ベニシア スタンリー スミス。 ベニシア・スタンリー・スミスさんの最近の状況が伝わってくる記事

ベニシア・スタンリー・スミスの家族と若い頃について。夫は写真家・梶山正で子供は4人。

ベニシア スタンリー スミス

こんにちは!ricoママです。 先週、3歳の息子が 風邪を引いていたので 家にこもっていたのですが 息子の風邪もようやく 治ってきました。 男の子はよく病気をもらうと 聞くことが多いのですが 風邪やインフルエンザや ロタウィルスなど うちの息子も赤ちゃんの頃から いろいろと病気をもらってきました。 ベニシアさんというと 自宅のお庭でハーブを作られていて NHKでも時おり特集などで 取り上げられています。 ベニシア・スタンリー・スミスさんについて 気になることを調べてみました。 ベニシア・スタンリー・スミスの前夫とは? ベニシアさんは今のご主人である 山岳写真家の 梶山正さんとは 再婚になります。 ベニシアさんの前のご主人が どんな方なのか気になり、 調べてみると 「 1974年に日本人の男性と結婚し 長女、次女、長男を出産」 されていたことが分かりました。 前のご主人と結婚されてから ベニシアさんは英会話学校を開かれましたが 仕事と育児に追われ 32歳の時に体調を崩し ベニシアさんは倒れてしまいました。 その歳、前のご主人は ベニシアさんを支えることは なかったそうです。 私自身も、実家を離れて 生まれたばかりの息子を育てるのに 苦労をした思い出があります。 夜泣きがひどかった息子にかかりっきりで 睡眠不足が1年半ほど続き このままでは本当に病気になってしまうと 不安になることもしばしばでした。 私はまだ、同じ日本に実家があるものの ベニシアさんは、祖国を離れて 日本で暮らしており 頼れる方はご主人しか いない中だったので どれほどの不安があったのか 計り知れません・・・ 【関連商品はこちら】 ベニシア・スタンリー・スミスの経歴は? 名前:ベニシア・スタンリー・スミス 生年月日:1950年12月27日 年齢:67歳 2018年2月現在 職業:ハーブ研究家、英会話学校経営 元々伊万里焼や尺八など 日本文化に興味のあった ベニシアさんは 1971年に日本に来日されました。 来日以降は 東京と岡山での生活の後、 日本に住む米国人に 「 日本に住むなら京都がいい」との アドバイスを受けて ベニシアさんは京都に住居を構えます。 趣味でガーデニングを始め 友人のアドバイスで ハーブを育てはじめ 2002年に、NHKの 「 わたしのアイデアガーデニングコンテスト」で 特別賞を受賞したきっかけで ハーブ研究家としての 道も確立されました。 ハーブというと カモミールやラベンダーなど 体を癒やすものというイメージが あるのですが ベニシアさんのハーブ作りは 体に良いだけでなく 生活に根ざしたハーブ活用法を ご自身で編み出されています。 ベニシアさんのおかげで ハーブがより身近に 感じられるようになったという方も 多いのではないでしょうか? スポンサードリンク ベニシア・スタンリー・スミスの家族についても! ベニシアさんには 現在の夫である 梶山正さんと 長女の サチアさん 次女の ジュリーさん 長男の 主慈さん そして、梶山さんとの間に生まれた 次男の 悠仁さんと 2人のお孫さんがいらっしゃいます。 次女のジュリーさんは 産後鬱から統合失調症を 発症されたとのことで ジュリーさんの病気については メディアでも語られています。 ベニシアさんがジュリーさんの 病気である 統合失調症との向き合い方の一つに 「 周囲の方にもジュリーさんのことを 包み隠さず話をしている」とありました。 私自身も15年ほど前に鬱病を患い、 苦しんだ時期がありました。 当時は今ほど鬱病が 身近に感じる病気ではなく 私の両親も、私の状態を なかなか受け入れることは 難しかったようです。 幸い、私は4年ほどで 鬱の症状も落ち着くことができましたが ベニシアさんも 娘さんの病気を受け入れることは 容易いことではなかったのではと想像します。 ジュリーさんも、現在はベニシアさんと 外出出来るまでに 回復されたとのこと。 病気を回復するには 家族の支えが本当に大事だなと 私も自身の体験を通して実感しました。

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ベニシア・スタンリー・スミスさん【前編】京都・大原の古民家で自然と寄り添いながら暮らす|サステナブル ジャーニー|大和ハウスグループ

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まだ、直接お会いしたことはないのですが、昨年3月、ベニシアさんの家の中、庭をできる限り忠実に再現した『京都大原の庭とキッチンから ベニシアさんの手づくり暮らし展』(東京・銀座)へ足を運んできました。 【過去の参考記事:】 平日の夜に行ったにも関わらず、多くのベニシアさんファンが訪れており、ファン層の厚さがすごいと思いました。 昨年5月には、ベニシアさんの直伝レシピで、ローズゼラニウムのシャーベットを初めて作ったのですが、その美味しさに驚き、毎年のハーバルライフの楽しみの一つとすることにしました。 【過去の参考記事:】 私のハーバルライフの随所随所で、ベニシアさんの影響を大きく受けているのですが、そんなベニシアさんの最近の生活の様子がよく伝わってくる記事を見つけましたので、早速ご紹介したいと思います。 【一聞百見】「人生の秋」夫婦で寄り添い ハーブ研究家 ベニシア・スタンリー・スミスさん、写真家 梶山正さん夫妻 自宅近くを散歩、寄り添って談笑するベニシアさん(左)と梶山正さん夫妻。 後ろの薪は自宅の薪ストーブで使う=京都市左京区(永田直也撮影) 自然に囲まれた京都・大原の古民家でハーブを育て、ゆったりと丁寧な暮らしを楽しむ-。 そんなライフスタイルがテレビ番組で紹介され、ファンが多いハーブ研究家のベニシア・スタンリー・スミスさん。 最近、目が見えにくくなり、夫で写真家の梶山正さんが生活を支えるようになった。 そうした日々をはじめ、それぞれの半生をつづった共著『ベニシアと正、人生の秋に』(風土社)が出版され、静かな感動を呼んでいる。 大原の里に夫妻を訪ねた。 ほら、見えるでしょ。 (外の景色が)すごくきれいで」。 ベニシアさんの視線をたどり窓から外を見ると、明るい日差しの向こうに透き通るような青空と少しかすんだ山々が見えた。 夫妻は平成8年、築約100年の古民家を買い、移り住む。 <この場所を見つけたとき、大原にずっといると思ったの。 これって、本当に不思議なことよね>(同書から)。 その予感通り、20年以上たった今も暮らしている。 2人とも60代。 子供も巣立ち、孫も生まれた。 「人生の秋」というタイトルが、いかにもしっくりとくる。 心配だった目のことを聞いてみた。 「見えているけど見えていない。 ちょっと説明が難しいな…」と、ベニシアさんが夫を振り返る。 正さんが説明を引き受けた。 「目はいいんですよ。 ただ、脳の後ろの部分に問題があって、見えにくくなっているんです」。 調子によって視力にも波があるそうで、「たとえば朝とか、お風呂に入った後は見えやすい。 なんで? と思うけれど、そういうこともプラスに考えて、マイナスと思ったらアカンね」とベニシアさんは笑った。 現在のところ確たる治療法はなく、進行を緩める薬を飲み続けている。 薬は医者の処方にハーブも加え、「オリーブの葉も入っていて(他の薬とも)コンビネーションがいいんですよ」というあたりは、ベニシアさんらしい。 散歩をしたり、庭の落ち葉を拾ったりとマイペースで過ごしている。 とはいえ、病気を知った当初はショックだった。 「毎朝言うんですよ、目が見えないって。 わかってるよ、と答えてもまた次の日、見えないって怒る。 でもいいや、最近はずっとニコニコしてるから」と正さん。 「だって暗い顔をしたら周りの人はどうしたらいいかわからなくなるでしょう。 自分も暗くなる。 病気だから年だからって、できないことばかり考えない。 自分ができないと思ったらホンマにできなくなる。 だからね、いいことを考える。 例えば、ごはんがおいしい。 作る正はたいへんだけど…」とにっこり。 そうそう、毎日、朝昼晩と3度の食事の用意はたいへんだよ、と言って正さんも笑った。 英国貴族の家系に生まれ、子供時代は母の実家にあたるダービーシャーの大きな館、ケドルストン・ホールで過ごすことも多かった。 ベニシアさんの曽祖父の兄はインド総督や外務大臣なども務めたカーゾン卿で、明治時代に2度、日本に滞在し土産を持ち帰っている。 館で見た日本製の陶磁器にひかれ、日本へ行ってみたいと思ったという。 貴族の生活になじめなかったベニシアさんはインドに渡り、香港、台湾を経て日本にたどり着く。 近著『ベニシアと正、人生の秋に』におもしろいエピソードがあったので紹介しよう。 鹿児島港からヒッチハイクで大阪・淀屋橋に降り立ったベニシアさん。 東京に行こうと警官に尋ねたら、高速道路入り口でトラック運転手に談判してくれた。 ギラギラに装飾されたトラックに不安を感じるも、運転手は親子丼をおごってくれ、翌朝目覚めると新宿・風月堂の前だったという。 「世界中にこんな親切な人々がいる国って他にあるだろうか…?」 やがて日本人男性と結婚して3人の子供を育て、昭和53年に京都で英会話学校を始めた。 その後、離婚。 インド料理店を開いていた正さんと出会い、再婚して次男が誕生。 大原の古民家に移り住む。 家の改修を正さんが手がけ、一方でベニシアさんの庭づくりが始まる。 夢は子供のころに憧れた英国風コテージガーデンだ。 それからの活躍は、初の単行本『ベニシアのハーブ便り』や、NHK番組「猫のしっぽカエルの手(京都大原ベニシアの手作り暮らし)」にみる通りである。 「最初はハーブのレシピ本をという話だったんです。 でもベニシアが『そんなのはいっぱい出ているから私でなくてもいいやん』と。 それで若いころの思い出なども書いたらベストセラーになった」(正さん)。 英国で慣れ親しんだハーブの思い出と、大原での自然豊かな暮らし。 ハーブを使った料理だけでなく、せっけんやサッシェ(香袋)といった身の回りのものにも無理なく取り入れるライフスタイルが、女性たちの支持を集めたのだった。 「でも、最近は緑茶を飲むことも多いのよ」とベニシアさんがいたずらっぽく笑う。 「だって、正が飲むから」。 「お茶だってハーブだよ。 じゃあ、お茶をいれましょうか」と正さん。 薪ストーブの上で温かくなっていた湯をさらに沸かし、人数分のカップを丁寧に温めながら時間をかけていれてくれた。 甘みと少しの苦みを感じる緑茶は味わい深く、とてもおいしかった。 「朝は緑茶で、それは正のやり方なの。 だから私もそうする。 それでいい。 だって自分の夫なんだから」。 ところで最近、CDを出したって本当ですか。 「2階にありますよ。 聞きますか?」とベニシアさん。 実は19歳のころ、フォークグループを作り、デビュー寸前だったそうだ。 曲は母国の民謡「スカボロー・フェア」。 ところが…。 あのサイモン&ガーファンクルが全く同じ曲でレコードを発売。 結局、歌の世界から離れることになった。 はじめは何のことかと驚いたそうだ。 メロディーをくちずさむベニシアさんの様子を慌てて携帯電話で録画し、後で専門家に書きとってもらったという。 それをもとにロックバンド、くるりの元メンバーの吉田省念さんや、元渋さ知らズの横山ちひろさんらが協力。 なんと、CDになった。 タイトルは「音楽という贈り物」である。 ベニシアさんの自室で少し、聞かせてもらった。 朗読を含めて5曲。 そのうちの1曲「風に舞う」がベニシアさんの作曲で、英語の詩も手掛けたそうだ。 日本語の歌詞を少し紹介すると、こんなふう。 <私を包む山の景色? 大切なものであふれてる? 喜びに満ちたこの場所で? 私の心は踊りだす? 風に乗って空に舞い? 大地を見渡せば? なんて美しい世界だろう? すべてはここにある>。 どこか懐かしい素朴なメロディーに、美しい大原をほうふつとさせる自然賛歌。 音楽はベニシアさんにとって昔から大切なものだった。 10代のころ父が急死し、落ち込んでいたベニシアさんを救ってくれたのが音楽だったという。 歌っている間は悲しみが和らいだ。 聖歌隊で歌い、フォークグループを結成してチャリティー行事やコンサートにも出演した。 <私たちは言葉がなくても祈れるように、音楽という贈り物を授かったのでしょう>(朗読「音楽という贈り物」より) ハーブ研究家として活躍してきたベニシアさんだが、最近、目が見えにくくなっている。 そんなとき、気持ちを前に向かせてくれるのもまた歌だ。 「歌うことってとても大事だと思う。 人間みんな、ちょっとハッピーになれるでしょ」とベニシアさん。 正さんとの散歩も大好きな気分転換の一つだが、最近あまり付き合ってくれないと不満顔だ。 「普通の夫婦がみんなすることをしたいだけなのに!」というベニシアさんに、「することいっぱいあるんだよ」と正さんが反論。 それではと、晴天に恵まれたこの日、ゆっくりと自宅前の空き地まで2人で散歩した。 歩きながら歌詞のことを訪ねてみる。 「すべてはここにある」という言葉は、てっきり大原のことだと思ったが、違っていた。 「すべてはここ、自分の中にあるのよ」とベニシアさん。 「場所じゃなくて、あなたの求めているものは全部、自分の中にあるということなんですよ。 (そう考えると)希望がわいてくるよね」と正さん。 シンプルだが哲学的でもある。 起きた物事をどう見るかは自分しだいで、自分の心の中にこそ平安があるというのだ。 人気のテレビ番組は近年はスペシャル版が制作されている。 今月もその傑作選がEテレで放送中だ。 子供や友人らが入れ替わり訪れる自宅で、2人はこれまで以上にゆっくりとした日々を送っている。 ベニシアさんが言った。 「みんなね、ベニシアは(目が見えにくくて)できないと思っているけどそんなことない。 1950年、英ロンドンで貴族の家系に生まれる。 19歳でインドに旅行、その後日本へ。 昭和53年に京都で英会話学校を始め、京都市左京区大原への移住をきっかけに庭づくりを始めた。 その暮らしぶりが平成21年からNHK番組「猫のしっぽカエルの手」で放送されドキュメンタリー映画に。 著書やDVD多数。 【プロフィル】かじやま・ただし 写真家。 昭和34年、長崎県生まれ。 ネパール・ヒマラヤの登山、インド旅生活を経て帰国後に京都でインド料理店を開業。 平成4年にベニシアさんと結婚。 現在は山岳写真やエッセーを手掛ける。 sankei. html)より抜粋 現在のベニシアさんの状況はどんな感じなんだろう?とファンの多くは思っていると思うのですが、この記事には生活の様子がしっかりと伝わってきて、心が温まる生活を送られているんだということがわかりホッとしました。 現在の状況においては、講演会を実施する可能性も低そうなのでオフィシャルな場でお会いできることはないかもしれませんが、、一度でも直接お話を伺いたいという想いは強いので、密かに機を伺います。

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梶山正「京都大原で暮らす」|第二十話 目が悪くなった妻に手を差し出す

ベニシア スタンリー スミス

生家はイギリス貴族の館としても知られるゲドルストンホール。 19歳の時、貴族社会に疑問を持ち、イギリスを離れ、インドを旅する。 1971年、来日。 1978年、京都で英会話スクール「ベニシアインターナショナル」を設立。 1996年、大原の古民家へ移住し、ハーブガーデンを作り始める。 その後、ハーブやガーデニング、ライフスタイルに関する記事を雑誌や新聞に執筆するほか、広い分野の講演活動を行う。 2002年、NHK「私のアイデアガーデニングコンテスト」ガーデニング部門で第1位を受賞。 現在、NHK「猫のしっぽ カエルの手」に出演。 menard. html ベニシアの祖父母・両親 孤独な子供時代 1950年12月、ベニシアさんは由緒ある家系に生まれました。 曽祖父の兄はイギリスの外相・インド副王 インド総督)だったジョージ・カーゾン 侯爵であり、祖父リチャード・ナサニエル・カーゾンはスカーズデール子爵でした。 母親は、第2代スカーズデール子爵リチャード・ナサニエル・カーゾンの三女・ジュリアナ・カーゾンで、父親はシェークスピア劇俳優を夢見ていた父デレク・スタンリー・スミス。 母の実家は、イギリスの建築家ロバート・アダムが手がけたケドルストンホールと呼ばれるカーゾン家のマナー・ハウスでした。 livedoor. html 2歳のときに両親が離婚します。 母親は美人でしたがわがままで、4回も再婚を繰り返す母親と一緒に何度も移転しました。 ベニシアさんは4人の父親はそれぞれ違った個性を持っていたので学ぶことはあったのですが、やはり孤独であったそうです。 6歳からジャージー島セント・ヘリアの小学校に通い、10歳から6年間ヒースフィールドという寄宿舎制の女子校。 ロンドンの女子高に進学し、花嫁学校を経て、19歳の時に母国を離れてバックパッカーとしてインドへ。 インドは当時欧米文化人の憧れ地だったようで、多くの有名人、例えばジョブズ氏も訪れていますね。 彼女は陸地をインドに旅して、生きることの真の目的と意味を発見しましたそうです。 ベニシアさんがインドへ行った理由は色々あります。 12歳のときに出会ったインドのPrem Rawatと呼ばれる若い啓蒙教師に心酔していたこと。 そして貴族はお金があるから、夏はモンテカルロで買い物して、冬はスキーへ行って遊んでいる人生は嫌だったとのこと。 母親は公爵との結婚を勧めていたので、それからも逃げたかったようです。 また、ちょうどベトナム戦争中で、反戦歌を作ってレコードも出していました。 英国の伝統的なバラード「スカボロー・フェア」のレコードを出そうとしたら、同時期に偶然、サイモンとガーファンクルが同じ曲を見つけてレコードを発売。 レコード会社の人にリリースできないと言われた失意もあったのです。 若い頃はピッピーだった 1971年に彼女は日本に旅行することを決め、香港から鹿児島に船で到着しました。 無一文の状態だったので、鹿児島港からヒッチハイクで大阪・淀屋橋へ。 東京に行こうと警官に尋ねたら、高速道路入り口でトラック運転手に談判してくれたそうです。 不安を感じるも、運転手は親子丼をおごってくれ、翌朝目覚めると新宿・風月堂の前だったそうです。 いかにも70年代の若者ですね。 東京では、現金がすぐ入る仕事をしました。 shutterstock. その後、岡山の生活を経て、1978年から京都長岡で英会話学校の経営を始めます。 ベニシアの元夫と子供 1974年 24歳のときに日本人男性と結婚。 長女 サチアさん、次女ジュリーさん、長男 主慈(しゅーじ)さんをもうけます。 岡山で暮らしていたのですが、 1986年に離婚。 ベニシアさんが3人の子供を育てていきます。 次女のジュリーさんは24歳の時、息子のジョー君を出産しますが、産後の重い抑うつ症を患ってしまいます。 ジュリーさんは彼氏と良い関係が保てず、シングルマザーとなります。 入退院を繰り返しながら、統合失調症と向き合い、京都で暮らしています。 chilchinbito-hiroba. 梶山さんはベニシアさんより9歳年下です。 大学を中退後、24歳の時にヒマラヤに登山後、インド各地で旅生活を送りました。 帰国後は京都でインド料理店を営み、その店のお客としてきていたベニシアさんと知り合います。 結婚生活30年の間には、梶山さんがフランス人の愛人のもとに行って帰って来なかったということもありました。 しかし、今は視力障害のあるベニシアの毎日を支え、夫婦仲良く暮らしています。 dreamlog. html ベニシアさんと梶山さんの間に 1993年息子 悠仁(ゆうじん)さんが生まれました。 高校時代はバスケを得意とし、京都大学生時代は、学生主催のファッションショーでモデルに抜擢されています。 卒業後はベニシアさんの経営する英会話教室で講師をしたあと、「ドリーム・ホーム」という不動産会社で営業活動をしています。 結婚してお子さんもいらっしゃるということ。 ベニシアさんのハーブに囲まれる生活は、アメリカの絵本作家 ターシャ・テューダーさん似ていますね。 年齢とともに健康は損なわれていくものですから、無理をせず、これからもスローライフを楽しんでもらいたいと思います。

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