39席• カウンター席あり• カップルシートあり• ソファー席あり• 夜景が見える 宴会最大人数• 35名様(着席時)• 50名様(立食時) 貸切可能人数• 15名様 ~50名様• 喫煙可(加熱式たばこ限定) フロアは全席禁煙、個室は電子タバコのみOK(喫煙スペース別途あり) バリアフリー• 外国語対応スタッフ:• 英語を話せるスタッフがいる 携帯・Wi-Fi・電源• 携帯の電波が入る( ソフトバンク 、NTT ドコモ 、au )• Wi-Fi使えます( 無料接続可 )• 電源利用可 その他の設備・サービス• 23時以降も食事ができる• 朝までオープン• 日曜営業あり• BAR併設• スポーツ観戦ができる• バンド演奏ができる• マイク利用可• プロジェクター・スクリーンあり.
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様々な情報交換会(ぐるのわ)を実施 1、復職前ぐるのわ 育児休暇中で、4月に仕事復帰する復職社員を集めて、毎年2月頃実施中。 仕事復帰に向けて、会社の育児支援制度や先輩ママ社員も知恵を得て、復職にプラスになるような、情報交換会を実施中。 2、復帰後ママぐるのわ 育児休業から復帰し、数ヶ月経ったタイミングで、復職したママ社員を集めての情報交換会を実施。 仕事復帰後の悩みや、課題を共有しながら、お互いに仕事に対する意識を高める場を提供している。 3、小1ママぐるのわ 小学校入学前の子供を持つ社員を集めて、毎年情報交流会を実施。 小学校入学後の、育児環境の変化に対応するためのノウハウを共有し、不安や悩みを払拭し、ママ社員同士のコミュニケーションの活性化を図り今後も気軽に情報交換ができる関係性を構築している。 キャリアステージに合わせた研修の実施 他企業の管理職を一同に集めての異業種合同女性管理職研修や、ライフイベントを目前に控えた女性社員向けのキャリア研修を実施中。 女性のキャリアステージに合わせた研修を実施しています。 女性視点を活かしたサービス開発の実施 食のシーンにおいてニーズの高い女性視点を取り入れることで、今まで見えなかった新しいニーズを発掘する為に、女性社員数名による、新しい企画の作成や、コンテンツリニューアルに向けてのプロジェクトを実施。 ロールモデルの育成・普及 社員各々の目指したいと思う、模範となる存在(ロールモデル)を社内イントラの中で紹介し、発信しています。 女性で営業の管理職として働く女性社員、育児と仕事の両立をしながら管理職で働く社員、地方営業所で営業として活躍する女性社員、次々に、新しい企画を生み出している女性社員などを紹介しています。 キャリア形成支援のためのオフィシャルなコミュニケーションの仕組みづくり 社内イントラに、ダイバーシティ推進グループのポータルサイトを作り、その中に、相談窓口を設置しています。 女性社員の活躍推進に向けた両立支援制度 女性社員の活躍推進に向けた両立支援制度の表 育児時短制度 復職後、小学校就学の始期に達するまでの子女がいる社員、契約社員は、育児短時間勤務制度が利用可能。 育児時差出勤制度 復職後、小学校就学の始期に達するまでの子女がいる社員、契約社員は、育児時差出勤制度が利用可能。 病児保育支援制度 病児保育利用金額を会社が一部負担。 病児保育スタッフが直接自宅にて看病と保育を行ってくれ、保育スタッフが病院に連れて行き、出向受診代行や、医師の往診の対応も可能。 6ヶ月以上4歳未満の子供持つ当社の役員・正社員・契約社員が利用可能。 ベビーシッター派遣制度 ベビーシッター利用金額を会社が負担。 業務上の都合により朝・夜などに仕事の対応が必要となった場合に、専門会社のベビーシッターを利用可能。 会社・上司が指名した役員・正社員・契約社員が利用可能。 在宅勤務制度 何かの事情でスポット的に自宅を離れることができなくなった場合に、緊急避難的に在宅での勤務を月3回まで利用可能。 育児もしくは介護のために、出社しての業務が困難になり、在宅での勤務の必要性がある社員が利用可能。 女性活躍推進の状況 2015年に、ダイバーシティ推進の部署が設立し、女性・障がい者・外国籍・LGBTなど多様な人材が、持てる能力を最大限に発揮できる様な風土づくり、活躍できる環境整備を行っています。 また、2016年4月1日施行の女性活躍推進法の制定を受け、ぐるなびでは行動計画を策定し、より男女の性差なく一人ひとりが能力を発揮し活躍できる会社を目指し、取り組んでいきます。 株式会社ぐるなびにおける女性活躍の状況は以下となります。 女性活躍推進の状況の表 採用した労働者に占める女性労働者の割合 41.
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私の母親はもともとキャビン・アテンダント(CA)だったんですけど、結婚して辞めて普通の主婦として家で生活してたんです。 そこにCA時代の先輩から、山形で仕事をするから一緒にやってみないかという連絡が来たんです。 私が小学校5年生のころでした。 母は日本語も全然知らない状態だったんですけど、「日本で始めてみよう」と言って最初は1人で山形に行ったんです。 1990年代だったからちょうどバブルの時代で。 仕事は、温泉が出ないホテルに温泉が出てるホテルからお湯を引く仲介をする、というものでした。 通訳が必要だった最初はとても大変だったんですけど、頑張って乗り越えて生活できるようになって。 それで私も日本に行くことになりました。 今はずっと日本にいなくても会社が回るようになったんです。 日本に来る前、私は韓国でいじめられてたんですよ。 日本語のイジメって韓国でもそのままイジメって言うんですけど、小学校時代にイジメに遭って。 その理由が、母がCAだったので海外に行く機会が多かったことだったんです。 1990年代に子供たちがヨーロッパに行くっていうのはあまりなかったんで、「冬休みに何をしたか」という発表で「ヨーロッパの7カ国に行った」って言ったら、そこからいじめられたんです。 結構いじめられてたんで学校が嫌で、そのとき母が「一緒に日本に行かないか」ってタイミングよく言ってくれたんです。 私は「ここから抜け出せる」と思ってとにかく嬉しくて。 それで日本に来てすごく幸せだったんです。 学校の先生も優しいし友達も優しいし。 韓国は教育が厳しくて、宿題してこなかったり、テストで100点満点のうち70点から80点とっても、間違えた分だけ叩かれてたんです。 今は違うと思うんですけど。 そういう罰がすごく嫌だったんです。 ところが日本では宿題してなくて「どうしよう」と焦ってたら、先生が「次はちゃんとしてきてね」って笑顔でおっしゃって。 「なんていい人なんだろう。 この国最高! 」って(笑)。 でも高校に進むと確かに差別がありました。 そういう先生もいて。 社会の時間に日本と韓国の戦争の話をするじゃないですか。 日本の教科書では日本がいいで書かれてるし、韓国では逆に書いてあるし。 そうしたら先生が「ソヒョン、ちょっと立って」って。 それで「この戦争をどう思うんだ」って言われたんですよ。 私は何を答えればいいか分からなくて、私は韓国人だから韓国の考え方を言ったら、そこから先生のイジメが始まりました。 「竹島はどこの国のものだ」なんて質問されましたし、でもそういうのって永遠に終わらない問題だし。 今思えば40代の先生が高校生をみんなの前で立たせてそういう質問するなんて、本当にひどいと思うんです。 もちろんみんながそうじゃなくて、その先生の人柄だったんだと思うんですけど、私の上に立ちたかったんでしょうね。 あれは一生忘れられないです。 今となっては思い出ですけどね。 生徒の中でも差別とかはあって「韓国に帰れ」とか言ってくる人もいたんですよ。 でも私、結構性格が強いんで、「私は帰らないよ。 帰るんだったらお前が家に帰れ」って怒ったりしてました(笑)。 それで日本で高校を卒業して、私は日本の大学に進学してずっと日本で暮らすんだと思ってたんです。 日本に慣れてたんで。 でも、母は自分が結婚で辞めなければいけなかったCAにずっと悔いが残ってて、娘たちにもCAになってほしいという願いが強かったんですよ。 それで私は韓国の大学に行ってCAになることにしました。 韓国の受験って結構厳しいんですけど、私は日本で6年間住んでたから永住権が降りてて、日本の永住者は日本語の資格を持っているかどうかと面接と、それからテストっていう感じなんですね。 普通の受験よりは少しはよくて、姉と同じ大学に入ったんです。 それでCAになることができたんですけど、姉も先にCAになっていたので、姉妹が揃うというのは珍しくて、会社でも注目というか、必ず誰々の妹という形で言われてましたね。 勤務は一番最初、国内線から始まるんです。 それから英語の試験を受けて、資格を取ってすぐ国際線に乗ってました。 そうしたら国際線のCAのキャプテンがたぶん推薦してくださったと思うんですけど、急に面接を受けることになって、大統領専用機に乗ることになったんです。 仕事をとるか、恋人をとるか…鄭大世との出会い 大世さんと出会ったのは……私は韓国で普通にCAの生活をしてて、休みは月に5、6日ぐらいしかなくて、あまり人と知り合う機会はなかったんですよ。 でも姉の結婚式の司会をしてくれた韓国のお笑い芸人さんとは家が近かったこともあって仲良くなって。 そうしたら2013年5月にその人が突然、日本人の人たちと飲み会をするんだけど、ちょっと通訳してほしいと言ってきたんです。 それからそこに「有名なサッカー選手もいるんだよ」って。 その時自分が知っていた有名サッカー選手は、朴智星、安貞桓、イ・ドングッ、チョン・ソンリョンしかいなかったんです。 それで私は「有名なサッカー選手」って言うからその4人の1人かと思ったんですよ。 それで行ったらKリーグでプレーしてた大世さんがいたんです。 そのとき私は「朴智星じゃないんだ」と思って(笑)。 でも実物は想像とは全然違ったんです。 もともとはダサいイメージだったんですよ。 「朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)代表の鄭大世」という肩書きしか知らなくて。 鄭大世イコール北朝鮮代表、韓国人はみんな大世さんを北朝鮮の人だと思ってたんです。 でも実物は普通なんだなって。 実際その時のファッションは派手ですごかったですね。 髪も染めてて。 ただ、私たちは1番両端に座ってたんです。 大世さんは日本語が楽だから日本の女性としかしゃべらなくて。 私もそのお笑い芸人の人と「なんだ、朴智星じゃないじゃんない」と言ってたりとか。 その後2次会に行ったんですけど、半分ぐらいは帰っちゃって、大世さんとお笑い芸人さんと自分とあと3人ぐらいになって。 そこで飲んでる時にお笑い芸人の人が、無理矢理「2人お似合いだから連絡交換していいよ」というぐらいのことを言ってきたんです。 お互いに「いやいや、いいから」って。 で、結局連絡先は交換しないまま、その日はそれで終わったんです。 お互いにそんなに好感度が高くはなかったと思うんです。 私は大世さんの理想のタイプじゃなかったんですよ。 大世さんは自分の理想を「オレが目が小さいから目が大きくてぱっちり二重まぶたの女の人」「かわいくてスタイルがいい女性」と言ってたんです。 私、目が大きくないので。 でも後で大世さんに理想と結婚相手は違うねって言われました。 それからちょっと時間が経って、お笑い芸人さんが大世さんに「ソヒョンは逃しちゃ駄目だよ」って言って、無理矢理に連絡先を交換させられたということがあるんです。 それで連絡が来て「会おう」って感じになったんですけど、最初はお互いのスケジュールが全然合わなくて会えなくて。 私の週末が休みだったら大世さんは試合だったりしてました。 それで2人で会ったとき、本当にビックリしたんです。 それまで私は韓国の男性しか付き合ったことがなかったんで。 高校の時に付き合ったのはやっぱり子供の遊びという感じでしたし。 韓国の男性は女性をとにかくお姫様扱いしてくれるんです。 マナーも良くてハンドバックも持ってくれて当然。 そういう人たちばっかりで。 私って実はそういう男性がすごく苦手で、そういう韓国の男性には冷たくしたんです。 それって本当に好きな人に出会ってなかったんですね。 この人がすごく好きっていう男性が1人もいなかったんですよ。 でもそういう男性に慣れちゃってたから、大世さんと会ったら「なんでこの人はこのタイミングでこれをやってくれないんだ」って、やっぱり比べちゃって。 「今までの彼氏はいろいろ優しくして全部やってくれたのに、この人何? 」って思って。 その時ちょっと新鮮だなって思ったんです。 もちろん優しかったんですけど、韓国人と比べたらっていう話なんです。 比べたらもう全然、お姫様扱いしてくれない。 でもそこで、「私は逆にこういうタイプが好きかも」ってなったんです。 それに惹かれたというか。 それで5月ぐらいに付き合い始めたんですけど、3カ月ぐらい経ったときに一度別れたんですよ。 私が大統領専用機に乗ることになったとき、私の家族から遠い親戚まで国から全部調べられるんですよ。 警察から電話が来ていろいろ質問もあるんですけど、そこは厳しくて。 私がどこにいるか知られたら大統領の居場所が分かって問題だから。 勤務の間は私たちの生活にも全部警備がついて自由がないんです。 どこにも行っちゃいけないしホテルから出てもいけない。 彼氏も当然調べられるんですけど、そのころ私は大世さんと付き合ってなかったんです。 付き合いだした後もCAのチームにはそのことを言っていませんでした。 そうしたらCAチームのキャプテンに呼ばれて「鄭大世選手と付き合ってるか? 」って聞かれたんです。 バレたと思いました。 そしてこれは絶対、専用機から降ろされるだろうなって。 私は「いや、ただ知り合いなだけで付き合ってないですよ」と言ったんです。 実際そんなに深く付き合ってたわけじゃなかったので。 ただ、これでもう大世さんとは別れなきゃいけないと思ったんです。 専用機にはずっと乗りたいので、これは別れるしかないなって。 それで別れを告げたんですけど、大世さんは「別れるのはなぜ? 理由があるはずじゃん」って聞いてきたんです。 私は「嫌いになった」ってだけ言って別れたんですよ。 でも今も忘れられないんですよ。 その時涙を浮かべた大世さんがあまりにも悲しそうだったんです。 私は、3カ月付き合っただけで、そんなに深い愛ではないと勝手に思ってたんですけど。 それで別れたんですが、自分としてもずっと納得がいかないんですよね。 別れて1カ月ぐらい経ってもお互い忘れられなくて、「もう1回会って話そう」っていうことになって。 そこで真剣に話して「付き合ったら専用機に乗れないんだ」って打ち明けたんです。 そうしたら大世さんから「結婚しよう」って言われたんですよ。 「じゃあ結婚しよう」って泣きながら両手を握って。 私、「別れ話の時に結婚って何? 」と驚いたんです。 でもその時に「え?! 」って、ちょっと惚れました。 鄭大世との結婚で大統領専用機の仕事から外されることに 私の母は娘が結婚する相手は検事とか医者とか、そういう仕事の人を望んでたんです。 私の相手が運動選手ということになったら絶対反対するなと思ってました。 だからもう一度付き合うことになったけど、大世さんには「うちの母は厳しくて、あなたのことを絶対認めないよ」と言ったんです。 絶対無理だから私たちはもう別れたほうがいいって、別れる方向で話を進めたんです。 でも大世さんはどうしても1回だけ会わせてほしいって。 その言葉が心に響いたんです。 「オレは殴られて歯が折れてもいいし、骨が折れてもいいから、1回だけ会わせてくれ」って。 私は「そこまでやられていいんだ。 これが本当の愛なのかな」って感じて。 それでその年の10月に母とタイ旅行に行ってる時に初めて話をしたんです。 その時まで彼氏の話なんてしたことなかったんですけど、「彼氏が出来てお母さんも知ってる人なんだ」って。 母が「私の知り合い誰だっけ? 」っていうから「鄭大世っているじゃん」って言ったら、「あ、あの北朝鮮代表の? 」って。 「1回会わせてだって」と伝えたら、母は「じゃぁ韓国に帰ったら1回会ってみるよ」って言ってくれたんです。 それで空港に着いたら大世さんがサプライズで迎えに来てたんです。 スーツにピカピカの靴に大きな花束を持って、すごく緊張してウロウロしてる男性がいて。 その時にお母さんも「あぁかわいいなぁ」と思ったらしくて。 そこから駐車場まで行く大世さんの後ろ姿を見てお母さんも一目惚れしたらしくて「この子なら娘を預けられる」と思ったらしいんです。 その日、3人でレストランに行ってご飯を食べたんですけれど、母は「もういいよ。 結婚していいよ」って。 そしたら大世さんが驚いて「結婚ですか? いやいや、付き合うことのオーケーをもらうために来たんですけれども、結婚かぁ」って。 それでいつ結婚するかっていうことになって、大世さんが「来年の12月だったらシーズンオフなんでそこにしよう」と言って、私が「うん、わかった」って言ったら、母が「え? もう再来月やれば」って。 「結婚するなら早くやったほうがいいよ」って言われたんですよ。 だから11月の1カ月で準備して、12月に結婚しました。 5月に出会って12月に結婚で、途中1カ月別れてたから、付き合って6カ月間で結婚ですね。 結婚と同時に大統領専用機に乗るスケジュールは一切入りませんでした。 鄭大世の話を「この人は日本生まれで、ずっと日本で育って、北朝鮮に住んだことがない」といくら言っても、結局「北朝鮮代表だったじゃん」ってなってわかってくれないんです。 大統領専用機には5年間乗ったんですけれど、本当に悲しくてすごい泣きました。 こんな一瞬で降ろされるんだって思って。 実際から何かしたのなら反省して降りるんですけど、これは私が降りる理由がないのにと思って。 そしたらハネムーンベイビーができちゃって。 なんでも早いんです(笑)。 じゃあ私は結局飛行機に乗れないと思って、妊娠したからフライトの職は終わりと言う感じでした。 今後は「大世さんを休ませたい」 大世さんは正直な人なんで、試合に負けたり自分がゴールを取れなかったりするとすごく気にするんです。 私は最初、それがすごくしんどかったんですけど、私よりしんどいのが本人なんだろうなって思って。 なので試合に負けた日は「今日、クラブハウスに泊まっていいからね。 気にしないで」ってメールしてました。 既読になるんですけど返事は返ってこなかったりとか。 寂しかったですね。 でも「鄭大世選手」中心に動かなきゃいけないので。 結婚するとき韓国は大世さんにとって海外だから、全部理解して挙げようと思ってました。 これからもいろいろあるかもしれないんですけど、今は子供が中心で、子供の学校のことが1番です。 自分はどこに行ってもストレスをためるタイプなので別にどこにいったってどこでもいいんです。 正直、海外がすごい好きで、そこでの生活にはどこに行っても慣れるタイプなんですよ。 慣れるけど、韓国人なのに韓国にいてもストレスにたまるし、日本に行ってもストレスはあるし。 自分はどこに行ってもストレスがあるんだと思って諦めてます。 どうせ子供中心なんで。 この先って、今より絶対収入は減ると思うんですけど、金銭面はあまり心配してないんです。 大世さんはそこで苦しんでると思うんですよ。 家族を守らなければいけない、家族を引っ張らなきゃいけないという負担が大きくて。 でもお金って今あってもどうせなくなるんですよね。 それにお金があるから幸せではないと思うし。 今回の新型コロナウイルスでさらに気づいたんですけど、外出ができないからずっと家で生活をしてるんですけど、それは私にとって幸せなんです。 家族4人がいれば私、どこに行っても何をしても幸せだと思って。 お金ではこんな幸せ買えないから、 それに私も今、キムチを作って売ってるんですよ。 自分も何かをして収入を得なければいけないなというのを考えています。 そのキムチを売るようになったのも偶然なんです。 そもそも韓国人にとってのキムチって、日本で言う納豆の感覚じゃないかと思うんです。 いつも食卓にあるから。 だからキムチを商売にしようという感覚は全くなかったんです。 2019年6月に、エスパルスのスポンサーの静鉄ストアの会長さんが選手たちを招いてご飯を食べさせてくださるとき、私と子供たちも呼んでいただいたんです。 そうしたら同居してた母がお礼としてキムチを持ってきなさいって言ったんです。 「えー? キムチ食べるかなぁ? 会長さんだからもっといいものばっかり食べてらっしゃるんじゃないの? 」と思ってたんですけど、母が「いいからこれ持ってきなさい」って作ってくれたんです。 それを渡したら「これはおいしいから静鉄ストアで売ってみない? 」って。 私、キムチを作ったことなかったんですよ。 いつも母が作ってくれてたから。 でも確かにいいかもしれないと思ったのが、母のキムチは美味しくて、周りの人から「もっと作ってちょうだい」と言われてたんです。 じゃあやってみようと思って、とりあえず反応がみたくてスタジアムで売ってみようと思ったんですね。 それでスタジアムの係りの方に「シーズンの途中からですけど反応がみたいのでお願いします」って売らせていただいたら、1回目が即行売り切れたんですよ。 それで「テセキムチ」って作って、そこからスタジアムは固定で毎試合行って、静鉄ストアさんでも売っていただいて、というのが始まりですね。 法令とかいろいろあるんで、それを1人で調べてクリアするのは大変でした。 日本語だし。 それで作る工場の営業許可をとって、食品の保険も入って、アレルゲンの問題も全部クリアして。 テセキムチに入れる材料で、どうしてもこれじゃないとダメだとこだわっているものがあって、それは母が40年間行きつけてる韓国の店にしか売っていないんです。 高価なんですけど、やっぱり中国産では代用できなくて、それがなければこの味が出せないので。 だからその食材は輸入してますし、EMS代も結構するんですけど、そういう流通系の問題もクリアしました。 作り方は母にすごく厳しく教わったんです。 これは商品だから完璧を求めなければ長続きしないよって言われて。 母に半年位厳しく教わって、やっと自分1人でも作れるようになりました。 それが1番嬉しかったですね。 最初の3ヶ月は寝られなかったですね。 忙しくて。 だから白髪が増えました(笑)。 私が結婚してからずっと全然苦労してないのは大世さんのおかげだと思っているので、この先は私が大世さんを引っ張っていきたいですね。 大世さんを見ていると胸が痛くて。 試合とか練習とか厳しくて、そんな厳しい練習をもう何年もやっていて、だからこれからは私が頑張ろうって。 大世さんはサッカーだけをずっとやってきたので、やっぱり私が引っ張らないといけないと思ってます。 この先は私に任せてって。 大世さんも「俺を休ませて」って言ってます(笑)。 のおすすめグルメとは? うちは韓国料理を外で食べないんですよ。 自分で作れちゃうから。 それに母の料理がすごく美味しいんですよ。 だから韓国料理店をオープンしたいという希望もあります。 行くとしたらですかね。 でもオススメするとしたら……。 イタリア料理もスペイン料理も食べたことないし……、うーん、そうですね……。 私、一蘭とか一風堂とか、ラーメンが好きなんですよ(笑)。 でも、そういうとこじゃなくて……。 そうだ、駅の近くに「BUICHI」という屋さんがあるんです。 ここは本当に美味しくって。 それで最後に出てくるのがハマグリ素麺なんですけど、実はそれを食べるために行くんです。 その前に出てくる刺身とかステーキも美味しいんですけど、このハマグリ素麺は、これだけのために行ってもいいぐらいです。 それから大世さんがおいしいと言っていたのが、「まぐろ卸問屋直営 旬海鮮 時代屋やす兵衛」ですね。 海鮮類がとても新鮮で、マグロのいろんな部位が贅沢に丼の上に乗せられていたりするのですが、「値段がコンパクト」だと言っていました。 選手の方々もほぼ全員が行くような人気店らしいです。 今度にいらっしゃったとき行きましょうね。 紹介したお店 ミョン・ソヒョン プロフィール 小学校5年から高校卒業まで日本で暮らした後、韓国へ戻り、航空会社でCAの職を務める。 その間、鄭大世と出会い、結婚。 現在は育児のかたわら母の味を受け継ぐ「」の事業も手掛けている。 韓国出身。 取材・文:森雅史(もり・まさふみ).
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