秋うちは(秋うちわ) 団扇置く 捨て団扇 忘れ団扇 秋団扇 デジカメ写真 季語の意味・季語の解説 ============================== 秋になって使われなくなった団扇を秋団扇(あきうちわ)と呼ぶ。 単に団扇(うちわ)とすれば夏の季語。 古くから使われる季語に「秋扇(あきおうぎ)」があるが、これより、生活感が強い。 団扇置く、捨て団扇、忘れ団扇などの副題も「あはれ」を感じさせる。 季語随想 ============================== 子供の頃、暑くて寝苦しい夜には、私たち兄弟が寝付くまで、父がよく団扇(うちわ)で扇いでくれた。 父の団扇から送られてくる風は、やわらかくてとても気持ちよかった。 父の団扇の風を浴びると、すぐに眠りにつくことができた。 父が言葉で優しさを説くことなど一度もなかったが、団扇の風が私たち兄弟に優しさと言うものをしっかり学ばせてくれた。 夏の猛暑の中で団扇を扇いでいても、父のことを思い出したりはしないのだが、秋になり、静かな気持ちで団扇を手にすると… 父の団扇が送りだす優しい風がとても懐かしくなる。 親父似の歌手も白髪に団扇置く (凡茶) 季語の用い方・俳句の作り方のポイント ============================== クーラーの普及したこの時代に、夏の季語として団扇(うちわ)に注目するということだけを見ても、俳人というのは特異な表現者です。 ただ、それに飽き足らず、涼しくなってあまり見向きもされなくなった「秋」の団扇にも詩情を抱き、それを季語として積極的に詠んでいこうというのですから… 俳句はなんとも懐の深い文芸です。 秋団扇が俳人に詠ませようとするもの… それはやはり「 あはれ 」であると思われます。 Kindle本については、下で説明します。 さて、俳句には、読者の心に響く 美しい形というものがいくつか存在します。 例えば、次の名句は、いずれも 中七の後ろを「けり」で切り、座五に名詞を据える形をしています。 左上の画像(Amazonへのリンク)をクリックすると、本著の詳しい内容紹介や目次を見られるページが開くので、気軽に訪れてみて下さい。 なお、この本は、前著『書いて覚える俳句の形 縦書き版/横書き版』(既に販売終了)を、書き込み型テキストから「純粋な読み物」に改め、気軽に楽しめる電子書籍の形に書き変えて上梓したものです。 あちこち加筆・修正はしてあるものの、内容は重複する部分が多いので、 すでに前著『書いて覚える俳句の形』をお持ちの方は、本著の新たな購入に際しては慎重に検討してください。 パソコン・スマホ・タブレットなどに無料でダウンロードできるKindleアプリを使って読むことができます。 あるいは、紙のように読めて目に優しく、使い勝手も良い、Kindle専用の電子書籍リーダーで、快適に読むことも出来ます。 氷水(こおりみず・こほりみづ) 夏氷 宇治金時 かき氷(宇治金時) パソコン絵画 季語の意味・季語の解説 ============================== 削った氷に、甘いシロップをかけた夏を代表する甘味。 かつては、鉋(かんな)で氷を削って作った。 赤いイチゴ味、緑のメロン味、黄色のレモン味などが定番だが、最近はハワイアンブルーのシロップをかけたかき氷も見られる。 様々な種類のかき氷がある中で、抹茶のシロップとゆで小豆をかけた宇治金時は、その王者と言える。 白玉を載せたり、練乳をかけたりしても美味しい。 通は、無着色のシロップをかけたスイ(みぞれ)を好む。 古い俳句には、「かき氷」の呼称を用いず、「氷水」の呼称を用いたものが多い。 実際、多くの歳時記は、今でも「氷水」を正規の季語とし、「かき氷」を副題としている。 なお、副題の「夏氷」は、冬の季語「氷」と区別するための呼び方。 季語随想 ============================== 本物の抹茶を惜しげなく使ったシロップをかけ… 自家製のゆで小豆をたっぷり載せ… ぷるぷるの白玉を二つ三つ添え… 濃厚な練乳をたっぷりと垂らす… そんな宇治金時があれば、まさに究極のかき氷と言えるだろう。 実は、ある観光地で、これに近いかき氷と出会ったことがある。 一杯千円近くしたが、たしかに絶品で忘れられない味であった。 以来、私は、旅先などでかき氷を食べたくなると、時間がかかっても、この手のかき氷を置いていそうな店を、わざわざ探して回るようになった。 炎天下を付き合わされる同行者にとってはさぞ迷惑な話である。 究極にこだわる凝り性の人間は、そうでない人間にとっては、実に面倒くさく、扱いづらい存在である。 私のこだわりは、たぶん周りの人にたびたび厄介な思いをさせているに違いない。 でも、このこだわり、凝り性がなくなったら、私は俳句なんて創れなくなってしまうような気がする。 季語の用い方・俳句の作り方のポイント ============================== かき氷は、じりじりと照りつける太陽から逃れ、店の中や長い庇(ひさし)の下などで賞味します。 ですから、かき氷は、「市井の中の陰(かげ)」の似合う甘味であると言えるのではないでしょうか。 私は、かき氷の俳句を詠むときは、「市井の中の陰(かげ)」をいかに味わい深く、あるいは面白く表現するかに、意識を集中させます。 作物につく害虫も食べてくれるので益虫であるが、鎌で挟んだ獲物をおちょぼ口でむしゃむしゃと食い進んでいく姿は、やはり恐ろしい。 一般的には「かまきり」と呼ばれるが、いぼむしり、拝み虫などの俗称がある。 俳人には「蟷螂」と漢字で書いて、「とうろう(たうらう)」と読ませる俳句を作る人が多い。 季語ばなし ============================== 子供の頃、夏休みの宿題として、昆虫の標本づくりを課せられたことがある。 そこで私は、両親に頼み、近くの山へ昆虫採集に連れて行ってもらった。 山では、町工場のひしめくわが家の周辺では見たこともないような不思議な昆虫を、たくさん捕まえることができた。 いつも目にするトンボより倍以上大きいオニヤンマ、カラフルで大きな羽を持つアゲハチョウ、水色で宝石のように美しいシオカラトンボ、緑鮮やかなウマオイ… たくさんの昆虫を捕まえた私は、これらの虫をピンでとめて標本にし、友達に自慢するのを楽しみにしながら、父の運転する車でわが家へ向かった。 家に着き、車から降り、トランクから虫籠を出すと、その中はとんでもないことになっていた。 なんと、多くの昆虫を入れておいたはずの虫籠の中には、最後に捕まえた一匹のカマキリだけしか、虫が入っていないのである。 大食漢のカマキリは、わずかの時間の間に、オニヤンマもアゲハチョウも、みんな平らげてしまったのである! この時、私は、「弱肉強食」という自然界の掟の恐ろしさを、始めてリアルに実感した。 そして、同時に、私という存在が、弱肉強食を掟とせずに生きていかれる人間であるということを、心よりありがたいと思った。 近年、人間界にも弱肉強食の掟を浸透させようとする雰囲気が、色濃く漂い始めている。 人間界がカマキリを入れた虫籠のようにならないよう、物書きとしてやれることはやっていきたい。 季語の用い方・俳句の作り方のポイント ============================== 蟷螂(かまきり・とうろう)が獲物を食う様子をじっくり観察し、いくつか写生句を作ってみました。 私の俳句の場合、「蟷螂」は「かまきり」でなく「とうろう」と読みます。 蟷螂の共食ひ鎌を食ひ残す (凡茶) 蜘蛛の腹破る蟷螂のおちよぼ口 (凡茶) 蜘蛛=くも。 破る=やる。 引きちぎること。 おちよぼ口=おちょぼ口。 もがく蝉休みては食ふいぼむしり (凡茶) いぼむしり=カマキリの俗称。 平らげて蟷螂鎌の汁を舐む (凡茶) 正直、どれもこれも気味の悪い、怖い景です。 そんな景でも、積極的に詠んでいこうとするのが、和歌には無い俳句のたくましさでしょう。 さて、こんなに怖さを感じさせる蟷螂ですが、この季語を、怖さや気味悪さとは無縁な別の語句と取り合わせてやると、俳諧味のある面白い句ができることがあります。 蟷螂の奢りきはめる花野かな (佐野蘆文) 奢り=おごり。 蟷螂やパフェを分け合ふ女の子 (凡茶) 最後に、信濃の俳人、小林一茶の一句を紹介します。 彼の句からは、皆が怖いと感じる蟷螂への愛情を感じ取ることができます。
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蜘蛛の俳句と写真 <即位礼に思うこと> ・和を祈る即位の礼や (薫風士) ・ () ・の囲や親子三匹餌食待つ () ・虚空より蜘蛛も大地を見つめをり (薫風士) 今日(10月22日)は「」が行われました。 の時代も平成の時代と同様に日本国民の象徴として両陛下が国際親善を推進される平和憲法の大原則が永久に堅持されることを祈っています。 「即位礼の句に蜘蛛の俳句とはけしからん」とおしかりを受けそうですが、昨日など散歩していて親子らしい蜘蛛が3匹いる蜘蛛の巣が目についたので写真を撮りながら高浜虚子の俳句がふと浮かんだのがこの記事のきっかけです。 蜘蛛の糸は肉眼で見えたのに写真には殆ど写っていないのが不思議でしたが、 今朝撮ったは太陽光線の向きによっては写真に写っていました。 この記事の原稿を書いている間に、「」関連のテレビ放映がどんどん進展したので冒頭の拙句を掲載する羽目になりました。 は夏の季語ですが、思いつくままに掲句を作り、や、 の短編小説「」の寓話や高浜虚子の掲句に思いをはせ、世界平和を祈りつつこのブログを書く次第になりました。 、相変わらずあちこちに蛛の囲を張っていましたが、そうで、高浜虚子の掲句が必ずしも当て嵌らないことを知り、を再認識しました。 ちなみに、「蜘蛛も」と助詞「も」を用いたのは、「のみならず蜘蛛も人間の営みを見ているよ」と言いたいからですが、「それは独りよがりで分からないよ」と批判されるでしょうね。 俳句の三要素(素材・季語・切れ)を考えよう 先日、テレビ番組「プレバト」で、ミッツ・マングローブさんの俳句についてさんが絶賛したことが納得できず、『俳句の三要素』についてふと考えました。 俳句は原則として5-7-5の17音で表現することは誰でも知っている常識ですが、次の三つが重要なことは俳句を作る人の常識でしょう。 (1)何を『素材』に詠むか? (2)その素材に合う『』は何か? (3)素材と季語を生かす『切れ』は何か? 夏井先生が 「直し無し・1ランク昇格」の査定をした ミッツさんの俳句は次のとおり5-7-7で口調は良いですが 、俳句としては破調です。 ・秋声に褪する石灰最終種目 この俳句が破調であることは度外視しても、「直し無し」の昇格査定は ミスジャッジであると思いす。 この俳句の三要素は次の三つに分析できます。 (1)素材は「石灰」と「最終種目」 (2)季語は「」 (3)切れは「に」と「石灰」の二か所 季語と素材の取合せをみると、「秋声」は「褪する石灰」とはマッチしますが、運動会の「最終種目」は特に大きな声援を伴いますので、 物寂しい気持ちを表す「秋声」とはミスマッチです。 また、とされます。 この俳句は、「秋声に褪する石灰」と続けて読めば、「切れ」を一つに出来ますが、石灰は秋声に褪せるのではない(強いて言えば、運動会の声援に褪せる)ので理屈に合いません。 従って、夏井先生の査定は誤りであり、フルーツポンチ村上さんが腑に落ちない顔をしたのも当然でしょう。 夏井先生の歯切れの良い査定も間違っていることがあるのですから、先生のコメントは参考として、 皆さんが自分自身の感性でも 上記の三要素をよく考えて を願っています。 ミッツさんの俳句の問題点の詳細や添削に 興味があれば、 「」をご覧下さい。 芭蕉300句の英訳チャレンジ (31~40) (青色の文字をクリックすると、リンクした解説記事をご覧になれます。 ) 31 有難や雪をかほらす南谷 arigata-ya yuki-o-kaorasu minami-dani how grateful! 」などを使うのが良いと思いますが、この俳句や次の俳句の助詞「や」は詠嘆的切れ字なので感嘆符「!」で表現しています。 なお、芭蕉がこの句を作った背景の解説は、次の記事にあります。 「」、 「」 32 涼しさやほの三か月の羽黒山 suzushisa-ya hono-mikazuki-no haguroyama what a coolness! the dim crescent moon above Mt. (B は意訳です。 「」の記事によると、この俳句は野宿を詠んだものではなく、山形県尾花沢市鈴木清風宅宿泊の持て成しを詠んだ挨拶句とのことです。 清風が「お持て成しは何もできませんが・・・」などと謙遜して言ったことを受けて、芭蕉はこの俳句を詠んだのではないでしょうか? 芭蕉は俳句が片言であることを認識して、この句をに 入れたのでしょう。 このように、日本固有のものは無理に英訳せず、注記することにより俳句の簡潔さを優先すれば良いと思っています。 Lead my horse sideways across the field (注) A は「ほととぎすが鳴いているぞ」と「馬子に呼び掛けている」と解釈して英訳したものです。 B は「鳴いている時鳥に呼び掛けている」と解釈して英訳しています。 「牽きむけよ」という表現からすると(A)の方が妥当ですが、俳諧味を狙った比喩的表現だとすれば(B)かも知れません。 芭蕉は何れの解釈も可としてこの句を作ったのではないでしょうか? なお、HAIKUは散文ではないので、行の初めを大文字にしないのが普通ですが、この俳句は命令文を含んでいるので大文字にしています。 このような漢字の違いによるニュアンスの違い・原句の面白さは英語に訳出できませんので英語版では注記します。
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台風上陸が来て、ようやく少し、朝夕には秋の声が聞こえるようになってきたようです。 今回の句は154句。 すこし少なめですが、ベテラン勢に交じって存じあげないお名前の方も増えました。 ここのドクターは毎週変わりますので、先週選ばれたから今週選ばれる、ということはなかなかありません。 ドクター同士で方針が統一されているわけでもありません。 しかし基本的に、「言葉の無駄遣い」は俳句ではNGだと思います。 「言葉の無駄遣い」の例はいろいろあります。 たとえば「夏休み孫子迎える祖父母かな」のように、季語=季語以外がまったくイコールでつながってしまうパターン。 「祖父母」にとって「夏休み」は「孫子迎える」ものなのは当然なので、「夏休み」だけで充分、つまり12音何も言っていないことになります。 ほかにも「亡き人の遺骨を壺へ秋暑し」であれば、季語と季語以外は離れていますが、遺骨は亡き人なのが当たり前、やはり言葉を無駄に使っています。 では今週十句に選んだ句をご紹介します。 最期までゲバラ帽子にアロハシャツ 幸久 亡き人を悼むなら、このくらいさわやかに送れるといいなと思います。 最期まで革命児。 空爆をハナビと思ふ夏の夜 豊田ささお 「路地裏を夜汽車と思ふ金魚かな 摂津幸彦」という有名句と同じパターンですが、意外な見立てを印象づけるテクニックですね。 夏の夜がやや月並みか。 秋らしく愛して欲しいなんて言う あざみ 夏には夏の、秋には秋の、愛し方があるのかも。 「私」と字が似ていますが、「私」ほど押しつけがましくない。 水槽のめだかと話す転校生 鷲津誠次 めだかと話せるのか、めだかしか話せないのか。 めだかは水槽にいるものなので、すこし無駄遣い。 上五は「教室の」「放課後の」などが考えられます。 鳳仙花わたしのことはほっといて 渓 ゆり 鳳仙花のぱっと飛び散る感じがいいですね。 百日紅この世のほかは知りません 瀬紀 みんなそうなのだから、死後のことなど気にしても仕方ない。 花の時期が長い百日紅だから明るい感じ。 がちやがちややオスメスゲスの極みの死 伊藤五六歩 うーん、「死」までいうと言い過ぎ、あの人への批判になりそうですが、虫たちの求愛からの転換は面白い。 炎帝や五体だんだん裏がえる 阪野基道 炎暑のなか五体が裏返る感覚って、とても俳句的だと思います。 いぼむしりそんなに俺が不思議かえ せいち いぼむしりにみつめられたら、こんな感じで問いかけたくなりますね。 「かえ」はちょっと劇がかっていますが、それを面白いととるかしつこいととるか、読者次第。 【選外佳作】 ビール酌む曲がりそうなるこころかな とよこ 曲がりそうになるところをビールで流して押さえ込んで、それで暮らしていくのかも。 シースルーエレベーターに日雷 せいち 「昇降機しづかに雷の夜を昇る 西東三鬼」という有名句がありますが、ご存知でしょうか。 現代的にかわっているのでオマージュともとれますが、やはり類想、二番煎じという気もします。 炎帝に矢を射るうちに半野獣 紅緒 炎帝に勝負を仕掛けているのでしょうか、それも野獣になって・・・面白いようですが、ちょっとわかりにくい。 名乗れない幽霊震へ人怯え 紅緒 名乗れない幽霊、これはなかなか奥が深い。 「人おびえ」までいうと言い過ぎ、下五を考えたいところ。 盤上を動かぬ駒や秋暑し 草子 動かぬ駒と秋暑し、長考する棋士の姿も想像できて、すこし関係がわかりやすすぎ、当たり前、という気もしますが、よくできた句だと思います。 窓を閉め盛夏の夕も老いており 滝男 熱中症注意です! その日一日を振り返りながら一日ごとに老いを感じる実感があります。 黒雲に睨まれてをり夏祭り スカーレット 実感がありますね。 思わず黒雲を擬人化して視線を感じてしまうのが面白い。 曼珠沙華子の無き家の真中へ来 まどん 来、まで無理に言わず「曼珠沙華子のなき家の真ん中へ」でどうでしょうか。 木槿落つ窓が社会に開かない 秋山三人水 「社会の窓」という言葉もありますが、これはみだりに開いては困ります。 そう考えると、かなり川柳的な句でもあります。 長すぎて深すぎる仮眠秋の水 意思 仮眠なのに寝てしまった、よくある失敗が、なんだかそのまま死へつながりそうな不吉ささえある。 語呂の悪さが気になり、「秋の日の仮眠長すぎ深すぎる」「長すぎる深すぎる秋水眠る」などと考えてみました。 2016年8月24日 中居由美ドクター : 今週の十句 (到着順) 【はじめに】 日中は相変わらずの猛暑ですが、立秋を過ぎた頃から、朝方などふっと涼しい風を感じるようになりました。 夜には虫の声も聞こえます。 オリンピックの熱気を横目に季節は、少しずつ秋へと移っています。 この夏何冊か本を読みました。 そのなかで心に大きく響いたのが、川上弘美著『大きな鳥にさらわれないよう』という小説です。 遠い未来、滅亡に瀕した人類を描いていますが、自然とは?人の暮らしとは?生とは?死とは?いろいろな問いが投げかけられているように思いました。 「大きな鳥」のことを考えた夏でした。 今週もたくさんのご投句ありがとうございました。 【十句選】 風よりも光にゆるる百日紅 太郎 百日紅が、花房ごとに時間差で大きく揺れる様は見方によってはシュールである。 「光にゆるる」という感覚がいいと思った。 エイリアン花無患子に紛れゐる 素秋 無花果の花の形状(アンテナのような無数の突起)や黒い実からの連想だろうが、エイリアンへの飛躍が面白い。 柔軟な遊び心は作句の原動力になると思う。 ダム底に風あるらしき盆の月 たいぞう しみじみとした思いで仰ぐ月。 盆ならばその思いはいっそう陰影をもつ。 そんな心を「ダム底に風があるらし」と詠んだ。 熱帯夜触れたる足の火口かな みなと 夢か現か・・・不思議な感覚だ。 熱くなった足を火口と捉えている。 ややわかりにくい句だが発想が面白いと思った。 二人乗りして買いに行く夏の雲 さわいかの 青春性溢れる一句。 恋人同士の自転車の二人乗りだろうか。 うきうきした気分をシンプルに詠んでいる。 季語「夏の雲」が効いている。 たくさんの誰もいないね夏の雲 さわいかの こちらは同じ夏の雲でも淋しい情景。 戦争のイメージも孕みつつ喪失感のようなものをうまく表現していると思う。 口語表現が成功している。 油蝉網戸に白き腹震ふ スカーレット 的確な把握である。 「腹震ふ」としたことで、視覚に聴覚が加わり、より奥行きのある句となった。 季語が重なるが、ここはやはり網戸だろう。 しかし、うっすらとほんのうっすらとではあるが、両者にはイメージの繋がりがある。 そこをうまく掬い取った句。 どの葉にも水をたっぷり敗戦日 紅緒 戦争は遙か遠い記憶となったが、忘れてはならない日。 繰り返してはならないものである。 終戦日と言わずあえて敗戦日としたところに作者の思いが窺える。 日常に置き換えて詠んだところがいい。 つい言い過ぎてしまう題材だから。 子の描きし馬を軒端に魂迎 瑠璃 盆の13日の夕方、先祖の霊を迎える。 霊の乗り物として馬の絵を供えた作者。 子どもの書いた馬だから上手とはいえないかもしれないが、どんな馬より早く駆けることだろう。 2016年8月17日 内野聖子ドクター : 今週の十句 (到着順) 【はじめに】 先週、全国高校総合体育大会なぎなた競技大会に競技役員として参加しました。 インターハイにこのような形で関わるのは初めてのことでしたが、本当に貴重な経験をさせて頂きました。 試合その他を通じて、日本の武道の礼儀正しさ、美しさといったものを改めて再確認できましたし、選手の頑張っている姿を間近に見ることができてとても良い刺激になったと思います。 さて、今週もたくさんの投句をありがとうございました。 暑い日が続いていますが、みなさま十分ご自愛下さい。 【十句選】 つゆだくの大盛といふ夏の星 幸久 「つゆだくの大盛」が気になりました。 溢れんばかりの星空なんでしょうか。 満天の星を久しぶりに見たくなりました。 耳たぶの小さき穴に月隠る 伊藤五六歩 耳たぶの穴はピアスの穴でしょうか。 月が隠れているって何だかロマンチックですね。 真直ぐな道の記憶や雲の峰 太郎 とても夏らしい句ですね。 周りに何もない中、まっすぐな道だけが白く存在していて雲に続いている。 そんな情景が目に浮かびます。 山頭火の句を連想しました。 見草女系家族の裏の庭 渓 ゆり 裏庭で夜にひっそりと咲く月見草と女系家族という言葉が何ともいえない雰囲気を醸し出しています。 最初「裏の顔」と一瞬読んでしまって、サスペンス的なものを感じてしまいました。 蒲焼きやのれんの「う」の字跳ねあげて 素秋 のれんの字が跳ねて書かれているのか、それとも蒲焼きを食べたい気持ちが店内に入る時のれんを跳ね上げさせるのか。 多分両方でしょうね。 扇風機へろへろへろと止まりけり 中 十七波 猛暑の中、孤軍奮闘して頑張ってくれた扇風機ですが、とうとう力尽きてしまったのでしょうか。 そういえば扇風機って(故障したわけではなくても)ゆっくり止まりますよね。 「へろへろ」という表現が何とも面白いです。 凸凹の角も溶けたる暑さかな 草子 今年の夏は本当に暑いですね。 口を開けば「暑い」しか出てこない感じです。 色んなものが溶けてしまいそうな暑さを「凸凹の角」が溶ける、としたところに面白さを感じました。 向日葵や嘘発見器点滅す をがはまなぶ 向日葵から嘘発見器を連想されたのでしょうか。 「向日葵に見られている気がする」と言った人がいました。 そう思うと嘘も見抜かれてしまうような気がしますね。 炎昼に動く気見えぬ錆運河 戯心 外にいるだけで熱気が身体に纏わりついてくるような真夏の昼間、錆びた船やそれに付随するものたちの独特な存在感が伝わってきます。 個人的には中七をもう少し工夫されるともっと良くなるかな、と思います。 蝉の穴嘘かまことか意味深か 意思 蝉の穴はよく寂しさや過去の象徴として詠まれたりしていますね。 「嘘かまことか」とあるように、本当のところはわからない何かがあったのでしょうか。 2016年8月10日 山本たくやドクター : 今週の十句 (到着順) 【はじめに】 暦の上ではもう秋ですが、実生活では本格的な夏到来です。 夏と言えば、花火や夏祭り、甲子園はもちろん、今年はリオ五輪もあり、イベントはめじろ押し。 Have a good summer! 【十句選】 引く波に地球が動くと素足の子 まゆみ 「地球」と「素足の子」の対比が心地よいです。 大きな視点の移動が良いですね。 モールス信号のやうに次々火取虫 二百年 「やうに」が余計。 「次々」だけでも十分に伝わります。 赤黄色緑むらさきミニトマト 鈴木輝実江 名詞の羅列。 ですが、それによって「ミニトマト」が色とりどりに、たわわに実ってる様子がよく表されています。 「むらさき」を平仮名にしたことも、多彩さをよく表現できています。 汗噴いて喪服着るのは骨折れる 阪野基道 下五の「骨折れる」がオチとなって、川柳として仕上がっています。 バルコニーロミオに絶対なれません! 高橋ふたば 強調を表す「! 」は、果たして必要でしょうか。 それをつけることによって滑稽さは出ますが、安易につけるとチープさも際立ちます。 よく考えた上で、作句をして下さい。 浴衣にはなんと言っても下駄でしょ せいち 俳句というより川柳です。 どこかで切れを持たせて下さい。 小刻みに死んでいくなり昼寝かな 悉太郎 「小刻み」の表現が秀逸。 作者の言葉のセンスを感じます。 腰骨に爪立てしまま夏果つる 秋山三人水 官能的一句。 夏だし良いでしょう。 フィナーレはもつとも涼しナイアガラ 中 十七波 花火大会の様子を彷彿とさせます。 しかし、「ナイアガラ」だけでは「ナイアガラ花火」とは理解しにくいかもしれません。 景は素敵なので、語順の入れ替えなどの推敲をおすすめします。 捨て猫にまだ風鈴の匂いあり 酒井とも 水彩画で描かれた絵ハガキを感じさせる一句です。 この暑い夏にはぴったりの爽やかな一句でした。 2016年8月3日 えなみしんさドクター : 今週の十句 (到着順) 【はじめに】 巨泉さん、永六輔さんと、昭和の放送文化を作った方がなくなって寂しい限りです。 巨泉さんは、早稲田の俳句研究会で寺山修司の先輩だったし、永さんも俳人でした。 わたしは永さんの深夜放送を聴きながら受験勉強した世代です。 永さんが子供の頃に詠んだ「子を負いて汽車を見にいく寒さかな」を覚えていて、お会いしたらその話をしたかった。 でも、チャンスがないまま逝かれてしまいました。 ご冥福をお祈りします。 今週は151句から。 読みにくい句も多く、そういう句は、調べも悪いように思いました。 【十句選】 永さんの返事のはがき夜の秋 まゆみ 追悼句、採らせていただきました。 永さんに手紙を出したら「返事のはがき」をもらったという事なのでしょう。 そこが、ちょっと分かりにくかったです。 花氷のある入口で待ってます せいち 景が確か。 夏のデパートや大きなスーパーの映像がうかびます。 そこで待ちあわせをした。 すっと頭に入る句。 濡れた手をふきふき差し出すかき氷 阪野基道 情景が良く分かる句。 「ふきふき差し出す」の中8は解消したいところ。 例えば「ふきふき渡す」とか「拭いて差し出す」とか。 喪草履を包む薄紙夜の蝉 紫 そういうマナーがあるのかどうか存じませんが、かそけきものを感じました。 夜の蝉が効いています。 腕時計せぬ生活や梅雨長し 眞人 腕時計しない生活というのは時間にしばられないリタイア後でしょ。 わたしは、いいな? と思いますが、「梅雨長し」では時間を持てあまして困っていることになる。 季語を再考のほど。 確かにワイヤーハンガーはからまりますね?。 目の前のものと、高い所にある「夏の月」の取り合わせもカッコイイです。 風鈴や雑巾掛けの高き尻 瑠璃 風鈴と、ぞうきん掛け。 いまは、ほとんど見られない商家の風景を思いました。 とくに「高き尻」が絵画的な構図になっていていいです。 茄子揉むやメニュー変わらぬ朝の飯 瑠璃 白いメシと、味噌汁、ナスの塩もみ、あとは目刺しとか、納豆かな。 なにげない毎朝の光景に好感を持ちました。 上5は「や」にすると大げさになるので、「茄子を揉む」のようにされた方がいいように思います。 交番の水槽にまた金魚増え 鷲津誠次 なんで交番の金魚がふえるのか?。 きっと住民が縁日の帰りに届けてくれるからじゃないかな。 愛されているお巡りさんなんだ〜。 沖へ沖へ女泳ぎの母小さし まどん 「女泳ぎ」というのは、女性が顔や髪を濡らさない立ち泳ぎのことのようです。 もうこんな泳ぎ方をする母親はいないと思うので、追憶の母親像でしょうか。 【おしくも十句に入らなかった句】 無鉄砲当てずっぽうや水鉄砲 素秋 面白いが、ただ3つ並べただけがどうか。 関連ずけて意味をもたせたら良かった。 朝曇ぴたぴたぴたぴた化粧水 素秋 びた、のリフレインが動きもあり面白いです。 星今宵夢で逢いましょ大往生 素秋 追悼句。 意味がしゃれてまとまると良かった。 空蝉と呼ばれてみたいわれ抜けて 瀬紀 ちょっと気になった句。 なぜ空蝉と呼ばれてみたいのかが知りたかった。 ロボットの背中が開く天道虫 紅緒 天道虫がロボットみたいだという事でしょうか。 ロボットを使わないで、ロボットっぽさが表現できたら良かった。 「翅わっててんとう虫の飛びいづる/高野素十」を睨みながら推敲してみてください。 2016年7月27日 須山つとむドクター : 今週の十句 (到着順) 【はじめに】 先ほど『カナカナカナ』と、蜩の初鳴きを聞いた。 先月は、自宅前の公園の空を、ホトトギスが鳴き渡るのも見た。 ツバメより大型、翼角 ツバサ前縁の折れ目 は前方に張り出し、羽ばたくシルエットはとても優美。 歳時記で知った自然との出会いを、楽しんでいる。 【十句選】 こらこらこら何て恰好麦熟るる 素秋 テレビの寸劇で見るような爆笑のシーンだろうか。 でも、季語『麦熟るる』とのギャップに一瞬戸惑い、あれこれと景を模索。 口誦の軽快さがひかる。 季語の吟味が課題だろう。 同じ夢見ていた頃のソーダ水 たいぞう ソーダ水にとめどなく湧き登るの泡の粒。 コップに弾ける爽やかな音。 この年となった今も、向かい合う二人の間で、ソーダ水のコップを濡らすしずくは、往時そのまま。 新盆を迎へし胸の琥珀かな 紫 亡くした人の記憶を確かめるためか。 新たな歩みを始めようとする決断のためか。 墓前にぬかずく喪服の胸に、思い出の琥珀のペンダントが。 簡素な措辞が、かえって深い情を伝える。 眼下には熊の住む森夏銀河 あい子 夏銀河に散らばる星々から、突き刺さるように光が降る。 涼風に混じり、眼下の漆黒の闇から生暖かい風が湧き上がった。 そういえば、登山口で『クマ出没注意』の張り紙を見たっけ。 海の日や野菜カレーの三杯目 茂 誕生10年目の新しい季語『海の日』。 季語の新鮮さ、明るさ、爽快さは、カレーライスのイメージに重なる。 白飯とルーとの色の対比、ルーにとけるトマト、茄子の色彩を彷彿させる。 ウイットに富む切り取りかたが、句の機知を響かせた。 バナナの香いまも微かに貸本屋 鸚儘 貸本屋に立ち入って嗅ぎ分けたバナナの香。 セピア色の静かな叙述が、納得を誘う。 五感を研ぎ澄ました時に生まれた俳句。 中七『いまも』は再考の余地。 黴の香を誘ってしまう。 行進の空うつくしや夏手袋 みなと 夏の行進には色んなタイプがあるはず。 カーニバル、デモ、『聖者の行進』が後に続く葬列・・。 どのような景を連想しても、夏空の深い青には、夏手袋の純白のレースが見事に収まる。 四五日と言はれ預かる兜虫 みさ 昨日、付きっきりで世話をしていたと聞いたカブトムシ。 すぐに来る飽き。 捗らない夏季合宿の支度。 夏休みの男児の生活が、近くで暮らす祖父母の目を通して、緩やかに描かれた。 三代の集合写真花火がドン 中 十七波 大輪が開く寸刻、『ドン』に合わせ、土手に敷いたシートの後ろを振り向く。 真昼の十倍も明るい炸裂光に、集まった家族三代の顔、カオが平板に貼り付く。 見事に凝縮された時空間。 【注目した5句 】 しっぽだけ見えてる夏の昼下がり 高木じゅん アライグマ? お昼寝のパジャマ? いろいろな景を連想させ、暑気払いの楽しさも。 弟に氷メロンの舌見せる 糸代みつ かき氷でこの舌が、メロンの不気味な緑色に見えているハズ。 弟が奇妙な声を発するハズ。 山盛りの氷イチゴや髭の口 スカーレット いちご、メロン、ブルーハワイ。 いずれも強烈な色彩ばかり。 ダリの口髭ならきっと似合。 巴里祭拳の如きパンを買ふ 紅緒 ふわふわや甘味、ケーキ化するパンが増えた。 巴里祭の日ぐらい、噛み応えするパンを。 2016年7月20日 星野早苗ドクター : 今週の十句 (到着順) 【はじめに】 宵々山に行ってきました。 烏丸通はテント屋台が並び、大変な人出でした。 戻り梅雨の曇り空でどこまでも歩けそうな気分になります。 路地に入ると、子どもたちが声をそろえて「ろうそく一本献じましょう」と歌っています。 どの子も浴衣の膝をきちんとそろえて。 大人に混じって物を売る鉾町の子どもの真剣さに一服の涼しさを感じました。 さて今回は、172句の中から。 【十句選】 夕蝉や木綿豆腐の仄白き 伊藤五六歩 下町の豆腐屋の店先でしょうか。 水槽の中には売れ残った何丁かの豆腐が沈んでいます。 深く日除けの下ろされた豆腐屋に焦点を絞って、夏の夕暮れが過不足なく描かれていると思いました。 水の中の豆腐の仄白さと夕蝉の鳴き声との親和性に発見があると思います。 紬織りハイビスカスを咲かせ住む 今村征一 ハイビスカスが咲いているのですから、場所は南の島でしょう。 祖先から伝わった紬織りの生業、ハイビスカスを咲かせる暮らし、それを守りながら住み続けている人々に、作者は共感の視線を投げかけているようです。 ハイビスカスと紬との取り合わせも鮮やかですね。 水(み)の笑窪あめんばうにもある重さ 素秋 水面に立つアメンボウの細い脚の下には、確かに小さな窪みができています。 それを見て、作者はアメンボウにも重さのあることに気づきました。 けれどもそれは、ほんのわずかなもの。 脚を突っ張っているアメンボウの重さを水も微笑ましく思っているのでしょう。 籐椅子に並び均しく老いにけり たいぞう 老夫婦、兄弟姉妹、或いは友人同士かも。 夏の夕暮れ、お風呂上がりなどのくつろいだ気分で、縁に置かれた籐椅子に座ってみると、並んだ二人は同じように老いています。 お互いに若い時分を知っているからこその感慨でしょう。 籐椅子の艶と軽さがいいなぁと思いました。 老鶯や新入り巫女のさらふ舞 悉太郎 新入りの巫女が奉納舞のおさらいをしている、という珍しい場面です。 おさらいなので、先輩から習った後、一人残ってもう一度練習しているのでしょう。 その新入りの初々しさと老鶯との取り合わせが面白い句です。 マンションを駆けのぼりくる祭笛 草子 夏祭りが近づき、お囃子の鉦や笛の音が聞こえる季節になってきました。 掲句は、マンションの上階にも祭笛が聞こえてきます、というほどの句意なのですが、駆けのぼりくる、に勢いがあります。 はっぴ姿の若者が駆け上ってくる連想を誘うところがいいですね。 噴水を見てゐる母の知らぬ顔 をがはまなぶ 噴水を見ている母を偶然目にする機会があったのでしょう。 母はいつも子どもである自分を見てくれていて、母にとって自分が目に入らないような事態は今まで無かったのかも知れません。 母が自分に気づかないことへのささやかな不安が、噴水の景のうちに的確に把握されていると思いました。 滴りのぽつり神代のままの音 戯心 なるほど、滴りの落ちる音は、太古の昔から変わらないはずですね。 「神代」の措辞から、古い神社の裏山の森を連想しました。 うっそうとした樹木、苔むした大岩からしみ出した水がせせらぎに落ちる音に、太古からの自然の営みを感受されたのだと思います。 まだ残る駆ける力や夕立くる 利恵 急な夕立に遭って思わず駆けだした作者。 駆け込んだ雨宿り先で、まだこんなに走れる力が残っていたなんて、と自分に驚きました。 もう何年も走ったことなど無かったのでしょう。 自然の力は偉大ですね。 アーケードや地下道のある都会では、夕立に追われて走ることも無くなりましたが、それも寂しいことのような気がします。 鈴虫をくばる生きがい事業団 青萄 「生きがい事業団」のネーミングが面白いと思いました。 シルバー人材センターのようなものでしょうか。 その団体が鈴虫を配っているのか、あるいは、鈴虫の幼虫を配ることを生きがいにしておられる方がおられるのかもしれません。 いずれにしても鈴虫の子虫を育てることは、生きがいにつながりそうです。 【その他の佳句】 草いきれ水車ひかりをこぼしけり 幸夫 味見して買うはめになるさくらんぼ 眞人 堂々と比叡参道大蚯蚓 茂 梅雨晴間さかなの骨のやうな雲 二百年 揚花火熊が出たつて本当け 中 十七波 三光鳥息継ぎのないコンチェルト 紅緒 星一つ増えた銀河や通夜帰り 磯村 2016年7月13日 谷さやんドクター : 今週の十句 (到着順) 【はじめに】 先日俳句仲間四、五人で集まる喫茶店の前まで行き、ドアの前の張り紙を見てしばらく立ちすくみました。 「本日クーラーが故障しております」。? 喫茶店に入ったら涼しい!? という思いだけで歩いて来たので、ぎょっとしました。 が、約束の誰も外で待っている友は見当たらないので、入って行くしかありません。 予約席には、業務用と思われる大きな扇風機1台と家庭用扇風機の2台が回っていました。 他の人たちも、汗を噴いた真っ赤な顔で座っていました。 それでも場所を変えようとか、今日は解散という意見が出なかったのは、私は張り紙を最後まで読んでいなかったのですが、その夜の店は予約を入れていた私たちのためにだけ開けておいてくれたのでした。 扇風機の涼しさに慣れて、三時間も居座りました。 店員さんたちの暑さを考えないで。 【十句選】 蜘蛛の子や開きし本の溝深き 高木じゅん 本の見開きの真ん中の窪みをノドと言うらしい。 ともあれ、この溝を蜘蛛の子が這い上がろうとしている様子。 蜘蛛の子のために、しばらくはページを開いたままにしておくだろう。 最後の五文字「深き溝」とするのとどちらが良いだろう。 また同じ夢を見てゐるくらげかな 幸久 水槽で飼っているくらげを思った。 同じ夢をまた見ている、と思わせる動きがあるのだろう。 寝ているときに見る夢なら、ぷかぷかと浮くだけのゆるやかな動きを想像する。 もしかくらげの願望を意味する夢であれば、どうにも激しい運動を思ってしまう。 外に飛び出したいとか。 夏の朝景徳鎮の皿の音 大川一馬 「景徳鎮」といえば、あの青い柄が印象的な食器。 「ケイトクチン」という言葉の響きも涼やか。 夏の朝にふさわしい食器だな、とこの句で思った。 値段は高そう。 贅沢な朝の音だなと思う。 同じ作者の<夏の月介助のあとの大欠伸>も好きだった。 しんどい介助のあと、ひとつ大欠伸をしてみたら少し気分が楽になるかも知れない。 虫退治トマトの葉裏越しに空 あい子 「虫退治」という率直な言葉と、後半のしんみりした空とのギャップがいい。 夢中で退治していて、ふと葉裏から見える空に気付いたのだ。 私は、最後の「葉裏越しに空」とするより「葉裏越しの空」の方がいいのでは、と思った。 「の」の方が、すんなり空へ届く気がする。 空の奥行と広がりを、より感じられるのではないだろうか。 父の日や何を待つにはあらねども 眞人 改めて辞典を引くと、父の日は「父親の日頃の労苦・慈愛をたたえ感謝をささげる日」とある。 労苦や・慈愛という重々しい言葉とは遠くかけ離れた、何を待つというのでもないけれどもやっぱり待っているような父の姿が可笑しくも哀れ。 何かが届きますように、と願うばかり。 人好きな犬に育てて祭笛 酒井とも 犬は家畜となった最初の動物だそうだ。 もともと人懐っこいイメージなので、「人好きな犬に人に育てて」には、少し抵抗がある。 でも最後の「祭笛」がいいなと思った。 祭笛に呼応するように犬も啼く。 あるいは祭笛に惹かれて、犬を抱いて出かけていく人を想像しても良い。 金色のヒトデの記憶水ようかん 鸚儘 水羊羹の水っぽい表面に、いつか見たヒトデの記憶が蘇った句。 水つながりではあるが、私には、取り合わせが衝撃的だった。 記憶の後、美味しく食べられたのかどうか、考え込んだ。 俺のってわけじゃないんで夏の雲 さわいかの 面白い句。 「いやあ、俺のってわけじゃないんでいいっすよ、あの夏の雲どうぞ」みたな会話を想像して、楽しい。 団の仲間、渡部ひとみさんの句「飼ってゐる訳ではないが春の雲」を思い出した。 こちらは春の雲がぴったりだが、「俺」には、夏の雲がよく似合う。 大瑠璃や谷戸田の水の広がるよ 豊田ささお 山間の田んぼに、今年も水が入った。 絵具を潜り抜けてきたような美しい大瑠璃の鳴き声も聞こえる。 棚田を見ると、日本人の知恵と苦労に、心から尊敬の気持ちが湧いてくる。 「水の広がるよ」という呼びかけとも安堵のつぶやきとも思える表現に共感した。 ひまわりやスキップしてるつもりの児 瑠璃 中七下五の持って回った言い方が、この句の子どもの姿に合っている。 右手と右足が同時に出たり、子どもは出来ているつもりでもなんか変である。 子どもなので「ひまわり」と平仮名にしたのはわかる。 「児」は「子」でいいかなと思った。 2016年7月6日 久留島元ドクター : 今週の十句 (到着順) 【はじめに】 今回は投句が少なめで143句でした。 最近、大学生と一緒に俳句を作る機会が多いのですが、私は初学者に「有季定型」「季語」は基本のルールで、使ったほうがいい俳句ができやすいからオススメだ、と話します。 五七五のリズムや、季語をうまく使っていない作品は、口ずさんでもなじまなかったり、一見すると面白いようでたいしたことがない句が多かったりします。 しかし実際には、自分自身が意識して挑戦するなら、多少のルール破りはありだと私は思います。 学生はどんどん自由奔放な句を作るので、ルールに縛られない自由な感性を褒めるべきか、それとも単純に人の話を聞いていない、反省しないだけだろうか、と判断に迷います。 迷いながらですが、それでも基準として「見たことない句」「楽しい句」には注目していきたいと思っています。 【十句選】 異次元へゆく正装のサングラス 紫 サングラスをつけると確かにちょっと芸能人気分になれたりしますが、それを「異次元へゆく正装」というのは斬新。 夕立に洗わせているわだかまり 戯心 雨降って地固まるといいますが、夕立に洗わせている、というのは気分がいいですね。 あやとりの角で待ってる夏座敷 さわいかの 解釈を2通り考えました、あやとりをしている子どもが夏座敷の角で待っているのか、あやとりの角っこで待っている子がいるのか。 後者だと夏座敷の意味がすこしとりにくいですが、なんとなく座敷童のような感じもあります。 とても面白い句ですが、語呂が悪いのが玉に瑕でした。 不真面目な恋で良かった紫陽花の 瀬紀 語末の「の」が付け足しに見えます。 紫陽花は4文字ですが「七変化」「額の花」などの別名があります。 ちりれんげ夏をプニュッと小籠包 素秋 当たり前のような表現ですが、プニュッと出てくるのが「夏」だという見立てはいいですね。 台湾の夜店? 熱傷の中指先の夏の夕 意思 すこしわかりにくいのですが、火傷を負った指先に夏の夕を感じるのか。 やや反戦句のようでもあります。 夜の電車夏の果て行き点滅す 紅緒 情景を考えると当たり前の日常、表現もやや荒い気がしますが、なんとなく晩夏らしいノスタルジックなあたたかさ、不思議さを感じます。 おじぎ草カラス天狗に貰ったの 糸代みつ なぜ烏天狗なのか分かりませんが、交友関係の広さがうらやましい。 ミモザ咲く医師と指切りげんまんす 酒井とも あまり楽しくなさそうな約束ですが、ミモザに免じておしゃれに見えます。 【選外佳作】 またマツコまたまたマツコところてん 秋山三人水 テレビであの巨体を見ない日はないという単純な時事句ですが、案外ところてんを突き出すように「マツコ」という無限の人格が次々と襲ってくるような不思議な光景なのかもしれません。 どす利かせヘビージャンプや牛蛙 スカーレット 楽しい句ですが、牛蛙だけに「ドス利かせ」も理解しやすいし、ヘビージャンプがダジャレのように見えて、かえって理屈めいてしまったように思います。 放射線技師の言葉や梅雨の音 二百年 同時に「放射線技師の言葉も雨の中」も投句いただきました。 これは雨の中に言葉が消えていくという小説的雰囲気、掲句は「や」で切れ、背景として雨の音が聞こえる。 俳句としては言い過ぎない「雨の音」をとりました。 空に色雨に色あり四葩冴ゆ 草子 「空に色」があるのは当たり前ですが、「空の色雨の色あり」とすると、当たり前のことを改めて発見した、という感じが出るかも知れません。 五尺玉孕んで帰る花火かな まどん 五尺玉を孕むというのは花火を用意するとか、花火を見て何か感じたということかと想像しましたが、そこから帰る、という意味がよくわかりませんでした。 ご馳走はブルーベリーと夏の星 中 十七波 キャンプの夜などでしょうか、気分のいい句ですがシチュエーションによっては月並みかも。 あいまいで私がらっぱ更衣 さわいかの 「私が、らっぱ」だとにぎやかですが、「私がらっぱ」だと私が河童になってしまったということでしょうか? いずれにしても「あいまい」「更衣」とのつながりがわかりにくい。
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