イメージ画像:『石原プロモーション』公式サイトより 熊本地震が発生してからおよそ2カ月半がたった。 その後、芸能人たちもさまざまな形で被災者を支援している。 こうした行為には賛否あるだろうが、中でも目を見張るのは石原軍団の動きだ。 6月に入ってからら石原プロモーションのメンバーが熊本入りし、炊き出しを行った。 その場に、などジャニーズメンバーも加わっていたことでさまざまな物議も醸しているが、ここで気になるのは、石原軍団の資金源だ。 石原軍団は過去にも震災などがあれば大規模な炊き出しを行っているだけでなく、舘らは日頃の仕事場にも名物のおはぎを大量に差し入れている。 これらの行為には当然、それなりのお金がかかるのだが、失礼ながら今の石原軍団の活躍ぶりを見ていると、そこまで羽振りがいいようには思えない。 一体、これらのお金をどこで賄っているのか。 関係者に話を聞いた。 「テレビや映画を見ていればわかるように、石原軍団メンバーは今、俳優としての仕事は少ないです。 そのため、石原プロモーションとしての収入も減少しており、かつてのような勢いはありません。 炊き出しを行う際の食材などは、食品会社やスーパーなどに提供してもらえる可能性もありますが、それでも最低数百万円のお金はかかっているはずです。 おはぎにしても毎回スタジオに100個単位で持ってきてくれます。 これだって数万円前後かかり、それが年間で何十回とあります。 舘クラスでも出演ギャラが番組によっては、30万円から40万円ほどですから、業界内でも『一体どこからお金が出ているのか』と不思議がる声は多いですよ」(テレビ局関係者) 関係者でも疑問だという軍資金の出どころだが、一説にはの印税収入という話もある。 「たしかに石原裕次郎の印税収入が莫大なようですが、それにしてもたかだか数千万円のレベルですよ。 事務所の維持費、人件費などを考えれば、炊き出しやおはぎに回す余裕はないはずです」(プロダクション関係者) ならば、どこから出ているのか。 「俳優が身銭を切っているんです。 一連の活動は石原裕次郎の思いを継承するという石原軍団のプライドありきで行っていることなので、自腹でも続けたいとそれぞれの俳優が考えているんです。 それによって、生活が苦しくなろうとも、格好いい軍団員でありたいという思いから、続けているんです」(同) 驚くべきことに、何も資金に余裕があるから行っているわけではなく、厳しい中でも自身のプライドを保つために実施しているという。 「また、おはぎに関しては石原軍団の名物になっているので、スタッフも楽しみにしています。 その期待に応えるため、ギャラが安い仕事でもおはぎを持っていき、赤字になろうとも続けているようです」(同) 赤字でも続けるとはすごいが、たしかに石原軍団のメンバーが来る日はおはぎを心待ちにしてしまうスタッフの胸のうちも理解できる。 このように、自分たちの行為によって笑顔になる人がいる以上、何がなんでも続けるという意思がそれぞれのメンバーにはあるようだ。 無理のない範囲で、今後も頑張ってほしいものだ。
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震災時など被災地に駆けつけ、炊き出しをすることで知られる石原軍団。 徳重らメンバーは、石原プロに入社すると最初に炊き出しの準備を映したプロモーションビデオを見させられると述べ、「どこに入ったんだろうと思う」と自虐。 ちなみに一番規模が大きい時は3000人~5000人分の料理を用意するそう。 今回彼らは、明石家さんまら番組出演者を始め、スタッフ、観客を含めた200人に軍団特製のカレーを振る舞うことに。 徳重が調理を開始すると、メンバーの1人である金児憲史から「3000人分って大釜なんですよ。 上からかき混ぜないといけないんですけど、そうすると顔が真っ赤になる。 湯気で低温やけどしちゃう」とその過酷さを告白。 それを聞いたさんまが、「すごいなぁ。 やめたいやろな~」と同情すると、徳重は牛肉を柔らかく揉みながら苦笑い。 「前掛けをちゃんと濡らしてからじゃないと(熱で)焼けちゃう」とも語っていた。 ついに完成したのはニンニクを効かせた濃厚なルーのカレー。 試食した人たちはその美味しさに一様に絶賛しており、マツコ・デラックスも「芸能界に入って良かったなって思う1つ。 今日は記念の日。 石原軍団のカレーを食ったっていう記念日よ」と感激していた。 《杉山実》.
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石原プロの(左から)舘ひろし、渡哲也、会長の石原まき子さん、神田正輝 (78)、(70)、(69)らが所属する芸能事務所「石原プロモーション」が57年の歴史に幕を下ろすことが15日、分かった。 昭和の大スター、故さんが1963年に設立し、社長を務め、映画「黒部の太陽」(68年)、ドラマ「太陽にほえろ!」(72〜86年)「大都会」(76〜79年)「西部警察」(79〜84年)などの制作で一時代を築いた老舗プロダクション。 現在所属する9人の俳優へのマネジメント業務も終了するため「石原軍団」は解散となる。 中心として支えてきた渡、舘、神田は独立する方向で調整し、00年のオーディション「21世紀の石原裕次郎を探せ!」でデビューした(41)、金児憲史(41)らは他事務所への移籍の道を選ぶことになりそうだ。 1987年7月17日に裕次郎さんが他界後、渡が2代目社長として引っ張り、被災地での炊き出しや、国立競技場で11万人を集めて裕次郎さんの二十三回忌を開催するなどして軍団の男気を見せてきた。 だが11年、渡が健康上の理由や社長在籍期間が裕次郎さんの社長在籍期間と同じ24年目を迎えたことで退任し、大番頭だった小林正彦さん(16年死去、享年80)も去り、近年の活動は縮小に向かっていた。 渡はその後、相談取締役として裕次郎の妻で会長の石原まき子さん(86)をサポートしてきたが、関係者によると、今回の幕引きはまき子さんも高齢となり、元気なうちに区切りをつけたいとの思いがあった。 渡は本紙の取材に「主が亡くなって30年余り。 よくやったと思います」と話している。 同社は今月3日付で石原裕次郎記念館を運営していた子会社の石原インターナショナルを清算。 今後は石原音楽出版が裕次郎さんの音楽関係の版権や遺品の管理を担っていく。 石原プロによると、今後の方向性を記したまき子さんの手紙が今月17日の裕次郎さんの命日に関係各所に届くという。 昨年の命日には三十三回忌法要をもって弔い上げとし、公の供養は行わないと発表していた。 「石原プロ」をもっと詳しく.
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