こんにちは。 きゃんでぃです。 子供のころ見ていたドラマで、また見たいドラマに、「Gメン75」があります。 子供心にも、情熱みたいなものを感じて、とにかくかっこよかった。 「ドラマはTBS」と言われていた頃の、傑作の一つだったと思う。 それと、ゴールデンハーフの森マリアちゃんが、好きだったので、それも記憶に残っているのかもしれない。 ちなみに、江波さんの右後ろに立っている田口刑事役の千葉裕さん、懐かしい~と思い、ちょっと調べたら、俳優を引退して、アムウェイで成功。 今はタヒチアンノニジュースのビジネスをされて、悠々自適な生活をされているようです! 今にしてみれば、あまりに江波さんが大人すぎたので、印象に残らなかったのかも。 それはともかく、江波さんのような大人な女性って、今いますか? ちまたではハーフとか言われているようだけど、今の若い人の顔って、平均的に、凹凸感のない幼い顔の子が多いので、江波さんのような女性は、ハーフと思われるのでしょうね。 進化の過程なんでしょうけど、そのうち、目は大きくて小顔がいいとか、体毛はない方がいい、頭がいいにこしたことない、ジェンダーフリーがいい、体重も少なくない方がいい・・・って、このまま進化が進めば、漫画で描かれた宇宙人のようになるんじゃないかと、まじめに思っている。 ともかく、Gメンとはうって変って、朝の連ドラ「べっぴんさん」に出演されていますね。 そんなこんなですけど、江波杏子さんについて、ちょっとまとめました。 江波杏子の年齢と経歴と結婚 江波 杏子(えなみ きょうこ) 本名:野平 香純(のひら かすみ) 生年月日:1942年10月15日なので2017年6月時点で74歳! 出身地:東京都渋谷区千駄ヶ谷 曾祖父は、最後に沖田総司を匿った植木職人の柴田平五郎! 母の江波和子は戦前に東宝で活躍した映画女優です。 小学生の頃にキャロル・リード監督の「落ちた偶像」を観たのがきっかけで、「現実逃避的に」女優になろうと思ったり、また5歳の時母が亡くなりますが、その仕事を継ぎたい一心で中学生の頃から女優を志し、1959年に大映に入社します。 ニューフェイスのオーディション時、まだ16歳の宝仙学園高等学校在学中の高校生だった彼女は年齢を1つ上にサバを読み、母親が女優だったことは言いませんでした。 中学2年生くらいの頃には、自立して働こうと思っていました。 5歳のとき母が亡くなり、記憶はありますが、印象と言うのは、掃除道具を持たされたことぐらい。 おそらく、そのころには、自分の寿命を感じていたんだと思います。 たまたまトーク番組に出演したとき、江波さんのお母様の友達のお子さん、おそらく江波さんくらいの年の方から、生前の江波さんのお母さんとやり取りしていた手紙をたくさん送られて、その手紙で、お母さんのことを知りました。 父は、いつも家にいるような人ではなかったこともあり、早く自立をしたかったそうです。 女優になるために大映に入りますが、車の乗り方、言葉遣い、食事の仕方、マナースクールのように教わりました。 現場では、不満やできない事があっても、絶対言ってはならないと言われていたそうです。 もし不満などあったら、直接ではなく、事務所を通して言ってもらうと教育されました。 1960年「明日から大人だ」でデビュー。 芸名は、母親のかつての芸名と、室生犀星の新聞連載小説「杏っ子」に由来します。 当初はデパート・ガールや令嬢役が多かったのですが、三島由紀夫主演映画「からっ風野郎」で、三島のヒザの上に乗るキャバレーの女役を三島本人に指名された事があります。 そのことがきっかになり、色々連れて行ってもらったり、自宅へも行かれたそうです。 三島さんがあるとき、奥様の瑤子さんはチャールストンみたいな恰好で、三島さんはマントを羽織って、銀座を歩くんだそうです。 それで、「みんな、見てる?見てる?」と意識して、マントをさっと肩にかけたりして、ようするに目立ちたがり屋さんですよね。 三島さんなど、お兄さん的な人たちから、本の読み方や音楽の聞き方、映画の見方を教わりましたが、ほんとうに面白かった。 長く助演が続いたが、負傷した若尾文子に代わり主演した1966年の「女の賭場」で出演本数58本目にして初の主役の座を獲得。 17本撮影された主演作品「女賭博師シリーズ」が大ヒットします。 大映倒産後の1973年、「津軽じょんがら節」に主演してキネマ旬報主演女優賞を獲得。 Gメンの時は、暑い時は、暑~い所、寒い時は、寒~い所のロケで、シンガポールや香港に行きました。 海外ロケでゴージャスに思いますけど、予算の関係でヘアメイクや付き人がいないので、暑くてお化粧がとれちゃう。 丹波さんは、どこへも麻雀を持って歩いているので、海外の飛行場で、「なんだこれ?」と引っかかって、なかなか出てこなかった。 どこでも麻雀を丹波さんはしていました。 映画は、1台のカメラで1場面ごと作っていましたが、ドラマはずっと回しいているので、自分がどう撮られているか、わからないんだそうです。 なので、ひたすら自分のセリフを覚えて演技するだけなんだとか。 かつてドラマの番宣か何かで、何十年か前にワイドショーに出てた時、CMの途中で帰った! なぜかと言うと、「自分が出ている事は、これは、失礼だワ」と思ったからなんだとか。 今だったら、大騒ぎです。 最近になって、友人が入院をしたので、本でも持っていこうと思ったら、「スマホがあるからいいの」と言われ、江波さんも、確かにこれからは、こういうものがあった方がいいかもと思うようになったそうです。 今は、スマホにセリフを入れたりしていますが、江波さんはドラマで方言があると、未だにラジカセに入れているんだそうです。 サワコの朝の提供はパナソニックです ご結婚は、されていないと思います。 江波杏子の若い頃グラビアの画像? 1969年当時、B89・W57・H90という豊満な肢体の持ち主だったことから、写真家の間で人気の的となり1960年代から1970年代にかけてはモデルとしても披露し、グラビアでも活躍していたそうです。 こちら、です。 (画像リンクが切れていたらゴメンなさい) 引用元: まとめ 萩原健一さんと、おつきあいされていた時があったとか。 ショーケンって、良くも悪くもアーティストだと思います。 感性が鋭いというか、いしだあゆみさんといい、なんとなく好みがわかるような。 江波杏子さんが肺気腫のため死去 2018年10月27日、肺気腫(慢性閉塞性肺疾患)の急性増悪のためお亡くなりになられたそうです。 享年76歳。 10月22日 月 まで、NHKのラジオドラマの収録をしていたそうです。 11月以降から来年にかけて、いくつかのドラマのオファーも引き受けていました。 葬儀については、密葬、そして、密葬後に、皆様に報告をしてほしいという故人の遺志を尊重する考えだそうです。 これからも放送されるドラマが続きます。 心より、ご冥福をお祈り申し上げます。
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ストーリー この物語のヒロインは小原糸子(おはら いとこ)。 大正二年、大阪・岸和田の呉服商の娘として生まれました。 生まれながらにおてんばだった糸子はだんじり祭が大好き。 でもだんじりを曳くことができるのは男だけでした。 「女より男やったら人生どんなに楽しいんやろ…」そう思った糸子は「女にしか出来んことを見つけて自由に生きたい」と裁縫の道を選びます。 やがて岸和田のパッチ屋で一台のミシンと運命的な出会いを果たした糸子は、父の反対を押し切って女学校を中退。 ミシン修業を積んで、20歳のとき、夢にまで見た洋装店を開業します。 その後糸子は22歳で父の見合わせた仕立て屋の男性と結婚。 しかし三人目の子供をみごもったとき、夫は出征先で戦死し、女手ひとつで娘三人を育てることになります。 絵が得意でお嬢さん育ちの長女、だんじり好きで男勝りの次女、そしてスポーツが得意な三女。 「職場が男の戦場なら、育児はそれ以上の女の戦場です」と言ったお母ちゃんと、個性あふれる三姉妹が織りなす涙と笑いの子育て奮闘記へと展開します。 キャスト 糸子(尾野真千子) 糸子(少女時代)(二宮 星) 父 善作(小林 薫) 母 千代(麻生祐未) 祖母 ハル(正司照枝) 妹 静子(柳生みゆ) 妹 清子(坂口あずさ) 妹 光子(杉岡詩織) 祖父 清三郎(宝田 明) 祖母 貞子(十朱幸代) 叔父 正一(田中隆三) 従兄弟 勇(渡辺大知) 電器屋 木之元(甲本雅裕) 履物屋 木岡(上杉祥三) 糸子の夫 勝(駿河太郎) パッチ屋 桝谷(トミーズ雅) 高級料亭の奈津(栗山千明) 奈津(少女時代)(高須瑠香) [安岡家] 髪結い 玉枝(濱田マリ) 長男 泰蔵(須賀貴匡) 長男 泰蔵の嫁(田丸麻紀) 次男 勘助(尾上寛之) 勘助(少年時代)(吉岡竜輝) ミシン販売員 根岸(財前直見) 生地屋 店主(板尾創路 生地屋の客 ヤス子(中村美律子 紳士服店 店主/団 時朗 ダンスホールの踊り子 サエ(黒谷友香 百貨店支配人 花村(國村 隼 歌舞伎役者 春太郎(小泉孝太郎 縫い子 昌子(玄覺悠子) 縫い子 幸子(高田真衣) 縫い子 りん(大谷 澪) 縫い子 トメ(吉沢紗那) 大日本婦人会 澤田(三島ゆり子) 松田 恵(六角精児 周防龍一(綾野 剛 北村達雄(ほっしゃん。 三浦平蔵(近藤正臣 長女 優子(新山千春 次女 直子(川崎亜沙美 三女 聡子(安田美沙子 原口 猛(塚本晋也 糸子(夏木マリ) 桜井奈津(江波杏子) 理恵(東岡亜美) 里香(小島藤子) 山口孝枝(竹内都子) 水野浩二(小笹将継) 河瀬譲(河岡大次郎) 吉岡栄之助(茂山逸平) 高山守(藤間宇宙).
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