アメリカ 共和党 シンボル。 「民主党=青、共和党=赤」の色分けは4年前に始まったばかり[絵文録ことのは]2004/11/13

アメリカ二大政党の始まり

アメリカ 共和党 シンボル

By Paul Farhi、「ワシントン・ポスト」スタッフライター• 2004年11月2日火曜日 C01ページ 今晩、あまりにも接近戦の選挙の結果がポツポツ出始めたが、投票者たちはどの候補がリードしているかどうかだけでなく、自分が「赤」か「青」のアメリカのどちらに住んでいるのかを見ることにもなった。 テレビネットワークの選挙地図は、ブッシュ大統領が勝った州では赤に、ジョン・ケリーが勝った州では青に塗り分けられている。 今夜の話は、赤と青で語られることだろう。 もちろん、赤と青は、テレビの画面で表わすのに対照的な色が便利だというだけの理由で使われているわけではない。 それは社会政治学の世界観のための速記法となっているのである。 「赤い州」は共和党多数派というだけでなく、完全に地理的なもの(合衆国の中央部の長方形の領域)、図像学(カウボーイハットをかぶったブッシュ)、一連の型にはまった文化(保守的教会とNASCAR=全国自動車レース協会)を示す。 「青い州」は沿岸地域、都市、ラッテ(ミルク)飲みに関するものを示す。 4年前、ブッシュがアル・ゴアに勝利したということに異議が唱えられる前には、自由主義と保守主義の色についての合意はなかった。 実際、この区分は、伝統的なヨーロッパの連想を反映して逆になることもしばしばだった(赤は共産主義の色というだけではなく、英国労働党の色でもある)。 1976年、NBCはジェラルド・フォード(共和党)の勝った州を青、ジミー・カーター(民主党)の勝った州を赤として区別した。 1980年の選挙の夜、ABCニュースはロナルド・レーガン(共和党)がホワイトハウスへの道を開いた州を地図上に青い光で示し、カーター(民主党)の州を赤にした。 「タイム」誌は1988年から2000年までのすべての選挙についての選挙図解で、赤を民主党、青を共和党に割り当てていた。 「ワシントンポスト」の2000年の選挙での図解は、共和党が青、民主党が赤だった。 「赤い州」と「青い州」という言い方が始まったのは、1980年以降の新聞・雑誌・テレビニュース原稿のデータベース検索によれば、2000年選挙の約1週間前のNBCの「Today」ショーだった。 Matt Lauer とTim Russertは、表示された州の配置について論じた。 この地図と色分けは、数日前、NBCの姉妹ケーブル・ネットワークであるMSNBCに登場していた。 「それで、[ブッシュが]残る61選挙区を赤い州にするためには、あなただったらどうしますか?」 とRussertは尋ねている。 昨日の取材で、Russertは赤い州・青い州の区別を作ったという主張をしなかった。 「わたしがそれを最初に思いついたわけではない、というのは確かです。 しかし、その言い出しっぺはホワイトボードだと思います」と、Russertは功績を現地投票追跡者に譲ったのである。 2000年選挙は36日間の再計算という大失敗になったが、評論家はそれぞれの色についての合意に達した。 新聞はこのレースを、赤VS青という大いに抽象的な言葉で論じるようになった。 選挙から一週間後にLettermanが、「ジョージ・W・ブッシュを赤い州の大統領とし、アル・ゴアを青い州の長とする」という妥協案を提案したとき、この合意が固まったのかもしれない。 これは基本的な二つの疑問に答えているわけではない。 なぜ赤なのか? なぜ青なのか? ジョージ・ワシントン大学のメディア・社会問題学教授ステファン・ヘスは、アメリカ国旗と明白な関係があると指摘する。 また、これらの色はテレビの画面でよく見えるとも言う。 そのほかの組み合わせではうまくいかないだろう。 青とグレーが試されたこともあるが、それがどういう結果になったかはご存知のとおり。 国を「黒」州と「白」州に分けるのが間違っている理由は言うまでもない。 そして、もぐら色と鴨色とか、暗褐色と藤色というような中間色を選ぶならくっきりと見えないだろう。 陰謀論者共和党員の中には、赤で塗られることに憤慨している人もいる。 この色分けは、ネガティブな特徴(燃え立つような、血なまぐさい、熱い、顔を赤らめる)と結びつけられる傾向があるからだ。 しかし、赤は愛とも結びつけられるのである。 一方、青は平和で穏やか、空と水の色だが、同時に寒さと憂鬱の色でもある。 本当の問題は、色から連想される表面的な諷刺にあるのかもしれない。 結局、2000年にわずか366票差でゴアが勝利を収めたニューメキシコ州を「青」い州と述べるのは正確なのだろうか? 二人の主要候補のいずれも今年は選挙活動をしようとしなかったほどの青い州であるカリフォルニア州では、有権者は近年、人種的優遇と二カ国語教育を無効にする発議権を承認し、共和党に賛成して民主党の知事を追い出した。 歴史的な赤い州のオハイオ州では、ケリーは僅差の勝利を手に入れるかもしれないほど接近しているが、同時に、ゲイの結婚を禁止する憲法修正案を通過させようとしている。 今年の夏の民主党全国大会では、上院議員候補Barack Obamaが応援者たちにこのように話しかけて、赤・青区分そのものの無意味さを雄弁に語った。 「青い州でもリトルリーグをコーチするし、赤い州にもゲイの友人がいる。 青い州においても敬虔に神に祈り、赤い州でも図書館の周りで連邦捜査官ががきまわるのを好まない」 赤? 青? バラとすみれならそれでいいだろうが、政治と文化には多くの色合いがあり、その多くはぶつかっているのである。

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共和党[アメリカ合衆国](きょうわとう[アメリカがっしゅうこく])とは

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Republican Party において南北の対立が深まる中、1854年、の成立を見て、奴隷制反対論者が結集し、フィラデルフィアで結成大会を開催して成立した政党。 の拡大に反対すること、連邦の土地を貧しい農民に自営農地として与えること、関税率を引き上げ製造業者の利益を守ること、などを掲げた。 名称は「リパブリカン党」であるが、かつてが結成したとはつながっておらず、どちらかというと、その主張はとの系列にと言うことができる。 結党時の共和党は、中央集権的な連邦政府の強化を基本的には支持すると同時に、経済の発展は自助精神をもつ個人による自由競争が必要という個人主義を理念としていた。 政策としては黒人奴隷制反対(拡大阻止)、保護貿易主義などを掲げた。 基盤は当初は北部のホイッグ党支持であった産業資本家層(製造業者)であったが、特に南北戦争後は南部に進出し、次第に支持から転じた農民層と、解放された黒人に支持を広げた。 注意 現在の共和党との違い 現在のアメリカの二大政党の一つとしての共和党は、民主党のリベラルに対して保守色の強い政党とされている。 しかし結党当時はそれ以前の政権政党であった民主党が黒人奴隷制維持の保守派であり、共和党は全くの革新政党、しかも北部だけを基盤とする地域政党と出発している。 民主党と共和党の関係とそれぞれの性格は、この後のアメリカの歴史で大きく変化するので注意すること。 党名が同じだからと言って政策や理念も同じとは限らないので固定的に捉えてはならない。 両党とも理念(イデオロギー)政党ではなく、その時時の選挙に勝つための組織(集票マシーン)である、というのがアメリカ政党史の特徴である。 ・ページ内の見だしリスト• (1861)• (1869)• (1897)• (1901)• タフト(1909)• (1921)• (1923)• (1929)• (1953)• (1969)• (1974)• (1981)• (1989)• (2001)• トランプ(2017) 共和党(1) 共和党の結党 1854年、民主党多数のアメリカ議会がカンザス・ネブラスカ法を可決したことに対し、奴隷制反対論者が共和党を結成した。 北部産業資本家の支持を受け、奴隷制拡大反対を掲げ、1860年、リンカンが大統領に当選、反発した南部諸州が分離し、南北戦争となった。 南北戦争を勝利に導き、戦後は南部にも支持を広げた。 共和党の結党 引用 下院が案を取り上げたちょうどその日の午前に、数名の下院議員が会議を開き、「奴隷制勢力」を抑制するためには、奴隷制拡大計画に真向から反対する政党の結成以外に途がないということに意見の一致をみたのである。 ほぼ頃を同じくして、ウィスコンシン州のリポンで大衆集会が開かれ、もしも同法案が通過した場合には、奴隷問題に対処するためリパブリカン党と呼ばれるべき新組織を結成しなければならないという決議が採択された。 <ビアード『アメリカ政党史』p. 91> 1854年ごろ、では、にもにも解党の兆候があり、政党の全般的再編への動きが起こっていた。 の春から夏にかけて東北部諸州でカンザス=ネブラスカ法案に対する非難が激しくなり、7月6日、ミシガン州のジャクソンで共和党の州大会が開かれ、同州の全公職選挙に対する共和党の候補が指名された。 正式には、1856年6月、フィラデルフィアで初の全国大会が開催され、準州(テリトリー)で奴隷制を禁ずるのは連邦議会の権利であり義務であると宣言した政綱が採択され、ジョン=フリーモントが大統領候補に指名された。 その年の大統領選挙では当選した民主党ブキャナンが選挙人296のうち174であったのに対し、フリーモントは114を獲得(ホイッグ党のフィルモアは8)した。 <数字はビアード『同上書』p. 250 付録> 続く4年間に共和党は奴隷制排除とともに自営農地(ホームステッド)法の制定と保護関税を主張、北部の農民層や職人層に訴えるとともに、旧フェデラリスト党からホイッグ党に流れた北東部製造業者にも支持を広げた。 注意 共和党という政党名 アメリカの歴史学者ビアードは、1854年に発足した共和党を、1800年のジェファソンのリパブリカン党、1831年にクレイが票集めに踏襲した名称リパブリカン党(ナショナル=リパブリカン党とも称した)を踏襲した、「第三次共和党(リパブリカンズ)」と云っている。 しかし、これらの政党は名称を踏襲しただけで、人脈としてつながっているわけではないので、全く別物と理解するのが正しい。 リンカンが当選できたのは、が奴隷制とするか自由州とするかを準州の住民の委ねるべきであるという意見と、連邦議会には準州の奴隷制を制限する権限はないとする強硬派、奴隷制には触れない政綱を掲げた保守派に分裂、それぞれが候補者を立てたためであった。 リンカンは選挙人では303のうち、180を獲得、総得票数でも第一位になったが、反対派三派の合計282万に対して、186万にとどまった。 しかし、黒人奴隷制が最大の争点となった大統領選挙で、拡大反対論者のリンカンが当選したことは、南部諸州の奴隷制維持拡大派はアメリカ合衆国からの離脱を次々と決議し、ついにを成立させた。 共和党リンカン政権は連合国家の分裂は認められないとしてアメリカ連合国を認めず、ついに 1861年、が勃発、合衆国は深刻な内戦を経験することとなった。 「再建」の時代を主導 南北戦争で北部が勝利したことによって共和党政権は安定期を迎え、「再建」(Reconstruction)の時代(1866~77年)とその後の19世紀初頭までのアメリカを主導した。 この間共和党は、保護関税政策、銀行制度と通貨制度の整備、通商の拡大(帝国主義の先取り)などのフェデラリスト的な政策を主体とする政策に転換した。 その支持勢力は北部の巨大産業資本家と西部の農民層に加えて、南部に対しては軍政を布くことによってかつての民主党の支持基盤であった南部プランター層を没落させ(『風と共に去りぬ』の時代)、白人協力者と新たに選挙権を得た黒人の熱烈な支持をうけて勢力を浸透させた。 こうして南北戦争前は北部の地域政党に過ぎなかった共和党が、全国政党へと成長し、連邦政府の政治においても優越の時代が20世紀初頭まで続くこととなる。 引用 南北戦争および再建の時期以来、共和党は強い愛国心によって、戦時関税の下に繁栄した製造業者の支持によって、鉄道と新企業の発展とともに果敢な躍進を狙う資本家の後援によって、また自営農地法を始めとする多くの便益供与を感謝する農民によって強化され、有力な政党としての地歩を固めることになる。 共和党はすべての重要な公職を占め、連邦の立法・行政・司法の三部門を支配し、民主党は反逆の烙印を押され弱体化していたので、共和党は国家の運命をかつての民主党以上に左右するにいたったのである。 <ビアード/斉藤眞・有賀貞訳『アメリカ政党史』UP選書 p. 100> 民主党の変質と復活 一方、は南北戦争前に分裂し、戦争によって解党的打撃を受けた。 その支持基盤であった南部プランターは南北戦争の結果急速に没落し、西部の農民層は共和党支持に変わるとともにアメリカの工業化の急激な成長によって急増した労働者層に比べて、その相対的な重みを急激に失った。 民主党は政党として存続するためには大胆にその政策を農業中心から工業中心に転換させなければならなかったが、その新たな受け皿となったのが共和党支持層から疎外されていた東部の労働者層や、急速に増加してきたであった。 1877年の妥協 勢力が伯仲するようになった両党は、1876年の大統領選挙で共和党のヘイズと民主党のティルデンが争い、共和党は僅差で敗れた。 共和党は一般投票の集計に不正があったとして疑義をはさんだ。 両党のボスが秘密裏に談合し、ヘイズを大統領とする代わりに南部諸州の連合軍を撤退させるという妥協を成立させた。 こうして1877年にヘイズは大統領となったが、これによって「再建」の時代は終わり、南部はふたたび民主党の牙城となり、が復活することになる。 民主党との二大政党時代 の1865~77年の「再建」の時代にが進んでいくなかで、は北部に新しい支持基盤を獲得するとともに南部でも党勢を回復し、共和党を脅かすようになった。 1884年と92年の大統領選挙では共和党に対する批判票を集めた民主党が僅差で勝ち、クリーブランドが大統領となった。 しかし、いずれも1期でおわり、共和党のハリソン(在任1889~93)、(在任1897~1901)がそれぞれ民主党政権に代わって共和党政権を復活させた。 は、1880年代になると、 共和党と民主党の政策的対立はほとんどなくなってゆき、従来の共和党は高関税=保護主義、民主党は低関税=自由貿易という違いも不明瞭になっていった。 1880年代の「アメリカの政党は選挙に勝つための組織であって、政策実現のための組織ではなくなっている」とも言われている。 <上記『アメリカ政党史』斉藤眞の補論 p. 104> 共和党と民主党がほぼ同じような政策を掲げるようになったことで、19世紀末からアメリカでも「第三党」結成の動きが出てきた。 禁酒主義者(禁酒党)、ロシア革命の影響を受けた労働者政党(社会党など)、急進的な農民政党などであるが、二大政党に直接的な影響を与えながらも、いずれも大統領を当選させるような全国政党として発展することはできなかった。 労働組合も(AFL)が結成されたが、政党活動には否定的で、二大政党に政策を競わせる方策を採った。 アメリカ帝国主義の推進 この間、が進行して、急速に工業化が進むとともに大企業への資本が集中して独占資本が成長し、さらに平行して西部開拓が進んでの時期を迎え、共和党は農業よりも工業の重視、国内産業保護のための保護関税政策、海外領土の獲得などを掲げて政権政党として国民の支持をえるようになっていった。 特にとの時代(1897~1909)は、が進展し、やなどによって、フィリピンやグアムなどの太平洋地域と、パナマやキューバなど西インド諸島への勢力拡大が図られた。 中国大陸進出では出遅れたため、などで介入を強めた。 革新主義の台頭 19世紀末期から20世紀初頭には従来の自由放任(レッセフェール)による資本主義の発展は、貧富の差の拡大や独占資本の横暴など、その矛盾も明らかとなってきた。 その中で、特に都市の中産階級の中に、従来の共和党・民主党による二大政党制に対する不満が強まり、その気運に答えようとする動き共和党・民主党それぞれの内部に(Progressivizm)の潮流を生み出した。 議会が独占の行き過ぎを制限するための一連のを制定したのはその現れであった。 T=ローズヴェルト、革新党結成 共和党では、1901~09年に大統領を務めたは、外交政策ではと言われたを展開したが、国内政策では次第に革新主義に同調するようになり、ついに1912年の大統領選挙では共和党から脱退して革新党を結成して立候補した。 しかし、共和党主流派、民主党との三つ巴の選挙でT=ローズヴェルトは敗北、革新党は間もなく衰えた。 民主党ウィルソン政権 1912年の大統領選挙で共和党が分裂したことによって漁夫の利を占めたのがのであった。 ウィルソンは革新主義と同じように大資本の規制を唱え、「新しい自由」を掲げてかろうじて当選した。 ウィルソン政権はに直面すると、当初は伝統的外交政策として孤立主義をかかげて参戦を避けていたが、戦争の長期化、ロシア革命での社会主義政権の出現などの国際情勢の激動を受けに踏みきり、大戦後の世界秩序の再建のためにを提唱した。 その一環としての創設が第一次世界大戦後に実現し、アメリカは国際政治で主導的な役割を果たすようになった。 共和党の孤立主義 しかし、当時議会の多数を占めていた共和党はを議決した。 国際連盟の加盟はアメリカにとって、ヨーロッパの戦争にふたたび巻き込まれる恐れを強め、加盟することによってアメリカの富が外国の紛争解決のために使われることになる、というのが共和党の反対理由であった。 このように共和党は伝統的な孤立主義の立場から、ウィルソンの理想主義に反対したと言うことができる。 は共和党の大統領が三代続いた。 ハーディング・クーリッジ・フーヴァー 在任1921-23 は企業の活動を復活させることに重点を置いたが、その過程で汚職事件などの腐敗が表面化し、人気を落とした。 ハーディングが急逝したのを受けて副大統領から昇格し、ついで1924年の選挙で選出された 在任1923-29 は「平常への回帰」をさらに押し進めた。 彼は「アメリカの進歩の推進力は工業である」と力説し、同時にマッキンリーの膨張政策を再現した。 クーリッジ大統領のもとで商務長官を務めた 在任1929-33 は、自由放任による資本主義の繁栄という理念を信奉し、事実、この三代の大統領の時期の1920年代は、「アメリカの繁栄」の時代が実現した。 1920年代のアメリカ は、経済繁栄とともに、1920年のの実現にみられるように民主主義の一定の発展があった。 また資本主義のはを開化させたが、その反面でが施行されるなどキリスト教的な価値観が復活し、といわれる人々の優越意識が強まった。 また、日本からの移民などの急増は、アメリカの労働市場を脅かすとされ、も制定された。 共和党はそのような時代に政権与党として存在したが、次第にライバル政党民主党だけでなく、当時ようやく台頭してきたアメリカ社会党やアメリカ共産党の労働者政党にも脅かされるようになっていった。 共和党の協調外交 アメリカ合衆国は国際連盟には加盟しなかったものの、イギリスを抜いて世界一位の工業生産力を持つ大国として、国際社会で責任を負わなければならない時代となっていた。 第一次世界大戦後の国際秩序であるによって、戦勝国イギリス・フランスと敗戦国ドイツの溝はさらに深くする恐れがあったが、共和党のクーリッジ政権のもとで財政顧問を務めた銀行家ドーズはを解決に導くを作成し、同じく外務大臣のは、の締結に尽力し、協調外交の成果を上げた。 ドーズとケロッグの二人はいずれもノーベル平和賞を受賞している。 ワシントン体制 第一次世界大戦後の世界の不安定要素と見られたものにはヨーロッパにおけるがシズムの台頭と共に、新たに登場した社会主義国であるソヴィエト連邦の勢力拡張と、アジアで急速に台頭した日本の軍事力・経済力であった。 共和党政権下のアメリカは、国際連盟では果たすことのできない中国・太平洋地域における日本の台頭を抑える目的から、を召集、を成立させ、で中国の、で太平洋の権益を守ろうとした。 ここで成立したアメリカ主導のアジア・太平洋地域の国際秩序がであった。 このように共和党政権は、単純に孤立主義を維持したのではなく、自己の権益にかかわる問題に対しては積極的に「国際協調」を図ろうとしていた。 世界恐慌による政権交代 しかし、1929年に起こったに対して、フーヴァーは一時的な不況という見方しかできず、30年にはによって高関税政策をとり、諸外国もそれに倣ったため貿易はさらに衰退し、31年にはでドイツの賠償金と戦債の1年間の支払い猶予を打ち出したが効果はなかった。 不景気はさらに深刻になり、失業者が増大、ついに「フーヴァー村」といわれる失業者のバラック村が出現するなど、対策が後手となり、1932年の大統領選挙で民主党のに敗れることとなった。 「ニューディール連合」と共和党 のは四期(1933-45)にわたって大統領を務め、幅広い国民的支持を受けて、政策を実施して不況克服を試みた。 さらに第二次世界大戦の戦争指導では、枢軸国に対する連合国の闘いを勝利に導き、国際連合の設立に盡力して戦後の国際政治の枠組みを作った。 1933年から民主党政権が続くうちに、民主党はかつての南部農民の党という性格を全く転換させ、都市の中間層を基盤として大資本の横暴と戦い、富の分配や社会保障などに熱心に取り組むようになり、この過程で支持基盤を都市部の中産層から低所得層の労働者、黒人、農民に広げ、「ニューディール連合(またはローズヴェルト連合)」と呼ばれる強固な体制を築いていった。 対外政策では、帝国主義には抑制的で、民族独立を容認するという「革新的な」政党というイメージができあった。 それに対して共和党は、政策面では民主党よりは大企業擁護の姿勢が強く、アメリカの膨張を推進する他、既得権の擁護とむすびつく「保守的な」政党とみられるようになった。 しかし、共和党は政策面で民主党との明確な違いを打ち出すことはできず、「大統領の多選批判」を繰り返すのみであったため、国民の支持を得ることはできなかった。 F=ローズヴェルトは4選を果たし、大戦末期の1945年4月に任期途中で死去し、副大統領が昇格して、戦争は終結を迎えた。 マッカーシズム 戦後は、議会では多数派であった共和党はを成立させるなど、トルーマンのの足を引っ張っていたが、さらに東西冷戦が激化し、が勃発すると、共産主義に対する恐怖心を煽り、より強い姿勢を望む世論の支持を受けて共和党右派のマッカーシーらが中心となってといわれる「赤狩り」を行った。 アイゼンハウアー大統領 1952年の大統領選挙では共和党は第二次世界大戦の英雄であった軍人 在任1953-61 を候補に立てた。 アイゼンハウアーは「アイ・アム・アイク」というセリフで庶民的な愛嬌があり、変化を望む国民の期待を受けて当選、共和党政権を復活させた。 アイゼンハウアーは就任から間もない1953年7月にに調印、アメリカは明るさを取り戻し、50年代のアメリカの繁栄の時代が始まった。 この間、アメリカの二大政党である共和党と民主党の政策の違いはますます希薄になり、内政においては細部の差はあれニューディール的な政策を採らざるを得ず、外交政策でも冷戦の中で西側世界のリーダーを務めるという基本姿勢は揺るがせようがなかった。 しかし、共和党・民主党それぞれが内部に主流派と反主流派の対立を含んでおり、それぞれがどれだけ強力なリーダーシップで党をまとめるか、まとめきった方が大統領選挙で勝利するという傾向が続いた。 スプートニク=ショック 繁栄を謳歌していた1950年代にアメリカに、冷や水を浴びせたのが、1957年のソ連によるの打ち上げ成功であった。 東西冷戦下の米ソ両大国のは熾烈となり、東西ドイツや朝鮮半島、中東など、両勢力がにらみ合っている地域の緊張はますます高まっていった。 国内では大企業と軍が核開発・宇宙開発で結びつき、巨大な力を持つようになる恐れが出てきた。 アイゼンハウアー自身が退任演説での抑制の必要を力説するほどとなっていた。 ベトナム戦争の時代 1960年の大統領選挙では、のがその若さと、テレビ討論でのさわやかな弁舌でニクソンを破り、大統領就任後はキューバ危機の回避や国内政治での公民権法案の作成など、国民的な人気を高め、63年に暗殺されるとその悲劇性から民主党は広く支持を集め、後継者は64年にを成立させた。 戦後の共和党は、民主党に比べて、主流派・反主流派の対立が激しかった。 おおよそ人種間の平等や人権を重視する穏健な保守派と、人種融和には否定的でキリスト教的な価値観を重視し、進化論や人工中絶、異性婚などに反対する超保守派が対立し、主導権を争っている。 また中道派とされる多くの共和党員は世論の動向を見ながら動き、左右のどちらが主導権を握るかの鍵となっている。 次第に民主党との違いを明確にすべきだという動きが強まっていった。 共和党の右旋回 ケネディ-ジョンソンの民主党政権の下での黒人差別撤廃の急速な進展は、南部の保守派に強い危機感を抱かせた。 南北戦争以来、南部で黒人の権利を擁護してきた共和党は、ここで180度戦略を転換したのである。 」 <杉田米行『知っておきたいアメリカ意外史』2010 集英社新書 p. 94> 1964年の大統領選挙で共和党の指名を勝ち取ったのは超保守派・反共主義者して知られたゴールドウォーターだった。 ゴールドウォーターは「法と秩序の回復」を掲げ、黒人差別撤廃に歯止めをかけ、共産圏にたいする核攻撃も辞さない強硬姿勢を主張した。 しかし、ニューディール型の富の分配の継続を掲げる現職の民主党ジョンソンに大敗した。 ベトナム戦争 民主党ジョンソン政権が1965年に本格化させたは、東南アジアの共産化を阻止するということを大義名分として掲げたものの、政権の思惑をよそに長期化し、ますますエスカレートしていった。 民主党政権がこのような覇権主義的な軍事行動に深入りしていったことは、民主党内のリベラル派や、特に学生に強い反発を生みだしが活発になっていった。 1968年、ベトコンのテト攻勢が始まってアメリカ軍の形勢不利が伝えられる中、と民主党のホープと目されたロバート=ケネディ(ケネディ大統領の実弟)が暗殺され、世界的な(スチューデントパワー)がアメリカでも激化し、ジョンソン大統領は自ら再選を辞退した。 ニクソン大統領 1968年の大統領選挙では共和党が当選し、共和党政権を復活させた。 しかし、ニクソン政権はの収束に苦慮し、で各国に防衛の肩代わりを求め、軍事費の削減を図った。 また71年には金とドルの交換停止を宣言、といわれる世界経済の転換を図った。 その外交を担当したの活躍で中国とソ連を訪問して東西冷戦の緩和に大きな風穴を開け、再選後の73年にはベトナム戦争の停戦を実現した。 しかし、のスキャンダルが発覚し、74年8月にアメリカ大統領の中で唯一、死亡でなく任期途中に辞任した。 次の大統領には副大統領のが昇格した。 フォードは独自の成果が乏しいまま、76年の選挙では民主党のの当選を許した。 民主党カーター政権 1975年にサイゴンが陥落し、アメリカの仕掛けたベトナム戦争は完全に失敗して収束した。 70年代後半のアメリカはその後遺症から脱却を模索する時代であった。 この間の政権を担当した民主党カーターは経済の復興をめざしたが、世界経済ではEC(ヨーロッパ共同体)と日本が台頭し、アメリカの力の低下は明白となっていた。 外交ではカーターは人権外交を掲げたが、やという事態を乗り切ることは困難であったため、国内に共和党保守派の強硬路線に期待する状況が現れ、それが1980年の共和党レーガンの当選をもたらした。 レーガンからブッシュ親子へ ベトナム戦争敗北後のの低迷を打開する期待感から、1981年から共和党政権(在任1981~89年)が始まった。 レーガンはニューディール以来続いた政府による経済介入や税と社会保障による富の再分配機能を否定して、の経済への転換を図るとともに、「強いアメリカ」を再現することでアメリカ国民の自信の回復を図ろうとした。 レーガノミクス この間の共和党は政権は政権に見られるように、経済政策においては政府はあまり介入せず、規制緩和を進めて企業活動の自由と競争を重視した。 財政においては「小さな政府」を志向して支出を抑え、減税を実現しようとした。 そのため社会福祉予算を削減し、自助努力を求めた。 地球温暖化防止などの環境対策も、企業活動にマイナスであるとして積極的でなかった。 このような レーガノミクスと言われた経済・財政政策は、70年代に台頭したの理論に負うところが大きい。 「強いアメリカ」への回帰 外交においては、レーガンの「強いアメリカ」への回帰は、ネオコン(新保守主義)といわれた官僚を重用し、などの軍拡を進めた。 レーガンはソ連を「悪の帝国」とよび、と言われる新たな対立をもたらした。 レーガンはカリブ海域にも伝統的な強権外交を復活させた。 双子の赤字 しかし、レーガン政権の時代に市場原理に委ねる経済政策がとられた結果、次第に貧富の差が拡大し、税収の減少にもかかわらず軍備を増強させたため財政赤字が膨らみ、貿易赤字も増えたため「 双子の赤字」といわれるようになり、1987年には先進国との間で によってアメリカ経済を救済するためのドル安(円高)誘導が図られた。 ブッシュ政権へ この間、ソ連を中心とした東欧社会主義陣営でも経済の停滞と政治の硬直化という問題に直面しており、ソ連にが出現してペレストロイカが始まった。 その動きは一気に89年のによる東欧社会主義圏の消滅を受け、東西冷戦の解消へと進み、レーガンを継承した共和党とゴルバチョフとの間でされた。 さらに1991年にはし、米ソ二大国の対峙する図式は終焉した。 冷戦終結後の共和党 冷戦終結後、アメリカは唯一の軍事大国として世界に強い影響力をもつこととなったが、同時に世界では民族対立や宗教的対立など地域紛争が多発するようになった。 共和党政権中枢は保守派(タカ派)である新保守主義(ネオコン)派が主導し、イラクのフセインがクウェートに侵攻するとブッシュ政権はに踏み切った。 国連決議ではなく、アメリカが主導する多国籍軍による軍事行動は、同時にアメリカがテロとの戦争に巻き込まれていく要因となり、政権下で2001年の、、、イスラム国(IS)の台頭という中東問題にかかわる混迷が続いた。 2000年代にはアメリカが国際協力よりも、唯一の軍事大国として単独行動主義()をとる事が目立つようになっていった。 共和党=保守イメージの確定 かつて奴隷解放を実現したリンカンの共和党は、今や人種問題には熱心でなく、黒人やヒスパニック、アジア系など非白人の増加にあからさまに不快を表明し、移民の排除を掲げるようになった。 また、80年代以降、世界的な価値観の変動はアメリカでも深刻な対立を生みだしており、共和党保守派はキリスト教原理主義の立場からイスラム教徒や同性愛者などのマイノリティーに拒絶反応を隠さず、妊娠中絶や同性婚には強く反対している。 さらに、度重なる銃乱射事件で犠牲者が出ている現実から、民主党政権は銃規制を打ち出しているが、共和党保守派は武器携帯は憲法に保障されている独立した個人の自己防衛として必要であると、規制に反対している。 総じてこれらから、現在の共和党は保守的性格の面が目立っている。 は社会保障や少数者の保護などの点で革新政党と見られがちであるが、アメリカの二大政党はいずれも資本主義の枠内にあり、イデオロギー的な保守と革新の違いではなく、その時時の選挙に有利な政策を競うという、選挙によって政権を獲得するための「集票マシーン」的な存在になってしまっている。 大企業の利益代表とはみなされないていない民主党も、大企業の献金によって活動が支えられているのが実態である。 ティーパーティ運動 注目すべき動きとしては2009年ごろから、オバマ民主党政権の医療制度改革(オバマケア)などによる財政支出と、その財源としての増税策を「大きな政府」を志向するものとして批判し、アメリカ独立前のになぞらえた「 ティーパーティ運動」と称して活発になったことがあげられる。 共和党はその動きに乗じて、オバマ政権下で行われた2010年の中間選挙で大躍進し、上院・下院とも多数を占めている。 共和党のシンボル 象 1874年にトーマス=ナストとい人が共和党をロバ(民主党のシンボル)に追っかけられる象とする諷刺画を描いたことに始まるという。 しかし、「怪物」トランプがTPP撤退は別として、移民排除、オバマケアの廃止、銃規制の緩和、など強引にやろうとすれば、外交面での核軍縮の逆行、親ロシア、反中国路線、唐突な北朝鮮との友好への転換などは、国連軽視の新孤立主義を深めることとなり、アメリカの混迷が続くと共に世界の不安定要素ととなっていくことが予想される。

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日本人が知らない米国「保守派」の本当の顔

アメリカ 共和党 シンボル

4134万人(有権者登録届出数) (2016年2月) 政治的思想・立場 党派:• 公式サイト シンボル 公式カラー 青 国際組織 民主党(みんしゅとう、Democratic Party)は、アメリカの二大政党の一つであり、主要なライバルであると並んで、現代のアメリカのの一つである。 とのを起源とし、1828年にの支持者によって設立された世界最古の政党である。 初期の頃、民主党は銀行に反対する一方で、、国家主権、を支持していた。 1930年代のと彼の以来、民主党はを推進してきた。 20世紀に入ってからも、民主党は保守的な親ビジネス親と南部の保守的なポピュリスト派に分かれていたが、ニューディール以降は、南部以外の地域では保守派の大部分が衰退した。 1932年から1964年にかけてのニューディール連合は、直近のヨーロッパからの移民の有権者(その多くは都市部に拠点を置くであった)から強い支持を集めた。 およびの後、両党の中心的な基盤は変化し、大統領選の駆け引きにおいて南部の州はより確実に共和党寄りとなり、北東部の州はより確実に民主党寄りとなった。 かつては強力だった労働組合の要素は1970年代以降は小さくなったが、労働者階級は民主党の重要な構成要素であることに変わりはない。 また、に住む人々、女性、大卒者、、、、も民主党を支持する傾向にある。 民主党のの理念は、と社会的平等の概念との支持を融合させたものである。 企業統治改革、、の支援、社会プログラムの維持・拡大、手頃な大学授業料、、、などが民主党の経済政策の中核をなしている。 社会問題については、選挙資金改革 、LGBTの権利 、刑事司法と移民制度改革 、銃規制の厳格化 、マリファナの合法化 を提唱している。 これまでに15人の民主党員がを務めた。 最初はで、7人目の大統領となり、1829年から1837年まで在任した。 直近ではが44代目で、2009年から2017年まで在任した。 2020年現在、民主党は下院で過半数、15の州政府のトライフェクタ(知事職と両院) 、アメリカのほとんどの主要都市の市長職 、合計19の州議会で過半数を保持している。 判事9人のうち4人は民主党大統領によって任命された。 詳細は「」を参照 その発足当初は対立するが北部を中心とした近代の振興の立場を取るのに対して、民主党は南部を中心とした勢力を支持基盤に持ち、南部の主等の権益の擁護を中心としていた。 現在では一般的に対立する共和党が・の立場を取るのに対して、民主党は一般的にの立場を取る議員が所属するとはされているが、伝統的南部出身者やなど、非常に保守的な議員もいる。 に関しては国内の、層や弱者、を救済するため、主義を主張する共和党とはやや一線を画す国内産業保護主義を取る。 それゆえ民主党ではやとの関係がしばしば問題になる。 施策に関しては共和党より積極的な議員が目立つものの、やに関しては共和党と大きな差はない。 近年は共和党に比べへの取り組みに積極的な傾向が明確になってきており、を推進していた民主党の元副大統領は、環境問題に対する活動が評価され2007年のを受賞するなど話題になった。 関係では(国連:UN)を重視し基本的には国際協調主義を取る。 しかし、などの例がある様に各国の協力・支援が取り付けられれば国連を無視した武力行使も辞さない。 に対しては、議会を中心に保護貿易主義の傾向が強いので、対中貿易赤字には敏感である。 下院議長などを中心とするリベラル派がやを非難するなど近年は中国の軍事拡張に批判的な姿勢を取るケースが増えつつある。 このことから近年党内では対中強硬派が台頭している。 比較的リベラルなとの関係は良好である。 問題に関しては、共和党と同様に寄りのスタンスを示す党員が多数派である。 現在の主な支持層は・および周辺の大都市および、プロフェッショナル、アカデミア、若年層、労働階級である。 また、(ラテン系)、(・・・等)などの非ヨーロッパ系の人種的マイノリティや、産業関係者にも民主党支持者が多い。 なお、このような支持層が常に民主党支持者であったわけではない。 特に長らく共和党を支持していた宗教保守派の一部も、近年では民主党に接近を図っている。 民主党はに分裂したの民主共和派の流れを汲み、を領袖に結党された「」が前身である。 より現在の「民主党」を名称にしている。 民主党は、過去にはその支持勢力をとに分けて捉えることができる。 北部ではの移民集団で、系や系移民に支持される一方で、南部では奴隷制度廃止に反対し、には連邦を離脱してを結成した層が支持層であった。 彼らは南部11州で支持層を拡大して「一党南部」または「堅固な南部」と言われる強力な基盤を形成することになった。 のさなかのにはが大統領に就任して入りし、大恐慌で苦しむをはじめ、()、、、そして民主党の支持基盤である南部人らを結集したいわゆる「連合」を形成することとなった。 しかし多様なを内包する党は、その後の立法などの人種政策の実施過程において、南部白人層の離反(レーガン・デモクラット)を招くこととなる。 また女性の権利をめぐる中絶論争で進歩的なを取ることから宗教的保守派などの離反も招いた。 ここにの再編成が起こり、民主党は窮地に追いやられることになったといわれている。 その後もヒトの研究の可否、の諾否(、諾否)、同性間における()の諾否など、国家として的価値観と関連する問題で一般に進歩的な政策をとることから、宗教的保守派(ただし、は除外)の支持は失っている。 では、初めてローマ・カトリックのが選出された。 ではが支持層を広げ、政権獲得に成功した。 しかし、ので共和党に多数を奪われた。 さらにで民主党は政権を失い、でも激戦の末に敗北するなど、現有議席数などから見た党勢は低迷した。 共和党の大統領の2期目の中間選挙である11月の選挙では、ブッシュ政権およびの共和党が問題や所属議員のスキャンダルで強い批判を受け、民主党が上下両院において多数派を奪還した。 また、多くの州の知事選でも勝利を収めた。 では、にルーツのあるの血を引くが勝利し同国史上初めて非白人の大統領が選出され、8年ぶりに政権を奪還した。 また、同時に行われた上下両院の議会選挙でも議席を伸ばした。 では議席を減少させ、上院では過半数を維持したもの下院では共和党が過半数を占めることになった。 2012年の議会選挙でも下院の過半数を奪回することは出来なかった。 だが、同年のではオバマ大統領が再選を果たし、2期8年の政権を全うした。 では、元という大統領経験者の配偶者ではあるものの、史上初の女性大統領の誕生を目指したが共和党候補のに、2000年の大統領選挙と同様に得票数では僅差ながら上回ったものの獲得選挙人で敗北し、政権を失った。 のにおいて連邦議会下院において野党ながら多数議席を回復した。 において、共和党の大統領の再選(2期8年)を阻止すべく政権奪還を目指している。 大統領候補 [ ] 年 結果 候補と当選者 大統領 代 任期 当選 [1] 7代 - 当選 当選 8代 - 落選 当選 11代 - 落選 当選 [2] 14代 - 当選 15代 - 落選 北部 落選 南部 落選 暗殺昇格 [3] 無し 17代 - 落選 落選 [4] 落選 [5] 落選 当選 [2] 22代 - 落選 [5] 当選 24代 - 落選 落選 落選 落選 当選 28代 - 当選 落選 落選 落選 当選 32代 - 当選 当選 当選 病死昇格 無し 33代 - 当選 落選 落選 当選 35代 - 暗殺昇格 リンドン・ジョンソン 無し 36代 - 当選 落選 落選 当選 39代 - 落選 落選 落選 当選 42代 - 当選 落選 [5] 落選 当選 44代 - 当選 落選 [5] [1] 辞任。 [2] 在任中に死去したため後任無し。 [3] 共和党の大統領の副大統領、リンカーンが暗殺されたため昇格。 グリーリーは選挙後間もなく死去した。 [5] 得票数で勝利したが、を失った。 支援団体 [ ] 現在 [ ]• 全米訴訟弁護士協会• (特に)• 運動団体• ・を中心とする都市部住民 過去 [ ]• 綿花産業• 支持派 政策と支持層 [ ] 民主党は、従事者、、、および宗教的、民族的に支持されている。 規制されない産業等に反対してきており、には賛成の立場を取る。 外交では、からにかけては国際主義が中心的なテーマであり、内政ではにはに代表されるように貧困層をターゲットにした福祉計画を唱導した。 親産業派を有していたが、にはそれが衰退し、には南部のが衰退した。 にとって主要な影響を及ぼしているのが労働組合である(それはからまでピークだった)。 また、の派閥もから伸長してきている。 からは、が主要な要素となってきている。 「政府の介入に基づく市民の自由(、)」を掲げており、「社会的自由、、機会の平等、財政的責任、医療保険の強制、政府がを和らげるために活動しなければならない」と考えている。 そのための引き上げなどを主張している。 かつては南部の農家のなかで支配的であったが、今は北部と都市部で強力になっている。 また、産業や産業などの業界からの支持が強いのも特徴である。 やなどでは、民主党を支持している著名なやなど芸能関係者が応援演説に駆け付ける姿がよく見られる。 民主党員と民主党の支持層と選挙の傾向 [ ] この記事にはが含まれているおそれがあります。 問題箇所をしして、記事の改善にご協力ください。 議論はを参照してください。 ( 2017年11月) 例えば、「、、は民主党が優勢な州である」と認識されているが、1908-2004年の25回の大統領選挙で最多得票を獲得した候補者の所属政党を見ると、マサチューセッツは民主党が17回-共和党が8回、ニューヨークは民主党が14回-共和党が11回、カリフォルニアは民主党が11回-共和党が13回-独立党派が1回である。 1957-2006年と現職の州知事の在職期間を見ると、マサチューセッツは民主党が26年-共和党が28年、ニューヨークは民主党が26年-共和党が28年、カリフォルニアは民主党が20年-共和党が34年である。 近年の知事の在職期間を見ると、マサチューセッツは1991-2007年、ニューヨークは1995-2006年、カリフォルニアは1983-1999年、2003-2011年は共和党の州知事の在職期間である。 関連項目 [ ]• 参考文献 [ ] []• アメリカの下院議長は党派色が強いため、下院議長が事実上の下院多数党代表である。 Donald B. 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