ドラマ 『ノーサイドゲーム』のエンディング主題歌を 「米津玄師」が担当!楽曲は 「馬と鹿」に決定しました。 大泉洋主演『ノーサイドゲーム』は、池井戸潤の最新小説を実写化されたもの。 主人公の大手自動車メーカーの中堅サラリーマン・君嶋隼人が再起に力を振り絞るストーリー。 上司主導の企業買収に異を唱えた君嶋は、本社から工場へ左遷された上、ラグビーチームのゼネラルマネジャーの兼務も命じられ、昇進の道が途絶えた中、アストロズのチーム力を合わせて奮起する姿を描く。 今回は、ドラマ 『ノーサイドゲーム』の 主題歌に決定した「米津玄師 」の新曲『馬と鹿』の歌詞や発売日情報、ネット上の反応など「米津玄師」さんの過去の音楽についても探っていきます。 馬と鹿の区別がつかない者を「馬鹿者」と呼ばれるという意味になるが、この歌詞では、「これが愛じゃなければなんと呼ぶのか」というフレーズや、「僕は知らなかった」というフレーズは、大泉さんが演じる君島がラグビー初心者だった自分に、アストロズのメンバー達からラグビーの本質に気づかされた意味合いにも捉えられるな。 「呼べよ花の名前をただ一つだけ、行こう花の咲かないうちに、呼べよ畏れるままに花の名前を」と度々「花」と言う言葉が出てくるのだが、チーム一人一人の心境を物語っているのを1つに集約した心の内を語っているような歌詞に思える 主題歌「ノーサイドゲーム」の発売日、配信日はいつ? ドラマ『ノーサイドゲーム』主題歌「馬と鹿」の発売日は2019年9月11日です。 配信日は現在未定です。 分かり次第追記していきます。 ドラマを見るか見ないかを主題歌で決めるのも珍しいな。 1991年生まれ、徳島県出身• シンガーソングライター、イラストレーター、映像作家• 本人名義アルバム『diorama』でソロデビュー(2012年)• 所属事務所:ソニー・ミュージックレコーズ 「米津玄師」さんは、2009年より「ハチ」としてソロ活動を開始させ、ファンタジー性のある物語の深い楽曲をニコニコ動画にアップしては、若い層を中心に一世を風靡した。 メジャーデビュー以前は、ミュージックビデオやジャケットワークに至る外見のモデルまで、自身で行なっていた。 メジャーデビュー以降はバックアップも厚くなりサポートメンバーを入れてバンドサウンドを意識しての楽曲制作に移行し、兼ねてから意識して準備していた「大衆性に富んだJ-POP」の制作がアクティブ化するようになる。 「普遍的なものを作ることを軸に、日本人だからこそ、J-POPとして音楽を作りたい」と公言しており、歌謡曲など先人が確立してきたのをひもといて、歴史に根ざしているものをキャッチし音楽に反映することを念頭に置いて作業に取り組んでいる。 10代から50代の幅広い世代から高い評価を得ているお蔭で「このやり方は間違っていなかったんだ」を語った。 米津玄師ドラマ主題歌・挿入歌・タイアップ曲は?• 『アンナチュラル』主題歌「Lemon」 TBS 2018年• 『ノーサイドゲーム』主題歌「馬と鹿」 TBS 2019年 米津玄師 MV「Lemon」.
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歪んで傷だらけの春 麻酔も打たずに歩いた 体の奥底で響く 生き足りないと強く まだ味わうさ 噛み終えたガムの味 覚めきれないままの心で ひとつひとつ 無くした果てに ようやく残ったもの これが愛じゃなければ 何と呼ぶのか 僕は知らなかった 呼べよ、花の名前を ただひとつだけ 張り裂けるくらいに 鼻先が触れる 呼吸が止まる 痛みは消えないままでいい Ohh… 疲れたその目で何を言う 傷跡隠して歩いた そのくせ影をばら撒いた 気づいて欲しかった まだ歩けるか 噛み締めた砂の味 夜露で濡れた芝生の上 逸 はや る胸に 尋ねることは 終わるにはまだ早いだろう 誰も悲しまぬように 微笑むことが 上手くできなかった ひとつ、ただひとつでいい 守れるだけで それでよかったのに あまりに下らない願いが消えない 誰にも奪えない魂 何に例えよう 君と僕を 踵に残る似た傷を 晴れ間を結えば まだ続く 行こう、花も咲かない内に これが愛じゃなければ 何と呼ぶのか 僕は知らなかった 呼べよ、恐れるままに 花の名前を 君じゃなきゃダメだと 鼻先が触れる 呼吸が止まる 痛みは消えないままでいい あまりに下らない 願いが消えない 止まない (公開された部分を耳コピしました。 ) 米津玄師「馬と鹿」歌詞の意味考察 米津玄師さんの「馬と鹿」は、「仲間のために、応援してくれる人のために、生き抜け」と言ってくれた曲です。 歌詞考察歴2年で米津玄師さんが大ファンの私が、米津玄師さんの「馬と鹿」の歌詞の意味を徹底考察します。 歪んで傷だらけの春 麻酔も打たずに歩いた 体の奥底で響く 生きたりないと強く この歌の主人公は死にかけているのでしょうか。 でももっと生きたいと思っています。 痛いのに我慢して、病院を飛び出したのかもしれません。 主人公はもっと生きたいんです。 もっともっと生きたいんです。 ああ 味わうさ 噛み終えたガムの味 噛みきれないままの心で 一つ一つ無くした果てに 漸く(ようやく)残ったもの もう死ぬとわかっていても、まだ足りないと思うものがあります。 もう終わったはずなのに、主人公はまだ諦めきれません。 ボロボロになった心でも、まだここに残るものがあります。 それが今漸くわかったのです。 これが愛じゃなければ 何と呼ぶのか僕は知らなかった 呼べよ花の名前を ただ一つだけ 張り裂けるぐらいに 鼻先が触れる 呼吸が止まる 痛みは消えないままでいい もしも死にかけた時でも愛があれば、自分は動き出せるんじゃないでしょうか。 やりたいこと、叶えたい夢。 それは愛で動かすことができます。 もっとやりたい。 もっと生きたい。 そう思う気持ちと、支えてくれる愛があれば、人はいつでも動き出すことができます。 たとえどんな境地だろうと、諦めてはいけません。 自分のできることを精一杯やるんです。 たとえ死にかけていようと、たとえ痛みがあろうと、やれることをやれば良いんです。 何に例えよう 君と僕を かかとに残る似た傷を 枯葉を揺れば まだ続く行こう 花の咲かないうちに 無駄だと思うことでも、やってみたら意味があることがあります。 皆が吸い尽くしたものだって、まだ生きているんです。 たとえ誰も期待しないものにでも、魂はつけられます。 望みがないものなどありません。 必要なのは、やる気と愛だけです。 これが愛じゃなければ 何と呼ぶのか僕は知らなかった 呼べよ恐れるままに 花の名前を 君じゃなきゃダメだと 鼻先が触れる 呼吸が止まる 痛みは消えないままでいい あまりにくだらない 世界が消えない やまない どんなに辛い状況でも自分を突き動かすものがあります。 何が起きてもやり続ければ良いんです。 何が起きても僕らは生きていきます。 愛する人が一緒にいてくれるなら、やり続けることができるんじゃないでしょうか。 どんな価値のない人生でも、愛があるだけで走り続けることができるんです。 米津玄師「馬と鹿」と「ノーサイド・ゲーム」の意味とは? ドラマ「ノーサイド・ゲーム」の1話に、このドラマの真髄となる言葉がありました。 大手自動車メーカー・トキワ自動車社長の言葉です。 トキワ自動車が運営するアストロズという弱小ラグビー部は、予算14億も使いながら活動を続けていました。 「ノーサイド・ゲーム」の主人公の君嶋(大泉洋)は、そんなクソみたいなラグビー部は廃部にすべきだと考えていましたが、ラグビーの精神「ノーサイド・ゲーム」に気持ちを動かされます。 ラグビーは巨体と巨体がぶつかり合う競技。 ぶつかり合うのは、互いのチームを勝利に導くためです。 それは同時に互いのチームを守ることでもあります。 ラグビーは勝ち負けではなく、その健闘を賞賛するスポーツなのかもしれません。 危険を顧みず、戦う選手たちにはある考えがありました。 ニュージーランド代表のオールブラックスというチームのHAKAという儀式があります。 ニュージーランドの先住民マオリ族が長い戦いの前の儀式として行った伝統的な踊りです。 私は死ぬ。 HAKAで叫ぶ言葉だ。 マオリ語で「私は死ぬ私は死ぬ、私は生きる私は生きる。 見よ、この勇気ある者を。 ここにいる男たちが再び太陽を輝かせる。 一歩上へさらにもう一歩上へ。 輝く太陽の中へ。 」 確かにラグビーは、危険なスポーツかもな。 もしかしたら死ぬかもしれん。 それでも自分たちを応援してくれている仲間がいる、その人たちのためにチームのために皆、命がけで戦うんだ。 今戦わなければならない、そう思ったから戦う。 どんな状況でも諦めることなく戦うんだ。 私はその姿に無性に惹かれる。 だからこそ応援せずにはいられない。 君はどうだ?そういう感情にあったことはないか? 理由もなく胸の奥から熱い得体の知れない使命感がこみ上げてくるような。 出典:トキワ自動車社長・島本博(西郷輝彦)の言葉 主人公は「ありません」と言います。 君嶋は左遷されたにも関わらず、絶対に本社へ帰れないと知った時、どこに行けばいいかわからなくなるほどの絶望を味わいました。 そんな時、支えてくれたのが、アストロズのラグビー選手たちがノーサイド・ゲームでくれたタオルでした。 そしてその精神は、米津玄師さんの「馬と鹿」にも受け継がれています。 もしかしたら死ぬかも知れません。 でも生きるために戦うんです。 米津玄師「馬と鹿」リリース日は? 米津玄師さんの「馬と鹿」は、2019年8月12日に先行配信されました。 9月11日には表題曲「馬と鹿」として、ニューシングルが正式リリースされます。 ドラマ「ノーサイド・ゲーム」は大泉洋演じる君嶋隼人が、会社の戦略に違を唱えたことから左遷されることで始まります。 君嶋は優秀だが優秀がゆえに、左遷されました。 そして行き着いた先には、予算を貪る超弱小ラグビー部がありました。 君嶋はラグビー部を廃部にしようと思っていましたが、ラグビー部員の練習や精神に触れ、その決断を取りやめます。 「ノーサイド・ゲーム」は君嶋のラグビーに対するの関心の無さが忌憚なく描かれています。 2019年9月から始まるラグビーW杯のPRドラマだろうと思うかも知れませんが、そうではなく、ラグビーの人気のなさの現状が忌憚なく描かれているのです。 これはまさに現実に近い、ラグビードラマかも知れません。 米津玄師「馬と鹿」コメント 最後に米津玄師さんの「馬と鹿」に対するコメントを載せておきます。 TBS日曜劇場「ノーサイドゲーム」の主題歌を担当させて頂きました。 「馬と鹿」という曲です。 大泉洋さん演じる君嶋が、逆境の中をひとつひとつ進んでいく様をどうにか音楽にできないかと探っていった末にこの曲ができました。 素敵なドラマとご一緒できて嬉しいです。 どうかよろしくお願いします。 ずれまくってるというか。 コメント書いておきますね。 比喩的要素は入っているとは思いますが、もっと単純に考えればいいと思います。 この曲は歌詞面だけを文字通り読むと、大泉洋の役というよりは、世間から期待されていた日本代表のラガーマンがケガをして、世間から見放され、もう終わってる人と格付けされ、周りからの期待も自分のプライドも失った後に、その状況での思いを綴った内容だと思います。 歪んで傷だらけの春:時は早春です。 桜の咲く前です。 歪んでいるのは心と顔です。 秋ごろに選手生命を奪われるケガをしてるんでしょう。 ラグビーの象徴である桜とひっかけるために、時期を早春と設定したのだと思います。 ケガが治ってもまだ痛いのです。 歌詞の後方で書いてますが、このラガーマンはアキレス腱切ってますね。 それで選手生命終わり。 もう復帰は絶望と世間から見放されてるのです。 でも、ケガをして絶望を味わった時、ラグビーが本当に好きなんだと気づき、麻酔も打たずリハビリしてるんです。 ラグビーを続けたいと思ってるんです。 奇跡的にピッチには立って練習できるくらいに回復してはいるのです。 大好きなラグビーをまたやれるところまでは来たのです。 でも、おそらく、ケガの前のコンディションには戻れないだろうということは自覚してるんです。 他の誰にも期待されてない状況および、常識的な観点からは自分自身でも終わってると思う状況が、噛み終えたガムの味なんです。 一般的な俗語のもう終わってる。 どう噛んでも、いくら噛んでも再び味が戻ることはない状況。 普通は捨てるんです。 でも、ラグビーを捨てられない。 この屈辱的な状況でもまだ復帰したいと思ってるんです。 ひとつひとつ失くした果てとは、前述の世間の期待が冷めた目になり、自分のプライドを失った果てです。 まだやってんだ?っていう世間および自分の常識的な観点も含めた冷めた目です。 これをラグビーに対する愛いうものなのかな?、これを世間では愛と呼ぶのかな?って初めて気づいたのです。 桜のエンブレムです。 日本代表のユニフォームの。 鼻先が触れる、呼吸が止まる。 この主人公は、おそらくFWの人なのでしょう。 スクラムでぶつかった時の衝撃の瞬間です。 疲れたその目とは、練習中に向けられる、もうやめればいいのにっていうような仲間の冷めた視線です。 直接言いはしないのです。 でも、プレーがまずかったり、ミスすると向けられる視線です。 その時、負け犬根性が少し出るのです。 ケガした身なんだから、少しは暖かい目で見ろよっていう気持ちです。 その冷たい視線に対して無言でにらんでしてしまうのです。 素直に柔らかく謝れないのです。 自分にも言い聞かせるのです。 終わるにはまだ早いだろう。 もう再起不能と言われてる人間がまたラグビーをやれてるって喜びを半ばあきらめとして微笑んでみせられたらいいのに。 自分もそこまでで上等だ。 よく頑張った。 再起不能と言われた人間が、またラグビーをできるまで復活した。 ラグビーをやれてる。 そこまででよかったと思っていたのに。 それなのに、まだ、あわよくば日本代表に復帰したいと思っている、常識はずれすぎて、まさに馬鹿げた、あまりにくだらない願望を消し去ることができない。 誰も、自分自身ですら奪えない情熱、魂。 何に例えよう、君と僕を。 (ここでの君とは、復活しようともがいているアキレス腱断裂の傷を持つ自分FW(鹿)に対する同じ傷を持つバック(馬)、あるいは、比喩的に同じような心の傷を持つ者)。 晴れ間とは、もっと良くなる。 また復活できるはずという自信を感じる時、桜の咲く前には復帰できそうと感じる時。 頑張れる。 いまの気持ちをラグビーに対する愛と呼ぶのだろう。 初めて知った。 その花の名は桜、ラグビー。 ラグビーの無い人生など考えられないんだ。 そしてもう一度、日本代表のユニフォームを身に着けたい。 頭ではわかってはいるんだ。 あまりにも馬鹿げた妄想だということを。 でも、その思いを止めることができない。 つまり、この歌は、一般的常識では再起不能な、鹿(FW:スクラムと鹿が角で押し合うのとが似てる)と馬 バック:早く走ってトライする)が馬鹿げた夢(完全復活)を追っている心情を歌ったものであると思うのです。 どこまで物理的なものに対する表現で、どこまでが心の比喩として考えるかは各々の想像にゆだねる部分ではあるのですが、すべてをビジュアルに置き換えると、上記のように考察できます。 まさに馬鹿げた願望を今も抱いている人間を、ラガーマンをコンセプトに鹿と馬というふうに分けて題に込めたものだと思うのです。
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元はハチというボカロPとして活動していましたが、その後本名の「米津玄師」として活動するようになります。 今回紹介するのは米津玄師さんの「馬と鹿」という曲です。 このタイトルに込められた意味と歌詞の意味、またMVにはどういった意味があるのかを考察していきます。 米津玄師「馬と鹿」ってどんな曲?? 本気の勝負に、手に汗握り、胸熱くなりました!! — REISSUE RECORDS reissuerecords 「馬と鹿」は米津玄師さんが2019年9月11日に発表した楽曲です。 タイトルの意味は動物の馬と鹿の文字を組み合わせると「馬鹿」という言葉になります。 馬鹿には「 愚かなこと、利口でない、社会の常識に欠けている」という意味があります。 そしてそれぞれの文字にも注目してみます。 「馬」は昔移動の手段であり、馬は高貴な人たちが使っていました。 「鹿」は仏教の中で「ハーモニー、幸福、平和」という意味があります。 TBS日曜劇場「ノーサイドゲーム」の主題歌を担当させて頂きました。 「馬と鹿」という曲です。 大泉洋さん演じる君嶋が、逆境の中をひとつひとつ進んでいく様をどうにか音楽にできないかと探っていった末にこの曲ができました。 素敵なドラマとご一緒できて嬉しいです。 どうかよろしくお願いします。 君嶋は出世レースの先頭に立ち幹部候補とまで言われていたが、上司が主導する企業買収に異を唱えた結果、左遷人事で府中工場に総務部長として赴任することに。 意に染まない異動だが、これもサラリーマンの宿命。 やるせない思いで赴任先の工場に赴いたところ、トキワ自動車ラグビーチーム「アストロズ」のゼネラルマネージャーを兼務するよう命じられる。 かつては強豪チームだったアストロズだが、いまは成績不振にあえいでいた。 こうして知識も経験もない君嶋にチーム再建という重荷が課せられた。 低迷するラグビー部と出世の道を絶たれた君嶋の、再起をかけた戦いが始まる。 となっています。 タイトルの説明でもしましたが、「馬」の出世コースまっしぐらの時期もありましたが、左遷されてからは出世コースから外れてしまい、無理難題を突きつけられてしまいます。 出世をするためには周りを蹴落とさないといけないのですが、弱小ラグビーチームを強くするためには周りとの意思の疎通など様々な協調が必要になってきます。 チームが一丸となることから「鹿」の幸福や安寧の大切さを知っていくこととなります。 ドラマ「ノーサイドゲーム」の最終回では米津玄師さんの「馬と鹿」のジャケットイラストが登場したことでも話題となりました。 米津玄師「馬と鹿」のMVは何を意味するのか?? このMVで印象に残ったのは創作ダンスと振り子のように揺れる炎です。 創作ダンスは内に秘めたる感情をダンスとして表すものですが、この曲の中では一人一人が寄り添っていくことの大事さと、それぞれが何かと戦って傷つきながらも立ち上がる力強さを感じました。 儀式的な感じもする聖杯や振り子のように揺れる炎は、自分は他の誰でもない自分自身ということや、誰かに依存してしまっている人間の2面性を表現しているのかもしれません。 そして、その中心にいる米津玄師さんは「苦悩や葛藤にもがきながらも歩き進んでいく」という周りの人たちから解き放たれた唯一無二の象徴なのでしょう。 米津玄師「馬と鹿」の歌詞の意味は?? それでは米津玄師さんの「馬と鹿」の歌詞の意味を、 ドラマ「ノーサイドゲーム」視点で意味を考察していきたいと思います。 歪んで傷だらけの春 麻酔も打たずに歩いた 体の奥底で響く 生き足りないと強く 春といえば出会いの季節でもあり、何かが始まる季節ですが、この物語の主人公にとってはそうじゃないようです。 心に傷を負っていて逆境の中にいることがわかります。 麻酔とは本来痛みを和らげるものとして使われますが、あえて使わないことでその痛みに対して逃げないということを表現しているのだと受け取りました。 痛みを感じることで体のそこからもっと生きていたいと感じるためなのかもしれません。 ドラマがラグビーの内容ということで選手のことで当てはめてみると、「逆境の中にいても自分たちの努力が報われる」ということで勝利に対して強い執念を感じます。 また味わうさ 噛み終えたガムの味 冷めきれないままの心で ひとつひとつなくした果てに ようやく残ったもの 味がないガムは普通の人であれば吐き出してしまいますよね。 噛み終えたガムは挫折のことの比喩表現であり、主人公にとって大事なものでもあります。 挫折を乗り越えた先に待っているのは自分が今までした努力の証です。 諦めきれない=冷めきれないままの心 ドラマの中ではラグビーが選手一人一人にとって大事なものであり、大泉洋さん演じる監督にとっては今までの人生とは一転、左遷されてしまったことで一から作り上げていくといったもののこと。 そこから生まれた絆というのが何度も挫折した後に残った大事なものではないでしょうか。 これが愛じゃなければなんと呼ぶのか 僕は知らなかった 呼べよ 花の名前をただ一つだけ 張り裂けるくらいに 鼻先が触れる 呼吸が止まる 痛みは消えないままでいい ドラマではラグビーチームのアストロズの再建を目的としています。 選手や監督一人一人が何かしらの犠牲を払ってまでやり続けたいと思った気持ちは『愛』そのものです。 花の名前はただ一つだけという言葉から、誰一人同じ人はいない。 それぞれに良さがあって他に代わりはいないという表現。 『鼻先が触れる 呼吸が止まる』は選手たちがスクラムを組んでいる状態です。 ラグビー日本代表のシンボルとなる桜の花もこの部分の歌詞とかけているのかもしれません。 日本を背負って勝利を掴み取るという強い意思も感じ取ることができます。 疲れたその目で何を言う 傷跡隠して歩いた そのくせ影をばら撒いた 気づいて欲しかった 満身創痍の主人公は誰にも自分の気持ちを伝えることができませんでした。 自分と同じような気持ちを知ってほしいということを「影をばらまいた」という表現で表していますが、決して前向きな気持ちではなく、やらなければいけないという使命感にかられた精神状態が伺えます。 周りからの後押しを待っているのかもしれません。 まだ歩けるか 噛み締めた砂の味 夜露で濡れた芝生の上 はやる胸に 尋ねる言葉 終わるにはまだ早いだろう 倒れ挫折を味わったとしても同じような気持ちの仲間と出会うことで、 「まだやれる!倒れるにはまだ早い!」と自分自身を鼓舞しています。 自分一人であれば限界を迎えてやめてしまっているかもしれませんが、仲間同士で支え合うことで限界を越えることができているのかもしれません。 誰も悲しまぬように微笑むことが 上手くできなかった 一つ ただ一つでいい 守れるだけで それでよかったのに あまりにくだらない 願いが消えない 誰にも奪えない魂 みんなが幸せならそれが一番いいですよね。 周りに合わせれば自分が嫌だと思っていても丸く収まることは多々あります。 今までは自分にとって大事な気持ちを守れればそれで良かったのに、 今では 自分を押し殺してまでその気持ちにはなれなくて、 お互いに高めあいたいという気持ちが強くなってしまった。 このみんなで勝利を勝ち取りたいという執念の願いを果たしたいという誰にも負けない気持ちが、 「誰にも奪えない魂」として出てきているのでしょう。 何に例えよう 君と僕を 踵に残る似た傷を 晴れ間を結えばまだ続く 行こう花も咲かないうちに ここで出てくる「君」とはラグビーのことでもありチームメイトのことでもあると思います。 練習で同じ傷を作ってきたかけがえのない仲間と共に、 未来のことがわからなくてもチームメイトと一緒に大好きなラグビーをやりたいと心からの願いだと思います。 米津玄師「馬と鹿」の歌詞の意味は??ドラマ「ノーサイド・ゲーム」のタイアップ曲 まとめ いかがだったでしょうか?? 米津玄師さんの「馬と鹿」の歌詞の意味とドラマ「ノーサイドゲーム」などについてお伝えしていきました。 米津玄師さんの逆境と戦う意思の強さが歌詞にもあらわれていました。 いつも米津玄師さんの世界観には驚かされます。 もし自分にも同じように逆境に立ち向かわないといけない時はこの歌詞をみて勇気付けられることがあるかもしれませんね。
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