カンニバール…。 CHブリーダーは今や、ファンダイク父子の代名詞とも言えた。 銘血は地域を越え、国境を越えて威力を発揮する。 まさに、世界を凌駕する血統。 連載前編では、近親交配を主として活躍する「カンニバール・ダイナスティ(王朝)」に触れる。 騒然! 驚きの落札額 センセーショナルなニュースは、瞬く間に駆け巡った。 オランダの女性フライター、マライン・フィンクが出陳した公開オークションでのこと。 彼女が誇る2つのスーパー・ペアの直子が破格の値段で落札される。 最高額は、日本円にして1千万円超! 信じがたい額ではあったが、出陳鳩の血統構成を知れば納得の事実だった。 競売にかけられた3羽は、すべて全兄弟にあたる。 さらに、注目すべきは3羽のトリが皆、記録鳩だという点である。 日本人愛鳩家が落札したトリは、万羽レースで優勝3回の超1級レーサー。 中国の愛鳩家が手にしたのは、西ヨーロッパ長距離カップ1位&長距離Nエース・ピジョン1位のスーパーCHである。 残りの兄弟も3回の優勝を重ね、エース・ピジョン1位を獲得した俊鳩だった。 驚異的な遺伝力は、単純に「優れている」との言葉で括れないほど傑出している。 人々が躍起になり、入札を重ねるのも頷けた。 今1度、カンニバール直系に焦点を当ててみよう。 CHブリーダーに触れるのは、その後でも遅くはない。 活躍の基盤は、父子が誇る3つの基礎カップル。 メス鳩は、オークションで手に入れたと言う。 カンニバールの名声は、すでに知れ渡っていた。 しかし、着目したのはゴールデンレディがその直子だという単純な理由ではない。 コープマンは出陳鳩が優勝3回を誇るランボーの近親鳩という点に魅かれ、迎え入れた。 幾重にも流れるCHの血は、より優れた遺伝力を発揮するに違いない…。 フライターは落札したトリを手に、胸躍らせながら家路を急いだことだろう。 事実、期待通りの活躍を見せた。 1種鳩 優れた遺伝力は近親から 先に触れた、マライン・フィンクを思い出して欲しい。 彼女もまた、カンニバールの直系で実績を生む。 高額の値がついたカンニバールの曾孫は、その実、ゴールデンレディの近親で構成されている。 つまり、女傑フライターはコープマン経由で、CHブリーダーの血を手にしていたことが推測できた。 公開オークションの後日、マラインはこんな言葉を残している。 「驚いたでしょ? でも、何の不思議もないわ。 だって、カンニバールの血が幾重にも流れているんだから」 ゴールデンレディ、引いてはカンニバールの血は、近親で交配することでより優れた遺伝力を発揮する。 誰もが知っている事実だからこそ、皆が手に入れたいと競りに募ったのだと、オークション結果を説明した。 実際、一族の多くが近親交配からなる。 ファンダイク、コープマン、そしてマラインが生み出した一級品のレーサーやブリーダー、彼らもやはり巧みな配合で構成されている。 銘血は色濃く繋げることで、非凡な遺伝力を維持しているのだろう。 いや、むしろ進化しているに違いない。 年々歳々、カンニバールへ注目は集まる。 世界中を凌駕する血、世紀末に生まれたCHバードは、新世紀を代表する銘ブリーダーとして世界の鳩界史に名を残す。
次の壮厳性を損なうことなく明るい色調とバロック特有の流動感によって描かれた肖像画は、イギリスを始め西欧各国の肖像画に多大な影響を与えた。 裕福な商人の息子として生まれ、11歳でヘンドリック・ファン・バンーレンに弟子入りした後、アントウェルペンの画家組合に加入。 その頃にはの最も重要な助手のひとりを務めるなど、画家として稀にみる早熟を示していた。 1620年頃一度英国を訪問した後、1621年から1627年にかけてイタリアに滞在。 の作品、特にの巨匠から多大な影響を受ける。 イタリア滞在の成功で国外にも名を馳せ、英国王チャールズ1世の招きにより1632年から1641まで宮廷画家として活躍、ヴァン・ダイクの描いた肖像画はイギリス国内で大きな反響と賞賛を受け、同国における肖像画制作の最も重要な模範のひとつとして18世紀末まで継承された。 また、制作当時、まだ聖ルカ画家組合に入っていなかったヴァン・ダイクにとって(翌年1618年に組合へ入った)、この大仕事に携わったことは非常に重要な出来事かつ若きヴァン・ダイクが同業者の中で確固たる地位を得ていたことを示しており、報酬もやと同額(150ギルダー)を受け取ったと記録が残っている。 類稀な早熟を示し師ルーベンスからの独立を得るために、オリジナルから幾つかの個所で野心的な変更がなされている。 本作では背景の教会がより重厚的に描かれ威圧感を思わせるほか、主対象となる登場人物以外をやや不鮮明に描写することによって、聖アンブロシウスと皇帝テオドシウスを画面内で鮮明に浮き立たせている。 また髪や髭などの各人物の身体的特徴や服装、小道具などが若干変更されている。 師の影響を強く感じさせる、本作の乞食や聖人マルティヌスが乗る馬などの大胆な構図と運動性と躍動感に富んだ描写は、が若きヴァン・ダイクの早熟な画才を認め、自身に依頼される重要な仕事をヴァン・ダイク任せたことを示している。 なお女性や子供などを登場人物を数名追加するほか、聖マルティヌスの握る剣の位置を若干下部へ変更した、本作よりが1620年頃に制作されており、現在ウィンザー城王室コレクションに所蔵されている。 5cm 油彩・画布 ダリッジ美術館(ロンドン) ヴァン・ダイク初期の代表的な宗教画作品のひとつ『サムソンとデリラ』。 デリラの輝くような透き通る白い肌や、衣服や豪華な布、甲冑などの質感描写に若きヴァン・ダイクの高い力量が感じられるほか、登場人物の劇性と運動性に富んだ力強い表現は、ヴァン・ダイク初期の宗教画作品の大きな特徴のひとつである。 なお1630年に新たな構図でを制作している。 5 油彩・画布 エルミタージュ美術館 17世紀に活躍したフランドルの代表的な画家の中で傑出した肖像画家としても知られるヴァン・ダイクの若き『自画像』。 本作はヴァン・ダイクが画家として独立した頃までに描かれた自画像の中で最も洗練された表現がされており、古典的情景を感じさせる風景描写と、端正な面持ちで自信に満ちた若々しい画家の表情や女性的な洗練された指先の表現は特筆に値する。 また深みのある青みがかった黒色に近い衣服はやや荒々しいタッチで描かれ、全体的に暗く表現された画面内でヴァン・ダイクの顔に射すハイライトは印象的であり、本作における画家の洗練された技量が示される一例である。 なお画家が14歳の頃に描いたと推測される最初期の自画像がウィーン美術アカデミー付属美術館に所蔵されるほか、晩年に手部分を修正したいることが判明している1617-18年頃の自画像や、1620-21年頃に制作された本作により近い構図の自画像などが知られている。 本作において最も驚くべきことは、若干20歳そこそこの若者の手による極めて高度な場面の表現力であり、確かな描写力と豊かな感情表現は、このアントウェルペン出身の若者の成功を十分に予感させるものであった。 また本作は後に工房に入ることになる同郷の大画家に贈られた。 本作における登場人物の激しい運動性や高ぶる感情の表現、明暗対比の大きい光と影の描写などに若干20代前半という若きヴァン・ダイクの類稀な画才が感じられる。 また画面左下部分ではキリスト十二弟子の筆頭であるペトロが抵抗しユダヤの司祭長の僕の耳を切り落とす場面が描かれている。 本作に示される明暗対比の大きい陰影描写や劇性を重要視した場面表現に、師の多大なる影響を感じさせるも、細部のやや甘美性を伴う優雅な聖人らの目撃姿や、画面下部に配されている鼻をつまむ天使のユーモラスな表現に、ヴァン・ダイクの独自性が示されている。 18世紀のコレクターであるコンスタンティヌス・バルビが所有していたことから、伝統的に『バルビの子供達』と呼称されている本作に描かれる三人の愛らしい子供のモデルについての詳細は不明であるも、その様式や来歴からヴァン・ダイクが1621年から1627年にかけてイタリアに滞在したジェノヴァの有力貴族の子供達であると推測されている。 本作に示される気品と満ちやや詩情的な肖像画の表現手法は、ヴァン・ダイクがジェノヴァ滞在で熱心におこなったルーベンスの肖像画の研究とその成果を示すものであり、後に肖像画家して大成するヴァン・ダイクの肖像画制作における独自の様式確立の重要な研究資料的価値も見出すことができる。 なお画面右下に描かれる黒い鳥(カラス)から貴族フランチ家の紋章とし、ジェローラモ・デ・フランチの子息チェーザレ、ジョバンニ・ベネデット、アンジェロとする説が研究者から唱えられているも、現在までに証拠を示す書簡や目録は発見されていない。 画面上部には天上から降臨する聖三位一体を示す父なる神を、画面下部には中央に幻視体験をする聖アウグスティヌス、その左部に聖アウグスティヌスの母で敬虔な聖女でもある聖モニカ、右部にはおそらくは聖ニコラウスであろう僧侶が配されている本作には、ヴァン・ダイクが自身の様式確立に多大な影響を受けたルネサンス期からバロック期までのイタリア絵画に対する深い考察が示されている。 なお本作と共にアントウェルペンのイエズス会のためにパレルモの聖ロザリエや聖ペテロなど諸聖人を伴う聖母子図(ウィーン美術史美術館蔵)も制作されている。 しかしによる『』が受難者イエスを英雄的に扱う記念碑的な特徴を示すのに対し、本作には受難者イエスの内面的な性格を重視した、精神性の深い表現が用いられている点が大きく異なっている。 なお本作を制作する為にダイクが描いた油彩によるスケッチ画が残されている。 中央よりやや左部へ垂直に配される白々とした肉体の受難者イエスに呼応するように、中央よりやや右部へ光に照らされる雲谷を配することで、本作の構図展開において絶妙なバランスを取っている。 また本構図によって左部分に受難者イエス、右部分に聖母マリアとマグダラのマリア、聖ヨセフという特徴的な人物配置が可能となり、師に順ずることのない画家独自の場面展開を示すことに成功しているのである。 本作は1632年からヴァン・ダイクが宮廷画家となり仕えていた当時の英国王チャールズ1世の馬上の姿と、傍らに馬丁長ピエール・アントワーヌ・ブールダンを配した肖像画作品で、王の権威は神から与えられたものとする王権神授説を信奉したチャールズ1世の高潔で王としての絶対的な正当性と優位性を保ちながら、堅苦しい形式を重んじた公式的な表現からの逸脱を示し、非常に柔和で自然な表現が用いられている。 諸外国同様、当時の欧州で最も主流であった絶対王政による専制政治を強いたチャールズ1世は、1642年に議会派との対立から勃発した内戦をきっかけに、1649年には斬首刑に処されるものの、巨匠やヴェネツィア派の大画家、当時最も名を馳せていた画家などを始めとした芸術作品の熱心な収集家でもあった。 このような芸術に関し造詣深かった王チャールズ1世の期待に答えるべく、本作では公式的な肖像画でありながら、ルネサンス期の古典芸術を思わせる詩情に溢れた理想主義的な描写手法が示されていることも大きな特徴のひとつである。 長らくルプレヒト・フォン・プファルツ公子の肖像とされてきたが、近年の研究によって、おそらくはサヴォイ家の公子ボルゴマネロ侯爵カルロ・エマヌエーレ・デステの肖像と考えられるようになった本作は、弟の肖像画と合わせ対画として制作されたと推測されている。 本作のいかにも貴族的な気品と優雅に満ちた立ち振る舞いや雰囲気は、後に英国内において最も規範的とされるようになるヴァン・ダイクの肖像画の大きな特徴のひとつであり、1632年に当時の英国王チャールズ1世の宮廷画家となった画家の肖像画の中でも秀逸の出来栄えを見せている。 おそらくカルロ・エマヌエーレ・デステが12〜13歳頃に描かれた本作では、少年的なあどけなさの残る端正な面持ちなど対象の個性を活かしつつ、尊位と優美の絶妙なバランスによって貴族の肖像画として公式的な役割を担う極めて洗練性の高い肖像画に仕上げられている。 このような表現は現在、一般的に語られるヴァン・ダイクの肖像画の最も典型的な表現として広く認識されているだけではなく、英国における肖像画の方向性を示した重要な表現手法としても、その役割は非常に大きい。 画家の師であり、多大な影響を受けていたも同主題を手がけているが、師の作品とは異なり、受難者イエスの苦痛の表現は緩和され、その表情には死に対してある種の甘美性が示されているのが大きな特徴のひとつである。 また聖母マリアのやや誇張気味な身振りの大きい描写や、うなだれ顔を覆う天使の悲壮感漂う描写は、迫真性や主題表現においてヴァン・ダイクが生涯に手がけた宗教画の中でも秀逸の出来栄えを見せており、特筆すべき画家の代表作としても、本作は広く知られている。 1775年にデュ・バリー夫人から購入され現在のルーヴル美術館に所蔵された、通称『狩猟場の王』と呼ばれる本作は1632年から宮廷画家として仕えた当時の英国王チャールズ1世の狩猟姿を描いた肖像画で、今日までに言われる肖像画家としてのヴァン・ダイクの名声を決定付けた画家随一の代表的な作品とされる。 狩猟場に悠然と立ち振る舞うチャールズ1世は国王としての偉大なる威厳と尊格に満ちており、本作を見る全ての者を圧倒する。 しかしそれまでの英国王族を扱う肖像画の窮屈で形式ばった堅苦しさは影を潜め、品位を感じさせる高度な色彩表現と、性格をも描ききる人間味溢れる人物描写によって肖像画の新たな一面を示すなど非常に豊かな表現を用いている。 また画面右部の風に揺らめく巨木の葉に見られる自由闊達に動く筆跡や大気感を感じさせる遠景の表現など細部にわたり画家の優れた力量が示されている。 本作に代表されるヴァン・ダイクが手がけた肖像画は、その後の英国の肖像画の基礎となっているほか、同国のアカデミズムにも多大な影響を与えたことが知られている。 Copyright C Salvastyle.
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第3回 フィルジル・ファン・ダイク <クーマン親子との縁> 父がオランダ人、母がスリナム人のフィルジル・ファン・ダイク。 193cm、92kg。 大きく、速く、強く、柔らかい体は、現代最強のフットボーラーと言われている。 ほとんどジムワークもしていないそうだから、遺伝子の力は脱力したくなるほどに偉大である。 現代最強のフットボーラーと言われる、リバプールのDFファン・ダイク トヨタカップでミランが来日した時、フランク・ライカールト(1980-90年代にアヤックスやミラン、オランダ代表で活躍)を間近で見たことがある。 ユニフォーム姿での撮影現場だった。 太モモの筋肉は、まるで牛のようだったのを覚えている。 トレーニングどうこうでつくられたものではなく、まさにモノが違うという印象。 彼もスリナム人の血が流れている。 17歳の時に1年で18cmも背が伸びて、センターバック(CB)へコンバートされている。 SBとしてはさほど優れた選手ではなかったという。
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