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フォード マスタングを解説、日本再導入の可能性や並行輸入車の情報も掲載

マスタング

Wikipediaより出典 1967年に発売されたシボレー カマロは常にフォード マスタングとライバル関係であり、1969年に開催されたトランスアメリカンチャンピオンシップにてフォード マスタングを破り、優勝を遂げています。 現在でも進化は続いており、最近ではモデルチェンジされ最新技術を取り入れ増々カマロという車が化物染みてきているかがわかります。 マスタングとカマロには切っても切れないライバル関係が常にあり、どちらも譲らずアメリカを代表するマッスルカーです。 マスタングとカマロを比較 マスタングとカマロどちらが優れているのか? デザインは個人差があるのでさておき、走行性能や燃費性能はどちらが優れているのか? スペックや機能を徹底的に比較していきます。 尚、どちらも同じ年式のもので、グレードはどちらも標準グレードのものとします。 マスタングはボディが少し小さく、重量が軽い分カマロより少しだけ走行性能に有利と言えます。 マスタングの水冷V型6気筒DOHCとカマロのV型6気筒DOHCはどちらが速いか気になるところです。 マスタングとカマロは永遠のライバル マスタングにカマロこれからもお互いに切っても切れないライバル関係を持ちながらも、最高のライバルとしてお互い進化を続けていくのは間違いないですし、永遠のライバル車として競い合っていくことでしょう。 スペックや加速、燃費を比較してもどれも大きな大差はなく、マスタングが加速性能と燃費性能を上回る結果に今回はなっています。 マスタングにカマロとどちらも古き良きアメリカンスポーツを代表する車で、マッスルカーやポニーカーなどと呼ばれこれからもアメリカを代表するスポーツカーとして活躍していくことでしょう。 マスタングとカマロを今度はレースで勝負させたらどういう結果になるのか楽しみです。

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マスタング

翼型やラジエーターの配置に工夫が施されたが、初期型は凡庸な性能に加え、諸事情により短期間の設計であったため複数の問題も抱えていた。 の半ばにのが開発したを搭載した後は性能が大幅に向上、それまで主力だった製のの後継機として導入が進んだ。 実戦では航続力と高高度性能を生かし(の護衛)の主力として活躍した。 また実戦配備後もパイロットの意見を取り入れた改良により完成度が高まっていった。 マスタングは様々な局面に対応できたことから最強の万能戦闘機 、史上最高のレシプロ戦闘機とも評され、アメリカ軍でも第二次世界大戦中に使用した機体で最高と評価している。 ただしマスタングが投入された時点で航続距離、高高度性能、加速性、運動性、火力のいずれにおいても同等もしくは上回る機体は存在していた。 また最高速度はレシプロ機では最高クラスであったが、既に世界初のジェット戦闘機であるが実用化されており『同世代機で最強』とされる性能はない。 しかしマスタングはこれらを一定水準で満たしながらより低コストであり、なおかつアメリカ軍が必要とした時期に登場したことが『最優秀』と云われる所以である。 航空業界では後発だったは、練習機としてアメリカ陸軍航空隊のほか数カ国に採用されたの開発により、単発機の開発能力は証明されていたものの、戦闘機の自社設計は初めてであった。 P-51の成功により躍進し、第二次世界大戦後もアメリカ軍に練習機や戦闘機を多数納品した。 開発 [ ] に第二次大戦が勃発してすぐに、イギリス及びフランス政府は共同でのに、を長とする英仏購入委員会(Anglo-French Purchasing Commission)を設立した。 この委員会は後はイギリス単独の機関となった。 セルフが抱えていた多くの仕事のなかには、のためにアメリカの戦闘機製造を組織化することも含まれていた。 この時点では、完成しているアメリカ製航空機には、の水準に達しているものは皆無だった。 P-40は要求に近かったが、工場は最大限稼働していたにもかかわらず供給は不足していた。 2月25日、セルフはノースアメリカンの社長であるに「カーチスから供与を受けてP-40を作れないか」と尋ねた。 ノースアメリカンは既にイギリス向けの練習機を生産しており、その品質はイギリス空軍でも高く評価されていた。 3月のある日の午後、キンデルバーガーは主任設計士の に相談した。 シュミュードはかねてから戦闘機設計の構想を抱いていたため、戦闘機の自社開発は出来ると答えた。 キンデルバーガーのヘンリーへの回答は、「ノースアメリカン社は、同じエンジンで、もっといい航空機を、より短い製作期間で、初飛行させることができる」というものだった。 委員会ではP-40に採用されているを4丁、ユニットコストは40000ドル以下という条件を設定 、5月29日にはノースアメリカンとイギリス空軍の間に契約が交わされた。 1940年3月から NA-73開発計画が開始された。 特徴 [ ] NA-73には以下のような特徴があった。 層流翼 [ ] F-51D 戦後名称 の胴体側面に付いた排気ガスの流れた痕跡。 翼の中程まで続いている。 翼が厚くなることによるの増大をおさえ高速時は有利となるが、特性(急激な運動時の気流の剥がれ方)が悪いので、が避けられない戦闘機にはあまり用いられない。 翼の厚みにより・・・を収納するのに充分なスペースを確保し、翼下に武装やを搭載できる強度も確保できた。 冷却 [ ] 機体下部に・ダクトを搭載したが単なるダクトではなく、 ()により推力を発生 するものである。 ダクト流入口は機体から約7cm離し、前方へ突き出す形で設置することで機体に沿ったを避けて効率化を図った。 ダクト後方はフラップとなっており、メレディス効果が発揮されない条件では閉じている。 なおを下ろすと車輪部分のカバーがダクトの前方にかかってしまうため、カバーだけを畳む機能も追加した。 ダクトの途中にあるオイルクーラー用のフラップも用意されており、高温になると開くようになっている。 冷却システムの解説図。 後方のフラップは閉じている。 生産性 [ ] 設計段階から生産効率を考慮し機体は大きく5分割して製造し、最終工程で結合するを採用。 工場では自動車の生産手法を取り入れた工程により製造期間を短縮した。 タイプ [ ] 初期型 [ ] (USAAC)は当初は全く興味を示さなかったが、後にNA-73の性能に注目した。 USAACはこの売買を禁止できる権限を有しており、最終的に、英国空軍に機体を納入する替わりに、USAACに無償で2機のNA-73を提供することで決着した(実際は形式的なものだった)。 NA-73は1940年10月26日に初飛行を行った。 計画立案から9カ月未満という、驚異的な短期間での完成だった。 全体的に操縦性は良好だった。 機体の内部構造は膨大な量の燃料を搭載できた。 NA-73は機首に2丁の、さらに2丁の12. 7 mm機関銃と4丁のを主翼に備えていたが、同時代のドイツ戦闘機のの場合、4門のと2丁のを搭載できるため、当時としては軽武装の部類に属するものだった はの3枚プロペラが採用された。 初飛行からすぐに、海面高度(海抜0m)および低高度での性能は大変高いものの高高度での性能が他のヨーロッパ機に及ばないことが判明した。 これはP-40と同じ、社製エンジンを採用したことによる。 このエンジンも英国のエンジンも機械式を装備していたが、当時既にマーリンが二段二速過給機を搭載していたのに対して依然として一段一速過給機であり、高高度の希薄な空気に十分に対応できなかった。 当時のアリソン社は(GM)の部門ともいえる新興企業であり、技術者は25名程度しかおらず、二段二速過給機の開発にまであまり手が回らないのが実情であった。 また合衆国陸軍航空隊はより(GE)にの開発を進めさせており、過給機付きエンジンにターボチャージャーを組み込んで高空性能を確保する方針だった。 アリソンは後に二段二速過給機を搭載した改良型の開発に着手し、パッカードでの二段二速過給器型マーリンとほぼ同時期に生産できるようになり、に搭載された。 また、これを搭載した試作機、XP-51Jも作られたが第二次大戦が終結したこともあり、制式採用されずに終わっている。 約610機の マスタング Mk. I(マークI)がイギリス空軍に送られ、1942年3月10日に初の出撃を行った。 航続距離が長く、低空性能に優れていたため、これらの機体は付近でのやに好適で、大活躍する。 しかし、高高度では性能低下が大きく、対戦闘機戦闘に使うつもりは無かった。 マスタング Mk. IAは、性能向上を意図して機首の機関銃を廃止し、主翼の機関銃を4門に変更したタイプで、150機が生産された。 アメリカ陸軍航空隊の後身である USAAF はマスタング Mk. IAの内57機を引き取り P-51の名称で実戦部隊に支給し、後に大多数がカメラを装備した F-6Aに改造された。 同時に、の完成が遅れていたため対地に大きな興味を示すようになったUSAAFは、 A-36 会社名NA-97 を発注した。 これは、6丁の12. 7 mm機関銃(機首に2丁、主翼に4丁)とを備え、500ポンド 230 kg 爆弾を2つ搭載するものだった。 上から撮影したA型 B型およびC型 [ ] Mk. IAやA-36が発注されたのと同じころ、の技術者やテストパイロットがマスタングを調査した。 彼らは、すばらしい機動性(などの既存の戦闘機に比べて)と膨大な燃料搭載量に感銘を受けた。 当時、ロールスはマーリンエンジンのシリーズ60の生産を開始していた。 これは、アリソン製エンジンと同程度のサイズと重量でありながら、はるかに優れたスーパーチャージング技術が適用されており、それに見合う高高度性能を発揮できるものだった。 エンジンの出力増加に対応するため、プロペラはより大型の製の4枚に変更された。 P-51の機体とマーリンエンジンの組み合わせた機体は当初 XP-78と命名されたが、程無くして P-51B・ P-51Cに変更された。 で作られた機体はB、で作られた機体はCと区別された。 この新たなバージョンは、イギリスに基地を置くアメリカ陸軍航空軍の・第9航空軍とに出撃基地をもつ第12・第15航空軍(当時イタリア南半分は既にに占領されていた)の、あわせて15の()で使用された。 IIIと呼称した。 また、偵察機型 F-6Cも存在した。 1943年末頃から、P-51が爆撃機の長距離護衛を開始したことにより、ドイツ領奥地での爆撃が可能となった。 7mm機関銃4丁という火力の低さと後方視界の悪さがイギリスのパイロットたちに不評であった。 そのため機関銃は後にD型と同じ6丁に増設された。 また後方視界改善のため、マルコム社がのキャノピーに似たセミバブル型のマスタング用キャノピーを作ると、多くのパイロットが自分たちの機体に取りつける現地改修を行っている。 ただしスピットファイアやD型に採用されたキャノピーほどの効果はないため、空気抵抗の増加で速力が落ちることを許容し、キャノピー上部にバックミラーを付ける現地改修も行われている。 C型の復座型であるTP-51C D型およびK型 [ ] 従来のアリソン製エンジンでは高高度性能が不足していることが明らかとなり様々な改良案が検討された。 中でも1942年4月にロールスロイス社が5機のMk. IAにマーリン 61を搭載した 実験機「」をテストしたところ、速度・高高度性能・航続距離は最新のイギリス製戦闘機を含め同世代機を圧倒した。 マスタング Mk. Xはアメリカ側にも引き渡され高性能を目の当たりにした関係者は正式採用を決定、調整を行った D型が誕生した。 エンジン供給問題を解決するためマーリン 66をとして製造するためのがアメリカのに売却された。 パッカードでは一段過給器型のV-1650-1が生産されていたが、パッカードでの生産のシリーズ60相当への転換に合わせV-1650-7を積んだマスタングの生産は1943年5月(C型は3ヶ月遅れて)から開始された。 D型は課題となっていた後方視界について、後部胴体を低くし、新たにで採用されていた枠の無い水滴型キャノピー(バブルキャノピー)を取りつけた。 これにより優れた全周視界を提供した。 その一方でコクピット後部の胴体断面積が減少し、の安定性が低下した。 これを改善するため、D-10でドーサルフィン(前側に設置する安定翼)が追加された。 こうした背面の設計変更は乱流の増加による速度低下をもたらした。 対策としてリベットをパテで埋め、機体表面を磨きあげる仕上げを採用した。 火力不足を補うため新たに2丁の12. 7 mm機関銃を増設し、計6丁の機関銃を主翼に装備した。 D-25(K-10)では翼下にレールを追加したことでを携行できるようになり、対地攻撃で成果を発揮した。 C型までは濃緑色のと形状からに類似しており、友軍の対空砲火に誤射されたり他機種で編成された友軍機に攻撃される事件があった。 D型でバブルキャノピーへ換装された後は、塗装をクリアにしたことでインベイジョン・ストライプ が目立ったこともあり、も無くなった。 なおイギリス空軍は濃緑と灰色の2色迷彩を採用した。 陸軍航空隊はプロペラの生産が追いつかないことを懸念し、エアロプロダクツ製のプロペラを採用した K型を発注した。 このプロペラはアルミ削り出しのブレードを採用しており、中空スチールのハミルトン製より軽かったが、振動による故障が相次いぎ生産が遅れたため、1500機製造した時点で打ち切られた。 594機はイギリス軍に引き渡され、163機は偵察型のF-6Kとなった。 D型と偵察機型 F-6Dは、シリーズ中で最も生産機数の多いタイプとなった。 この新型は1943年7月にP-51D型と命名され空軍により2500機の発注がなされ、前線への配備は1944年3月から開始されたため、同年6月6日からのにちょうど間に合った。 IVと呼称された。 ではCACによるが行われたが、配備開始は終戦後となった。 K型(F-6K-15-NT) H型 [ ] P-51のプロトタイプ NA-73は、USAAFの荷重倍数基準: 7. 33 で設計された。 強度は充分だったが、イギリス基準の荷重倍数: 5. 33Gで設計した場合よりも、かなり重くなってしまった。 USAAFとイギリス空軍の双方が、P-51を並に軽量化する計画に興味を示した。 これによって、マスタングの性能は大幅に向上すると期待された。 このためH型とプロトタイプは『"lightweight" Mustangs』とも呼ばれる。 新たに社内名NA-105と名付けられたこの機体計画において、 P-51Dを軽量化した『XP-51F』、エンジンをマーリン RM 14 SMsに変更した『XP-51G』、を搭載した『XP-51J』などがテストされた。 これらのモデルは高性能であったが、そのまま量産には至らず、実験成果がH型に生かされた。 最終生産型となったH型は新型のV-1650-9エンジンを積んでいた。 これはマーリンエンジンの改良型で、より高度なスーパーチャージャー制御機構とによって最大出力は2,000 HP(1,490 kW)に達した。 プロペラは振動問題を解決したエアロプロダクツ製の改良型が採用された。 それまでの多くの型が抱える欠点であった方向安定性を改善するため、製造途中から垂直尾翼が高くなった。 において、全てのモデルをH型によって置き換えUSAAFの標準戦闘機とすることが計画されていた。 555機が生産された時点で終戦を迎えたため、残りの1845機はキャンセルされた。 太平洋戦線から戻った機体はに回されたがほとんど使われないまま退役した。 生産数が少ないことに加え、民間に放出された機体も人気の高いD型の部品取りにされるなどしたことから現存数は少ない。 に展示されるH型 評価 [ ] 機体 [ ] 当時最先端の層流翼と徹底した空気抵抗の低減により、高速性能と航続距離を上昇させた。 当時の航空機の生産体制は個人が工房で制作していた黎明期と変化はなく、外鈑を取り付けた後に配線類を取り付けるなど非効率的な手法が当たり前だった。 キンデルバーガーはマスタングの開発前にアメリカやヨーロッパの航空機と自動車の製造工場を見学しており、より効率的な自動車生産の手法を取り入れるべきだと主張した。 キンデルバーガーの意見は設計段階から反映されることになり、性能と生産性を両立した機体となった。 機体は5分割(機首、中央、尾部、右主翼、左主翼)の設計となり、各工場で製造した部分を最終的に結合するとなっている。 主翼の中央がそのまま操縦席の床となる、を左右一体としたうえで機体ととで挟んで固定する、肉抜き穴は配線や配管類を通しやすいように配置するなど部品点数や作業量を減らす設計となっている。 製造工程においても各部分を担当する工場では配線や配管類はあらかじめ取り付けておく、は空気抵抗は少なくなるが工程が複雑となる皿頭(沈頭鋲)ではなく丸頭を採用する など、生産効率を上げるため合理的な生産手法を取り入れたことで、生産数は最大で1日に22機に達した。 操縦席は余裕があり暖房も完備されていたがマーリンエンジンは騒音が大きく、操縦席からエンジンが離れているため比較的静かなP-38から機種転換したパイロットには当初不評で 、特に上昇時にスーパーチャージャーが発する騒音は最後まで慣れない者が多かった。 製造途中に工場内を移動する際に取り付けられた臨時の木製車輪(1942年) 速度性能 [ ] 洗練された空力設計とマーリンエンジンの能力により同世代のレシプロ機としては最速クラスの最高速度を有していた。 このため一撃離脱戦法は効果的になり敵対するドイツや日本からも脅威と見なされていた。 最高速度についてはアメリカ軍が4月2日から5月10日にかけて、のミドルタウン航空兵站部 Middletown Air Depot で各国の戦闘機の試験を行った。 加速力については、1945年2月、中国戦線のにて第51戦闘航空群第26戦闘飛行隊のサミュエル・マクミラン・ジュニア少尉 のC型が日本陸軍の対空砲火で被弾、不時着し鹵獲された。 はの2名を派遣、同地にて飛行可能な状態まで修理し、3月にはベテラン操縦者である光本悦二准尉の操縦により、審査部のある多摩陸軍飛行場(現)に空輸、改めて本格的な調査が行われた。 陸軍航空審査部では同様に鹵獲していた、ドイツから輸入した、および四式戦と、加速力と全速力の比較を行っている。 高度5000mで横一列に並んだ5機は一斉に水平全速飛行を実施。 最初の数秒でトップに立ったのはFw190A-5だった。 3分後にC型がこれを追い抜き、「疾風」もFw190A-5との距離を縮めた。 5分後にストップをかけた時には、マスタングははるか彼方へ、次いで疾風とFw190A-5がほぼ同じ位置、その少し後に飛燕、さらに遅れてP-40Eという順だった。 その後、マスタングは飛行実験部戦闘隊のパイロットが搭乗し、内地の各防空飛行部隊機を相手とする巡回戦技指導に用いられたが、7月に発電機不調によって飛行不能となり、日本製部品では修復が不可能だったため放棄された。 このように最高速度・加速力共に優秀ではあったが、最高ではなかった。 航続力・高高度性能 [ ] 設計段階から航続力を重視しているため、左右の主翼付け根付近にメインタンク(それぞれ348リットル)、胴体後部に補助タンク(322リットル)を備えており、にも対応している。 ドロップタンクとの組み合わせで総容量は1851リットルとなり航続距離は3000kmに達するなど、の初期型やスピットファイアでは不可能だった長距離の護衛任務を可能とした。 敵地上空で迎撃機と戦える時間が長くなり、パイロットは心理的余裕を持って戦えた。 また時間的余裕を生かし、爆撃機から離れ対地攻撃も可能となった。 燃料はが推奨されているが、アメリカでは量質ともに不足無く供給が可能であった。 ドロップタンクは金属製の75ガロン型と110ガロン型、樹脂で強化した紙製の108ガロンに対応しているが、武装の重量もあるため通常は75ガロン型が使用された。 補助タンクは気化した燃料がキャブレターから戻る先になっていることや、残量が25ガロン以上で飛行特性が変化し40ガロン以上で機動飛行に制限が発生することから、マニュアルでは先に補助タンクの燃料を使うことが推奨されている。 マーリンエンジンはカタログスペック通り9000mでも安定した性能を発揮し、高高度を飛行するB-29に随伴することが可能となった。 また機体も高速・高高度で運動性が大きく低下しない設計であり、高速域での運動性や高高度性能が劣る日本軍機は爆撃機の迎撃において対策に苦慮した。 ドロップタンクの取り付け作業( ()所属機) 火力 [ ] 当初の12. 7mm機関銃を4丁という装備は同世代機に比べ軽武装であった。 (K-14)の命中率と合わせれば十分というパイロットもいたが 、防弾性能の高いドイツ軍機と戦う欧州戦線のパイロットの多くは火力不足と認識していた。 はに搭乗中にC型との空戦で被弾し右足を切断したが墜落を免れ帰投に成功しているなど、さほど重装甲ではない機体を仕留めきれない事例も報告されている。 また照準器を搭載すると前方視界はさほど良好ではなく、運動性の高い日本軍機を捉えられず無駄撃ちし弾切れになった事例も報告されている。 対策としてD型では12. 7mmを6丁に増設した。 内側の4丁はそれぞれ380発、外側の2丁はそれぞれ270発の弾薬を有していた。 機銃は4丁のまま弾薬を多く積むことも可能で、軽量にしたいパイロットはこちらを選択した(装弾数は同じ)。 これでも同世代機では標準的な火力であり、ドイツ軍のパイロットからは12. 7 mm機関銃を8丁装備したや、 2門と 2丁を備えたと比較し劣るという評価もある。 また日本での機銃掃射では被弾した民間人が戦後も生き残っている例があり 、対地攻撃でも機銃の威力はやや不足とされる。 翼下のには1000ポンド(453 kg)まで搭載可能で、500ポンド爆弾にも対応している。 他にもレールを介して6~10発の(HVAR)を携行でき、対地攻撃で威力を発揮した。 ただし積載量はP-47(1361kg)に比べ対大きく劣っている。 この他にも4. 5インチのロケットランチャーを3本束ねたを翼下に2門吊すことも可能であった。 総合的な火力は高い方ではないという評価が多いものの、同じ機体が無改造で爆撃機の護衛と対地攻撃を両立できることは大きな利点であった。 飛行するD型とスピットファイア 高速度における性能を重視した翼型のため失速特性が悪く、低速度域での格闘戦においては不利となる。 ドイツ軍からは低速ではスピットファイアと比べ劣ると指摘され 、運動性能を重視した日本軍機との空戦では格闘戦に持ち込まれ撃墜される事例が多く報告されている。 このためパイロットは格闘戦に巻き込まれないように速力を活かした一撃離脱戦法やなどの連携戦術を主軸とするようになり、同じエンジンを搭載しながら楕円翼形により良好な運動性を得たスピットファイアとは対照的な特性となった。 一方では戦後に複座型のTF-51Dを操縦する機会を得たが、高速で舵が効かなくなる零戦と比較し中速度域での操縦性の良さや高速でも思うように動くことを評価しており、高高度や高速時にも運動性が低下しない特徴があった。 必然的に低速となる着陸時には失速速度になる前にできるだけ滑走路に近づけ、常に余裕を持って3点着陸することが推奨されている。 中高速度域での運動性能は良好で、マニュアルでは、、、ループ、、 といった基本的なは可能である。 ただし、スナップロールはスピンするため非推奨となっている。 またの制約により背面飛行は他の米軍機と変わらず10秒以内に制限されていた。 このほかにも補助タンクの残量が25ガロン以上で飛行特性が変化し40ガロン以上で機動飛行に制限が発生することから、マニュアルでは満タンの状態で1~2時間飛行して特性の変化に慣れることが推奨されている。 タスキーギー・エアーメンに初めて配備された際にはマニュアルの確認を怠ったパイロットが墜落事故で死亡している。 基本的には満タンで離陸するのは長距離の護衛任務時であるため、この状態での機動制限は問題とされなかった。 のはでされたC型を駆り、として日本各地の本土防空飛行部隊機と模擬空戦を行ったが、黒江はこの際「味方が自信を喪失しないため性能をすべて引き出さなかった」という趣旨の発言を行なっている。 また黒江が操縦するC型と三式戦の模擬空戦では三式戦が負けているという証言があり、黒江のようなエース・パイロットであれば格闘戦でも十分に戦えたとされる。 第二次世界大戦中に主力であったパイロットは早期育成のため経験が浅く高度な技量が必要な格闘戦は難しいが、それまでボマーエスコートの主力であったP-38では事実上不可能だったことに比べ大きな進展であり、高速ながら運動性能が低いMe262に対しては格闘戦で対抗することが可能となった。 実戦 [ ] による爆撃機の護衛が必要なことは明らかだったが、当時配備されていたP-38ではドイツ軍の戦闘機に対し有効とは言いがたく、の初期型では航続距離が不足していた。 その点、マスタングはドイツへの往復飛行の全行程に渡り爆撃機の護衛が可能だった。 マスタングの登場によりP-38は対地攻撃と偵察に集中することとなった。 当初は護衛戦闘機として導入されたが後期には対地攻撃にも使用され、のような運用が行われた。 現代では装備を変更するだけで制空・護衛・対地攻撃に対応できるマスタングはの初期の例との評価もある。 度重なる改良でも基本設計に由来する欠点は解消しきれず、改良の度に別な問題が発生するという対症療法的な改造が続いたが、運用側が爆撃機の護衛と対地攻撃に任務を集中し、空戦では無線での連携を徹底することで対処した。 またP-38のような一撃離脱戦法に加え技量次第では格闘戦も可能となったことから、同じ機体を使いながら運動性能の高い機体には一撃離脱戦法、運動性能が劣る機体には格闘戦を仕掛けるという戦術が可能となった。 航続距離が長く操縦しやすいため、パイロットは心理的余裕を持って戦えたことで新人からも多くのが生まれた。 整備性が良好で生産効率が高く低価格であるため整備士や上層部など地上勤務者からの評価も高い。 マスタングのアメリカにおける評価は非常に高くアメリカ海軍のと並び「第二次大戦中の最優秀戦闘機」「最強のレシプロ戦闘機」とも評される。 実戦前に終戦を迎えたことに加え艦上機のため目撃者が限られるF8Fに対し、でも活躍したことから地上部隊からの知名度もあり、戦後には勝利の象徴として引き合いに出された。 5機の撃墜に加え、爆撃任務の成果を描いたウィリアム・B・キング中尉のB型 日本 [ ] 日本陸軍では南方に展開していた航空部隊が最初に遭遇したが、高温多湿の環境下での低空という条件では格闘戦を重視した一式戦に対抗できず多くの被害を出している。 初の撃墜は1943年11月25日に一式戦に搭乗したによるものである。 なお檜は後の空戦でマスタングに撃たれ右足を切断したが撃墜を免れ帰投に成功、本土防空戦においてによりD型を撃墜した。 1944年5月30日に1機のA型が付近で日本陸軍に鹵獲されており、こちらも試験飛行が行われている。 また敗戦間近の1945年7月15日に、第21戦闘航空群第531戦闘飛行隊のビンセント・A・グァディアーニ大尉が搭乗したD型が零戦との空戦で被弾し、千葉県葛飾郡の水田に胴体着陸し原形を良くとどめた状態で鹵獲されている。 戦闘機には旋回性能・加速力などを重要視し、個人の技量によるを得意とした日本軍の操縦者間において、純粋な格闘性能では零戦や一式戦に劣るものの、それなりの運動性能を中速度でも発揮できることに加え、圧倒的な速度と高高度性能を有するマスタングは重装甲のF6Fとならび「なかなか手強い敵機」との評判であった。 多数のマスタングを撃墜し『マスタング・キラー』と称されたなどエース・パイロットの活躍はあったものの、基本的には格闘戦を避け一撃離脱戦法に徹するため未熟なパイロットには簡単に撃墜できる相手ではなかった。 また防空部隊にとっては高高度で性能が低下する日本軍機に対し、高度の影響が少ないという厄介な相手であった。 B-29迎撃のため高度を上げすぎ運動性が低下した零戦の後ろを取ったというパイロットの証言もある。 日本軍のパイロットからは、総合的に見てC型は三式戦に勝るが五式戦ならば互角という評価がなされた。 アメリカ軍はにおいてB-29の護衛としていたが、大戦末期に組織的な迎撃が不可能になったと判断し任務を対地攻撃に切り替え、爆撃機から離れ低高度まで侵入する許可を出した。 当初は工場や鉄道などを狙っていたが、次第に漁船や家屋など徴用された可能性のある目標を攻撃し、最終的には走行中の自動車や民間人を直接するようになった。 顔が見えるほどの低空で飛来し『動く物は全て狙う』というマスタングは、絨毯爆撃を行うB-29と共に民間人にも知られた存在であった。 これらの様子は搭載されたにより記録されている。 戦後 [ ] F-51 [ ] に、(USAF)全体にわたる一新計画によって、制式名P-51(P:Pursuit airplane、追撃機)からF-51(F:Fighter、戦闘機)へと変更された。 偵察機型も同様にRF-51へと変更された。 1月8日(現地時間では1月7日の午後)、ゴドマン基地所属のトーマス・F・マンテル大尉が操縦するF-51Dがを迎撃し墜落したとされる『』が起きている。 ただし事件の概要には諸説がある。 F-51Dはの間、戦闘機としては旧式化していたものの、やとして使用された。 新型でより高速のF-51Hは、軽量化のため強度が犠牲になっていたことに加え、生産数が少なく実戦向きの補給・整備は困難とされ、使用されなかった。 当時、既にジェット戦闘機が登場していたが、滞空時間が短く、敵地上空に長居できないため、レシプロ機は重宝された。 F-51も対地攻撃に使用されたため、ペイロードの搭載量が着目され、速度性能はさほど問題にされなかった。 アメリカ空軍最後の機体は1957年に退役している。 他国での運用 [ ] 戦後余剰となった機体が西側で新設された空軍へ供与された。 採用国は、、、、、、、、、などがある。 特には1984年まで現役であった。 は鹵獲した機体を()に設置された(将兵投降捕虜を教官とし、人民解放軍初となる)航空学校()の練習機として使用していた。 供与された国の多くは短期間でジェット戦闘機に置き換えたため、大半は実戦を経験せず退役し博物館に送られた。 このため世界各地の博物館で状態の良い機体を見ることが出来る。 イギリスでは自国のエンジンを搭載し対独戦で活用した戦闘機であるため、あえてアメリカ軍機を展示している博物館もある。 実戦使用された例としてはは1948年のと1956年のに払い下げのD型を使用した。 またのでは、のF-51DとFG-1D(社製)が、のF4U-5と、レシプロ戦闘機同士の最後の空中戦を行った。 エルサルバドル空軍機はホンジュラス空軍機に撃墜され、「レシプロ戦闘機同士の空中戦における最後の敗者」という不名誉を負う事になった。 「」も参照 FJ-1 フューリー [ ] は戦後ノースアメリカン社が開発した、向の艦載ジェット戦闘機である。 これは、P-51の主翼と尾翼をそのまま流用し、胴体のみジェットエンジン搭載の新設計のものに変えた機体である。 そのため、P-51のジェット化バリエーションとも解釈でき、そのように紹介される場合もある。 開発当初は画期的とされた層流翼形式の主翼であったが、第二次世界大戦の終結後にドイツで研究されていた後退翼が採用されると、層流翼は陳腐化してしまった。 発展型のは、新設計の後退翼の採用によって素晴らしい高性能を得たが、P-51との共通部分は皆無になってしまった。 その後ノースアメリカンが開発した練習機はFJ-1の主翼を流用しており、P-51の末裔と考えることもできる。 諸元 [ ] 機体名 F-51H P-51H 乗員 1名 全長 33. 3ft 10. 15m 全幅 37ft 11. 28m 全高 13. 7ft 4. mile 3,815km 戦闘行動半径 770n. mile 1,426km 380n. は除いてある。 また、オーストラリアのの戦中ライセンス型のCA-17、戦後ライセンス型のCA-18は記載してある。 番号は上が機体番号、下が製造番号。 真ん中の 付きの機体番号は、現在の所有者などによる変更や別機体へデザインした際の機体番号であり、上の機体番号は軍配備時の機体番号である。 機体写真は、できる限り最新のものを掲載した。 また、各国wikipediaやcommons、外部に画像のないものは、その機体の愛称がある場合は機体画像検索時の手助けの為それを記した。 公開状況については基本的に飛行状態でない時を表している為、「非公開」の機体でもエアショーで地上展示される場合や、所有者との交渉次第では見学や同乗(複座型)が可能なこともある。 情報収集量の限界などがあり、全てを網羅しているわけではない。 Dowd 非公開 飛行可能 旧塗装 P-51A-10-NA 43-6178 99-22281 アメリカ フロリダ州 非公開 修理中 P-51A-10-NA 43-6251 99-22354 アメリカ カリフォルニア州 公開 飛行可能 P-51A-10-NA 43-6274 99-22377 アメリカ カリフォルニア州 公開 静態展示 P-51B-1-NA 43-12252 102-24700 アメリカ ミシガン州 ジャック・ルーシュ氏 Jack Roush 非公開 飛行可能 P-51B-10-NA 42-106638 104-25440 アメリカ ワシントン州 ジョン・T・セッションズ氏 John T Sessions 非公開 飛行可能 P-51B-15-NA 43-24760 104-25789 アメリカ カリフォルニア州 マイク・カッチス氏 Mike Coutches 非公開 保管中 P-51B-15-NA 43-24837 104-25866 アメリカ テキサス州 コマンシェ・ファイターズ Comanche Fighters 公開 飛行可能 P-51C-1-NT 42-103100 103-22537 アメリカ アイダホ州 ジョン・マスザラ氏 John Muszala 非公開 修復中 P-51C-1-NT TP-51C-1-NT 42-103293 103-22730 アメリカ マサチューセッツ州 非公開 修理中 P-51C-5-NT 42-103740 103-26294 アメリカ オクラホマ州 ブレント・ヒゼイ氏 Brent Hisey 非公開 修復中 P-51C-10-NT 42-103645 103-26199 アメリカ ミネソタ州 CAF レッドテイル・スクヮドロン 公開 飛行可能 P-51C-10-NT 42-103831 103-26385 アメリカ フロリダ州 ファンタジー・オブ・フライト 公開 飛行可能 P-51C-10-NT 43-24907 103-26538 アメリカ ノースダコタ州 公開 飛行可能 P-51C-10-NT 43-25057 103-26688 アメリカ ジョン・ポール氏 John Paul 公開 飛行可能 P-51C-10-NT 43-25147 103-26778 アメリカ ダン・フリードキン氏 Dan Friedkin 公開 飛行可能 P-51C-10-NT 44-10947 111-29080 アメリカ ヴァージニア州 公開 静態展示 44-10753 スウェーデン ビルテマ・コーポレーション Biltema Co. 公開 飛行可能 P-51D-20-NT 44-12853 111-36236 アメリカ トム・レイリー氏 Tom Reilly 非公開 修復中 P-51D-20-NT TF-51D 44-12858 121-36241 アメリカ ヴィスタ・チャーターズ有限会社 Vista Charters LLC 非公開 飛行可能 P-51D-20-NT 44-13009 111-36292 アメリカ リチャード・ノールトン氏 Richard Knowlton 非公開 保管中 P-51D-20-NT 44-13016 111-36299 ニュージーランド ワナカ ロバート・ブロウク氏 Robert Broek 非公開 飛行可能 P-51D-20-NT 44-13105 111-36388 アメリカ ビル・デスティファニ氏 Bill Destefani 非公開 飛行可能 P-51D-20-NT 44-13106 A68-648 111-36389 オーストラリア 公開 静態展示 P-51D-5-NA EF-51D キャヴァリエ Mk. II 44-13257 109-26890 アメリカ リンデア株式会社 Lindair Inc. 非公開 飛行可能 P-51D-5-NA 44-13278 109-26911 セルビア ベオグラード 非公開 保管中 P-51D-5-NA 44-13371 109-27004 アメリカ 公開 静態展示 P-51D-5-NA 44-13521 アメリカ ニューメキシコ州 スカイ・ウェスト航空社 Sky West Aviation Inc. 非公開 飛行可能 P-51D-5-NA キャヴァリエ T Mk. II 44-13571 68-15796 109-27024 アメリカ フロリダ州 公開 静態展示 P-51D-5-NA 44-13704 109-27157 アメリカ 公開 静態展示 P-51D-10-NA 44-13954 109-20587 イギリス フィリップ・S・ワーナー氏 Philip S Warner 非公開 修復中 P-51D-10-NA 44-14570 44-14237 109-21203 アメリカ 公開 静態展示 P-51D-10-NA 44-14574 109-21207 Little Zipple イギリス 東エセックス航空博物館 East Essex Aviation Museum 公開 静態展示 P-51D-10-NA 44-14985 109-21618 Millie G アメリカ トレント・レットソー氏 Trent Latshaw 公開 飛行可能 P-51D-20-NA 44-63272 122-31067 アメリカ 公開 静態展示 旧塗装 P-51D-20-NA キャヴァリエ TF-51D 44-63350 122-31145 カナダ テリー・ディエノ氏 Terry Dieno 非公開 飛行可能 P-51D-20-NA TF-51D 44-63473 122-31199 Little - ite ドイツ エアファイターアカデミー有限会社 Air Fighter Academy GmbH 公開 飛行可能 P-51D-20-NA 44-63476 122-31202 アメリカ クレイア・エイヴィエーション Claire Aviation オーナー:トム・ダフィー氏 Tom Duffy 非公開 飛行可能 P-51D-20-NA 44-63507 44-72483 122-31233 アメリカ オーナー:ジェリー・イェイゲン氏 Jerry Yagen 非公開 飛行可能 P-51D-20-NA 44-63542 122-31268 カナダ カントリ・ファミリー・LP Contri Family LP 非公開 飛行可能 P-51D-20-NA 44-63576 122-31302 アメリカ ブラックパール51有限会社 Black Pearl 51 LLC 非公開 飛行可能 P-51D-20-NA 44-63577 122-31303 アメリカ アーカンソー州 ローレンス・クラシックス有限会社 Lawrence Classics LLC 非公開 飛行可能 P-51D-20-NA 44-63607 122-31333 アメリカ 公開 飛行可能 P-51D-20-NA 44-63615 122-31341 Bunnie アメリカ 公開 静態展示 P-51D-20-NA 44-63663 122-31389 アメリカ クリストファー・ゴールズベリー・ジュニア氏 Christopher Goldsbury Jr. 非公開 飛行可能 P-51D-20-NA 44-63675 122-31401 右上側の機体 アメリカ ポール・C・エーレン氏 Paul C. Ehlen 非公開 修復中 P-51D-20-NA 44-63701 122-31427 Grim Reaper アメリカ サル・ルビノ・ジュニア氏 Sal Rubino Jr. 非公開 飛行可能 P-51D-20-NA 44-63762 122-31488 アメリカ センターライン・ホールディングス Centerline Holdings 非公開 修復中 P-51D-20-NA 44-63788 122-31514 フランス 不詳 非公開 修復中 P-51D-20-NA 44-63791 122-31517 アメリカ ブラウン・ヘリコプター Brown Helicopter 非公開 修復中 P-51D-20-NA 44-63807 122-31533 Daddy's Girl アメリカ ジョン・ヴェスリー氏 Jon Vesely 非公開 飛行可能 P-51D-20-NA 44-63810 122-31536 アメリカ ジョセフ・K・ニューサム氏 Joseph K. II 44-72990 122-39449 アメリカ 公開 静態展示 P-51D-25-NA 44-73029 122-39488 アメリカ ジェイムズ・E・べスリー氏 James E. Beasley 非公開 飛行可能 P-51D-25-NA 44-73079 122-39538 Primo Branco アメリカ リンダ・アンドレイニ氏 Linda Andreini 非公開 飛行可能 P-51D-25-NA 44-73129 122-39588 Merlin's Magic アメリカ ストゥアート・エバーハート氏 Stuart Eberhardt 非公開 飛行可能 P-51D-25-NA 44-73140 122-39599 アメリカ 公開 飛行可能 P-51D-25-NA TF-51D 44-73142 122-39601 E Pluribus Unum アメリカ ギャリー・イェルヴィントン氏 Gary Yelvington 非公開 飛行可能 P-51D-25-NA 44-73149 44-13704 122-39608 トルコ 非公開 飛行可能 P-51D-25-NA 44-73163 122-39622 アメリカ ランドール・ケンフ氏 Randall Kempf 非公開 修復中 P-51D-25-NA 44-73206 44-13586 122-39665 アメリカ ハリー・ホーム・ハニー有限会社 Hurry Home Honey LLC 非公開 飛行可能 P-51D-25-NA 44-73210 122-39669 Miracle Maker アメリカ アイク・エンス氏 Ike Enns 非公開 飛行可能 P-51D-25-NA 44-73254 122-39713 ドイツ ヴィルヘルム・ハインツ氏 Wilhelm Heinz 公開 飛行可能 P-51D-25-NA キャヴァリエ 44-73260 122-39719 アメリカ 公開 飛行可能 P-51D-25-NA 44-73264 122-39723 アメリカ 記念空軍 CAF 公開 飛行可能 P-51D-25-NA 44-73275 122-39734 Never Miss アメリカ MMC株式会社 MMC Inc 公開 飛行可能 P-51D-25-NA 44-73279 122-39738 アメリカ ロバート・ベイカー氏 Robert Baker 非公開 飛行可能 P-51D-25-NA 44-73287 122-39734 Worry Bird アメリカ マイケル・J・ジョージ氏 Michael J. Smith 非公開 飛行可能 P-51D-25-NA 44-74202 122-40742 アメリカ フォックス51有限会社 FOX51 LLC 非公開 飛行可能 P-51D-25-NA 44-74216 122-40756 アメリカ タスキギー・アメリカ空軍博物館 公開 修理待ち P-51D-25-NA キャヴァリエ 44-74229 122-40769 インドネシア インドネシア空軍本部 公開 静態展示 P-51D-25-NA 44-????? 44-13573 イギリス コスフォード館 公開 静態展示 長らく放置状態にあった機体を、の改造の際に使用されなかった部品を用いて修復した機体。 P-51D-30-NA 44-74230 122-40770 Gentleman Jim アメリカ ジャック・ルーシュ氏 Jack Rousch 非公開 飛行可能 P-51D-30-NA 44-74311 122-40851 アメリカ ケン・マックブライド氏 Ken McBride 公開 飛行可能 P-51D-30-NA 44-74389 122-40929 アメリカ ジュリア・ヴァンス氏 Julia Vance 非公開 飛行可能 旧塗装 P-51D-30-NA 44-74391 122-40931 アメリカ コマンシェ・ファイターズ Commanche Fighters 公開 飛行可能 P-51D-30-NA 44-74404 122-40944 アメリカ 公開 飛行可能 P-51D-30-NA 44-74407 122-40947 アメリカ ノースダコタ州 ノースダコタ州ヘリテージパーク 公開 静態展示 P-51D-30-NA 44-74409 44-13317 122-40949 イギリス ロンドン イギリス空軍博物館ロンドン館 公開 静態展示 P-51D-30-NA 44-74423 44-10216 122-40963 Miss Van Nuys アメリカ H・クレイ・レイシー氏 H. Clay Lacy 公開 飛行可能 P-51D-30-NA 44-74425 122-40968 アメリカ 西部航空修復有限会社 Western Aviation Maintenance Inc 非公開 飛行可能 P-51D-30-NA 44-74427 122-40967 アメリカ JCBアヴィエーション JCB Aviation 公開 飛行可能 P-51D-30-NA 44-74445 122-40985 アメリカ ポール・ベスターヴェルド氏 Paul Besterveld 非公開 飛行可能 P-51D-30-NA 44-74452 122-40992 アメリカ FTR・ESC有限会社 FTR ESC LLC 公開 飛行可能 P-51D-30-NA キャヴァリエ 44-74453 122-40993 アメリカ ロバート・バラナスカス氏 Robert Baranaskas 非公開 飛行可能 P-51D-30-NA 44-74458 122-40998 アメリカ デイヴィッド・マーコ氏 David Marco 非公開 飛行可能 P-51D-30-NA 44-74466 122-41006 アメリカ パームリー・アヴィエーション・サービスズ Parmley Aviation Services オーナー: 非公開 飛行可能 P-51D-30-NA 44-74469 122-41009 アメリカ ローレンス・クラシック有限会社 Lawrence Classics LLC 非公開 飛行可能 P-51D-30-NA 44-74474 122-41014 アメリカ ジム・ヘイジダーン氏 Jim Hagedorn 非公開 飛行可能 P-51D-30-NA 44-74483 122-41023 アメリカ ハンガー121有限会社 Hangar 121 LLC 非公開 飛行可能 P-51D-30-NA 44-74494 122-41034 Mustang Sally アメリカ メノ・パーソンズ Menno Parsons 非公開 飛行可能 P-51D-30-NA TF-51D 44-74497 122-41037 アメリカ アリエル・ルエディ氏 Ariel Luedi 公開 飛行可能 P-51D-30-NA TF-51D 44-74502 122-41042 アメリカ スタリオン51コーポレーション 非公開 飛行可能 P-51D-30-NA 44-74505 122-41045 キューバ 中央軍事革命博物館 Museo Central de la Fuerza Aerea Revolucionaria 公開 静態展示 P-51D-30-NA 44-74506 122-41046 アメリカ フレッド・テリング氏 Fred Telling 非公開 飛行可能 P-51D-30-NA 44-74524 122-41064 アメリカ ノースダコタ州 ダコタ・テリトリー航空博物館 公開 飛行可能 P-51D-30-NA 44-74536 122-41076 アメリカ ブレント・ヒジー氏 Brent Hisey 公開 飛行可能 P-51D-30-NA 44-74582 122-41122 Crusader アメリカ ジョー・ティボデュー氏 Joe Thibodeau 非公開 飛行可能 P-51D-30-NA 44-74602 122-41142 アメリカ ジャック・C・ハヴェイ氏 Jack C. Buechler 非公開 飛行可能 P-51D-30-NA TF-51D 44-74960 122-41500 アメリカ ステュアート・マクミリアン氏 Stewart McMillan 公開 修復中 P-51D-30-NA キャヴァリエ 44-74976 122-41516 アメリカ ジョセフ・R・マイケル氏 Jeffrey R. Michael 公開 飛行可能 P-51D-30-NA 44-74977 122-41517 アメリカ ダン・フォーディス氏 Dan Fordice 公開 飛行可能 44-74996 122-41536 アメリカ ホフマン航空機ホールディングス Hoffman Aircraft Holdings 公開 静態展示 P-51D-30-NA キャヴァリエ 44-75007 122-41547 Paul I アメリカ EAA博物館 公開 静態展示 P-51D-30-NA 44-75009 122-41549 Rosalie アメリカ テッド・カントリ氏 Ted Contri 非公開 飛行可能 P-51D-30-NA 44-75024 122-41564 アメリカ ニューメキシコ州 公開 静態展示 P-51D-25-NT 44-84390 124-44246 アメリカ ダグ・ドリスコール氏 Doug Driscoll 非公開 飛行可能 P-51D-25-NT 44-84615 124-44471 Blood Brother アメリカ フィル・パトリック氏 Phil Petrik 非公開 飛行可能 旧塗装 P-51D-25-NT TF-51D 44-84655 124-44511 アメリカ コリングス・ファウンデーション 公開 飛行可能 P-51D-25-NT TF-51D-25-NT キャヴァリエMk. 2 44-84658 124-44514 アメリカ ニューメキシコ州 公開 静態展示 P-51D-25-NT TF-51D 44-84669 124-44525 韓国 公開 静態展示 P-51D-25-NT TF-51D 44-84745 124-44601 アメリカ ステイリオン51コーポレーション 公開 飛行可能 P-51D-25-NT 44-84753 122-44609 アメリカ シーロス有限会社 Cielos LLC 公開 飛行可能 F-6D-25-NT P-51D-25-NT 44-84786 44-73822 124-44642 Lil' Margaret イギリス 売り出し中 公開 飛行可能 P-51D-25-NT TF-51D-25-NT 44-84801 F-338 122-44657 インドネシア ジョグジャカルタ 公開 静態展示 P-51D-25-NT TF-51D-25-NT 44-84847 122-44703 アメリカ アングリア航空機修復有限会社 Anglia Aircraft Restorations Ltd. 公開 修復中 P-51D-25-NT 44-84850 124-44706 アメリカ センターライン・ホールディングス 非公開 修復中 P-51D-25-NT TF-51D 44-84860 124-44716 アメリカ デリル・ボンド氏 Daryl Bond 非公開 飛行可能 P-51D-25-NT ETF-51D 44-84864 124-44720 アメリカ カリフォルニア州 マイク・カッチス氏 公開 飛行可能 P-51D-25-NT 44-84896 124-44752 アメリカ ブラウンヘリコプター株式会社 Brown Helicopter Inc 非公開 修復中 P-51D-25-NT TF-51D ETF-51D 44-84900 124-44756 アメリカ ネヴァダ州 ウィリアム・C・オールモン氏 William C. Allmon 非公開 飛行可能 P-51D-25-NT 44-84933 124-44789 アメリカ ダグ・マソーズ氏 Doug Matthews 非公開 飛行可能 P-51D-25-NT 44-84952 124-44808 アメリカ イントル航空サービス株式会社 Intl Air Services Inc 公開 飛行可能 P-51D-25-NT 44-84961 44-73053 122-39504 アメリカ プレーンズ・オブ・フェイム航空博物館 公開 飛行可能 P-51D-25-NT 44-84962 124-44818 アメリカ リー・シャラー氏 Lee Schaller 非公開 静態展示 P-51D-30-NT 45-11391 124-48144 アメリカ マスタング航空 2株式会社 Mustang Aero 2 Inc. 公開 飛行可能 P-51D-30-NT 45-11439 124-48192 アメリカ ランチョ・リンダ・ヴィスタ有限会社 Rancho Linda Vista LLC 公開 飛行可能 P-51D-30-NT TF-51D 45-11471 124-48224 Diamondback アメリカ マスタング高高度飛行有限会社 飛行可能 P-51D-30-NT 45-11495 124-48248 Little Rebel アメリカ ロバート・ベイカー氏 Robert Baker 非公開 飛行可能 P-51D-30-NT 45-11507 124-48260 アメリカ ファンタジー・オブ・フライト 公開 飛行可能 P-51D-30-NT キャヴァリエ 45-11525 124-48278 アメリカ ウィリアム・アンダース氏 William Anders 非公開 飛行可能 P-51D-30-NT 45-11526 124-48279 オーストラリア ジョソニPTY有限会社 JOSONI PTY LTD 非公開 飛行可能 P-51D-30-NT 45-11540 124-48293 チェコ ピーター・トゥレク氏 Peter Turek 公開 飛行可能 P-51D-30-NT 45-11553 124-48306 アメリカ 51飛行有限会社 Fiftyone Flight LLC 非公開 飛行可能 P-51D-30-NT 45-11558 124-48311 アメリカ DK・ウォーバーズ DK Warbirds 非公開 飛行可能 P-51D-30-NT キャヴァリエMk. II TF-51D 45-11559 124-48312 アメリカ ブラックパールファイターズ Black Pearl Fighters 公開 飛行可能 P-51D-30-NT 45-11559 44-11153 アメリカ アンソニー・バンタ氏 Anthony Banta 非公開 飛行可能 P-51D-30-NT 45-11571 124-48324 アメリカ アンソニー・D・アレサンドリス氏 Anthony D. Alessandris 非公開 静態展示 P-51D-30-NT 45-11582 44-72861 124-48335 アメリカ プレーンズ・オブ・フェイム航空博物館 公開 飛行可能 b旧塗装 P-51D-30-NT 45-11586 44-13551 124-48339 アメリカ リトルホース有限会社 Little Horse LLC 非公開 飛行可能 P-51D-30-NT 45-11628 124-48381 アメリカ アリゾナ州 ウィリアム・ヘイン氏 William Hane 公開 飛行可能 P-51D-30-NT 45-11633 124-48386 アメリカ ワグナーP-51コーポレーション Wagner P-51Corp 公開 飛行可能 P-51D-30-NT 45-11636 124-48389 アメリカ コロラド州 マイケル・ビンガム氏 Michael Bingham 非公開 飛行可能 P-51D-? 44-????? グアテマラ ? 公開 静態展示 P-51D-?? 44-????? F-347 インドネシア 空軍兵器博物館 公開 静態展示 かつての様子 P-51D-?? 44-????? F-354 インドネシア 公開 静態展示 P-51D-?? 44-????? インドネシア マラング空軍基地 公開 静態展示 P-51D-?? 44-72228? イスラエル 非公開 保管中 P-51D-?? 44-12126? イスラエル イスラエル空軍博物館 公開 静態展示 P-51D-?? 44-????? イスラエル イスラエル空軍博物館 公開 静態展示 P-51D-?? 44-12843? イスラエル イスラエル空軍博物館 公開 静態展示 P-51D-?? TF-51D 030 韓国 済州特別自治道 公開 静態展示 P-51H-5-NA 44-64203 アメリカ マイク・カッチス氏 非公開 修復中 P-51H-5-NA 44-64265 44-64195 126-37691 アメリカ オクターヴ・シャヌート博物館 Octoave Chanute Museum 公開 静態展示 P-51H-5-NA 44-64314 44-64551 126-37740 アメリカ スティーヴ・カッチス氏 Steve Coutches 公開 飛行可能 P-51H-5-NA 44-64375 126-37801 アメリカ P-51H有限会社 P-51H LLC 非公開 修復中 P-51H-5-NA 44-64376 126-37802 アメリカ 公開 静態展示 P-51H-5-NA 44-64415 126-37841 アメリカ イェスタデイ博物館 Yesterday Museum 公開 飛行可能 P-51H-10-NA 44-64697 126-38123 アメリカ ケン・ウィリアムズ氏、ロバート・ケンバーズ氏 Ken Williams, Robert Cambers 非公開 保管中 P-51K-5-NT 44-11807 111-29940 アメリカ フランシス・バットラー氏 Francis Butler 公開 修復中 P-51K-10-NT 44-12016 111-30149 アメリカ コマンシェ・ファイターズ Comanche Fighters 非公開 飛行可能 P-51K-10-NT 44-12116 111-30249 アメリカ 公開 静態展示 P-51K-10-NT 44-12119 111-30252 アメリカ アアドゥ・カレマ氏 Aadu Karemaa 非公開 保管中 P-51K-10-NT 44-12125 111-30258 オランダ 公開 静態展示 P-51K-10-NT 44-12126 111-30259 イスラエル イスラエル空軍博物館 公開 静態展示 P-51K-10-NT 44-12458 111-30591 中国 中国人民解放軍空軍博物館 People's Liberation Army Air force Museum 公開 静態展示 P-51K-15-NT 44-12752 F-303 111-30885 インドネシア ジャカルタ 公開 静態展示 F-6K-15-NT EP-51K-15-NT レストア後P-51D 44-12840 111-36123 アメリカ ヴァルハラ航空株式会社 Valhalla Aviation Inc. 20 A68-001 44-15757 1326 アメリカ ウィリー・サンダース氏 非公開 飛行可能 A68-1001の塗装がされている。 CA-17 Mk. 20 A68-005 1330 アメリカ Classic Flying Machine Collection Ltd. 非公開 修復中 CA-17 Mk. 20 A68-039 44-14826 1364 アメリカ エリクソン航空機コレクション 貸与元:P-51マスタング株式会社 公開 飛行可能 CA-18 Mk. 21 A68-100 44-14777 1425 アメリカ プレイン・ファン株式会社 Plane Fun Inc. 非公開 飛行可能 CA-18 Mk. 21 A68-104 1429 オーストラリア ロバート・イーストゲイト氏 Robert Eastgate 非公開 修復中 CA-18 Mk. CA-18 Mk. 21 A68-107 1432 オーストラリア コリン・ペイ氏 Colin Pay 非公開 飛行可能 CA-18 Mk. 21 A68-110 1435 オーストラリア マスタングPty株式会社 Mustang Pty Ltd. 公開 飛行可能 A68-769の塗装がされている。 CA-18 Mk. 21 A68-118 1443 オーストラリア ジェフ・トラッペット氏 Jeff Trappett 非公開 飛行可能 CA-18 Mk. 23 A68-170 1495 オーストラリア 公開 飛行可能 A68-750の塗装がされている。 CA-18 Mk. 23 A68-175 44-74950 1500 アメリカ ジェイムズ・グッドウィン氏 James Goodwin 非公開 飛行可能 44-14812号機の塗装がされている。 CA-18 Mk. 22 キャヴァリア A68-187 1512 アメリカ ルイス・エア・レジェンズ 公開 飛行可能 TF-51- CA-18 Mk. 22 A68-198 45-11483 A68-813 1523 アメリカ テキサス航空宇宙博物館 公開 飛行可能 44-15622号機の塗装がされている。 CA-18 Mk. 22 A68-199 1524 オーストラリア ピーター・ジル氏 Peter Gill 公開 飛行可能 登場作品 [ ] 詳細は「」を参照 P-51は後半の機体であるため、第二次大戦後半を題材にした作品への出演が見られる。 参考文献 [ ]• Army Air Forces 編 Pilot Manual for the P-51 Mustang Pursuit Airplane 2015年• ロバート・グリンセル 著 『P-51マスタング 世界の偉大な戦闘機 2』 河出書房新社 2000年• James A. Goodson 著 『P51ムスタング空戦記:第4戦闘航空群のエースたち』早川書房、1993年、• George Loving 著 『Woodbine Red Leader: A P-51 Mustang Ace in the Mediterranean Theater』• , 1999. 脚注 [ ] [] 注• ドイツからブラジルを経てアメリカに帰化した人物。 独学した航空機技術により航空部門のブラジル支社で頭角を現し、アメリカ移民が認められGM傘下のノースアメリカンに職を得ていた。 流入した空気がダクト内部を通過する際、高温となったエンジン冷却液と接触し空気は膨脹してから排気されるため若干のを発生し空気抵抗が相殺される。 ノースアメリカン社には効果を検証できるが無かったため理論的な予測しか出来ず、のの協力を得て大型風洞で検証しデータを収集した• 時にはエンジンスタート後にカバーを畳み、離陸後にカバーを開けて降着装置を格納、再度カバーを畳むという手順を踏むため、他の機体と比べ若干だが引き込みの時間が増えている。 また尾輪もダクトの真後ろに出るため発生した推力も抵抗となって相殺される。 マーリンへの換装を提案したのは、ロンドン駐在のアメリカ武官であったと言われる。 は「イギリスとアメリカとの友好関係をもってしても、イギリス人の間からは、本機のよき生まれを発動機によって活かしてみたいという親身の愛情と理解が生まれなかった事実もおもしろい」と評している• 当時はイギリス向けのマーリンエンジンでさえ不足しており、イギリス側からエンジン換装の申し出がなかったのは当然である。 また米国側も戦闘機用のエンジンは将来的に一本に絞る考えであり、改造機の高性能を目の当たりにするまでは、マーリンを採用する意図はなかった。 特にスピットファイアはの短さが問題点のひとつだった。 敵味方識別用の塗装。 主翼に白黒の縞模様を塗装する• アメリカの工場では電動工具が普及しているため、リベットを打った後に頭を削った方が短時間となる。 では工程の多い沈頭鋲を採用したため時間がかかっていた。 で鹵獲した所属機• 本来はオリバー・ストローブリッジ大尉の搭乗機であったが、当日はマクミラン少尉が搭乗し空戦に参加していた• マクミラン少尉は不時着後日本兵に取り囲まれとなり、上海経由で東京、北海道に転送されここでを迎え、戦後にアメリカ本国に帰還している• 試作航空兵器の審査等を行う日本陸軍の組織、輸入機や鹵獲機の飛行研究も担当• 理想は失速直前に地上1インチとされている。 一番奥の機体。 手前2つはTF-51D• 1984年に、劣化したため廃棄された「44-74008」号機のナンバーを受け継いだ。 キャヴァリエにて改修された後、軍へ復帰した際つけられたコード。 出典 [ ]• グリンセル 2000 , p48• グリンセル 2000 , p48• グリンセル 2000 , p48• Delve, Ken. The Mustang Story. , 1999. グリンセル 2000 , p4-5• 「名機マスタングについての考察」 光人社NF文庫『最強兵器入門』堀越二郎• Richard, Eddie J. Creek and Peter Petrick. On Special Missions: The Luftwaffe's Research and Experimental Squadrons 1923—1945 Air War Classics. Hersham, Surrey, UK: Classic Publications, 2004. FRANCILLON "Japanese Aircraft of the Pacific War" New Edition 1979,London, p. 236• 鈴木五郎『疾風』第二次世界大戦ブックス64 pp180-181• ・『日本軍鹵獲機秘録』、2002年、128-129頁。 グリンセル 2000 , p3• - 現存するP-51を追跡するサイト。 シリアルとを照合できる。 Titan Aircraft, 2012. Retrieved: 24 April 2012. STANDARD AIRCRAFT CHARACTERISTICS• Propeller:AEROPRODUCTS UNIMATIC C. 、Blade:No. 38m 、Area:8. CA-18 Mk. 関連項目 [ ]• - 『究極のレシプロ戦闘機』と紹介されることもある。 外部リンク [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。 - の事業を引き継いだによる紹介。 (内の一コンテンツ)•

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マスタング

もくじ ー ー ー ー ー ー ー ー ー はじめに 2015年に6代目マスタングがリリースされて3年が経過するが、今も欧州での人気は衰えを知らない。 アウディTTは7万5000台を、ポルシェ911は5万台を、マツダMX5(ロードスター)は3万5000台を欧州で販売した同じ期間に、フォードは6代目マスタングを4万台欧州へ輸出している。 フォードのスポーツカーのアイコンでもあるマスタングの販売数として、悪くない量だといえる。 そして今年、欧州での販売が始まって以来、初めてのフェイスリフトを受け、マスタングの勢いは増すばかりといったところ。 スタイリングは明らかにシャープさを増し、インテリアもアップグレード。 エンジンやサスペンションにも変更を受け、走行パフォーマンスも向上している。 その他、安全性と利便性を高める変更がいくつも追加されている。 また、欧州での販売に影響も少なくないであろう、新しいモデルバリエーションも追加された。 それが今回の主役、特別仕様となるマスタング・ブリット。 以前にも、2001年と2008年にもマスタング・ブリットは存在していた。 そもそもは、もはやマスタング・ファンにとって伝説的な映画ともいえる、ピーター・イェーツ監督の映画「ブリット」に登場した、主演のティーヴ・マックィーンにも負けない存在感を示したクルマが、ダークグリーンのマスタングだったのだ。 しかし今回のブリットは、映画ブリッドの誕生から50年を祝う特別なクルマなだけでなく、従来になく特別なクルマだと、フォードは説明する。 また、ブリッド仕様のマスタングが欧州に上陸するのは今回が初めてでもある。 このクルマがどれほどの意味を持っているのか、しっかり検証してみよう。

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