ほんのわずかな構成要素で巨大な絵画を制作したニューマンは、アメリカの抽象表現主義の先駆的存在といわれている。 鑑賞者は彼の手がかりの少ない大画面の前に立つ時、意味を読み取ろうとするよりも先に、絵画から圧倒されるような印象を受ける。 その時彼の絵画が鑑賞者にもたらす体験は、絵画の持つ特性のひとつである画面の中に描かれた形態を手がかりとした知覚ではなく、実際の空間や、時間の中で感じるような体験に訴えかけてくるものではないだろうか。 彼の絵画については既に様々な視点からの研究があり、崇高という精神的なテーマ性などによって語られるほか、フォーマリズムの批評家として権威的な存在であるクレメント・グリンバーグにより、アメリカ的モダニズムの傾向を示す代表的な絵画作品として、また、純粋絵画の好例として、「抽象表現主義以降の絵画」の中で取り上げられている。 しかし、私は主にその鑑賞体験の特異性によってニューマンの絵画は、従来のモダニズム理論の中に納まりきらないような部分をもっていたのではないかと考える。 この論を進めていく手続きとして、まず第一章で、ニューマンの絵画が抽象表現主義の中でどのような特徴を示すものであるか分析する。 《英雄にして崇高なる人》は、その242. そのニューマンの絵画を、グリーンバーグは、表象を呼び覚ます記号としてのイリュージョンが捨て去られた、純粋な視覚の芸術として評価している。 しかし、ニューマンの絵画の特性は、それだけであろうか。 一方、マイケル・フリードによって批判的に扱われるミニマル・アートは、同じように純粋性の追求によって生まれたものだが、その鑑賞には旧套的絵画の視覚体験よりも、もっと全体的な感覚を必要とする体感的なものである。 さらに、この場合に知覚される空間は絵画の枠の中ではなく、鑑賞者の立つ空間を含めた作品の外の空間である。 して第二章においては、ニューマンの絵画の構造を明らかにする。 ニューマンは、主題との関係を示す画面上の表象記号を否定していた。 そのため観者が主題として認められるような現実世界の痕跡を絵画に表わさないよう、ジップとフィールドを図でも地でもない同じ水準としている。 彼が目指したのは、絵画の空間が枠の中に広がるキュビズムやモンドリアンの絵画にはない新しい絵画の世界の発見である。 そこで、ニューマンは記号の否定によって、絵画の新しい世界を切り開こうとした。 つまり知覚の革新である。 第三章でそのニューマンの絵画がもたらす経験について考察し、その特性を明らかにする。 ニューマンは、鑑賞者がもたらす経験について絵画から遠く離れてみないことを要求するという、大きな絵画を鑑賞するような困難なシチュエーションをあえて求めている。 これはどのようなことを意図したものかといえば、画面の外が見えないほどに圧倒的な大きさの絵画を前にして鑑賞者の視界に溢れる色彩の経験を与えることを想定している。 その結果として、観者はまるで色に包み込まれたような感覚をもつのである。 前にも後ろにも、360度すべてが絵画の影響する領域となる。 鑑賞者は、視界に色が広がる時、自分は現実の地面に立ったまま、その絵画に包み込まれた空間に立っているような感覚を覚える。 これがキュビズムの絵画にはない、ニューマン独自の主題でもあり絵画における新しい知覚である。 終わりに これまでの検証により、ニューマンの絵画が知覚させるのは主題との関係を示す表象記号でも絵画の中の空間でもなく、現実の空間であることが明らかにされた。 ニューマンの単純で巨大な画面は、空間を体感させる装置として働くため、圧倒的な力を持つのである。 特に《英雄にして崇高なる人》においては意味と共存することなくその空間を感じることができる。 そしてニューマンは見る者が、かつてのような方法で彼の作品を目にしただけでは何も表象しない抽象で、彼は自分の作品によって絵画の記号が持つ表象性や、鑑賞者が読み取ろうとする習慣を打破することを求め、新しい絵画芸術の世界を切り開いた。 その際知覚される空間は絵画の枠の中ではなく、フリードが否定した鑑賞者にとって旧套的絵画の視覚体験よりも、もっと全体的な感覚を必要とする、フリードが演劇的といった体験のように絵画が絵画としてのイメージを鑑賞者の体験に訴えるものである。 しかし、ニューマンの絵画の体験を検証すると、純粋性と演劇性の関係はかけ離れたものではなかったようにもみえるのである。
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ワシントン・ナショナル・ギャラリー所蔵のバーネット・ニューマン「十字架の道行き」連作14点が信楽のMIHO MUSEUMで特別展示されるとの情報を得た時には二重の意味で驚愕した。 このような展覧会が日本で開かれることが一つ、そしてMIHO MUSEUMという会場で開かれることが一つ。 しかしいずれにも理由があった。 まずワシントン・ナショナル・ギャラリーは現在改修中のため、作品の大規模な貸し出しが可能となったようである。 そういえば先日も私は三菱一号館美術館で印象派を中心にしたこの美術館のコレクション展を見たばかりであった。 ニューマンの14点組はミュージアム・ピースと呼ぶべき作品であるから通常であれば貸出しはありえない。 (唯一の例外は作家の回顧展であろう。 私は2002年、テート・モダンで開かれたニューマンの回顧展でこの作品を見ている)このような機会に、こともあろうに日本への貸与が実現したことは奇跡のように感じられるが、これには二番目の事情、つまりMIHO MUSEUMという会場が関わっている。 この二つの美術館はいずれもI. ペイが建築を手がけており、建築がとりもつ縁でこのような展覧会が可能となったらしい。 私は以前にもMIHO MUSEUMを訪ねたことがある。 レセプションから美術館まで電気自動車で向かう行程はロスアンジェルスのゲッティ・ミュージアムを連想させ、地上から楽園へ、宗教法人でなければありえない豪奢な造りの美術館である。 しかしコレクションに現代絵画は含まれておらず、展示はガラスケースが多用されるから、果たしてニューマンの大作が映えるのだろうか。 このような懸念は会場に入るや霧消した。 ゲストキューレーターにポロック展の大島徹也氏を迎えた展示はさすがによく練られている。 展示効果は劇的といってよい。 その完成度において私は以前このブログでも論じた川村記念美術館でのロスコ展を想起した。 今述べたとおり、私はこの連作を2002年にロンドンでニューマンの回顧展でも見ている。 その際にも強い印象を受けたが、今回とは比較にならない。 これらの作品は回顧展の一部としてではなく、あくまでも独立した連作として見られるべきであろう。 それどころか展覧会全体の印象としては今回の方が強いかもしれない。 まさにモダニズム絵画の絶頂を画する作品であり、必見の展示といえよう。 「十字架の道行き Stations of the Cross」とはキリスト教美術にとって伝統的な図像の一つである。 キリストが死刑を宣告され、十字架を背負ってゴルゴダの丘まで歩み、そこで磔刑に処されるまでの物語を14の場面に分けて描くものであるが、場面が多すぎるせいか、「聖衣剥奪」といった図像が単独で描かれることはあっても連作として知られる例としてはマティスのヴァンス、ロザリオ礼拝堂の装飾プランしか思い浮かばない。 マティスの作品に関して岡崎乾二郎が「ルネサンス 経験の条件」の冒頭で詳細な分析を加えたことは記憶に新しい。 私たちはまずニューマンがここに展示された連作を長い期間にわたって制作した点に注目しなければならない。 《第一留》と《第二留》が1958年に制作された後、この連作は基本的に二年間に二点ずつというペースで制作され、1966年に最後の二点が完成された。 つまり連作の開始から完成までには8年もの時間が費やされている。 これらの連作に関して私は二つの事実を指摘しておきたい。 一つは遅さである。 14枚の作品は8年の年月をかけて制作された。 少し長くなるが、ニューマンのステートメントを引用する。 誰かが私にこれらの「十字架の道行き」をつくるように求めたのではない。 それらはどこかの教会から委嘱されたものではない。 それらは慣例的な意味における「教会」芸術ではない。 だがそれらは私が感じ理解するところの「受難」にまさにかかわっている。 そして私にとって一層重要なことは、それらが教会なしに存在しうるということである。 私はこれらの絵画を8年前に始めた。 何であれ絵画を始めるに際して私がとってきた仕方で、つまり描くことによって、自分が何か特殊なものをここで扱っていることに思い至ったのは作品を描いているさなかのことであった。 (そのとき私は4番目のものに取り組んでいた)あの瞬間、それらの絵画がもっていると感じられた強度が、私に「十字架の道行き」のことを思い起こさせたのである。 作家が述べるとおり、委嘱された仕事ではないから期限があった訳ではなかろう。 しかし今回のカタログの論文にもあるとおり、当時ニューマンは不遇の中にあった。 ほかの抽象表現主義の画家が華々しい成功を収める中で、作品は売れず、57年には最初の心臓発作が作家を襲っている。 しかし逆境の中にあっても作家は実にゆっくりとしたペースでこの連作を制作している。 上の引用にあるとおり、自分が何を扱っているかを想到したのが四番目の作品を制作している時であったというから1960年、最初の作品を描き始めてから2年後のことである。 作家自身も自分が何を描いているのか理解するまでに2年もの時間がかかったのである。 それはニューマンにとって初めての体験ではなかっただろう。 ジップ絵画、そしてこの連作は作家にとってもそれがどのような意味をもつかを確信するまでに長い時間を必要としたのである。 色彩や構図といった要素を可能な限り排除した二つの絵画は垂直のジップのみによって成立する点で共通している。 絵画が対として構想されている点が二番目の事実だ。 《第一留》と《第二留》は1958年に制作され、《第三留》と《第四留》は1960年といった具合に二年ごとに二点というペースがほぼ踏襲されている。 先にも述べたとおり、「十字架の道行き」はよく知られた物語であり、伝統的な図像である。 しばらく前に私はメル・ギブソンの「パッション」を見て、この道行きの苛酷さと凄惨さをあらためて思い知った。 もちろんニューマンの作品にはキリストはおろか具象的な対象は一切描かれていない。 色彩は白と黒に限定され、注目すべきは地塗りされないカンヴァス、いわゆるロウ・カンヴァスが導入されている点だ。 ただし今回、作品を実見して初めて気づいたが、作品中、《第十二留》(主題としてはキリストの死、クライマックスとなる箇所だ)は黒ではなくグレーが用いられている。 きわめて微妙な色調の変化なので、実物を見なければわからないし、複製をとおした場合、今回のカタログのような大図版で、あらかじめ差異を見出そうとしなければ識別することの困難な相違である。 ロウ・カンヴァスの意味については後で論じる。 もう少し子細に作品を見てみよう。 《第十四留》など面的な構成がとられた数点を除いて、垂直のジップが画面の左端と画面に向かって右四分の一あたりに貫入している。 ただしジップは時に絵具を塗り込んで、時に塗り残して実現されており、色彩の存在と不在、ポジとネガとして成立している。 画面にはニューマンとしては比較的珍しい刷毛や滴りの跡が残されているが、興味深いことには多くイメージの右側に残されているため、全体としてこの連作は左から右への方向性を帯びている。 今回の展示においても、《第一留》から《第十四留》までは展示室内で時計回りに、つまり左から右へ向かって陳列されている。 カタログで確認する限り、64年のグッゲンハイム美術館においても同じ方向性を伴って展示されていた。 時に崇高に擬されるニューマンの絵画における特殊な享受の体験はこのような直接性、そして非時間性と関わっている。 モダニズム絵画の知覚の特殊な時間性はマイケル・フリードがミニマル・アートを批判する根拠となった。 ニューマンの絵画における時間性はこれとは異なり、作家自身のテクスト「崇高はいま」にいたる豊かな問題群を形成しているが、ここで詳述することは控える。 そこでは一枚の絵画ではなく連作として一つの主題を確立することがめざされている。 この連作の主題については先にも引用したステートメントの中でニューマン自身が次のように述べている。 4枚目の絵画を制作する中で初めて得られたというこの主題はこの連作においていかに実現されているであろうか。 私の予断を述べよう。 ニューマンにおいて絵画の主題は、私たちの体験の審級を知覚から事件へと転じることによって実現されている。 通常私たちは絵画を視覚的に認知する。 絵画とは視覚的であるがゆえに、図版を介しても再現可能であり、作品に直面せずとも同じ経験が与えられるとみなされてきた。 しかしニューマンの絵画の知覚はやや異なる。 先に色彩に関して述べたとおり、一見黒に見える色彩は実見するならば濃いグレーであり、図版として再現するにはあまりにも精妙なのである。 おそらく同様の困難は例えばロスコの絵画にも認められる。 ロスコ・チャペルの深い紫の壁画は天井から差し込む自然光の効果とも相俟ってその相貌を刻々と変える。 抽象表現主義の大画面はその巨大さゆえに単純な視覚的体験に還元されない特殊な視覚を形成する。 ニューマンの大画面は観者の身体を函数として成立しており、見る者に対していわばその場限りの知覚を与える。 作家自身が鑑賞に際してなるべく作品に接近するように求めたというエピソードはこのような知覚の成立に関与している。 このような体験がミニマル・アートの作家たちに大きな示唆を与えたことに疑いの余地はない。 一度きりの視覚、再現されない視覚とは知覚ではなく事件と呼ばれるべきではないか。 さらに「十字架の道行き」においては作品のみならず、観者も事件の契機となりうる。 キリストが十字架を背にヴィア・ドロローサを歩んだように私たちも時間をかけて絵画の中を歩むのだ。 私たちが事件を体験することによって主題が実現されると言ってもよかろう。 私はワシントンを訪れたことがないので、ナショナル・ギャラリーでこれらの作品がどのように展示されているか知らない。 しかし作家の生前になされたグッゲンハイム美術館での展示の写真を確認する限り、観者は建築の構造上、《第一留》から《第十四留》までを順番にたどったはずだ。 この行程は不可逆的だ。 つまり一つの方向性とともに展示室をめぐることが作品の構造に組み込まれている。 ニューマンのジップ絵画に特徴的であった、瞬時的あるいは非時間的な知覚と、「十字架の道行き」の知覚は大きく異なる。 この点はカタログの中でも次のように指摘されている。 ニューマンは「場の感覚」の重要性について繰り返し論じている。 通常のジップ絵画において私たちが絵画によって「場の感覚」を与えられるのに対して、「十字架の道行き」においては私たち自身が「場の感覚」をつかみとらなければならない。 ジップ絵画の単数性に対して「十字架の道行き」の複数性。 最初に述べたとおり、この連作が二点ずつ対比されつつゆっくりと制作された事情はかかる問題と関わっているだろう。 両端にオレンジと黒が細く塗り込まれたこの作品も構図において特異である。 私はこの作品にニューマンがあえて「存在せよ」というタイトルを与えた点に興味をもつ。 カバラ的解釈に立つトマス・ヘスはこれをユダヤ教において創造主が被造物に発する命令であると理解する。 しかし私はこの命令は私たち観者にこそ向けられているのではないかと考える。 つまり絵画という場の中に「存在せよ」と命じられているのだ。 「十字架の道行き」において色彩が白と黒に限定されていることはすでに述べた。 このほか地塗りされないロウ・カンヴァスも作品の重要な構成要素だ。 ニューマン自身もロウ・カンヴァスが必要に迫られて導入されたと述べ、次のように続ける。 「それは数ある色彩のなかのひとつとしてではなく、(中略)私は素材それ自身を真の色彩へとつくりかえなければならなかったのである。 白い光のように、黄色い光のように、黒い光のように」ロウ・カンヴァスは色彩ならざる光として導入されたのである。 「十字架の道行き」がモノクロームと光によって描かれているとするならば、それは「教会なしの受難劇」の表象にまことにふさわしい。 ニューマンの絵画の前に立つ時、私たちを満たす圧倒的な感情については多くが論じられてきた。 「十字架の道行き」をめぐりながら、私たちは作品の主題から現実の展示まで重層的に「場の感覚」が実現されていることを知る。 本来ならば作品が設置された場でなければ体験できないかかるセンセーションをもはや《アンナの光》なき日本において体験すること、それはまさに一つの奇跡といえよう。
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当メディア MUTERIUM の画像使用は作者による許可を得ているもの、また引用画像に関しては全てWiki Art Organizationの規定に準じています。 承諾無しに当メディアから画像、動画、イラストなど 全て無断転載は禁じます。 1940年代から発展したアメリカ・ニューヨークのアート「抽象表現主義」は、今なお世界のアートシーンに大きな影響を与え続け、その画家や作品のファンは後を絶ちません。 ポロックやロスコなど抽象表現主義の画家および絵画は、現代アートのアイコン的存在として現代にも知られています。 現代のアートシーンの中心地ともいえるアメリカで、過去にはどのような美術文化が広がっていたのでしょうか。 抽象表現主義の世界、そしてその作家たちについて解説していきます。 抽象表現主義はどんなアート? 英語では「Abstract Expressionism」といわれる抽象表現主義。 巨大なキャンバスに激しい色彩と動作の形跡による感情表現と色彩の表現、また画面に中心的な存在がない「オールオーバー」な絵画として知られる美術運動です。 1945年、美術批評家のロバート・コーツによりその名が命名され、当時の週刊誌「The New Yorker」に掲載されたことをきっかけに抽象表現主義はアメリカの世間に台頭し、以降現代にもその影響は続いています。 しかし、それまでのアメリカのアートシーンはヨーロッパの傾向を追いかけていただけに過ぎず、抽象表現主義はアメリカで初めて世界的に影響を与えた美術運動となりました。 抽象表現主義の始まりは1930年代に遡り、当時のアメリカでは社会問題や政治的な関心に目を向けたリアリズム絵画が主流で、アートシーンは停滞し、ヨーロッパに影響の強かったモダニズムは歓迎されていませんでした。 現代でもアメリカでは「ソーシャリー・エンゲージド・アート」という、少数民族や経済的不平等、マイノリティなどに関わる社会問題を問いかけるアートの傾向が強いですが、このような「目的を持ったアート、意味のあるアート」はアメリカにおいてメインカルチャーになりやすいところがあります。 しかし、社会アートは社会問題に対する「言葉」に変わる「アイコン」としては強烈ですが、美術作品としての「魅力」という部分や、鑑賞者の心情に影響して「心を動かす」という点においてはどうしても劣るもの。 そんな時代のアメリカに、当時のアートの先進的な地であったヨーロッパから、伝統に固執しない自由な気風に惹かれ、また戦火から逃れるために渡米したアーティストが集い、「American Abstract Artists」というグループが結成されます。 そして、数多くのヨーロッパのアーティストたちが第二次世界大戦により移民としてニューヨークに亡命してきたことで、アメリカの中心地に先進的な思想の前衛芸術家が集い、非具象的なモダニズムのアートシーンが台頭したのです。 抽象表現主義はヨーロッパから亡命したアーティストたちが土台を作りましたが、アメリカ先住民美術の造形感覚など、アメリカの風土から由来する影響を当時の若手作家たちが受けることで、抽象表現主義はアメリカ・ニューヨークが発する最新鋭のアートとして展開しました。 そして、その陰にはアメリカ政府の諜報機関であるCIAが、冷戦の相手であったソビエト連邦に対する思想戦のために、表現と思想の自由というアメリカの文化を象徴する抽象表現主義を援助していたという、美術工作も影響しています。 このように、抽象表現主義とは大戦前後の人口移動に伴うアートシーンの場の推移、そしてアメリカの政治とが深く関わった大規模な美術運動であったということができます。 抽象表現主義を紐解くキーワード 抽象表現主義の絵画作品を紐解くためには、以下のキーワードが重要となります。 抽象(イリュージョンの廃止)• アクション• カラーフィールド• オールオーバー では、ひとつずつ解説していきましょう。 「抽象」とは 「抽象表現主義」の最大の特徴である「抽象」という要素は、モダニズムの最たる影響といえるもの。 モダニズムは20世紀のヨーロッパで、保守的、伝統的な写実主義絵画に対抗、あるいは反抗する形で生まれ、その「非具象的(アンフォルム)」な美術の傾向は現代アートにも続いています。 また、抽象表現主義はシュルレアリスムの潜在意識の世界、オートマティスム(精神自動筆記)の影響を強く受けた、精神や感情など抽象的な事象の表現ということもできます。 抽象表現主義の画家たちは単にめちゃくちゃに筆を走らせたり色を置いているだけなのではなく、元来の絵画と同じく「対象」を表現しているのです。 ただ、その表現も無意識的な動作を含み、言語化して説明のできないことがほとんどです。 アクション・ペインティング 抽象表現主義の作家であるジャクソン・ポロック、そしてウィレム・デ・クーニングの絵画に見られる概念で代表的であるものといえば、「アクション・ペインティング」という要素です。 アクション・ペインティングとは、絵筆を使用したり絵の具を用いるときに身体を使った動作が伴う画法のことで、美術批評家のハロルド・ローゼンバーグが発表した「アメリカのアクション・ペインターたち」という論文で提唱されたもの。 その名の通り「アクション」を通じて描かれることで、絵画上に残る作者の動作の軌跡、また絵の具などの素材と画家との緊張した関係が明らかになります。 アクション・ペインティングは抽象表現主義だけの特徴ではなく、日本美術では具体美術協会の作品にこの傾向が見られます。 カラーフィールド・ペインティング アクション・ペインティングとは異なり、カラーフィールド・ペインティングは筆跡や絵の具の立体感を残さず、平坦な色彩で巨大なキャンバスの画面全体を覆うもの。 その「面」は何か具体的なイメージを形作ることはなく、鑑賞者の前に圧倒的な色彩を提示し包囲するような効果を与えます。 抽象表現主義におけるアクション・ペインティング、そしてカラーフィールド・ペインティングの属性は作家が同時に保持することはなく、両者とも個別の表現方法として抽象表現主義の枠組みの中に収まるものです。 カラーフィールド・ペインティングは、ローゼンバーグと並んで抽象表現主義の美術運動をさらに活性化させた美術評論家のクレメント・グリーンバーグが使用した言葉。 バーネット・ニューマンの作品を評価し解説するために「色彩」を用いて「場」を出現させる、という意で用いられました。 グリーンバーグはまた、ローゼンバーグの提唱したアクション・ペインティングに対して、絵画を制作する「行為」よりも絵画の「形式(フォーム)」を重んじるべきとし、「フォーマリズム」という立場を推し進めました。 オールオーバー 抽象表現主義は、ヨーロッパ絵画の伝統的な手法である「イリュージョン」という、パースや色彩を用いた空間操作や立体的な描写によりそこに無いものをあたかもそこにあるように画面上を構成する絵画を廃しました。 そして抽象表現主義の絵画には「オールオーバー」と呼ばれる特徴があります。 オールオーバーといわれる画面は、静物画や肖像画のように絵画の中心となるモチーフや焦点、またパースや色彩を用いた空間描写や立体的な構成がなく、画面全体を均質的で平坦な表現で覆ったもの。 キャンバスの外まで画面が続いているかのように思わせるポロックの絵画のように、色彩をバランスよく配置する手法です。 このオールオーバーの表現をみせる抽象表現主義において、イリュージョンを否定し、絵画の本質を「キャンバスに乗った絵の具である」として捉えることは、形態や色彩の純粋さを追求するミニマルアートへと続くアメリカ現代美術の始まりであるといえるでしょう。 抽象表現主義の画家たち ここから、抽象表現主義を代表する作家を紹介していきます。 抽象表現主義の中でもアクション・ペインティングを代表するデ・クーニングやポロック、そしてカラーフィールド・ペインティングを代表するニューマンやロスコらの作品について知り、ニューヨークを世界の美術の中心地たらしめた抽象表現主義のアートについて把握しましょう。 ジャクソン・ポロック ジャクソン・ポロックは抽象表現主義の作家の中でも最も有名なアーティストの一人でしょう。 キャンバスを床に置き、上から絵筆を用いて絵の具を垂らして線を描いたり、絵の具を飛ばしたり落とすことで色彩を画面上に配置する「ポーリング」「ドリッピング」という手法をもって、抽象的でオールオーバーな画面を手がけました。 ジャクソン・ポロックは1912年にアメリカ、ワイオミング州出身で、第二次世界大戦中にヨーロッパから亡命していたシュルレアリストたちとの交流をきっかけに、シュルレアリスムの影響を受けました。 ポロックによるポーリング、ドリッピングのような間接的な手法による描画は、無意識的なイメージを汲み取るシュルレアリスムの影響を思わせます。 また美術評論家のグリーンバーグ、ローゼンバーグとの交流は深く、この両名によりポロックは世界的に有名な抽象表現主義絵画の巨頭となったといっても過言ではありません。 抽象表現主義、並びにアクション・ペインティングを代表する画家として、現在でも美術評論の題目となることの多いアーティストです。 ウィレム・デ・クーニング ウィレム・デ・クーニングは1904年にオランダのロッテルダムで生まれ、1926年にイギリス貨物線でアメリカに密航しました。 ニューヨークに滞在し、アートコミュニティーに参加し現地で活躍する作家たちと交流するなかアルメニアの画家で抽象表現主義に影響を与えたアーシル・ゴーキーに師事したといいます。 デ・クーニングの絵画はポロックとは異なり、代表的な作品は「女」というテーマとモチーフを持ったもの。 しかし荒々しくほとばしるように筆を走らせた画面は非常に抽象的であり、具象的なイメージとは裏腹に、色彩構成と幾何学的な図形を組み合わせたような画面で、鑑賞者の意識を中心的な人物の描写よりも画面外へと向かわせるような作品もみられます。 デ・クーニングの女性ポートレートシリーズはその後の新表現主義に近く、より抽象表現主義の作品として重要視するべきは1940年代後半にみられる白黒の絵画シリーズをはじめとする《無題》のシリーズです。 また、デ・クーニングの代表作《インターチェンジ》は世界で最も高額な絵画のひとつとされています バーネット・ニューマン 「崇高」な抽象表現主義絵画として知られるバーネット・ニューマンは、単色または限られた色彩を用いたカラーフィールド・ペインティングの代表的な画家です。 ニューマンは1905年、ユダヤ系移民の子としてニューヨークに生まれました。 ニューマンの絵画は「Zip」と呼ばれる細い縦の垂直線が現れた絵画が特徴であり、50年代を中心としてみられる《アブラハム》《アダムとイヴ》など旧約聖書に由来する題名の作品と合間って、その作品からはどこか教会のような、宗教的な印象を感じられます。 故に「崇高な絵画」として現代でも絶大な支持を誇りますが、グリーンバーグの推薦も虚しく生前の評価は高くありませんでした。 しかし、のちのミニマル・アートにも影響を与えた画家として、美術史上でも重要な人物として数えられています。 マーク・ロスコ マーク・ロスコは1905年にロシア帝国領のラトビアにユダヤ系ロシア人として生まれました。 高度なユダヤ教教育によりラトビア時代にも高い教養を身につけ、家族でアメリカに亡命し1925年からニューヨークのパーソンズ美術大学にて前衛芸術を学びました。 ヨーロッパの前衛芸術運動に関わり、アメリカ・モダニズムの先駆的な存在であったマックス・ウェーバーの指導のもと、ロスコは自身のスタイルを確立していきます。 バーネット・ニューマンと並んでカラーフィールド・ペインティング、また神の存在を感じさせる「崇高なる」絵画を手がけたひとりと数えられていますが、ロスコは精神的支柱であった父ヤコブの亡き後、ユダヤ教との関わりを断絶しました。 よってロスコの絵画を「崇高」と捉えるならばその表現はユダヤ教的な要素からくるものではなく、あるところで神秘主義的であるといえるでしょう。 またロスコの手がけるカラーフィールド・ペインティング以外の抽象およびシュレアル的絵画は、ロスコが傾倒したニーチェの影響も兼ねて神話的イメージやシンボルを駆使した神秘的なものとなっています。 ロスコの色彩を用いた抽象的な絵画も、スピリチュアリズムや西洋を基盤とした包括的な神話、および宗教感情を元に表現したもの。 ロスコは抽象表現主義という枠組みに加えられることを嫌いましたが、ニューマンのライバル的な抽象表現主義の作家として、その作品は現代でも絶大に支持されています。 まとめ 抽象表現主義は感情表現のアートと捉えられますが、その背景はデ・クーニングなどの身体的な勢いで描かれる作品を除いて、綿密な計画、そして宗教感情を含めたそれぞれの作家の確固たる思想の元に制作される、知的な表現です。 印象主義あたりを美術の基礎と考えていると抽象表現主義はなかなか理解しがたいものかもしれませんが、その内容を紐解けば、より精神的で高度な芸術表現であることがわかります。 抽象表現主義は1960年以降衰退していきますが、その影響はミニマリズムに継承されています。 アメリカ・ニューヨークを中心とするハイアートとしては抽象表現主義、そしてミニマルアートが代表的であり、どちらも鑑賞にある程度の学びが必要ですから、事前に知識を得ることで、より深い鑑賞が実現するでしょう。
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