ドラゴンクエストユアストーリー ネタバレ。 『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』オチに激怒した理由と具体的改善案を語る(ネタバレなし+ネタバレ感想)

【ネタバレあり】『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』論争巻き起こる作品構造を読み解く|Real Sound|リアルサウンド 映画部

ドラゴンクエストユアストーリー ネタバレ

観てきました。 感想を書くべき作品だと感じたのでこうして記事にさせていただきました。 以下記事を読む前の注意点• 映画の核心を含むネタバレがあります• 約12000字の長文です• 辛口評価です• 同時期に公開された『劇場版 Over Quartzer』の内容に触れて比較する箇所があります 以上を承知の方のみお読みください。 まず最初にこれだけは誠意を以て伝えます。 この映画は親子連れで観に行ってはいけません。 もしかしたら世のお父さんお母さんは、上映後に瞳を輝かせている子供に対して「これがぼくわたしが昔夢中になってたゲームなんだよ」とちょっぴり自慢げに語る情景を想像しながらこの映画を観に行く計画を立てているかもしれませんが、そのような光景を実現することは不可能です。 この映画は5をプレイしたことがない子供が観ても楽しめないし、お話を理解することができません。 この作品は5をプレイした大人の懐古のために作られています。 なので絶対にを知らない子供を連れて行ってはいけません。 私たちは、子供から大人に成長する中で、いつの間にか挑戦する心というものを失っていたのかもしれません。 なけなしのおこづかいで買ったゲームや観た映画がつまらなくて「チクショウ!」となる体験をするにはなかなか難しい時代になりました。 にはユーザーたちの生の感想が溢れ、いざお金や時間を使ってゲームや映画に触れようと思えば、その前に必ずインターネットの情報をチェックしてそれが「ハズレでないか」を確認するのが王道です。 雑誌のレビューよりも、匿名板を飛び交う胡乱な情報合戦よりも、それらより遥かに信頼できる上で口コミとして交わされる膨大な情報量の感想たち。 私も最近映画を観るときはなどでなんとなく面白そうという情報をれてから観るようになっていました。 しかし今回のの映画化に、というゲームで幼少期を過ごした私は強い感慨を覚えていました。 その冒険の形はゲームをプレイする人によって違うでしょうが、皆さんが心の中にの思い出をそれぞれの形で持っているように、私も私自身の体験としてのを持っています。 の感想を踏まえて観に行って「いやぁ〜大傑作でしたねぇ」「巷で言われているようにあそこの演出は原作を尊重できていない悪手でしたなぁ」みたいな知った風な口を効くことは簡単です。 けれど、本当にそれでいいのでしょうか? いくらに溢れる感想から面白いか面白くないかを判断できるといっても、この膨大な情報が身近に溢れる現代だからこそ、敢えてそれをシャットアウトすべきときもある……。 この『ユア・ストーリー』と銘打たれた映画を、私は私自身の物語として享受したい。 他の誰でもない、私だけのとして受け止めたい。 なので私は、この映画を予告編などの公式情報以外のネタバレや感想を一切見ず、ただまっさらな私自身の心のみでぶつかることにしました。 もしかしたらつまらないかもしれない。 「こんなのじゃない!」と駄々をこねてしまうかもしれない。 でもそれでいいじゃないか。 面白かった、つまらなかった、感動した、笑った……そんな感情の起伏のひとつひとつが私のという体験を、私自身を作っていくんだ。 もう一度わたしは挑戦したい。 童心に還ってこのという物語を受け止めたい。 そう覚悟した私は、公開日当日に定時退社し、もう子供ではない大人としての生活リズムの身体のまま、けれど心だけはあのときの童心を強く秘めつつ、都内の映画館で『 ユア・ストーリー』を観たのでした。 その結果は。。。 つまらなかった。 いや〜つまらない。 つまらないとしか言いようがない。 どんな作品だったとしても、たとえ原作の想い出を裏切るような体験だったとしても、私は映画を鑑賞することによって生まれる喜怒哀楽の感情をひとつの貴重な体験として尊重しようと思っていました。 しかしこの映画は 《無》でした。 ただただ映画全体が虚無で、ポカンとすることしかできない。 劇場の椅子に座ってスクリーンを眺めている間ずっと退屈で、最初と最後のシーン以外に心がほんの僅かさえも動かないんですよ。 の壮大な世界観とそこで繰り広げられる冒険が《無》という何かに落とし込まれたものを体験してきました。 けれど前情報なしで体当たりで映画を観に行って「失敗した〜」という体験を久しぶりにできて、そういう意味では非常に有意義でした。 まさしくなけなしのお小遣いで買ったゲームがつまらなくて「チクショウ!」となる感覚。 を通じて、子供の頃に持っていて大人になる中で次第に忘れていってしまった冒険心を再び取り戻せた気分です。 ありがとう、(?) これからどこがどうつまらないのかを語るわけですが、それがなかなかに難しいんですよね。 あそこが原作と違くてガッカリしたとか、あの表現がダサくてむかついたとか、そういうのじゃないんです。 前述した通りすべてが《無》に満ちている。 一応、最初と最後のシーンは心が動いたということで、まずは最初のシーンから語るのですけど、いや〜あれには動揺しました。 冒頭にて、魔王が封じられた魔界とそれを封印した天空人、そして勇者だけが扱うことのできる伝説の剣について語られます。 いわばの冒頭のアレが、お馴染みのあのテキストウィンドウで語られていくのです。 正直この演出にはワクワクが止まりませんでした。 そして物語の幕が開くとそこには…… 原作である版のゲーム画面がドカン!と表示されていた。 主人公(リュカ)を出産するパパスとマーサ• 船で旅をする主人公とパパス• レヌール城にておやぶんゴーストと対決する主人公と• のゲレゲレを仲間にする主人公 これらの展開が実際のゲーム映像と共に繰り広げられていきます。 ポスターと予告編にて3DCGで描かれたキャターたちを観ていた私は、凄まじい動揺を受けると共にこれらの映像が示すものに次第に気づいていきます。 「これ、ダイジェストか?!」 わかってはいた。 一本の映画に5の壮大な物語がそのまま収まるはずがない。 どこかしらの要素をオミットしたり、物語の筋書きを大幅に書き換えたり、ゲームから映画にメディアが変わる以上は様々な描写の見せ方が変わってくるのは承知していた。 しかしまさか実際のゲーム画面を用いてダイジェストにするとは。。。 たしかに原作付きの作品で諸々の商業的縛りによりダイジェストを展開しなければならないとき、一番やりやすくてなおかつ観客の間にも齟齬が発生しない方法が何かといえば、そりゃまぁ原作をそのままやることなんですよね。 最初に「親子連れで観に行ってはいけない」と書いた理由のひとつがこれで、 劇中で語られる「との出会い」「フローラとの出会い(版は幼少期にフローラと出会うシーンはないのだけどダイジェストではいい感じに捏造されてる)」「ゲレゲレとの出会い」「ゴールドオーブの入手」は全てゲーム画面のダイジェストで終わるため、 原作を知らない人は後にと再会し、フローラと再会し、ゲレゲレと再会してもなんのことやらさっぱりなんです。 ゴールドオーブなるものを幼少期の自分が持っていたので時間を超えてそれをすり替える……という流れも映画一本だけでは意味不明です(5を象徴する物語上のギミックのひとつなので削りたくないのはわかるけど。。。 ) この時点で「この映画は単体で作品として成立させる気はない」ということに気づき、私は作品を鑑賞する心構えを大きく変えることになります。 そんなこんなで壮大なの世界観を原作のゲーム画面そのままで表現したダイジェストの後、パパスがゲマに焼き殺されるところから実質の物語が始まります。 そしてその実質の物語が限りなく《無》なんです。 心が全く揺れ動かない、虚無の冒険が幕を開けます。 とりあえず以下の箇条書きを読んでください• 住人が兵士ひとりとヘンリー王子しか描かれない(そこが城ということすら認識できない)• 雪中に佇むパパスの一軒家のみ描かれる(ただの一軒家なのでという単語が村の名前と理解できない)(妊娠〜出産を経る月日が描写される間もずっと降雪してる)• ルドマンとフローラしかいないルドマン邸(使用人とかはが怖くてみんな逃げちゃったのかな?)• 原作では村人に話しかけることでその村の生活や状況などを推察したりできるが、この映画の村人はガヤ以上の喋りはしないモブなので、その村や街の人々の暮らしは見えてこない• そのため魔王と魔物が世界を脅かしている様子がイマイチ見えてこない(それっぽく侵略の様子が描写されるが宙に浮いている)• 劇中の重要な設定として天空人の単語が繰り返し語られるが、魔王を封印した彼らがかつてどのように暮らしていたのかなどのバックボーンは一切描写がない(もオミットされている)• ことが登場するが、彼についてのバックボーンも一切ない• やなどの名前がちらりと出てくるが、さりとて世界観を補強する役割はなく、映画としては不要なただの無駄情報として提示される• 街の移動が世界地図の表示や航海する船のカットで済まされる箇所が多すぎる• 「やくそう」と「てんくうのつるぎ」以外の名前がついたアイテムは登場しない• などの状況により映画の世界がの世界だという認識が持てない 3DCGで描かれた『 ユア・ストーリー』の世界はの世界として成立していません。 それどころか以前にひとつの「世界」としてすら成立していません。 そこで起きる出来事を私は「世界」を舞台にした「冒険」と受け止めることができませんでした。 えげつないと感じたのは、兵士とヘンリーしかいないやパパスの家しかないが3DCGで描かれる度に、私の脳みそはそれらを補完するべく必死にのドット絵で描かれたマップ画面を思い出そうとするんです。 目の前で3DCGの映像が流れているのに、それを補完するためにドット絵を思い浮かべる必要があるってどういうこと? 3DCGで描かれる壮大なの世界を堪能するために映画館へ足を運んだはずなのに、実際はドット絵で描かれたゲームの方が遥かに世界の豊かさに満ちあふれているんです。 そんなのアリか? そして世界観のみならず物語においても、様々な虚無が私を襲います。 サンチョって誰?(の設定はオミットされているのでパパスに付き従う召使いっぽい言動の彼が誰なのかは最後までわからない)• 大神殿を建設する奴隷として働くが、その大神殿は最後までその映像が描かれず、何のために石を運んだりしていたのかが最後までわからない(最終決戦の舞台は大神殿の上空にある場所)(掘った穴をまた埋め直すとかそういう類のやつかな?)• ヘンリーはダイジェストが終わるといつの間にかから攫われて、次の場面で気づけば隣にいて一緒にゲマに捕まり、その後大神殿を脱出するとすぐに場面が移り、結局何故彼がそこにいたのかよくわからないまま別れる(ヘンリーが物語に存在する意味は最終決戦にその他大勢と一緒に助太刀に駆けつける以外にない)• 「のルドマンが天空の剣を持っているらしい」「大神殿城下街ではが人間に化けているらしい」と物語を進める情報が特に捻りもなく登場人物から「そういえばこんな話があるよ」とばかりに素で提示される• 上に同じく登場人物が唐突に「!」「!」と叫びながら嵐や炎を呼び出す。 いやわかるよ?それがMPを消費して発動する魔法という行動で、レベルアップすることでそれらを取得し、モンスターとの戦闘を優位に運ぶことができるのは知ってる。 フローラが主人公の持つ本当の気持ちに気づかせるため占いばあさんに変身してとの仲を取り持つが、どうして彼女が他人に変身したり真実の愛に気づけるような薬を持っていたのかは一切説明されない(変身は的な魔法と推察できるのだけど、そもこの世界における魔法という概念がロクに説明されていない)• 最初はフローラを結婚相手として考えていたが、薬を飲んで深層意識に沈み自己暗示をアンロックすることでその奥底にある最愛の相手がであることに気づく。 しかし全てが理屈の上の物語展開と演出であり、そこに観客が感情移入できる余地は一切ない• 「背中を任せられる相手が本当に大切な人なんだ」と喧嘩しながらも一緒に冒険をしてきたを結婚相手に選ぶが、幼少期のとの想い出はダイジェストのゲーム画面でしか描かれないので、映画の登場人物としてのオリジナルの性格付けをされたとした冒険や観客としての彼女への思い入れは、の近所の穴でと対決した以上のものがない• 尺の都合上あらゆる出来事がまさしくイベントをこなすかのように進行するので、に来て結婚イベントが発生し結婚相手を選ぶまで劇中で一晩の時間しか経っていない。 もフローラも実質に来て初めて登場したキャターなので、ワンナイトの勢いで結婚相手を即決しているような状況• 天空の剣を鞘から引き抜けない主人公は真の勇者ではない!といった描写が頻出するが、息子が天空の剣を引き抜く肝心のシーンは「石化が解かれた!すごい年月が流れてる?君は僕の息子?あっ間違えて天空の剣を渡しちゃったらなんか使いこなしてるよ!」ぐらいのスピード感で描かれるので感動する余裕すらない• 劇中でことわざの誤用にツッコミが入るシーンがあるのだけど、そもファンタ世界で日本のことわざが出てくるのがよくわからない(全体的な台詞回しにおいても「やばい」みたいな俗な言葉遣いが多く、もちろん原作ゲームの台詞で物語を進行させるのは無理なので脚本家の色を出す必要があるのだけれど、それにしてもどこか世界観にそぐなわない違和感を覚える)• 物語のテンポがめちゃくちゃで、謎の説明シーンに?となったり「ここが盛り上がるところですよ!」と暗に言ってくるようなシーンに「お、おう」と無理やり感情を高めなければいけなかったりする が映画化され、その物語が5を下敷きにしたものになると知ったとき、私は心の中で「なるほど」と頷きました。 5は親子三代に渡る物語です。 父の志を受け継ぐ息子。 家族愛というものは普遍的なテーマです。 5を原作として選ぶことにより、家族愛といった要素に乗せて、を知らない人も心揺さぶられる物語を届けることができる……映画を観る前までは5というチョイスにただ唸ることしかできませんでした。 しかし実際は違いました。 この映画に家族愛みたいな要素はありません。 ちぐはぐなダイジェストと物語進行で、親子三代のドラマを感じることすらできません。 「本当の勇者は主人公ではなくその息子だった!」という5最大のギミックすらあやふやです。 親から子へ継がれる親子三代のドラマが成立してない• 結婚相手を選ぶにおけるドキドキ感やら恋愛やらのドラマも成立していない• 原作ゲーム画面でダイジェストをしている以上、一本の映画として成立させることを諦めている• かといって割り切って原作の雰囲気を懐かしもうとしても、の世界観を表現することさえできていない そんなこんな破綻を抱えたまま物語はクライマックスへ。 最後の最後で復活した大魔王は、実はと置き換わって世界に介入したウイルスであり、なんとこの世界が仮想現実のゲーム世界だったことが判明します。 それにより主人公以外のゲーム内時間は停止し、3DCGはテクスチャを剥がされ灰色のポリゴンとなり、そのポリゴンは分解されて塵へと消えていきます。 絶望する主人公。 主人公は現実世界においてただの平凡な会社員であり、をリメイクした仮想現実を体験できるゲームにおいて幼い頃にをプレイした想い出に浸りながら主人公になりきっていただけだったのです。 この瞬間、この物語におけるあらゆる謎が解かれます。 本当に自己暗示だった) Q.どうしてには兵士とヘンリーしかいないし、はパパスの家しか出てこないし、全体的に3DCGによる世界観の表現がガバガバなの? A. ゲームだから Q.どうしてこの映画はちぐはぐでめちゃくちゃでつまらないの? A. ゲームだから Q.ユア・ストーリーって? A. ゲームだから そういうことだったのかリリン……となるばかりの超展開。 これまでの物語がどんなにつまらなくても、それがゲームだったからと言われたら仕方ありません。 つまらないことさえ伏線だったのです。 なるほど〜そういうことだったのか〜ゲームだったらつまらなくても仕方ないな〜 ってそんなわけあるか!!!!!!!!!!!!! 「実は全部ゲームでした」というどんでん返しがこの映画が娯楽作品として破綻していて一時間以上《無》の映像を観せられることの免罪符になるかといえば全くなりません。 しかしこの物語展開が、この映画が、スタッフ一同によって真摯に作られているということは観客の私にも伝わってきました。 「そもそも一本の映画でをまともにやるなんて無理でしょ」 そんなスタッフの心情が、ゲームの世界として切り捨てられ破壊されていく3DCGのキャターを通じて伝わってくるようでした。 そうです。 無理なんです。 私は子供の頃は、つまらないゲームや映画に「どうして大人たちはこんなつまらないものをさも面白いかのような嘘の宣伝をしてこの世に送り出してユーザーを失望させるのだろう……」みたいなことをぼんやりと考えることもありました。 でも今の私は大人です。 大人の私は、普段私たちが楽しんでいるゲームや映画はたくさんの人々が携わった結果であることを知っています。 良い結果を出すには人・金・時間が十分に用意されている必要があり、そして現実とは往々に残酷でそれらが不十分なまま物事に取り掛からなければならないことがあるのです。 『 ユア・ストーリー』はそれらが不十分な作品でした。 家族愛という方向性で一般層にウケることを狙うためにも、往年のファンの懐古をくすぐって満足させるにも、それらを達成するために原作ゲームの要素をうまく再構成して一本の映画として再構成する技術を持つスタッフは存在しませんでした。 そもそも映画の尺的に無理でした。 3DCGは予算の都合で町や村の情景をの世界観に落とし込んで表現することはできませんでした。 もちろんキャターたちの表情は豊かで、アクションシーンもグイグイ動き、決して品質が悪かったというわけではありません。 ただ日本の3DCGによるアニメーション表現の限界がここまでであり、ドット絵で壮大な世界観を表現していた原作が3DCG以上に偉大だった……それだけの話です。 しかし背負うのはの看板。 声優は豪華俳優陣。 一本の映画が作られるまでにはたくさんの利害関係者が関わっています。 そんな方々のためにも、プロとしての矜持のためにも、仕事で食い扶持を稼いで家族を養うためにも、決して途中で「こんなの無理だよ!」と投げ出すことはできません。 もし「ゲーム世界でした」というオチがなければ、この映画は何の価値もない駄作だったでしょう。 よくあるつまらない実写映画化と同系列……という烙印を押され、よくあるたくさんのメディアミックスにおいて恵まれなかった作品としてすぐに人々の記憶から消え去っていたはずです。 もちろん駄作の烙印と人々の記憶からの消失は避けられないでしょうが、この「ゲーム世界」というオチは映画を観に来た観客にどんなに小さくとも「オッ」と思わせるものがあったのではないでしょうか。 ウイルスによって破壊されるゲーム世界。 悲痛な叫びを上げる主人公にウイルスは告げます。 「大人になれ」 主人公のへの想い出を、ゲームという体験を、まるっきり否定する言葉。 「実はおれはウイルスに対抗するワクチンなんだ!おれの力を使え!」 ちなみにこの瞬間はじめて喋ったスラリンのCVはさんです。 映画から迷い込んできたのかな? そんなスラリンを媒介に召喚されたのはを思わせるシルエットをした光り輝く剣。 幼い頃からという作品が自分に与えてくれた勇気を糧に、偽物と切り捨てられたこのゲーム世界を通じた冒険がたしかに現実の経験として心に在ることを信じ、主人公が振り下ろした剣はウイルスを斬り裂くのでした。 こうするしかなかった。 破綻している物語をそれでも物語として繋ぎ止めるには、これしかなかった。 この映画において結局最後までウイルスやらワクチンがどういう存在なのか、どうしてそこに在るのかは判明しません。 でもこれでいいんです。 真の敵は「こんなのゲームでしょ」とゲームの体験を否定する存在であり、そしてそれに抗うのは幼い頃にゲームを通じてワクワクを体験した主人公のゲームの体験を信じる心なのです。 真の敵に抗うためのキーとなるのがスライムとなのは、それがという物語の象徴だからなのです。 実はこの世界そのものがひとつの本だった。 私もいくつか思い当たる節がある中で、映画を観ながら類似点を強く感じたのは、同時期に公開された映画『劇場版 Over Quartzer』でした。 映画のテーマと同じくも子供たちの夢を背負って立つ作品。 平成が終わり令和の世へと踏み入れた時代において公開されたこの映画もまた、映画と同じくメタな展開をする作品でした。 映画内でタイムスリップの描写があるも、辿り着いた戦国時代におけるにおいては馬を使う予算がないせいか、武田軍の騎馬隊がなんと騎馬戦で表現されます(は?) そんなムチャクチャな展開の後に待ち受けるラスボスは「平成をやり直す」という目的を掲げていました。 ラスボスの目的は、これまで20作品の間で色々とムチャクチャだったの歴史をやり直し、凸凹な世界観を統一してキチンとした作品として舗装することだったのです。 「そもそもこの作品つまらなくない?」という究極のメタが敵となる映画において、しかし主人公たちは諦めず「たとえ凸凹でもこの平成という時代を生きてきた自分たちの一歩一歩を信じる」という信念の前にラスボスは(いわゆる令和おじさんのパロディのポーズをしながら爆散して)敗北します。 物語世界に対するメタで作品を成り立たせている両映画ですが、しかし私が感じる作品への評価はまるで違いました。 例えるなら、映画はジオウ映画における騎馬戦のシーンだけを100分近くひたすら流して、最後の1分で平成キックをしたような作品。 「どんなに凸凹でもこれが俺たちの生きた時代なんだ! それを否定なんてさせない!」 というメッセージは立派でも、そこに至るまでが騎馬戦100分だったら「いやこれが平成を駆け抜けた軌跡なのだとしたら平成やり直したほうがよくない?」ってなっちゃうじゃないですか。 そもそも映画はメタを語る前に本筋がつまらない……虚無なんですよね。 映画の最後に出てくるメタの部分は「最高!と共に青春を過ごした俺たち最高!」みたいな話以上に、そもそも 物語が破綻しているのをどうにか作品として繋ぎ止めるためにやっているわけで、それが終盤までの物語がつまらないことへの免罪符になるかといったら前述の通りならないわけです。 最後に何をやっても、私が映画を観ている約100分は「 つまらない」という感情でいっぱいだった。 最後のメタ展開はそのつまらなさへの言い訳でしかなかった。 そもそも本気でメタ展開で物語を成立させるなら、序盤の時点でこれがバーチャル世界だと提示するだとか、もっと他のやり方があったはずなんですよね。 『スライムはの象徴!そこから引き抜かれるで、ゲームなんて嘘っぱちなんて言うやつに見せつけてやろうぜ!』 これはラストの展開で伝えたかったであろうメッセージを私の言葉で書き起こしたものです。 言いたいことはわかる。 わかるよ。 でも伝わらない。 例えば「ゲームなんてくだらね〜笑」といじめられてた少年がそれでもゲームの可能性を信じて、大人になってゲームデザイナーになったり、そうでなくてもゲームがあったからこその人生を送る映画のラストがこれだったら感動していたと思います。 でもこの映画で「所詮ゲームなんて嘘っぱち」という話が出てきたのはラスト10分未満くらいのところなわけで、そこで「それでもゲームの可能性を信じる俺たち!泣」みたいな話をされても呆然とすることしかできませんよ。 スラリンの「おれはワクチン!(CV. )」で私は考えるのをやめました。 でも最初に述べた通り、やはりこういう「つまんない映画観ちゃったな〜損したよ」みたいな体験も、大切な経験だと思うんですよね。 映画の中ではをプレイする幼い頃の主人公は瞳を輝かせていましたが、現実ではパパママからの誕生日プレゼントとかで買ってもらったゲームがとんでもないで後悔するとかそういうこともあったはずなんです。 面白いだとかつまらないだとかそういった喜怒哀楽の経験が全部ひっくるめて人間を形作る糧となり、そうして人生というものは続いていく……。 人によってはラストの展開を「観客に対して不誠実だ」と思うかもしれません。 でもあれだって映画の制作スタッフが一生懸命頑張った結果なんです。 私はあの結末を(クソつまらなかったという形で)受け入れています。 私が映画を観た劇場では、の仕事終わりに映画を観に来たスーツ姿のサラリーマンたちが映画が終わると同時に「まぁ、仕方ないよね」と口々に話していました。 私たちは子供から大人になったのです。 そしてその中で成長したのです。 「仕方ない」を大人になったが故の諦めとして捉えてしまう人もいるかもしれません。 けれど私はそうは思いません。 「仕方ない」という言葉は諦めではなく赦しなのです。 広い視野を以て物事を捉えられるようになった大人による、誰かの失敗を受け止めてその心情を慮って許すという優しい心なのです。 どんな映画作品にもそれに仕事として取り組んだスタッフたちがいる。 作品への評価は別として、誠実に作品と向き合ったスタッフに対して、最低限の敬意を持ちたい。 という作品に触れて育った私ですが、決してゲームのキャターのようにカッコよく優しく強い存在にはなれません。 ありがとう、 ユア・ストーリー ありがとう、こんな映画を観ても赦せるだけの懐の深さを作ってくれたジオウOQ たとえどんなにつまらなくてもそれが「ユア・ストーリー」だと言われてしまったからには、それが私という人生の物語の一部に組み込まれてしまったという事実を受け止めて生きていくよ。 でもまだ観ていない方は、わざと地雷を踏んで「こりゃひで〜わ笑」となる遊びをしたい方以外は観ない方がいいよ。

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ドラゴンクエスト ユア・ストーリー

ドラゴンクエストユアストーリー ネタバレ

ところが、パパスは道中での魔物たちとの激闘で非業の死を遂げてしまいます。 それから10年後、故郷に戻ったリュカは「天空のつるぎと勇者を探し出せば、母を救うことができる」と書かれた父の日記を発見。 パパスの遺志を受け継ぎ、冒険へと旅立つのでした・・・ 「ドラゴンクエスト ユア・ストーリー」ネタバレ 物語は主人公リュカ(声:〔幼少時代〕 大西利空 〔青年期〕佐藤健)が産まれるところから始まります。 父親のパパス(声:山田孝之)は息子の誕生を喜びます。 しかし幸せは束の間で終わりってしまいます。 妻・マーサ(声:賀来千香子)が何者かに連れ去られてしまったのです。 パパスとリュカはマーサを探す長い旅に出ました。 パパスは段々と成長してゆくリュカに剣の修行をつけながら、世界各地を巡ってマーサを探し続けました。 リュカも旅を通して勇気ある少年に成長し、幼馴染のビアンカ(声:有村架純)とレヌール城でゴーストを倒してオーブを手に入れるまでになりました。 そして親子はラインハット国にやって来ます。 その国の王子・ヘンリー(声:坂口健太郎)は、口調は偉そうですが心は優しく、リュカとすぐに仲良くなります。 しかしある日、王子は魔物にさらわれてしまいます。 パパスとリュカはすぐに救出に向かいますが、あと一歩のところで姿を現したゲマ(声:吉田鋼太郎)にリュカを人質に取られ、パパスは抵抗できずに命を落とします。 そしてヘンリーとリュカは奴隷としてゲマの城に連れていかれてしまいます。 そして10年が経ちました。 奴隷として城の建造にこき使われていたリュカとヘンリーは死体に化け、樽詰めになって脱走する計画を思いつきます。 何とか計画通りに城の外には逃げだせたものの、すぐに見つかって追いかけられ、危ない所を街の酒屋・プサン(声:安田顕)に助けられます。 彼はゲマに対抗する為に情報を集めていたのです。 そして、城の情報と引き換えに2人をラインハットに帰してくれました。 久しぶりに王宮に辿り着いたヘンリーは、自分の為に命を落としたパパスと、危険を顧みずに一緒に逃げてくれたリュカに心から感謝し「いつか困った時には何を置いても駆けつける」と約束してくれました。 ヘンリーと別れたリュカは、昔パパスと暮らしていた小屋に戻り、従者サンチョス(声:ケンドー・コバヤシ)と再会します。 そしてパパスの日記を見つけ、マーサが魔王ミルドラースの封印を解く呪文を知る天空人で、再び封印するには天空の剣と天空人の血を引く勇者が必要で、リュカがその勇者であると思っていたと知ります。 そして、天空の剣を持つ大富豪・ルドマンに会う為にサラボナに向かいます。 キラーパンサーのゲレゲレとスライムのスラりんが仲間になり、魔物を倒しながらの過酷な旅を経て、リュカが遂に辿り着いた時、サラボナの街は無残に荒廃してしまっていました。 実はサラボナには3つ目のモンスター・ブオーンが住み着き傍若無人に暴れまわっていたのです。 困り果てたルドマンは、ブオーンを倒した者と娘・フローラ(声:波留)を結婚させると御触れを出していました。 リュカは、最初はブオーンの退治などする積りはなかったのですが、天空の剣がブオーンに持ち去られたと知り、渋々ながらブオーン退治に向かいます。 しかし、突然現れた巨大なブオーンにあっという間に返り討ちにあってしまいます。 命からがらで宿屋に逃げ込み「薬草は・・・ありませんか・・・」と倒れ込んだリュカに薬草を恵んでくれたのは成長したビアンカでした。 実は彼女もブオーン退治に街にやってきた一人でした。 リュカは天空の剣、ビアンカは巨額の報酬を手に入れる為、二人は協力してブオーンを倒す事になりました。 再びブオーンの住む洞窟へやって来たリュカ達は、ビアンカがブオーンを引き付け、その間にリュカが剣を取り戻してブオーンを倒す作戦に出ます。 魔法で首尾よくブオーンの注意をひき、天空の剣を手にしたものの、リュカがいくら頑張っても剣を抜くことは出来ませんでした。 リュカもビアンカもガッカリしましたが、ブオーンは容赦なく襲ってきます。 追い詰められたリュカはブオーンの額の目を攻撃した時にひるんだことを思い出します。 不意を突き、バギで翼を攻撃して地面にたたき落としとどめを刺そうとします。 しかし、忠誠を誓うと約束させて解放します。 街に帰ったリュカ達は英雄として大歓迎されます。 そして、ビアンカに後押しされてリュカはフローラにプロポーズします。 フローラは顔を真っ赤にしてOKしてくれました。 自分が結婚する喜びをかみしめているリュカでしたが、奇妙な占いババから本当の自分の心がわかるという聖水を渡されます。 「そんなものは必要ない。 本心はきまっている」と強がるリュカでしたが、結局飲んでしまいます。 そして、自己暗示の先にある自分の本心、「ビアンカが好き」ということに気づいてしまいます。 その翌日、ルドマンに婚約破棄をもうしでてから、あらためてリュカは、ビアンカにプロポーズをします。 最初は驚いていたビアンカも、リュカが真剣だと知ってプロポーズを受け入れます。 そして二人はリュカの故郷に帰って夫婦となり、やがて息子・アルスが産まれます。 しかし、幸せは長くは続きませんでした。 ミルドラースの封印を解く呪文をマーサが教えない事に業を煮やしたゲマが、リュカを連れ去ろうと再び襲ってきたのです。 リュカはビアンカ、サンチェス、アルスを逃がしますが、ゲマによって石像にされてしまいます。 実はゲマはビアンカも天空人の末裔であることを見抜いていました。 そこで彼女を追いかけ自分の城へ連れ帰りますが、サンチェスとアルスには気づかず逃してしまいます。 自分の城に帰ったゲマは、ビアンカを使ってマーサから封印を解く呪文を聞き出そうとしまうが、彼女はそれに応じず抵抗し、結局はリュカと同じように石像にされてしまいます。 それから8年後、アルス(声:内川蓮生)はサンチェスと共に深く空いた穴の底から魔法のアイテムを奪う事に成功します。 しかし、そこを守っていた魔物たちに見つかり追いかけられてしまいます。 ルーラーで逃げて来たアルスはアイテムを使ってリュカの石化を解きます。 元に戻ったリュカは、突然大きくなった息子との再会に驚きながらもアルスを追いかけてきた魔物たちと戦います。 その戦いの最中、天空の剣を手にしたアルスはそれを鞘から抜き、魔物を一瞬で倒してします。 アルスこそ伝説の天空の勇者だったのです。 そしてリュカ、アルス、サンチェスの3人はゲマの城へ向かいます。 ゲマを倒す為に協力してくれるマスタードラゴンを探そうとプサンの酒屋を訪ねた3人は、実はプサン自身がマスタードラゴンの化身であると打ち明けられます。 しかし、彼は変身を解くのに必要なドラゴンオーブを失くしてしまっていました。 リュカが持っていた、昔ゴーストから取り返したオーブも偽物でした。 そこでリュカは何でも願いを聞いてくれると言う妖精王の元に向かいます。 周囲を守るロボットの攻撃をすり抜け、妖精王に会う事の出来たリュカは、過去に戻って少年だった頃のリュカの持つ本物のオーブとすり替えて持ってくるように言われます。 過去に戻ってまだ長に自分に巡り合ったリュカは、その純粋さに感動しながらもオーブをすり替える事に成功します。 「ドラゴンクエスト ユア・ストーリー」ラスト最後の結末 元の時代に戻ったリュカは、ドラゴンになったプサンに連れられてゲマの城に向かいます。 そこで石化されていたビアンカの魔法も解き、アルスが探し求めていた勇者だったと告げます。 マーサとも再会しますが、その直後に彼女はゲマに殺されてしまいます。 リュカ達もまた、待ち構えていた魔物の大軍に襲われます。 追い詰められ、もはや一巻の終わりと思われたその時、かつて命を助けたブオーンとヘンリー王子率いるラインハット軍が駆けつけます。 そして、リュカとアルスは協力してゲマを倒します。 しかし、ゲマは最後の力を振り絞ってエマの頭の中から封印を解く呪文を見つけ出し、魔王を復活させて息絶えます。 魔王を再び封印する為、アルスはブオーンに空に広がる穴に向かって自信を放り投げてもらい、見事に穴に天空の剣を投げ入れる事に成功しました。 その時、リュカ以外のすべての物が時が止まったように停止してしまいました。 驚くリュカの前に、封印したはずのミルドラース(声:井浦新)が姿を現します。 そして、自分は、仮想現実のゲームに浸る愚かな人々を目覚めさせるためにハッカーが送り込んだ、ミルドラースの姿に扮したコンピューターウィルスで、これまでの話は全てバーチャルリアリティー装置を使った仮想現実だったと告げます。 リュカは、本当は記憶を一時的になくして自分を本物と思い込んだゲームのプレイヤーだったのです。 ミルドラースによってゲームの世界は消え去り、リュカも現実に引き戻されようとした時、スラりん(声:山寺宏一)が現れます。 実はスラリンは仮想現実を壊そうとするウイルスに対抗するアンチウイルスプログラムだったのです。 スラりんとリュカの想いの強さはミルドラースの力を跳ね返し、ゲームの世界は元に戻りました。 気が付くと、リュカは再びゲマの城にいました。 周りには魔物を倒したビアンカやアルス達がいました。 そしてリュカは平和になった世界を旅して皆と故郷に帰ったのでした。 「ドラゴンクエスト ユア・ストーリー」見どころ 大人気ゲーム「ドラゴンクエストV 天空の花嫁」のストーリーをベースにした作品です。 数々のCG作品を手掛けてきた山崎貴が総監督と脚本、監督は八木竜一と花房真というだけあって、ゲームの壮大で美しい世界が見事に3Dアニメ化されていました。 また冒頭のゲームの画面を再現したシーンは、少しでもドラクエの事を知っているものならドキドキせずにはいられません。 作品中にはいくつもの名シーンがあります。 ミルドラースに現実世界に引き戻されそうになったリュカが叫んだ「ゲームがくれた思い出は現実だ!」と言う言葉、 自分の命を犠牲にして息子を助けるパパスの勇気、 ヘンリー王子の「お前が困った時はいつでも駆けつける」と言う別れのシーン、 ビアンカを選んだ時の「生涯の伴侶は何でも言い合える人だ」と言うリュカのプロポーズ、 石化が解け少年に成長したアルスと再会した時の「一番かわいい時を見逃しちゃった・・・」「これから、それを埋めていけばいい」というリュカとビアンカの会話は、家族や仲間との絆のありがたさを思い出させてくれました。 中でも、ドラゴンクエストのテーマ曲と共に天空の剣をアルスが抜き放つシーンは正に圧巻です。 ロールプレイングゲームの最高傑作を基にしているだけに、どれも強く心を揺さぶりました。 確かにゲームや漫画の世界は現実ではありません。 しかし、それらが現実世界を生きる上での勇気をくれている事、困ったときや弱気になった時に大切な事を思い出させてくれる事、そうやって時には辛い事もある現実の日々を生き抜いてきた人が大勢いる事を思い出させてくれる作品です。

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【ネタバレ酷評】『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』山崎貴のイオナズンに映画ファンは燃え尽きるチェ・ブンブンのティーマ

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どーも、スルメ です。 非常に難しいですね~、これは! なにが難しいって『ドラクエ』ほど知名度が高く、長きにわたって愛されてるテレビゲームをアニメすることがです! どんなに上手くやっても絶対に批判が出るじゃないですか!『ドラクエ』は特に思い入れが強い「大人ファン」も多いですしね。 しかもドラクエ5でしょ?天空の花嫁でしょ?ドラクエの中でも大傑作じゃないですか! 私の場合完全に世代じゃないんですが、リメイクであるDS版が中学の時ブームになりまして。 ビアンカか、フローラか、はたまたデボラか。 ルドマンの前でめちゃくちゃ悩んだものですw いちおう私も20代前半にしては珍しいと思っている「全作プレイ済み人間」でして、親の影響もあって小学校低学年、いやもっと小さい時からドラクエと共に生きていたと自負しております。 そんな私が観る 『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』。 ドラクエのアニメを観るのは初めてかも。 主人公に名前が付いている時点で「ユア・ストーリー」じゃないやろ!と思いつつも期待半分、不安半分で鑑賞して参りました! あらすじ 敏腕な父・パパスに育てられ、天空の勇者を探す旅に同行していたリュカ。 ある日、お城を襲撃した魔物たちによって攫われたヘンリー王子を助けるため魔物の拠点へと向かった二人だったが、リュカを人質をとられたパパスは抵抗できずにやられてしまう。 パパスを倒したのは大魔王の復活を試みるゲマ。 リュカはゲマへの復讐心、パパスの最後の言葉を胸に奴隷として生活していくのだった。 それから数年。 大人に成長したリュカは共に奴隷となったヘンリー王子と一緒に遺跡を脱出、なつかしの自宅へと帰ってくる。 再びこの家からゲマを倒せる「天空の勇者」を探すリュカの冒険が始まる…! 総監督 総監督は先週公開された 『アルキメデスの大戦』の 山崎貴。 監督ではなく総監督という位置づけですが…。 実写映画はVFXを多用した迫力ある映像を作っていると同時に、アニメ映画でも活躍中。 有名なところだと 『STAND BY ME ドラえもん』ですかね。 『アルキメデスの大戦』は想像以上に面白く、世間的な評価も高かったようですが、今回はどうでしょう? キャスト 主人公・リュカの声優を務めたのは皆さんおなじみ 佐藤健さん! アニメ化するなら『勇者ヨシヒコ』のイメージが強い 山田孝之さんかなぁと思ってましたが、山田さんはパパス役でしたねw ヒロインの二人であるビアンカとフローラにはそれぞれ 有村架純さん、 波留さんがキャスティング! 果たしてどちらを花嫁に選ぶのか。 俺はフローラ派だけど、声優を見ただけでどっちを選ぶかわかる気がするぞ! その他には 坂口健太郎、古田新太、安田顕、松尾スズキ、吉田鋼太郎など、かなり豪華なメンバーになっている印象。 ブオーンを出せるほど尺がないと考えていましたからね。 原作でも大人気?のブオーンの使い方がめっちゃうまかった! ホンネを言えば「子供編」「青年編1」「青年編2」の3部構成にしてほしかったんですがね。 無理を言っちゃあいけません! えー、しかしながらですね。 ラストの展開をどうしても認められんのだよ。 これ賛否どころか否の方が多くなるんじゃね?? 最後まで真面目に脱線せず終わらせることはできなかったものか。 それでは刺激が足りないとでも言うのか。 確かにタイトルの「ユアストーリー」を回収していたけども!これはやっちゃダメなのでは。 終盤まで「おぉ…おおお!!」みたいな興奮があったのに、ひどいよ山崎監督…。 ここから先は『ドラゴンクエストユアストーリー』のネタバレを含みます! まだご覧になっていない方はご注意を!! 感想 ネタバレ 鳥山明先生はどうした! ドラクエと言えば堀井雄二さんの独特すぎるセリフ回し、鳥山明先生のキャラデザ、そしてすぎやまこういちさんの音楽! この3つが揃わなければドラクエではないと言っても過言ではありません! 残念ながら鳥山明先生のデザインは踏襲されているものの、アニメの制作には携わっていないようで、絵のタッチが微妙に気になる点がしばしば。 完全に鳥山絵でやって欲しかったよね。 他の方がデザインしても「鳥山明っぽさ」が随所に出ているんで、参加せずとも存在感を伝えてくるあたり基が物凄いデザインだったのだなと。 特に キラーパンサーとかね。 ゲーム以上に毛並みがフサフサで、動きも良かった。 アニメーションについても書くと、モンスターはどれも最高!メタルハンターの質感とか、前述したキラパンの動きも原作へのリスペクトが感じられます。 対して主人公やビアンカを始めとする人間キャラクターはどうも絵のタッチが好きになれない。 完全に私の好みの話なんですが。 コロコロ動く表情は日本の2Dアニメっぽさが出てて、海外の3Dアニメではみられない良さだと思うんだけど。 それと、たまーに声優の演技とアニメのリアクションが合ってなかったりするんですよねw そこら辺がちょっと気になるかぁという程度でして、 アニメに関してはこれ以上ない「ドラクエ」になっていたと思います。 すぎやまこういち 上の項目で書いた通り、すぎやまこういちさんの音楽もドラクエには欠かすことのできない要素。 これほど耳に残るゲーム音楽を作る人はいないんじゃないかな。 それが原作である「天空の花嫁」からだけでなく、シリーズ全体からとられているですよ!しかも使いどころもファンの気持ちを高ぶらせるものですしね。 特にブオーン戦のラストで使われた 「敢然と立ち向かう」。 確か6のムドー戦の曲だったか。 最新作11でも事あるごとに流れていた記憶が。 まさかあのタイミングでムドーの曲を使ってくるとは!5の曲しか使わないもんだとばかり…。 それとラストのゲマ戦でバギクロスを放った時に流れた 9のラスボス曲 タイトル忘れた !意外とこの曲好きなんですよね~。 シリーズの中じゃ空気が薄いと思われがちな9からも名曲を拾ってきてくれるなんて!しかも序曲のアレンジ使われてるサビ部分!たぶん曲知らなくても感動したわ。 あれ?俺間違ってないよね?これで間違えてたらめっちゃ恥ずかしい…。 この次の項目ではラストに関する重大なネタバレを含みます! 落とされたラスト ここまでは非常に感動して興奮して、涙すら流しかけたものだったのですが、状況が一変!なぜかいきなりの方向転換がやってくるのです。 そう、この世界 劇中のドラクエ世界 がすべてVRだったと言うのでした~。 あーー、やっちゃったー! そんな変にどんでん返ししようとしなくても、じゅうぶん良い映画だったって!!普通にミルドラース倒して終わらせるんじゃダメだったんですか?? 解説いたしますと、ゲマが自らを犠牲にしてミルドラースを復活させようとするんですね。 しかし舞い降りてきたのはミルドラースのデータに侵入していたコンピューターウイルス! 主人公リュカはスーファミで発売された我々も良く知る「ドラクエ5」をプレイし、私と同じくドラクエをやりながら生きてきた普通の青年だったのです。 それが未来のゲームセンターのようなところで発売された「ドラクエ5VR」をプレイしているという、唐突なSF設定w 「大人になれ!ゲームなんてくだらない」とすべてのゲーマーを敵に回す発言をするミルドラース改めウイルス。 それに対し「ゲームは俺の第二の世界だ!プログラムだとしても一緒に戦ってきた仲間は心にいる!」的なことを叫ぶリュカ改めドラクエファンの青年。 ファンなら「こども時代をスキップ」なんて項目選択するわけないやろがい! 最終的にウイルスに対抗するプログラムが作動し、ロトの剣の形をしたウイルス対策ソフトをミルドラースにぶつける流れとなりました。 この展開に目をつむれるだけの心の広さ、もしくは瞬時に受け入れるだけの理解力が私にあれば良かったのですが、残念ながら両方とも持ち合わせておりません。 突然すぎる展開に頭が真っ白になり、最後までやり切らずドラクエにSF展開を持ってきたことに怒りすら感じたのでした。 まとめ 期待していた部分も的中していたし、不安に思っていた部分も的中しためずらしい作品となりました! いや、ね。 どんなストーリーになっても不満は生まれるだろうし、「ドラクエ」をアニメにするってことがどれだけのことか理解できるからこそ本作を好きになりたかった。 でもなー、このラストはちょっとなぁ…。

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