松方は1942年7月23日、東京市王子区王子(現・北区王子)に生まれた。 父・近衛十四郎、母・水川八重子はともに人気役者で、松方が生まれると「近衛十四郎一座」を結成。 全国津々浦々を巡業するなか、幼い松方は座員たちに育てられた。 〈移動、移動ですから。 衣装や小道具を先に送って、五十人ぐらいの一座が夜行で移動するんです。 (中略) それから、父親と母親がヒロポンを打ってた。 ヒロポンはそのころ非合法じゃなくて、薬局で売ってました。 疲れた時に打つビタミン剤みたいなもんでしたからね。 列車の中で父親と母親は、自分たちが打ったついでに僕にも打ったらしいんです。 小学校上がったばかりの子供にですよ(笑)。 それで僕がイっちゃったらしいんです。 「列車から飛び降りる!」ってスーパーマンみたいな格好したって(笑)〉 少年時代は歌手を夢見ていたが、父の「〝歌う映画スター〟ってぇのもいいぞ」という言葉に乗せられ、'60年に東映入りを果たす。 俳優の道を歩み始めた松方の目標となったのは、中村錦之助(のちの萬屋錦之介)だった。 〈十代のころからずっと錦兄ィが憧れでした。 もうこの人に勝る役者はいないくらいに思ってて、時間があれば錦兄ィのセットを見に行ってましたし、作品も全部見せてもらいました。 錦兄ィって普段はものすごく声が高いんです。 「オイッ!」ってものすごい甲高い声でしゃべる。 けれどお芝居になるとまるでトーンが変わるんです。 セットで見てると、「あとからメシでも食いに行くか」って、錦兄ィに食事に連れて行ってもらうのがどんなに嬉しく、そばにいられることが楽しかったか〉 〝男高倉健〟は虚像です '63年、高倉健・三田佳子の『』と鶴田浩二・佐久間良子の『』がヒットし「東映仁侠映画の時代」が始まる。 松方は'71年に『』で菅原文太と、『』シリーズの第8作で高倉健と共演。 ともに佐伯清監督の作品だった。 〈佐伯(清)先生は僕を買ってくれて、『』ですごくいい役をくださいましてね。 僕も意気に感じて頑張ったんです。 初号試写(完成後、スタッフが最初に観る上映会)の日、映画が終わって、場内が明るくなるとみんな手を叩いてくれて……ホッとしました。 すると健さんが、「弘樹ちゃん、よかったねぇ。 女遊びすると、お芝居うまくなるんだね」とこう言ったんです。 初号試写ですから撮影所長以下全部いるわけですよ。 場内が静まり返りましてね。 そんななか、佐伯先生が、「高倉君、『弘樹ちゃんうまくなったねぇ』だけでいいんだよ。 そのあとのセリフはいらないよ」ってパーンって言ってくださったんです。 みんないる前でですよ。 健さん主役ですよ。 「キミ、器がちっちゃいねえ」って。
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俳優 松方 弘樹 さん死去 2017年(平成29年)1月21日 死去 享年74歳• 俳優 松方 弘樹 さん死去 去年3月、脳リンパ腫と診断され入院生活を送っていた俳優の 松方 弘樹(まつかた ひろき)さんが 2017年(平成29年)1月21日午前11時26分、脳リンパ腫のため東京都内の病院で死去した。 74歳だった。 本名は目黒 浩樹(めぐろ こうじゅ)。 時代劇俳優 近衛十四郎さんの長男で、1960年(昭和35年)に東映に入社し、映画デビュー。 東映の時代劇映画などで人気を集め、「仁義なき戦い」シリーズや「北陸代理戦争」など東映実録路線のスターとしてダイナミックな演技を見せた。 テレビでもNHK大河ドラマ「勝海舟」や「遠山の金さん」に主演した。 また、「松方弘樹・世界を釣る」といった釣り番組での豪快な姿も親しまれた。 弟は俳優の目黒祐樹。 本名は目黒 浩樹(めぐろ こうじゅ)。 個人事務所である株式会社MARE(マーレ)所属。 17歳で『十七歳の逆襲・暴力をぶっ潰せ』(1960年、東映)で主演デビュー。 以来、「赤穂浪士」「次郎長三国志」など時代劇を中心に甘いマスクの二枚目スターとした人気を得る。 映画『893愚連隊』の主演、『昭和残侠伝シリーズ』の助演、『人形佐七捕物帳』(NHK)の主演など、主に時代劇やヤクザ映画に出演。 中でも佐七は松方の当たり役になり、その後に制作されたテレビ朝日の『人形佐七捕物帳』でも再び主演した。 1972年の四カ国合作映画『東京-ソウル-バンコック 実録麻薬地帯』、1973年の『仁義なき戦いシリーズ』などで敵役・悪役で芸域の幅を広げた。 1974年(昭和49年)大河ドラマ『勝海舟』で、病気降板した渡哲也から主役を交代した際、兄妹役で共演した仁科明子と不倫関係となりマスメディアを賑わせた。 『県警対組織暴力』や『暴力金脈』『実録外伝 大阪電撃作戦』『沖縄やくざ戦争』などの実録シリーズでも強烈な個性を発揮した。 『修羅の群れ』の主役を張って一本立ちした。 1978年(昭和53年)の『柳生一族の陰謀』で時代劇映画に復帰。 それ以降は仁侠映画と共に活動の二分となった。 テレビドラマでは大河ドラマ『勝海舟』や時代劇『大江戸捜査網』の主役を務めた。 一方で、バラエティ番組『天才・たけしの元気が出るテレビ!! 』ではそれまでのイメージを覆し、冗談好きで笑い上戸な一面をみせ、以後バラエティ番組にも顔を出すようになる。 私生活では、最初の妻で元モデルの夏子との間に長男の目黒大樹(親権は松方)、長女 なえ、次女 なち。 2度目の妻・仁科亜季子との間に、次男の仁科克基と三女の仁科仁美(親権は2人とも仁科)。 愛人関係であった千葉マリアとの間に十枝真沙史(松方は認知)。 仁科とは1974年の大河ドラマ『勝海舟』での夫婦役で共演後に恋仲となったが、松方は当時既婚者で仁科の父・岩井半四郎が激怒する様は当時の芸能マスコミを賑わせた。 2016年(平成28年)、検査の結果「脳リンパ腫」との確定診断を受けたことが発表された。 2017年(平成29年)1月21日午前11時26分、脳リンパ腫により死去。 74歳没。 妻 その愛?
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俳優 松方 弘樹 さん死去 2017年(平成29年)1月21日 死去 享年74歳• 俳優 松方 弘樹 さん死去 去年3月、脳リンパ腫と診断され入院生活を送っていた俳優の 松方 弘樹(まつかた ひろき)さんが 2017年(平成29年)1月21日午前11時26分、脳リンパ腫のため東京都内の病院で死去した。 74歳だった。 本名は目黒 浩樹(めぐろ こうじゅ)。 時代劇俳優 近衛十四郎さんの長男で、1960年(昭和35年)に東映に入社し、映画デビュー。 東映の時代劇映画などで人気を集め、「仁義なき戦い」シリーズや「北陸代理戦争」など東映実録路線のスターとしてダイナミックな演技を見せた。 テレビでもNHK大河ドラマ「勝海舟」や「遠山の金さん」に主演した。 また、「松方弘樹・世界を釣る」といった釣り番組での豪快な姿も親しまれた。 弟は俳優の目黒祐樹。 本名は目黒 浩樹(めぐろ こうじゅ)。 個人事務所である株式会社MARE(マーレ)所属。 17歳で『十七歳の逆襲・暴力をぶっ潰せ』(1960年、東映)で主演デビュー。 以来、「赤穂浪士」「次郎長三国志」など時代劇を中心に甘いマスクの二枚目スターとした人気を得る。 映画『893愚連隊』の主演、『昭和残侠伝シリーズ』の助演、『人形佐七捕物帳』(NHK)の主演など、主に時代劇やヤクザ映画に出演。 中でも佐七は松方の当たり役になり、その後に制作されたテレビ朝日の『人形佐七捕物帳』でも再び主演した。 1972年の四カ国合作映画『東京-ソウル-バンコック 実録麻薬地帯』、1973年の『仁義なき戦いシリーズ』などで敵役・悪役で芸域の幅を広げた。 1974年(昭和49年)大河ドラマ『勝海舟』で、病気降板した渡哲也から主役を交代した際、兄妹役で共演した仁科明子と不倫関係となりマスメディアを賑わせた。 『県警対組織暴力』や『暴力金脈』『実録外伝 大阪電撃作戦』『沖縄やくざ戦争』などの実録シリーズでも強烈な個性を発揮した。 『修羅の群れ』の主役を張って一本立ちした。 1978年(昭和53年)の『柳生一族の陰謀』で時代劇映画に復帰。 それ以降は仁侠映画と共に活動の二分となった。 テレビドラマでは大河ドラマ『勝海舟』や時代劇『大江戸捜査網』の主役を務めた。 一方で、バラエティ番組『天才・たけしの元気が出るテレビ!! 』ではそれまでのイメージを覆し、冗談好きで笑い上戸な一面をみせ、以後バラエティ番組にも顔を出すようになる。 私生活では、最初の妻で元モデルの夏子との間に長男の目黒大樹(親権は松方)、長女 なえ、次女 なち。 2度目の妻・仁科亜季子との間に、次男の仁科克基と三女の仁科仁美(親権は2人とも仁科)。 愛人関係であった千葉マリアとの間に十枝真沙史(松方は認知)。 仁科とは1974年の大河ドラマ『勝海舟』での夫婦役で共演後に恋仲となったが、松方は当時既婚者で仁科の父・岩井半四郎が激怒する様は当時の芸能マスコミを賑わせた。 2016年(平成28年)、検査の結果「脳リンパ腫」との確定診断を受けたことが発表された。 2017年(平成29年)1月21日午前11時26分、脳リンパ腫により死去。 74歳没。 妻 その愛?
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