略歴 [ ] 天正11年(1583年)、泉郷(現在の和泉町)の代々()に仕える譜代武士の家に生まれた。 一途な性格で早く功を挙げたいと思い、大叔父のもとで武芸を学んだ。 3年()、の近侍となり、その忠勤ぶりに信頼を寄せられた。 に参加したが、軍令に反して抜け駆けの先登をしたため家康に賞されなかった(これは、家康は丈山が寵臣であったがゆえに一層厳しく譴責したためという)。 そのため丈山は浪人となりに隠棲した。 3年()頃、知人・の勧めによってに師事し、儒学を学んだ。 文武に優れると評判になった丈山には各所から仕官の誘いが多かったものの、仕官するつもりはなかった。 しかし病気がちな母を養うために()のに仕官し、その後浅野家の転封に従って()に赴き、そこで13年ほど過ごした。 母が死去すると引退を願い出たが許されなかったため、強引に退去し京に出て、寛永13年()にの近くに睡竹堂をつくり隠棲し始めた。 さらにその後、洛北の一乗寺村(西麓)に凹凸窠()を寛永18年()に建てて終の棲家と定めた。 この時、洛東の隠者・の歌仙堂(の肖像を掲げていた)に倣って、中国歴代の詩人を36人選んで 三十六詩仙とし、に肖像を描かせて堂内2階の四方の小壁に9面ずつ掲げた。 そのため凹凸窠はの名で知られるようになった。 煎茶(おそらく団茶のたぐいであろう)に親しんだと伝えられると共に、作庭に長じたともいわれ枳殻邸(渉成園)の庭園は石川丈山の手になるものと伝えられている。 この頃、からお召しがあったが「渡らじな瀬見の小川の浅くとも老の波たつ影は恥かし」と詠んで断った。 上皇はその意を了として丈山の歌を「渡らじな瀬見の小川の浅くとも老の波そふ影は恥かし」と手直しして返したという。 清貧を旨として学問に没頭し30数年を過ごし、寛文12年(1672年)に90歳で死去した。 なお、鷹が峰の、八幡のと共に、の意を受けて京中の監視をしていたとの説もある。 など当時の文化人とも広く交流したと伝えられるが、中でも親しく交わったのが、松花堂昭乗とであり、京田辺市の(酬恩庵)の庭園は3人の合作によるとの伝えが遺されている。 学問 [ ]• 漢詩には閑適の詩が多い。 七言「」はを学ぶ初心者の練習によく用いられる。 せんかくきたりあそぶ うんがいのいただき 白 雪 神 仙 仙客來たり遊ぶ 雲外の巓 扇 二如 龍 客 しんりゅう すみおゆ どうちゅうのふち 倒 紈 栖 來 神龍 栖み老ゆ 洞中の淵 懸 一素 老 遊 ゆきはがんそのごとく けむりはえのごとし 東 煙 洞 雲 雪は紈素の如く 煙は柄の如し 海 レ如 中 外 はくせん さかしまにかかる とうかいのてん 天 柄 淵 巓 白扇 倒に懸かる 東海の天 『覆醤集』上より• 書道ではを得意とする。 ()や()などの作庭を手がけた。 著書 - 『覆醤集』(詩集)・『北山紀聞』・『詩法正義』 訳注 [ ]• 訳注『江戸詩人選集第一巻 石川丈山 』、1991年(平成3年)、復刊 2001年(平成13年)。 三十六詩仙 [ ] 丈山は選定に当たり林羅山と協議した。 詩人の特徴によって2人ずつ対になっており、堂内でもそのように掲げられている。 - - - - - - - - - - - - - - - - - - 引用文献 [ ].
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墓地・霊園 一般的に墓地は、寺院の境内にあるものでそれ以外のお墓を霊園と言います。 墓地と霊園の大きな違いには、檀家制度があります。 墓地でお墓を購入する場合は、そのお寺の檀家にならなけれればならない場合が多くあります。 檀家になることでお墓を建てる権利を得ることができますが、寺院の運営を支えていくための務めとして、お寺の様々な行事に参加したり、お寺の維持に寄付したりすることが多くあります。 このようなことから檀家になることでご自身の負担が増えるとお考えの方も多くいらっしゃいますが、檀家になることで手厚い供養を受けることができますし、交通の便が良いところが多く、墓地の場合は移動に困ることが無いなどの利点があります。 一方で、寺院に属さないお墓である霊園には大きく分けて民営霊園と公営霊園があります。 霊園は墓地とは違い、法事の際の僧侶への読経の依頼や場所の選択などは自由に行うことができますが、それらは全てご自身で手配しなければなりません。 とはいえ、霊園は宗教や宗派、国籍が不問なところが多く、費用が安いため多くの方が利用することができます。 ただし、そのようなことから応募をする方が多く、抽選になることが多いためお墓が建てられない場合もあるため注意が必要です。 納骨堂 納骨堂は、個人や家族といった様々な単位で遺骨を納めることができる納骨スペースのことです。 納骨堂は室内にあることが多く、形式はロッカー式のものや、納骨堂の建物の中に墓石を建てるものなど様々なものがあります。 納骨堂は宗教・宗派が不問のところが多く、維持費や管理費が安く設定されている場合が多いため人気がありますが、納骨できる人数には制限があり、制限を超えたり追加で埋葬する場合は新たに納骨スペースを購入する必要があります。 永代供養 永代供養は、お墓が遠方にあり、お墓参りになかなか行くことができないなどの理由から自身で維持管理していくのが難しくなった際に、寺院や霊園が代わりに管理や供養をしてくれる埋葬方法のことです。 ただし、永代と言ってもいつまでもという意味ではなく、一般的には33回忌までを期限とするところが多いようです。 とはいえ、寺院や霊園によって17回忌や50回忌などと期限は異なるため、事前にしっかり確認しておくことが大切です。 また、永代供養には主に屋内型と屋外型があり、それぞれ様々なタイプがあるため、どのタイプを選ぶかによって費用も大きく異なるので注意が必要です。 樹木葬 樹木葬とは、墓石の代わりに霊園の敷地や自然の山木や草花の下にご遺骨を埋葬する方法のことです。 樹木葬は基本的に後継ぎを必要としない永代供養で、都市・公園型やガーデニング型、里山型など様々な種類があります。 また、樹木葬はシンプルな形で遺骨を埋葬するだけの小さなスペースで済むため、一般的なお墓よりも費用を抑えることが可能です。 以上が自宅の近くにお墓を移したい場合の主な選択肢になります。 以下の記事では、石川県で人気の墓地霊園について詳しく紹介しておりますので、新しい改葬先として墓地霊園をお考えの方はぜひこちらもご覧ください。 手元供養 手元供養とは、遺骨・遺灰を自宅で保管するという供養方法のことで、自宅供養とも呼ばれています。 手元供養の保管方法は、遺骨のすべてを自宅で供養するというものと、墓地や霊園に納骨した上で遺骨の一部を自宅で保管するという2種類の方法があります。 手元供養をすることで、常に故人を身近に感じることができ、新しくお墓を建てることもないので、費用を抑えることができるなどの利点があります。 散骨 散骨とは、遺骨を粉末状にして海や山に撒くという供養方法です。 従来のように、墓石の下に埋葬するなどの方法とは異なるため、言葉通り自然に還ることができます。 散骨は、個人で行うことができますが、専門家に依頼をして合同散骨や委託散骨を行うこともできます。 こちらも散骨方法の選択によって、費用が変わりますので注意が必要です。 また、散骨をする際は後にトラブルにならないためにも事前に家族とよく相談し、理解を得ておくことが大切です。 以上が墓じまいをしたお墓を作らない場合の主な供養方法になります。 ご紹介した通り、最近ではご遺骨の供養方法にも様々な種類があります。 様々な選択肢の中から、後に後悔することのないようによくご家族と相談して新しい供養方法を考えるようにしましょう。 親族の同意を得る 墓じまいをする際は、必ずご家族の同意を得るようにしましょう。 ご家族に相談をせずに墓じまいをして、後にトラブルになるケースもあります。 お墓の継承者は自分でも、お墓は家族を象徴するものなので、一人では決めず家族の総意で決めるようにしましょう。 お墓の管理者へ伝達 ご家族からの同意を得ることができたら、現在のお墓がある寺院または霊園に墓じまいをする旨を伝えるようにしましょう。 突然墓じまいをすることを伝えると混乱を招くので、スムーズに話を進めるためにも、前もって墓地の管理者に墓じまいをする意向があることを相談しておくことが大切です。 行政手続き 墓じまいをするには、改葬許可申請をして現在のお墓がある市区町村役場から改葬許可証を発行してもらう必要があります。 改葬許可申請に必要なものは以下の4点です。 ・改葬許可申請書。 現在のお墓がある市区町村役場から入手して、必要事項を記入しておきます。 ・埋葬証明書。 現在のお墓がある墓地管理者から発行してもらいます。 ・受け入れ証明書。 新しい墓地の管理者から発行してもらいます。 ・申請者の印鑑。 以上の4点を持って、現在のお墓がある市区町村役場に提出します。 改葬許可申請が完了すれば、改葬許可証が発行されます。 お墓の解体をする石材店の決定 次に、お墓を解体する石材店を選びます。 寺院や霊園によっては指定の石材店がありますが、指定の石材店が無い場合は複数の石材店から見積もりをとってもらいましょう。 一般的な墓石の解体工事にかかる費用の相場は、約30万円です。 お墓の撤去作業 墓石の解体を依頼する石材店が決定したら、実際にお墓の撤去作業を行います。 ご遺骨を取り出したあとは、墓石を撤去するだけでなく、お墓を更地にし、お墓を建てた土地の永代使用権を返納することで墓じまいは終了です。 改葬先へご遺骨を移す 取り出したご遺骨を次の供養先へ改葬して、墓じまい・改葬は全て終了です。 以上が墓じまい・改葬の主な流れになります。 墓じまいには、時間と費用がかかりますので、余裕を持って手続きを進めるようにしましょう。 墓じまい・改葬の流れについてより詳しく知りたい方は、こちらの記事をご覧ください。 石川県での墓じまいにかかる費用は1㎡あたり約3万円~10万円。 墓じまい後の供養方法には様々な種類のものがあります。 新しくお墓を建てる場合は、墓地霊園の他に納骨堂や永代供養、樹木葬。 お墓を建てない場合は、手元供養や散骨などがあります。 墓じまいには様々な手続きがあります。 墓じまいには、多くの時間と費用がかかるため余裕を持って進めるようにしましょう。 「終活ねっと」では墓じまいの相談や代行サービスを承っています。 墓じまいに関する疑問や不安な点がある方は、いつでもお問い合わせください。 今回ご紹介した内容が少しでも墓じまいのことでお悩みの皆さんのお力になれれば幸いです。 また、「終活ねっと」では他にもお墓に関する様々な記事を多数掲載しております。 ぜひそちらもご覧ください。 最後までお読みいただきありがとうございました。 お墓を建てたいけどどうすればいいかわからない方へ... カテゴリーから記事を探す• 関連する記事•
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