1 面積 20万7,600平方キロメートル(我が国の約半分) 2 人口 約940万人(2020年1月)(2020年:ベラルーシ共和国国家統計委員会) 3 首都 ミンスク 4 民族 ベラルーシ人(83. 7%),ロシア人(8. 3%),ポーランド人(3. 1%),ウクライナ人(1. 7%) 5 言語 公用語はベラルーシ語,ロシア語 6 宗教 ロシア正教(84%),カトリック(7%),その他(3%),無宗教(6%) 7 略史 年月 略史 9-10世紀 ポロツク公国 10-12世紀 キエフ・ルーシ時代 13-14世紀 リトアニア大公国の構成地域となる。 1569年 ポーランドとリトアニア大公国の連合国家成立 1772-1795年 3度にわたるポーランド分割により,現在ベラルーシのほぼ全域,白ロシア東部が,ロシア領となる。 1914年8月 第1次世界大戦勃発。 現在のベラルーシ西部がドイツの占領下に置かれる。 1918年3月 ドイツの占領下で,ベラルーシ人民共和国が成立。 ドイツ軍撤退に伴い,当地の実権がボリシェヴィキに移行。 1919年1月 白ロシア・ソヴィエト社会主義共和国の成立。 1921年3月 ポーランド・ソヴィエト戦争の結果成立したリガ条約により,白ロシアの東半分がソ連領,西半分がポーランド領となる。 1922年12月 ソ連邦の結成に参加。 1939年9月 第二次世界大戦勃発。 ソ連軍がポーランドに侵攻し,独ソ不可侵条約の秘密議定書に基づき,ポーランド西半分を白ロシアに編入。 1986年4月 隣国ウクライナでのチェルノブイリ原発事故により多大な被害。 1991年9月 「白ロシア・ソヴィエト社会主義共和国」より「ベラルーシ共和国」へ国名変更。 1991年12月 ロシア,ウクライナとともに独立国家共同体創設協定を締結。 1994年3月 ベラルーシ共和国憲法制定 1994年 第1回大統領選挙。 アレクサンドル・ルカシェンコが当選。 1996年11月 憲法改正の国民投票(大統領権限の大幅強化) 1999年12月 ベラルーシ・ロシア連合国家創設条約 2001年 ルカシェンコ大統領二選 2004年10月 憲法改正の国民投票(大統領の三選禁止規定削除) 2006年 ルカシェンコ大統領三選 2010年 ルカシェンコ大統領四選 2015年 ルカシェンコ大統領五選 1 政体 共和制 2 元首 アレクサンドル・ルカシェンコ大統領(任期5年) 3 議会 二院制 上院: 共和国院(定数64名,各州及びミンスク市議会代表,大統領指名議員,任期4年) 下院: 代表者院(定数110名,任期4年) 4 政府 (1)首相 ラマン・ゴロフチェンコ (2)外相 ヴラジーミル・マケイ 5 内政 ルカシェンコ大統領が1994年の初当選以降,5期20年以上にわたって現職。 2010年の四選時には,選挙後野党の抗議デモが発生し,治安部隊による制圧が欧米から問題視されたが,2015年10月の五選時は,選挙そのものは平穏に行われた。 ベラルーシは,1986年4月のチェルノブイリ原発事故による最大の被害国とされ,現在も国土の17~18%が汚染,国民の約12%が汚染地域に居住している。 1991年の独立から2016年までに,事故被害克服のために同国は総額220億ドルを支出。 1 外交 民族的な近さもあり伝統的な親ロシア国。 1999年12月にベラルーシ・ロシア連合国家創設条約が署名され政治・経済・軍事の統合や社会生活における両国民の平等の実現等を目指したが,2005年以降統合プロセスは実質的に停止している。 一方で,2015年1月には,対外統一市場の形成,域内の人・モノ・サービスの自由を発展させる狙いでユーラシア経済同盟が発足。 現在加盟国は,ベラルーシ,ロシア,カザフスタン,アルメニア及びキルギスの5か国。 EU及び米国はルカシェンコ大統領による強権的な政治に対し再三懸念を表明し,制裁(高官の入国禁止,外国資産凍結等)を発動していたが,ベラルーシ政府による政治犯全員の釈放等を評価し,2015年10月には一部の制裁を停止。 EUは,2016年2月,政府高官4名への制裁と武器禁輸を除くすべての制裁を解除した。 米国は,同年5月より制裁の停止期間を定期的に延長。 ウクライナ危機に対しては,和平交渉の場として首都ミンスクを提供している。 2 軍事力(2018年:ベラルーシ国防省) 地上軍と空軍及び防空軍で構成。 兵員46,482人,主力戦車1,317両。 1 主要産業(産業別構造比)(2018年:ベラルーシ共和国国家統計委員会) 工業(21. 3%),商業(10. 0%),農林・水産業(6. 6%),運輸・物流業(5. 9%),不動産業(5. 6%),情報通信業(5. 4%), 建設業(5. 3%) 2 国内総生産(GDP)(2018年:IMF) 596億ドル 3 一人当たりGDP(2018年:IMF) 6,283ドル 4 経済成長率(2019年:IMF) 1. 2% 5 物価上昇率(2018年:IMF) 4. 87% 6 失業率(2019年:IMF) 0. 3% 7 総貿易額(2018年:ベラルーシ共和国国家統計委員会)• (1)輸出 332億ドル• (2)輸入 359億ドル 8 主要貿易品目(2018年:ベラルーシ共和国国家統計委員会)• (1)輸出 鉱物(26%),化学製品・ゴム(19%),機械・輸送機械(17%),食料・農産品(15%)• (2)輸入 鉱物(30%),機械・輸送機械(24%),化学製品・ゴム(14%),食料・農産品(11%) 9 主要貿易相手国・地域(2018年:ベラルーシ共和国国家統計委員会)• (1)輸出 ロシア(38%),EU(30%)ウクライナ(12%)• (2)輸入 ロシア(53%),EU(17%)中国(8. 旧ソ連時代の技術で比較的競争力のある工業製品(家電製品,トラクター,大型自動車,タイヤ等)の生産及び石油精製品・カリウム肥料の輸出で経済成長を維持してきたほか,近年はIT産業も発展している。 一方,2008年には,経済危機によりIMF等に支援を要請。 世界的に原油価格が下落したことにより,輸出市場の大半を占めるロシア経済が落ち込み,ベラルーシ経済にとって大きな打撃となった。 最近では,2016年3月,ロシア主導のユーラシア安定化発展基金が,ベラルーシに対し3年間で20億ドルの融資を決定。 1 政治関係 (1)国家承認日 1991年12月28日 (2)外交関係開設日 1992年1月26日 (3)我が国大使館開館 1993年1月(在日ベラルーシ大使館は1995年7月に開館) 2 経済関係 (1)我が国の対ベラルーシ貿易(2018年:財務省貿易統計)• (ア)輸出 32. 5億円• (イ)輸入 21. 6億円 (2)主要品目(2018年:財務省貿易統計)• (ア)輸出 自動車部品,ガスタービン,タイヤ・ゴム製品,フォークリフト• (イ)輸入 カリウム肥料,アルミ合金,ガラス繊維製品,医療機器 3 文化関係 両国大使館の広報・文化活動を通じた文化交流が行われている。 ミンスク市と仙台市は姉妹都市関係。 東日本大震災及び福島原発事故以降,仙台や福島の子どもたちのベラルーシ訪問など,チェルノブイリ関連での民間交流が活発化。 2013年より,毎年9月~11月にかけてベラルーシ国内を巡回して伝統芸能からポップ・カルチャーまで紹介する日本文化フェスティバル「日本の秋」を実施。 4 在留邦人数(2020年6月時点:外務省海外在留邦人数調査統計) 53名 5 在日ベラルーシ人数(2019年6月:法務省統計) 451名 6 要人往来 (1)往 年月 要人名 2002年8月 松浪外務大臣政務官 2009年10月 大野衆議院議員(日ベラルーシ友好議連会長) 2015年5月 城内実外務副大臣 2016年4月 山田美樹外務大臣政務官 2016年7月 若松謙維復興副大臣 2016年7月 衆議院友好促進議員団(佐田玄一郎日ベラルーシ友好議連会長) 2018年8月 衆議院消費者問題特別委員会(櫻田義孝委員長) 2018年8月 渡辺博道日ベラルーシ友好議連会長 2019年6月 薗浦健太郎内閣総理大臣補佐官 2019年6月 渡辺博道復興大臣(友好議連会長) (2)来 年月 要人名 1992年 クズネツォフ最高会議第一副議長 1998年2月 ルカシェンコ大統領(非公式:長野五輪) 1999年6月 ミャスニコヴィチ大統領府長官 2001年4月 アヴラセヴィチ上院副議長他議員団 2003年10月 ツェプカロ大統領補佐官 2012年12月 ヴァシチェンコ非常事態相 2018年5月 マラシコ保健相 2019年12月 ヴァシチェンコ非常事態相 7 二国間条約・取極 (1)1996年10月 日ソ間で結んだ条約の承継を確認。 (2)2012年12月 「原子力発電所における事故へのその後の対応を推進するための協力に関する日本国政府とベラルーシ共和国政府との間の協定」を締結。 2013年7月にミンスク,2015年3月に東京,同年11月にミンスクで,これまで計3回日・ベラルーシ原発事故後協力合同委員会を開催。
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はじめに RYOです このカテゴリーではちょっと 知っていると人に言いたくなるようなあるある知識を 知るたびに投稿していこうと思っています。 ほんまのあるある知識なのであまり長くはならないと思います。 「知るたびに」なので急に連投することもあればぱったり更新されない事もありますが、まあごゆるりとお付き合いください(笑) 背景 皆さんは「ベラルーシ」という国名を聞いたことはありますか? 「え、国の名前なん?」と思った方、失礼ですよ👉 ベラルーシは旧ソ連の一部で、独立して「ベラルーシ共和国」となりました。 しかしベラルーシは未だに「白ロシア」とも呼ばれます。 ここでは難しい歴史背景は語りません、あくまでトリビアですから。 ではなぜ「白ロシア」と呼ばれるのか? それは国名自体が「白ロシア」と訳せるからなんです。 "Belarus"の"Bela"は「白」、"rus"は「ロシア」を表す!? ベラルーシ語?キリル文字? ぼくは一切わかりません。 でもベラルーシ語と同じスラブ語派に属するスロヴェニア語を勉強していた時に出会いました。 "Bel-"はスラブ語で「白い」という意味 "Rus"はスラブ語で「ロシア」という意味 別々に学んだ言葉でしたが、ある時ピンときました。 「ベラルーシ」って"Bela+Rus"で「白いロシア」って書けるやん!!? そして 「ベラルーシ 白いロシア」と検索したら ベラルーシが「白ロシア」と呼ばれていることが分かったのです。 信憑性は定かではありません、一説として。 ロシアはかつてモンゴルの支配を受けており、当時のモンゴルは中国から学んだ 「方角を色で呼ぶ」という慣習を持っていました。 ロシアから見て「南は 赤、西は 白、北は 黒」として国名を付けていたそうです。 そのうち 「ベラルーシ」という呼び方だけが残ったとの事です。 1992年11月生まれ 京都在住 旅する空手家 大好物は「旅」「自然」「カメラ」「空手」 そして「鶏天」と「麻婆豆腐」も... 顔に似合わずロマンチスト 関連する記事• はじめに RYOです。 このカテゴリーではちょっと知っていると人に言いたくなるようなあるある知識を知るたびに投稿していこうと思っています。 ほんまのあ[…]• はじめに RYOです このカテゴリーではちょっと知っていると人に言いたくなるようなあるある知識を知るたびに投稿していこうと思っています。 ほんまのある[…]• 目次 1. はじめに2. 犯人が人質に親近感を覚える奇妙な状態を『リマ症候群』と呼ぶ2. 在ペルー日本大使公邸占拠事件 はじめに RYOです この[…]• はじめに RYOです このカテゴリーではちょっと知っていると人に言いたくなるようなあるある知識を知るたびに投稿していこうと思っています。 ほんまのある[…]• はじめに RYOです このカテゴリーではちょっと知っていると人に言いたくなるようなあるある知識を知るたびに投稿していこうと思っています。 ほんまのある[…].
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1994年7月より親ロシア派のアレクサンドル・大統領が強権体制を維持している親ロ国家。 96年3月にロシア、、と統合強化条約を、同年4月にはロシアと主権国家共同体条約、97年4月に連邦条約、99年12月には連邦国家創設条約に。 このロシアとの連邦国家は実質を伴っておらず政治宣言にとどまっている。 96年11月にの権限を大幅に強化する新憲法を国民投票で。 2003年には国民投票で大統領3選禁止条項を削除し、06年3月の大統領選挙でルカシェンコが82. しかし、選挙を監視した欧州安保協力機構 はこの選挙は民主主義の基準を満たしていないと批判した。 のバラ革命、でのオレンジ革命といった近隣諸国のは、政権と国民に大きな衝撃を与えた。 ベラルーシ国内でもが政府批判の活動を展開し、グルジア、ウクライナ、、バルト諸国も民主化運動に共鳴しているが、ロシアの安いエネルギーで経済が低水準でも比較的安定しているので、独裁体制は続いている。 2%,ロシア人11. 4%,ポーランド人3. 9%,ウクライナ人2. 4%など。 上院(定員64,うち8は大統領が任命,任期4年),下院(定員110,任期4年)。 最近の選挙は2012年9月。 7%(2003)。 2歳,女75. 8歳(2013)。 * *ヨーロッパ東部の。 〈白ロシアBelorussiya〉。 北部はの一部で,中央部は平原,南部に低湿地ポレシエがある。 全体の3分の1は森林地帯である。 住民の約8割は,を話すベラルーシ人で,ロシア人1割余,ポーランド人4%など。 農業では,,アマ,ジャガイモ,テンサイを主産。 牛,豚の家畜もある。 トラクター,自動車,セメント,木材,皮革,繊維などの工業が行われる。 泥炭,岩塩の鉱産がある。 14世紀大公国の支配を受け,1569年ポーランドと合体(ルブリン合同),1795年のでロシア領になった。 1919年白ロシア・ソビエト社会主義共和国を樹立,1922年ソ連邦結成に参加したが,西部地域は第1次大戦後のポーランド独立により1939年までポーランド領であった。 第2次大戦中ドイツ軍に占領された。 1991年8月独立を宣言,翌9月国名をベラルーシ共和国と改めた。 1994年初の大統領選で親ロシア派のルカシェンコ政権が誕生。 1995年ロシアとの経済・軍事面での協力強化をうたった友好善隣協力条約に調印し,1999年にはロシアと連合国家創設条約を締結,2000年1月新連邦が発足したが機能していない。 ルカシェンコの強権的独裁的手法に米国をはじめ国際的な批判が集中した。 ロシアのプーチン,メドベージェフ政権とも良好な関係とは言えなかったが,2011年後半に関係が修復された。 2011年11月にはロシア・カザフスタン・ベラルーシ3国によるユーラシア経済同盟創設宣言に署名し,2012年1月には統一経済圏に移行,2015年にユーラシア経済同盟を発足した。 ルカシェンコは2010年12月4選を果たしたが,野党の抗議デモが発生,治安部隊と衝突,野党候補者も含む多数が拘束された。 欧米は高官の入国禁止・海外資産の凍結などの厳しい制裁を課したが,その後のベラルーシ政府による政治犯全員の釈放等を評価し,2015年10月には一部の制裁を停止している。 2015年の大統領選挙ではルカシェンコが5選を果たした。 面積 20万7595km 2。 人口 944万1000(2013推計)。 ヨーロッパ東部の内陸国。 ロシア語ではベロルシヤ Belorussiya(白ロシア)。 ,,,,に接する。 中部のミンスク丘陵から西へ水系が,南へ水系が流れ,南部の流域はと呼ばれる湿地となっている。 年降水量は 550~700mm。 公用語はと。 宗教はキリスト教徒がおよそ半数を占める。 人口分布は北西部の農業地帯に多く,南のポレシエは少ない。 早くからがこの地に住みつき,8~9世紀にはすでにミンスク,などに小公国が形成されていた。 13~14世紀リトアニアに併合され,その後リトアニアとポーランドの連合に伴ってポーランドの支配下に入った。 18世紀末 3回に及ぶの結果,ロシア領となった。 1919年白ロシア=ソビエト社会主義共和国が成立,1922年ソビエト連邦に加盟。 その後,1991年8月独立を宣言して現国名に改め, CISに加盟した。 地下資源として泥炭,岩塩,カリウム塩,リン灰石などがある。 農業はアマ,ジャガイモ,,コムギなどの栽培,ウシ,ブタの飼育が盛ん。 機械(ダンプカー,トラクタ,オートバイ,自転車,時計),化学(石油,カリウム),木材加工,繊維(アマ),食品などの工業がしている。 鉄道・道路網が発達し,ロシアのとを結ぶ路線が国内を通る。 またとを結ぶ水路も通っている。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について の解説 東ヨーロッパ東部の共和国。 白 はく ロシアともいう。 西はポーランド、北はラトビアとリトアニア、東はロシア、南はウクライナにそれぞれ接している。 面積20万7600平方キロメートル、人口1004万5237(1999年センサス)、973万3000(2006年推計)。 人口密度は1平方キロメートル当り47人(2006)。 東スラブ族のベラルーシ人の国で、人口の81. 2%を占める。 ロシア人の比率は高く11. 4%、次いでポーランド人が3. 9%、ウクライナ人が2. 4%、ユダヤ人その他1. 1%などが住む。 首都はミンスク(人口174万1300人)、そのほかにゴメリ、ビテプスク、モギリョフ、ボブルイスク、グロドノ、ブレストなどの都市がある。 [山本 茂] 自然東ヨーロッパ平野の西部に位置し、最大の河川ドニエプル川の諸盆地、西ドビナ川、ネマン川の上流域にある。 地形は全体として大陸氷河の産物であり、低平で沼沢地や湖沼が多い。 沼沢地は全面積の20%以上になる。 北西部はバルト高地、ベラルーシ高地などモレーン(氷堆石 ひょうたいせき )による高地、中央部は平野、南部はポレシエ沼沢地となっている。 最高地点はミンスク高地のジェルジンスキー山であるが、標高は345メートルにすぎない。 気候はほぼ大陸性気候で、平均気温は1月零下4. 0~18. 年降水量は550~650ミリメートル。 土壌はポドソル土(全土の約60%)が多く、森林面積は全土の約3分の1を占め、混交林が多い。 地下資源は多種多様であるが、なかでもカリ塩(1949年発見)、岩塩、石油、褐炭の存在が知られ、とくにプリピャチ低地が注目されている。 [山本 茂] 歴史スラブ人原住地に近いこの地方の全域に東スラブ人の祖先が住み着くようになったのはおそらく紀元後まもなくのことであった。 彼らはやがてクリビチ人、ラジミチ人、ドレゴビチ人などの部族連合にまとめられていくが、9世紀にキエフ大公国が成立するとともに相次いでその支配に服することとなった。 その後の社会・経済発展は目覚ましく、ポーロツク、トゥロフ、ピンスクなど古くからの都市に加えて、ベレスチェ(ブレスト)、ビテプスク、ミンスクなど多数の都市が成立する。 キエフ国家瓦解 がかい 後の13世紀、この地方は北西方面から進出してきたリトアニア大公国の支配下に入る。 西部ロシアをさして、白ロシアとよぶのはこのころからである。 この場合の「白」は、この地方がリトアニアや、タタール・モンゴルの支配から自由であったことを意味すると考える学者が多い。 だがほかにも、衣服や毛髪、虹彩 こうさい また硬貨の色と関連させたり、古来の守護神、さらには雪と関係づける説もあって、定説はない。 リトアニアは14世紀末から16世紀にかけてポーランド王国と合体していくが、それとともにベラルーシもポーランドの支配下に入る。 だが18世紀後半の三次にわたるポーランド分割の結果、今度はロシア帝国に合併される。 第一次世界大戦後ベロルシア(ベラルーシ)社会主義共和国が成立し(1919)、1922年にはソ連邦に加盟するが、西半部はポーランドの支配下に入った(1921)。 現在の国境線が確定したのは第二次世界大戦後のことである。 第二次世界大戦中ベラルーシは独ソ両軍の主戦場となり、ドイツ軍による徹底した破壊を受けたが、戦後急速に復興した。 国際連合の創設時(1945)以来の加盟国である。 [栗生沢猛夫] 政治ソ連においてペレストロイカ(改革)が進んでいたなか、1990年7月にベロルシア(ベラルーシ)最高会議は主権宣言を採択、1991年ソ連で発生した八月クーデター事件後ただちに独立を宣言した。 同年12月ソ連解体後、独立国家共同体(CIS)の創設協定に調印、その一員となった。 1994年1月には経済危機を解決できなかったとして、最高会議議長シュシケビチが解任され、3月に大統領制の導入を盛り込んだ新憲法の採択が行われた。 6~7月の大統領選挙ではロシアとの関係強化を主張したルカシェンコAleksandr G. その後、ルカシェンコは1995年5月、ロシア語の公用語化、ロシアとの経済統合などについての国民投票を行い、圧倒的多数の支持を得た。 さらに1996年11月には大統領の権限を強めるための憲法改正を実施、この国民投票でも70%の支持を得た。 この改正により、大統領の任期は2001年まで延長、さらに二院制の新議会が創設された。 2001年の大統領選挙でルカシェンコが再選され、また、2004年の議会選挙でも大統領の与党が勝利した。 しかし、これらの選挙が公正に行われなかったとして、欧米諸国から批判がおこった。 2006年の大統領選挙でルカシェンコが87. 5%の得票率で三選を果たしたが、この選挙でもルカシェンコの得票に疑問がもたれ、国内で大規模な抗議行動がみられた。 2008年9月の下院選挙では、野党が1議席も獲得できないという結果になった。 ベラルーシの一連の選挙に対して、ヨーロッパ安全保障協力機構(OSCE)は選挙監視団を送っているが、毎回、選挙が民主的な国際基準を満たしていないと指摘している。 対外関係では、1996年2月、ロシアとの間に友好協力条約と国境警備に関する協力協定に調印した。 ロシアとは、同年4月にさらに2国間で主権共和国共同体創設条約に調印したが、これは両国の主権を維持しながらも、共通の通貨などの経済制度の統一、外交・軍事などの協力、また合同議会の設立などを目ざすものである。 1997年5月には、この共同体創設条約を進めるために、新たにつくる共同体の防衛・経済協力などのあり方を定めた規約文書に調印した。 さらに、1997年4月にはロシアとの間に共同体より一歩進んだ「連邦条約」に調印、1999年12月に統合を推進するための「連邦国家創設条約」に調印した。 しかし、ロシアはこの構想に消極的で、その後は具体的進展がみられていない。 なお、1996年3月には、ロシア、カザフスタン、キルギスとの間で統合強化のための条約に調印、4国間での関税の撤廃、商品・資本・サービスなどの移動の自由化など単一経済圏の創設を掲げ、そのための政策調整機関として国家間評議会を創設、その議長にベラルーシ大統領のルカシェンコがつくなど、ソ連解体後の共和国の再結集に積極的な役割を演じている。 1999年、この4国間の経済同盟にタジキスタンが参加、2000年にはユーラシア経済共同体となった。 日本はベラルーシがソ連から独立した直後の1991年12月に承認、1993年1月に大使館を開設した。 一方、ベラルーシも1995年7月に在日大使館を開設している。 1998年2月の長野オリンピックのときに、ルカシェンコ大統領が来日している。 [木村英亮] 産業・経済この国はロシア、ウクライナ両国の工業地帯に近く、東欧とも国境を接しているため、第二次世界大戦後急速に工業が発展した。 労働力にも恵まれ、旧ソ連時代には地域分業体制のもとで、高度に専門的な機械、電子、化学の各工業が発達してきた。 とくに西部地域の発展が著しく、乗用車、トラクター生産は有力であるが、そのほかに食品、繊維工業なども盛んである。 しかし天然原材料の少ないベラルーシは、ソ連解体に伴い経済的な苦境に陥っている。 とくに石油はその9割をロシアに依存しており、この点でも対ロシア接近を図らざるをえない状況にある。 農業はこの国の伝統的基礎産業であり、オート麦、ライ麦、ジャガイモ、ビート(サトウダイコン)が栽培され、畜産では食肉生産と乳牛の飼育、養蜂と毛皮獣飼育が行われている。 しかし1986年ウクライナで発生したチェルノブイリ原子力発電所事故によって、ベラルーシも大きな影響を受け、肥沃 ひよく な耕地の5分の1が汚染され、耕作できなくなり、また国土の半分の地域で放射能の監視が行われることとなった。 このため莫大 ばくだい な資金が必要とされている。 1992年1月に価格自由化政策を導入、同年5月には独自の通貨ベラルーシ・ルーブルの流通を開始したが、一方、ロシアとの間で通貨統合を目ざして、経済協力関係を強めている。 その後、ベラルーシの産業の発展が低調のうえ、1998年におきたロシアの経済危機が重なり、インフレが激化、2000年1月に1000分の1のデノミネーションが実施された。 その後、ロシアの経済回復とともに、ベラルーシのインフレも低下している。 [木村英亮].
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