第三次コレラ流行 約100万人以上が死亡(1846年~1860年) コレラのパンデミックは史上七回発生しています。 第三次コレラ流行は19世紀半ばに発生したパンデミックで、発生源はインドのガンジス川デルタ地帯。 世界的流行によりロシアでは約100万人が死亡、ロンドンでも約2万人が死亡しました。 この流行による世界中での正確な人数はよくわかりません。 おそらく100万人は確実に超えていると思います。 19世紀後半から20世紀前半は、世界的なヒトとモノの流通量が飛躍的に増大し、グローバル化が一段と進んだ時代でした。 大英帝国との経済的な繋がりを深めたインドで、世界各地からヒトやモノ(特に家畜)が流入してきたことで大きな被害が出ることになったのでした。 ロンドンで流行した1854年、疫学の父と言われるジョン・スノウ博士の貢献により、病気の媒介が汚染された井戸水によることが突き止められました。 これがきっかけでロンドンでは大規模な上下水道システムの整備が進み、公衆衛生の安全性が高まりました。 詳細はこちら 9. 天平の疫病 約150万人死亡 (735年~737年) Photo by 天平9年(737年)、奈良時代の日本で天然痘が大流行しました。 おそらく中国か朝鮮の使節が持ち帰って広まったもので、当時は地震・凶作などが相次ぎ、多くの人の体力が弱っていたと考えられ、 追い討ちをかけた疫病によって150万人が死亡したと考えられています。 猛威を振るう天然痘は、当時の権力者・藤原四兄弟(武智麻呂、房前、宇合、麻呂)を全員病死させ、その影響で政治機能が一時的に麻痺し、その後聖武天皇を中心に橘諸兄などによる皇親政治が始まり、その後、武智麻呂の子・仲麻呂の巻き返しが起こるなど政局が混迷していきます。 奈良の大仏が建立されるのはこうした世の中の混迷の延長線上にありました。 アジアかぜ 約200万人死亡 (1957年~1958年) Photo by 1957年に始まったアジアかぜもインフルエンザで、2月下旬に中国から流行が始まり、4月に香港、5月にシンガポールと日本に上陸。 10月には世界中で症例が確認されました。 熱帯の国と日本では上陸と同時に一気に流行しましたが、欧米では侵入後潜伏期間があり6週間後に一気に広がりました。 スペインかぜよりは致死率は低くかったものの、児童と高齢者を中心に爆発的な感染が起こり、世界中で約200万人が死亡しました。 ワクチンがアメリカで8月、イギリスで10月、日本では11月に利用可能になりましたが、生産量が非常に少なく、学級閉鎖が伝播を防止できる唯一の手段でした。 第三次ペスト流行 約1,200万人死亡 (1855年~1960年) 第三次ペスト流行は、過去世界で壊滅的な被害を与えてきた腺ペストの大流行で、1855年に清帝国の雲南地方から始まりました。 当時の雲南では鉱山開発により漢人が大量に流入し回族との軋轢が生じており、物流の増加の中でネズミが媒介する腺ペストが流行。 危機が高まり、回族が反漢・反清の反乱(パンゼーの乱)を引き起こしました。 回族の反乱は太平天国の乱とも連動し、清帝国の支配を揺るがすことになります。 さらに腺ペストは広東、香港、そしてインドにもたらされ、インドだけで1,000万人が死亡しました。 ユスティニアヌスのペスト 約2,500万人〜約5,000万人死亡(6世紀) 542年〜543年、ユスティニアヌス一世治下の東ローマ帝国で腺ペストが大流行しました。 ペストは帝国の領土に広範囲に広がり、隣国のササン朝ペルシアやイタリア半島、北アフリカにも波及。 60年にも渡って猛威を振るい続けたと言います。 ユスティニアヌス自身も感染しますが、辛くも命は取り留めました。 しかし人口の大減少は経済に壊滅的な被害を与え、ユスティニアヌス以降の東ローマ帝国の衰退のきっかけになったと言われています。 定説によると、ユスティニアヌスのペストによる死者数は2,500万〜5,000万と言われてきました。 これは古代の人口からするととんでもない数です。 一方で最新の研究によると、ユスティニアヌスのペストは当時のヨーロッパ社会を揺がすほどの深刻なダメージはないらしく、過大評価だと見る向きもあります。 PR 5. HIVウイルス 約3,000万人死亡 (20世紀~現在) Image by HIVウイルスは1970年代後半に世界的に拡大し、1981年にエイズが発見されました。 2015年段階で約3,670万人がHIVウイルスに感染しています。 先進国では主に、薬物の薬を打つ注射の使い回しや同性間での性交渉による感染が多くなっています。 HIVはもともと霊長類を宿主とするサル免疫不全ウイルスで、それが突然変異によってヒト免疫不全ウイルスに変異したと考えられています。 どのような経緯で現れたかは様々な説がありますが、最も有力なものが1930年代のアフリカ中部で、サルを食べたチンパンジーがウイルスに感染して混種ウイルスが形成され、そのチンパンジーの肉を食べた人に伝染し広がったというもの。 HIVウイルスを完治させる治療法・治療薬はまだ見つかっておらず、治療によってウイルス量を抑え続けるしか方法はありません。 スペインかぜ 約4,000万人死亡 (1918年~1920年) Photo by 史上流行したインフルエンザで最も甚大な被害を出したのが、通称「スペインかぜ」。 第一次世界大戦中の1918年にアメリカから流行が始まり、患者数は世界人口の25〜30%で、致死率は2. 1918年3月にアメリカから第一波が起こり、1919年はじめまでに三回の大流行が発生。 当時はインフルエンザウイルスの存在は知られておらず、当然ワクチンなど存在しないため、有効な手立てはなく、学級閉鎖や移動の禁止、マスク着用の義務化などで対応せざるを得ませんでした。 日本も例外でなく、約2,300万人の患者と約38万人の死亡者が出たと報告されています。 明末大疫病 約4,000万~5,000万死亡 (1641年~1644年) 明帝国の息の根を止めたのは李自成の軍ですが、そのきっかけを作ったのはペストの大流行でした。 地球は小氷河期に突入し、中国では作物の不作が長年続き、いなごやネズミの大量発生が起き、人々は充分に食えなくなり、体が弱っている所にネズミが媒介するペストが発生しました。 干ばつ、飢餓、ペストにより人々は餓死、病死、自殺していきます。 さらには内乱などによって多くの人が殺され、 当時の中国の人口は約1億人でしたが、この危機により約4,000万人が死亡したとされています。 馬も大半が死亡して機動力は失われ、兵たちはただ身を横たえるのみ。 この混乱に乗じて、北の満州族をはじめ各地で反乱が相次ぎ、その中で李自成が各勢力に先んじて北京を落とし、明帝国を追放しました。 アメリカ先住民疫病死 数千万人規模で死亡(16世紀半ば) スペイン人が新大陸に上陸して後、原住民の多くがスペイン人が持ち込んだ疫病によって死亡したことはよく知られています。 当時の新大陸の原住民の人口がよく分かっていないこともあり、どれくらいの人が死んだかあまりよく分かっていません。 アステカ帝国の中央メキシコの人口は、1548年に603万人あったのが1608年には107万人に減ったと推定されています。 コルテスらがやってきたのは1519年だったので、おそらく1519年から1548年の減少数はもっと多かったはずです。 新大陸全体で、超ざっくり、数千万人は死んだであろう、とされています。 新大陸はいわゆる「疫病の処女地」であり、 人々にユーラシア大陸で史上猛威を振るってきた疫病に対する免疫がなく、天然痘、はしか、チフス、インフルエンザといった「ごく一般的」な疫病によって次々と倒れていきました。 原住民の人口が激減したことで、新大陸では労働力が足りなくなり、プランテーション農園や鉱山の資本家は西アフリカから奴隷を連れてきて働かせることになり、今度は大量の人々が連れ去られたアフリカの荒廃を起こすことになります。 黒死病 約7,500万~2億人死亡 (1346年~1353年) 「黒死病」は感染すると皮膚に黒い斑点がつくから英語で「Black Death」と呼ばれ、それが日本語に直訳された名称ですが、つまるところペストです。 黒死病の流行の背景には、モンゴル帝国のユーラシア大陸制覇による物流革命があったとする説があります。 モンゴル軍がペストが風土病となっていたミャンマーを攻めた時に感染して中央アジアに持ち帰り、そこから中国本土でペストが流行り、その後東西交易の中で中国から黒海へと渡って、それがヨーロッパ中に広まったというものです。 ペストの病原菌はネズミが媒介し、その病原菌をネズミに寄生するノミが人間に感染し発症します。 ユーラシア東西交易の物流の中にペスト菌に感染したネズミが紛れ込んでいたか、ペストを媒介したノミがいたことは充分にありえます。 ユーラシア全体でのペストの流行は、かねてより小氷河期に入って干ばつが続き食糧不足にあえいでいた各地に大打撃を与え、モンゴル帝国の支配は弛緩して地方の分権化と独立が進んでいきます。 中国では元がモンゴル高原に追われて明が誕生することになります。 PR まとめ こうして見てみると、パンデミックの発生条件がいくつかあるように思います。 まず、高度に物流が発展して人と物の交流が盛んになり、病原菌が伝わりやすい条件にあること。 ついで、気候変動の発生で干ばつなどが起こり深刻な不足が起こり、人々の栄養状態が悪いこと。 さらには、明確な感染ルートや原因が分かっておらず、対策が取れないこと。 こういう条件下でペストやインフルエンザ、コレラなどが爆発的に流行していきました。 現在は公衆衛生の発達で以前よりはパンデミックのリスクは減ったものの、鳥インフルエンザや豚インフルエンザ、BSEなど、突然変異種で対策の取りようのない病原菌がいつ、どこで起こるか分かったものじゃありません。 自分と家族の身を守るためにも、予防注射や衛生の管理など自分でできることはやっておきたいものです。 参考文献 titioya.
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感染症をの怖さを測る上で、大事なのは感染力と、死亡率。 これはWHOなどの世界的な疫学を調査している機関が使用している指標だ。 感染力と死亡率をかけ合わせることで、流行した際の危険度を測っているのだ。 しかし、自分に感染した場合に怖いのは死亡率の高さだけ。 他の人にうつるなんてことを気にしている余裕は無い。 そこで今回は死亡率だけに注目して感染症をランキングしてみた。 ランクインしている病気には絶対にかからないようにしよう。 10位 破傷風(致死率40%) 破傷風は 嫌気性(酸素に触れると死んでしまう性質)の菌で、基本的に土の中に生息している。 日本も含め、世界中の土壌に生息しているので注意が必要。 嫌気性なので一度空気にさらせば問題無いが、転んでケガをした時に傷口に直接金が侵入してしまうと感染が成立する。 感染が成立した後、なぜかは分かっていないがヒトの中枢神経にこのんで住みつき、毒素を放出する。 この毒素は『テタヌス毒素』と呼ばれ、地球上に存在している毒の中でもNo.2の強さを誇る。 致死量は20ng。 テタヌス毒素に特徴的な症状は『弓なり反射』と呼ばれるものだ。 ブリッジのような体勢で体を反らせ、最悪の場合は背骨が折れることもある。 発展途上国に感染者が多いので、旅行する場合は必ずワクチンを打っておこう。 9位 黄熱(致死率45%) 黄熱は蚊(主にネッタイシマカ)に刺されることで感染してしまう病気。 発熱・寒気・頭痛・筋肉痛・吐き気などが主な症状。 アフリカ大陸北部や南アメリカ大陸北部が主な流行場所。 黄熱による死亡者の9割がアフリカ大陸に集中している。 有効なワクチンがあるので特にアフリカ大陸を訪れる際は必ず予防接種を受けるように。 主な症状だけを見ればそこまで死亡率が高そうには見えないが、重症例では、数時間から2日後に再燃し、発熱、腎障害、鼻や歯根からの出血、黒色嘔吐、下血、子宮出血、黄疸などがみられる。 この黄疸がでるために『黄熱』という名前が付いた。 8位 Bウイルス(致死率50%) Bウイルスは比較的最近発見されたウイルスだ。 感染源はアカゲザルなどの旧世界ザルでに咬まれることで感染する。 初期症状として接触部の激痛、掻痒感、外傷部周囲の水疱や潰瘍、中期症状として発熱、接触部の感覚異常などであり、末期症状として意識障害、脳炎を起こして死亡する。 生存例でも重篤な神経障害が後遺症が残る。 感染した症例は世界で40例ほどしかなく、治療法や予防法は確立していない。 とにかくサルに咬まれないようにするしかない。 7位 鳥インフルエンザ(致死率60%) 鳥インフルエンザは主に鳥に対して感染性を示すA型インフルエンザウイルスがヒトへ感染した場合に発症する感染症。 人におけるほとんどの感染者は、 感染した家きんやその排泄物、死体、臓器などに濃厚な接触がある養鶏場の職員が多い。 今のところ日本で発症した人は確認されていない。 基本的にインフルエンザウイルスは寄生する種類が決まっており、鳥インフルエンザは人には感染しにくい。 しかし、ウイルスは単純な構造をしているため突然変異を起こしやすく、いつパンデミックが起こるかは分からないと考えられている。 今後、鳥から人へ容易に感染できるタイプに変異する可能性もないとは言い切れないので注意が必要だ。 6位 ペスト(致死率65%) ペストは中世ヨーロッパを震撼させた非常に危険な感染症だ。 感染源は ネズミで、ネズミの血を吸った ノミがヒトの血を吸うことで感染する。 14世紀にヨーロッパで大流行した背景には『 魔女狩り』という悪習がある。 魔女の手先とされていた猫も狩りの対象になり、天敵がいなくなったネズミが大量発生したのだ。 ペスト感染者のうち10%程度は主な局所症状がないままに手足の指が壊死して黒く変色して死亡する。 そのため、ペストは別名『 黒死病』とも呼ばれている。 症状の末期になるとほとんど患者は 肺ペストという状態に移行する。 肺ペストになるとほぼ100%死亡してしまう。 この状態の患者が吐く息にはペスト菌が大量に含まれており、さらなる感染の拡大が起こる。 ただ、現在では抗生物質が有効になっているので21世紀の日本では死亡例はない。 5位 マールブルグ病(致死率80%) マールブルグ熱は新興感染症に分類される比較的最近発見されたウイルスだ。 1967年に初めて感染者がでたのが西ドイツのマールブルグだったのでこの名前が付いた。 最初の感染者はワクチンの開発に携わっており、ウガンダから輸入されたミドリザルを解剖していた。 そのためこの時点では感染源はサルであるとされていたが、後の感染者はサルに接触しておらず、共通している点が無いため感染源は未だに不明のままである。 空気感染の可能性もいまだに否定されていないのが恐ろしいところだ。 マールブルグ病は出血熱に分類される。 出血熱ウイルスに共通する症状として、全身の粘膜からの出血がある。 潜伏期間は3~10日、発症は突然起こる。 初期症状は全身倦怠感・発熱・頭痛・嘔吐・下痢・筋肉痛・皮膚粘膜発疹・咽頭痛、1~2日後には吐血・下血・水様性下痢。 1週間後に臀部、上肢外側に暗赤色丘疹が出現。 最終的には DIC、ショックに至り死亡してしまう。 早急に治療しなけらば死にいたる。 ) エボラ出血熱のように大量に感染者を出すような事例が無かったため、感染力は弱いとされていたが、2005年にアンゴラで大量に感染者が続出し300名前後が死亡したため、感染力が強くなる突然変異を起こした可能性がある。 4位 エボラ出血熱(致死率85%) 言わずと知れた恐怖の感染症。 『体中の穴という穴から出血する』という誤解も手伝い、映画や漫画の題材にされたため知名度ならNo.1だ。 実際には毛穴からも血が噴き出すということはなく、病気自体は静かに進行する。 エボラウイルスは人類を苦しめるために生まれてきたような特徴を多数持っている。 その後、肝臓などの主要な臓器も破壊する。 特に目の粘膜を好む習性があるようで、完治したとしても失明してしまう可能性が高い。 有効な治療法は見つかっておらず、対症療法しかない。 2000年頃にはエボラに感染して完治した患者の血清にウイルスを殺す作用があることが分かってきている。 3位 HIV感染症(致死率90%) HIV感染症は人類を絶滅させるために誕生したと言っても過言ではない危険なウイルスだ。 人類が繁殖するための性行為で感染し、潜伏期間が非常に長く、発症したらほぼ100%死亡してしまう。 絶対に感染しないように不特定多数の人との性行為は避けよう。 HIVは基本的に感染力が弱く、コンドームを付けずに性行為をしたとしても感染する確率は1%以下とされている。 しかし、その低さゆえに「まさか自分が感染するはずは無い。 」という隙のある考えを生みだしてしまうのもここまで広まった要因だろう。 最近はウイルスが変異している可能性も示唆されている。 基本的にHIVの潜伏期間は10年~20年ほどある。 しかし、最近発見された新型HIVは 潜伏期間がほとんどなく、感染してから3年程度で発症してしまう。 少しでも心当たりがある行為をしたら、まずは無料で検査をしてくれる保健所に行ってみよう。 2位 肺炭疽症(致死率92%) 炭疽菌が感染することで発症する「炭疽症」。 その中でも極めて重篤な症状を引き起こすのが肺に感染した場合の肺炭疽症だ。 この菌は日本で一番有名な宗教団体である「オウム真理教」がバイオテロとして散布したのが記憶に新しい。 炭疽菌は土壌の中に広く生息しており、『芽胞(がほう)』という状態になることができる。 芽胞になると冬眠状態になり、あらゆる環境の変化に強くなる。 この状態で乾いた土の中でも数十年生き続けることができる。 そのため、生物兵器として保存するのが容易であり、各国が研究しているという噂もある。 この芽胞の状態の炭疽菌が皮膚に付着すると、真っ黒に腫れあがったニキビのようなものが体にできる。 これが炭に似ているためこの名前が付いた。 皮膚に付着しても致死率は10~20%程度ある。 この菌を吸い込んでしまうと肺炭疽症を発症する。 肺の中でも同じようなでき物が肺の中に発生する。 そのため、呼吸困難に陥り死亡してしまう。 治療法は抗生物質が有効であり、早急に治療をすれば致死率を70%程度にまでは下げることができる。 1位 狂犬病(致死率100%) 狂犬病は現在の日本では根絶されている病気なので、そこまで恐ろしいイメージは無いかもしれない。 しかし、日本でも『狂犬病予防法』が制定される1950年以前は多くの 犬や ヒトが狂犬病に感染し死亡していた。 このような状況のなか狂犬病予防法が施行され、犬の登録、予防注射、野犬等の抑留が徹底されるようになり、わずか7年という短期間のうちに狂犬病を撲滅できた。 しかし、世界的に見れば狂犬病を撲滅できている国は日本、オーストラリア、ニュージーランド、アイスランド、スウェーデン、アイルランド、ノルウェーだけとなっている。 それ以外の地域を訪れる際は狂犬病のリスクがあることは頭に入れておこう。 世界では毎年5万人が狂犬病により死亡しているのだ。 2000年以降に 2人の日本人が狂犬病にかかり死亡しているが、2人ともフィリピン、ネパールを旅行中に発症した輸入症例だ。 狂犬病ウイルスが体内に侵入すると、1~3か月の潜伏期間を経て中枢神経を中心に破壊していく。 一番特徴的な症状としては『 水を極端に怖がる』こと。 このような症状があらわれるともうすでに手遅れ。 『発症後の有効な治療法は無い』と厚生労働省がハッキリと言い切るほどに手の打ちようが無いのだ。 発症前の潜伏期間であれば ワクチンを接種して生存する可能性がある。 ワクチンの投与無しで発症から回復した例は世界で1例のみ。 2004年10月、アメリカ合衆国ウィスコンシン州において15歳の少女が狂犬病の発病後に回復した症例がある。 これは発病後に回復した6番目の症例であり、ワクチン接種無しで回復した最初の生存例でもある。 引用元: 感染後の治療はほぼ不可能だが、感染前にワクチンを打てばそもそも感染しない。 そのため、海外に旅行する際は必ず狂犬病のワクチンを打ってから行くように。 3回の接種が必要で、効果は3年間もつ。 つまり致死率は 2. 5%ほど。 毎年流行するインフルエンザの日本での致死率は0. 1%にも満たないことを考えると、かなり危険度は高い。 ただ、このランキングの上位を占めている感染症たちに比べると、危険度はかなり低いともいえる。 ただ、ウイルスは突然変異をしやすく、今後どのような経過を辿るか予想できないので、気を付けておいた方がいいだろう。 まとめ 世界には恐ろしい病気が数多くあるなぁ・・・。 特に1位と2位は致死率が100%の病気ということでギネスブックにも載っている。 ギネスブックって凄い。 感染症の場合は自分だけではなく、家族や友人にも危険が及んでしまう。 危険な地域にはできるだけ近づかないようにしよう。 合わせて読みたい記事•
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第三次コレラ流行 約100万人以上が死亡(1846年~1860年) コレラのパンデミックは史上七回発生しています。 第三次コレラ流行は19世紀半ばに発生したパンデミックで、発生源はインドのガンジス川デルタ地帯。 世界的流行によりロシアでは約100万人が死亡、ロンドンでも約2万人が死亡しました。 この流行による世界中での正確な人数はよくわかりません。 おそらく100万人は確実に超えていると思います。 19世紀後半から20世紀前半は、世界的なヒトとモノの流通量が飛躍的に増大し、グローバル化が一段と進んだ時代でした。 大英帝国との経済的な繋がりを深めたインドで、世界各地からヒトやモノ(特に家畜)が流入してきたことで大きな被害が出ることになったのでした。 ロンドンで流行した1854年、疫学の父と言われるジョン・スノウ博士の貢献により、病気の媒介が汚染された井戸水によることが突き止められました。 これがきっかけでロンドンでは大規模な上下水道システムの整備が進み、公衆衛生の安全性が高まりました。 詳細はこちら 9. 天平の疫病 約150万人死亡 (735年~737年) Photo by 天平9年(737年)、奈良時代の日本で天然痘が大流行しました。 おそらく中国か朝鮮の使節が持ち帰って広まったもので、当時は地震・凶作などが相次ぎ、多くの人の体力が弱っていたと考えられ、 追い討ちをかけた疫病によって150万人が死亡したと考えられています。 猛威を振るう天然痘は、当時の権力者・藤原四兄弟(武智麻呂、房前、宇合、麻呂)を全員病死させ、その影響で政治機能が一時的に麻痺し、その後聖武天皇を中心に橘諸兄などによる皇親政治が始まり、その後、武智麻呂の子・仲麻呂の巻き返しが起こるなど政局が混迷していきます。 奈良の大仏が建立されるのはこうした世の中の混迷の延長線上にありました。 アジアかぜ 約200万人死亡 (1957年~1958年) Photo by 1957年に始まったアジアかぜもインフルエンザで、2月下旬に中国から流行が始まり、4月に香港、5月にシンガポールと日本に上陸。 10月には世界中で症例が確認されました。 熱帯の国と日本では上陸と同時に一気に流行しましたが、欧米では侵入後潜伏期間があり6週間後に一気に広がりました。 スペインかぜよりは致死率は低くかったものの、児童と高齢者を中心に爆発的な感染が起こり、世界中で約200万人が死亡しました。 ワクチンがアメリカで8月、イギリスで10月、日本では11月に利用可能になりましたが、生産量が非常に少なく、学級閉鎖が伝播を防止できる唯一の手段でした。 第三次ペスト流行 約1,200万人死亡 (1855年~1960年) 第三次ペスト流行は、過去世界で壊滅的な被害を与えてきた腺ペストの大流行で、1855年に清帝国の雲南地方から始まりました。 当時の雲南では鉱山開発により漢人が大量に流入し回族との軋轢が生じており、物流の増加の中でネズミが媒介する腺ペストが流行。 危機が高まり、回族が反漢・反清の反乱(パンゼーの乱)を引き起こしました。 回族の反乱は太平天国の乱とも連動し、清帝国の支配を揺るがすことになります。 さらに腺ペストは広東、香港、そしてインドにもたらされ、インドだけで1,000万人が死亡しました。 ユスティニアヌスのペスト 約2,500万人〜約5,000万人死亡(6世紀) 542年〜543年、ユスティニアヌス一世治下の東ローマ帝国で腺ペストが大流行しました。 ペストは帝国の領土に広範囲に広がり、隣国のササン朝ペルシアやイタリア半島、北アフリカにも波及。 60年にも渡って猛威を振るい続けたと言います。 ユスティニアヌス自身も感染しますが、辛くも命は取り留めました。 しかし人口の大減少は経済に壊滅的な被害を与え、ユスティニアヌス以降の東ローマ帝国の衰退のきっかけになったと言われています。 定説によると、ユスティニアヌスのペストによる死者数は2,500万〜5,000万と言われてきました。 これは古代の人口からするととんでもない数です。 一方で最新の研究によると、ユスティニアヌスのペストは当時のヨーロッパ社会を揺がすほどの深刻なダメージはないらしく、過大評価だと見る向きもあります。 PR 5. HIVウイルス 約3,000万人死亡 (20世紀~現在) Image by HIVウイルスは1970年代後半に世界的に拡大し、1981年にエイズが発見されました。 2015年段階で約3,670万人がHIVウイルスに感染しています。 先進国では主に、薬物の薬を打つ注射の使い回しや同性間での性交渉による感染が多くなっています。 HIVはもともと霊長類を宿主とするサル免疫不全ウイルスで、それが突然変異によってヒト免疫不全ウイルスに変異したと考えられています。 どのような経緯で現れたかは様々な説がありますが、最も有力なものが1930年代のアフリカ中部で、サルを食べたチンパンジーがウイルスに感染して混種ウイルスが形成され、そのチンパンジーの肉を食べた人に伝染し広がったというもの。 HIVウイルスを完治させる治療法・治療薬はまだ見つかっておらず、治療によってウイルス量を抑え続けるしか方法はありません。 スペインかぜ 約4,000万人死亡 (1918年~1920年) Photo by 史上流行したインフルエンザで最も甚大な被害を出したのが、通称「スペインかぜ」。 第一次世界大戦中の1918年にアメリカから流行が始まり、患者数は世界人口の25〜30%で、致死率は2. 1918年3月にアメリカから第一波が起こり、1919年はじめまでに三回の大流行が発生。 当時はインフルエンザウイルスの存在は知られておらず、当然ワクチンなど存在しないため、有効な手立てはなく、学級閉鎖や移動の禁止、マスク着用の義務化などで対応せざるを得ませんでした。 日本も例外でなく、約2,300万人の患者と約38万人の死亡者が出たと報告されています。 明末大疫病 約4,000万~5,000万死亡 (1641年~1644年) 明帝国の息の根を止めたのは李自成の軍ですが、そのきっかけを作ったのはペストの大流行でした。 地球は小氷河期に突入し、中国では作物の不作が長年続き、いなごやネズミの大量発生が起き、人々は充分に食えなくなり、体が弱っている所にネズミが媒介するペストが発生しました。 干ばつ、飢餓、ペストにより人々は餓死、病死、自殺していきます。 さらには内乱などによって多くの人が殺され、 当時の中国の人口は約1億人でしたが、この危機により約4,000万人が死亡したとされています。 馬も大半が死亡して機動力は失われ、兵たちはただ身を横たえるのみ。 この混乱に乗じて、北の満州族をはじめ各地で反乱が相次ぎ、その中で李自成が各勢力に先んじて北京を落とし、明帝国を追放しました。 アメリカ先住民疫病死 数千万人規模で死亡(16世紀半ば) スペイン人が新大陸に上陸して後、原住民の多くがスペイン人が持ち込んだ疫病によって死亡したことはよく知られています。 当時の新大陸の原住民の人口がよく分かっていないこともあり、どれくらいの人が死んだかあまりよく分かっていません。 アステカ帝国の中央メキシコの人口は、1548年に603万人あったのが1608年には107万人に減ったと推定されています。 コルテスらがやってきたのは1519年だったので、おそらく1519年から1548年の減少数はもっと多かったはずです。 新大陸全体で、超ざっくり、数千万人は死んだであろう、とされています。 新大陸はいわゆる「疫病の処女地」であり、 人々にユーラシア大陸で史上猛威を振るってきた疫病に対する免疫がなく、天然痘、はしか、チフス、インフルエンザといった「ごく一般的」な疫病によって次々と倒れていきました。 原住民の人口が激減したことで、新大陸では労働力が足りなくなり、プランテーション農園や鉱山の資本家は西アフリカから奴隷を連れてきて働かせることになり、今度は大量の人々が連れ去られたアフリカの荒廃を起こすことになります。 黒死病 約7,500万~2億人死亡 (1346年~1353年) 「黒死病」は感染すると皮膚に黒い斑点がつくから英語で「Black Death」と呼ばれ、それが日本語に直訳された名称ですが、つまるところペストです。 黒死病の流行の背景には、モンゴル帝国のユーラシア大陸制覇による物流革命があったとする説があります。 モンゴル軍がペストが風土病となっていたミャンマーを攻めた時に感染して中央アジアに持ち帰り、そこから中国本土でペストが流行り、その後東西交易の中で中国から黒海へと渡って、それがヨーロッパ中に広まったというものです。 ペストの病原菌はネズミが媒介し、その病原菌をネズミに寄生するノミが人間に感染し発症します。 ユーラシア東西交易の物流の中にペスト菌に感染したネズミが紛れ込んでいたか、ペストを媒介したノミがいたことは充分にありえます。 ユーラシア全体でのペストの流行は、かねてより小氷河期に入って干ばつが続き食糧不足にあえいでいた各地に大打撃を与え、モンゴル帝国の支配は弛緩して地方の分権化と独立が進んでいきます。 中国では元がモンゴル高原に追われて明が誕生することになります。 PR まとめ こうして見てみると、パンデミックの発生条件がいくつかあるように思います。 まず、高度に物流が発展して人と物の交流が盛んになり、病原菌が伝わりやすい条件にあること。 ついで、気候変動の発生で干ばつなどが起こり深刻な不足が起こり、人々の栄養状態が悪いこと。 さらには、明確な感染ルートや原因が分かっておらず、対策が取れないこと。 こういう条件下でペストやインフルエンザ、コレラなどが爆発的に流行していきました。 現在は公衆衛生の発達で以前よりはパンデミックのリスクは減ったものの、鳥インフルエンザや豚インフルエンザ、BSEなど、突然変異種で対策の取りようのない病原菌がいつ、どこで起こるか分かったものじゃありません。 自分と家族の身を守るためにも、予防注射や衛生の管理など自分でできることはやっておきたいものです。 参考文献 titioya.
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