同番組は平成18年10月にスタート。 同局の堀井美香アナウンサー(48)とのコンビで毎週土曜日午後1時から生放送しており現在、久米さん唯一のレギュラー番組。 「ここ数年、言い間違いが多くなった。 いい時にやめる方がいい」などと理由を語った。 久米さんによると、年明け早々には終了が決まっていたが、新型コロナウイルス禍のなかで言いそびれてしまったと釈明。 「理由を挙げれば100くらいある。 集中力とか根気とかが落ちてきた。 年齢かな」と語った。 その上で「下り坂になってから番組をやめるのは、一番よくないと思っていた。 わりと調子のいいときにやめるのが聴いている人、制作している人にもいい思い出になる-というのが僕の持論なんです」と説明。 横山やすしさんと共演した「久米宏のTVスクランブル」(日本テレビ系、昭和57年10月~60年3月)は「窮地に陥って玉砕した」と笑わせながら、いい形で後継番組にバトンタッチできると話した。 この日の放送は、5日に死去した拉致被害者家族会の初代代表、横田滋さんの話題でスタート。 「産経新聞の記者が猛然と取材して、横田めぐみさんがいなくなって20年たったころ(平成9年)にポンと記事を書いて、大騒ぎになった。 ぼくが(テレビの)ニュースステーションをやっていたころです」と話していた。
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〈ここ数年、自分でもあれっていうような言い間違いが多い〉と理由を語った久米。 放送記者が言う。 「2006年のスタート当時は、みのもんた(75)、小倉智昭(73)と同世代の大物司会者3人が同時間帯で競い話題になったが、最終的に久米がいちばん長く、約14年続いた。 『ザ・ベストテン』などで脚光を浴び、79年、34歳でフリーに転身。 85年に始まった『ニュースステーション』(テレ朝)のキャスターとして大きく飛躍した。 「バラエティー色の強い久米に報道は無理と言われたが、硬軟取り混ぜた仕切りで新しいキャスター像を確立。 未開拓だった午後10時台の報道番組を定着させた」(テレビ制作関係者) だが、開始20年目の04年、番組は終了。 「視聴率の低下というより、1日100万円超ともいわれた久米のギャラなど、制作費の高騰で番組が維持できなくなった。 久米にとっては本意ではなかったはず。 一方で当時59歳の久米が『余力を残してやめたい』と語ったように、彼なりの美学もあった。 今回のラジオ終了に際しても〈下り坂になってからやめるのが一番よくない〉と語った久米。 衰える前に……という美学が働いての自発的な降板なのか。 まだまだやる気だったのでは」(前出・放送記者) それよりは背後に局側の事情もあったと見るのが自然とこの記者は指摘する。 加えて久米の政権批判発言。 検察庁法改正案について安倍首相の答弁を『カンペを読んでいるだけ』、コロナ政策では『アベノマスクの言うことは信用しなくていい』と言うなど、制作サイドが肝を冷やす発言は枚挙に暇がない。 久米も自分の発言を危ぶむ空気を感じていたはず。 たしかに余力はまだまだ十分あり!?
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同番組は平成18年10月にスタート。 同局の堀井美香アナウンサー(48)とのコンビで毎週土曜日午後1時から生放送しており現在、久米さん唯一のレギュラー番組。 「ここ数年、言い間違いが多くなった。 いい時にやめる方がいい」などと理由を語った。 久米さんによると、年明け早々には終了が決まっていたが、新型コロナウイルス禍のなかで言いそびれてしまったと釈明。 「理由を挙げれば100くらいある。 集中力とか根気とかが落ちてきた。 年齢かな」と語った。 その上で「下り坂になってから番組をやめるのは、一番よくないと思っていた。 わりと調子のいいときにやめるのが聴いている人、制作している人にもいい思い出になる-というのが僕の持論なんです」と説明。 横山やすしさんと共演した「久米宏のTVスクランブル」(日本テレビ系、昭和57年10月~60年3月)は「窮地に陥って玉砕した」と笑わせながら、いい形で後継番組にバトンタッチできると話した。 この日の放送は、5日に死去した拉致被害者家族会の初代代表、横田滋さんの話題でスタート。 「産経新聞の記者が猛然と取材して、横田めぐみさんがいなくなって20年たったころ(平成9年)にポンと記事を書いて、大騒ぎになった。 ぼくが(テレビの)ニュースステーションをやっていたころです」と話していた。
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