アムステルダムオリンピックへの招待状が 届きます。 しかし資金が足りなくて 体協名誉会長の嘉納治五郎(役所広司)は オリンピック出場を辞めようと言い出し 体協会長の永井(杉本哲太)も金は自分で 集めてと投げやりでした(汗) そこで田畑政治(阿部サダヲ)は 大蔵大臣・高橋是清(萩原健一)に 直談判に行きます。 政治が物怖じすることなく、日本水泳の 高石勝男をアピールしますが、 高橋是清は「オリンピックに関心がない。 スポーツと政治は無関係、それが私の信条だ だから政府は金も出さぬが、口も出さん」 と言いました。 政治は「富める国はスポーツも盛んで 国民の関心も高いんです。 先生方もスポーツ を政治に利用すればいいんですよ。 金も出して口を出したらいかがですか」 と話します。 高橋是清が「私が断ったら?」と聞くと 政治は「大蔵大臣の上は総理ですか?」 と答え、高橋大臣は「君は怖いもなしだな」 と大笑いしました。 政治は「僕どうせ30で死ぬんで」と 言います。 マリー(薬師丸ひろ子)の 占いを気にしているようです。 高橋是清が「オリンピックはお国のために なるのかね」と聞くと 田畑政治は「お国のためにはなりませんが しかし若い者には励みになります。 日本の 若者が跳んだり跳ねたり泳いだりして 西洋人を打ち負かす。 その姿を見て頑張ろう と立ち上がる。 その若者の力を国を豊かに するために生かすも殺すも先生方次第です」 と説明しました。 高橋是清は洋酒を飲んで、 政治をチラ見します。 萩原健一さんの出演はこれでラストなので しょうか?残念です。 濃厚な存在感があって 貫禄がありましたね。 アムステルダムオリンピックへ 田畑政治は高橋是清が出資してくれた オリンピック特別予算6万円を 体育協会へ持って帰ります。 可児(古舘寛治)は寄付などを加えれば 10万円になるので、全員がアムステルダム オリンピックへ行けると喜びました。 嘉納治五郎と野口(永山絢斗)は 唖然としてましたね。 水連本部へ戻って、政治がアムステルダム オリンピックへ行ける事になった報告すると 松澤一鶴(皆川猿時)野口一雄(三浦貴大) たちも大喜び! 高石勝男(斎藤工)鶴田義行(大東俊介) たち11人が代表選手に選ばれます。 田畑政治は水泳部監督としてアムステルダム へ行く気満々でしたが、緒方竹虎 (リリー・フランキー)から行ける訳ないと 言われてしまいました。 代わりに運動部の 尾高(じろう(シソンヌ))が行くことに なり、結果は電信機で送られることに なります(泣) 細田(政修二郎)が政治に電報を持って 来ました。 「アニ キトク」とあります。 古今亭志ん生(ビートたけし)から 五りん(神木隆之介)への高座リレーで 人見絹枝物語が始まりました。 人見絹枝物語 人見絹枝(菅原小春)は日本初の女子 オリンピック選手となります。 4年前に神宮外苑の復興運動会で大活躍し シマ(杉咲花)に勧められ、岡山から東京へ 上京してきました。 高座の五りんは、シマは関東大震災で 行方不明になったと寂しげに話します。 二階堂体操塾、二階堂トクヨ(寺島しのぶ) は絹枝に、シベリヤを食べるよう言い 「絹枝さん、あなたはご幸福ですか?」 と聞かれました。 人見絹枝は走ると、化け物を言われ 跳ぶと、バッタと呼ばれ、何もしないと 六尺さんと笑われると泣き顔です。 トクヨは「あなたはメダルも取り、結婚も する。 どっちも手に入れて初めて女子 スポーツ界に革命が起こるんです。 変えるべき、日本スポーツ界の未来を」 と励まされ、人見絹枝は100mで 12秒4の世界記録を打ち立てます。 人見絹枝、オリンピック出場へ IOC総会で、女子陸上がオリンピックの 正式種目となりました。 黒坂辛作(三宅弘城) は女子用が必要だと笑顔になります。 金栗四三(中村勘九郎)が「りくちゃん、 お母さんの夢、ようやくかなったぞ」と 言うと、りくを膝に乗せた増野(柄本佑)は 泣き出しました。 ところが体協では女子のオリンピック出場に 野口が反対、河野一郎(桐谷健太)は賛成 金栗四三は複雑な感じでした。 四三は世界 記録を出していながらも、オリンピックで メダルを取れなかったからです(泣) ついに田畑政治が押し切り、人見絹江は オリンピックに出場することに決まります。 絹枝が尾高からインタビューを受けている ところへ政治が乱入し記念撮影しました。 政治は背が低いので、高石たちに抱えて もらって、絹枝より高く見せます(笑) トクヨは絹枝に髪留めをプレゼントし 髪に留めてあげてましたね。 オリンピック結果はモールス信号!? 昭和3(1928)年、日本選手団は シベリア鉄道に乗ってアムステルダムへ 向かいました。 人見絹枝は 織田幹雄(松川尚瑠輝)たちから 「姉御」と呼ばれ、慕われていたけど 縫物をさせられていたみたいです(泣) 7月28日第9回アムステルダム オリンピックが開幕しました。 聖火台はこの時が初めてだったそうです。 日本と時差が8時間あったので、現地の記者 が記事を書いて電信機に送られてきます。 モールス信号なので時間がかかってました。 現地からの写真はないので、雰囲気のある 写真をかき集め、新聞記事に再構成します。 今はテレビやネットで同時中継を観る事が できますが、当時は大変だったんですね。 人見絹枝、800mへ 7月29日、陸上競技が始まり女子100m で人見絹枝は大緊張してスタジアムへと 向かいました。 田畑政治が新聞社で寝ていると アムステルダムから電信が入ります。 人見絹枝は4位だったというので 河野たちはショックを受けました。 レースを終えた人見絹枝は 控室の柱に背をもたれ 落ち込んでいます。 やがて他の選手たちが試合を終えて 控室へ戻ってくると、野口が「よくやった」 と声をかけていました。 人見絹枝は立ち上がると「このままでは 日本に帰れません。 800mに出せてもらえ ないでしょうか」と野口に頼みます。 南部忠平(池田倫太郎)らは100mとは 走り方が違うと止めますが、 私のせいで日本女子スポーツが終わって しまうと頼みこみました。 野口はわかったと言いますが、作戦を立てる 事にします。 最初から飛ばすとスタミナが すぐ落ちるので、先頭を走らないようにし 足が動かなくなったら、腕を振っていく ことにしました。 アムステルダムの尾高から、人見絹枝が 800mに出場すると知らせが届き 政治たちは盛り上がります! 人見絹枝、銀メダル 人見絹枝は「私の体にどうか明日一回 走る力を与えてください」という言葉を 残したそうです。 女子800m、人見絹枝はインコースから クラウチングスタートすると、トップに 立ちます。 しかし野口たちが「下がれ!」 と叫ぶと、6位まで落としました。 やがて人見の足が動かなくなると 野口たちは「姉御、腕を振れ!足を動かせ」 と応援します。 絹枝は大きく腕を振って 4位からトップのラトケに続いて2位に 上がりました。 アムステルダムから銀メダルを取ったと 電信が入り、政治たちは大喜び! 2分17秒4の世界新記録でした。 日本代表の活躍 緒方は号外を出す事を決めます。 号外を読んだ増野は四三たちと喜び りくに「お母さんの目に狂いはなかった」 と喜びます。 6日後、水泳競技が始まり、鶴田義行が 競泳男子200m平泳ぎで金メダル 800m自由形リレーで、銀メダル 100m自由形で、高石勝男が銅メダルを 獲得しました。 田畑政治を緒方がバー・ローズへ誘って きました。 緒方は結婚をすすめてきますが 政治は独身を貫くと話します。 兄の庄吉(内村遥)が亡くなり、甥たちの 様子を見て、家族を悲しませるのは辛いと 思ったのです。 うら(根岸季衣)は造り酒屋の八百庄を 政治の弟に継がせ、政治にはバカでかい事を しろと言ってくれます。 マリーは政治の生命線を伸ばそうと 包丁を持ち出してきました(笑) 上白石萌歌さんの前畑秀子 日本選手団が船で帰国するのを 田畑政治と松澤一鶴が待っていると 大歓声が聞こえてきます。 政治たちが観衆をかき分け前へ出ると 高石から銀メダルと銅メダル 鶴田から金メダルを見せてもらいました。 やがて人見絹枝が姿を現すと 政治は「よくやった」と歓迎します。 人見絹枝はラジオで、オリンピックへ出場し 本当に変わりましたと熱弁し 感動した増野は「人見絹枝、万歳!」 と叫びました。 前畑秀子(上白石萌歌)が ちらっと映ってましたね。 人見絹枝は二階堂トクヨのもとへ行き 「一番最初にお見せしたかった」と 銀メダルを見せます。 絹枝は幸せだと 言って、シベリヤを食べました。 しかし人見絹枝さんは3年後、24才で この世を去ったそうです。 悲しすぎますね。
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オランダのお金事情は?現金は1日にどのくらい必要? オランダの通貨はユーロです。 オランダの物価は、日本の物価より若干安い程度ですが、ユーロの影響で日本より高く感じることもあります。 スーパーでの肉や野菜、アルコール類、乳製品は非常に安いですが、魚は高い傾向にあります。 外食は割高で、カジュアルなレストランでも15ユーロくらい(1,950円程度)しますし、マクドナルドのセットも7ユーロ(850円程度)など日本より高いです。 博物館や美術館の入館料は10ユーロ前後のところが多いようです。 公共機関がどれも指定時間内乗り放題になる1時間券は2. 8ユーロ(約360円)、1日券は7. 5ユーロ(約970円)。 ホテルの宿泊料は、ホステルなどは1泊3,000円前後と安い料金設定ですが、アムステルダム中心部の3・4つ星ホテルになると1泊100ユーロ(約13,000円)と高くなってきます。 1日に必要な現金は、訪れる観光地などによっても違ってきますが、宿泊費を除いて8,000円くらいは必要になるでしょう。 オランダのグルメを食べましょう! オランダの国民食とも言えるのが、オランダのフライドポテトである「パタツ」です。 フライドポテトはベルギー発祥の食べ物ですが、隣国だけあって、オランダでも、外はサクっと、中はホクホクの、2度揚げされたおいしいパタツを食べることができます。 少し甘いマヨネーズやピーナッツソースをたっぷりつけて食べるのがオランダ流。 値段もリーズナブルで気軽に楽しめるおすすめの食事です。 そして、オランダの代表的なスナックが、オランダ版コロッケの「クロケット」です。 クリーミーな味わいの中にも、カレー粉やナツメグなどのスパイスが絶妙に効いていて、衣はサクサク、マスタードをつけて食べるのが定番。 オランダのマクドナルドでは、このクロケットをサンドした「McKroket」を食べることができます。 他にも、タラのから揚げ「キベリング」、リンゴケーキの「アップルタールツ」や「ストロープワッフル」などのおいしいスイーツもおすすめです。 食事をする際には、テーブルにお皿を置いたまま食べるのがマナー、持ち上げて食べないように気を付けましょう。 オランダのチューリップを観るのにおすすめの季節は? オランダはチューリップの国として知られており、チューリップが咲く頃に訪れたい人も多いはずです。 チューリップの季節は、3月末から5月末まで。 オランダ全土が広範囲に渡り、色とりどりのパッチワークのキルトのような美しい風景に変わります。 チューリップを観るのに特におすすめの時期は、天候にも左右されますが、満開になる4月半ばです。 リッセの「キューケンホフ公園」では、700万株を超える球根が開花、様々な種類のチューリップを観るのにおすすめの場所の一つです。 公園は3月末~5月中旬まで開園していて、花が咲いています。 この時期は、電車や自転車に乗って移動すれば、田園地帯の畑に咲くチューリップを眺めることができます。 入館料は無料。 1940年5月14日から1945年5月5日まで、オランダはナチスドイツに占領されていましたが、その占領の歴史や、反ナチス抵抗運動について学ぶことができます。 また、オランダにもファシズム政党があったことや、第二次世界大戦中当時のヨーロッパのレジスタンス運動の活動家の紹介や手紙などが展示されています。 展示物は、主に情報はフランス語で主にドイツ語と英語に翻訳されています。 ジュニア向けのセクションもあり、子どもも過去の戦争の悲惨さなどについて勉強できます。 市内観光に関連した現地ツアーはこちら アムステルダムの北約15kmのところにあるのが、ザーンセ・スカンスです。 アムステルダム中央駅より、電車またはバスでアクセスが可能。 ザーンセ・スカンスは、ザーンセ・スカンス風車村ともいわれ、オランダのシンボルといえる数多くの風車をはじめ、17世紀~18世紀のオランダの暮らしを知ることができる、村全体が博物館のような人気の観光スポットです。 ザーンセ・スカンスにある風車はさまざまな用途に使われていたもので、製油所・製材所・染色工場・製粉所などがあり、内部は見学可能で、外側からも内側からも風車を楽しめることが魅力。 さらに時計博物館やベーカリーミュージアムなど複数の博物館の見学、木靴工房やチーズ工房などのショップもあり、ショッピングも楽しめます。
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陸上男子のメダリストは22人 陸上日本男子は、これまでオリンピックにおいて数々の功績と記録を残している。 日本初の金メダル獲得となった1928年のアムステルダム大会から2016年のリオデジャネイロ大会まで、22名の選手がメダルを獲得している。 特に大きな功績を残した2名のメダリストとして、織田幹雄と室伏広治を紹介する。 日本初の金メダルをもたらした織田幹雄 織田幹雄は、歴代オリンピックにおいて日本で初めて金メダルを獲得した選手である。 日本は第5回1912年のストックホルム大会からオリンピックに出場しているが、金メダルを獲得したのは第9回1928年アムステルダム大会での織田幹雄が初めてだった。 金メダルの獲得は、個人競技ではアジア初でもあった。 織田は1905年に広島で生まれた。 こどもの頃から運動が得意だったという織田は、中学3年から本格的に陸上競技に取り組むようになり、その才能を開花させた。 1922年には初めて国際大会(第6回極東選手権競技大会)で優勝。 「ジャンプの麒麟児」として全国に知られるようになった。 1924年パリオリンピック出場を経て、1925年に奨学金を得て第一早稲田高等学院(現早稲田大学高等学院)へ進学する。 アムステルダムオリンピックでの金メダルは大学3年生のときである。 アムステルダムオリンピックにおいて、織田は三段跳で15m21cmを記録して見事金メダルを獲得した。 世界的には無名であった織田の快挙は予想外だったため、大会本部は「君が代」のレコードも分からず、日章旗の用意もなかった。 国歌は途中から始まり、途中で終わったという。 国旗も大会では日本の国旗が用意されておらず、織田が持参した国旗が掲げられたという逸話が残されているほどだ。 織田がスポーツの世界に日本の名を知らしめた三段跳び。 その後、1932年ロサンゼルス大会の南部忠平、1936年ベルリン大会の田島直人と、日本人が3大会連続で金メダルを獲得。 「日本のお家芸」として世界に君臨した。 「三段跳」という種目名は、当時英語で「ホップ・ステップ・アンド・ジャンプ」と呼ばれていたものを、競技名が長すぎるとして織田が日本語に訳し提案したものである。 また、旧国立競技場には織田の記録である15m21cmの「織田ポール」が立てられており、織田は「日本陸上の神様」と讃えられた。 第一早稲田高等学院卒業後の1931年、朝日新聞に入社。 その年の学生競技大会で15m58cmの世界記録を出しているが、その後故障から現役を退き、記者として陸上の発展に尽力した。 世界選手権と五輪の陸上競技の両方で初めて優勝した室伏広治 近年陸上男子において大きな功績を残したメダリストと言えば、やはり室伏広治だろう。 室伏広治は、1974年、「アジアの鉄人」と呼ばれた室伏重信氏の息子として静岡県で生まれた。 幼い頃からテニス、水泳、野球、少林寺拳法など様々なスポーツを経験し、千葉県の成田高校に進学してからハンマー投げを始めたという。 それから次々に高校新記録、高校最高記録を打ち立て、1991年と1992年にインターハイで優勝を飾った。 2004年のアテネオリンピックにおいて、室伏広治はハンマー投で82m91を投げて金メダルを獲得。 オリンピックの投てき競技における日本人初のメダリストになっただけでなく、オリンピック・国際大会を通じても史上初の日本人金メダリストになった。 さらに8年後のロンドンオリンピックにおいても78m71を投げて同種目で銅メダルを獲得し、初の複数大会でのメダル獲得者になった。 また、日本選手権では、初優勝を飾った1995年から2014年まで前人未踏の20連覇という記録を達成し、世界陸上においても、2011年テグ大会で男子最年長優勝者として金メダルを獲得した。 世界陸上とオリンピックの両大会での金メダル獲得は、日本人史上初の快挙である。 輝かしい実績の数々は枚挙にいとまがない。 2012年ロンドンオリンピックで銅メダルを獲得したのち、2013年9月に2020年東京オリンピック開催が決まると、東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の理事や東京医科歯科大の教授に就任。 多忙を極め、練習量は激減したが、2016年5月下旬に「チャレンジしたい。 熊本地震で被災した方々を勇気づけたい気持ちもある」と、2年ぶりの日本選手権出場を表明した。 結果は、3投目までの最高が自己ベストを20m以上下回る64m74にとどまり、4投目以降へ進めず12位に終わった。 5大会連続のオリンピック出場を逃し、引退の意向を表明した。 次のオリンピックでは新しい種目で金メダルが出るか 陸上日本男子の偉大なメダリスト2人を紹介したが、他にもこれまでのオリンピックで数々の功績と記録を残している。 陸上男子の全メダリストは以下の一覧の通りである。 100mでは桐生祥秀やサニブラウン・ハキム、小池祐貴が10秒の壁を突破した。 他にも50km競歩でもメダルを獲得するなど、新しい風が吹いている。 次の五輪では新しい種目での金メダルを期待できるかもしれない。 これからのメダリストの誕生に大きな期待を寄せたいところだ。 マラソンのケニア、エチオピア勢が強い理由はヘモグロビン量と長い脚 バレーボールのオリンピック歴代男子日本代表を紹介 関連記事リンク(外部サイト).
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