ノルウェイ の 森 感想。 村上春樹『ノルウェイの森』の感想、解説と考察!直子とキズキと「私」の物語

読書感想文「ノルウェイの森(村上春樹)」

ノルウェイ の 森 感想

「村上春樹を読んでみたい」「読みたいけど、どれから読んだほうがいいんだろう」と思っている方は、まずはこの『ノルウェイの森』から読むことをおすすめしたいです。 理由はいくつかありますが、なによりまず読みやすい。 世界各国で翻訳されている本というのは、それだけ普遍的な要素を含んでいるということになります。 つまり、人々の心に浸透しやすい物語構造なんですね。 この『ノルウェイの森』も全世界で翻訳されており、世界の本屋に並べてあるのです。 それだけ人間の根底にあるものに働きかける魅力があるということでしょう。 もうひとつの理由は、作中で物語を大きく動かしている謎にあります。 それは、かつて自殺した親友「キズキ」とその恋人である「直子」の関係です。 この2人は幼馴染のカップルで、とても仲がよくいつも一緒でした。 なのに、2人は一度も「寝なかった」のです。 直子はもちろんキズキのことを愛していたし、キズキも直子のことを愛していました。 2人は深く愛し合っていたのに、一度もそういう関係になりませんでした。 そしてキズキはある日突然、自宅のガレージで自殺してしまいます。 主人公のワタナベはそのとき深くショックを受け、逃げるように地元から離れて東京の大学へ進学。 直子も傷心のまま、東京のミッション系の女子大学へ進学していきます。 ワタナベと直子は東京の街でばったり再会し、同じ傷ついた者同士惹かれあっていくのです。 そうして2人はついに関係をもってしまい、直子は処女だったということが明らかに。 なぜ直子はキズキと寝なかったのか。 これが本作、最大の謎なのです。 劇中では直子の口から「いろいろ試したけど、キズキくんとは濡れなかったの」と語っていますが、どうして彼らはセックスできなかったのでしょうか。 そしてなぜ直子は主人公とは寝ることができたのでしょうか。 これにはさまざまな考察があり、発刊された当初はさまざまな解説本が出ましたが、結局どれも推察の域を出ることはありませんでした。 どこまでも読者の想像に委ねたその作風は、一部では「中身がない」「安っぽい」と揶揄されることが多々ありました。 しかし同時に、それだけフックの強い作品であることの証明にもなっています。 読んだ人の感情を強く刺激する作品なので、そのぶん反響も強く現れてしまうのでしょう。 残っていく作品は、それだけ強烈な存在感がありアクが強いものが多いものですよね。 それゆえに反発や拒絶も出てきてしまいます。 この『ノルウェイの森』も発刊されてからずいぶん経ちますが、いまだに本屋にいけば置いてあるし、図書館にも置いてあります。 時代が変わって、世代が変わっても買っていく人がいるのです。 そうしていずれは古典になっていくでしょう。 村上春樹は、主人公を通してこう述べています。 「傷ついた心を癒すことは誰にもできず、傷が癒えても次にくるもっと大きな悲しみには太刀打ちできない」 (『ノルウェイの森』より引用) この言葉は作品を読んだ人にしかわからない大きな意味を持っており、「また読み返してみようかな」と思わせてくれるきっかけにもなっています。 何度読んでも新鮮さを感じるこの『ノルウェイの森』は、きっと村上春樹が本を読むことの楽しさを我々に伝えるために書き上げた渾身の作品だったのではないかと思います。 村上春樹の作風として、ダークなファンタジーを思うかべる人もいるかと思いますが、この作品は純粋に現実世界のものだけで書かれています。 異世界に行ったり、パラレルワールドに迷い込んだりする作品が多いなか、『ノルウェイの森』は終始現実世界であれこれ奔走するのです。 そういう意味では村上春樹初心者でも読みやすく、そして他の作品も読んでみたくなるようなステップになるような作品といえるでしょう。

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映画「ノルウェイの森 」ネタバレあらすじと結末・みんなの感想

ノルウェイ の 森 感想

その日僕らはウイスキーを飲みながら「ノルウェイの森」について語っていた。 僕らは酒を飲んでいれば実によく小説や漫画について語り合った。 そしてその日は村上春樹のノルウェイの森だったのだ。 A「クライマックスのレイコさんとの性交って話として必要だと思う?」 僕「『寂しくないお葬式』は絶対必要だけど、そこはどうだろうね・・・」 そもそも性に対する記述が多い小説だからね、などと言いつつ話をしていたが、色々な登場人物の生や死を分析していくうちに一つの仮説にたどり着いた。 クライマックスシーンでワタナベとレイコの性交がかかれているが、これにはどんな意味があるか? そしてその説を当てはめる事で、他の登場人物たちについても理解が深まるように思う。 なお、以後説明する中で1人だけこの説が当てはまるのか判断できない人物がいる。 それについても、この説にはまだ検討の余地があり完成でない、という明記しておく。 考察の概要:この小説は「性と死」ではなく「性と死と性」について書かれている この小説では何人かの登場人物が、自ら命を絶つ。 そのため「死」について語られる場面も何度もある。 この自ら死に至る人々は何故「生」の側に居続けることが出来ないのか、そして苦しみながらも「生」にとどまれる人々は何を持っているのか。 作中に色々な形で表される「生」「性交」を掘り下げる事でそれが理解できる。 この小説の中で「性」は「生命力の現れ」あるいは「社会との関係性」として書かれている。 以降、自ら命を絶った人たち、そうならないであろう人たち、 そしてそのはざまに漂う主人公とヒロインたちを具体的に考察する。 死の成長を止められなかった人たち キズキ、ハツミ、直子の姉、突撃隊 人物に触れる前に、「死」をどう描いているかを再確認しておこう。 ワタナベが学んだ事として挙げられているが、その後変化はしていくものの否定はされていないのでこの考察上はこれを通念とする。 ・死は生の対極ではなく、生の中に含まれている 交通事故などは別として自ら死に至る場合、それはある日突然やってくるのではない。 もともと全ての人の中に組み込まれたもので、その成長を抑えることが出来ない人が自ら命を絶つのだ。 ・キズキの場合 キズキについて書かれているのはワタナベや直子意外はあまり交友が無い事、愛する直子と性の充足を望むが、不可能だったことなどだ。 二人の成長の危うさは作中で直子が何度も語っているので考察の余地はない。 生命力や社会への対応力がほとんど描かれていないため、この作品中で死の側にいる人のマスターピースと考えてよいだろう。 ・ハツミの場合 文中で生きて動いているハツミの中に死は全く見いだせない。 しかし、愛する永沢と離れ、2年後別の男と結婚し、さらに2年後、命を絶つのだが、この4年の中に何があったのだろう? 作中書かれている性格から、永沢への一途な愛が捨てられなかった事は想像がつく。 また、別の男と結婚したとはいえ、その新しい愛情に器用に適応することもできなかったのも、 永沢の女性遍歴や、不特定の女性と関係を持つワタナベを叱責していたことを考えると、当然かもしれない。 彼女の場合、永沢への愛が深かっただけにそれ以外を受け入れられない傾向が強かったのだろう。 これを要約すると、「生命の象徴」である愛情ある性、「社会との関係性」を受け入れる性のどちらも得られず、内在する死の肥大化に対抗できなかった、と考えられ、 本考察の性の欠如で生から死に至るモデルケースと言える。 ・直子の姉の場合 彼女についてはわずかな直子の語りがあるのみで、その死の時点で直子が幼女だったこともあってか、非常に記述が少ない。 それゆえこの考察が当てはまるのかどうか、不明瞭としか言いようがない。 冒頭でこの考察が完成とは言えないのはこの部分のためである。 ・突撃隊の場合 彼については死んだという記述は一切ないが、社会とのつながりが保ちにくい人物であること、一度デートしたエピソードがあったが、愛情を伴う性を理解できていなさそうだった事などから、この考察に当てはめて考えると死んでいる可能性は否定できない。 夏休みが終わっても帰ってこない彼の事をワタナベが寮長に尋ねても何の情報も得られなかったのも、自殺であれば理解できる対応であったといえる。 説として極端と言われれば、否定はできないが、突然の退場が説明できる、という意味で記載した。 それぞれに苦しみ、それぞれの地獄を生きているが、以下の方法で死の成長に立ち向かっている。 永沢は死の成長をはぐくむような弱さを自らの中に認めず、自分の成長システムを構築し強化していくことで、死に打ち勝って行く。 緑は内在する弱さを見せつつも、それと折り合いを付けて生きていく方法を知っている。 それは時にワタナベに語る空想であったり、常に周囲にいる友人であったりもするだろう。 この二人についてはもう一つ語らなけれなばならない。 常にワタナベに「性」を提供することで現実という生につなぎとめる役割をしていることだ。 永沢が提供する性は不特定多数の女性で、名もなく深い愛情もないものの、ワタナベが「現実と折り合っていく」ことの入り口となっている。 一方緑は、想像の世界での性を提供し、直子に関連した時、現実に馴染めなくなっているワタナベ を現実世界に引きとめている。 そして振り返ってみた時に、キズキや直子の側にはこのような人物が存在しない。 このような知り合いを作れなかったことが彼らの弱さなのだろうか? しかし、ワタナベの場合、永沢も緑もワタナベの側から求めて作った交友関係ではない。 キズキや直子には周囲の干渉を寄せ付けない、殻のようなものがあったのかもしれない。 生と死のハザマにいる危うい存在、直子 直子はおおむね性と離れており、17歳から21歳までの大部分は死が彼女の周りに存在していると言える。 直子に性が訪れたのは一度切り、キズキの死から時間を経て、場所も離れ、生の側にいるワタナベの存在が増した時のみだ。 そして、暖かい雰囲気に包まれた阿美寮でも同様だったのだ ワタナベが阿美寮を訪れた時も二人は性交を試しているが不可能だった。 では彼女はワタナベの勧めに沿って阿美寮を出て二人で暮らしていれば生の側に属することか可能だったのだろうか? そこは描かれていないので誰にも分からない。 しかしワタナベは何とか回復していける、と信じていたし、それが危うくなった時も直子から離れることは全く考えていない。 直子は将来についてほとんど語っていないが、ワタナベに迷惑をかけるだけの生き方はできない、と考えているようでもある。 とはいえ、回復にワタナベの存在が必要と感じており、またワタナベに感謝と好意を持っていることは間違いない。 しかし、ワタナベ自身はワタナベに対する永沢や緑のように直子を生の世界にとどめておくことは出来なかった。 彼は純粋な愛を伴う性は直子に提供できたが、社会との関係性という部分については、「押し付けない」という形で提供できなかったと思われる。 緑が語っている「押し付けた、押し付けられた」という関係こそが社会である。 ワタナベは押し付けられる事は許容するが押し付けることはしない。 その意味では直子と社会をつなぐリンクとしてはワタナベは不完全だったのだ。 可能性の話であるが、もし直子がもう少し生をながらえていたら、緑を選んだが直子も見捨てない、という選択をしたワタナベであれば、より社会に近く、直子を回復させる事ができたかもしれない。 レイコは最終シーンで回復し生の世界に戻ってきた レイコは直子の死後、連絡が取れないワタナベを心配し、「生きて幸せになれ」と伝えるため阿美寮を出てきた。 直子のお葬式を二人でやり直し、そしてワタナベとの性交のシーンがある。 冒頭でも話題にしたが、このシーンは作品として必要なのだろうか? 性交を恋愛の一つの形としか考えられない場合、直子の事を思うと二人の行動は醜悪にすら映るかもしれない。 しかし、ここまで考察してこそ言い切れるが、これはレイコにとってもワタナベにとっても必要だったのだ。 無論快楽ではない。 直子の死後放浪し、時には死者とも話していたワタナベは物理的に東京に帰ってきたとはいえ、精神的はまだ死者とのつながりが強かったに違いない。 そして記述はされていないが、直子の死はレイコにも大きなダメージを与えていたはずなのだ。 このシーンから約1年前、ワタナベが直子を求めて初めて阿美寮に来たとき、レイコは不完全な自分を知って助け合う事が大事、と言っている。 また、相手に対して心を開くことによって「回復する」という事も言っている。 その会話はまさにこの場面への伏線であり、二人は「不完全な自己を認めつつ」、お互いを思い合い、「助け合い」「心を開き」、そして「回復」したのだ。 この儀式ともいえる行動を経て、2人は初めて生の世界に帰ってきた。 レイコ自身は旭川での生活に不安があるようだが、回復した彼女なら現実に折り合いを生きていくだろう。 そしてワタナベは? 最終シーンで緑に連絡を取りつつも自分がどこにいるのかがわからない、という場面で次はワタナベが病んで死に向かっていくのか、と考えられる方もおられると思うが、私はそれは否定する。 あのシーンは、生きる決意をしたワタナベであるが、それでも尚、死は常に生に含まれているのだ、と読者に再認識させている、と解釈している。 彼が直接死に向かっていない理由はごく簡単で、本作品の第1章では37歳になって生きているワタナベが登場するからだ。 そこで彼は悲しいけれど直子の記憶が遠ざかり続けていることを自覚している。 それはつまり彼がこの儀式のあと、苦しくても現実に向かい合って生き続けた証だ、と信じる 懐かしく読んでます 本書はとても良いと思います。 おすすめです。 ストーリーは非常にたんたんとしていますが、とても面白いです。 主人公たちの心境が痛いくらいに伝わってきますし、若者たちの愛や性、感情の起伏など、とてもリアルに描かれています。 村上さんの代表作のひとつですね。 読んでみて一言で表すと「とても切ない気分なる小説」です。 残念なのはせっかくの透き通った世界を書いているのに、読者にうけようとした余計な描写が気になりました。 若いときに書いた村上氏の不完全さかな。 上下巻と読み終わると、主人公にずっぽりハマってしまいしばらくの間沈んでしまった気分が。 深く考えさせられる作品でした。 恋愛小説の中にある何か 一時代を創ったベストセラーです。 男女の恋愛が中心にありながらも、様々な要素が詰まっています。 直接的な性描写や喜劇的なこと、音楽や映画、そして時折親しい人間の死などが影を落とします。 全体的にはコミカルで楽しい要素が詰まっているのですが、冒頭のエピソードなどからも分かるようにどこか重さ暗さも潜ませています。 文章はとても平易で読みやすく、あちこちに散りばめられているエピソードは読ませるものであったり、笑ってしまう事柄が多いです。 テーマなどを深く読もうとせずとも、軽いタッチを楽しんでいくだけでも良いと思います。 今から読むとやはり当時の世相を反映した部分がありますが、物語自体は古びず面白い作品として仕上がっていると思います。 ノルウェイの森を「生と死と性」というテーマで読み解く - ノルウェイの森の感想ならレビューン小説 「考察の概要:この小説は「性と死」ではなく「性と死と性」について書かれている」「死の成長を止められなかった人たち キズキ、ハツミ、直子の姉、突撃隊」「生の代表、永沢と緑」「生と死のハザマにいる危うい存在、直子」「レイコは最終シーンで回復し生の世界に戻ってきた」「そしてワタナベは?」等、村上 春樹の小説ノルウェイの森を実際に読んだレビュアーによる長文考察レビュー『ノルウェイの森を「生と死と性」というテーマで読み解く』を掲載しています。 レビューンは、作品についての「理解を深める」ことができるレビューサイトです。 登場人物の台詞の意味や、シーンの意図など、レビュアーによる独自の解釈や深い考察がされた感想を多く掲載しています。 内容のネタバレや結末が含まれる感想もございますのでご注意ください。

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ノルウェイの森の感想/考察/ネタバレ

ノルウェイ の 森 感想

『 』 収録曲 A面• 「 ノルウェーの森」• 「」 B面• 「」 ミュージックビデオ - 「 ノルウェーの森」 (: Norwegian Wood This Bird Has Flown )はの、の楽曲である。 本作はに発売された6作目の『』のA面2曲目に収録された楽曲で、クレジットはとなっているが、主にによって書かれた楽曲で、一部によって書かれた。 およびアコースティック・ギターは、はが担当。 本作ではを担当しているが演奏するが特徴となっており、レコード化されたで初めてシタールが使用された例とされている。 オーストラリアでは「」との両A面シングルとして発売され、同国の音楽チャートで2週連続の1位を獲得した。 (2010年版)では83位にランクされている。 背景・構成 [ ] 歌詞は、冒頭で仄めかされているように、ジョン・レノンが当時の妻シンシアに気付かれないように、他の女性と関係を持っていたことを表している。 レノン自身が相手の女性について明かしたことはないが、作家の ()はレノンの親友でジャーナリストの ()、または ()のどちらかであると推測している。 タイトルについては、ロンドンで当時流行していた安物の松材を使用した内装を皮肉ったものと説明している。 なお、1970年のインタビューでレノンはミドルエイトと最後の「 So I lit a fire(だから私は火をつけた)」というフレーズが、マッカートニーによって書かれたものであることを明かした。 マッカートニーの解説によれば、最後のフレーズは「風呂で寝ることになってしまった復讐をするために、その場所を燃やしてしまうことにした」とのこと。 1965年4月5日から6日にかけて、ビートルズ主演の映画『』におけるインドのレストランのシーンをトゥイッケナム・フィルム・スタジオで撮影している際に、はインドのミュージシャンが演奏していたに興味を持った。 それをきっかけに本作でシタールが導入され、発売されたで初めてシタールが使用された例となった。 その後ハリスンはシタールに対する興味が増し、シタール奏者のに弟子入りしてインドの哲学とシタールを習得し 、「」や「」等の楽曲を制作した。 また、ビートルズ以降にも(「」)や(「 ()」)などのバンドが、シタールを使用した楽曲を発表した。 レコーディング [ ] 『ラバー・ソウル』のレコーディング・セッションの初日にあたる1965年10月12日に、本作の初期バージョンがで録音された。 当時の仮タイトルは「This Bird Has Flown」で、リハーサルが行われた後に、2本の、、という編成リズムトラックが1テイクで録音された。 このリズム・トラックに対してハリスンは、シタールのパートを加えた。 この時のテイクでは、最終リリース版よりもが強調されたアレンジとなっている。 その後レノンによるが録音されたが、バンドはアレンジに満足せず、このアレンジは破棄されることとなった。 に発売された『』には、破棄されたアレンジ(テイク2)が収録されている。 10月21日にキーをからに上げ 、少々激しいアレンジでリメイクを開始した。 しかし、アレンジに満足せず、キーはそのままに以前のアレンジを採用した。 3テイクの頃にはタイトルが「Norwegian Wood」に変更されていた。 なお、本作のであるは、シタール録音時にレベルのピークが読めないことから苦労したと語っている。 邦題に関する諸説 [ ] 原題の"Norwegian Wood"が何を意味するか歌詞中に明確に描かれていないため、邦訳には、「ノルウェーの森」や「ノルウェー製の家具」などがある。 によれば、"wood"という単語は、"the wood"と定冠詞がつく場合以外の単数では森を意味しないという。 「森」は語学的におかしく、「ノルウェイ材の部屋」のような訳の方が正しいのではないかとしている。 ただし一方で、「ノルウェーの森」の方がタイトルとしてははるかに良いということも述べている。 この説はアルバート・ゴールドマンによるジョン・レノンの伝記にも登場する。 また、村上春樹は、「ジョージ・ハリスンのマネージメントをしているオフィスに勤めているあるアメリカ人女性から『本人から聞いた話』」として、"Knowing she would"(オレは彼女がそうすると(俗的に言えば「ヤらせてくれる」と)知って(思って)いた)という言葉の語呂合わせとして、"Norwegian Wood"とした、という説を紹介している。 「ノルウェーの森」という邦題は、当時でビートルズ担当のディレクターだったが付けた。 高嶋は知っている単語で適当に歌詞を訳してから曲を聴き、自分で閃いたところでタイトルを付けていた。 ジョージが弾くシタールと、ジョンの靄がかっているような物憂げな声に"wood"なので、なんの疑いもなく「ノルウェーの森」に決めたという。 ミキシング [ ] モノラル・ヴァージョンには最初の中間部(0'38")に小さく咳払いが入る。 その他下記の通り3つの定位の異なるミキシングがある。 ヴァージョン ヴォーカル シタール アコースティック・ギター 『』収録 右寄り 左 右 『』収録 中央(やや右寄り) 左寄り 中央 『』収録 中央(やや左寄り) 中央(やや右寄り) 中央 演奏 [ ] 以下、 ()の書籍を出典としたクレジット。 - 処理された、• - 、• - アコースティック・ギター、ダブルトラック処理された• - 、 収録盤 [ ]• "" Capitol• 『』 カバー・バージョン [ ]• ・ - 1988年のアルバム『』に収録。 参考文献 [ ]• 「『ノルウェイの森』雑考」『図書』538号、、1994年4月。 『村上春樹 雑文集』、2011年1月31日。 Cross, Craig 2005. The Beatles: Day-by-day, Song-by-song, Record-by-record. Iuniverse. Everett, Walter 1999. The Beatles as Musicians: Revolver Through the Anthrology. Everett, Walter 2001. New York, NY: Oxford University Press. Jackson, Andrew 2015. 1965: The Most Revolutionary Year in Music. Thomas Dunne Books. 2015. This Bird Has Flown: The Enduring Beauty of Rubber Soul, Fifty Years On. Lewisohn, Mark 2005 [1988]. The Complete Beatles Recording Sessions: The Official Story of the Abbey Road Years 1962—1970. London: Bounty Books. 2005. Revolution in the Head: The Beatles' Records and the Sixties Second Revised ed. London:. Margotin, Philippe; Guesdon, Jean-Michel 2013. All the Songs: The Story Behind Every Beatles Release. 1997. Paul McCartney: Many Years from Now. New York:. 2008. John Lennon: The Life. Spitz, Bob 2013. 2006. San Francisco:. 脚注 [ ] [] 注釈 [ ]• richieunterberger. com. 2018年10月17日閲覧。 Williams, Paul 2002. The Crawdaddy! Book: Writings and Images from the Magazine of Rock. 109. Time Out In. Time Out England Limited 2019年5月17日. 2020年4月23日閲覧。 ジャパンミュージックネットワーク株式会社. 2010年10月13日. 2020年4月23日閲覧。 BARKS ジャパンミュージックネットワーク株式会社. 2010年8月12日. 2020年4月23日閲覧。 worldcharts. 2013年5月22日時点の [ ]よりアーカイブ。 2020年4月23日閲覧。 Penske Business Media, LLC. 2011年4月7日. 2020年4月23日閲覧。 , p. 418-19. , p. 257. Rolling Stone. Penske Business Media, LLC. 2011年9月19日. 2020年4月23日閲覧。 , p. 270-71. , p. 108. 『ビートルズの謎』、2008年、72頁。 2010年 and 『Collaborations』のアルバム・ノーツ. Lavezzoli, Peter 2006. The Dawn of Indian Music in the West. New York, NY: Continuum. 175-76. , p. 161-62. , p. 132. , p. , p. Unterberger, Richie. 2020年4月23日閲覧。 , p. 165. , p. , p. 132-134. , p. 280-281. , p. 11-15. , p. 108. , p. インタビュアー:. ザ・ビートルズ レーベル公式サイト.. の2013-11-23時点におけるアーカイブ。 2019年3月29日閲覧。 「洋楽マン列伝 vol. 101 高嶋弘之氏(中編)」『』、ミュージックマガジン、2018年9月、 167頁。 , p. 314. 外部リンク [ ] thebeatles. com• — SONGS.

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