『天才』と呼ばれる人物は各ジャンルに色んな人が存在しているかと思います。 例えば、野球界で言えば「イチロー」なんかが当てはまるだろうと思いますし、競馬界で言えば「武豊」、将棋界で言えば「羽生善治」と言った具合に各ジャンル毎に『天才』と呼ばれる人物が存在している事かと思います。 今回は皆さんに「関西お笑い界での天才」と呼ばれた人物を紹介したいと思うのですが、どんな人物が思い浮かびますか? 皆さんは「上岡龍太郎」と言う人物をご存知でしょうか? 私は関西人なので名前と顔が一致しますが、最近の若い方だと恐らく知らない人の方が多いと思われます。 と言うのも既に芸能界を引退されているのでメディアでの露出はほぼ皆無です。 私より年上の40歳~の方々であれば思い出せる方も多いでしょう。 今回はそんな「天才芸人」と呼ばれた上岡龍太郎の名言を皆さんにご紹介していきますのでお付き合いくださいませ。 上記で記載した様に上岡龍太郎は既に芸能界を引退しているので現在は表舞台には出てきていません。 まだ現役で活躍されていた当時から「芸能生活40周年を迎える2000年春になったら隠居する」と明言されており、実際に2000年春を境に芸能界を引退されています。 私が幼少期に見ていた上岡龍太郎のイメージとしては「頭が良くて少し怖い司会者」としてのイメージが強かった様に記憶していますが、世に出た切っ掛けは漫才師としてなんです。 元大阪府知事でもある「横山ノック」と「横山フック」、そして上岡龍太郎(当時は横山パンチと言う芸名)の3人で「漫画トリオ」と言う名前でトリオ漫才をやられていました。 約8年程、漫画トリオとして活動されていましたが、横山ノックの参議院選挙出馬に伴い活動休止となり、以後はピンとして活動されていました。 その後は私のイメージとして強く残っている様に「司会者」として様々な番組で司会業をされていました。 余談になりますが、いま関西方面を中心に活躍している漫才コンビで「ミキ」と言う兄弟コンビがいますが、昨年のM-1グランプリの決勝にも出ていたので知っている方も多いかと思います。 その「ミキ」なんですが、実は上岡龍太郎の甥っ子になるそうです。 上岡龍太郎の実妹が「ミキ」のお二人のお母さんになり、二人からしたら上岡龍太郎は伯父さんになります。 それでは上岡龍太郎の名言を下記より紹介していきます。 夏の暑い日は道の真ん中を歩け。 冬の寒い日は道の端っこを歩け。 そうすれば、世の中は受け入れてくれる。 この言葉は元プロボクサーで現在タレントとして活躍されている赤井英和さんに送った言葉です。 端的に言うと、自分を優先するより他の人の事を考え優先しなさい、と言う事ですよね。 夏の暑い日に道の真ん中を歩くと言う事は陰で日差しを遮る事は出来ないので直射日光が自分に当たってしまう訳ですよ。 自分が暑い直射日光を浴び、他の方を陰のある道を歩かせてあげなさい、と言っている訳ですが、そうする事で自己犠牲を厭わず相手の事を思いやれる人として周囲が受け入れてくれるだろう、と。 こういう事を打算無く、何も考えずにスッと実行出来る人になりたいですね。 自分が凄いと慢心した時は、下っている時だから気を付けろ。 こちらの言葉もタレントである中山秀征さんに送った言葉です。 長年生きていると色々な辛い事や苦しい事から逃れる事が出来ない場面に出くわしてしまう事も多々あるでしょう。 その状況で苦しくとも登り切ったら平穏になりますよね。 平穏になると安心してしまい、慢心が出てこないとも限りませんよね。 そんな時への戒めの言葉としてこの言葉を覚えておくのもいいのではないでしょうか。 この言葉の様に少なからず自分の事を「凄い」と過信してしまう事ってあるかと思います。 色んなシュチエーションで多少なりとも身に覚えがあるのではないでしょうかね。 「天狗になるな」なんてよく言われますが、まさしくそれを表した言葉であると思います。 エスカレーターに乗っても歩きなさい。 自分を機械に任せたら終わりです。 昨今、テクノロジーの進化により私たちの生活は非常に便利になっていると言う事実があります。 今迄は機械では無く、人の手によってやっていた作業も機械でやる様になった事なんかもあるでしょう。 効率化や経費削減を謳い、人間の仕事が機会に奪われている側面もあります。 果たしてそれでいいのでしょうか? 確かに、機械化する事により作業効率が上がり全体の効率が良くなる場合が多いのでその様な流れになっているのだとは思います。 でも人間にしか出来ない事、人が作るからこそ良い物って言うのもあると思うのですよ。 上岡龍太郎のこの言葉は最近言われた言葉ではなく、少し前、彼が引退する前に残している言葉なので少なくとも20年近く前の言葉な訳です。 その頃から人間と機械の関係について警鐘をならしていたと考えると改めて凄い人だなと思います。 結婚して10年経って結婚前より妻が不細工になったとしたら、その8割は男の責任である。 この言葉は私の旦那及び、世の中の妻を持つ男性に聞かせてあげたい言葉ですね 笑。 自分自身が結婚前後で綺麗になったのか不細工になったかは一旦置いておきますが、結婚前は双方ある程度は身綺麗にしていると思うのですよ。 やはり「嫌われたくない」と言う感情と「綺麗だと思ってもらいたい」感情があるので、可愛い服やメイクを施し、自分が出来る範囲で綺麗になろうと努めますよね。 男性側もその部分はあるかと思うのですが、結婚して数年経つと見るも無残な人って結構いるんじゃないですか? 個人的な意見になりますが、自分の周りのご夫婦を見ていても旦那さんがオシャレに気を遣っている夫婦であれば、その奥さんも綺麗な場合が多いかと思います。 勿論、顔面偏差値云々は置いといてキチンとした身なりで綺麗だという部分でね。 その逆はもう言うまでもないかと思いますが、結婚後ブクブク太り若かりし頃の面影が全く無くなった我が旦那は私が不細工になった責任を負わなくてはいけませんね 笑。 若い時の苦労は買ってでもしろと言いますが、それは違います。 苦労なんか買わんでもどんどん向こうからうやってきます。 私も学生の頃や社会人なりたての頃は年配の方なんかによくこの言葉を言われた記憶があります。 ただいま現在の年齢になり、当時言われた言葉を思い出しても「ピン」と来ず、上岡龍太郎のこの言葉の方が納得がいく感じがするんですよね。 確かにあの頃は、自分が望まずとも色々な苦労が向こうから突然来訪してくる事の方が多く、まさに招かれざる客の様な感じで次々と舞い込んでいた気がします。 目上の人から「苦労は買ってでもしなさい」と言われたらその言葉の呪縛に憑りつかれたかの様に苦労を選択しなくてはいけないのかと思ってしまいます。 でもそんな時にこの上岡龍太郎の言葉を見れば、肩の荷が下りスッと楽な気分になれそうな感じがしますね。 出来れば若い頃の自分にこの言葉を教えてあげたかったです。
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上岡龍太郎さんは、司会者として人気レギュラー番組を数多く抱えていました。 そこで気になるのは、やはりお金のことです。 いったいどれくらいのギャラを貰って、現在どれくらいの貯金額があるのでしょうか。 上岡さんが抱えていたレギュラー番組は「ムーブ・上岡龍太郎の男と女ホントのところ」「ザッツ! 上岡龍太郎vs50人」「上岡龍太郎がズバリ! 」「探偵! ナイトスクープ」「上岡龍太郎の金印」などです。 全部を挙げると書きれないほどいっぱいあります。 多い時で、10本以上のレギュラーを抱えていた時期もあります。 上岡龍さんの人気を考えると、ギャラは安くとも100万円です。 つまり、1週間で1000万円、月に4000万円です。 年収にすると、5億近くになります。 税金で半分以上は払うことを考えても、相当な収入になります。 また、上岡龍太郎さんは、他の芸人さんと違いキャバクラやクラブなど、派手な遊びを一切しませんでした。 自身でもあまりお金は使わないと言っていたほどです。 そのため、かなりの貯金を溜めているでしょう。 上岡龍太郎さんの現在の資産は? 漫画トリオ解散後は、横山パンチという芸名を改め上岡龍太郎として活動を始めました。 そのしゃべりのセンスで、関西ではすぐに人気芸人としての地位を確立しました。 人気芸人としての地位を確立したけっかけは、やはり「ラブアタック」です。 「ラブアタック」は当初、横山ノックさんが司会を努めていました。 しかし、横山ノックさんが政治活動を行なうために降板しました。 その後に司会努めたのが、上岡龍太郎さんです。 「ラブアタック」は、若い男女の恋愛をテーマしたバラエティー番組でした。 この番組で上岡さんの仕切りの上手さが評判となりました。 現在の司会者とはひと味違う知的な司会ぶりでした。 その後は、現在でも伝説として知られる人気番組の司会を務めるなど、冠番組がどんどん増えていきました。 司会者として全国区に 上岡龍太郎さんが博識で仕切りが上手く、司会者としての実力も群を抜いていました。 しかし、最初から全国区の人気だったわけではありません。 現在では考えられませんが、東京での活動はほとんどしていませんでした。 一度、横山ノックからの紹介で東京の番組に出演したが「東京は民度、文化レベルが低い」と、東京嫌いを明言していたほどです。 しかし、1987年に朝の連続ドラマ『見上げればいつも青空』に出演、これをきっかけに全国での知名度が一気に上がりました。 そして、笑福亭鶴瓶さんと共演していた大阪の人気番組『鶴瓶上岡パペポTV』が1988年から東京で放送されるようになったのがきっかけで、一気にブレイクしました。 その後は、全国ネットの番組で数多く司会を努め、日本を代表する人気芸人となりました。 上岡龍太郎さん惜しまれながらの引退 名司会者として、しゃべくりの天才として、誰もが認める存在になった上岡龍太郎さんですが、本人は元からずっと芸能界で活動していく気はありませんでした。 昔から、親しい仲間には58歳で引退すると言っていました。 しかし、周りの芸人仲間は本当に引退するとはおもっていなかったとの話もあります。 そして、実際に2000年の4月で芸能界を引退されました。 その後は、メディアへの露出は一切ありません。 友人などのお葬式の際に、あくまで一般人として取材を受けることはありますが、芸人としての活動は絶対にしないと現在も決めているそうです。 今も、上岡龍太郎さんの引退を惜しむ声は多くあり、現在もその人気が衰えることはありません。 ご家族はいるの?.
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こんにちは。 坊主です。 今回は、上岡 龍太郎さんを取り上げます。 しかし、ここに来て再び上岡さんに注目が集まる事態となっています。 実は、「デイリー新潮」が彼の談話を掲載したからです。 上岡さんは過去に「芸人」と 「反社会的勢力」の関係を次のように語っていたのです。 「芸人ちゅうんはなんや言うたら、 落ちこぼれ人間ですよ。 社会のはみ出しもん。 アウトロー。 いわば暴力団と一緒ですから。 」 「我々とヤクザは一緒。 そやからあの、 芸人とヤクザが癒着したらいかん言うけどウソ、あんなもん。 根が一緒やから癒着もなにも、 もともと同じタイプの人間やからね」 「できるだけ楽したい、ね。 みんなと一緒のことはしたくない。 そや言うて、 ちやほやして欲しい、お金はようけ貰いたい。 ほとんどこういう考えの人間が芸人とヤクザになるんですね。 」 「ただ、向こうは腕が達者でこっちは口が達者やったいうだけでね。 この発言に対し、ネット上では賛否両論が巻き起こる事態となりました。 今回は、引退しても今なお絶大な影響力を持つ上岡 龍太郎さんについて調べてみました。 ある時、 新幹線にて次のレギュラー番組で共演予定の若手芸人と遭遇した上岡。 2人は当然 「これからよろしくお願いします」 と挨拶をします。 上岡も「よろしく」と返すのですが、 そこから話題が続きません。 その時に彼はふと、過去を想起します。 そういえば、 自分が若手の頃も共通の話題がなくて困った大御所がいたな、と。 そして自身がいつの間にか、 その大御所と同じ立ち位置に来てしまったのだと痛感したのです。 本人によれば、以下のような理由も引退に関係していたようです。 島田さんは反社会的勢力と関係を持っていたことを理由に芸能界を引退。 55歳で第一線を退くことになりますが、師匠の上岡さんは58歳で芸能界を引退しました。 しかし、師匠の引退を前にした島田さんは、必死でそれを制止したのです。 上岡を師と仰ぐ島田紳助。 芸について、 司会について多くを学んできたこの大御所に、 「 芸能界での道標を失ってしまう。 引退を考え直してくれ」 という旨の手紙を送ります。 すると上岡からはこんな返信が。 「ずいぶん前から君は僕の前を走っているんだよ」。 紳助は涙が止まらなかったと言います。 息子の小林聖太郎が急死した!? 上岡さんの息子は 「小林 聖太郎(しょうたろう)」さんと言い、 映画監督を務めています。 2019年現在においても存命ですが、一部からは 「急死した」という声が上がっています。 そこで、この 誤情報の出所を調べたところ、 「大空テント」さんが関係していることが分かったのです。 享年65歳 漫談家として活動していたテントさんは、2016年に急死しています。 しかし、彼の急死が伝えられたことで、一部の人間が「息子(小林 聖太郎)が急死」というデマを拡散させたことで誤情報が広まったというわけです。
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