松田聖子とは 私は小学生のころから松田聖子さんの大ファンでした。 レコードもすべてもっており1980~1988年に発表されたシングル、アルバムの曲、発売日、売り上げ枚数なども今でも言うことが出来ます。 そんな私たちの世代に対し、今の中高生は「名前は知ってるけど、どんな人か知らない」と、つい先日言ったのには驚きました。 今の子供たちはテレビを見ない時代ですからね。 仕方ありません。 そんな松田聖子さんですが私たち40代の人間にとっては、彼女の存在は大きいと思います。 松田聖子派と中森明菜派 「当時は松田聖子さん派と中森明菜さん派で分かれていた」と言われます。 しかし、私は両方とも好きです。 中森明菜さんはデビュー当時からベストテンなどの歌番組で「松田聖子さんのファンだった。 彼女のレコードは全て持っている」等、よく発言されてました。 松田聖子さんの話に戻しますが、デビュー当時は「ぶりっ子」と呼ばれ本人も相当悩んでいました。 1982年のベストアルバム「Seiko・Index(レコードの歌詞カード)」では「ぶりっ子と呼ばれること」に関して、松田聖子さんをフォローする執筆がされています。 当時は「女性から嫌われている。 」などとも言われていました。 しかし、「赤いスイートピー」から女性ファンが増えたと一般では言われていますし、彼女もそう言っています。 しかし、一概にそうでもありませんでした。 実際、私の当時の女友達は「赤いスイートピー」以前から聖子さんのレコードを持っていましたから。 田原俊彦事件 そして彼女を悩ませたもう一つの要因に田原俊彦さんファンから、剃刀のついた手紙を受け取ったりと、現在では犯罪に値するような過激な攻撃も受けていました。 有名な話ですが、歌番組等で彼女と田原俊彦さんの名前が隣同士だという理由でテレビ局には、田原俊彦さんファンからクレームがつき始めたのも事実です 「ザ・ベストテン」司会者の黒柳哲子さんや久米さんも非常に神経をとがらせていました。 しかし、1983年春の松田聖子さんの「秘密の花園」が発表されベストテンで大人宣言をし、田原さんとは良いライバルであり友達という宣言をされました。 当時のアイドルは3か月に1枚シングルレコードを発売し、アルバムも年2枚発売されるのが定例でした。 入れ代わり立ち代わり新人さんがデビューしていましたし、いわゆる「一発屋」で終わる歌手も少なくありませんでした。 そんな中、シングルレコード1位を24枚連続取得というのは、当時では非常にレアだったんです。 今では、この記録は破られましたが入れ代わりの激しい中、今の時代とは比にならないほど、物凄い実績だったのです。 なんせ、あの有名なピンクレディーでさえ、9作連続オリコン1位が「凄いこと」と言われていた時代です。 中森明菜さんでさえ、この記録は達成出来ませんでした。 現在の松田聖子 そして現在も活躍し続ける松田聖子さん。 「レコードの売り上げ成績は悪く、今ではディナーショーで活躍している」と言われていますが、調べてみると最近のオリジナルアルバムも、そこそこの枚数は売れています。 今では自分で作品作りに取り組んでおられますが、コンスタントにアルバムを発売し続けられるということは、今でも買う人がいるからです。 また、アイドル当時のサイプレス盤やベスト盤等も積極的に発売し、それなりの売り上げを出しています。 そう、彼女の強みは「アイドル当時の楽曲の記録」があるので、ベスト盤もオリジナルアルバムもそれなりに売り上げがあるのでしょう。 特に注目したいのが、彼女のアイドル当時のアルバムの中の一曲やシングルのB面(今でいうカップリング)も私たち世代には親しまれています。 シングルでない楽曲も知る人が多いというのは、アイドル当時の彼女のアルバムのクオリティの良さ、そして彼女にそれを歌い上げる力があったからでしょう。 こういう歌手って他にはいないんじゃないでしょうか。 せいぜい、シングルヒット曲は有名だけど、アルバム収録曲等で有名なアイドルは皆無に等しいと思われます。 そしてアイドル時代の彼女の特徴と言えば、長期にわたりアルバムの売り上げ枚数がシンガーソングライター並に高かったことも特徴の一つです。 特に1982年5月に発売されたアルバム「Pinnneapple」からは女性も購入するようになり、前作の1981年10月発売のオリジナル4thアルバム「風立ちぬ」より飛びぬけて売り上げが上がりました。 理由としては、「赤いスイートピー」で女性の支持を得た。 もしくは「ボーカル法を変え、楽曲に合った歌い方をされており、そのボーカルが楽曲のクオリティーを上げた」のも理由と一つでしょう。 スポンサーリンク 1980年4月発売の「裸足の季節」~1981年発売の「風立ちぬ」、アルバム1980年発売の1stアルバム「SQUALL」から1981年10月発売の4thアルバム「風立ちぬ」までは非常に声の太い、やや低めのボーカルをしていました。 そのボーカルをやめ、かわいい系の声で歌う彼女の声はアルバムのクオリティを上昇させた要因の一つではないかと思います。 現在では全く違う歌い方をされていますが、当時のキュートなボーカルは多くの世代に認められたのではないでしょうか。 あと、アイドル当時の彼女のレコード楽曲には一つの特徴があります。 大ヒット中のシングル曲を最新のアルバムに堂々収録していたのです。 当時の多くのアイドルは、ヒット中のシングルをアルバムには収録せず、ヒット後のシングルをアルバムに収録するという方法を取っていました。 これは「アルバムを買ったから、シングル盤は買わなくてもいいや。 」という理由を避けるため、あえてヒット中のシングル曲の前のシングルをアルバムに収録し、シングル売り上げを上げるというスタイルが目立っていました。 松田聖子の戦略 しかし、松田聖子さんは全く別。 例えば、シングル「風立ちぬ」は1981年の10月頭に発売され、アルバム「風立ちぬ」は同年10月末にシングル「風立ちぬ」を収録しています。 こんな大胆な仕組みでも彼女のシングル、アルバムは常にチャート上位を占め年間売上舛数も非常に多かったのです。 これは、彼女の実力と言えるでしょう。 難しいアーチストの楽曲を歌いこなす、それは当時のシンガーソングライターにも衝撃を与えたのです。 事実、シングル「風立ちぬ」とアルバム「風立ちぬ」のA面5曲を手掛けた大瀧詠一氏は、この楽曲(風立ちぬ)は彼女には歌えないだろうと思っていた。 しかし、ある歌番組で彼女がその曲を見事に簡単に歌いこなしているのを見て「やられたっ!と思った」と語っています。 まとめに入りますが、彼女が今でも活躍する理由は、昔の彼女の実力と実績、そしてファンの要望に応えるかのようにアイドル時代の楽曲をコンサートなどでも歌ってくれることで、当時を懐かしむ私たち中年層を喜ばせてくれるのです。 身体の不調等、ファンとしては心配ですが、今後も彼女を応援して行きたいと思っています。 【当サイト一番人気広告】 テレビや雑誌などでも紹介されている楽天モバイルです。 au回線またはドコモ回線を使うので安心して利用できます。 月々の支払いでスーパーポイントが貯まったり、楽天市場でのポイントも2倍になります。 これからは楽天モバイルの時代が来そうですね。
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閉じる 歌手の松田聖子が4月1日にデビュー40周年を迎えた。 6月から節目のコンサートツアーをスタートする予定だが、新型コロナウイルス感染による自粛で開催が危ぶまれている。 「6月6日の『さいたまスーパーアリーナ』から始まる40周年記念ツアーは延期せざるを得ない状況です。 「デビュー前からのファンだった郷ひろみ、映画で共演した羽賀研二など、色恋のウワサは絶えませんでしたね」 女性誌記者 85年、神田正輝と結婚。 翌年、長女の神田沙也加を出産したが、男性との浮名は相変わらず。 97年1月に神田と離婚、翌年5月には早くも6歳年下の歯科医と電撃再婚した。 「それでも、聖子の男癖は収まらなかった。 シンガーソングライターの原田真二との不倫疑惑が報じられました」 夕刊紙記者 歯科医とは2000年12月に離婚。 わずか2年半の結婚生活だった。 再々婚は12年6月、相手は慶応大学准教授 当時 だった。 「聖子は東京・世田谷区成城の豪邸に住んでいるのですが、現在、神奈川歯科大学の教授を務めている夫の姿は目撃されていません。 三度目の離婚がマークされています」 前出の女性誌記者 芸能ライターの本多圭氏が語る。 「聖子の芸能界の育ての親で、7年前に他界した『サンミュージック』の相澤秀禎会長は生前、こう話していました。 『上京して僕の自宅に下宿させましたが、聖子は生理用パンツまでお手伝いさんに洗わせていた』と。 デビュー前からすでに問題児だったんです。 聖子の芸能生活40年はヒット曲を出した反面、男性スキャンダルを肥しに生きてきた40年でもあります」 男でバチが当たった?.
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モスクワオリンピックを日本がボイコットした年。 ポール・マッカートニーは成田空港でマリファナ所持で逮捕。 ジョンレノンはファンに射殺されて死去した。 山口百恵は三浦友和との結婚で10月15日のコンサートでマイクを置いて引退、ピンクレディは翌年3月を持って解散することを発表、そしてついにあの巨星がデビューする。 アイドル界にとって激動の年だった。 岩崎良美 赤と黒 1980年2月21日 デビュー 誕生日: 1961年6月15日 デビュー時の年齢: 18才8ヶ月 作詞: なかにし礼 作曲: 芳野藤丸 歌いだし:あー 赤と黒みたいな あー恋をしています 1975年にデビューの姉岩崎宏美の後を追うようにデビュー。 女優としての活動も盛んで、「スクールウォーズ」などに出演した。 1985年20枚目のシングル「タッチ」(同タイトルアニメ主題歌)が大ヒット、選抜高等学校野球大会の入場行進曲にも採用された。 姉妹別々でソロ歌手として同時に紅白歌合戦、それぞれの曲が選抜高等学校野球大会の入場行進曲になるなど、姉妹ソロ歌手としての記録がある。 松田聖子 裸足の季節 1980年4月1日 デビュー 誕生日: 1962年3月10日 デビュー時の年齢: 18才0ヶ月 作詞: 三浦徳子 作曲: 小田裕一郎 歌いだし:白いヨットの影 渚を滑り 入江に近づくの 言わずもがなの1980年代を代表するアイドル。 徹底した可愛らしい仕草は「ぶりっ子」とも言われた。 歌唱力がずば抜けている上、声質がよいとされ、透明感、強さ、娯楽性、知性が含まれているとされた。 過剰な「ぶりっ子」ぶりが漫才などのネタになることもあったが、その場の空気を読んで、求められているものを提供した結果であり、素晴らしいプロ意識という意見もある。 髪型は聖子ちゃんカットと言われ、当時の若い女性が真似をした。 その後、神田正輝との結婚や娘SAYAKAとのデュエットなど話題に事欠かないアイドル界のスーパースターである。 スポンサーリンク 柏原よしえ(柏原芳恵) No. 1 1980年6月1日 デビュー 誕生日: 1965年10月1日 デビュー時の年齢: 14才8ヶ月 作詞: 阿久悠 作曲: 都倉俊一 歌いだし:男の瞳は指先のように 日本テレビのオーディション番組「スター誕生!」決勝戦でグラウンドチャンピオンになりデビュー。 7枚目のシングル「ハロー・グッバイ」、14枚目のシングル「春なのに」がヒット、紅白歌合戦にも2回出場している。 グラマラスなボディでグラビアとしても人気で活躍した。 1980年代後半になると2時間ドラマの女優として数多く出演した。 河合奈保子 大きな森の小さなお家 1980年6月1日 デビュー 誕生日: 1963年7月24日 デビュー時の年齢: 16才10ヶ月 作詞: 三浦徳子 作曲: 馬飼野康二 歌いだし:誰も見たこと ナーイナイナーイナイ 誰もさわって ナーイナイナーイナイ 1979年に開催された「HIDEKI(西城秀樹)の弟・妹オーディション」に応募、出場したことがきっかけとなりデビュー。 キャッチフレーズは「ほほえみさわやかカナリーガール」。 グラマラスなボディの水着姿が大人気で、昭和アイドルのグラビアクィーンである。 「ヤングボーイ」「スマイル・フォー・ミー」「けんかをやめて」など今でも歌いつがれるヒット曲を生み出し、紅白歌合戦にも6回出場、1980年代後半になると河合奈保子自身で作曲もするようになった。 甲斐智枝美 スタア 1980年6月21日 デビュー 誕生日: 1963年6月16日 デビュー時の年齢: 17才0ヶ月 作詞: 伊藤薫 作曲: 安部恭弘 歌いだし:あなたはスタア あざやかにそして大空を 1979年、「スター誕生!」でグラウンドチャンピオンとなり、デビュー。 同じホリプロの山口百恵の後釜として期待されたが、歌手としては人気が出ず、女優としてドラマに多数出演、脇役が多かった。 1982年にはヌード写真集も発売している。 2006年死去、自殺だった。 スポンサーリンク 浜田朱里 さよなら好き 1980年6月21日 デビュー 誕生日: 1962年11月1日 デビュー時の年齢: 17才7ヶ月 作詞: 浅野裕子 作曲: 平尾昌晃 歌いだし:恋はドンファン 昨日は青い 明日は赤い ポスト山口百恵候補として期待されたが、同年にデビューした強豪アイドルの陰に隠れてしまい、歌手として結果を出すことはできなかった。 しかし、どこか色気を含んだビジュアルは人気で、女優としてグラビアアイドルとして活躍した。 たのきんトリオの中では一番最初のデビューとなり、手足を大きく動かすダンスで当時の女性を魅了、男性トップアイドルとなった。 デビュー曲以降、ヒット曲を連発。 1980年代後半になると「教師びんびん物語」などの主役など、ドラマでも活躍した。 1994年にジャニーズ事務所から独立。 カッコいいとしちゃんから、なんだかおかしなとしちゃんになってしまった。 スポンサーリンク 近藤真彦 スニーカーぶる〜す 1980年12月12日 デビュー 誕生日: 1964年7月19日 デビュー時の年齢: 16才4ヶ月 作詞: 松本隆 作曲: 筒美京平 歌いだし:ペアでそろえたスニーカー 春夏秋と駆け抜け 田原俊彦と同じく「3年B組金八先生」の生徒役で人気となり、たのきんトリオを結成した。 ヒット曲を連発し、日本レコード大賞も受賞している。 田原俊彦とは違い、今でもジャニーズ事務所の大看板として在籍。 レーサーとしても記録を沢山残している。 三原順子(三原じゅん子) セクシー・ナイト 1980年12月21日 デビュー 誕生日: 1964年9月13日 デビュー時の年齢: 16才3ヶ月 作詞: 亜蘭知子 作曲: 長戸大幸 歌いだし:ガラスのフロアに響く しゃれたROCKのリズムも 田原俊彦、近藤真彦と同じく「3年B組金八先生」の不良役で人気となり、デビュー。 それ以前にも学園ドラマの出演もしていた。 紅白歌合戦にも出場している。 カーレーサーとして活動。 今は参議院議員であるが、かつてはヌード写真集を発売したこともある。
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