イラン アメリカ 戦争。 なぜトランプは対イラン戦争に踏み切れないか? WEDGE Infinity(ウェッジ)

もしアメリカとイランの間で戦争状態になったら、日本は参戦させ...

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パフラヴィー2世(1919〜1980)。 パフラヴィー朝2代目にしてイラン最後の「シャー」となった。 報道では「国王」「皇帝」などと表記)が支配する王政の国でした。 第2次大戦期、国王レザー=ハーンはナチス・ドイツに接近したことで、イギリスやソ連の反発を招き、退位させられました。 代わって国王となったのが、 レザー=ハーンの長男モハンマド・レザー・パフラヴィー(パフラヴィー2世)です。 パフラヴィー2世は親英・親米路線でしたが、これに国内の民族主義勢力が反発します。 「民族主義」とは、外国勢力からの解放、独立を目指す考えです。 特に、イギリス系の石油会社が独占していたイランの石油利権をイランの手に取り戻そうという抵抗運動が強まっていきます。 モサデグ首相はイランの石油国有化を断行。 近代化を目指したが、親米派のクーデタで失脚した。 Getty Images 1951年、 イランでは民族主義者のモサデグ氏が首相に就任。 モサデグ首相は石油の国有化を宣言。 イギリス系のアングロ=イラニアン石油会社を接収しました。 ところが、こうした動きにイギリスやアメリカは反発します。 1953年、米CIAなどの工作によりイランでクーデタが発生。 モサデグ首相が失脚し、パフラヴィー2世が再び実権を握りました。 当時は東西冷戦下でもあり、パフラヴィー2世はアメリカに接近。 イランは1955年に結成された反共軍事同盟「中東条約機構(METO)」に参加しました。 モサデグ失脚で石油国有化も頓挫しました。 石油の利権はイギリス、アメリカなどの「メジャー(国際石油資本)」が実質的に支配することになります。 パフラヴィー2世(左)とケネディ米大統領。 1963年からは「白色革命」と呼ばれる近代化政策がはじまり、農地改革や国営工場の民間払い下げ、女性参政権、識字率の向上などが図られました。 この「白色革命」は王権による上からの強権的な西洋化、近代化でした。 そのため宗教勢力や民族主義者などが反発します。 ところが、改革に反対する勢力は秘密警察に弾圧され、言論や思想の自由も封じ込まれました。 パフラヴィー2世は、豊富な石油マネーをもとに軍備拡張やさらなる近代化を進めます。 1973年の第3次中東戦争をきっかけとした第一次オイルショックの後、石油価格が高騰したことも背景にありました。 急激な近代化は、貧富の格差を広げることに。 都市には地方から農民が流入し、農村は疲弊。 インフレが発生し、国民の間では次第に経済的な不満が高まっていきます。 3:イラン革命(1979年) ホメイニ師(1900〜1989)はイランのシーア派指導者。 「白色革命」に反対して逮捕され、1964年にイラクに亡命。 のちにフランス・パリから反政府運動を指導。 79年にパフラヴィー2世が追放されると、帰国しイラン革命を遂行した。 Getty Images パフラヴィー2世の親米・独裁体制は、やがて革命を招きました。 1978年1月、イスラム教シーア派の聖都コムで、神学生らによる反政府デモが弾圧されます。 これ以降、王政に反対する動きが全国に飛び火しました。 1979年1月、パフラヴィー2世はついに国外に脱出、王政は崩壊しました。 同年2月、フランス・パリに亡命していた 宗教指導者ホメイニ師がイランに凱旋帰国します。 反体制勢力は王党派を駆逐。 新たにイスラム原理主義、反米路線を掲げる新政権が樹立され、「 イラン=イスラム共和国」が成立しました。 革命前までのイランは中東において、西洋化を通じた近代化のお手本のような存在でした。 ところがイラン革命は、こうした発展モデルを正面から否定することになったわけです。 4:米大使館人質事件とイラン=イラク戦争(1980〜88年) 米特使のラムズフェルド(左)と握手するサダム・フセイン大統領。 ラムズフェルド氏はイラク戦争を起こしたブッシュ米政権の国防長官だった。 Getty Images ホメイニ師を最高指導者とするイラン新政権は、中央条約機構(中東条約機構[METO]の後進)から離脱するなど反米政策を進めます。 さらには、イランから逃れたパフラヴィー2世の受け入れをアメリカが認めたことで、ホメイニ支持の学生たちがテヘランのアメリカ大使館を襲撃。 1年以上も大使館員とその家族52人を人質にとる事件が発生しました( アメリカ大使館人質事件)。 当時、アメリカのカーター大統領(民主党)は救出作戦を指示するも失敗。 この事件は、カーター政権が1期4年で終わり、共和党のレーガンが大統領になるきっかけになったと言われています。 イラン革命後、イスラム教の宗派でスンニ派が優位の近隣国は、シーア派系住民による革命が広がることを懸念します。 隣国イラクのサダム・フセイン政権はアメリカの支援の下、革命の混乱に乗じてイランに侵攻。 この イラン=イラク戦争は8年におよぶ泥沼の戦いになりました。 5:イラン核疑惑(2002)と核合意(2015)、アメリカの離脱 イランの核施設を撮影した衛星写真。 Getty Images 革命後の1980年以来、イランとアメリカは断交が続いていますが、対立が一層深まる事態が2002年に起こります。 イランが核兵器を開発しているのではという疑惑でした。 イラン側は平和利用を主張しましたが、アメリカや西欧各国などは経済制裁を実施しました。 2015年、アメリカ・イギリス・ドイツ・フランス・中国・ロシアの6カ国は、 イランと核開発に関する協定で合意にこぎつけます。 イランに求められたのは、核兵器に用いるような高濃縮ウランや兵器級プルトニウムを15年間生産しないことと、ウラン濃縮に使われる遠心分離機を大幅に減らすことでした。 合意を受け欧米各国は、イランへの経済制裁を緩和することになりました。 オバマ政権が締結したイランとの核合意でしたが、当時アメリカ国内では共和党を中心に「甘すぎる」と批判が出ていました。 その後就任したトランプ大統領は2018年5月、イランとの核合意からの離脱を一方的に宣言。 制裁を再開します。 直近のアメリカとイランの緊張は、ここが契機になったと言われています。 アメリカの核合意離脱を受けて、イランは2019年5月から核合意の履行を段階的に停止しています(なお、イラン政府は1月5日、核合意に基づくウラン濃縮などの制限をすべて放棄すると表明)。 さらに、アメリカが原子力空母をイラン周辺に派遣するなど軍事的圧力をかけたり、イランが米軍の無人機を撃墜したりと、次第に両国の緊張が高まっていきます。 6:米軍、ソレイマニ司令官殺害(2020年) ソレイマニ司令官殺害に抗議するテヘラン市民。 REUTERS イラン革命から40年余りがたった今、イランとアメリカの緊張の糸は、またも張り詰めてしまいました。 2019年12月末、イラク北部キルクークにあるイラク軍基地にロケット弾が撃たれ、民間業者のアメリカ人1人が死亡。 米軍とイラク軍の複数の軍人が負傷しました。 首都バグダッドでもイランの支援を受ける民兵組織の支持者がアメリカ大使館を包囲、投石する事態が発生しました。 米軍によるイランのソレイマニ司令官ら殺害のニュースが伝えられたのは、その直後の1月3日です。 アメリカ側はソレイマニ司令官の影響下にあったシーア派民兵組織が、アメリカ人や米軍施設への攻撃を計画していたことを殺害理由としています。 一方で、2020年11月に大統領選挙での再選を狙うトランプ大統領が、選挙を意識してとった行動ではないかという指摘もあります。 また、自身が下院の弾劾決議を受けた不正疑惑「ウクライナ疑惑」から目をそらすためでは……という声もでています。 ソレイマニ司令官らの殺害後、トランプ氏は「我々はイランの52の地域を標的にした」と。 この「52」という数字は、アメリカ大使館人質事件での人質の数を意味しているとされます。 イラン問題が失脚につながったカーターのように、これで大統領選に負けるわけにはいかないという……意思表示なのでしょうか。 いずれにしても報復の連鎖に歯止めはかかるのか。 イランのミサイル発射を受けて、トランプ大統領は1月9日に何らかの声明を発表すると表明しており、その内容に注目が集まります。 (文・吉川慧).

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というか今現在のタンカー攻撃などは既にこれに近いです。 大体戦争が起きるパターンって、アメリカのいじめにあいどうしようもなくなった国が、最終手段として戦争をしかける。 そして、戦争をしかけられたアメリカは「それきた!」とばかりに完膚なきまでにその国をフルボッコにするというもの。 まさに太平洋戦争の時の日本がそうでした。 まぁ最終的にイランは明らかな戦力の差でアメリカにやられてしまうという未来しか待っていないのが現実でしょう・・。 アメリカはお金、広大な土地、地政学的に有利な場所、これらすべてを兼ね揃えている最強国家。 「アメリカは覇権国家の地位を奪われるぅ!」とか言っている方もいますが、どう考えても現時点で没落していくような気配はありません。 ちなみに、イランの人口は約8,100万人、アメリカの人口は3億2千万人。 純粋に4倍人間が多いのがアメリカです。 そんなアメリカがイランから引き下がることがあるとすれば、歴史上類を見ない規模の世界中からの反感を買う出来事などがあるとかじゃないとありえません。 そしていま現在でそんなことが起こる可能性はほぼゼロです。 イランとしては、世界中からアメリカへ何らかの避難を浴びさせたいところですが、アメリカもそのあたりはうまいですからね。 やぶへびになって、返り討ちで避難を浴びてしまう危険性もあります。。 結局ケンカは強いやつが勝つんです。 戦争をしたとしても、しなかったとしても最終的にはアメリカ寄りの落とし所となるのでしょう・・。 イランにアメリカはなぜ制裁できるのか? そもそもなぜにアメリカはイランに直接的な制裁ができるのか? 「イラン産原油の全面禁輸」をイランの人でもない関係のないアメリカがなぜ偉そうに言えるのか? 普通に考えたらイラン側が「アメリカには原油売らないから!」という形で制裁をできそうですが、この辺がいまいちパッとしなませんでしたので、簡単にまとめてみました。

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「米イラン戦争」開戦で語られる最悪のシナリオ

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アパッチ族との戦闘中に遮蔽物に向かって駆けるアメリカ騎兵隊 F. Remington作 ヤヴァパイ族 勝利• アパッチ族はに移動した ピュージェット湾戦争 1855—1856 場所: スノコルミー Snoqualmie ニスクォーリ族 マックルシュート族 ピュアラップ族 クリッキタト族 勝利• インディアンはシレッツ、グランド・ロンド及びコーストの保留地に移住させられた 第一次フィジー遠征 1855 場所: 勝利 ローグ川戦争 1855—1856 場所: ローグ谷 ローグリバー族 勝利• インディアンはシレッツ、グランド・ロンド及びコーストの保留地に移住させられた 第3次セミノール戦争 1855—1858 場所: フロリダ州 勝利• ヤキマ戦争 1855—1858 場所: 朝鮮戦争でブローニングM1919A6を装備している米軍の兵士 カナダ 膠着• 北朝鮮の韓国侵攻は退けられた• その後の国連の北朝鮮侵攻も退けられた• その後の中国・北朝鮮・ソ連の韓国侵攻も退けられた• で朝鮮半島での実際の戦闘を終わらせたが、講和条約が署名されていないため、戦争は 法律的には 終了していない ミャンマーにおける中国国民党支援 1950年代 の一部 の一部 冷戦の一部 場所: (当時はビルマ) (も参照) ビルマ 中華人民共和国 撤退• ビルマ・シャン州に敗走した中華民国軍部隊に対し、主導による後方支援作戦(非公式作戦)を実施。 中華民国軍占領下のシャン州において、軍事基地や軍用飛行場の建設、輸送機による戦略物資の補給などを行なった。 ビルマ政府は主権侵害としてこれを国際社会で非難。 ビルマ国民の間でも反米運動の機運が高まったため、アメリカは作戦を終了した。 アメリカの撤退後、ビルマ軍とによる共同作戦「」が実施され、国民党軍は放逐された。 による1962年ののとなった。 シャン州はその後、やといったが台頭する事となった。 ミャンマー内戦は継続中。 レバノン危機 1958 場所: のクナル州での銃撃戦 支援:• イスラミック・ジハード・ユニオン• ハッカーニ・ネットワーク 同盟グループ• ヒズベ・イスラミ・ヘクマティアル派• イスラミック・ジハード・ユニオン• ターリバーン分派グループ• 2001年の侵攻: アフガニスタン・イスラム首長国• ターリバーン• 055旅団 不明確• アメリカ主導の連合のアフガニスタン侵攻・占領• アルカイダ訓練キャンプの破壊• タリバン政権の崩壊• 政権下でのアフガニスタン・イスラム共和国の設立• タリバンの反乱が開始• アフガニスタン紛争 2015- の開始 2003—2011 イラク反乱との一部 場所: イラク占領中のバグダッドでのM1A1エイブラムス主力戦車 イラク駐留多国籍軍 バアス党ロイヤリスト イラクのイスラム国 イラクのアル=カーイダ 特別部隊 不明確• イラク侵攻と占領• バアス党政権の崩壊と• イラク反乱、イラクのアル=カーイダの出現、宗派暴力及び別の内戦• 民主的な選挙の確立と新規民主政府の設立• 2011年に米軍がイラクから撤退• イラクにおけるイランの影響力の強化• 米軍撤退後の宗派間暴力のエスカレートがイラクのアル=カーイダの後継lとしてのISILの台頭につながった• イラク内戦 2014-現在• 2014年に米軍がイラクに再び戻った 2004—現在 の一部 場所:• ハッカーニ・ネットワーク• イスラミック・ジハード・ユニオン 支援疑惑: 疑惑• 疑惑 争い 否定 同盟グループ ヒズベ・イスラミ・ヘクマティアル派 イスラミック・ジハード・ユニオン ターリバーン分派• ダードゥッラー戦線• ISIL• ISILホラーサーン州 ISIS-K 進行中• アフガニスタンの治安と制御はアフガニスタン治安部隊に引き継がれた• がを実施• NATO軍による継続的な対テロ作戦が行われている• がアフガニスタンでのプレゼンスを確立し戦闘員の勧誘を始めた• 2015年にアフガニスタン北東部のクンドゥーズ州でターリバーンが復活を試みたが失敗に終わった• 米国はアフガニスタン撤退を停止し、同国への駐留期間を延長した• 2017年4月13日、米軍はISIS-Kが支配しているトンネルシステムに MOAB を投下し、4人の指揮官を含むISIS-Kの過激派94人を殺害した 関連リンク [ ]• 注釈 [ ]• の呼び出しエラー:引数 accessdate は必須です。 CIA Report. 2014年12月1日閲覧。 2014年12月1日閲覧。 の呼び出しエラー:引数 accessdate は必須です。 の呼び出しエラー:引数 accessdate は必須です。 The Long War Journal 2015年8月24日. 2015年8月27日閲覧。 MSNBC. 2006年7月3日. 2007年2月18日閲覧。 Ctc. usma. edu. 2014年8月2日閲覧。 Michael Petrou 2011年9月9日. "George W. Bush gambled on surging thousands more troops to the embattled country. It paid off. Al-Qaeda in Iraq is now a diminished force without territory. Conflicts in the 21st Century: Afghanistan War, Iraq War, and the War on Terror. "Al Qaeda in Iraq was decimated by the end of the Iraq War in 2011"• Galbraith, Peter W. 2007. The End of Iraq: How American Incompetence Created a War Without End. Reuters. の呼び出しエラー:引数 accessdate は必須です。 National Review Online. の呼び出しエラー:引数 accessdate は必須です。 S Department of State. 2014年2月5日. 2010年11月26日閲覧。 Holmes, Oliver 2012年1月24日. Reuters Africa. Bani Walid. 2012年1月24日閲覧。 2015年5月14日閲覧。 2015年6月23日閲覧。 Newsweek 2015年5月21日. 2015年6月23日閲覧。 2015年8月15日. 2015年8月22日閲覧。 ABC 2012年2月2日. 2015年8月31日閲覧。 ABC 2011年10月27日. 2015年8月31日閲覧。 The Wall Street Journal 2015年6月11日. 2015年6月13日閲覧。 The Mirror 2015年8月21日. 2015年8月22日閲覧。 The Wall Street Journal 2015年6月18日. 2015年6月13日閲覧。 Yahoo News 2016年2月12日. 2016年2月25日閲覧。 2016年1月31日. の呼び出しエラー:引数 accessdate は必須です。 2015年12月25日. Reuters 2015年12月27日. 2016年2月25日閲覧。 Reuters 2016年4月25日. の呼び出しエラー:引数 accessdate は必須です。 Al Jazeera. の呼び出しエラー:引数 accessdate は必須です。 Matthew Rosenberg and Michael D. Shear. The New York Times. 2015年10月16日閲覧。 外部リンク [ ]• — 紛争の発展、エスカレーション、和解の最近の動向について説明• テキサス大学アーリントン校• 、ヒストロペディア•

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