に引き続き、にじさんじの関係性ヲタクの話をしようと思う。 みれロアが「破局」したのは皆さんご存知のとおり。 僕は、非公開になった夢月ロアちゃんの配信をたまたまリアルタイムで観てしまった。 衝撃だった。 今までライバーがいわゆる「お気持ち表明」を行ったことは何度かあるが、あんな風に終始泣きじゃくりながら現在の窮状を訴える配信なんて、初めて観た。 ライバーにこんなことさせて良いのだろうか、と、考え込まずにはいられなかった。 なぜ「破局」したのか。 ロアちゃんが話したことを記憶を頼りにかいつまんでまとめると、みれロアの2人が絡むたびに「絡むな」というリスナーの声と「もっと絡んで」という声とが沢山寄せられるようになり、その声が大きすぎて、そのうち郡道先生と絡むのが怖くなって表立って絡めなくなった、絡まなくなったらなったで「不仲」と騒がれるようになり、耐えられなくなった、という話だった。 それが真実のすべてかどうかは定かではない。 それだけではないような気もするが、とはいえそういう面も多分にあったのは想像に難くはない。 なぜ想像に難くないかといえば、他のコンビに関しても同じような話をしょっちゅう聞くからだ。 偶然と言うか、ちょうどロアちゃんの配信に相前後して、別コンビで同じような話題が配信でなされた。 まずは、さくゆい。 「あとねぇなんか、『楓と美兎』やらなさすぎて、やめるんですかーとかね、すごい来んのよ。 んでその度にね、美兎ちゃんにマシュマロ送ったんねんけど。 『こんなこと言われてんで』みたいな。 (すると美兎ちゃんも)『あらー。 わたくしのメールにも来る』みたいな感じでね(笑)そんな話して笑ってんねんけど」 「なんか本当に心配してくれてる人もいるっぽくって。 最近本当に絡んでないから、私が他のライバーさんと絡んだり、美兎ちゃんが他のライバーさんと絡んでるから、『もう相棒はやめたんですか?』とか来るんやけどねぇ。 相棒ってそんな簡単にやめれるもんか? っていう。 私からしたらそう思う」 「まぁみんなの見えてないところではね、仲良くしておりますので」 こういう一部のリスナーからの声を「クソマロ送んな」と切り捨てるのはたやすいが、おそらく何の解決にもならない。 また、みれロアの件に絡めても話題にはなったけれど、「リスナーはライバーから供給されるてぇてぇをただ享受してればいい」という主張も、正しい面もあるとは思うが、完全には承服しがたい。 にじさんじのコンテンツはリスナーとライバーとのインタラクションで成立している部分が多分にあり、それがにじさんじの魅力とも言えるからだ。 TV番組のような、一方向に発信されるコンテンツとは本質的に異なる。 だからリスナーに「黙って配信を享受しろ」というのは、逆ににじさんじのコンテンツを殺しかねないと思う。 では、どうすればいいのか。 僕の中でも答えが出ているわけではないのだけど、関係性オタクはこのへんを心に留めたほうが良い、と思う点が現在3つある。 自戒も込めて、以下、書き出してみる。 「配信外」を認める 我々リスナーは、ライバーの24時間を観察できるわけではない。 物理的に近くにいるわけではないので、「あーあの2人またイチャイチャしてるわ」なんてことを常日頃観察できはしない。 だからどうしても、リスナーに見えるところ、つまり配信内で2人が絡んでいないと、2人の付き合いが全くないかのように錯覚してしまいがちだ。 現実にはそんなわけはない。 むしろ、配信外でやりとりしている時間のほうが圧倒的に長いはずなのだ。 そういった時間が存在することを、リスナーはもっと意識すべきだ。 さらに言えば、そういった直接やり取りしている時間がなかったとしても、関係が続いていることを認めるべきだと思う。 現実の親友や恋人、夫婦を想像してもらえればいいと思うのだが、どんなに仲の良い関係であっても、それぞれ別々に過ごしている時間のほうが普通は長い。 絡んでいない時間が長いからって関係がそうそう壊れるわけではない。 現実世界だったら当たり前のことなのに、ライバー同士は24時間常に見えるところでイチャイチャしてほしい、と考えてしまうのはやはりおかしいし、ワガママだと思う。 でもなぜか、ついそう考えてしまいがちなのだ。 「営業」を認める よく、「百合営業」というような言葉で一部ライバーの絡みを揶揄する人がいる。 まぁ、ライバーの関係にリアルさを求めてしまう気持ちはわかるし、だから「作りもの」を拒否してしまう気持ちもわからないでもない。 わからないでもないが、これも一種のワガママだと思う。 ライバーには常々「配信内」と「配信外」があり、配信に乗せられるものは何か、ライバーは常にリスナーの目を意識しながら考えている。 リスナーに見せられないものは配信に乗ることはない。 そういう取捨選択をライバーが行なう限り、営業でないものなんて存在しない。 僕らが目にするものは、どれだけリアルで生々しいものであっても、営業だ。 もし営業でないリアルさを求めて配信外まで追いかけようとしているのなら、それはただのストーカーだ。 一方で、営業だからといって全てがフェイクなわけではない……というか、多くの関係のかなりの部分はリアルにも存在するのだと思う。 みれロアの結末は不幸だったけど、でもああいうことをぶっちゃけられるのはにじさんじの良さでもある。 つまり裏を返せば、素で仲良さそうに見える関係は実際に仲がいいのだろう。 仲が悪いのに仲良さそうに見せてるだけでは、なんて心配をする必要はあんまりない。 そこを疑い始めると際限がないので止めたほうがいい。 関係性オタクは卑しいことを認める 最後に自戒を込めてぶっちゃけてしまうが、他人が仲良くしてるさまを眺めてニマニマするなんて、決していい趣味ではない。 自分のクラスメイトや職場の同僚に、そんな好奇の目でこっちを見てくる奴らがいたら普通に気持ち悪い(よね?) だから、関係性オタクはあんまり堂々としているべきではないのだ。 好きなものは仕方ないし、一人でニマニマするのは仕方ないとして、その趣味をライバー本人に見せつけるのは「恥ずかしい」と思うべきだ。 まして当人に仲良くしろなんて要求するのは、するなとは言わないが、メチャクチャ恥ずかしいしおこがましい、という意識を多少は持った方がいい、と思う。 ここまで長々と偉そうに語ってしまったんだけど、実際のところ『2. 5次元』の存在であるにじさんじライバーが登場してまだ2年も経っていない。 だからきちんとしたマナーも確立していないし、何が正しいか、誰もまだわかっていない。 ライバーだってまだ手探りだし、いわんや、ただのリスナーである僕がわかっているはずもない。 何が正解かはまだわからないけど、少なくともライバーにもリアルの部分はあるわけで、そのリアルに対してリスペクトと信頼を持って、1人の人間として接しようとするのがいいのだろう、とは思う。 間違っても、二次元キャラとしてしか扱わないようなことはしないほうがいい。 というか、 みんなもっとライバーのこと信頼しようぜ。
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に引き続き、にじさんじの関係性ヲタクの話をしようと思う。 みれロアが「破局」したのは皆さんご存知のとおり。 僕は、非公開になった夢月ロアちゃんの配信をたまたまリアルタイムで観てしまった。 衝撃だった。 今までライバーがいわゆる「お気持ち表明」を行ったことは何度かあるが、あんな風に終始泣きじゃくりながら現在の窮状を訴える配信なんて、初めて観た。 ライバーにこんなことさせて良いのだろうか、と、考え込まずにはいられなかった。 なぜ「破局」したのか。 ロアちゃんが話したことを記憶を頼りにかいつまんでまとめると、みれロアの2人が絡むたびに「絡むな」というリスナーの声と「もっと絡んで」という声とが沢山寄せられるようになり、その声が大きすぎて、そのうち郡道先生と絡むのが怖くなって表立って絡めなくなった、絡まなくなったらなったで「不仲」と騒がれるようになり、耐えられなくなった、という話だった。 それが真実のすべてかどうかは定かではない。 それだけではないような気もするが、とはいえそういう面も多分にあったのは想像に難くはない。 なぜ想像に難くないかといえば、他のコンビに関しても同じような話をしょっちゅう聞くからだ。 偶然と言うか、ちょうどロアちゃんの配信に相前後して、別コンビで同じような話題が配信でなされた。 まずは、さくゆい。 「あとねぇなんか、『楓と美兎』やらなさすぎて、やめるんですかーとかね、すごい来んのよ。 んでその度にね、美兎ちゃんにマシュマロ送ったんねんけど。 『こんなこと言われてんで』みたいな。 (すると美兎ちゃんも)『あらー。 わたくしのメールにも来る』みたいな感じでね(笑)そんな話して笑ってんねんけど」 「なんか本当に心配してくれてる人もいるっぽくって。 最近本当に絡んでないから、私が他のライバーさんと絡んだり、美兎ちゃんが他のライバーさんと絡んでるから、『もう相棒はやめたんですか?』とか来るんやけどねぇ。 相棒ってそんな簡単にやめれるもんか? っていう。 私からしたらそう思う」 「まぁみんなの見えてないところではね、仲良くしておりますので」 こういう一部のリスナーからの声を「クソマロ送んな」と切り捨てるのはたやすいが、おそらく何の解決にもならない。 また、みれロアの件に絡めても話題にはなったけれど、「リスナーはライバーから供給されるてぇてぇをただ享受してればいい」という主張も、正しい面もあるとは思うが、完全には承服しがたい。 にじさんじのコンテンツはリスナーとライバーとのインタラクションで成立している部分が多分にあり、それがにじさんじの魅力とも言えるからだ。 TV番組のような、一方向に発信されるコンテンツとは本質的に異なる。 だからリスナーに「黙って配信を享受しろ」というのは、逆ににじさんじのコンテンツを殺しかねないと思う。 では、どうすればいいのか。 僕の中でも答えが出ているわけではないのだけど、関係性オタクはこのへんを心に留めたほうが良い、と思う点が現在3つある。 自戒も込めて、以下、書き出してみる。 「配信外」を認める 我々リスナーは、ライバーの24時間を観察できるわけではない。 物理的に近くにいるわけではないので、「あーあの2人またイチャイチャしてるわ」なんてことを常日頃観察できはしない。 だからどうしても、リスナーに見えるところ、つまり配信内で2人が絡んでいないと、2人の付き合いが全くないかのように錯覚してしまいがちだ。 現実にはそんなわけはない。 むしろ、配信外でやりとりしている時間のほうが圧倒的に長いはずなのだ。 そういった時間が存在することを、リスナーはもっと意識すべきだ。 さらに言えば、そういった直接やり取りしている時間がなかったとしても、関係が続いていることを認めるべきだと思う。 現実の親友や恋人、夫婦を想像してもらえればいいと思うのだが、どんなに仲の良い関係であっても、それぞれ別々に過ごしている時間のほうが普通は長い。 絡んでいない時間が長いからって関係がそうそう壊れるわけではない。 現実世界だったら当たり前のことなのに、ライバー同士は24時間常に見えるところでイチャイチャしてほしい、と考えてしまうのはやはりおかしいし、ワガママだと思う。 でもなぜか、ついそう考えてしまいがちなのだ。 「営業」を認める よく、「百合営業」というような言葉で一部ライバーの絡みを揶揄する人がいる。 まぁ、ライバーの関係にリアルさを求めてしまう気持ちはわかるし、だから「作りもの」を拒否してしまう気持ちもわからないでもない。 わからないでもないが、これも一種のワガママだと思う。 ライバーには常々「配信内」と「配信外」があり、配信に乗せられるものは何か、ライバーは常にリスナーの目を意識しながら考えている。 リスナーに見せられないものは配信に乗ることはない。 そういう取捨選択をライバーが行なう限り、営業でないものなんて存在しない。 僕らが目にするものは、どれだけリアルで生々しいものであっても、営業だ。 もし営業でないリアルさを求めて配信外まで追いかけようとしているのなら、それはただのストーカーだ。 一方で、営業だからといって全てがフェイクなわけではない……というか、多くの関係のかなりの部分はリアルにも存在するのだと思う。 みれロアの結末は不幸だったけど、でもああいうことをぶっちゃけられるのはにじさんじの良さでもある。 つまり裏を返せば、素で仲良さそうに見える関係は実際に仲がいいのだろう。 仲が悪いのに仲良さそうに見せてるだけでは、なんて心配をする必要はあんまりない。 そこを疑い始めると際限がないので止めたほうがいい。 関係性オタクは卑しいことを認める 最後に自戒を込めてぶっちゃけてしまうが、他人が仲良くしてるさまを眺めてニマニマするなんて、決していい趣味ではない。 自分のクラスメイトや職場の同僚に、そんな好奇の目でこっちを見てくる奴らがいたら普通に気持ち悪い(よね?) だから、関係性オタクはあんまり堂々としているべきではないのだ。 好きなものは仕方ないし、一人でニマニマするのは仕方ないとして、その趣味をライバー本人に見せつけるのは「恥ずかしい」と思うべきだ。 まして当人に仲良くしろなんて要求するのは、するなとは言わないが、メチャクチャ恥ずかしいしおこがましい、という意識を多少は持った方がいい、と思う。 ここまで長々と偉そうに語ってしまったんだけど、実際のところ『2. 5次元』の存在であるにじさんじライバーが登場してまだ2年も経っていない。 だからきちんとしたマナーも確立していないし、何が正しいか、誰もまだわかっていない。 ライバーだってまだ手探りだし、いわんや、ただのリスナーである僕がわかっているはずもない。 何が正解かはまだわからないけど、少なくともライバーにもリアルの部分はあるわけで、そのリアルに対してリスペクトと信頼を持って、1人の人間として接しようとするのがいいのだろう、とは思う。 間違っても、二次元キャラとしてしか扱わないようなことはしないほうがいい。 というか、 みんなもっとライバーのこと信頼しようぜ。
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前回はにじさんじという箱のシステムやそれを引っ張る上位ライバーの存在、引っ張られる下位ライバーとの意識格差の記事を投稿したが、今回はそれに関連して生まれる問題について。 私の中ではこの問題がにじさんじを衰退させる一番の要因と言っても大袈裟ではないと思っている。 にじさんじだからこそ生まれたライバー同士の強い関係性。 それが衰退に導くという話。 "にじさんじの「てぇてぇ」文化の成り立ち" 何故にじさんじはここまでライバー同士の距離が近い箱となったのか。 その前提となるのはにじさんじの活動方針、運営スタンスにある。 ファンからも周知されている通り、にじさんじは運営主導な面が大きいV企業勢においてライバー個人の 自由意思を尊重した放任主義を取っている。 悪く言えばプロデュースに関しての運営のサポートが他企業よりは少なく、ライバー個人の負担する所が大きい。 その分個人の頑張りによって如何様にもなる、 やる気と実力が試される場所だ。 当時のいちからの社員数は僅か3人だと言われ、ブームに便乗して現れた「怪しいベンチャー企業」の何者でもなく、実際サポート不足やLiv2Dの動きもまだ拙かった事もあり、「運営はゴミだけどライバー達は素晴らしい才能を持って頑張ってるんだから応援しよう」という流れが初動であったと記憶している。 ある意味ではライバーは被害者的な目線で見られていた時期があり、この事で 「運営という邪魔なフィルターに期待せず、ライバー個人の頑張りを中心に見る」「ライバー全員が推し」というにじさんじを関係性で見るためのコミュニティサイドの受け入れ体制が出来ていた。 そこからライバー個人の判断による交流が始まり、運営のサポート不足によって生まれたライバー相互の助け合い精神も表面化する。 機材や配信関係のサポートすら満足に得られなかったライバー達が、お互いに相談し合って解決を図る方に動いたのだ。 懸念されていた蠱毒化して喰らい合う関係ではなく、助け合う仲間としての姿がそこにはあった。 ライバー達が助け合い、交流する過程が見える事。 それすらもファンからすれば新鮮なコンテンツになっていった。 期せずしてコラボが始まる JK組、そして「かえみと」などはまさに ドラマ的な関係性コンテンツだ。 距離感が遠く高みから命令してくる運営主導の台本では不可能な、放任されたからこそ現地のライバーが自分で考え、 自発的な交流の中で生み出す何が起こるかわからない関係性は魅力的に映った。 そうした環境の中で2期生がデビューする。 中には1期生の先輩に憧れて応募するようなライバーも生まれ始める。 1期生は2期生に対してどう対応するのか?ツイッターでの反応は?この後輩ライバーがこの誰々とコラボしたら面白そう! 同期を超えて先輩後輩という軸が生まれた事で関係性はその複雑性を増して更に箱文化が加速していく。 「にじさんじは家族」「あったけぇ・・・」「てぇてぇ」 現在まで続くにじさんじの箱文化においてライバー同士で仲が良い事や、助け合いの精神が生まれたことは大事な要素だったと思う。 間違いなくにじさんじというコンテンツにおいて成長要因としてプラスに働いていた。 それを今になって自分が 「馴れ合い」と感じて問題視するのは何故なのか。 2期生は箱文化が形成された後にデビューした初の新人であったからか、最初から裏で通話を繰り返し行って、ある程度仲良くなった状態で初配信を迎えていた。 その後も一部のライバー同士ではグループチャットを習慣化しているような発言があった。 それに対して、配信で楽しみにしていた関係性を構築する過程を裏で消費されたリスナー側は置いてきぼりにされたような感覚を覚えたのだろう。 「俺たちの見えない所で遊ぶな!配信でやれ!」的な批判が一部出た。 正直この批判は理不尽だ。 仲良くなることが悪いはずがない。 善い事であるが故に問題だと思わず、改善が困難な問題。 ファンは関係性をある種のコンテンツとして見るが、ライバー側は必ずしもそうではないというすれ違いがこの問題の根っこにはある。 ライバーからすれば新しい職場で出会って仲良くなったから遊ぶだけの話で外野にとやかく言われるのは煩わしい事この上ないがファンの感情は違う。 ライバーが自覚的であろうがあるまいがにじさんじが関係性をコンテンツの軸として人気を泊してしまった側面がある以上、それを表で見せることを求めるのだ。 それもあってかライバー達は仲良くする事を求められていると認識し、またその仲の良さを表で見せることへの大義名分を得る形となっていったのだが、 「ただライバー同士で仲良くしてるのを見せれば嬉しがってくれる」 と双方で認識された事が今となってライバー同士の堕落した関係性を生み出すのに繋がった気がする。 私が「てぇてぇ」と「馴れ合い」の分水嶺にあると思うのはこの場合のコンテンツ意識の差にある。 要するにライバー同士でただ仲良くしたいだけなのか、それをコンテンツとして見せる意識があるのかの違いだ。 前述した必要に迫られての機材関係でのトラブル解決、同期で上を目指すためにコラボで面白さを提供したいなどの高め合うような関係性もあれば、 自分が意識の低い活動スタンスを取りたいから、似たもの同士で慰め合う方向で馴れ合うようになってしまっているパターンがあり得るのだ。 つまる所は「腐ったみかん」に近い関係性。 配信をしてないと思ったら裏でライバーと遊んでるだけだったり、 ソロ配信が無くなりコラボだらけになっていたり、 配信しない人が多いから自分もしなくていいやとなったり、 最初から高みは目指してないから需要がないゲームをしたり、 好きな事だけやって数字はキャリーして貰おうの精神のライバーもいる。 そんな自分の怠惰さを肯定するのに他のライバーの存在は有り難い。 ライバーにとって同じライバーが増えるということは良い面では自分と相性が良い仲間が増えることで、悪い面で言えば 甘える対象が増えるという事でもある。 自分に怠惰な所があっても同じことをしているライバーが増えることで安心する事が出来てその行為も肯定されやすくなるというわけだ。 箱の恩恵に甘んじて低い次元での安寧を目指すライバー程、にじさんじ内での馴れ合いを求め、 箱内にその怠惰さを伝搬させて良くないループを生み出す。 関係性を売りにしているにじさんじ。 問題はライバー1人の範囲で終わらずにコラボや関係性を通して周囲に馴れ合いの輪を広げていく。 それは私がコンテンツとして魅力を感じるような関係性ではなく、お互いの利益が低い階層で合致した逃げに見えてしまってしょうがない。 あえて判りやすくも汚い言葉で私の最近のにじさんじへの感情を吐露するならば、 「頑張ってにじさんじを支えてるライバーのすねを齧って楽してるライバー達が多すぎる」 「自分を慰めるだけの馴れ合いに他を巻き込むな」 「好きなライバーとお友達になって遊びたいだけの出会い厨はいらない」 というような感想を持つ事が増えてしまったのだ。 いろんなライバー同士の化学反応が見られるワクワク感、その多様性や同期のエモ等から成長するコンテンツ性に魅力を感じていたからこそ、 だらだら仲良しグループで馴れ合いがしたいだけの風潮に強く染め上げられてしまっている現状のにじさんじをつまらないと感じてしまう。 彼らのコラボには需要をしっかりと理解した、良い意味での ビジネス的な立ち回りが見て取れる。 4人共に3D化という夢に向かってお互いに協力し合いながら、しっかりと企画をしてファンを楽しませる。 その結果実際に3D化を果たし、現在にじさんじの中でも特に3Dを活かしたコラボ企画を率先して行っている。 その人気は京まふ等グループ自体への大型案件も勝ち取った。 このグループやライバー達への好き嫌いの感情は別にしても、彼らがにじさんじの中でも特に練り込まれたコラボで躍進した、代表的なグループ売りである事には誰も異論を挟めないだろう。 本人達の頑張りや単純に相性が良かったのはもちろんの事だが、このように高め合う関係性になった理由はグループの成り立ちにそのきっかけがあると睨んでいる。 ド葛本社の初コラボの時代には まだにじさんじは統合されていない。 本間ひまわり、葛葉はゲーマーズに、ドーラ、社築はSEEDsという別々の箱に所属していた。 当時のゲーマーズは好きなゲームがバラバラという事もあってか箱としての結び付きは弱く、個人毎でのスタンドプレーな活動スタイルが多かったが、それ故に各々が強い個性とゲーム実況者としての人気を備えていた。 しかし所属ライバーの相次ぐ活動頻度の低下や、笹木咲の引退、それらを邪推して不仲の噂などもあり、幾多のストレス要因を抱えていた事が伺える。 対してSEEDsは本家にじさんじへのチャレンジ枠とされ1期、2期とは切り離されたポジションとなっていた。 SEEDs以外のライバーを自分達からコラボに誘う行為もNGとされ当然数字的には苦しい立場に置かれる事になる。 しかし箱から切り離されたからこそSEEDs内部での結び付きは特に強まりそれを活かした企画力に優れるコラボには定評があった。 どちらの箱も順風満帆の苦労知らずとは言えず、不遇とも言える立ち位置が形成されていたのだ。 この泥を啜った経験こそがド葛本社という高め合う関係性を生み出した。 ひまわりとドーラは既に親交があったものの、初コラボのコンセプトはお互いがあまり絡んだ事がない相手を呼んで来る事だったと後に語られている。 所属もキャラクター性もバラバラで、裏で仲良くなったわけでもなく、それ故に何が起こるか判らなかったコラボは好評を博す。 そこに家族という一つのワードを見出した事で関係性はピタリとハマった。 注視するべきなのはここからだ。 彼らはただ仲良くコラボをするだけの方向には行かない。 明確に自らのグループが受けた理由、家族という需要を見定め、それを活かすべく企画を立てた。 それでいてコラボの安売りはせず一定の間隔を取って行いチャンネルは持ち回り制にしてしっかりと登録を呼びかけた。 この意識の高さ、周到さはにじさんじらしからぬ事だと思う。 にじさんじの箱文化や関係性の強さに憧れを持って入ったひまわり 炎上を経験した為に極端にコラボを遠ざけていた銭ゲバ気質な葛葉 SEEDsの実質的な引率者として数字が伴わないその責任を感じていたドーラ 音ゲーマーとしての牙を隠しながらまだその時ではないと野心高々の社築 利害の一致。 お互いの夢や目標を叶えられるグループ。 彼らには数字を意識して成り上がりたいと思うだけの 目的意識があった。 不遇さを経験したからこそ危機意識を持ち、にじさんじという箱にただ漫然と所属しているだけでは得られない事があるのを知っているライバー達。 舞い降りてきたチャンスを是が非でも掴みたいという確固たる意思があったのだと思う。 加えて個の人気が高いゲーマーズを前面に、企画が得意なSEEDsが脚本を書き諸々の準備を担当して支えたというにじさんじらしい多様性の妙もあった。 即ち私がド葛本社に見た高め合う関係性とは にじさんじの箱の力だけに甘えず、 きちんとした夢や目的意識を持ち、 ライバーの持つキャラクター性や関係性が商品となる事を意識して、 それを互いに協力して高めるよう努力する事だ。 もちろんここまでの意識の高さを全ての関係性に求めるものではないだろうが対極にある低め合う関係性ばかりが増えてしまっては、にじさんじというコンテンツを牽引する力は今後確実に衰えていく。 どの組み合わせのコラボも" 次の「ド葛本社」"になり得たのだから。 実際に統合後のにじさんじの熱量は凄まじかった。 統合後の新人達はデビュー配信の時点でも最大2万人近くが見守る事となり上位ライバーが多数生まれた。 箱内の交流は増し、ライバーの数の利を活かして多様性に富んだコラボが数多く行われた。 しかし、統合化されたにじさんじの 恵まれた箱の恩恵を楽に得られるという安心感はここに来て意識の低さや自己プロデュース力の欠如に繋がる。 1期の頃の箱の力を当てにしてなかったからこその 危機意識や自立心、まだグループとしてお互いに上手く歩み寄れなかったゲーマーズの 孤軍奮闘の自己コンテンツ力、隔離されたSEEDs達が上に食らい付かんとした 反骨心のようなものを今の新人達は失っている。 ファンの数も増えれば甘えられるライバーの数も多くなった。 ライバーと仲良くなってコラボを重ねれば10万人、3D化までの道も遠くない。 結果、上位ライバーが作り上げた数字を程々に掠め取り、ぬくぬくやってスパチャやメンバーも程々に稼ぎ、ライバーと仲良く遊べたらそれで満足。 そんな悠々自適で気楽なライバー生活を是とする空気が蔓延する。 推しが仲良くしている姿が見れるだけで満足、楽しくしている姿を見るのが自分も楽しいというファンが居るのも判る。 ただあまりにもそのタイプのライバー同士での関係性が増えすぎた。 にじさんじの「てぇてぇ」関係性を促進させたライバー個々の自由意志に任せた放任主義という土壌。 自由意思は高い方にも低い方にも転び、 放任だからこそ低め合う方に向かった時に何も鑑みる事がなく馴れ合いを助長する。 そしてこれらの事が余計に 既存の上位ライバーとの格差を生み、コラボでも 上位ライバーが生み出す関係性ばかりに人気を集中させる結果となっているのではないかと私は思う。 馴れ合いに沈み堕落していくライバー。 上を目指す事を諦めたライバーの立ち位置はファンから見ても判りやすい。 ライブにしても大型の案件やイベントにしても今後の発展性に期待出来ない彼らが人気を得るのは難しい。 高みを目指して成長し、今後の活躍にも期待が持てるとファンが思えるようなライバーこそ推すに値すると判断するのは正常な流れだろう。 このようなシビアなコンテンツに対しての見方はある種にじさんじ的に似つかわしくないと思われるかもしれない。 しかし、競争相手となるVtuberはホロライブ筆頭に今も尚増え続けてその度に比較される。 大舞台での活動も増え、ライバーに求められるハードルが上がっている事を肌で感じ取れるだろう。 同じ事をしているだけでは見てもらえなくなるのはどこの世界でも同じだ。 ましてや見せる事を意識していない雑なコラボや馴れ合いに落ちた関係性にいつまでもファンは付き合わない。 こうした意識の低い馴れ合いの増加は コラボに対しての期待値までも奪う。 面白いコラボを見た経験から次も期待して見に行くのであって、リスナーの方を向いていないただの仲良しの垂れ流しを続けてしまえば期待感を損なって次に見に来るファンも減ってしまうだろう。 にじさんじのぬるま湯の如き環境が生み出した馴れ合いコミュニティ。 そこにあるのは優しい先輩後輩に囲まれて、最終的にはコラボして貰えればなんとでもなるという安心感。 優しさを餌にデビューし立ての後輩にもすぐさま絡んで、満たされない功名心をライバーからの好感度で埋めようとする。 需要がないコラボをしても気に留めず、自分たちが楽しければそれで満足という集団の中で、身内で楽しんでいる自分達を肯定してくれるような人しか見なくなる。 そこに"リスナーと距離感の近い配信"という武器はなく、檻の外から楽しんでい乳繰り合ってるライバーを見ているだけだ。 動物園の動物だって餌を得るために人間を喜ばせる芸を学んで披露する。 そこには生きるための必死さがある。 芸にすらならない仲の良さは見世物にもならない。 箱の強さや仲間が居る安心感は自己プロデュースを考えるきっかけを奪う これでは危機感も何もあったものではなく、自己プロデュース力が成長していかない。 逆に言えばこの馴れ合いによる 「低め合う関係性」に溺れない者達が自己のプロデュース力を成長させ、結果として上位ライバーとなるのが今という時期なのだ。 傷の慰め合いに等しい低め合うコンテンツと、上を目指す上位ライバー達のコンテンツ的な魅力は遠く離れていく。 埋まらない格差は可視化される。 お互いにライバーの方ばかりを見ている自分たちだけが楽しい馴れ合いよりは、ソロでも面白く出来るライバー、箱の集団から遠くてもリスナーの事を見ているライバーの配信を見る方向に人が流れるのは当然だろう。 そしてあまりにも馴れ合いという逃げ道を肯定する優しい世界の空気が濃すぎて容易に絡め取られてしまうのが現状。 最近の新人がバズらず新しい花形の上位ライバーが生まれない理由。 はにじさんじで上位ライバーになるコースからドロップアウトした集団。 リスナーよりもライバーの方を見るようになった、 「ライバーのファンと化したライバー」について考察したい。 まず今回の記事の意図は馴れ合いが増加していく過程であって、統合はそのきっかけの一つとして見ています。 どうにも統合後ライバーが嫌いと受け取られてしまったようですが 統合前ライバー(馴れ合いをしていない)と統合後ライバー(馴れ合いをしている)という意味での対立軸はありません。 この項で最初に触れたように、統合自体はにじさんじの熱量を加速させた成功要因でもあると認識していますし、夢月ロア、郡道美礼、御伽原江良、鈴原るる、など登録者や同接数的にも強いライバーを沢山生み出したのは把握しています。 特に御伽原江良、鈴原るるに関しては高い向上心を持ってリスナーの事を見ている事が伺える。 それこそ今上位ライバーとなる者の条件である「低め合う関係性に溺れなかった」を体現している二人。 関係性にしても「さんばか」「SMC」などはある程度の計画性が見られるグループ売りでその強みを踏襲していました。 それが統合後でもここ半年くらい、それに準ずるだけの人気を取るようなライバーが生まれない事の理由として統合後のぬるい環境が弊害として現れてきたという話です。 私個人は数字的に劣るライバーも人気が低いライバーも新人ライバーも好きな人は居るし見ています。 数字や需要にがっつかずにまったりコラボする需要も知っています。 Vtuberのにじさんじの成り立ちを見てきたからこそ、にじさんじをコンテンツとして捉え場合に今後どうなるかという不安が半分、考察ごっこがしたいのが半分です。 何故ならにじさんじが衰退した未来に、私のその推しがどうなるか判らないという心配があるからです。 それも踏まえて私の多くの記事はにじさんじの文化性、コンテンツ視点だと思っているので、ライバー個々に対しての好き嫌いの信者アンチ論争は本位ではありません。 他にも多かったご指摘としては「お前がファンの代弁をするな」は正論だと思います。 今も不満や愚痴も抱かず、にじさんじを楽しく見ているファンは大勢いるでしょう。 私は違うというだけです。 何も感じ入るものはない、ただの主観的な暴論だと断ずるならそれが一番良いのです。 今後、私の言う通りになってもならなくても、そこに明確な統計が存在するわけではありません。 仮に今後にじさんじが衰退しようが何を理由に衰退したのかなんて正確に割り出せはしないはずです。 つまり私の考えは今も未来もただの杞憂でしかありません。 多くのにじさんじコミュニティにおいては批判されるべき対象、声を上げるべきではない類の話でしょう。 それがこういった場でファンを代弁するかの如く吹聴するのは、私の考察に対して何かしら刺さるファンの方も居ると思っているからです。 Vtuber界隈では身バレや前世ネタだけがタブー化しているわけではありません。 むしろそれらよりもタブー化している類の話題があり、それをしたくても出来ない人達が居ると感じていたからです。 安心してください。 私はにじさんじやあなた達の推しに危害を加える敵ではありません。 何一つとして知名度がない私のこの記事で何かしらの波紋が広がると警戒されるなら、そこには何かしらの響くものがあったという証左になってしまうでしょう。 私の考えは全てのファンの考えではないが、さりとて全てのファンから遠いものでもなく、物申す系すらネタにしない程度の小さな不穏の種。 そこに私なりの書く価値を見出したというだけの話なのです。 まとめ ・にじさんじの関係性文化は、運営主導ではなくライバー個人の意思が反映される放任主義による助け合い精神から始まった。 ・ライバー側のただ仲良くしたいという気持ちと、ファン側のコンテンツとして関係性を見たいという思いにはズレが生まれ易い。 ・ライバーが増えるほど甘える対象が増え、同じライバー同士での腐ったみかんの如き「低め合う関係性」が広がる。 ・「ド葛本社」は統合前からの不遇さから来る危機感や向上心の芽生えによって高め合う関係性のグループになっていた。 ・統合は箱を大きくしたが同時に安心感から自己プロデュース力を奪い、自分が頑張らなくても良いぬるま湯の環境を生み出した事で、新しい上位ライバーやバズる新人が生まれない土壌となってしまった。 いいたいことは分かるところもあるけど、やはり他の方も言っているように主語が大きい気がします。 僕も最近の新人さんはバズっていないなと感じますし、特に最近は人気ライバーがイベントや仕事で体調を崩したり配信が減ってる事が多い分その受け皿となるライバーがいない現状は問題だと思ってます。 ただ、それと投稿者さんの個人的な副業ライバー嫌い ? や馴れ合い嫌いを一緒にして語るのはどうかと。 例えばさんばかとかは、3人とも配信は少なめですがそれこそ本人達の馴れ合いが人気となってにじさんじを代表する人気トリオになってますし。 結局、バズるか否かは本人の実力が全てだと思います。 にじさんじもそりゃあ必死になって優秀な人材を取ろうとはしてると思いますが、そんな簡単に月ノ美兎や御伽原江良、他箱で言えば桐生ココみたいな子は出てこないんですよ。 それで安易に元ニコ生主を採用しているのはどうかと思いますけど、それ言ったらゲマズの頃からそうですし。 ただ、ファン全体が肯定bot化するのもどうかと思うので、こういった意見があるのはいいと思います。 クソアフィにまとめられないよう転載禁止はつけた方がいいと思いますがね。
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