冠稲荷神社 かんむりいなりじんじゃ 太田市細谷町にある神社で、境内には宇迦御魂神 うかのみたまのかみ や天照大御神 あまてらすすめおおみかみ をはじめ、たくさんの神様が祀られています。 境内に鎮座する実咲稲荷社は、安産、子宝、子育てのご利益があると云われていて、子宝のご祈祷から、お宝御守やボケ花御守というお守りもあります。 冠稲荷神社内の実咲社です 木瓜の吉方である戌亥の方角に鎮座しています それぞれの御利益を表した愛くるしいお狐様を見ることができます — がっち gatch8960 また冠稲荷神社には子宝の伝説があり、子宝祈願をしようと参拝に来た女性が、ある朝老修験者に出会い、木瓜の実をきざみ煎じて飲むようにと言われた通りにすると、たちまち子宝に恵まれたと云われています。 特に、9月に行われる木瓜の実収穫祭では、子宝に恵まれないご夫婦が参拝されていて、当日限定の木瓜の実が入った木瓜ノ実守を、一体1,000円で授与されています。 — 2016年10月月4日午前7時18分PDT 住所 群馬県太田市細谷町1 電話 0276-32-2500 公式サイト 駐車場 あり 赤城神社 あかぎじんじゃ 赤城山の湖近くに鎮座する神社で、ご祭神は赤城大明神 あかぎだいみょうじん 、大国主命 おおくにぬしのみこと 、磐筒男神 いわつつおのかみ 、磐筒女神 いわつつめのかみ 、経津主神 ふつぬしのかみ など10柱以上が祀られていています。 そして赤城大明神には、神になったお姫様の伝説があり、むかし上毛野国を納めていた高野辺大将家成という人には、赤城姫と淵名姫という娘がいました。 ですがあまりの美しさと気立てのよさから、継母に嫉妬されて命を狙われて亡くなった後、赤城大明神に召されたと云われています。 このような伝説から、赤城大明神は山や湖の神様として知られていますが、縁結びや安産、子授けなど女性の願掛けにもご利益があるということで、信仰されています。 また初穂料5,000円にて、子授け祈願も行っています。 住所 群馬県前橋市富士見町赤城山4-2 電話 027-287-8202 公式サイト 駐車場 あり 150台 産泰神社 さんたいじんじゃ 各地にある産泰神社の総本社で、群馬県の重要文化財に指定されています。 主祭神は安産、子授け、家庭円満の神様として有名な木花開耶姫命 このはなのさくやびめのみこと です。 初穂料5,000円にて子宝のご祈祷を行っていて、子宝のお守りもあります。 また、毎年4月4日に行われる産泰神社大祭では、安産を祈願する場合は、底がない柄杓、子宝を祈願をする場合は、底のある柄杓を奉納するという、江戸時代からの珍しい祈願のお祭りがあります。 ひしゃくで子宝願う 本庄・産泰神社例大祭/ を奉納して子どもを授かった感謝や子宝祈願などをする参拝者/底がないひしゃくか、底があるひしゃくを社殿に する珍しい習わし。 — 銀河系ニュース速報 NEWS333 住所 群馬県前橋市下大屋町569 電話 027-268-1161 公式サイト 駐車場 あり 前橋東照宮 まえばしとうしょうぐう 前橋市大手町にある、全国で初めて自動車祓殿を設けて、交通安全祈願を行っている神社として有名です。 主祭神は江戸時代の将軍である徳川家康 東照大権現 で、木花開耶姫命 このはなのさくやびめのみこと 、菅原道真 すがわらのみちざねこう 、長壁姫 おさかべひめ もご祭神として祀られています。 子宝神社としての由来は、木花咲耶姫が安産、子授け、家庭円満にご利益があり、主祭神である徳川家康は、天下泰平を成し遂げた人物ということで、子供が欲しいと願う人たちに信仰されています。 また、境内を流れる延命水といわれる霊水があり、子授け、安産、病気平癒などのご利益があるとして、求めてくる方もいらっしゃいます。 住所 群馬県前橋市大手町3-13-19 電話 027-231-2031 公式サイト 駐車場 あり 50台 水澤寺 みずさわでら 北群馬郡伊香保町にある天台宗のお寺で、ご本尊は十一面千手観世音菩薩です。 本堂の隣には六角堂と呼ばれる二重塔があり、六地蔵尊が六角輪転と呼ばれる台座に安置、二階に大日如来が安置されています。 回転する六地蔵尊というのは、全国的にみてもかなり珍しい構造ということです。 こちらの台座を左に、嘘偽りない心で静かに3回まわして願い事をすると、その願いが叶うと云われています。 初穂料5,000円から子授祈願のご祈祷や、お守りもあります。 住所 群馬県北群馬郡伊香保町水澤214-1 電話 0279-72-3619 公式サイト 駐車場 あり 400台 伊香保神社 いかほじんじゃ 渋川市の伊香保温泉街にある365段の石段を登りきったところに鎮座する、温泉を守護している神社です。 主祭神は大己貴命 おおなむちのみこと と少彦名命 すくなびこなのみこと が祀られています。 大己貴命 別名 大国主命 は、縁結び、子授け、夫婦和合などのご利益もあることから、子宝を願う人たちも訪れています。 開運子授 子宝祈願 の絵馬と、子宝子授け御守というお守りがあり、どちらも500円です。 また、伊香保温泉は子宝の湯ともいわれており、神社周辺に子宝饅頭が販売されています。 神社で参拝したあとで、ゆっくりと温泉に入って帰るというのもいいかもしれませんね。 — 2018年 2月月13日午前8時31分PST 住所 群馬県北群馬郡伊香保町伊香保2 電話 0279-72-235 公式サイト — 駐車場 なし 大光院 だいこういん 浄土宗の寺で、大光院に入山した呑龍上人 どんりゅうしょうにん は、捨て子や貧しい人たちの子供を弟子という名目で寺で保護として、尊い命を救い養育されたことから、子育て呑龍様と親しまれています。 現在もたくさんの親子連れの参拝客が訪れ、子供の健康、安全、安産の祈願をされています。 子宝に関する由来はありませんが、初穂料5,000円から子授け祈願のご祈祷も行われているようです。 もしご祈祷をされる場合は、日程等も含めて、事前にご確認の上で訪問してみてください。 住所 群馬県太田市金山町37-8 電話 0276-22-2007 公式サイト — 駐車場 あり 50台 月音山明言寺 げつおんざんみょうごん 曹洞宗の寺で別称は石打こぶ観音とも呼ばれています。 ご本尊は千手観世音菩薩です。 子生 こぶ を授ける、瘤 こぶ が取れるという、2つの霊験による説があって、子どもがほしい人、不要なものを取り除きたい人に信仰されています。 初穂料3,000円から子授けのご祈祷が行われていて、男性は青、女性はピンクの子授けのお守りもあるようです。 ちなみに、境内の石を持っているとご利益があるとブログなどで書かれて、境内の石を持ち帰る人がいらっしゃるようですが、それはデマなので持ち帰らないでくださいとのことでした。 住所 群馬県邑楽郡邑楽町大字石打237-1 電話 0276-88-1728 公式サイト 駐車場 あり 子持神社 こもちじんじゃ 子持山山腹にある神社です。 主祭神は木花開耶姫命 このはなのさくやびめのみこと で、安産、子授け、家庭円満のご利益があるということで、信仰されています。 クマが出没する可能性があるということで、注意が必要です。 住所 群馬県渋川市中郷2910 電話 0279-53-3605 公式サイト — 駐車場 — 山名八幡宮 やまなはちまんぐう ご祭神は、応神天皇 おうじんてんのう 、玉依姫命 たまよりひめのみこと 、神功皇后 じんぐうこうごう の三柱が祀られています。 玉依姫命と神功皇后は、子宝や安産などのご利益があるとして信仰され、子宝のお守りもあります。 樹齢三百年以上の陰陽神木があり、まわりをまわってご祈願をして子宝が授かったという言い伝えがあります。 また、二股大根信仰という大黒様に大根を供えるという習わしがあり、安産と子授けにご利益があると云われています。 住所 群馬県高崎市山名町1581 電話 027-346-1736 公式サイト 駐車場 あり 渋川八幡宮 しぶかわはちまんぐう 本殿は群馬県指定の重要文化財で、応神天皇 おうじんてんのう 、比売神 じめがみ 、神功皇后 じんぐうこうごう がご祭神として祀られています。 比売神と神功皇后は、子宝や安産にご利益があるとして信仰されています。 渋川八幡宮本殿の拝殿唐破風下の彫刻は、子宝の彫刻のようです。
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榛名神社にはどんな御利益が? ご祭神• 迦具土神(かぐつちのかみ)• 埴山姫神(はにやすのかみ) ご利益• 縁結び• 夫婦円満• 生命力向上• 五穀豊穣• 不老長寿など ご祭神の迦具土神は火の神、埴山姫神は土の神です。 水分神、高靇神、闇靇神、大物主神、木花開耶姫神の五神が合わせ祀られています。 (大物主神は縁結びの神様である大国主神の和魂のことです) このような神様が祀られているため、関東屈指の龍穴(自然のエネルギーが集まるパワースポット)とされ、なんでも願いを聞き届けてくれる万能神社ともいわれています。 随神門から本殿まで700mも続く参道や禊橋 みそぎばし は、特に神気・霊気が強い場所なので、しっかり姿勢を正してパワーをいただきましょう。 榛名神社の縁結び口コミ・経験談 「素敵な人」では伝わらなかった いい仕事に巡り合いたい素敵な人と出会いたい!とお願いしました。 転職を考えている時期だったので、次の仕事は良い所が見つかれば良いなと思っていたのとそこでの人間関係を清算できたらと思ったので参拝をさせて頂きました。 そのおかげもあったのか、参拝させて頂いた月に次の仕事が見つかり休職期間をはさむことなく転職する事ができました。 人との良縁もお願いしていましたが、新しい職場の人たちがいい人たちばかりだったので、こちらのお願いもかなえて頂いた形になったのかなと思っています。 本当は異性との出会いを求めていましたが、「素敵な人」としかお願いしなかったので、きちんとかなえて頂いたのかなと思っています。 日を改めて今度は良縁祈願をお願いしようと思っています。 37歳 男性 榛名神社の縁結びワンポイントアドバイス 色々なメディアで取り上げられているので、休日はかなりの人がいて混雑していますが、平日の昼間であればそこまで混んでいる事はありません。 人混みが苦手な方はそういう時間を狙って参拝するのが良いと思います。 公共機関を利用して訪れることも可能ですが、公式サイトのアクセス案内では最寄りのバス停から徒歩15分となっています。 景色もいいのでそこまで苦にはならないと思いますが、多少歩く事を考えた服装や装備で行ったほうがいいと思います。 榛名神社の基本情報 榛名神社の住所 〒370-3341 群馬県高崎市榛名山町849 榛名神社の参拝時間 午前7時~17時まで 榛名神社へのアクセス JJR高崎駅西口より群馬バス(本郷経由榛名湖行き)乗車約70分で「榛名神社前」下車、徒歩15分 榛名神社の駐車場 あり 地図 榛名神社の公式サイト.
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写真左:郷土カルタに詠まれた徳川発祥の地の札、写真右:資料館駐車場付近には 「徳川氏発祥の地」 と書かれた大きな看板が! 江戸時代の離婚事情を描いた映画 「駆け込み女と駆け出し男」。 物語の舞台は鎌倉の東慶寺でしたが、映画の中で「幕府公認の駆け込み寺は、鎌倉の東慶寺の他に上州 (じょうしゅう) の満徳寺…」と出てきてビックリ!上州とはまさに群馬県のこと。 早速もうひとつの駆け込み寺に行ってみました。 何でも徳川家の先祖・新田義季 (よしすえ) が、この周辺・世良田 (せらだ) 地域を領地としていたそうで、その義季から数えて9代目にあたるのが徳川家康ということです。 また、満徳寺を建立したのも義季で、出家した義季の娘が満徳寺最初の住職となりました。 徳川ゆかりの地というだけではなく、この地域の人々が徳川家から優遇されていたことを示すエピソードもありました。 なんと農民たちは脇差 (わきざし・長い刀に添えられ、脇に差すよう作られた短い刀のこと) を差し、大名行列が通る時にも土下座をしなかったと伝えられています。 当時、武士の身分ではない人々には到底許されぬことが、この地域の人々には許されていたということにも驚きました。 縁切り文化を伝える満徳寺遺跡公園 今の時代では信じられないことですが、江戸時代は夫の三下り半(離縁状)がなければ、妻は自由に離婚をすることができませんでした。 どうにもならなくなり、最後の手段として駆け込んだ妻たちを救済し、離婚できるまでに導いてくれた窓口が、縁切寺または駆け込み寺とも呼ばれる満徳寺や東慶寺でした。 両寺とも尼寺で、こういった男子禁制の尼寺には縁切寺的な機能があったそうです。 そして、このような縁切り文化を伝える場所として、1992年に万徳寺資科館が、その後、廃寺となっていたお寺の本堂や玄関、門、庭などの復元工事も行われ、1994年に遺跡公園がオープンしました。 敷地内にある案内看板、資料館 1 や復元された満徳寺 2 、駆込門 10 など、 敷地内の位置関係がよくわかります ただ、全国広しといえども、幕府から公認された縁切寺は、上州の満徳寺と鎌倉の東慶寺の二つだけでした。 なぜ、この二つの尼寺だけが幕府公認だったのか?それには、徳川家康の孫娘である千姫 (せんひめ) が大きくかかわっているようです。 東慶寺には、千姫が命を助けた豊臣秀頼の娘が入山し、のちに二十代目の住職となっています。 また、満徳寺は千姫が入山(身代わりが入山したとも伝えられている)して、離婚が成立した後に再婚したことなどから、家康に縁切寺の制度を特別に許可され、両寺とも古くから特権が与えられていたと伝えられています。 対照的な二つの尼寺 復元された満徳寺の本堂 満徳寺は、もともと檀家 (だんか) を持たない寺でした。 江戸時代は徳川家に護られ続いていましたが、明治維新後に幕府が消滅すると、1872年 (明治5年) に廃寺となります。 これは尼僧が亡くなったあとも僧寺 (そうじ・男性の僧侶のいる寺の意味) として続いてきた東慶寺とは対照的です。 昨年、あじさいの時期に東慶寺にも足を運んだことがありますが、東慶寺は鎌倉という立地条件に恵まれた場所に創建されたこともあり、早い時期から人々に知られる機会に恵まれていた一方、満徳寺は街道からも遠く離れた内陸部にあり、旅人の出入りも少なく、世に知られる機会に恵まれにくい条件にあったことで、大きく異なります。 また、江戸時代には縁切りを詠んだ川柳などもありましたが、ほとんどが東慶寺に関するものばかりだったそうです。 このようなことからも、知名度が高くなった東慶寺と、人知れず歴史の中に埋もれてきた満徳寺ではとても対照的に写りました。 今は開かずの駆込門.
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