歌詞に過去形の言葉が多いことから、「言って。 」の世界は、 昔の出来事を表現していることがわかります。 また「あまり考えたくなくて」という歌詞より、主人公の女の子は「君」がいなくて悲しんでいることがわかりますね。 そして「いった」がひらがなで表記されている点は、「言った」「行った」「逝った」の3パターンが考えられます。 」から引用 ここで初めて、 「 君」が亡くなっていることが判明します。 主人公は、「君」が亡くなっているという現実を受け入れたくないあまりに、「どこかへ出かけているだけだ、必ず帰ってくる」と考えていたのでしょう。 そして「言って。 」のMVでは、 タコ(蛸)と主人公がビルの屋上に横たわる描写があります。 ここでのタコは、 主人公を悩ませる原因である、いなくなった「君」だと推測できます。 」から引用 「言ってよ。 」「してよ。 」などの口調から、 主人公の「君」に対する思いや不満が溢れ出していることがわかりますね。 n-bunaさんは「言って。 」を通して、 「言葉にしないと、気持ちは伝わらない」ことを伝えたいのでしょう。 」から引用• 」とか神曲が多い• 」が好きすぎてずっと聴いてる• 」が好きすぎてずっと聴いてる 好きすぎてずっと聴いてる ヨルシカの言って。 」のMVが本当に好き ヨルシカまじで最高。 言って。
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米津玄師 打上花火 ひらがな あのひみわたしたなぎさをいまもおもいだすんだ。 すなのうえにきざんだことばきみのうしろすがた よりかえすなみがあしもとをよぎりなにかをさらう ゆうなぎのなかひぐれだけがとおりすぎる ぱっとひかってさいたはなびをみていた きっとまだおわらないなつが あいまいなこころをとかしてつないだ このよるがつづいてほしかった あとなんどきみとおなじはなびをみられるかなって わらうかおになにができるだろうか きずつくことよろこぶことくりかえすなみとじょうどう しょうそうさいしゅうれっしゃのおと なんどでもことばにしてきみをよぶよ なみまをえらびもういちど もうにどとかなしまずにすむように はっといきをのめば きえちゃいそうなひかりが きっとまだむねにすんでいた てをのばせばふれたあったかいみらいは ひそかにふたりをみていた ぱっとはなびが よるにさいた よるにさいて しずかにきえた はなさないで もうすこしだけ もうすこしだけ このままで あのひみわたしたなぎさをいまもおもいだすんだ すなのうえにきざんだことばきみのうしろすがた きっとまだおわらないなつが あいまいなこころをとかしてつないだ このよるがつづいてほしかった 打上花火は映画「打上花火、下から見るか?横から見るか?」の主題歌です。 打上花火の歌詞の意味 あの夏を思い出す 夏に砂浜で君といたあの日を思い出します。 日が沈む夕暮れ、風もなく、あるのはさざ波だけで哀愁を誘います。 あの日の渚で何か大事なものを忘れたような気がします。 けれどもその正体はつかめず、ただ夕暮れの中途方に暮れるしかない。 そんな様子が描かれています。 いつかは終わってしまう。 あの日の思いで 自分のはっきりしない感情を糸に見立てて、花火が開いたその瞬間に緩く解け出し、お互いの気持ちが結びついたという意味。 花火が開いたその一瞬に2人の心が結びつく様子をサビで描いています。 花火を一緒に見る二人、けれども花火はじきに終わりを迎えてしまします。 花火を通じて深まった絆はいつまでその絆が長持ちするのかわかりません。 いつかは終わってしまうと思い、焦りを感じます。 せっかく、花火のおかげで二人の距離を近づけるチャンスを得ることができたものの、時間が足りずに上手くいかなかった。 そんな夏の後悔が今も残って消化しきれていません。 けれども、あの時の夏は笑う君に対して、何か行動を取ろうとしても、何かできるかわからず仕舞い。 じりじりと二人の時間は過ぎ去ってしまいます。 最終列車も迫り、二人の時間の終焉が暗示されているようです。 終わってしまったことを後悔する 今はもう君は目の前にいません。 後悔を胸に君の名前を叫びます。 何もできなかった、あの日の自分を悔やみながら。 絆も花火のようにあっという間に消えてしまった。 残ったのは一瞬の2人の時間だけ。 けれども、未練は自分の心の中に残っています。 もう少し、君と一緒に幸せな時を過ごすことが出来たのではないかと思います。 もう少し、何かが足りていればという思いが感じられます。 過ぎ去った時をただ思い出します。 2人で見た夜の打ち上げ花火、ひととき輝いて、過ぎてしまった花火を2人の絆に見立てています。 消えてしまった花火、そして失われた絆を惜しみます。 けれども花火が消えてしまっても、2人の関係が終わってしまうわけではありません。 あの時、君を離さずにいたら、後悔を何度も何度も味わいます。 あの日よ、もう一度 またしても、あの夏の日のことを思い出します。 打上花火を2人の関係に見立てて、花火を見て過ごした時間は、2人の絆を固くする絶好のチャンスでした。 けれども、何もできずにチャンスを失ってしまい。 今はもう離れ離れ、今となってはあの時、こうしていればと後悔するほかありませんでした。
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この歌をファーストソングに選んだ意図を自分なりに考えてみたり。 最初の曲ってきっと熟考に熟考を重ねて何にするか決めると思うんですけれど(違うかな)ワクワクどきどき息を詰めて待っている空気に走る緊張感、その中で始まる音が自分の知ってるものなのかどうかってすっごく大きいんですよね… なのに。 東京事変も含めてかなり聴いてきてると自負してるんですが、その最初の曲、知らなかったんです…ほんと悲 するめのような ライブが終わってすぐにダウンロードし、聴いたんですが、その当時(2018年5月)はふぅむって感じでそれほど刺さらなかったんですよ、なぜか。 私は曲をメインに聴く方で歌詞をちゃんと聴くっていうのは後からなんです。 歌詞が聴き取れなくてもそのまま放っておいて、聴き続けていく。 それが、ある日突然「くる」んです。 最初からどすんとストライクな曲もあるけれども、こうやって後からじわじわくるするめ系の曲もあり。 WOWOWで録画した「真空地帯」のライブを何回も聴いていたらこの曲が私のこころやからだやいろんな状況にハマって心地よすぎて、やっぱり音楽ってすごいなぁってしみじみしちゃいます。 眩しさと淋しさ 日常のある時間を切り取って、リリカルにこころの奥底を炙り出す。 誰もが持っている単純には割り切れない日々の多層性と立体的に輪郭を浮かび上がらせる椎名林檎のテクニックというか言葉選びというか、もう何もかも脱帽!! 歌詞の全体が自分に当てはまるときもあるし、ひとつの要素がかちっとはまってそれだけでどわぁっと涙が出てくることもあって。 追い掛ける眩しさと追い越す淋しさよ 私が老いていく親に対して感じてること、同じように巣立ちつつある娘達が私に感じてるだろうこと。 それがふたつのスピーカーからステレオみたいに響いてじんじんきました。 行ったきり 今日この一日は行ったきり。 帰ってこない。 でもいつもそれを忘れてしまってまた明日同じ日がやってくると信じてる。 ほんとにね、ありえないのにすぐ私たちは忘れてしまうんですよね。 いろんなことに忙しすぎて。 親はいつまでも元気でいるわけではないし、こどもはいつまでも自分を頼る小さなこどもではない。 椎名林檎はさまざまな歌の中に、この瞬間の刹那のその大切さを織り込む。 私たちはいつも 私たちはいつも 行ったきり 戻れない この「行ったきり」という言葉の持つ重さがね、最近になってずしんと来るんです。 何処が境目 みんな過去のどこかしらの時点に戻りたいなぁって考えることがあるかもしれない。 人生やり直したいって思うこともあるかもしれない。 どこの時点で選んだことが今の自分を作ったのか、後悔や反省がない人生なんてないと思う。 でも、そうやって後悔ばかりして人生やり直したいと思っていても何も始まらないよ、何歳になってもいつの時点でも「今」を生きること、それが大事じゃないのかなって語りかけるんです。 いったい何から制限されているの いいや!最初から自由そのものさ たった今この瞬間をつかまえたい 今の自分に満足できなくて肩を落として昔に戻りたいって思ってる私たちに、優しく、彼女は歌う。 私たちは自由そのもの。 それも最初から。 不自由だと思い込んでるのは他ならぬ自分だけなのもしれない。 「人生は思い通り」 そう。 だから!「人生は思い通り」なんだ。 ここに貼り付けたものだと全部は聴くことができませんが、Spotifyのアプリをダウンロードすれば無料で聴けます!!!アルバムの名前は「カーネーション」で、その中にこの歌があります。 無料バージョンのSpotifyは自由に好きな歌を聴くことができなくてプレイリストのシャッフル再生になってしまいますが、1時間につき6回ほどスキップできるので、是非聴いてみてください!! 寄り添いながらも背中を押してくれる歌。 ライブの最初にこの歌を選んだ彼女の意図が必ずあるはず!自分は人生の半分以上を過ぎてしまっているけれど、視点を「過去」ではなく「今」にスイッチさせることで見えてくるものがあって、変えられることがまだまだあると最近感じています。 *************** お越し頂きありがとうございました。 ポップでちょっぴり切なくて、チャーミングな林檎さんの歌声を聴いてください!是非!! あじさい.
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