川 の 守神。 最上川

奥の細道歩き旅 新庄〜清川

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船頭さんは、操船のほかに周囲のガイド、唄の披露など乗客を飽きさせない。 かつてこの地域でNHKの「おしん」の撮影があったとき、このガイドさんもいろいろと協力したという。 休憩地を出発してしばらくすると、右岸に家が10軒以上かたまって建っているのが見えてきた。 船頭さんによると、近年まで住民が住んでいたのだが、すべて他所に移転してしまったという。 どこへ出るにも船で対岸に渡らなければならない不便さに耐え切れなくなったのかもしれない。 電気などのインフラは整っており、建物もまだ使えるので、希望者があれば格安で手に入れることができるという。 船頭さんによると、最近、70代の男性が一人でここに住みはじめたという。 「あ、船があるから、今日はおじいさん家にいますね」と船頭さんは笑いながら言った。 古口乗船所、かつての船番所跡 川沿いの国道を2時間近く歩き、ようやく古口の最上川舟下り乗船所に着いた。 12:10頃だった。 古口から清川までは両岸に山が迫り、右岸には道もない。 左岸も現在では国道47号線とJR陸羽西線が通ってはいるが、それは後世に作られたもので、それまでは古口・清川間は舟運しか行き来の手段はなかった。 古口には、江戸時代には新庄藩の船番所が置かれていた。 いわば川の関所である。 芭蕉たちはここで船を乗り換え、番所で手形の手続きをした。 かつての船番所を模した門を入ると、乗船券売り場や土産物屋などがある。 船の出発時間を見ると、次の便は12:50発で、まだ40分くらい時間があるので、ここの食堂で昼食にした。

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坂浜・若葉台・長峰の歴史地理

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縁水『龍神』のなかには、その名の通り「龍神」の分身がおわします。 「龍神」というのは、「流れ」を司る存在であり、あらゆるものを運び、動かします。 「エネルギー」や「運気」も運びますし、「神様」も運びます。 縁水『龍神』の中の「龍神」は、あなたの現在の状態や周囲の環境を調査し、縁水『龍神』の神様ネットワークから、最適な神様をみつけだし、あなたのもとに連れてくるのです。 龍神は、もともと人の目標を達成する手伝いをしてくれる存在。 そこに神様のネットワークを加えれば、きっとあなたの願いを強力に手助けしてくれるでしょう。 会社経営者や富豪、成功者の多くが「龍神」を信奉しているのもこのためです。 1,000体以上の超高位エネルギー体に繋がり、 そこから自由自在にエネルギーを展開する。 縁水『龍神』は、1,000体以上の超高位エネルギー体と繋がりを持っています。 この繋がりは、超自然シャーマンである大高氏が17年以上もの歳月をかけ、一つひとつと「縁付け(縁結び)」を行うことで紡がれてきました。 「縁付け」というのは、高位エネルギー体とのエネルギー交換によりコネクションラインを作ることで、それによって作られた水を「縁水」と呼びます。 「縁付け」は、エネルギー交換をする際に、相手と関わりの強い「水」(湖の神さまの場合はその湖の水、山の神さまの場合はその山に流れる水)と、自分の「水」(最初は自分の自宅の水)とを交換することで、繋がりを創りだします。 当然、物理的にただ水を交換しただけではエネルギーのコネクションラインとはならず、水の交換と共に、対象である高位エネルギー体の許可のもと高次元でエネルギー交換を行わなければなりません。 大高氏の「縁水」の中には、今までエネルギー交換した1,000体以上の高位エネルギー体とのコネクションラインが入っており、縁水『龍神』は、この大高氏の縁水をもとに作られています。 つまり、1,000体以上の高位エネルギー体から、目的にあわせた最適なエネルギーが常に供給されるのです。 【神威岬】北海道の西の守神。 人生における困難から開放する力。 【襟裳岬】北海道の南の守神。 風の力を持ち、いま必要としている情報が入ってくるようになる。 【納沙布岬】北海道の東の守神。 闇の中の光を捉え可能性に目覚める力。 【宗谷岬】北海道の北の守神。 北極星のエネルギーを降ろしてくれる。 【白神岬】北海道の南西の守神。 海のエネルギーを効率よく身体に取り入れてくれる、浄化。 【天塩川】北海道の北西の守神。 空からの浄化のエネルギーを降ろしてくれる。 【十勝川】北海道の南東の守神。 大地の暖かいエネルギーを引き上げてくれる。 【大雪山旭岳】北海道の自然神の中心。 北海道の全ての自然エネルギーが集まる場所、仙人のエネルギー。 【十勝岳】雷のエネルギーの自然神、ネガティブを一瞬で切り裂き、気分転換させる。 【神の子池】川のエネルギーの自然神、マイナスのエネルギーを洗い流す、最強の浄化エネルギー。 【摩周湖】水のエネルギーの自然神、心に平穏をもたらす、波風を立てない。 【知床岬】地のエネルギーの自然神、太古の土地のエネルギーが集中し、地球の歴史と繋がる。 【支笏湖】心の鏡と繋がるエネルギーの自然神、思考の静寂をもたらす力、考え過ぎや不安からの開放。 【オンネトー】色を活性させるエネルギーの自然神、世界が鮮やかに見える、色気を出す。 【フゴッペ洞窟】宇宙人のエネルギーが残る洞窟。 宇宙人からのメッセージを受け取りやすくなる。 【伏見稲荷大社】仙骨が活性するエネルギー。 エネルギーが増幅し活動範囲が広がる、仕事運アップ。 【貴船神社】心と身体を繋ぐ中にあるマイナスのエネルギーを洗い流す力。 体内水分の浄化。 【王子神社】東京の北の守神、ゆったりと見守ってくれる、安心感を与えてくれるエネルギー。 【猿田彦神社】直感が強化され、迷いを手放すことが出来るエネルギー。 【熱田神宮】運命を切り開く剣のようなエネルギーを与えてくれる。 人生のビジョンが見えるようになる。 【厳島神社】過去の恋愛による心の傷を修復、恋愛運アップ。 【平等院鳳凰堂】一つのことに囚われず、観点が広がる。 執着からの開放。 【石清水八幡宮】男性性、男らしさアップ。 【佐瑠女神社】色気、魅力アップ。 【宗像大社】女性性、女らしさアップ。 【九頭龍神社】災いを遠ざけるエネルギー。 【幣立神宮】先祖から繋がっているトラウマを解消してくれる。 本当の自分に近づく。 【天岩戸神社】闇を照らす知恵を与えてくれる。 【霧島神宮】天と地のエネルギーのバランス調整、自然との繋がり。 【サムハラ神社奥の院】天のエネルギー。 内宇宙の中心の活性化。 【天河神社】金星のエネルギーが強い、豊かさの向上。 【大神神社】自分の生きる目的の明確化、グラウンディング、健康運アップ。 【筥崎宮】折れない心、貫く精神力を与える。 【彌彦神社】心の乱れ、邪心を打ち砕くエネルギーを与える。 【十和田神社】自身の未来を見通すエネルギー。 対人運アップ。 【富士山本宮浅間神社】山のエネルギーであり、美のエネルギー。 【出雲大社】必要な仲間の引き寄せ、恋愛だけではなく、人との縁を繋ぐ。 【波上宮】時間からの開放、安心と平穏と浄化。 瞬時の変化が楽しすぎる!! シュッ、シュッ、シュッ、…… 「おおっ、すごい!」 「なんだこれ?雰囲気が変わった!」 「今、空間が一瞬で変化したよね!スッキリした」 「気持ちいい。 波動系の感性が鈍いと自称している人でさえ、 「今の私にもわかった。 ぱっと周辺が軽くなったよ。 びっくりした」と興奮状態でした。 波動系グッズは感じ方が人それぞれで、全員がわかるというものは稀です。 縁水『龍神』スプレーは、日本全国の神様や精霊から得られるエネルギーで、日本人と相性がとても良いのです。 実験的に、事前情報なくいろいろな方に体験してもらいましたが、その多くが、空間の波動の変化を感じることができました。 それも「スッキリした」「軽くなった」「明るくなった」「どんより感が消えた」など、良い方向へ変化したという感想がほとんど。 これほどの多くの人が変化を感じられる商品というのは珍しいなぁと感じています。 とにかくみなさんにもまず体験してほしい! VoiceGoodsのショールーム内に、無料で縁水『龍神』スプレーを体験できるコーナーを設置しました。 購入しなくても結構です。 瞬時に空気が変わる気持ちよい感覚を楽しんでください。 大高智幸氏は、 「アース(地球)エネルギー」 「ソース(根源)エネルギー」 遠い次元の「 (銀河の木)のエネルギー」 を扱う、全宇宙・多次元を対象にした超自然シャーマンです。 主にヒーラーやセラピストに対してのエネルギーワーク(いわゆる先生の先生)を行っています。 驚くことに、超高位なエネルギーレベルを持った精霊体や自然神に対するエネルギーワーク(精霊・自然神のエネルギー調整)を行うこともあります。 エネルギーを視覚と触覚、聴覚を通して3次元体としてとらえる大高氏のエネルギー変革メソッドは、圧倒的な効果と精密さ、持続性を誇ります。 大高氏のエネルギー変革により力をもたらされた弟子の多くが、ヒーラーやセラピストとして、自身や他者のエネルギーワークを行えるようになっています。 目や口の中に入らないように、皮膚に直接吹きかけないようにご使用ください。 至近距離で布や服に吹きかけないようにご注意ください。 本品は飲み物ではありません。 窓辺など直射日光の当たる場所や浴室や洗面所など高温多湿の場所を避けて、涼しい場所で保管してください。 開封後、1か月を目安に使い切るようにしてください。 【ソース・オブ・ライト】 (120分).

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川珈琲店(株式会社カワ)

川 の 守神

日本の養蚕は、稲作の伝来とともに始まったとされますが、特に江戸末期から昭和初期にかけて盛んでした。 国の殖産興業策にそった近代的器械製糸や養蚕技術の開発などに伴い、生糸の輸出が世界一となった最盛時には農家の40%が養蚕を行っていました。 しかし、今日では養蚕農家はなくなり、桑畑も無くなってしまいました。 この稿は、「養蚕について語る」という大それたものではなく、 神使像めぐりのなかで出合った「養蚕の記憶が残る断片的な痕跡など」を駄菓子屋の店 頭のように雑多に並べたものです。 (私のwebや本に別個の項目としてこれまでに載せた記事から、「蚕、養蚕」をテーマにピックアップして再録したものも多々あります) 下記の3稿に分けて順次アップします。 しかし、蚕は病気に弱く、餌の桑が雹害、霜害を受けてダメになり蚕を飼育できなくなるなどその時々の自然・気象災害、さらには蚕を鼠に食べられる鼠害などで、繭の収量はその年々で大きく当たりはずれがありました。 農家にとって養蚕収入の高低は生活そのものにかかわる死活問題でした。 人為を超えた養蚕の不安から、人びとはただひたすら、養蚕の神々に養蚕の無事と豊蚕を祈らざるを得ませんでした。 たくさんの神々が各地におられます。 日本での養蚕は、記紀の編纂された7世紀よりはるかに以前、稲作の伝来の頃から、行われていましたが、記紀に書かれた「蚕の起源神」の項は、養蚕が既に当時の日本にとって重要な産業になっていたことを物語っています。 記紀に載る「蚕の起源神」、 a 保食命、b 大宜都比売命、c 稚産霊命は、五穀や牛馬の起源神ともされ、養蚕神として祀られるだけでなく、食物神、農業神として、広く稲荷神社などの祭神ともされています。 食物を司る神であるウケモチは、最高のもてなしをしようと、陸に向いて米飯を、海に向いて大小の魚を、山に向いて種々の獣を、口から吐き出して、それらのご馳走をたくさんの机の上に盛り上げた。 これを見ていたツクヨミは「口から吐き出した穢いものを私に食べさせる気か」と、色をなして怒り、剣を抜いてウケモチをその場で斬り殺してしまった。 その後、天照大神が、天熊人(アマノクマヒト)を遣わすと、殺されたウケモチの頭に牛馬が生まれ、額に粟、 眉の上に蚕、目の中に稗、腹の中に稲、陰部に麦、大豆・小豆が生じていた。 アマノクマヒトはこれらを全て持ち帰ってアマテラスに献上した。 ・・・持ち帰った蚕を(アマテラスが)口内に含んで糸を抽き出した。 これが養蚕の始まりである。 右図 この話は、「養蚕秘録」にも「日本の養蚕の始まりの事」と題して載ります。 「 養蚕秘録」は兵庫県養父郡の上垣守国(うえがきもりくに)が享和2年(1802)に著した養蚕全般に亘る教書(全3巻)。 すると、オオゲツヒメは、鼻、口、尻から種々の食べものを取り出して調理して饗した。 しかし、この様子を覗き見たスサノオは「鼻、口、尻から出した、穢れた汚い食物を食べさせようとした」としてオオゲツヒメを殺してしまった。 すると、オオゲツヒメの死体の 頭に蚕、目に稲、耳に粟、鼻に小豆、陰部に麦、尻に大豆が生じた。 カミムスビノミコト(神産巣日命)はこれらをとらせて種とした。 創建は第13代成務天皇の御代(西暦140年代)とされ、三柱の祭神のうち、特に稚産霊神(わかむすびのかみ)は、頭に蚕と桑が臍(ヘソ)に五穀が生じたと日本書記に載る農蚕神です。 また、この社の縁起に、インドから伝来した「 金色姫伝説(後述)」があり、金色姫が蚕に化し、筑波山の神が繭から糸を紡ぐことを教えてくださったとされます。 さらに、角谷姫の機織り伝説や馬娘婚姻譚(おしらさま伝説)もあります。 まさに、この社は、日本の養蚕の起源であり、養蚕神信仰の中心的な拠り所だったと言えます。 養蚕秘録などの金色姫伝説 (あらすじ) 参照:養蚕秘録(国会図書館デジタル) 印度(天竺)にリンイ(霖夷)大王という王がいて、后(きさき)との間に「金色姫」という名の娘がいたが、その后が亡くなり、後添えの后をもらった。 後添えの后(継母)は、金色姫を憎み疎んじて四度も秘かに殺そうとした. 一度目(獅子):獅子など獣がいる師子吼山に捨てさせたが、獅子は金色姫を背に乗せて宮殿に送り届けた。 二度目(鷹) :鷹など猛禽類がいる鷹群山に捨てさせたが、鷹狩にきた王の家臣が見つけ、姫をひそかに宮殿に連れ帰った。 三度目(舟) :海眼山という孤島に流させたが、漁師が助けて舟で姫を都へ送り返した。 四度目(庭) :宮殿の庭に深く穴を掘って埋め殺そうとしたが、後に、地中から光が差しているのをいぶかしく思った王が、掘らせて金色姫を発見、無事救い出した。 後添えの后 後妻)の悪意を知った王は、姫の身を案じて、桑の木で造った靭(うつぼ)舟に姫を乗せて大海に流した。 この舟は日本の常陸国の豊浦の湊(現在の茨城県日立市川尻町)に流れ着き、浦人に助けられた。 浦人は、助けた姫を掌中の玉と愛したが、程なく、姫は亡くなってしまい、その霊魂は蚕になったという。 (=蚕の起源) この伝説の最後の部分(日本の豊浦に漂着以後)は、蚕影神社の案内板の「蚕影山縁起」(略記)に以下のように、書かれています。 蚕影山縁起(略記)の金色姫伝説 天国仲国の姫君は四度の受難の後、滄波万里をしのぎこの地に着き、権太夫夫妻に掌中の玉と愛された。 しかし、病に罹り終に露と消えた。 ある夜夫妻の夢に「我に食を与えよ、必ず恩返しする」と告げ、夫婦が夜明け亡がらを納めた唐櫃(からびつ)をあければ、中は小蟲ばかりで、桑の葉を与えると獅子、鷹、船、庭と四度の休眠を経て繭となった。 筑波山の神が影道仙人として現れ、繭を練り綿にして糸を取る事を教えられた、これ日本の養蚕の始めである・・ ( 右図)蚕影神社絵馬堂の奉納額絵(部分)唐櫃を開けて蚕を発見する図 注:「 蚕の起き」 蚕は、脱皮を4回繰り返して 4眠4起して 5齢になると繭を作ります。 脱皮の前には桑を食べなくなり「眠」とよばれる静止状態になり、「起きる」 脱皮する と桑を食べて成長します。 養蚕秘録に、『「蚕の4度の起き」を、一度目を「獅子」、二度目を「鷹」、三度目を「舟」、四度目を「庭」というが、これは、印度の金色姫の4度に亘る受難に因んだものである』 とあります。 蚕影山祠堂(こかげさんしどう)神奈川県川崎市多摩区枡形7-1-1川崎市立日本民家園内 養蚕信仰を今に伝えるお堂—金色姫伝説の彫刻 この建物は川崎市麻生区の東光院境内にあったもので、養蚕(ようさん)の神「蚕影山大権現(こかげさんだいごんげん)」を祭った宮殿(ぐうでん)と、その覆堂(さやどう)から成っています。 宮殿の棟札によ ると文久三年(1863)築 (以下、蚕影山祠堂前の説明版より) 中でも注目に値するのは、金色姫(こんじきひめ)伝説を表現した側面の彫刻です。 金色姫は天竺(てんじく、現在のインド)に生まれ、四度の大苦難ののち、馬鳴菩薩(めみょうぼさつ)の化身として日本に養蚕を伝えたといいます。 この 彫刻は養蚕の起源を説くもので、四度の大苦難は蚕の四回の休眠(食事をせず動かなくなる脱皮前の時期)を象徴しています。 金色姫伝説については上掲の稿をご参照ください。 「蚕影さま」の石碑で、養蚕守護や豊蚕を願ったもので、上州の蚕影信仰の一端を示しています。 金色姫伝説や欽明天皇皇女各谷姫伝説などを縁起として、広く養蚕守護の神社として信仰されていた蚕影神社(蚕影山-茨城県つくば市)を本山とするものです。 オシラサマ伝説は中国から伝来し、日本の東北地方で土着伝説にアレンジされた、蚕・養蚕の起源を語る伝説です。 オシラサマの姿は、桑の木で作った頭部(馬と娘の顔)に色とりどりの紙や布の装束をつけた、馬・娘の2体一対の人形で、特に養蚕神として信仰されています。 (下記写真参照) 伝承園・御蚕神堂 おしら堂)展示のオシラサマ 岩手県遠野市土淵町土淵6-5-1 オシラサマ伝説 中国の東晋時代(317~420年)に記された「捜神記 そうじんき 」巻14に、日本の東北地方のオシラサマ伝説と同様の「馬と娘と父と蚕の伝説」が、すでに、載っています。 これが日本に伝わって東北地方土着の筋書きの伝説とされたものでしょう。 そして、大筋は変わりませんが、オシラサマの伝説は東北地方各地でさまざまにアレンジされて伝承されています。 遠野物語のオシラサマ伝説 オシラサマ信仰について、民俗学者の柳田国男が「遠野物語」に載せています。 柳田國男の説話集「遠野物語 」(明治43年-1910-刊)の第69話に「オシラサマの誕生」が、「遠野物語拾遺」 第77段)にその後日譚として「蚕・養蚕の起源」が載っています。 なお、一般には、上記の両稿を通した一つの伝説として語られ、オシラサマは蚕・養蚕の起源神ともされ、養蚕神として信仰されています。 以下は、遠野物語のオシラサマ伝説の概要(あらすじ)です。 これに怒った父親は馬を庭の桑の木に吊るして殺してしまった。 その夜このこと知った娘は死んだ馬の首にすがって泣き悲しんだ。 この様を見た父はさらに怒って後ろから馬の首を斧で切り落とした。 すると、娘は馬の首に乗ったまま天に昇り去ってしまった。 オシラサマというのはこのとき生じた神で、馬を吊り下げた桑の枝でその神の像を作る。 (a) 父親に愛する馬を殺された娘は、その馬の皮で小舟を造り、桑の木の櫂(かい)で海に出たが、悲しみのあまり死んで、ある海岸に漂着した。 その皮舟と娘の亡骸から湧き出した虫が蚕である。 (—金色姫物語を 連想させる) (b 父親に愛する馬を殺された娘は、「自分は家を出ていくが、残った父が困らないようにしてある。 春三月の十六日の夜明けに庭の臼の中を見てください。 」と言って、娘は死んだ馬と共に天に飛び去った。 言われた日の朝、父が臼の中を見ると、馬の頭をした白い虫がわいていた。 それ(蚕)を桑の葉で育てた。 (—養蚕の始まり) 左:伝承園・御蚕神堂 おしら堂)のオシラサマ 参考 中国の「捜神記」のあらすじ 「捜神記 そうじんき 」巻14(東晋時代:317~420年)に載る話は、日本の「おしらさま伝説」の元となったとされます。 父親が旅に出て戻ってこないのを心配した娘が馬に冗談で「お前が父を連れて帰ったらお前の嫁になる」と言った。 すると馬は家を飛び出していったがやがて父親を連れて帰った。 娘を見る馬の様子がおかしいのに気付いた父親が、娘から馬との約束を聴いて、怒ってその場で馬を殺し、皮を剥いで庭に干しておいた。 庭に出た娘は「畜生の分際で私を嫁にしようなんてとんでもない」と馬の皮を蹴った。 すると、不意に馬の皮は娘を包み込んで飛び去り姿が見えなくなった。 数日後、父親は、娘と馬の皮が蚕と化して庭の桑の木の上で糸を吐いているのを発見した。 その繭からは通常の繭の数倍も糸がとれたという。 また、縦糸と横糸を織って成る織物をつくる神であることから、縁結びの神などともされています。 清浄な機屋(はたや)で神衣をつくる「機織女(はたおりめ)」(機織の神)は、美しく穢れのない、ごく限られた特別な乙女で、巫女のような神秘的な存在だったのでは。 (これらの記紀などの機織り神については、相互に、同神とされたり、別名とされていて不明確で特定できない部分も多い。 右手に糸巻を持つ織姫の像ですが、のぼり旗を織る姫?幟織で「はたおり」と読ませるのでは? 養蚕・機織りの無事を祈って奉納された像です。 ワカヒルメは機織(はたおり)の神で、高天原の清浄な機織場(斎服殿)で神衣を織っていたとき、素戔嗚(スサノオ)命が部屋に逆剥ぎの馬の皮を投げ込んだので、驚いて機(はた)から落ち、持っていた梭(ひ)が女陰(ほと)に突き刺さって亡くなった。 このとを知って天照大神は天岩戸に隠れてしまった。 天照大神の別名は大日女(おおひるめ)尊。 稚日女(わかひるめ)は天照大神(大日女)の幼名、別名などとして同一の神とする説もある。 「天羽槌雄命(あめのはづちおのみこと)をして文布(しず)を織らしめ、天棚機姫神(あめのたなばためのかみ)をして神衣(かむそ)を織らしむ」。 「文布」とは古代の織物で、「神衣」とは神の衣服。 タクハタチヂヒメは造化三神の一神であるタカミムスヒの娘で、天孫降臨の主役となるニニギノ命の母。 この女神は機織りや織物を司(つかさど)る神。 穀物・生命の神。 織機と織子の神。 また、七夕の織姫とも云われる。 ヒメは、大山祇神の娘で、大変美しく、ニニギのミコトの后となられた。 機織り・農業の神とされるほか、家庭円満・安産・子宝・水徳(火難消除・航海・漁業)の神などとされる。 養蚕守護・機織りの神仏(養蚕神)とされます。 馬鳴菩薩の像容は、馬の背に載る六臂(腕)の菩薩が、糸枠(いとわく)、糸、秤、火炎といった、養蚕に関連するものなど(図によって異なる)を手に持った姿で表示されています。 また、馬の周りに童子(脇侍)を伴っているもあります。 近江八幡市の繖(きぬがさ)山桑實寺(くわのみでら)に由来するとのこと(下掲)ですが、必ずしもはっきりしていません。 きぬがささまの像容は、「桑の枝」と「蚕の種紙(蚕卵紙)」を持つ女神姿で表現されますが、馬に乗っているものもあります。 「 蚕卵紙(さんらんし)」「 蚕種紙(さんしゅし)」とは、蚕の卵を産み付けた厚紙で、江戸中期にはすでに売買されていたようです。 孵(ふ)化すると、蚕は、稲藁を編んだ藁座(わらざ)などに移され、桑の葉で養育されました。 繖山桑實寺 滋賀県近江八幡市安土町桑実寺675 近江八幡市の繖(きぬがさ)山桑實寺(くわのみでら)が日本の養蚕の起源社とされることから「きぬがささま」を養蚕の神と崇めるようになったとされます。 全国で養蚕の神とされている絹笠(きぬがさ)さま、衣笠(きぬがさ)さまは、当社に由来するものと言われます。 (以下、「桑實寺の冊子」より) 桑實寺は、天智天王の勅願寺院として、白鳳6年の建立。 皇女が疫病に罹った際に天皇が定恵和尚に法会を営せると琵琶湖より生身の薬師如来が現れ、病も治りました。 この薬師如来を本尊として定恵和尚により開山された寺です。 桑實寺(くわのみでら)の寺名は、定恵和尚が中国より桑の木を持帰り此地において日本で最初に養蚕技術を広められた為です。 山号の繖(きぬがさ)山も、蚕が口から糸をちらしマユを懸けることにちなんだものです。 絹笠大明神 塔 : 日枝神社境内 群馬県前橋市総社町総社2408 境内に奉納された立派な方面塔の正面に絹笠さまが浮き彫りされていて養蚕守護が祈願されています。 右手に桑の枝を持ち、左手に蚕の種紙を提げています。 蓮台と台石の中台座に「絹笠大明神」と刻まれています。 きぬがささまの蚕神搭 市杵嶋(いちきしま)神社 群馬県前橋市川原町-1-406 境内に衣笠(きぬがさ)さまの蚕神塔があります。 馬に乗り、左手に桑の枝を持ち、右手に蚕の種紙(蚕卵紙)を持っています。 境内には衣笠太神の文字碑(下右の写真)もあり、この地区も養蚕が盛んだったことがしのばれます。 きぬがささまの蚕神碑 左 熊谷稲荷神社内 絹笠大神碑 群馬県前橋市総社町 総社乙1475番 右 市杵嶋神社内 衣笠(きぬがさ)太神碑群馬県前橋市川原町-1-406 絹笠神社 鷺宮・咲前神社(さきさきじんじゃ)内 群馬県安中市鷺宮3308 咲前(さきさき)神社は江戸時代には養蚕守護の社として信仰を集めました。 境内に絹笠神社を祀ります。 絹笠神社には、繭や蛇なども奉納されています。 絵馬に描かれた絹笠さまは、馬に乗っていますが、前述した日枝神社や市杵嶋神社の「きぬがささま」と同様に、桑の枝と蚕の種紙(蚕卵紙)を持っています。 養蚕に因んだ授与品なども多く、養蚕守護(ネズミ除け)のお守りとしてヘビ(長虫さま)や根古(ネコ)石もあり、蚕の起きがよくなるようにとダルマの絵馬もあります。 絹笠神社と絹笠さまの絵馬 蚕と馬 オシラサマ伝説や馬鳴菩薩、絹笠さまの像など、蚕は馬と縁があるようですが、蚕は、体の背の文様が馬の蹄跡、顔が馬の顔に似ているからともいわれます。 なお、蚕は家畜として扱われるため、馬や牛などと同様に、「一頭、二頭・・・」と数えます。 白瀧神社発祥の伝説とされ、社は桐生織物発祥の地ともされています。 白瀧姫命は、天八千々姫命 あめのやちちひめのみこと とともに織物の神として祀られています。 社の境内に姫が亡くなったとき降ってきたという「降臨石」と呼ばれる大岩があり、昔、耳を当てると、中から機を織る音が聞こえたと伝わります。 白瀧神社の養蚕・織物の神、白瀧姫は、文政の頃、養蚕や織物が盛んだった東京・八王子宿の機守(はたがみ)神社(八王子市大谷町・大善寺内)に勧請され、明治28年には日本織物㈱(後の富士紡績)が創建した「織姫神社」(桐生市織姫町)の祭神として勧請されています。 白瀧姫伝説 桓武天皇 在位 781~806 の時代に、上野国山田郡の仁田山(現在の桐生市川内町)から一人の男が都へ出て宮廷に奉仕しました。 やがて、男は、宮中で官女の白瀧姫に出合い、身分の違いを超えて、二人は互いに惹かれ合うようになりました。 御前の歌合せの席で、男が見事な和歌を披露しますと、これに感銘した天皇は、男が白瀧姫を郷里(桐生)へ連れ帰るのを許しました。 桐生で、白瀧姫は養蚕や機織の優れた技術を広く人々に伝えました。 死後、人々は姫を「機神(はたがみ)」として、白瀧神社に祀りました。 白瀧姫伝説は、全国にいろいろなバージョンのがあるようです。 『地方の「山田」という地名出身の男が、都で「白瀧姫」に出合い、「和歌」が認められて、「都から姫を郷里(山田)へ連れて帰る」ことが出来た。 』という話の筋は同じですが、養蚕・機織りに関わりのある話ではありません。 桐生の白瀧姫伝説は、「姫が養蚕・機織を伝えた」とする話が独自に織り込まれているのが特徴です。 八王子に勧請された白瀧姫 機守(ハタガミ 神社-大善寺境内:東京都八王子市大谷町1019-1 八王子は古くから養蚕や織物が盛んでした。 八王子・機守(ハタガミ)神社の機守様は、文政2年(1815)与平という老人が霊夢の中に現れた桐生・仁田山村 白瀧神社)の養蚕織物の祭神、白瀧姫を勧請したもので、以来、八王子の養蚕・織物業に携わる人々の信仰を集めてきました。 明治時代になると輸出のため近県の生糸が八王子を通り横浜に運ばれました。 この地域が故郷の大和に似ていたことから、この地にとどまり、里人に養蚕と機織りの技法を伝授したとされます。 後に年老いて小手姫は息子蜂子皇子に会う事が出来ないことに悲観して大清水の池に身を投げて亡くなりました。 里人は、悲しみ、祠を立て、機織御前と崇め祀ったと伝えられます。 この地域には、小手姫を祀る「機織神社」や「小手姫神社」などゆかりの跡地もあり、川俣中央公園には大きな「小手姫像」が丘の上にあります。 神社の氏子が養蚕の繁忙期に人手がなくて困っていたところ、神主(かんぬし)の娘がきて手際よく作業を手伝ってくれ、作業が終わると娘は白蛇と化して神社の拝殿の中へ消えていきました。 これは神社の白蛇弁財天が神主の娘に姿を変えて手伝いに来てくれたものだ、との伝説になりました。 以来、祭神を「蚕の守護神」とし祀り、「おきぬさま人形」を養蚕のお守りとしていただく「おきぬさま信仰」が広がりました。 「おきぬさま」はトウモロコシや紙垂(しで)などで神官が手作りした素朴な人形で、参拝者に頒布されたものです。 境内に「蚕守神」の祠や「養蚕やおきぬさま信仰などを現在に伝える主旨を記した碑」があり、拝殿内に「おきぬさま人形」があります。 蚕守神 石碑 おきぬさま人形(拝殿内) 蚕守神大神とおきぬさま信仰の説明碑 3 養蚕神の石像 養蚕守護や豊蚕を願って養蚕神の石像も奉納されています。 蚕守護神・猫神・蛇神(宇賀神・弁財天)像があります。 養蚕神石像(A) 女神 左:「蚕守護神」蛾 成虫)になった蚕の冠を被り右手に繭、左手に桑の枝を持つ(明治40年)。 右:十二単(じゅうにひとえ)姿で桑の枝を持つ蚕神 岩根神社 埼玉県秩父郡長瀞町井戸 修那羅峠・安宮神社 長野県東筑摩郡坂井村 養蚕神石像(B) 蚕の天敵の鼠を駆除する猫風蚕神 蚕や繭を食い荒らす鼠の天敵、「猫」も養蚕の守り神とされました。 養蚕大神と猫(養蚕大神祠) 修那羅峠・安宮神社(長野県東筑摩郡坂井村) すさまじい形相の養蚕大神(左右にネコが控える) 蚕は保食神の眉に生じたとされることから、蚕養大神の眉は蚕か 修那羅峠・安宮神社 長野県東筑摩郡坂井村 霊諍山 レイショウザン )長野県更埴市八幡-大雲寺の裏山 養蚕神石像(C) 宇賀神・弁財天 食物・農業・財福の神である宇賀神や弁財天は、稲荷神ともされていますが、両神の神使のヘビが蚕を食い荒らす鼠を退治する(食べる)とされて、養蚕守護神としても信仰されました。 また、弁財天は、竜宮の乙姫とされ機織り姫(神)ともされているようです。 村中山観音寺 神奈川県厚木市七沢 (写真の像が養蚕守護を願って奉納されたものか否かは不明) 「弁天松碑」の前に、左に宇賀神、右に蛇身弁天(享保七年) は 「養蚕の記憶」 は、本稿を含めて下記の3部作になっています。 他の稿もご覧ください。

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