から、ひたすら待つこと1年2か月 ついに、俺ガイルの最新刊の発売日が決定しましたっ!! いやあ、嬉しいですねえ!! やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。 【俺ガイル】やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。 13巻 あらすじ紹介&購入前雑談 エンドロールが流れる前に 暦は雪解けの季節を迎えるが、新しい希望の芽吹きはまだ遠く感じられる3月。 それぞれの想いを言葉にし、行動しようとする雪乃、結衣、八幡。 雪ノ下雪乃は、最後まで見届けて欲しいと願った。 由比ヶ浜結衣は、このままずっと一緒にいられたらと祈った。 美しい夕日に時が止まればと願っても、落日を迎えなければ新しい日はやってこない。 前に進むために諦めること、終止符を打つこと。 悩むまもなく、巻き戻すことも出来ず、エンドロールは流れ始める……。 由比ヶ浜結衣は、このままずっと一緒にいられたらと祈った。 願い方にも、祈り方にも、それぞれの個性がある そのキャラたちの在り方が、願いが、そんなわずかな違いを生むのでしょうね いやあ、三人がメインになるのは当然の流れだと思いますが、サブキャラたちも魅力的ですからね 誰がどこまで登場してくれるのか、そんなところも楽しみに待ちたいと思います それにしても… 進級や卒業というのは、考えてみれば不思議なものですよね 今までずっと行っていた場所が、今度は二度と入れない場所に変わるのですから どんなに慣れ親しんだ場所であっても、どんなに嫌いな場所であっても… 本人の感情なんてまったくの無視で、どちらにせよ一つの通過点にすぎない 誰であろうと、留まることはできず、通り過ぎる以外の選択肢はない どんなに戻ろうと思っても、あの日のあの場所には、戻れない たとえ、一つ前の学年の教室に入ったとしても、その世界に戻ることはできない 二度といけない世界が産まれるという意味では、過去も一つの異世界のようなものなのかもしれません そんな不思議な感覚を味わいながら、次の一歩を踏み出すキャラクターたち なんだか親目線になってしまいそうですが、彼らの選択をのんびり見届けさせてもらおうと思います 願わくば、幸せな結末を 【俺ガイル】やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。 13巻 感想・ネタバレあり 平塚先生との別離は見ているだけでも色々と思うところがありました 冒頭から描かれていたのは、平塚先生とのやりとり なんだかんだ言って、八幡の中で平塚先生がどれだけ大切なのかを描かれてるのが個人的にすごい嬉しかったです 学校に通っている以上、先生が苦手っていうのはよくある話です でもね、 学校の先生だから苦手なんていうまとめ方をしなかった あくまでも、自分の心に問いかけて、 恩師という言葉を導き出した それは、本当に比企谷八幡という人間にとっては、異例なことだと思います そして、そうなるほどに信頼を寄せられたというのは、今までに積み重ねていた時間が正しかったのだな…と本当に思います 関わり合いにならなかった人間を、恩師だと思うことはありません 「放っておいてくれてありがとう、無難に相手をしてくれてありがとう」 なんて言葉をどんなにうそぶいたとしても、その感謝では恩師には届きません 今までに描かれてきた物語の中で描かれていた平塚先生が、どれほど八幡にとって大きな存在だったのか タバコを見て感傷にひたり、思い出すところを予期しているあたりが本当にしみじみとしますね 最初で最後の恩師になる可能性が高いですが… 今後の将来的な絡み方も気になるところですね 卒業後、クラス全体の同窓会でも、平塚先生に会うなら行くか…と判断する八幡とか そのあとの奉仕部だけ集まる二次会で、全体のときよりも笑顔になる平塚先生とか そんな、いろいろな想像ができてしまいますねえ… うん、どんな世界が描かれるのか、楽しみです え? 貰ってくれる? はい、一番響いたのは、この一言です この言葉の脳内再生がすごい破壊力で本当に困る そして、脳内再生よりも実際に聞いた方が間違いなく破壊力が出るのが本当に困る うん、アニメ化を心よりお待ちしてますよ、本当に なんていうかね 結婚できない不遇キャラは不遇だからこそ輝くんだけど、幸せになってほしいと思いながらも、その輝きを失わないでと思ってしまうからね はい、つまりはどういう応援をしていいか分からなくなってしまうんですよね とりあえず、幸せになってほしいです、本当に いろはすのお断り芸からネクタイ直しが個人的にツボでした 長文お断り芸といえば、一色いろはのスキルですが… あれ、好感度によってだんだんとお断り度合が減っていくのがいいですよね そして、今回はもうお断り度合がほぼゼロでした うん、お見せしたいけど、それはぜひ手に取って読んでみてくださいということで しかし、今回の巻で実感しましたが、本当に相手との距離の近さが気になりますね 基本的に、会話時の距離が普通より近いとなると、ガハマさんといろはすが二強だと思いますが… 何気ないスキンシップはガハマさん あざといスキンシップはいろはす そんな風に軍配があがるんじゃないかなと思います うん、みんな違ってみんないい…なんにせよ、得意分野で戦うことは大事ですよね ネクタイは首輪や手綱と類似のもの…という話を聞いたことがありますが… あえて俺は、今回は違う解釈なんじゃないかな…説を押そうと思います うん、あれは、旦那が仕事に行く前にネクタイをつけてあげる新婚さんの類だ だけど、ネクタイ付けてる人にネクタイ付けることはできないからね だから、自分で乱して自分で整えてわたし好みの色に早変わり うん、あざとい 実際、interludeで描かれている内容を見ると、そうとうに意識してますよね 個人的には、カラー挿絵のときに向いてる方向と視線と表情にやられました うん、女子のファイティングポーズとしては100点満点ですよね、あのカラー絵 本当に素敵でした プロムがどうなろうと、ラストに向けての出番は確定だと思います 葉山に告白したときのようにまた驚くほどの行動力を見せつけてくれるのか それとも、見守る側にいくのか… その胸中の動きも含めて、楽しみに見守らせてもらおうと思います 今回は由比ヶ浜さんのターン、笑顔と葛藤がたくさんでした 表紙を飾ったとおり、今回は由比ヶ浜さんのターンでした ゆきのんの対案として対峙することを決めた八幡 そして、そちらにつくことを決めたガハマさんの共同作業 今回の巻で、一番青春と葛藤をしていたのは、この子なのかなと思います 八幡と一緒に何かをやる時間は楽しくて、嬉しくて、それだけで胸がいっぱいになって でも、本当にそれでいいのか分からなくて、自分だけ楽しむことに罪悪感を持って そういう、周りのことを見えるから、そして、そこに気がつくからこそ味わう苦しみがたくさんあったと思います きっと、自分の事しか考えず、周囲を見ることをしなければ、驚くほどに楽しい毎日だったんじゃないかな…と思います でもね、それを心から味わえないからこそ、ガハマさんなのかな…とも思います 本当に、いろいろなものに気づいて、分かってしまうからこそ、迷ってしまうんでしょうね 言葉というコミュニケーションの手段はある 相手と会話をすることはできる それでも、どんなに言葉を重ねても、本当には伝わらない 真意というものを間違いなく相手に伝えることほど難しいものはないんです それが、この子の迷いにそのまま表れていたのかな…と思います 八幡とガハマさんとゆきのん その絶妙なバランスで描かれた人間関係の中でも、自分からコミュニケーションを取って不器用な二人に気を回せるという意味で、ガハマさんは今まで苦労してきたと思います そして、わたしが何とかしなきゃ…と思っているからこそ、今も苦しんでいるんじゃないかな…と思います そして、より関係の深みにはまっていく どうしていいかわからないという意味では、ガハマさんもかなり迷う立場ですよね みんなの前では笑顔で、裏で泣くことができる人 だからこそ、最後には心からの笑顔が浮かぶようになってほしいですね 間違いと分かっていても、正解じゃないと分かっていても、止まれないのが青春 久しぶりに、どっぷりと青春の世界を味わってきました どうしていいかわからない、正解なんてない、どうしようもない 全てが複雑に絡み合った世界には、正解も最適解もない だって、何かを選べば、もう一方が間違ってしまうから でも、それでも… そう思いながら、日々悩みながら、迷いなら、流れていく時間を惜しみながら生きる そんな姿に、いろいろと考えさせられました 時間が経って大人になると、いろんなものが鈍化します いつか、どこかで、以前には感じていたものが感じられなくなるときが出てきます それは、もっと強い刺激や困難があるせいでまぎれてしまったのかもしれない もしくは、一度体験して新鮮味がなくなったからかもしれない 感じることで苦しくならないように本能が防衛するのかもしれない でもね、本当に鈍くなるのを知っているからこそ… それを自分の身を持って知っているからこそ… そんな風に鈍化する前の、言ってしまえば、 無防備な姿が事細かに描かれているのは、本当に見事だなと思いました 誰もが笑っている世界 でも、笑顔を浮かべているみんなの胸中は、いったいどうだろうか? どれほどに楽しそうに見えても、どれだけ強そうに見えても… その内面までは、外から見ているだけじゃ、推し量れない そんな、本当なら絶対に見られない世界をinterludeという描き方で見るたびに、ドキドキしました 本当にね、キャラの内面を覗き見してしまっているような、悪いことをしている気分になるんですよ きっと、誰にも言えない心の内側 そこで、きっと毎日、毎晩、答えがでないとわかっているのに繰り返される葛藤 誰にも相談できるわけがなく、むしろ誰にも知られたくない そんな、本人だけが抱えることができる、その人間の本質 interlude(幕間)で語られる言葉こそが、本当に大切なものなのかもしれないと思いました 大変満足な一冊、次巻も楽しみに待ちたいと思います.
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原作と同じ時間軸ながらも、節々の展開が違うという訳です。 原作者が描くパラレルとか幸せすぎんだろ。 「あ!ここの展開ちょっと違う!」なんて発見も、楽しみのひとつかと。 anotherを読んだあとには、本編を読み返したくなる。 一度で二度おいしい物語となっております。 a 、 n 、 o 、 t 、 h 、 e 、 r の全7巻。 それぞれ100ページもいかないくらいのボリュームですが、最終巻はなんと240ページ! 原作1冊分とほぼ変わらないとは。 わたりん本気出しすぎ。 12巻が1年近く出ないのも頷ける。 anotherで描かれるのは本編の冬休み以降だから10巻〜かな。 ちょっと原作出てなさすぎて記憶がおぼろげ… 本編と何が違うのん? anotherでもは相変わらずクーデレだし、はアホ可愛いし、やっぱりあざとい。 はイケメンだし、戸部翔はうざいけど憎めないいいやつだし、三浦優美子はあーし感たっぷりだし、海老名姫菜は全開。 川なんとかさんは相変わらず名前を覚えてもらえない。 個性あふれるキャラたちに違いはない。 時折突っ込まれるパロディや、原作者の叫びがチラリと見えるのも変わらない。 本編との大きな違いは、が目を背け続けてきた問題に「答え」を出すこと。 が、ふたりからひとりを選ぶこと。 本編よりもにやにや成分多めのanotherの感想は、以下! の青春ラはまちがってない! さて、やっと感想へ。 最終巻 r メインとなります。 ちょいとネタバレも含むので、読んでない人はご注意を。 前巻 e では、マ大会で怪我をした八幡を彼女が手当してくれたんですよね。 不器用ながらも健気な彼女に、胸がぐっときた。 「痛くない」とやせ我慢する八幡に肩を貸して、密着状態で歩き出したところまでが描かれる。 爆発しろ!と思わず叫びたくなることうけあい。 最終巻 r では周囲の目を気にしつつ歩くふたり、愛しきバレンタイデーイベント、そしてディスティニーシーでの八幡と彼女のデートへ。 冒頭、写真撮影で距離感にとまどう二人とかね、もうニヤニヤしっぱなしなわけです。 はー、こんな青春過ごしてみたかった。 途中、八幡のコートの右ポケットに手を突っ込む彼女。 ボーカルの藤原さんが千葉出身なのは初めて知った。 どこまでいっても、千葉ネタは健在のようで。 そのあと 「寒いからな」と言い訳しながら手をつなぐ八幡がほほえましい。 あれれ、なんだかベタ甘な恋愛小説を読んでいるような気分になってきたぞ。 いいぞ!もっといちゃいちゃしろ!! 八幡が出した「答え」 そのあともぐるぐるとアトションを回り、あっという間に夜を迎える。 夜空を彩る花火。 美しい彼女の横顔。 ロマンティック! 「……今度は、お礼じゃないよ」と彼女はクッキーを八幡に渡す。 彼女なりにあがいて、迷って、悩んで出した答え。 彼女の気持ち。 俺ガイルの物語が始まった、最初の依頼を思い出すなあ。 「そういう関係とか、そういうのの正しい呼び方が見つかんなくてさ、それに名前をつけたらたぶん何か違うものになるような気がしてるんだ」 「……だから、どんな言い方しても、たぶん、まちがってるんだと思う」 八幡らしいっちゃ八幡らしい答えを返す。 はっきりしろよ、バカヤロー! あいまいな態度を見せる彼に、彼女は「待たないよ」と。 「待たないで、……こっちから行くの」 この台詞をここぞというシーンで使うところはさすが。 シビれるよ、渡先生! 不器用ながらも、想いを確かめ合ったふたりが、とある「約束」をしたところで、物語は了。 枕バンバンしながらニヤニヤして読めるまである。 どストレートなラを見せつけられた気分だよ! ありがとう俺ガイル!ありがとう渡先生!anotherのアニメ化も待ってます! 原作の展開はどうなる? ひとつルートを回収したということは、原作は……。 もうひとりの彼女は、anotherでは自分の気持ちを押し殺して、親友を送り出した。 彼女らしいといえば、らしいのだけれど、胸が苦しくなる。 こんがらがった三人の関係がどうなるのか。 八幡の求めた「本物」は手に入るのか。 原作も鋭意制作中とのことなので、12巻の情報を待ちましょうか。 物語が続いてほしいとは思いつつ、12巻で完結する予感がしています。 この予感が外れることを祈って。
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言葉への批判意識 言葉一つじゃ足りねぇよ。 本音も建前も冗談も常套句も全部費やしたって、伝えきれる気がしない。 そんな単純な感情じゃない。 たった一言で伝えられる感情が含まれているのはまちがいない。 けれど、それを一つの枠に押し込めれば嘘になる。 (中略) こんな言葉でわかるわけない。 わからなくていい。 伝わらなくても構わない。 (渡航『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。 398より) この 言語への批判意識が、『俺ガイル』の 核心部分だと思います。 疑り深い人は 「言葉」の裏を読みたくなる。 すると人の心理が見えた気がして、その人を「知った」気になる。 そうして人を「知る」と今度は心理だけではなく感情が伝わってくる。 そうするともう「うわべ」だけでは我慢できない。 だからこの終わり方は、結果だけ見れば当然の帰結だとは思います。 しかしここまでの筆致で、リアルな等身大で、絶妙な「青春ラブコメ」を書いた作品が他にあったでしょうか? 私はないと思います。 だから私は『俺ガイル』が本当に素晴らしい作品だと思っています。 今読み終わったところなので、考えもまとまっておらず、一発書きなのですが、いまここで感じていることをメモさせてください。 「言葉」という殺害行為 言語化というのは、基本的に 殺害行為です。 ある感覚、ある感情を言葉にすると、 その感覚や感情はある意味死にます。 例えば、「犬のふわふわした温かみのある触感」と書いたとき、読み手はリアルな毛並みや体温を想像するでしょうが、そこにあった本当の犬の感触を言葉だけで完全に再現することはできません。 そのように、 本当にそこにあったはずのリアルな「感覚」というのは、言葉で完全に再現することは不可能です。 だから言葉はその意味で 「殺害行為」だと言えます。 他にも例えば、「彼と彼女は恋人だ」と言えば、聞き手は各々の想像する 「恋人」という概念にその二人をおしこめるでしょう。 「恋人」は「普通」デートをするとか、キスをするとか、そういう 「恋人」という言葉の枠に二人を当てはめようとするでしょう。 でも、実際には二人はもっと特殊な関係かもしれません。 「普通の恋人たち」のようにデートはしないかもしれない、キスもしないかもしれない、傍から見れば仲が悪く見えるかもしれない…… そういう独自の関係性は、「恋人」という言葉に押し込めた途端に捨象されてしまいます。 関係を名付けてほしくなかった だから、『俺ガイル』では「普通に」告白してほしくなかった。 「普通の恋人」になってほしくなかった。 なぜなら、 『俺ガイル』で求められている「本物」というものは、言葉にできない関係性、言葉にしがたい関係性だと思っていたからです。 端的に言えば、いわゆる「誰々エンド」というのは 全くナンセンスだということです。 なぜなら「誰々エンド」という言葉で語れるくらいの関係が 「本物」のはずないからです。 八幡は絶対にそんな関係を選び取らないからです。 実際、彼らが得た関係はそんな 既存の言葉に簡単に当てはめることのできないものでした。 その証拠として、例えば一色に「お二人はどういう関係になるんですか」と聞かれたときに、「どう、なるんですかね……」、「こういうのは説明が難しいのだけれど……」と 雪乃と八幡が逡巡している場面が挙げられます。 これは照れ隠しなどでは決してなく、 言葉で説明できない関係性だということを2人も自覚していたからだと考えられます。 また、嬉しかったのは 由比ヶ浜もそのような2人の言葉にならない絶妙な関係を察知していたという点です。 由比ヶ浜はラストで「あたしの好きなひとにね、彼女 みたいな感じの人がいるんだけど」と、 「みたいな」と言っていて、彼らの関係が はっきりと「彼女」という言葉にできるものではないと察していると考えられます。 以上のように、 言葉に批判意識をもちながら、言葉にならない関係性を、「本物」を、彼ら彼女らが求めていたということを確認できた点が、最終巻で本当に良かったと思える点でした。 『俺ガイル』は共同体論である 私は『俺ガイル』は 共同体論だと思います。 人と人がどれほどの関係を結べるか、どこまで深く付き合えるか、人と人との間にどれほどの可能性があるのか、それを真摯に探究したのが『俺ガイル』だと思います。 だから、彼ら彼女らが最後まで彼らなりの「本物」を求めていたことが、私にとっては救いでした。 その点で、最終巻は本当に良かったです。 「舞台装置」? それに加えて良かったと思ったのは、陽乃の扱いです。 『俺ガイル』でずっとネックだな、と思っていたのは陽乃の扱いでした。 彼女だけが少し浮いていて、彼女だけがずっと 舞台装置っぽいなという感じがしていたからです。 「舞台装置」というのは、 陽乃が作品の都合のいいように「アンチテーゼ」として利用されていた感が大きかったということです。 しかしそれも最終巻を読み、さらに考察を深めていくことで かなり解消されたように思いました。 人間味のある陽乃 というのは、最終巻ではとくに陽乃が舞台装置ではなく、 一人の人間として機能していたと思ったからです。 「ちゃんと決着つけないと、ずっと燻るよ。 いつまでたっても終わらない。 わたしが二十年そうやって騙し騙しやってきたからよくわかる……。 そんな偽物みたいな人生を生きてきたの」 (渡航『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。 289より) このあたりに陽乃の 人間味が垣間見えていました。 しかし単純に人間味のあるところが描かれたから良かったというわけでもなく、むしろこれで、陽乃の 人間としての「底」がある程度見えてしまったという感じがしなくもありません。 というのは、これだけだと陽乃が 「うわべ」の代表格、あるいは 捻じ曲がったシスコンというふうに読めなくもないからです。 陽乃=「うわべ」の代表・捻じ曲がったシスコン 1. 「うわべ」の代表 「うわべ」の代表格というのは、 『俺ガイル』において陽乃は強化外骨格みたいな「うわべ」を駆使して、「うまくやって」生きてきた人間の代表として描かれているということです(ただもちろん彼女には「裏の顔」もあってそれゆえに彼女は苦悩しているわけですが)。 陽乃は父親の仕事を手伝う過程で、 「うわべ」をうまく使って人と良好な関係を結び、また、その 「うわべ」によって何でもできる「雪ノ下陽乃」像を構築してきたのだと考えられます。 ここにひとつ陽乃の 「底」があります。 つまり、陽乃がそうした「うわべ」だけで生きてきた人間なら、彼女は ある意味で「偽物」の人生を歩んできたわけで、そういう意味で、 陽乃は八幡の言う「本物」に近いものにすら触れたことがないと考えられるからです。 <追記 2020. 14> しかしむしろここに陽乃が「本物」を求める理由があるわけで、このことによって陽乃はより舞台装置ではなく一人の人間として描かれていると今では考えています(詳しくは参照)。 捻じ曲がったシスコン 「捻じ曲がったシスコン」というのは、陽乃が雪乃のためにわざと嫌がるような行動をとり続けているという読み(解釈)のことです。 この解釈では、陽乃には、自分の通る道を綺麗にたどる雪乃を本当にかわいいと思いながらも、 彼女に違う道を歩んでほしいという願いがあった、と読むことができます。 あるいは、「うわべ」の人生しか選べない自分を自己批判し、 それとは違う「本物」を彼女も求めていて、その「本物」の夢を雪乃に託したと読むこともできます。 どちらかというと個人的には、 陽乃も「本物」を心の底で求めていた、そしてその実現を雪乃に託したという読みの方がしっくりくる気がします。 <追記2020. 14> 陽乃の雪乃に対する感情はそんな生半可なものではないように今では思います。 なぜなら陽乃は雪乃に「偽物」の人生を突き付けられると同時に、 いわば自分の人生をまるごと否定されたようなものだからです。 だからここの読みは甘いと今は思います。 これについては追い追いアニメ俺ガイル完の考察とともに記事にするつもりです。 「雪ノ下雪乃の救済」というテーマ 雪ノ下雪乃の救済というのが後期『俺ガイル』のテーマでした。 「救済」というのは、9巻で 「いつか、私を助けてね」という雪乃のセリフに起因しています。 「いつか、私を助けてね」とはどういうことか そもそも「助けて」とはどういうことかというと、 依存してしまう自立できない私を助けてねということです(もちろん助けを他者に求めてしまう時点でむしろ依存しているわけですが)。 雪乃が依存体質であることは13巻でも陽乃から指摘がありましたが、1巻から雪乃はそのような面を見せていました。 というより、それこそが 雪乃が奉仕部を創った理由だと考えられます。 雪乃が奉仕部を創った理由 そもそもなんで雪乃が奉仕部を創ったかというと、 依存せず自立したいからだと考えられます。 ただそれはいわば隠された理由(はっきりと書かれてはいない理由)であって、彼女が言葉で言っている理由は違います。 彼女が口で言っていた理由は、「持っているもの」が損をする世界はおかしいから、 「変えるのよ、人ごと、この世界を」というものでした。 ではどういうふうに変えるかというと、 魚の獲り方が分からない人=自立できていない人に、 「魚の獲り方を教える」というやり方で「自立」をうながすのでした。 つまりみんなが 「自立」して、皆が 「持っているもの」に近くなる世界を目指していたわけです。 「持っていない」 ただそれは、 雪乃がある意味で「持っていない」ことの裏返しだと考えられます。 たしかに雪乃は何でもできます。 勉強もスポーツも、容姿も端麗。 そういう意味では「持っている」人間です。 しかし、それは 「依存」の延長線上として得てきたものです。 というのはそれらは 誰かに与えられたものを完璧にやり遂げて得たものにすぎないからです。 では誰が救われたかったのか この点で雪乃は「自立」できていないと言えます。 しかしだからこそ雪乃は奉仕部を立ち上げたと考えられます。 すなわち、雪乃は誰かから与えられたことを完璧にこなすのではなく、 自分から主体的に何かを成し遂げる経験をするために奉仕部を立ち上げたと考えられるのです。 したがって、 人に「自立」をうながしながら、本当に「自立」したかったのは雪乃の方だったのではないでしょうか。 人に救いの手を差し伸べておきながら、本当に救われたかったのは雪乃自身だったのではないでしょうか。 「別のものが欲しかった」 おそらく、生まれてからずっとなんでも完璧にこなしてきた雪乃は、それでも常に自分の上をいって何でもそつなくこなす 陽乃に コンプレックスを抱いていたのでしょう。 というよりも、 陽乃に自分のアイデンティティを奪われてきた(消されてきた)という言い方の方が正確かもしれません。 完璧にやる陽乃がいる、親から必要とされているのは陽乃だ、では自分(雪乃)の居場所はどこにあるのか……と、雪乃はそう考えていたのではないでしょうか。 そうして彼女は 「なんで私はそれを持っていないんだろうって、持っていない自分に失望」した。 だから、「別のものが欲しかった」。 そして雪乃は奉仕部を創った。 姉が持っておらず、自分だけが持っている、 雪乃自身のアイデンティティ、それが 奉仕部だったのではないでしょうか。 そのように奉仕部は、 雪乃が自立してできるのだということを示す証のようなものだったと考えられます。 救済は果たされたか? だから、 雪乃が最後に救済されるのか? ということが『俺ガイル』の1つの大きなテーマでした。 雪ノ下雪乃は「自立」という奉仕部設立当初の目的を達成出来たのか、それが1つの大きなテーマだったわけです。 では14巻で雪乃は「救われた」でしょうか? 私は 救われたと思います。 というのは、 雪乃は彼女の意志で父親の仕事を手伝いたいということを伝えたし、また、 八幡を選ぶという選択もしたからです。 父親の仕事を手伝うというのは、一見陽乃の後追いのようにも思えますが、これは 雪乃の意志だと解釈してよいのではないでしょうか。 というのは別に誰にそうなれと言われたのでもなく、彼女自身が言ったことだからです。 それよりも、「わからない」といっていた雪乃が八幡を自分で選択し、そのことを由比ヶ浜にきちんと自ら打ち明けたことは、 明確な「自立」(誰から与えられたわけでない主体的な選択)と言ってもよいのではないでしょうか。 これも一見すると、雪乃が八幡への依存を深めたように見えるのですが、「ちゃんと言うわ」と自ら気持ちを口にする選択は、依存ではないでしょう。 以上のことから、雪ノ下雪乃の救済という大きなテーマは果たされたと、今のところ私は考えています。 <追記>ここの読みは甘かったと思います。 雪乃は一時的に「救われた」に過ぎないというのが今の読みです。 <追記2019. 26>俺ガイルの結末にある意味絶望している話 わけあって、俺ガイルの結末に絶望しています。 詳しくは以下のツイートをご覧ください。 相変わらず俺ガイルの感想を見たり聞いたりしているのですが、14巻で八幡が本物を見つけたという解釈は、私の解釈から言うと絶対に違うのではないかなと思いました。 — 才華 俺ガイル zaikakotoregail 私は「本物」は、そこに究極的に近づくことはできても原理的には到達不可能なものだと思っていて、八幡が最後にたどり着いた雪乃との関係性は、あくまで「本物」までの一過程にすぎないと考えています。 — 才華 俺ガイル zaikakotoregail 何も言わなくても分かり合える、その関係性の一形態として、八幡は雪乃の人生を歪める許可をとろうとした。 人生を分け合った。 でもそれはそれでしかなくて、それが「本物」の到達ではない。 — 才華 俺ガイル zaikakotoregail 大事なのはむしろその後で、その人生を分け合った関係性で、果たして「本物」に近づけるのかということ。 場合によってはその関係性は、人生を歪められた挙句他者に依存してしまう、まさに「共依存」のような関係へと堕ちてしまうこともあるだろう。 — 才華 俺ガイル zaikakotoregail そしてもちろん場合によってはうまく関係を構築して、「本物」に近づくこともできるだろう。 でも問題は、その「うまく関係を構築する」というのはどういうことかということ。 「本物」に近づくには果たしてどういう関係をもてばいいのかということ。 — 才華 俺ガイル zaikakotoregail ここに、私にはある種の絶望があって、「本物」を担保するものなんてあるのか、ひいては「本物なんてあるのだろうか……?」という疑問にたち戻らざるを得なくなった。 — 才華 俺ガイル zaikakotoregail 「本物」なんて、あるのだろうか。 — 才華 俺ガイル zaikakotoregail まとめると八幡たちは「本物」に到達したわけではなく、その途上であるということに気が付いたので、そこにある種の絶望があるという話なのです。 しかしその経過が見事なのであって、またその経過自体を「青春」と名付けることもできるでしょう。 問題はやはりでは「本物」を求めた先に、14巻で八幡と雪乃がたどり着いたその先に何があるのかということです。 例えば人は「恋人」のように親密になっていろいろなことを知った後に互いを嫌いになるということもあるわけで、もちろん八幡と雪乃は「恋人」ではないのですが、では彼らが結んだある種の関係の先にももっと多くの困難が横たわっているのではないかということは思わざるを得ないということです。 終わりの始まり もしも言葉がなかったら、私たちはどういう存在になっているのだろうか。 言葉のおかげで私たちは、現にあるような存在になっている。 言葉だけが、限界で、もはや言葉が通用しなくなる至高の瞬間を明示するのである。 (ジョルジュ・バタイユ『エロティシズム』酒井健 訳 ちくま学芸文庫,2004 p. 470) いささか大げさかもしれませんが、『俺ガイル』はこれに非常に近いところまでいったと思います。 言葉は無力です。 言葉には限界があります。 しかし 言葉はそれが表現しようとするところに究極まで近づき、その当のものを指し示すことができます。 そこに言葉の力があります。 『俺ガイル』が「本物」という言葉で語ろうとしていたことは、そのようなものなのではないでしょうか。 <追記> 後から見返すとかなり甘いところもあったように思います。 甘いところはアニメ3期1話ごとに考察を書きながら、さらに深く考えていきたいと思います。 <俺ガイルの記事一覧> ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・.
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