を仰いで、老人は白い 髯 ( ひげ )の先を かじっている。 「山へ入ると秋の音が聞こえるよ」 誰も返辞のしてがない。 老人の前には 松明 ( たいまつ )が二本、うしろには人影が四、五、黙々とついて歩いてくる。 剣山の山路である。 今日の夕方のすさまじい光景が目に残っている。 そしてまだ、法月弦之丞が捕われていない。 あの死をきわめた 颯爽 ( さっそう )たる 白衣 ( びゃくえ )の影が、いつ 檜 ( ひのき )の蔭から、 閃刃 ( せんじん )とともにおどり出さない限りもない。 老人のほかの者には、秋の音も銀河の壮麗もない様子、ザワというたびごとに、足の関節がはずれそうになる。 その中に 伍 ( ご )してきた、お十夜と旅川周馬さえ、龍耳老人の案内としてついているのだが、眼底に異様な緊張をただよわせ、まるで、 仮面 ( めん )のように顔の筋をこわばらせていた。 「やあ、これは」 と 龍耳 ( りゅうじ )老人、杖を指してうしろの者へ、 「つまずくなよ、またここにも一人 斬 ( や )られている」 「は。 明りを」 松明 ( たいまつ )を呼び返して、供の原士が、死体を抱いてズルズルと後戻りに、道のわきへ片寄せ、 「今の男は、木戸へ変事を 報 ( し )らせに来た、目明しの 眼 ( がん )八という者です」 と歩きながら告げた。 「目明しか」 杖をコツコツ運ばせながら、 「どうも十手を持った者で、終りのよかったのはすくないようだな」 「ああ、また 斬 ( や )られています」 と、松明が止まる。 「これで四、五人目だな、もう片づけるのは 明日 ( あした )にしよう」と死骸を廻って歩きかけたが、ちょっと小腰をかがめて、 「ウーム、なかなか立派に 斬 ( や )られている」 首を振ってテクテク登りだした。 山は 追々 ( おいおい )深くなる。 しかし、 龍耳 ( りゅうじ )老人、 壮者 ( そうしゃ )にまけない足どりで、何かぶつぶつ言っていた。 その上、この老人をわずらわすなどとはお話にならない沙汰……まあまあこんな事件は、蜂須賀家の御記録にも 態 ( てい )よく 省 ( はぶ )いておくことだな」 耳が痛いのは孫兵衛だ。 周馬は黙ってついて歩いた。 昼の元気もどこへか、少しも意気があがらない。 と、お十夜は、今もそのいまいましさが胸に消えない。 眼八が、ワッと原士をすぐってきた時には、もうどうにも手がつけられなかった。 霧が来たのも悪かった。 弦之丞はそれに乗じて、存分に行動した。 眼八も 斬 ( や )られ、原士の中にも沢山な 傷負 ( ておい )が出た。 霧がはれた頃には、夜になって、姿を探すよすがもない。 こうなると、地理は彼に利で衆には不利。 ひとまず山番小屋の評議となり、異論まちまちという所へ、ひょっこり来あわせた 龍耳 ( りゅうじ )老人が、耳を掘りながら聞いていて、 「これよ、若いの、剣山は 渭城 ( いじょう )のお庭より少し広いぜ」 と笑った。 山狩評議を 諷 ( ふう )したのである。 「どれ、おっくうだが行ってみてやろうか」 深夜にかけて押し出した。 といったところで、人数は六人、それも途中で返す約束の案内に過ぎない。 ただし、三位卿は 賢 ( かしこ )く同行をはずした。 おそらく老人の前ではわがままがふるまえぬからであろう。 「だいぶ来たな、ウム」 「 倶利伽羅坂 ( くりからざか )でございます」 「ちょっとくたびれたよ。 やはり、年は年だな」 「吾々でさえ、この通りな汗ですから」 「おいよ」 「はい」 「ご苦労だが 後 ( うし )ろへ廻ってくれ」 「はっ」 「 松明 ( たいまつ )はわしが持ってやる。 腰を押せ、腰を」 供の原士がうしろへ廻って老人の腰へ手を当てがう。 高野 ( こうや )の尻押しの 故智 ( こち )に習って、老人は楽そうに押されてゆく。 そうして、山牢もだいぶ近づいてきた。 ふと仰ぐと、 削 ( けず )り立ったような絶壁が前にあった。 するとやがて間者牢の 柵 ( さく )が見えるはずで」 「そうか」と、老人は杖を止めた。 老人のうしろ影を見送って、旅川周馬は、 「なるほど 剛腹 ( ごうふく )なおじいさんだ」 と、舌をまいて、 「なあお十夜」 「ウム?」 「深夜しかもこの 深岳 ( しんがく )だ、弦之丞のやつは山にこもって、血に狂したやぶれかぶれ、人と見たら 盲目 ( もうもく )に斬りつけるだろう。 とても、吾々にもあんな勇気はないよ」 「そうさ、困った老人だて……」 何が困るのか、孫兵衛の返辞はすこし意味をちがえて、 「あの分じゃ、どうも当分は死にそうもねえ」 と、頭巾の重さをふと気にしていた。 そんなことをいって、ただひとり間者牢へのぼって行った影が、うすい夜霧にボケるまで、一同見送ってはいたが、誰も、 「あの老人が、 血刀 ( ちがたな )を下げた 白衣 ( びゃくえ )の影にパッタリ行き会ったらどうする気だろう?」 とは心配をしていない。 龍耳 ( りゅうじ )老人の胸には何か、しかとした 方寸 ( ほうすん )がたたみこまれているものと信じて、少しも行く先に 危惧 ( きぐ )を感じていないようであった。 「ここに待っていてもしかたがあるまい」 龍耳老人の目を放れて、お十夜はすこしのンびりしたようなふうで、 「オイ周馬、三の木戸の番小屋まで行って、明方まで 藁 ( わら )ぶとんでもかぶろうじゃねえか。 どうせ今夜でなくても、袋の鼠、片づくにゃ決まっている弦之丞だ、 麓口 ( ふもとぐち )さえ縫いこんでおけば、何もあわてることはない」 松明 ( たいまつ )がとぼりきれたので、ふたりの原士は、スタスタ先へ下ってしまった。 孫兵衛も 踵 ( くびす )をめぐらして戻りかけたが、周馬の 相槌 ( あいづち )がきこえないので、ひょいとふりかえってみると姿が見えない。 「……あっ、天堂だ、やっぱり天堂一角だぞ、この死骸は」 「そんな所で絶息していたか」 「オオ、来てみたまえ」 かれが、弦之丞の第一刃をあびたのは知っていたが、日没、木戸へも集まらなかったので、どうしたのかと思っていた際だ。 周馬とは江戸表以来、お十夜とは、ことに永い 交際 ( つきあい )の仲。 かれはよく周馬やお十夜の安価な 女色漁 ( にょしょくあさ )りを 軽蔑 ( けいべつ )して、討幕の 挙 ( きょ )の成功を信じ、事なるにおよんでは、何万石を夢みていた小なる 光秀 ( みつひで )みたいな男だった。 悪友か善友かしらぬが、道中などでも、ふたりが 痴話 ( ちわ )に 更 ( ふ )けているまン中の部屋で、ひとり 猪 ( ちょ )八 戒 ( かい )みたいな 寝相 ( ねぞう )をして、朝の鏡に目をこすり「わるい 悪戯 ( いたずら )をしやあがる」と顔の 墨汁 ( すみ )をあらい落して怒らぬところもあった男だ。 まさか、捨ててはおけない。 「残念なことをした」 と、孫兵衛も飛んでいった。 「もう氷のようだ……」 悲壮な姿をして、周馬は、やっとのように死骸を前抱きにして、深い草むらを、ひと足ずつ 跨 ( また )いでくる。 「この断崖から落ちたのだな……」 「高いな」 と、周馬もふりあおいで、 「じゃ、合図があった時、 傷手 ( いたで )ながら飛びおりて、 麓 ( ふもと )へ下ろうと思ったのだろう」 「いや、自分で、こんな所から跳ぶはずはねえ。 間者牢の山つづきだから、日が暮れて、うっかり 辷 ( すべ )り落ちたにちがいない。 ……重いだろう、周馬」 「足がつかえて困る」 「よし、手を貸そう」と、孫兵衛は側へ寄って行ったが、あさましい姿をみると、 衝 ( う )たれたように立ちすくんだ。 周馬の抱き方がまずいので、 乱 ( らん ) びん蒼白の死者が、グタッと 襟骨 ( えりぼね )を 尖 ( とが )らせて垂れている。 ひと言。 「オイ」と、声をかけてみたい気がした。 額 ( ひたい )へ手を入れて、孫兵衛、グーと無理にもちあげてみると、目をねむって、 青蝋 ( あおろう )のような冷たい死顔、頬と耳のうらあたりに、爪でひッ掻いたような赤い筋……。 一 帖 ( じょう )の血書! いきなり、 死首 ( しにくび )の歯から、孫兵衛がグッとそれを引ッたくったので、周馬は重さにのめりながら、すばやく、 白眼 ( はくがん )にお十夜の手もとを見つけて、 「オイ! なんだ、今のはッ」 と死骸を下へ捨ててしまった。 龍耳 ( りゅうじ )老人は達者な足どりで、 まないた岩の辺まで登ってきた。 なんたる 寂寞 ( せきばく )さであろう、無辺な天地だろう。 足もとの闇から 黄泉 ( よみ )の府にまで続いているのではないかと思われる。 群山すべて低く白い 曳迷 ( えいめい )は雲である。 仰ぐと。 けむりのような銀河をかすめて、星がひとつ流れた。 老人は歩をとめて、しばらく、草のそよぎを聞きわけている。 じっと…… 「? ……」 行きくれた 盲目 ( めくら )のように。 ありとも思えぬくらいな微風が、老人の姿にあつまってヒラヒラする。 刀は、 鎧 ( よろい )どおしのような短いのを一本、前ざしでなく、わざと横へ。 ……てく、てくとまたいつか歩きだしていた。 「ここだな」 間者牢 ( かんじゃろう )の 柵 ( さく )わきへ来ると、例の奔流がドーッと耳をうった。 山牢の穴も柵の中も見えない。 見えないが老人は、そこで、 夕陽時 ( ゆうひどき )の修羅のすごさを眼に描いた。 かれは、夜 もすがらここを歩こうとするのか。 歩いて夜の明けるのを待とうとするのだろうか。 かくて、一 刻半 ( ときはん )ばかりも、その辺にたたずんでいた。 何事もない。 強 ( し )いて天地の変移をさがせば、 霞 ( かすみ )のような星雲が消えて、特に大きな星がひとつ、西に目立っていたことである。 よく侍というやつ、都合のいい潮時にいさぎよくという言葉で、 結尾 ( けつび )の責任をのがれるものだが、自身で命を絶つような弱腰では、最初から、ここへ入ってくる資格がない」 と……つぶやいていると、かれの行くてに、いつか、薄いふたつの人影がうごいてくる。 はッ……と思うと、向うも足を止め、老人も歩みを止めた。 ザザザザと 茅 ( かや )をなでてくる風が、うしろから押すように吹いて通った。 しばらく、うかがいあっているうちに、ふたつの影のうち、ひとりは 忽然 ( こつぜん )と、岩の蔭か草むらの中へでも隠れてしまったらしく、やがて、近づいて来た様子の者は、ひとりしか見えない。 龍耳 ( りゅうじ )老人も、のそ、のそ、と前へ足を運びだした。 そして、双方の間、二、三 間 ( げん )まで寄りあった。 で、星明りでも、互いにその姿を明瞭に認めえた筈である。 ことに、先のものは 白衣 ( びゃくえ )なので、いっそう老人にははっきりと 輪廓 ( りんかく )が見てとれた。

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【18】伊賀上野城下町

甲賀 ゆれ の 説明 として 正しい もの は 次 の うち どれ か

【18】伊賀上野城下町 伊賀上野城下町 No. 2003年7月26日 土曜 「No. 89 伊賀上野城下町周遊コース」の「てくてくまっぷ」は右のもの。 先月は壷阪・高取を歩いた。 司馬さんの「街道をゆく・第7巻」に「大和・壷坂みち」の章があって、散策の前にこの章を読み返したが、その前章は「甲賀と伊賀のみち」だった。 司馬さんは伊賀上野を訪ねておられる。 伊賀に住む私としては、ここは訪れておかねば。 (志摩国となると伊賀国よりもさらに小さい) 伊賀国が小さいながらも一国となっているのは、四方を山で囲まれ、西の大和国(一部は山城国)、東の伊勢国、北の近江国、南の宇陀山系(大和国である)から隔絶した盆地であるためだろう。 ここに伊賀国分寺跡もあれば、伊賀国一ノ宮もある。 うかつなことに、つい最近まで「伊賀上野市」であると思い込んでいたが、「上野市」が正しい名称であり、東京の台東区上野は伊賀上野の「上野」がそもそもの始まりである、と上野市生まれの近所の人がいっていた。 これは失礼しました。 上野市は名張市のすぐ北に隣接している。 行政上では、名張は上野の出先機関の位置づけで、税務署も裁判所も保健所も全部上野市にある。 名張市は近鉄大阪線が通っているために、大阪への通勤圏となって、人口は85,000人へと急増した。 一方上野市は大阪線から支線に乗り換えねばならず交通の便はよくない。 上野市の人口は62,000人とこの10年はほとんど増加していない。 ということは城下町の風情がなお残っている町である。 上野へ行くには、名張から名古屋へ向かって3つ目の伊賀神戸(いがかんべ)駅で、近鉄伊賀線に乗り換える。 伊賀線は単線である。 車両は2両編成で、運転手さんだけが乗務する。 車掌さんはいない。 伊賀神戸駅から上野市駅までは10駅あるが、無人駅も多い。 無人駅ではワンマンバスのように車内で両替をし、料金を支払うようになっている。 名張駅から伊賀神戸駅までは8. 3Km。 伊賀神戸駅から上野市駅までは12. 7Km。 運賃は420円。 上野市駅に到着。 「てくてくまっぷ」を貰おうと駅員さんにお願いしたら、まっぷは切れていた。 替わりに「伊賀上野・散策絵地図」を頂戴した。 まっぷの4倍の大きさがあり、カラー印刷である。 どういう名所や旅館・店舗があるのかはよくわかるが、「まっぷ」ほど細かくはない。 (まっぷには、道にミラーがあるとか、坂が急であるとか、桜がきれいだとかの書き込みがあって、ほぼ迷わずに道を辿ることができる。 ) 絵地図によれば、近鉄の線路は東西に伸びて、上野市街を南北に切断している。 北側が上野城を中心とする昔の丸ノ内で、南側が町人・商人町である。 まずは北側の武家の町を、ついで南側の町人の町を歩くことに。 線路の北側にある道は広い。 国道163号線である。 163号線は西は木津川に沿って走っており、京都・奈良と上野を結ぶメインの道である。 東は山越えをして津市につながっている。 昔の「伊賀街道」である。 上野市の中心部では特に「大名大路」と呼ばれている。 この道の北に上級武士の屋敷が並んでいたからだそうだ。 さらに北には上野城がある。 当然のことながら、今の大名大路には武家屋敷はなく、跡地は学校になっている。 東から、西小学校・上野高校・崇広中学校である。 いずれも公立の学校。 写真は西小学校。 夏休みであるが、サッカーの試合があると見えて、何組ものちびっ子チームがグラウンドで練習している。 向こうのスタンドでは父兄が声援。 さらに向こうの校舎を見ると、なんと木造2階建ての瓦葺である。 西小学校を西へ過ぎると、 大きな城門がある。 白鳳門という。 最近作ったもののようであった。 おそらくは大手門であるようだ。 (この門をくぐって坂道を登れば、上野城に通じているということが後でわかった。 ) 白鳳門の左の並びには上野高校がある。 この校舎も木造である。 左側に普通のコンクリート作りの校舎があるから、この木造校舎は教室としては使われていないようだが、戦前の建物の風情がある。 案内板があって、「旧三重県第三中学校」とある。 1900年(明治33年)に四日市に二中、上野に三中、宇治山田に四中が建てられたが、他の2校は戦災や火災で焼失し、現存するのはこの校舎だけである。 とあった。 明治の建築だったのですな。 上野高校を西へ過ぎると長屋門がある。 崇広堂(すうこうどう)といって伊勢・津藩の支校であったようだ。 見学料は200円。 入ってみる。 パンフレットによれば、1821年に津藩の第10代藩主・藤堂高兌が創設したとある。 私はよくわかっていないのだが、藤堂高虎以来、津藩は伊勢および伊賀(大和・山城の一部もそうだったらしい)を領地とした。 32万石であった。 司馬さんの本によれば、1か国を領土とする大名は「国持ち大名」と呼ばれ、大藩・大大名であったらしい。 藤堂藩は1か国どころか2か国を支配していたので、伊勢には津城を建て、伊賀には上野城を建てて支城とし、藩校においても津に有造館を、上野に支校として崇広堂を建てるという二重の費用をかけなければならなかったようである。 崇広堂は藩校であるから、学問を学ぶ講堂のほかに、武道場も併設されており、馬術・槍術・柔術などの各流儀・各流派を教えたらしい。 図の模型のような配置だった。 しかし創建後33年して起きた大地震によって、講堂を除く多くの建物は崩壊したが、その後復興したと説明がある。 復興したのは1854年以降ということになるが、それは明治維新まであと13年という時期。 明治になって藩校は廃止されるから、崇広堂は約50年ほどの命脈であった。 ただし、200余りあった藩の藩校の建物が残っているのは珍しいそうで、今は国の史跡に指定されているらしい。 (震災復興の努力が報われた。 ) 写真は玄関と講堂。 白壁で区切られているのは講堂の周りが庭になっているため。 講堂は7間四面とあるので、49坪・98畳の大建築物である。 この講堂で一斉教授をした。 教員は10名、学生は300名。 作詩・作文・医学・算術などの教育がなされた。 と説明板にあった。 見学者は私だけであった。 掃除をしていた係りの人に、ご自由に歩いてご見学ください。 と声をかけてもらったので、気随に歩き回ったが、この講堂は品があって非常に気分のよい建物であることがわかった。 学問はこのような凛とした場所で学ばねばならない。 (いまの小学校・中学校の教室は汚すぎる) 講堂のぐるりは板敷きの廊下で囲まれており、東面と南面から庭が見える。 西面にも中庭があって、三方から明かりが採れる上、風が講堂の畳の上を通り過ぎていくのである。 座っていれば実に気持ちがよい。 感心して出た。 よい建物ですなあ。 といったら受付の人が喜ぶ。 崇広堂の西隣りには市立の崇広中学がある。 旧崇広堂の武場があった場所である。 中学校は「崇広」の名前を貰ったのですな。 重い校名である。 大名大路をさらに西向きにあるくと、下り坂となった。 (国道163号線は途中で北に折れていたので、この道は163号線ではない。 ) 坂の下に林がある。 「鍵屋ノ辻」の石碑があった。 この場所で渡辺数馬と荒木又衛門が河合又五郎を討ち果たした。 「伊賀越仇討ち」として歌舞伎・浄瑠璃で演じられるほど有名である。 と案内板にある。 三大仇討ちのひとつである、ともある。 まあ知らないわけではないが、興味はあまりない。 これまたうかつな話しながら、「鍵屋ノ辻」の石碑を見ていて、「辻」という字は「十」に「しんにょう」がついたものだから、十字路の交差点であることに気がついた。 道路は交差して「十字型」でなければならず、「T字型」や「Y字型」のものは辻とはならない。 こんなことを知らずに50何年過ごしてきた。 馬鹿ですな。 奈良から上野に入ってくる河合又五郎一行を、渡辺数馬と荒木らは奥に見える茶店で待った。 その茶店に入ってみる。 茶店は「数馬茶屋」という。 わらび餅を頼んだら、「お茶はどうですか」と聞かれる。 抹茶を頼んで630円。 「きな粉は体にいいので、全部食べられるようにスプーンもつけたから。 」おばちゃんが言う。 あんまり好きじゃあないんやけどな。 4切れあったわらび餅を3つ食べたとき、ああそうそう写真をとろうと思ってカメラを向けたら、お盆を換えるという。 ちょっと小奇麗な朱盆に取り換えられて、写真を撮った。 「鍵屋ノ辻」から引き返して、北へ折れ曲がっている163号線に沿って歩く。 少しして広い163号線から離れて脇道へそれる。 緩やかな下り坂となる。 右手には上野城がある。 上野城の西側を歩いている。 明治の建築物があった。 「旧小田小学校本館」で、今は資料館になっている。 見学料は100円。 ここでも私一人が見学者であるので、受付の男性(老人)が説明をして下さる。 パンフレットによれば明治14年に建てられたもので、現存する小学校校舎としては三重県で最古のものであるらしい。 木造洋風2階建ての寄棟造りの桟瓦葺き。 ポーチは切妻造りで、壁は漆喰仕上げ。 屋上に太鼓楼という小さな塔がついている。 明治の教育にかけた意気込みが伝わってくる。 2階は初等教育の資料室になっているので、見て回ったが存外に面白い。 古い教科書が展示してある。 初等教育の制度の歴史の説明もある。 明治5年にフランスの教育制度を手本にした学制を発布したが、明治12年にアメリカの制度に変え、翌13年にまたもとに戻した。 この明治13年の改正教育令で、初等教育の内容が決まったらしい。 これを受けて、明治14年には各地で小学校舎が新築されたようだ。 全国に残るこの時期の小学校校舎14校の写真が地図とともに展示してあった。 ざっと見ただけだが、14校のうちわけは、山梨県が5校、長野県が2校、滋賀県が2校で、あとは5県に1校ずつだった。 どれも明治14年の建築である。 明治13年の改正教育令は小学教育のエポックとなったようだ。 国語の教科書の内容が面白い。 明治19年〜36年までは、「ハナ・トリ・キリ・カンナ」であり、明治37年〜42年は、「イ(イスのイ)・エ(エダのエ)」であり、明治43年〜大正6年は、「ハタ・タコ・コマ」のシリトリである。 大正7年〜昭和7年は「ハナ・ハト・マメ・マス」。 昭和8年〜15年は「サイタ サイタ サクラガ サイタ、ススメ ススメ ヘイタイ ススメ」。 昭和16年〜20年は「アカイ アカイ アサヒ」である。 戦後の昭和21年〜23年は「おはな を かざる」であり、昭和24年からは「ひろこさん はい」であるらしい。 私は「ひろこさん はい」を習ったのだろうか。 記憶はない。 旧小田小学校本館の裏は保育所になっている。 この敷地はもとは小田小学校の第二校舎があったところ。 なお小田小学校は廃校になった後、ここへ通っていた生徒らは、この散策の起点となった西小学校に通うことになったらしい。 東へ向いて登る。 登れば上野城域である。 内堀へ出た。 石垣は日本でも有数の高さであるらしい。 「高石垣」と呼ばれている。 伊賀は、鎌倉期までは東大寺の荘園であり(東大寺二月堂のお水取りで使う巨大松明は、いまでも名張から運んでいる)、戦国期に入っても有力な戦国大名は出なかった。 藤林・百地・服部などの小勢力が割拠していた。 そこへ織田信長の命によって伊勢の織田信雄(のぶかつ)が伊賀へ侵攻してくるのであるが、伊賀勢は連携し、いったんはこれを打ち破る。 (第一次の天正伊賀の乱) しかし2年後の1581年、信長は丹羽長秀・滝川一益・蒲生氏郷らに命じて、4万(3万ともいう)の大軍を伊賀に送り込み、伊賀勢 9000人)は壊滅する。 虐殺であったらしい。 上野城は、天正伊賀の乱が終わった1581年に、大和郡山から移った筒井定次が、この地に縄張りし、三層の天守を備えた城を構えたのが始まりである。 (その前に何人かが伊賀に送り込まれているが) 筒井氏はその後改易となり、1608年に伊予から伊勢・伊賀の領主として移封された藤堂高虎によって築き上げられたのが、この石垣である。 これは裏門(搦め手)への道か。 1600年の関が原で勝利した徳川家康は江戸に幕府を開くが、大阪城にはなお豊臣秀頼がいる。 これを滅ぼすために大阪冬の陣・夏の陣の2度の戦闘を必要としたが、藤堂高虎が伊賀に築城を命じられたのは、大阪城攻略の準備の一環としてである。 司馬さんは「甲賀と伊賀のみち」の中で、上野城を訪れ、その築城の顛末について書いておられる。 つまり、大阪城攻撃が万が一失敗したときは、嫡子の秀忠は近江彦根城へ後退させ、家康はこの上野城に退いて、攻撃再開の準備をするつもりだった。 そのために伊賀のような小国には大きすぎる城を造らせた。 藤堂高虎は五層の天守閣を建てたが、落成と同時にこの天守閣は取り壊された。 『伊賀は小国ながら京・大阪の裏にあたり、天下攻略にとっては大切な国である。 そういうところに大きな天守閣をもつ城をつくるというのは、高虎どのになにか思惑があるのでないか』というようなうわさが出て、保守感覚の異常に鋭敏な高虎は、いそぎこわしたのではないか。 といったようなことを書いておられる。 ただ城の前の案内板には「竣工直前に暴風雨のために天守閣は倒壊した。 そのうち大阪夏の陣で豊臣家は滅亡し、天守閣を建てる必要はなくなった。 」と書いてあった。 どちらが真実か。 高虎が造ったものを自ら命じて壊させた、というのは面白いが、暴風雨のために倒壊したというほうでしょう。 今の天守閣は昭和12年に建てられたものである。 三層であるから高虎が作ったものとは異なる。 ただ、立て直された各地の城の多くはコンクリート造りであるが、この城は木造であるところが上野の自慢であるらしい。 司馬さんは、伊賀については、上野城に2頁ほど費やしただけで、あとは御斎峠(おとぎとうげ)についてばかりを書かれている。 残念ながら御斎峠は遠い。 訪ねるほどの時間はない。 本丸から西北を望む。 向こうの山並みのうち、中央の最も高い山の左側(写真で1. 5cmほど)の少し窪んだところが、御斎峠ではなかろうか。 わずかに道が見えている。 ここを越えると甲賀である。 城内(二の丸跡)に松尾芭蕉を顕彰する俳聖殿が建てられている。 上野は芭蕉が生まれた土地である。 この建物は芭蕉の生誕300年を記念して1942年(昭和17年)に建てられたもので、古いものではないが(それでも私が生まれる前のこと)、形はユニークである。 案内板によれば、芭蕉の旅姿を表現したものである。 すなわち、最上層の屋根は芭蕉の旅笠であり、下部の丸い堂は顔。 その下の八角形の屋根は蓑と衣を表し、最下層の八角堂は脚部であり。 堂の周りの柱は杖と足を表すのだそうだ。 異形のモニュメントであるが、眺めていればこの建物は芭蕉をよく象徴しているという感じも湧いてくる。 ただし私は芭蕉は(というより俳句が)苦手である。 俳聖殿の東隣の一角には、忍者屋敷がある。 伊賀といえば、司馬さんの「梟の城」であり、漫画では「伊賀の影丸」であり、(女性向けコミックでは「伊賀のカバ丸」というのもあった)、やや古い講談本では「猿飛佐助」である。 忍者屋敷は大人気である。 子供たちがワイワイ言って騒いでいる。 入場料は700円。 私は入らない。 昔の観光地の土産物屋では、木刀とかおもちゃの刀は定番であったが、最近はほとんど見受けなくなっている。 第一チャンパラというのがはやらない。 しかしこの土産物屋にはあった。 珍しい。 子供たちも忍者ショーを見た直後であるせいか、買いたそうではある。 城を出る。 道は城の東側を南に向いている。 下れば散策を始めた国道163号線(大名大路)にでる。 ちょうど上野城の周りを一周したことになる。 大名大路に出て、左(東)へ折れて、少し行くと芭蕉の生家があった。 芭蕉の生家は長く不明であったようだ。 以前テレビを見ていたら、柘植(つげ)が生誕の地であるようなことを言っていたが、今では綿密な考証の結果、柘植は父の出身地であり、この家が芭蕉の生家であると決まっている。 見学料は300円。 パンフレットによれば、1644年、松尾与左衛門の次男としてこの地(赤坂町)で出生(ほかに一姉三妹)。 13歳のとき父が亡くなり、19歳のとき藤堂良精(よしきよ)につかえる。 実際は良精の子の良忠(俳号は蝉吟(せんぎん)・芭蕉より2歳年上)につかえ、共に京都の北村季吟(きぎん)に俳諧を学んだが、23歳のとき良忠が没したために、芭蕉も藤堂家への武家奉公を辞めざるをえなくなる。 23歳から29歳まではどのような生活をしていたのであろうか。 ともかくも、いくつかの句集に伊賀上野松尾宗房の句が入集されていき、松尾宗房の名は世に出ていったらしい。 (当時の芭蕉は宗房(そうぼう)といった。 ) 生家の奥には「釣月軒(ちょうげつけん)」という小さな庵がある。 松尾宗房は29歳で初めて30番の発句を撰し、「貝おほひ」としてまとめる。 写真の釣月軒で想を練ったのである。 釣月軒は狭い。 間口2間・奥行き半間ほどの土間(たたきというのか)が手前にあって、座敷は6畳一間である。 この場で芭蕉は20代の日々を過ごした。 芭蕉は、「貝おほひ」を上野天満宮に奉納し、29歳にして江戸に出立する。 芭蕉の生家からほど近いところに、愛染院がある。 真言宗豊山派とあった。 ここは松尾家の菩提寺である。 芭蕉の父も母もここに葬られている。 芭蕉は江戸に出てからは、松尾宗房から「桃青」(とうせい)に名を改め、34歳にして宗匠(俳句の師匠)となる。 37歳で江戸深川の庵に移る。 ここは芭蕉の葉が茂っていたことから、39歳ころより「芭蕉」の俳号を使うようになる。 芭蕉は江戸に出た後も、なんどか上野に戻っている。 帰省した折は先の釣月軒で起居したらしい。 40歳のとき母が亡くなり、翌年帰郷している。 この愛染院に墓参したはず。 「野ざらし紀行」は芭蕉42歳のときの作品であるが、これは伊賀から奈良・京都・大津・名古屋・木曽路を経て江戸に帰る折に作った句集である。 奈良・京に行く際には当然に鍵屋ノ辻を通ったに違いない。 46歳には奥州への旅に出かけ、「奥の細道」の句想を練る。 このときも伊賀に滞在している。 51歳で「奥の細道」の清書本が完成し、伊賀に帰郷している。 境内には、このとき松尾家の一同(6人兄弟である)と愛染院に墓参し、読んだ句碑がある。 家はみな 杖に白髪の 墓参り 兄弟はみな年老いた。 手には杖をつき、頭髪は白髪となったことよ。 それだけ父母が亡くなったのは遠い昔である。 愛染院には芭蕉の「故郷塚」がある。 芭蕉は51歳のとき、伊賀から奈良を経て大阪に行きここで客死した。 遺言によって近江の膳所の義仲寺に葬られた。 (芭蕉はここに草庵を持っていた。 ) 芭蕉の死の知らせを受けた伊賀の門人の服部土芳(はっとり・どほう)らは義仲寺に駆けつけて芭蕉の遺髪を持ち帰り、愛染院の藪陰に埋めて小さな塚を作った。 それが写真の塚である。 小さい石標には「芭蕉翁桃青法師」 と刻んである。 愛染院を少し南下して、西へ折れ曲がると近鉄の広小路駅がある。 線路を渡れば、向こうに上野天満宮がある。 天満宮の手前に「でんがく大和屋」という食堂があった。 鍵屋ノ辻の数馬茶屋のおばさんが、上野でおいしいもんは多いけれど、とうふの田楽は名物だと言っていた。 午後1時半である。 昼飯を食うことにした。 でんがく定食を注文した。 その前にビールを1本。 写真のようなものである。 豆腐は1cm角の長さ5cmくらいを1単位として、これに串が刺されてある。 5単位ごとに焼き、でんがく味噌を塗ってある。 食べるときは1単位ごとに分けて食べてもよいし、面倒であれば2単位・3単位の串をまとめて一気に食べることもできる。 とろろ飯は美味かったが、でんがくは塩辛かった。 でんがく定食は1250円。 上野天満宮である。 菅原神社ともいう。 神社は瓦葺である。 塀にも瓦が載っていて寺院風である。 近づいてみれば、「奉燈」と書いてある。 夏祭りの献燈なのか。 ひとつひとつの献燈の中には電球が入っており、夕刻になれば灯がともるようになっている。 その献燈だが、写真のごときである。 上部に「奉燈」の文字と天神さんの梅の紋。 下部には協賛者の名前。 写真では「御菓子司 田山屋」とある。 肝心なのは中央の絵と添え書きしてある「句」である。 「御菓子司 田山屋」のものは(やや読みにくいが)、 手のひらに のせて涼しや 初真瓜 とあって、ざるにいれたとうもろこし・茄子・瓜と、竹ざるの外にかぼちゃが描かれている。 俳画というやつですな。 はじめはずらりと並んだ献燈のかたまりしか目につかなかったが、1つ1つの献燈の絵と句はすべて違ったものであることがわかってから、少していねいに句を読んでみた。 先にもいったが私は俳句は苦手である。 ということだろう。 それでもゆっくりと読んでいれば、なるほどいいなあと感じる句もあったので、以下に掲げる。 もっとも献燈したスポンサーが作句したものとは限らない。 手花火の子や 湯あがりの髪ぬれて 今日は花火をするから、早くお風呂に入っておいで。 と親にいわれて風呂に入ったが、こどもは待ち遠しくてしょうがない。 ザブンと湯船に浸かって、急いで出てきた。 体や髪を拭くのはいいかげんである。 親はしょうがない子ね。 と思いつつも、その気持ちはよくわかる。 火に気をつけなさいよ。 といって花火を許した。 そういう情景であろうか。 奉燈者は、「左官用品 上田建材店」とあった。 母の肩 小さく揺れて 日傘行く ややレトロな趣きである。 子供が母の外出を見送っている。 暑い日ざしの中、母親はどこへ行くのであろうか。 後姿の肩がゆれている。 ここで母の行く先をあれこれ思えば、この句の印象はずいぶん変ってくる。 母が買い物とか所要で出かけるのであれば、これは普通である。 「肩が揺れる」を重視すれば、母の不安な心境が肩に出ているのかも知れない。 不安はなんであるのか。 子供の学期末の成績を聞きに学校にいくのかも知れないし、母の身内が入院して見舞いに行くのかもしれない。 逆に久しぶりの同窓会に行くために、少し気分が高揚しているのかも知れないし、ボーナスがでたのでかねてより買いたいと思っていた物を、喜びつつ買いに行くのかも知れない。 ともかく、揺れる母の肩はいろいろな想像を引き起こす。 奉燈者は、「ファッションメゾン ミキヤ」とあった。 いっせいに 喉もと反らし 燕の子 こういう情景を歌った句はわかりやすい。 親燕がエサを確保して巣に戻ってくると、とたんに4・5羽の雛がピーピーと鳴いて、エサを求めた。 親燕が持ち帰ったエサは1羽分なのである。 エサを貰えなかった他の大勢がピーピーいっている以上、すぐにエサを求めて飛び立たねばならない。 エサを獲り、雛に与えるということを、一日に何度繰り返さねばならないのであろうか。 奉燈者は、「米岡家具センター」とあった。 上野天満宮から少しバックして、南下する。 この道は寺町通り。 鍵屋ノ辻で討たれた河合又五郎の墓が、このどこかの寺にあると案内板にある。 寺町通りは、近鉄・茅町駅に突き当たる。 ここで西に向いて5〜600mほど歩くと「蓑虫庵」があった。 芭蕉は伊賀にしばしば帰郷しているが、ここには芭蕉の門下生が大勢いたからでもある。 「蕉門伊賀連衆」と呼ばれている。 その伊賀連衆の中心人物が、この蓑虫庵の主の服部土芳(はっとり・どほう)である。 土芳は31歳のとき、この庵を作り、以来ここに隠棲し、この庵を伊賀における俳諧道場として蕉風俳句を広めた。 同時に芭蕉の偉業を後世に残すために多くの執筆をしており、芭蕉の伊賀における活動の緻密な記録として残っている。 見学料は300円。 受付にいったら、蚊取り線香を差し出された。 もちろん線香には火がついていて、煙が立ちのぼっている。 「庭内は薮蚊が多いので虫除けに持ち歩いて下さい。 」 蚊取り線香をぶら下げての見学となる。 蓑虫庵が出来た直後に、芭蕉が訪れ、 みの虫の 音をききにこよ 草の庵 の句を作り、土芳に与えた。 ここから庵は蓑虫庵と呼ばれるようになった。 とパンフレットにある。 「蓑虫の音」とはなんだろうか、蓑虫は鳴くのであろうか。 それとも木にぶら下がった蓑が揺れて木の葉にぶつかって擦音を出すのを「音」というのだろうか。 こうなると物ごとを知らない私には、「蓑虫」の句のよさがわからない。 蓑虫庵は6畳二間だけである。 土芳は奥の間で起居し、手前の間で句想を練り、句会を催し、芭蕉の記録を執筆したのであろうか。 蓑虫庵を出て、北向きに歩く。 この筋は中ノ立町通りという。 上野は城下町だけあって、きちんとした町割りがされている。 北に丸之内があり、東西に大名大路が走る。 その南には、これに平行して本町通り、二ノ町通り、三ノ町通りがある。 南北に通じる道は、東から順に寺町通り、銀座通り、中ノ立町通り、西ノ立町通り、である。 ほぼ碁盤目に道が走っていてわかりやすい町である。 ただ人通りは少ない。 東西に走る本町通り。 名前からして、この道がかつての上野第一等の商業地であったと思われるが、今はそう賑わっていない様子である。 近鉄上野駅に戻りついた。 駅前には芭蕉の像があった。 芭蕉は東を向いている。 今日は多くの建物を見た。 崇広堂はよかった。 蓑虫庵もよかった。 天満宮では多くの俳句を目にした。 敬遠していた俳句に少しは近づけた気がしないでもない。 万歩計は21300歩だった。 執筆:坂本 正治.

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