《大久保利通》 『引用元より』 「」「(桂小五郎)」と並び「維新三傑」と呼ばれた「大久保利通」の子孫は、元内閣総理大臣にして、2018年現在「安倍政権」で「財務大臣兼副総理」を務めている「麻生太郎」さんです。 麻生太郎さんは、「大久保利通」の玄孫・・・つまり「孫の孫」 その麻生太郎さんといえば、戦後の首相「吉田茂」の孫にあたるお方ということで有名です。 そして「麻生財閥」の御曹司・・・と言われていますが、幼い頃はかなり質素な生活をしていたみたいですね。 小学校に通っていた時、弟の「麻生次郎」さんと「太郎」さんは、学校内で唯一「ランドセル」を買ってもらえず、ズック素材のカバンを使っていたのだとか。 九州・福岡で祖母に育てられていた時は、かなり厳しくしつけられていたようで、「祖母は怖かった」と証言しています。 御曹司とはいえ、苦労しておられるようですね。 2018年の「安倍晋三政権」を支える麻生財務大臣・・・。 山口県(長州藩)を地元とする安倍晋三総理・・・その「晋」の字は、長州藩の偉人「」の一字をもらったものと噂されています。 「第二次安倍政権」・・・実は長州藩・安倍晋三さんと、薩摩藩・大久保利通の末裔「麻生太郎」さんの「薩長内閣」だったのですね。 ちなみに・・・元総理大臣「岸信介」の孫にあたる「安倍晋三」さんと「麻生太郎」さんもまた、吉田茂の長女「桜子」さんを通じて遠縁関係です。 大久保利通から麻生太郎までの系図解説 大久保利通から麻生太郎さんまでの家系図をご用意いたしました。 大久保利通の次男で外務大臣「牧野伸顕」の娘「雪子」さんが、後の内閣総理大臣「吉田茂」と結婚。 吉田茂と「雪子」さんの子「和子」さんが、麻生財閥の「麻生太賀吉」さんと結婚し、麻生太郎さんが産まれています。 ちなみに「麻生太郎」さんの弟「麻生次郎」さんは、船の事故で若くして亡くなっておられます。 麻生太郎さんの妹「信子」さんは「寛仁親王」と結婚。 「寛仁親王」は麻生太郎さんと友人で、太郎さんは結婚を後押ししたと言われています。 信子さんは2人の女王を産み、大久保利通の血は、皇族にも入っていることになります。 大久保利通の子供達 大久保利通には、正妻「」との間に5人の子供がいました。 長男「利和」は、貴族院議員として活動し、鉄道会社経営に携わり「実業家」としても活躍しています。 次男「牧野伸顕」は、外務大臣・宮内大臣・内務大臣として活躍。 三男「利武」は、通訳として語学力を発揮。 ・松方正義の秘書官を歴任し、後に鳥取・埼玉・大分・大坂の知事をも歴任 四男は、後述いたします。 五男「石原雄熊」 長女「芳子」は、後の外務大臣「伊集院彦吉」と結婚。 そして、大久保利通には「おゆう」という芸姑の愛妾がおり、その人との間に4人の子がいました。 四男「利夫」、六男「駿熊」、七男「七熊」、八男「利賢」・・・八男の「利賢」氏は、後に「横浜正金銀行(現・三菱UFJ銀行)」の銀行頭取として活躍しています。 ちなみに「利賢」は「ダルマ宰相」と呼ばれ「二・二六事件」で亡くなった太っちょ首相「高橋是清」の娘と結婚。 2人の間に産まれたのが、商社「丸紅」の重役を務めた「大久保利春」 この「大久保利春」は、「田中角栄」が失脚した「ロッキード事件」で逮捕されています。 大久保利春は 「じいさんに合わせる顔がない」 と、逮捕されたことを終始後悔していたらしいですね。 麻生太郎さんが語る『大久保利通』について 麻生太郎さんが、自らの先祖である「大久保利通」について語っていたことがありました。 「幕藩体制を破壊したのは西郷隆盛。 その後の新体制を築いたのはと大久保利通」 確かに、「」「鳥羽伏見の戦い」の後、東征軍を実質的に率いていたのは、東征軍参謀「西郷隆盛」でした。 その西郷隆盛が、との会談で「」を成功させて、江戸幕府を崩壊させたのです。 その後の明治新政府を主導したのは、あくまでも「大久保利通」 彼は「内務省」を設置して、自らが「初代内務卿」に就任。 内務卿は当時、事実上の「首相」ポストでした。 「」 「」 「」 「学制」 「」 「徴兵令」 「士族反乱鎮圧」 「台湾出兵の戦後処理と、日清両国間互換条款への調印」 など、大久保利通が主導しています。 岩倉具視もまた、の代理を務めた後、新政府の政策実現に尽力。 麻生太郎さん・・・・近代日本の礎を築いたご先祖様のことを、とても尊敬しておられるのでしょう。
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《大久保利通》 『引用元より』 「」「(桂小五郎)」と並び「維新三傑」と呼ばれた「大久保利通」の子孫は、元内閣総理大臣にして、2018年現在「安倍政権」で「財務大臣兼副総理」を務めている「麻生太郎」さんです。 麻生太郎さんは、「大久保利通」の玄孫・・・つまり「孫の孫」 その麻生太郎さんといえば、戦後の首相「吉田茂」の孫にあたるお方ということで有名です。 そして「麻生財閥」の御曹司・・・と言われていますが、幼い頃はかなり質素な生活をしていたみたいですね。 小学校に通っていた時、弟の「麻生次郎」さんと「太郎」さんは、学校内で唯一「ランドセル」を買ってもらえず、ズック素材のカバンを使っていたのだとか。 九州・福岡で祖母に育てられていた時は、かなり厳しくしつけられていたようで、「祖母は怖かった」と証言しています。 御曹司とはいえ、苦労しておられるようですね。 2018年の「安倍晋三政権」を支える麻生財務大臣・・・。 山口県(長州藩)を地元とする安倍晋三総理・・・その「晋」の字は、長州藩の偉人「」の一字をもらったものと噂されています。 「第二次安倍政権」・・・実は長州藩・安倍晋三さんと、薩摩藩・大久保利通の末裔「麻生太郎」さんの「薩長内閣」だったのですね。 ちなみに・・・元総理大臣「岸信介」の孫にあたる「安倍晋三」さんと「麻生太郎」さんもまた、吉田茂の長女「桜子」さんを通じて遠縁関係です。 大久保利通から麻生太郎までの系図解説 大久保利通から麻生太郎さんまでの家系図をご用意いたしました。 大久保利通の次男で外務大臣「牧野伸顕」の娘「雪子」さんが、後の内閣総理大臣「吉田茂」と結婚。 吉田茂と「雪子」さんの子「和子」さんが、麻生財閥の「麻生太賀吉」さんと結婚し、麻生太郎さんが産まれています。 ちなみに「麻生太郎」さんの弟「麻生次郎」さんは、船の事故で若くして亡くなっておられます。 麻生太郎さんの妹「信子」さんは「寛仁親王」と結婚。 「寛仁親王」は麻生太郎さんと友人で、太郎さんは結婚を後押ししたと言われています。 信子さんは2人の女王を産み、大久保利通の血は、皇族にも入っていることになります。 大久保利通の子供達 大久保利通には、正妻「」との間に5人の子供がいました。 長男「利和」は、貴族院議員として活動し、鉄道会社経営に携わり「実業家」としても活躍しています。 次男「牧野伸顕」は、外務大臣・宮内大臣・内務大臣として活躍。 三男「利武」は、通訳として語学力を発揮。 ・松方正義の秘書官を歴任し、後に鳥取・埼玉・大分・大坂の知事をも歴任 四男は、後述いたします。 五男「石原雄熊」 長女「芳子」は、後の外務大臣「伊集院彦吉」と結婚。 そして、大久保利通には「おゆう」という芸姑の愛妾がおり、その人との間に4人の子がいました。 四男「利夫」、六男「駿熊」、七男「七熊」、八男「利賢」・・・八男の「利賢」氏は、後に「横浜正金銀行(現・三菱UFJ銀行)」の銀行頭取として活躍しています。 ちなみに「利賢」は「ダルマ宰相」と呼ばれ「二・二六事件」で亡くなった太っちょ首相「高橋是清」の娘と結婚。 2人の間に産まれたのが、商社「丸紅」の重役を務めた「大久保利春」 この「大久保利春」は、「田中角栄」が失脚した「ロッキード事件」で逮捕されています。 大久保利春は 「じいさんに合わせる顔がない」 と、逮捕されたことを終始後悔していたらしいですね。 麻生太郎さんが語る『大久保利通』について 麻生太郎さんが、自らの先祖である「大久保利通」について語っていたことがありました。 「幕藩体制を破壊したのは西郷隆盛。 その後の新体制を築いたのはと大久保利通」 確かに、「」「鳥羽伏見の戦い」の後、東征軍を実質的に率いていたのは、東征軍参謀「西郷隆盛」でした。 その西郷隆盛が、との会談で「」を成功させて、江戸幕府を崩壊させたのです。 その後の明治新政府を主導したのは、あくまでも「大久保利通」 彼は「内務省」を設置して、自らが「初代内務卿」に就任。 内務卿は当時、事実上の「首相」ポストでした。 「」 「」 「」 「学制」 「」 「徴兵令」 「士族反乱鎮圧」 「台湾出兵の戦後処理と、日清両国間互換条款への調印」 など、大久保利通が主導しています。 岩倉具視もまた、の代理を務めた後、新政府の政策実現に尽力。 麻生太郎さん・・・・近代日本の礎を築いたご先祖様のことを、とても尊敬しておられるのでしょう。
次の大久保利通とはどんな人物? 討幕活動の中で、京都の朝廷に対して幕府ではなく薩摩、長州等から成るグループを支持するように朝廷工作を行いました。 明治維新が成った後は新政府の参議を経て外遊し、帰国後には内務卿として、常に明治政府の中枢にあり一度も権力の座から離れることはりませんでした。 そんな幕末から明治にかけての政治家として活躍した大久保利通ですが、実は元総理大臣であり、現在の財務大臣である麻生太郎氏とは血縁関係があります。 正確には大久保利通から見ると玄孫の関係になります。 幕末の混乱時に西欧列強に対応し、日本を富国強兵へと導き植民地化されることを防いだ偉大な政治家と現在の財務大臣との間にはどのようなつながりがあるのでしょうか。 大久保利通の家系図を紐解きます。 まず、大久保利通は結構な子だくさんでした。 長男と次男を岩倉遣欧使節団で外遊する際に同行させて海外留学させて学ばせています。 このうちの次男が、利通の従姉の嫁ぎ先の牧野家に養子に行った牧野伸顕です。 この牧野はアメリカ留学から帰国後、東京帝国大学を中退して外務省に入省し、外交官としてヨーロッパ諸国の大使などを務めています。 1919年の第一次世界大戦後の秩序を決めるパリ講和会議には次席全権大使として出席するなど主に外交面で活躍しました。 この牧野の長女が雪子といいます。 大久保から見たら孫にあたる女性となります。 この雪子が結婚した相手が外務省のつながりで吉田茂でした。 この吉田茂は幼き頃に実父が投獄されるなどの不遇があり吉田家に養子に行き、東京帝国大学を卒業した後に外務省に入省しています。 そして、外務省内では岳父の牧野とともに新英米派と位置付けられており、日本がドイツと同盟を結ぼうとした際には反対の立場をとっていました。 それゆえに第二次世界大戦中は不遇をかこっていましたが、敗戦後に日本の政界で活躍することとなりました。 内閣総理大臣としてGHQとの交渉などで占領下の苦しい日本を運営していました。 最終的に形式的に日本が再度独立国となるサンフランシスコ講和会議まで日本を導きました。 この吉田の三女が和子です。 快活な性格で吉田の戯れ言を上手に返すところが特に吉田のお気に入りだったそうで、熱心なカトリックの信者でもありました。 この和子が大久保から見るとひ孫ということになります。 この和子が結婚した相手が麻生太賀吉です。 麻生家は九州の炭鉱王という実業家の家系で、祖父の経営する麻生商店に入社し、その後社長となっています。 また、セメントや鉱業などの関連会社の社長も歴任し、事業に成功し利益を上げた後に、岳父の吉田が総理大臣になったのを機に自分も手助けをするために衆議院議員として立候補するとともに資金面でも吉田を支えることとなりました。 この麻生と和子との間に生まれた長男が麻生太郎氏なのです。 太郎氏も実業家として活動した後に政治家として活躍するという父と同じ道を歩みました。 このような繋がりで大久保利通から見て麻生太郎氏は玄孫という位置づけになるのです。 麻生太郎、この方の曽祖父である大久保利通について、ですが、これは遡ると彼自身が述べているとおり、薩摩の現高麗町という場所の出身であったことがわかります。 この地区は、実は甲突川という鹿児島中央部を流れる川を挟んだ西郷隆盛の出身地である城下町地区とは反対の対岸にある、かつて「かわんそともん」と呼ばれる人が住んでいた地区であったことがわかります。 これは史実として、記録に残っている事実です。 明治維新時、この薩摩以外に長州や佐賀や長崎などから多数の政治家が出ていますが、同じ薩摩の加世田、長州の田布施、朝鮮陶工を庇護した鍋島藩のある現佐賀県など、同じような歴史を持った地区から多数の大物政治家が排出され、現在の皇族との閨閥関係にも関わり続けているのは、とても興味深いものです。
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