途中休載が何度もあったため、イライラした読者の人も多かったでしょうがその休載があっても最高に感動したのがキメラアント編。 私もハンターハンターファンでよかったと思えるほど感動的な作品でした。 戦いの描写やメルエムとコムギの最期など見どころがたくさんあったキメラアント編ですが、実は気づきにくい伏線がたくさんありそれを知るとより感動が深まります。 果たしてキメラアント編にはどのような伏線が用意されていたのでしょうか? ここでは キメラアント編に隠されていた伏線についてどこよりも詳しく解説していきます。 軍議に隠されていた伏線 まずはメルエムとコムギが戦った軍議についての伏線から紹介していきます。 ただの戦法の名前であると一見見逃してしまいそうですが、実はこの狐狐狸固(ココリコ)には大きな秘密が隠されていました。 狐狐狸固(ココリコ)の戦法は次の通りです。 王を孤立させる• 一手目で右翼に弓を据え• 槍3本で即効を決める• 右に寄せてできた左翼の空白に持ち駒が死角を作る• 槍3本と左翼の攻防で2枚の駒を失う• 狐狐狸固(ココリコ)の決めの一手中将新 というのが狐狐狸固(ココリコ)の戦法なのですが、 実はこれゴンらキメラアント討伐チームとメルエムらキメラアント軍との攻防を示したものになっているのです。 メルエムはコムギとの軍議に熱中しているため護衛軍から孤立した状態になっています。 その様を弓が降り注ぐようだと形容しています。 ピトーがコムギを治療することでメルエムと護衛軍は分断されました。 これによりメルエムはピトー、ユピーという2体の部下を失いました。 このように 討伐チームとキメラアントの戦いは、軍議の狐狐狸固(ココリコ)通りに進んでいきました。 ただの戦いだと思われていた軍議にここまで深い意味が隠されているとは、さすが冨樫先生と言わざるを得ませんね。 最後の軍議ではこれまでにない手がたくさんあふれてきて、それを唯一目撃したのはパームのみとなりました。 そんな2人の軍議の最後の手は 4-7-1帥という一手。 先ほどの伏線から帥とは将棋でいう王将であることがわかり、つまりメルエム自身であることを示しています。 そして4-7-1という手は4 死)-7 なな -1(い)と読むこともでき、この一手は 死なない王と読み取ることもできます。 ここでいう王とは東ゴルドーの王であったディーゴのことではないかという説もありますが、これまでの物語の流れからメルエムである可能性も十分にあります。 もしこれが伏線となっているのであれば、メルエムが再登場するなんてこともあるかもしれないですね。 メルエムの最期に隠された伏線 キメラアントの王としてあらゆる種族の王になるために産まれたメルエム。 そんなメルエムはネテロの命をかけた薔薇の毒によって死ぬことになります。 メルエムの最期には様々な伏線が回収されましたので、そちらを振り返っていきましょう。 強すぎるがゆえにメルエムは物語序盤で様々な疑問を持つことになります。 「余は、王だ。 だが余は何者だ…?余は一体、何の為に生まれて来た…?」(260話) 「余は何者だ…?名もなき王、借り物の城、眼下に集うは意志持たぬ人形。 これが余に与えられた天命ならば、退屈と断ずるに些かの躊躇も持たぬ!」(261話) といったようになぜ自分がこの世に産まれてきたのかをメルエムは常々疑問に思うようになります。 そんな疑問を抱いていたメルエムは最期にコムギと軍議を打っている最中その答えにたどり着きます。 メルエム「…そうか余は、この瞬間のために生まれきたのだ…!!」コムギ「ワダすはきっと、この日のために生まれて来ますた…!」 あらゆる種族の頂点に立つと言われてきたメルエムですが、コムギと軍議を打ちわかりあうために産まれてきたという何とも人間くさい結論にたどり着きます。 そして 317話「返答」では今までメルエムが思ってきた疑問に対する返答が詰まっている回でした。 実際このような瞬間に出会える人というのは非常に少ないように思います。 メルエムを通じて冨樫先生の伝えたかったメッセージは、大切な人と過ごす時間はかけがえのないものだということかもしれませんね。 以前ゼノのドラゴンダイブによって負傷したコムギを抱えるメルエムは、慈愛にあふれていました。 そしてメルエムが息絶えるシーンでは、以前とは逆に息絶えたメルエムを慈愛にあふれたコムギが抱きかかえるというシーンが描かれました。 コムギを抱きかかえていた時のメルエムの表情を人とネテロは表現していましたが、息絶えた時のメルエムの顔もきっと人の顔をしていたのでしょう。 軍議を通じてわかりあい、長年連れ添った夫婦のように死んでいったメルエムとコムギ。 ハンターハンターでも屈指の感動シーンには、このようにたくさんの伏線が張られた上で作られていました。 まとめ ここまでハンターハンターのキメラアント編に隠されていた伏線について解説してきました。 ネテロとメルエムの戦いも見事でしたが、やはりコムギとメルエムの関係性がキメラアントの主軸になっていきました。 ここまで綿密な物語を作る冨樫先生はやはり天才でしょう。 現在連載中の暗黒大陸編ではどのような感動が待っているのでしょうか。 暗黒大陸編が完結するのは何年後になるかわかりませんが、ファンとしてじっくり待ちたいと思います。
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ハンターハンターキメラアント編の考察「メルエムとコムギのエピソードが泣ける」 もうね、メルエムとコムギの「最期」が最高ですよね。 この結末によって、 傑作が大傑作にクラスチェンジしました。 まさかハンターハンターで泣く日が来るとは思わなかったです。 再読するほど、 「あ、そういう意味か」という理解ポイントが増えて、感動が増します。 メルエムの特徴まとめ メルエムの特徴をまとめます。 蟻の王として、種のために生きる役割• 圧倒的であるがゆえ、共存する者がいなく、孤独• 生物として最強• 天命は退屈と断ずる人生だが、「コムギとの最後の瞬間のために生きてきた」という思いにたどり着く コムギの特徴まとめ コムギの特徴をまとめます。 軍儀のチャンピオンだが、周囲から愛されず、孤独• 生物として脆弱• 対局の中で、王と二人で「狐狐狸固」を生き返らせる。 「この瞬間のために生きてきた」という思いにたどり着く 部下からの畏敬しか知らないメルエムが、死ぬ直前に愛を受け取りました。 コムギとメルエムの最後の戦い。 コムギは以前、2回も自らの手で子供「狐狐狸固」を亡き者にしています。 その「狐狐狸固」を蘇らせ(活路を見出し)、メルエムに勝利します。 どちらが勝ったかは意味がありません。 二人で「狐狐狸固」という子供を生かした、生まれ変わらせたと考えられます。 子供に愛を与えられなかったことを悔いていたコムギ。 メルエムと出会うことによって、狐狐狸固へ、そしてメルエムへの愛を与える存在になれたのです。 最後に「コムギ、いるか?」と何度も問うのも、感動的。 というのも、メルエムの口癖は 「二度言わすな」でしたからね。 無意味な問答を嫌い、一方通行の「命令」でのコミュニケーションだけでした。 そんなメルエムが最後に、対等の立場のコムギに対して、感情的な繋がりを求める。 最高のエンディングでした。 ハンターハンターキメラアント編が面白いのは「主人公が脇役になる」から 主人公のゴンが脇役になります(=ボスを倒す役目じゃない) これは、漫画史上無かった展開では? 主人公がラスボスにトドメを与えないことはあったにせよ、ラスボスと戦わないという展開はありえませんよね。 普通の少年漫画の展開 普通の少年漫画の流れは以下の通り• 主人公がボスに実力差で負ける• 修行する• 大切なものに気づく• ギリギリの接戦だが、最後の一押し(精神力)でボスに勝つ キメラアント編では、ネフェルピトーから退散(=実力差で負ける)後に、「2. 修行する」まではやりました。 普通だと、ボス(今回だとメルエム)と戦えるくらいの強さを、以下のどちらかの方法で得ます。 何かしらの「修行」• 「知恵(工夫)」による明確な「論理展開」 キメラアント編の異常な展開 ところがハンターハンターは違う。 キメラアント編の最後、ゴンは 「もう念能力を使えなくなってもいい」という覚悟・制約により、チートな強さを一瞬で得ます。 ハッキリ言ってキメラアント編は異常な展開 漫画を読み返すとわかるのですが、 ゴンがもともと持っていた目の輝き(黒背景に白い丸)は、ある時点から無くなっています。 そして、このチートな強さを得る展開(ゴンさん化)。 どう考えても「ダークヒーロー」的です。 王道ではなく邪道な主人公になってます。 何よりもスゴいのは 「4. ギリギリの接戦だが、最後の一押し(精神力)でボスに勝つ」という定石を完全無視! 「余裕で勝ちます。 しかも相手はボスじゃない」という展開 誰も 「普通、ゴン(さん)はメルエムと戦うでしょ!!」と思ったはず。 まさかのメルエム無視の 「ゴン、カイト、ネフェルピトー」の3者の話への着地。 もはや、本筋(人類の危機)とは関係ない、サプエピソードです。 信じられない。 更に言うとジャンプ漫画としてはあまりない 「敵を殺してしまう」展開です。 キメラアント編以前は、ゴンは動物と仲良くなり、どんな敵も許してきました。 直前の、グリードアイランド編のラストでは、瀕死のゲンスルーを救いましたよね。 ……キメラアント編では、完全な闇落ちです。 これは「主人公」としての役割終了(退場)させるため、という意味が大きいのかなと。 ちなみに、王位継承編では「クラピカ」が主人公(読者目線)です。 さらにその後の、暗黒大陸上陸後は「ジン」が「パリストン」とバディを組み、この2人の視点による物語になるでしょう。 どう考えても、ジン=ゴン、パリストン=キルアです。 そんな感じで、読者が予想しない展開が面白すぎます。 ハッキリ言ってファンサービスですねw 幻影旅団にとって兵隊長クラスは余裕 兵隊長クラスの蟻と戦ったのは、フィンクス、ボノレノフ、シャルナーク、シズク、カルトでした。 「漫画の演出上」少しだけ苦戦しましたが、ほぼ能力を出し切らずに圧勝しています。 カイトもやられた、ゴンとキルアも太刀打ちできない、キメラアントって強すぎるのでは?? …と思わせておきながらの 「幻影旅団つえー」という展開。 この漫画において各エピソードで必ず幻影旅団は出てくる重要なキャラたちです。 しっかり強い姿を見せているんですね。 ポイントは、彼らは、他のキャラと違って、成長しない=すでに限界レベルに到達していること。 圧勝するくらいのバランスでちょうど良かったのでしょう。 バランス調整というか、太鼓持ちというか…w こんな感じだと思います。 蟻は強いよ(カルトを通じた冨樫先生の声)」 という流れです。 まったく本編には関係ない「ファンサービスの幻影旅団編」で、「キメラアント弱いんじゃね?」と麻痺しそうになる読者の感覚をもとに戻す効果があったように思います。 ヒソカはどれくらい強いのか【おまけ】 一時期ネットで 「ヒソカは護衛軍レベルなら余裕」という話が出回りました。 フェイタンが師団長に勝ったことを考えると、師団長よりは強いでしょう。 ただ、護衛軍レベルとなるとなんともわからないですね。 まとめ:ハンターハンター「キメラアント編」は最高 他にも、色々と語りたいことはあります。 幽遊白書の歴史。 インフレ化を避けた• 善悪の対比。 人間の悪意。 ゴンとキルアの関係がすれ違った理由• 光と闇の比喩• 漫画「寄生獣」の影響 昨夜からキメラアント編を読んで、止まらなくなってしまい、そのまま記事を書いてしまいました。 ハンターハンターは最高に面白い。 追記:最近のハンターハンターが面白すぎるので、各話ごとに考察と解説記事を書きました。 極太理 キメラアント編。 最も成長したのはメルエムです。 産まれた時、母の生死に無関心、部下でさえ簡単に始末していたにもかかわらず、軍儀を通して自分の駒、相手でさえ敬意を評し、対応も変わっています。 軍儀を通して部下や敵にまで敬意をしめすようになったのです。 蟻でありながら人間すら超えたと言っても過言ではありません。 今後メルエムクラスのキメラアントや念能力を持つ者を示唆しているかもしれません。 つまり制約なしでクラピカ達以上の念能力所持者がキメラアントから産まれるかもしれません。 後ヒソカの念能力はドッキリテクスチャーとバンジーガムですが2つもあります。 視覚を惑わすものと物理的に引力と斥力を念を通じて伝達するものです。 この威力、発達すると恐ろしいものになります。 ナルトに出てきたペイン並みの力にまで達するとヒソカの怖さが増しますね。 今後の展開に期待します。
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貧者の薔薇で倒される意味 ネテロとの念能力を用いた戦いには勝利したものの、ネテロが体内に仕込んでいた貧者の薔薇の毒を浴び、圧倒的な強さを誇りながらあっさりと命を落としたメルエム。 この結末に「作者がメルエムを倒す方法を思いつかなかったから爆弾を持ち出した」や「爆弾を使わずに念能力での戦いで終わらせて欲しい」といった類の否定的な意見を偶に目にします。 強敵が爆弾で倒される展開は拳と拳の殴り合いが魅力の少年漫画的に邪道ではありますし、ネテロの100年を超える修行の成果が爆弾に劣るものに思えてしまいます。 それに対して思わず批判を口にする気持ちは分からないでもないのですが、好き嫌いは別として物語全体の流れを読み解けば、貧者の薔薇で倒される展開は、当然の成り行きなのではないでしょうか。 そのことを説明する為には先生の「」の存在は避けて通れません。 「」との共通点から見える結末 メルエムを貧者の薔薇で倒す展開は終盤に思い付いた案なのか、それとも序盤から視野に入れていた案なのか。 これについては蟻編の元ネタが「」である事を踏まえると後者の可能性が極めて高いです。 「」を読んでいる方なら分かると思いますが、蟻編はこれの影響をかなり受けているんですよね。 護衛軍のモントゥトゥユピーは髪型がオールバック、複数の触手を振り回し、怒りの感情を溜め込み殺戮マシーンと化すなど、その外見も性質も含めて「」に登場する後藤がモデルとしか思えません。 この「」に登場する最強の怪物である後藤は、戦闘能力において主人公を遥かに超えていましたが、主人公が手にした武器に偶然付着していたゴミ焼却過程で発生した有害物質を体内に捻じ込まれ、強靭な肉体も役に立たず簡単に倒れてしまいます。 同様にユピーも環境に配慮していない人間によって作り出された毒によって倒されます。 蟻編が「」の影響を受けている部分は上記の他にも見られ、序盤に描かれたハギャの初登場シーンにもそれは表れています。 「」の動物園で飼育されたライオンは無謀にも人間に擬態したパラサイトに襲い掛かり殺されますが、「」の人間の知性を持つハギャは自分より格上のカイトに戦いを挑まず生き延びます。 死を代償に身に付けた学習する知能、それがハギャが爪と牙に代わる新たな武器。 メタ的に見ればハギャはパラサイトに殺されたライオンの生まれ変わり的な存在と言えますね。 ちなみに両作品とも序盤にライオンが現れて終盤に毒が使われます。 これらの「」を思い起こさせる描写の数々から察するにメルエムの死に方は終盤の思い付きではなく、蟻編を始めた当初からある程度は練られていたものと思われます。 連載当時に蟻編を読んでいた時は展開が読めませんでしたが、推理する情報はあらゆる場所に散り嵌められていたので、勘の鋭い方ならメルエムが念能力で倒されないことを予想していたのではないでしょうか。 キメラアントにも劣らない人間の悪意 上記の話だけでは冨樫先生の独創性が感じられず「」のパクリと思われてしまい、貧者の薔薇による幕引きの魅力が伝わらないかもしれません。 ですからそれを伝える為にも、キメラアントがどのような存在なのか簡単に書き記していきます。 まずは「」に登場するパラサイトとキメラアントの相違点、それについては人間の遺伝子を受け継いでいるかどうかにあります。 キメラアントは人間から見れば確かに生物学的な分類では異種族ではあるのですが、その人格は餌に選ばれた人間の影響を受けて作られたものですから、ある意味ではキメラアントは人間の同類とも言えます。 ウェルフィンなんて人間の頃の記憶も自我も残されているので、人間と異なるのは外見程度しかありません。 両者が純粋な異種族同士でないという話は、下記のリンク先の記事でも語られていますね。 先程は同類と書きましたが、蟻編の序盤はキメラアントと人間の類似性を悟らせない見せ方でした。 その証拠にキメラアントは人間を餌にするだけでは飽き足らず、自分の快楽の為に弄り殺すなど、残虐性が強調されてゴン達にとって殺してもいい怪物の様に描写されました。 仲間だけは大切にする幻影旅団やボマーとは別種の読んでいて吐き気を感じる外道。 それはハギャ隊との戦いを終えたゴンの台詞から感じ取れます。 ゴン「仲間をゴミって言うような奴らに同情なんかしない!」 カイト「それが危険なんだ。 仲間想いの奴がいたらどうするんだ…?」 その後のキメラアントの描き方は「仲間は売れねェ」と言ってキルアに命乞いせずに自らの腕を切り離して死を選んだルゴを見ても分かる通り、読者も共感するような仲間を大切に思う一面が描かれたりと、キメラアントの内面は人間のそれと何ら変わらないことが明示されます。 それは自然な反応でキメラアントは人間の遺伝子を取り込んで産まれた生物ですから、彼等の持つ善性も悪性も併せてその精神は人間と酷似しています。 当然序盤で描かれたキメラアントの残虐性も人間に由来するものです。 そのキメラアントに受け継がれた人間の持つ悪性ですが、ジャイロの父親の虐待やジャイロのドラッグの生産から多少は窺えるものの、蟻編の中盤までに描写されたものはどれも小規模で人類全体の持つ悪性とは言い難いんですよね。 これらの少数の人間達の悪行が人類を滅ぼしかねないキメラアントの悪性に匹敵するとは個人的には思えません。 キメラアントが善悪の両方を極端なまでに描かれているというのに人間の方は悪い面はあまり描かれず、人類や仲間を守る為に命を懸けて戦うなどの良い面が目立つというのは不公平。 悪党であるはずの幻影旅団も蟻編では劇場版のみたいにまるで気の良い奴らみたいに描かれていました。 とはいえ冨樫先生がそんな人間にとって都合の良い部分を好んで見せる作家ではないことは、「」の仙水編等の過去に描かれた作品を読めば明白。 そうであるならば、蟻編の終盤にその悪性が集約された何かがあると考えるのが自然でしょう。 そして、キメラアントの進化の全てが王に集約して生命の頂点に君臨する唯一無二の存在となった様に、人間が進化し技術と悪意を育てた先に生まれたものが非人道的な兵器の貧者の薔薇。 人間=正義でキメラアント=悪という読者の思い込みを粉々に砕き、人間もキメラアントも何も変わらない存在として描き、さらにキメラアントの全てを託されたメルエムに対抗可能な人間全体の力が集約されたものを用いるのであれば、貧者の薔薇による殺害はこれ以上ない位に見事な結末であると疑う余地は有りません。 「」の先に進む道を開いた蟻編 メルエムを貧者の薔薇で絶命させ、念能力による戦闘では敗北させない。 これには最強の王の威厳を最後まで保たせる効果と蟻編で急速に進んだパワーインフレに歯止めをかける効果があります。 もしもあそこでネテロやゴンさんがメルエムを強引に力技で負かしていたら、絶対に勝てなさそうな強敵が現れたとしても、主人公達が強ければ勝てるという前例が作られてしまい、作風がその方向に傾き始めパワーインフレは止まらず「」の二の舞になっていた気がしてなりません。 蟻編の最後が変身して長髪になったゴンさんに倒されたメルエムを連れたシャウアプフが「あなた方はまた別の敵を見つけて戦い続ければいい」と言い残して去る展開なんて私は見たいと思いません。 そんな「」みたいなノリで進んでいったら、選挙編もハンター全員で殴り合って、最後まで倒れずにいた奴が次期会長という適当な展開になりそうですね。 そしてそのままに生息している超巨大な生物達も力で押し切りそうですが、それは「トリコ」でやっていればいいのであって「」には求めていません。 その方向で進めない為にも冨樫先生はメルエムとの勝負でネテロ会長を敗北させ、あの世界における個の限界を読者に示したのではないかと思います。 たとえ世界でに入る念能力者であろうと勝てないものはある。 この様に冨樫先生は作品を描き続けるモチベーションを維持する為に、物語をマンネリ化させる原因のパワーインフレを阻止する制約を自ら設けました。 少しばかり話が脱線しますが、キメラアントという人間みたいな性格の化物を描いた直後、十二支んという化物みたいな外見の人間を登場させた背景には、人間と人間以外の生物の境界線は曖昧だと強調する意味も含まれているのかもしれません。 冨樫先生は蟻編で何かが振り切れたのかナニカ、パリストン、ツェリードニヒと単純な戦闘力では驚異度を測れないキャラを次々に登場させ、そして物語の舞台は殴り合いでは勝ち目が感じられない超巨大な生物が住まう新世界に移ります。 肉体の強さがものを言う「」的な価値基準は完全に壊され、レオリオやチードルの様に戦闘以外での見せ場を与えられるキャラが増えていき、物語の幅はキメラアントを倒す目的で動いていた蟻編の頃よりも格段に広がりました。 ジャンプ漫画の大半が最初は冒険や推理やギャグをしていても途中からバトルに移行してしまい、そこから抜け出せずに人気のキャラを使い続けて同じ事の繰り返しに陥る中で、最高のバトルを終えても完結せずに個の強さが意味を持たない新たな境地に至る。 これまでの価値観が通用しない新世界編は読者と主人公達を文字通り、新しい世界に誘う事は間違い有りません。 何年先になるか分かりませんが続きが楽しみですね。 taida5656.
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