探偵 ナイトスクープ 歴代 局長。 松本人志が「探偵!ナイトスクープ」3代目新局長

祝25周年!! どこまでわかる?【探偵!ナイトスクープ】歴代探偵達

探偵 ナイトスクープ 歴代 局長

探偵!ナイトスクープとは? 探偵!ナイトスクープとは、視聴者から寄せられた依頼にもとづいて、探偵局長が優秀なる探偵たちを野にはなち、世のため、人のため、公序良俗と安寧秩序を守るべく、この世のあらゆる事を徹底的に追求するバラエティー番組です。 視聴者からの悩みや疑問を探偵役の出演者が調査していく形で進行していきました。 個性的な依頼者などがときに登場し、依頼者の中には一般人として番組に出演したあとに、著名人となって各分野で活躍する者も登場しています。 また、取材先のその場で出会った者が探偵よりも視聴者の目を奪う程の個性を発揮することも。 番組中では一般人への応対や扱いに定評があり、これも視聴者の支持の要素となっていました。 放送開始は1988年3月。 かなりのご長寿番組ですね…! 通称「ナイトスクープ」「ナイスク」。 司会者が探偵局長、アシスタントが秘書、ゲストが顧問、レギュラー出演者が探偵という、探偵事務所に見立てられた呼び名が付けられ、視聴者から送られた疑問や依頼を解決していきます。 現在局長は西田敏行さん、探偵が7人おり、石田靖さん、間寛平さん、田村裕さん、竹山隆範さん、たむらけんじさん、澤部祐さん、そして橋本直さんが務めています。 スポンサーリンク 番組史上もっとも有名なスクープは?ベストスリーを紹介! 番組では名物とされるスクープがいくつかあるのでご紹介します。 「日本全国アホ・バカ分布図」まさかの学術的にも価値あるものに 1990年、「関東出身の夫が『バカ』、関西出身の妻(依頼者)が『アホ』と互いに罵倒しお互いに傷つく。 このバカとアホの境界線はどのあたりにあるのだろうか?」という依頼がありました。 そこで東京から西へ移動しながら調査したところ、愛知県で第三の罵倒語『タワケ』まで登場する事態となる難調査となります笑 調査の末、アホとタワケの境界線を岐阜県関ケ原町に発見した探偵。 しかし、上岡局長から「『バカ』と『タワケ』の境界線も調べろ」という追加命令が飛び出し、翌1991年に改めて大々的に調査されました。 結果、なんと「日本全国アホ・バカ分布図」が完成。 この調査から、 かつての日本の首都であった京都から等距離の位置にある地域では同じ言葉が使用されているという事実が判明します。 『蝸牛考』で柳田國男が仮説を立てていたが実証には至らず、本人も「あれは違うかもしれない」と消極的に意見となっていた方言周圏論の存在を裏付けるものとして、 日本方言学会でも貴重な検証例として引用されるなど多大な功績を残しました。 この大々的な調査と学術性・娯楽性の両立した秀逸な企画として大きく評価され、1991年に日本民間放送連盟賞テレビ娯楽部門最優秀賞受賞・第29回ギャラクシー賞選奨・第9回ATP賞グランプリを受賞しています。 なんてゆるい調査なんだと最初はびっくりしましたが、とんでもなくおおごとになったんですね。 学術的にも価値のある調査になったなんてびっくりです。 スポンサーリンク 危険だから絶対に真似しちゃだめ「謎の爆発卵」 こちらは1993年に放送されたものです。 依頼者の友人が電子レンジでゆで卵を作って食べようとしたところ、爆発したので調べてほしいという趣旨の依頼でした。 現在は「電子レンジでゆで卵を作ってはならない」というのは常識です! ほんとに真似してはいけません。 ですが、これが広く知れ渡るきっかけになったはこの番組だと言われているそう。 すごい功績ですよね。 当初は視聴者が真似をすると大変危険であるという懸念からお蔵入り寸前だったそうですが、かえって危険性を啓蒙する結果になりました。 というのも、検証の結果、探偵(桂小枝)、依頼者、その友人が身を以て爆発卵の危険性を思い知ることなったそう。 こちら、以後ニコニコ動画のなかでは、桂小枝氏の発した言葉に呼応するかのように卵が爆発したことに由来し、「シオアル」「モウイマニ」「コレデ」の3呪文が定義されるほど。 この回は毎回、もう一度見たい依頼のリクエストで幾度となく1位を取っていたなど、伝説となっています。 スポンサーリンク まさにやってみた系の走り「電車と人間どちらが勝つ?飯田線の闘い」 こちらは長野県飯田市を走るJR飯田線のとある1区間(JR飯田線の下山村駅と伊那上郷駅の間)がオメガ状のカーブになっている場所があり、 人間と電車どちらが早いか試してほしいというものでした。 というのも、あるアニメでその場所で電車と人間で追いかけっこして電車に勝っているシーンがあったのだそう。 それが本当に実現できるのか試してほしいという依頼でした。 探偵は清水圭さんで、なんと依頼を成功させています。 電車と人間が勝負するという、今の動画サイトにおける「やってみた系」の奔りとなるようなこの企画はすさまじい反響を呼び、後に映像化もされたそう。 なお、あるアニメとは『究極超人あ~る』のOVA版のことであり、作者のゆうきまさみさんを初め、制作スタッフにはかなりの鉄オタがいたんだそう。 また、鉄オタの間では下山駅のカーブの存在はもともと広く知られており、有名になる以前に実践した人もいたとのこと。 なんと地元の高校生などには度胸試しとして知られていたといいます。 この無謀な企画はアニメによって広く認知され、『旅と鉄道』の記事にもなったりするなど、メディアの枠を超えました。 それがさらにナイトスクープによって大反響を呼んだそうです。 後に 下山ダッシュという名称までつきました。 スポンサーリンク 探偵!ナイトスクープの歴代局長は?上岡局長、西田局長、次は? ナイトスクープの歴代局長を振り返ってみたいと思います。 初代局長は上岡龍太郎さん 同番組は1988年(昭和63年)にスタートしました。 初代局長は上岡龍太郎さん。 番組を立ち上げたきっかけは、当時鋭い語り口で人気となっていた上岡さんの「当意即妙のコメントを活かした番組を作りたい」という思いだったそう。 上岡さんの看板番組だったんですね! 当時は上岡さんのように本音をズバズバ言う芸人は希少であり、上岡の才能を活かすべく立ち上げた番組でした。 上岡さんに対して調べてきたVTRを観てもらいプレゼンする番組という構成にするため、視聴者からの依頼を出演芸人たちが探偵となって解決に導くスタイルが生まれたそうです。 視聴者は、始めは探偵の立場でVTRを観ますが、それを観終わると今度は局長側に立って観るという『二重構造』の番組となっており、のちにフジテレビの「とくダネ! 」がこの『ナイトスクープ』のフォーマットを踏襲するなど、当時のテレビ番組としては前例のない画期的なスタイルだったそう。 さらに、その後のテレビ業界において本音をズバズバ言う芸人・番組が増えていく契機ともなりました。 上岡さんの局長就任期間は初回放送の1988年3月から 2000年4月まででした。 降板の理由は芸能界引退でした。 上岡局長の降板後、番組では翌週から新局長が登場するように一度は予告していたものの、結局は約8か月、探偵や顧問による「局長代行」で番組を継続していました。 スポンサーリンク 2代目局長は西田敏行さん 局長のいない空白期間を経て、2001年1月より新局長として就任したのが西田敏行さんでした。 西田さんといえば「泣き」のスタイルが印象的ですよね! あれ、実は西田さん自身が生み出したもので、番組サイドから「泣いてくれ」と依頼したことは一度もないそう。 西田さんは2001年1月26日放送回から局長に就任し、局長就任期間はなんと19年! 前局長の上岡龍太郎さんの在任時期を超える約900回以上に出演しています。 西田さんはもともと番組のファンであったことから、探偵たちに敬意を表しており、依頼や報告に対して集中して感想を述べてくれます。 それが真摯で見ていてこちらも真剣になってしまうんですよね。 さらに涙もろく、感動的な内容のVTR後には西田の泣き顔がアップで入ることが多いですよね。 依頼内容のタイトルが、感動的な内容を予感させるときには「これ(ハンカチ)いる? 」と、ハンカチをあらかじめ取り出していたりする西田さん。 かわいいです。 依頼によっては秘書が依頼文を読んだ時点でもう涙ぐんでいたり、思いもかけないテーマで泣いていたりもします。 また、感動的なVTRの最後には探偵自ら「局長も今これを見て泣いていると思います」と予想されてしまうことも笑 西田局長の愛されエピソードですよね。 3代目局長は…? 3代目局長は一体誰になるのでしょうか• 探偵ナイトスクープのファン• 阪神タイガースのファン• 探偵局員より年長者• 西田さんクラスか、それより大物 このあたりが候補者の条件になると思います。 次期局長や西田局長の後任理由についてはこちらをご覧ください。

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探偵ナイトスクープの歴代秘書!アシスタントアナウンサーを紹介

探偵 ナイトスクープ 歴代 局長

探偵!ナイトスクープとは? 探偵!ナイトスクープとは、視聴者から寄せられた依頼にもとづいて、探偵局長が優秀なる探偵たちを野にはなち、世のため、人のため、公序良俗と安寧秩序を守るべく、この世のあらゆる事を徹底的に追求するバラエティー番組です。 視聴者からの悩みや疑問を探偵役の出演者が調査していく形で進行していきました。 個性的な依頼者などがときに登場し、依頼者の中には一般人として番組に出演したあとに、著名人となって各分野で活躍する者も登場しています。 また、取材先のその場で出会った者が探偵よりも視聴者の目を奪う程の個性を発揮することも。 番組中では一般人への応対や扱いに定評があり、これも視聴者の支持の要素となっていました。 放送開始は1988年3月。 かなりのご長寿番組ですね…! 通称「ナイトスクープ」「ナイスク」。 司会者が探偵局長、アシスタントが秘書、ゲストが顧問、レギュラー出演者が探偵という、探偵事務所に見立てられた呼び名が付けられ、視聴者から送られた疑問や依頼を解決していきます。 現在局長は西田敏行さん、探偵が7人おり、石田靖さん、間寛平さん、田村裕さん、竹山隆範さん、たむらけんじさん、澤部祐さん、そして橋本直さんが務めています。 スポンサーリンク 番組史上もっとも有名なスクープは?ベストスリーを紹介! 番組では名物とされるスクープがいくつかあるのでご紹介します。 「日本全国アホ・バカ分布図」まさかの学術的にも価値あるものに 1990年、「関東出身の夫が『バカ』、関西出身の妻(依頼者)が『アホ』と互いに罵倒しお互いに傷つく。 このバカとアホの境界線はどのあたりにあるのだろうか?」という依頼がありました。 そこで東京から西へ移動しながら調査したところ、愛知県で第三の罵倒語『タワケ』まで登場する事態となる難調査となります笑 調査の末、アホとタワケの境界線を岐阜県関ケ原町に発見した探偵。 しかし、上岡局長から「『バカ』と『タワケ』の境界線も調べろ」という追加命令が飛び出し、翌1991年に改めて大々的に調査されました。 結果、なんと「日本全国アホ・バカ分布図」が完成。 この調査から、 かつての日本の首都であった京都から等距離の位置にある地域では同じ言葉が使用されているという事実が判明します。 『蝸牛考』で柳田國男が仮説を立てていたが実証には至らず、本人も「あれは違うかもしれない」と消極的に意見となっていた方言周圏論の存在を裏付けるものとして、 日本方言学会でも貴重な検証例として引用されるなど多大な功績を残しました。 この大々的な調査と学術性・娯楽性の両立した秀逸な企画として大きく評価され、1991年に日本民間放送連盟賞テレビ娯楽部門最優秀賞受賞・第29回ギャラクシー賞選奨・第9回ATP賞グランプリを受賞しています。 なんてゆるい調査なんだと最初はびっくりしましたが、とんでもなくおおごとになったんですね。 学術的にも価値のある調査になったなんてびっくりです。 スポンサーリンク 危険だから絶対に真似しちゃだめ「謎の爆発卵」 こちらは1993年に放送されたものです。 依頼者の友人が電子レンジでゆで卵を作って食べようとしたところ、爆発したので調べてほしいという趣旨の依頼でした。 現在は「電子レンジでゆで卵を作ってはならない」というのは常識です! ほんとに真似してはいけません。 ですが、これが広く知れ渡るきっかけになったはこの番組だと言われているそう。 すごい功績ですよね。 当初は視聴者が真似をすると大変危険であるという懸念からお蔵入り寸前だったそうですが、かえって危険性を啓蒙する結果になりました。 というのも、検証の結果、探偵(桂小枝)、依頼者、その友人が身を以て爆発卵の危険性を思い知ることなったそう。 こちら、以後ニコニコ動画のなかでは、桂小枝氏の発した言葉に呼応するかのように卵が爆発したことに由来し、「シオアル」「モウイマニ」「コレデ」の3呪文が定義されるほど。 この回は毎回、もう一度見たい依頼のリクエストで幾度となく1位を取っていたなど、伝説となっています。 スポンサーリンク まさにやってみた系の走り「電車と人間どちらが勝つ?飯田線の闘い」 こちらは長野県飯田市を走るJR飯田線のとある1区間(JR飯田線の下山村駅と伊那上郷駅の間)がオメガ状のカーブになっている場所があり、 人間と電車どちらが早いか試してほしいというものでした。 というのも、あるアニメでその場所で電車と人間で追いかけっこして電車に勝っているシーンがあったのだそう。 それが本当に実現できるのか試してほしいという依頼でした。 探偵は清水圭さんで、なんと依頼を成功させています。 電車と人間が勝負するという、今の動画サイトにおける「やってみた系」の奔りとなるようなこの企画はすさまじい反響を呼び、後に映像化もされたそう。 なお、あるアニメとは『究極超人あ~る』のOVA版のことであり、作者のゆうきまさみさんを初め、制作スタッフにはかなりの鉄オタがいたんだそう。 また、鉄オタの間では下山駅のカーブの存在はもともと広く知られており、有名になる以前に実践した人もいたとのこと。 なんと地元の高校生などには度胸試しとして知られていたといいます。 この無謀な企画はアニメによって広く認知され、『旅と鉄道』の記事にもなったりするなど、メディアの枠を超えました。 それがさらにナイトスクープによって大反響を呼んだそうです。 後に 下山ダッシュという名称までつきました。 スポンサーリンク 探偵!ナイトスクープの歴代局長は?上岡局長、西田局長、次は? ナイトスクープの歴代局長を振り返ってみたいと思います。 初代局長は上岡龍太郎さん 同番組は1988年(昭和63年)にスタートしました。 初代局長は上岡龍太郎さん。 番組を立ち上げたきっかけは、当時鋭い語り口で人気となっていた上岡さんの「当意即妙のコメントを活かした番組を作りたい」という思いだったそう。 上岡さんの看板番組だったんですね! 当時は上岡さんのように本音をズバズバ言う芸人は希少であり、上岡の才能を活かすべく立ち上げた番組でした。 上岡さんに対して調べてきたVTRを観てもらいプレゼンする番組という構成にするため、視聴者からの依頼を出演芸人たちが探偵となって解決に導くスタイルが生まれたそうです。 視聴者は、始めは探偵の立場でVTRを観ますが、それを観終わると今度は局長側に立って観るという『二重構造』の番組となっており、のちにフジテレビの「とくダネ! 」がこの『ナイトスクープ』のフォーマットを踏襲するなど、当時のテレビ番組としては前例のない画期的なスタイルだったそう。 さらに、その後のテレビ業界において本音をズバズバ言う芸人・番組が増えていく契機ともなりました。 上岡さんの局長就任期間は初回放送の1988年3月から 2000年4月まででした。 降板の理由は芸能界引退でした。 上岡局長の降板後、番組では翌週から新局長が登場するように一度は予告していたものの、結局は約8か月、探偵や顧問による「局長代行」で番組を継続していました。 スポンサーリンク 2代目局長は西田敏行さん 局長のいない空白期間を経て、2001年1月より新局長として就任したのが西田敏行さんでした。 西田さんといえば「泣き」のスタイルが印象的ですよね! あれ、実は西田さん自身が生み出したもので、番組サイドから「泣いてくれ」と依頼したことは一度もないそう。 西田さんは2001年1月26日放送回から局長に就任し、局長就任期間はなんと19年! 前局長の上岡龍太郎さんの在任時期を超える約900回以上に出演しています。 西田さんはもともと番組のファンであったことから、探偵たちに敬意を表しており、依頼や報告に対して集中して感想を述べてくれます。 それが真摯で見ていてこちらも真剣になってしまうんですよね。 さらに涙もろく、感動的な内容のVTR後には西田の泣き顔がアップで入ることが多いですよね。 依頼内容のタイトルが、感動的な内容を予感させるときには「これ(ハンカチ)いる? 」と、ハンカチをあらかじめ取り出していたりする西田さん。 かわいいです。 依頼によっては秘書が依頼文を読んだ時点でもう涙ぐんでいたり、思いもかけないテーマで泣いていたりもします。 また、感動的なVTRの最後には探偵自ら「局長も今これを見て泣いていると思います」と予想されてしまうことも笑 西田局長の愛されエピソードですよね。 3代目局長は…? 3代目局長は一体誰になるのでしょうか• 探偵ナイトスクープのファン• 阪神タイガースのファン• 探偵局員より年長者• 西田さんクラスか、それより大物 このあたりが候補者の条件になると思います。 次期局長や西田局長の後任理由についてはこちらをご覧ください。

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探偵!ナイトスクープ:新局長にダウンタウン松本人志

探偵 ナイトスクープ 歴代 局長

ABCテレビの人気番組「探偵!ナイトスクープ」(金曜後11・17)が22日に放送され、01年から局長を務めてきた西田敏行(71)がこの回をもって番組から卒業。 「探偵!ナイトスクープ」は、1988年3月から続く長寿番組。 初代・上岡龍太郎氏(77)の降板後、01年から局長を務めた西田は、秘書に岡部まり(59)、顧問にキダ・タロー(88)と両脇を自身の第1回放送時と同じメンバーで固めた。 番組冒頭では「泣いちゃだめなんですよこの番組は!」と力説。 だが、この日3本目に放送された「通天閣の上から叫ぶ」では、視聴者から「ずっと小さい頃から僕のナイトスクープは西田局長」「西田局長の顔が見られなくなるなんてさみしー!」「局長が泣いてしまうと、私も一緒によく泣いていました」「笑いと感動をありがとうございました」と西田局長の降板を惜しむ声が叫ばれ、スタジオで思わずホロリ。 最後の最後も涙を見せてしまった。 「視聴者の皆さま、会場にお集まりの皆さま、探偵諸君、わたくし西田敏行、本日をもって辞します。 2001年の1月26日から2代目局長として就任させていただきましたけども、依頼の方々の熱くて、アホで、真っすぐな思いにたくさんたくさん笑いましたし、ハンカチたくさん握って泣きました。 本当に幸せな時間でした」と、時折言葉を詰まらせながら「19年間本当にありがとうございました」と頭を深々と下げた。 スタジオには3代目局長を務めるダウンタウンの松本人志(56)も登場。 西田は「これから令和の時代を生き抜いていく探偵ナイトスクープ3代目局長・松本さんに全てを委任して、私はゆっくりと視聴者に戻って楽しみたいと思います」と松本にエールを送り、19年の大役に幕を閉じた。

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