下記のサイトに詳しく書かれています。 【原文】 「雨ニモマケズ」が手帳に書かれていましたが、 そこには「ヒドリ」と書かれていたようです。 入沢康夫は、これは誤字ということを発表し、 「ヒデリ」の書き誤りということが定説になりました。 【ヒドリ】 ヒドリは、日照りではなく「日取り」つまり日雇い労働のことを さすということではないかという説も出て行きました。 それが新聞で取り上げられ議論となったということです。 賢治は実際に「ヒドリ」と書いていますので、 誤字かそれとも「日取り」かまだ決着がついていないようです。 私としてはヒドリは、ヒデリ(日照り)の誤字だと思います。 デとドの違いで大きく意味が変わります。 参考URL: A ベストアンサー 「風の又三郎」を流し読みしたところ、「うわい、又三郎風などぁ世界じゅうになくてもいいな、うわい。 」という箇所は見つけました。 ただ、私は精読はしていないので、「~わあい」という箇所を見落としているのかもしれません。 しかし、「わあい」も「うわい」も同じことです。 「わあい」は、それ自体に特定の意味をもつ方言ではありません。 広辞苑では、「わあい」は、はやしたてる語(感動詞)であると記載されています。 現代風に表記すれば、「わーい、わーい」というはやし言葉になります。 はやし言葉ですから、「わーい」の後に冷やかすような言葉が続く場合と、逆に、冷やかすような言葉に「わーい」をつける場合と、それから、冷やかすような言葉の前後に「わーい」をつける場合と、三つのケースがあるでしょう。 例えば、「風の又三郎」とは直接の関係はありませんが、 ・「わーい、お前は泣き虫だー」 ・「お前は泣き虫だー、わーい」 ・「わーい、お前は泣き虫だー、わーい」 となるかと思います。
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「雨ニモマケズ手帳」のレプリカ 『雨ニモマケズ』は、大正時代の作家・詩人である宮沢賢治の書いた詩である。 現代の我々からすれば『雨ニモマケズ』は、誰もが知る名作といっても良いだろう。 しかし、『雨ニモマケズ』は実は人に発表するために書かれた詩ではない。 賢治が自分の手帳に書いた、いわばメモ書きのようなものの一部なのである。 この手帳が発見されたのは賢治が亡くなった1年後…とある出来事がきっかけで偶然に見つかり、世に広まったのだ。 『雨ニモマケズ』が記された手帳は一体どのように発見されたのか、その手帳には何が書かれていたか。 『雨ニモマケズ』を読むだけでは見えない、手帳の中身にまつわる雑学を書いていこうと思う。 ちなみに、宮沢賢治は急性肺炎で亡くなったといわれている。 この時点であの有名な『銀河鉄道の夜』も『風の又三郎』も未発表の状態であったのだ。 創作活動をしていた時期はこれらの原稿を、大きなトランクに詰め込んで持ち歩いていた。 …後に見つかる『雨ニモマケズ』の手帳はこのトランクから見つかることとなる。 賢治が亡くなった年の11月。 生前に面識はなかったものの同人誌などを介して賢治と交流のあった、 「蛙の詩人」として有名な草野心平が賢治の死を悼み、『宮沢賢治追悼』という本を刊行した。 この『宮沢賢治追悼』の刊行の後に心平は、宮沢清六と同人誌繋がりで賢治と交流のあった高村光太郎、そして、賢治の死後に彼を知って強く感銘を受けたという小説家の横光利一らとともに、 昭和9年10月に文圃堂(ぶんぽどう)という書店から初の『宮澤賢治全集』を刊行したのである。 生前は無名作家であった宮沢賢治が大きく注目されるきっかけを作ったのは心平や清六、その他少数の賢治ファンたち。 彼らの必死な布教活動あってのことだったのだ。 関連雑学 手帳はトランクのポケットから見つかった 手帳が見つかることとなる発端は、この全集の発行よりも数ヶ月前の昭和9年2月に会合を開くことになったことだ。 「第一回宮沢賢治友の会」と銘打たれ、東京の新宿にあった「モナミ」という喫茶店にて行われた。 ちなみに、会合には『ごんぎつね』で有名な新美南吉といった、我々も知っているような作家も参加していたという。 清六はこの会合の準備でトランクの原稿の整理をしていた時、 内ポケットがあることに気付き、中を見ると革張りの黒い手帳が出てきたという。 そう、これが「雨ニモマケズ手帳」が賢治以外の人の目に触れた瞬間だったのである。 清六は岩手から賢治のトランクに原稿を詰め込み、上京してきた。 会合中に手帳が見つかるとは…まさにジャストなタイミングだな。 清六は原稿と共に会合の参加者にこの手帳を公開したところ、参加者たちは大いに盛り上がったそうだ。 内容は賢治の信仰していた法華経に関する記述や手記といったものであったが、やはり『雨ニモマケズ』の存在は強かったのだろう。 同年9月には手帳に書かれていた『雨ニモマケズ』が岩手日報にて初めて活字化された。 それ以降は心平の宮沢賢治関連書籍や学校の教科書などに掲載され、どんどん一般にも知られていったのである。 書かれた時期は手帳の内容から察するに賢治が病で苦しんでいた頃である。 東京で発熱したことを最初のページで書き始めてから、以降は前述したような法華経のお題目や、父親と母親に関する手記が多く書かれている。 「再ビ東京ニテ発熱」の解説ページ 「雨ニモマケズ手帳」はトランクのポケットから出てきたとさきほど書いたが、実は手帳の他に、別のものが入っていたのである。 それは賢治が家族に宛てた2通の遺書。 なぜかトランクのポケットに入ったままになっていたのだ。 この遺書を清六が発見したのは東京の会合が終わり、岩手へ戻ってきてからである。 この遺書は、手帳の内容と賢治の病が関係していることを考える手がかりになった。 遺書の日付と、手帳のはじめのページに書かれた走り書きの日付が繋がっているのだ。 手帳の走り書きには「 昭和六年九月廿(にじゅう)日、再ビ東京ニテ発熱」という内容が大きく記されている。 賢治は昭和6年9月19日に、当時働いていた石灰工場の製品のセールスのために岩手から東京へ向かい、翌20日には「八幡館」という宿に泊まった。 「ホメラレモセズ」の部分の解説ページ 『雨ニモマケズ』の最後には「 ホメラレモセズ クニモサレズ サウイフモノニ ワタシハナリタイ」と、書かれている。 この一文が印象に残っている方も多いのではないだろうか。 実は『雨ニモマケズ』は、続きがあるのだ。 手帳の9ページ分を使って書かれたこの詩の10ページ目には「南無妙法蓮華経」と大きな文字で書かれている。 これは、日蓮宗の「大曼荼羅(だいまんだら)」というものを書き写したものである。 この「雨ニモマケズ手帳」のあらゆるページに「南無妙法蓮華経」の文字がたくさん登場するが、これは賢治が法華経を深く信仰していたからだ。 手帳に限らず童話などにも法華経の教えの影響は色濃く出ている。 筆者自身は、賢治関連の本を読んで法華経のことを知ったのだが、 法華経にはいわゆる「自己犠牲」の精神の教えがあるという。 『雨ニモマケズ』なら「東ニ病気ノコドモアレバ…」といった描写が人のために動こうとする、法華経の精神を表しているといってもいいだろう。 また、「ミンナニデクノボートヨバレ…」という部分の「デクノボー」は「常不軽菩薩(じょうふきょうぼさつ)」という仏様を指しているといわれている。 この仏様のように自身が人々から迫害されるようなことがあっても、人のために祈り続けたいという賢治の理想が読み取れる。 「土愚坊(デクノボウ)」の手記の解説ページ ところで、 この手帳には『雨ニモマケズ』と関連しているのではないかと思われる「土愚坊(デクノボウ)」という手記が、『雨ニモマケズ』の数ページ後に書かれている。 これは劇の構想を練ったものであるとされる。 賢治は教師時代に『飢餓陣営』といった劇の脚本を書き、上演していたこともあるのだ。 「土愚坊」のタイトルの横に小さく「 ワレワレカウイフモノニナリタイ」と書かれている。 どこかで聞き覚えのあるフレーズだ。 第四景には「老人死セントス」、第五景には「ヒデリ」とも書かれている。 「南ニ死ニサウナ人アレバ…」「ヒドリノトキハナミダヲナガシ…」 あらゆる部分で『雨ニモマケズ』と共通した箇所が存在しているのだ。 『雨ニモマケズ』は、劇の構想前のアイデアとして書かれた走り書きという可能性もある。 「塵点の劫」の紙片の解説ページ 手帳にはペンホルダーがついており、折って丸めた紙片が刺さっている。 この紙片も賢治の言葉が書かれていた。 「塵点の劫」というのは果てしなく長い年月のことを指している。 この紙片の塵点の劫は、法華経という宗教の誕生から、賢治が今生きている時代までの長い時間のことと考えられる。 簡単にいうと、 法華経という宗教が誕生し、長い月日を巡って賢治自身がこの教えと出会えたことに喜びを感じているという意味になるそう。 賢治は生涯、自分の言葉を通じて法華経の教えを人々に伝えていきたいと考えていた。 母にあるとき自身の原稿を見せ、「この童話は、ありがたい仏さんの教えを、一所懸命に書いたものだんすじゃ。 だからいつかはきっと、みんなでよろこんで読むようになるんすじゃ」と語っていた。 賢治は遺言として父親に『国訳妙法蓮華経』という経典を千部刷り、知人友人に配ってもらうように頼んだ。 この経典のあとがきに、「 お経を手にとった人物が仏様の教えに触れ、最上の道を歩むことができるように願うことが私の生涯の仕事である」という言葉を残している。 それが、 賢治と同じ岩手県花巻市に住んでいた、斎藤宗次郎という人物だ。 彼はお寺の子として生まれた。 しかし、教師として働いていた時にキリスト教と出会い、クリスチャンになる。 大正時代のクリスチャンは「耶蘇(やそ)」と呼ばれ、差別される存在だった。 キリスト教徒になった宗次郎も迫害の対象だ。 嫌がらせをうける日々が続き、ついに最悪なことが…。 9歳となる宗次郎の娘が耶蘇の子供と言われ、腹を蹴られたことで亡くなってしまうという事件が起こる。 なんと痛ましい…!子供に手を上げるのは最悪だぞ…。 宗次郎は娘を亡くし、苦しみながらも祈り続けた。 どんなに辛く苦しくとも、「愛をもって人に仕える」というキリスト教の教えに、宗次郎は従い続けたのだ。 雨の日でも風の日でも困った人がいれば助け、病気の人がいれば見舞いに行き、祈り続けたのである。 まるで『雨ニモマケズ』そのものを体現したかのような人物だ。 どんなにひどい目にあっても人のために尽くそうとする姿は「デクノボー」の常不軽菩薩と同じ。 迫害され続けながらも、諦めずに人々に尽くし続けた宗次郎は、ある時東京へ引っ越すこととなる。 見送りなど誰もいないであろうと思いながら駅へ向かうと、そこにはたくさんの人々が宗次郎を見送りに来ていたという。 宗次郎の行いが、次第に人々の心を動かして行った結果である。 その見送りの群衆の中に、宮沢賢治もいたのである。 賢治とは宗教について語り合ったりするなどの交流もあったそうだ。 そこで賢治自身も宗教の壁を超えて、宗次郎の宗教観念になにか感じるものがあったのかもしれない。
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著者:宮沢賢治 出版社:岩崎書店 発売日:1990年3月1日 概要 太平洋戦争前から戦中にかけて賢治の研究・紹介を行った哲学者の谷川徹三は、主としてテーマ的な側面から本作を高く評価し、賢治に対する「偉人」的評価の象徴として本作を捉える流れを先導した。 2011年4月11日、ワシントンのナショナル大聖堂において、東日本大震災の犠牲者を悼むための宗派を超えた追悼式が開かれ、サミュエル・ロイド3世大聖堂長により本作が英語で朗読されている。 現在では、花巻市で「賢治詩碑」というとこの碑を指し、バス停留所の名前にもなっている。 ・宇佐元恭一「雨ニモマケズ」:宇佐元作曲による2006年のシングル。 ・井上陽水「ワカンナイ」:本作をモチーフにして作詞。 厳密には本作に対するアンサーソングである。 アルバム『ライオンとペリカン』に収録。 ・SOPHIA「進化論 〜GOOD MORNING! -HELLO! 21st-CENTURY〜」:間奏で本作品の一部分を引用。 鄧智偉作曲。 ・冨田勲『イーハトーヴ交響曲』第6楽章「雨にも負けず」:本作品がこの楽章の歌詞となっている。 2012年11月23日、東京オペラシティコンサートホールにて初演。 引用元: 『雨ニモマケズ』主な登場人物の名前 一人称視点での独断形式で記述されており、主な登場人物は「ワタシ」1人のみである。 語りの内では「病気ノコドモ」「ツカレタ母」「死ニサウナ人」「ミンナ」「デクノボー」といった人称が登場している。 そしてその自身の「人としての鍛錬」を行なうさなかに、「決シテ瞋ラズ イツモシヅカニワラッテヰ(い)ル」とつつましやかで地道な生活を送る覚悟を決め、「東ニ病気ノコドモアレバ 行ッテ看病シテヤリ 西ニツカレタ母アレバ 行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ…」と、次は対人への理想を端的に綴っていく。 「真に強く、優しく、人として理想的なあり方はどんなものか?」 といった作者の心情を如実に表している。 「ワタシ」は「雨ニモマケズ 風ニモマケズ…」と生活苦をものともしない意気込みを持ち、「雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ 丈夫ナカラダヲモチ」と健康に気づかう決意を固くしながら、「一日ニ玄米四合ト 味噌ト少シノ野菜ヲタベ アラユルコトヲ ジブンヲカンジョウニ入レズニ ヨクミキキシワカリ ソシテワスレズ」と他人にとって人畜無害の有難い人になることを理想とします。 そして「東ニ病気ノコドモアレバ 行ッテ看病シテヤリ 西ニツカレタ母アレバ 行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ…」と次は隣人愛に目覚める覚悟を秘め、最後にそれまでの主張を通して「サウイフモノニ ワタシハナリタイ」と締めくくります。 さらに末尾には「南無無辺行菩薩…」から始まる法華経の祈りが追記されます。 【考察&解説】『雨ニモマケズ』の背景からどのような意味のメッセージがくみ取れるか? まずこの『雨ニモマケズ』にはモデルがいた。 岩手県東和賀郡笹間村(現・花巻市)出身でキリスト教徒の、斎藤宗次郎である。 斎藤は明治10年2月20日の生まれで昭和43年1月2日に亡くなっており、ちょうど賢治の活躍期と重なっている。 斎藤は花巻市で小学校の教員をしていたが、キリスト教徒という理由で職を追われ、のちは新聞取次店を営みながら福音運動に励んでいた。 賢治と斎藤は同郷の出身であり、日蓮宗(国柱会)の信者だった宮沢賢治とは宗派を超えた交流があったといわれる。 大正13年に、斎藤が賢治の勤めていた花巻農学校に新聞の集金に行くと、賢治により招き入れられ、一緒に蓄音機で音楽を聞いたり、賢治の詩「永訣の朝」らしきゲラ刷り(校正チェック用の印刷物)を見せられたという記録がある。 斎藤はプライベートから隣人愛を大切にし、常に貧困に苦しむ人や病人に食べ物を分け与えたり、また誰の悩み事にでも傾聴の姿勢を徹していた。 (画家の中村不折から彼が「花巻のトルストイ」のニックネームを冠されたのは、この辺りの生活姿勢が影響している)。 賢治は生来より法華経の家庭に育ったが、『銀河鉄道の夜』にも見られるように、キリスト教への関心も少なからずあった(『銀河鉄道の夜』のテーマの構成には、「十字架」というキーセンテンスがある)。 本作『雨ニモマケズ』の語りを読んでいくと、その内容は自然に 斎藤宗次郎の生涯を差すように思える。 斎藤は教師の職を追われて以来、新聞取次店の経営に乗り出すまで半ば貧困の暮らしをしていたが、それ以外のところではキリスト教精神に則り、自己を犠牲にしながら隣人のために尽くす生活をしていた。 その生涯はまさに詩のテーマを彷彿させる。 キリスト教は唯一神だが、その信仰の根には「罪びとこそ救われなければならない」という 隣人愛への教訓がある。 つまり「キリスト教徒でない者がまず救われなければならない」という隣人愛への挑戦である。 賢治はこの斎藤の生き方に感化され、その生き様をありのままポエムに描きたかったのかも知れない。 本作の最後に「南無無辺行菩薩…」から始まる法華経の祈りが記されている。 賢治は24歳のときに国柱会に入信し、それ以来、没年まで法華経を説いていた。 宗教にすがる人の心には価値基準を定める優劣はない。 たまたま出会った宗教がその人の宗教であり、その神観(宗教観)への姿勢は個人それぞれで同様にある。 このように見て取れば、「本作の末尾に法華経の祈りを入れた理由」から「違う宗教同士でも人の理想的なあり方への思いは同じに言える」という、賢治なりの「宗教間を越えた主張の表明」が窺える。 つまり本作の背景には、 「宗教的意識を超えた人のあり方をスケッチすることで、賢治の理想的な人間像を描けるきっかけがあった」 と推測できる。 では、このきっかけと描写を踏まえた本作の「メッセージ性」とは何か? それは、 「隣人愛を忘れず大切にし、いつでも人のために尽くして生きる人生を全うせよ」 という、人道的かつ宗教観を含めた「善行の徹底の必要」ではないだろうか。 そしてその意識は常に露呈せず、「心の中で隠し持つようにせよ」との強い信念の保持へとつながっていく。 賢治は当初、この『雨ニモマケズ』を発表する気はなかったといわれる。 本作の発表は賢治の没年後であった。 つまり「本作の内容をメモ帳に記したままで、賢治はこの『隣人愛の大切』を常に懐で吟味しながら、自分の人生の理念・方針とする覚悟を持っていた」と考えられる。 つまり本作『雨ニモマケズ』は、斎藤宗二郎の生涯と自分の理想をモデルに取り(そう仮定した上で)、 「主義や信仰に関わらず、誰でも『隣人愛の重要』を説けるという万民へのメッセージが込められている」 と結論できる。 0】 ポエム調で独断の形式を取っているので、「わかる人にはわかる」「わからない人にはわかりづらい」と感想は分かれるかも知れません。 ですが賢治独特の感性を含んだわかりやすい表記ですので、読むうちに「難解だ…」というところは少ないように思います。 作品自体は読みやすく、おそらく誰でもそれなりの感動を湧かせられるでしょう。 よくよく読めば、少し全体的把握への難はありますが…。 まとめ&感想 賢治の作品中でも『銀河鉄道の夜』に次ぐ著名作品だと思います。 表記自体は読みやすく、感性をみがくには持って来いの一作です。 しいて難を言うなら、その構成と、本作が発表された頃の当時資料への理解でしょうか? まず構成としては「なぜ末尾に法華経の祈りが挿入されたのか?」という、全体的なまとまりがつかみにくいです。 次に、大正から昭和初期頃の日本の世情は現代と大きく違い、「一日ニ玄米四合」と言われても、それが当時にどのくらいの量なのかがわかりづらい(ちなみに「一日ニ玄米四合」というのは、本作発表当時において、成人が1日に食べる平均的なご飯の量だそうです)。 せっかく読むのなら、本作の本意や内容把握への補強材として、本作発表当時の資料を予習することをおすすめします。 当サイトイチオシの以下の電子書籍ストアを是非チェックしてみてください! 取り扱い書籍が豊富なので、お目当ての本がきっと見つかると思います。 第1位. eBookJapan 無料漫画だけでなんと9,000タイトル以上!廃版になった名作など、他の電子書籍ストアにはないタイトルもあり、漫画の取り扱い数は 業界No. 1! なんと購入額の 50%のポイント還元でお得 第2位. BookLive! (ブックライブ) 漫画・和書の取り扱いが多いのが特徴。 9,000冊以上の書籍を無料で立ち読みできます。 honto(ホント) 書店、通販、電子書籍のハイブリット総合書店。 コミックから雑誌まで幅広い書籍を取り扱っている。 共通hontoポイントは、提携書店である丸善、ジュンク堂、文教堂でも利用可能。
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