死にたい。 「死にたい」という病

死にたい!助けて!そう思ったときが幸せのはじまり

死にたい

「自分が直面している困難は解決不可能だ」「自分の中では万策尽きた気がしている」、そして、「この苦痛から逃れるための解決策は一つしかない。 自分の一切の意識活動を停止させることだ」っていうのが、「死にたい」ということなんだと思うんですよ。 ただ、それを誰かに告げるということは、「死にたいぐらいつらい」「でも、そのつらさが少しでも和らぐのであれば、本当は生きたい」という気持ちもあるのだと思います。 10年ほど前に、北里大学の救命救急センターに協力してもらいました。 入院して薬が体から抜けて、意識がはっきりしたところで、「今回、薬をまとめ飲みした最初の動機は何だったのか」って聞いてみると、「死にたい」と思って薬を飲んだ人は半分しかいなかったんですよね。 それ以外の人たちは、死ぬことまでは考えなかったけど、「つらい気持ちを何とかしたい」とか、「『寝逃げ』したい」とか、「嫌な気持ちを忘れたい」という理由。 この人たちの中で、クスリをまとめ飲みする前に、周囲に予告していた人は、一人もいませんでした。 おそらく、つらい気持ちを、誰にも頼らず、薬をまとめ飲みすることだけで解決しようと考えていたのでしょう。 一方、「死のう」と思って飲んだ方たちの場合、約4割が死ぬことを事前に予告していました。 死にたいと思っている人は、自分がいま直面している困難な問題を解決したいと思っているんだけど、「できない、やっぱり死ぬしかないか」と考える。 でも、「死ぬしかないな」って思いながらも、「やっぱり、解決策があるんじゃないかな」と揺れているんです。 その中で、4割ぐらいが、うっかり予告しているんだと思うんですよね。 で、その予告することの背景には、「誰かが風向きを変えてくれるんじゃないか」という思いがある可能性がありますよね。 以前、自殺を考えたことのある現在20代人間です。 とある経験がきっかけで、2年ほど前から精神障害を発症しており、一番ひどいときに、死を考え、一度... 以前、自殺を考えたことのある現在20代人間です。 とある経験がきっかけで、2年ほど前から精神障害を発症しており、一番ひどいときに、死を考え、一度だけ、失敗しましたが、自殺を実行に移したことがあります。 その時の自分は、死ぬしかない、死んだほうが楽という感覚より、 人の生き方は変化していくもので、死とはその変化の延長であると思っていました。 だから、まるで高校三年生の時の進路選択をするときのような、就職活動で就職先を選択するときのような感覚で、死という選択肢が出てきました。 なので、周りに「死にたい」と漏らしたとき、なぜ止められるのか、人生の在り方はそれぞれなんだからなぜ自殺=止めなければならないものなのかがわかりませんでした。 現在、紆余曲折ありましたが、精神障害との付き合いは続きながらも、以前よりは前向きに生きていると思います。 死にたいと思うようなこともほとんどなくなりました。 しかし、今でも、自殺という人生の選択が、他者によって止められなければならないものなのか、未だに答えが出ておりません。 私も自殺を思いとどまる理由が今はありますが、その理由が揺らいだり、無くなったりしたとき、きっと「また死ねばいい」と思うだろう、と思うのです。 私は精神医学について何か学んだわけではありません。 しかし、自殺企画者に寄り添うこと=自殺を止めること、ではないように思うのです。 自殺を止めるのであれば、自殺しない理由を作り、それを増やし、揺るぎのないものにする、止めることより、止めた後のケアのやり方を理解することのほうがその苦しみの理解につながるのではないかと思いました。 それが、今の日本の、医療体制、環境下で、そしてもっともっと個人レベルで、できるのかと言われると、やはり難しいのが現実でもあるとも思います。 ですが、個人レベルで向き合えるものには向き合いたいとも思います。 大きすぎる心の傷と、器質障害 救えた命があるのではとお考えになるのは先生が素晴らしい心構えを持って従事されている事がよく分かります。 しかし、、あり得ないくらい酷い経験、こん... 救えた命があるのではとお考えになるのは先生が素晴らしい心構えを持って従事されている事がよく分かります。 しかし、、あり得ないくらい酷い経験、こんな悪い環境でよく生きてたと思うようなわされて、それに元々遺伝的な器質がある方は、健康的なコミュニケーションある社会的な居場所を選択せず、誤った友人や恋人、上司らのいる所は引き寄せられていきます。 選択する脳がそういう流れを心地よいと判断しているから、つまり、我々健常者がいいと思う概念を経験する為の車に乗っていない様なものなのではと感じています。 だから、極端な事申し上げますが自殺して貰いたくなくてもある一定の割合の方では亡くなってしまう。 そして、その極限の苦しみにおいては死の世界の方が幸せだという価値を持っている事自体悪いことではなく、誰かのせいでも無いのだと思います。 言葉と感情のスカラーとベクトルと多様性 死にたいという言葉、死にたいという言葉を口にする人間、その言葉を受け止めたり拒否する人間が存在することが3次元、4次元に絡み合うところが、本文の... 死にたいという言葉、死にたいという言葉を口にする人間、その言葉を受け止めたり拒否する人間が存在することが3次元、4次元に絡み合うところが、本文の案件の難しさであると思います。 だからこそ、プロでさえ全ての自殺を止めきれない。 また、明確な意図だけでなく、コミュニケーションとしての「死にたい」が混在するのみならず、後解釈としても記憶や記録を動かしていく事の意味は多分、常人の理解の外側でしょう。 率直に言って、並みの医療者の範疇の外だと思いますし、うつ病やうつ症状に安易な励ましは禁止という型通りの行為が原則推奨される理由でもあります。 むしろ、自殺企図の患者が、その医療者に希望を持たない方が可能性を繋ぎます。 死にたいという言葉もそうですし、本文の服薬自殺もそうですが、自殺への意思や行動にはベクトルとスカラーがあるのではないかと思います。 そういう意味で、悪い面はあっても、鎮静剤である向精神薬の効果は否定も出来ません。 一方で、自殺行為を止めるという事と希望や生産性があるということは別で、実はそれが難しいのではないかと思います。 経済と思考の貧困が多くの問題に負の連鎖をもたらす一方で、兼ね備えても救われない人がいる現実があります。 そういう複雑な社会や認知の中で、相手や自分の中の感情や状況にどの程度寄り添うべきか、捨ておくべきか、判断も難しい所です。 コメントを書く 投稿いただいたコメントは、編集スタッフが拝読したうえで掲載させていただきます。 リアルタイムでは掲載されません。 掲載したコメントは読売新聞紙面をはじめ、読売新聞社が発行及び、許諾した印刷物、読売新聞オンライン、携帯電話サービスなどに複製・転載する場合があります。 コメントのタイトル・本文は編集スタッフの判断で修正したり、全部、または一部を非掲載とさせていただく場合もあります。 次のようなコメントは非掲載、または削除とさせていただきます。 ブログとの関係が認められない場合• 特定の個人、組織を誹謗中傷し、名誉を傷つける内容を含む場合• 第三者の著作権などを侵害する内容を含む場合• 企業や商品の宣伝、販売促進を主な目的とする場合• 選挙運動またはこれらに類似する内容を含む場合• 特定の団体を宣伝することを主な目的とする場合• 事実に反した情報を公開している場合• 公序良俗、法令に反した内容の情報を含む場合• 個人情報を書き込んだ場合(たとえ匿名であっても関係者が見れば内容を特定できるような、個人情報=氏名・住所・電話番号・職業・メールアドレスなど=を含みます)• メールアドレス、他のサイトへリンクがある場合• その他、編集スタッフが不適切と判断した場合 編集方針に同意する方のみ投稿ができます。 以上、あらかじめ、ご了承ください。

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映画「十二人の死にたい子どもたち」 初登場6位 : Hulu : エンタメ・文化 : ニュース : 読売新聞オンライン

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隣の寝床はきれいにベッドメーキングされていました。 二日酔いの頭を抱えながら、私は家中を、庭も捜し回りましたが、見つかりません。 自宅のある軽井沢は雪が降っていました。 電話をしても、メールを打っても応答はありません。 不安ばかりが募ります。 前の晩、私がひどい言葉を放ったとき、妻は泣きながら「死にたい」とつぶやきました。 嫌な胸騒ぎがしました。 本当に死ぬかもしれないと思うと、膝の辺りが震えだしました。 この日の軽井沢は昼ごろから雪が降り始め、夕方には積もりました。 昨夜の一件を知る友人夫婦も心配して捜してくれたものの、手掛かりは全くつかめません。 当時の様子は私の著書「佐世保に始まった奇蹟(きせき)の落語会」(牧野出版)に書き残しています。 森閑とした林の中を車で走り、ヘッドライトが人影を照らすと動悸(どうき)がして、窓を開けて呼び掛け、別人と分かると落胆しました。 夕闇に妻の名前を叫び続けました。 警察にも相談しました。 最悪の事態を想像しながら迎えた夜。 「妻を見つけて自宅で保護しているけれど、私には会いたくないと言っている」と友人夫婦から連絡がありました。 翌日には別の場所に移動したようです。 友人夫婦と妻との約束で、行き先を知ることはできませんでしたが、この夫婦のおかげで助かりました。 東京生まれの横浜育ちの妻。 同じ年齢で、私が佐世保から上京した19歳の時から付き合い、大学卒業と同時に結婚しました。 コピーライター、放送作家として忙しくしていた私を支え、軽井沢にもついてきてくれました。 独立した一人娘もしっかりと育ててくれました。 そして、共に慈しみ、かわいがった愛犬「ボーイ」との日々。 感謝することばかりなのに、私の身勝手な行動と暴言で彼女を苦しめてしまいました。 悲痛な思いで家を飛び出した妻。 これまでの心ない妻への行為に対して、私は申し訳ない気持ちでいっぱいでした。 早く会いたい。 そしてわびたい。 行き先が分からない不安を抱えて迎えた4日目。 妻が意外な所にいることが分かりました。 (聞き手は西日本新聞・山上武雄) ……………… 海老原靖芳(えびはら・やすよし) 1953年1月生まれ。 「ドリフ大爆笑」や「風雲たけし城」「コメディーお江戸でござる」など人気お笑いテレビ番組のコント台本を書いてきた放送作家。 現在は故郷の長崎県佐世保市に戻り、子どもたちに落語を教える。

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『十二人の死にたい子どもたち』怖い?面白いの?評判や感想、口コミをまとめてみた

死にたい

本当に好きだった人と別れてしまうと、死にたくなるほど辛いものですよね。 そんな失恋から立ち直る方法なんてないのでは…なんて思ってしまうのではないでしょうか。 しかし、 どんなに辛い失恋からもしっかりと立ち直らなくてはいけないのが現実です。 この記事は、失恋によってどうしようもないほど苦しい思いをしているあなたに、 少しでも立ち直って前を向くためのヒントを授けることをお約束します! 失恋のショックが大きいとそこから抜け出す気力もなくなってくるものです。 ですから、たしかに楽に立ち直る方法はないと思ってしまうかもしれません。 しかし、元気も出ない中で苦しんでもがいてなんとか前を向けたときには、あなたは見違えるほどかっこよく綺麗になっていることに違いありません。 そこで今回は、死にたいほど辛い失恋から立ち直る方法についてお伝えします。 逃げ出さず、区切りをつける 死にたいほど辛い失恋を思い出すことなんて考えたくもないでしょう。 しかし、そこから立ち直るためにはその辛さと向き合い、しっかりと気持ちを切り替えなくてはいけません。 逃げないと言うと苦しいことに感じてしまうかもしれませんが、やわらかく言い換えると 前の恋愛を1つの良い思い出にしてしまおうということです。 まず、前の恋愛を思い返してみてください。 相手が最低だった、自分がひどいことをした、こんな考えが浮かんでいませんか。 こう考えるうちは良い思い出になったとは言えませんね。 あくまでも客観的に捉えられるようになるのが目標です。 その恋愛で学んだことを思い返したり、パートナーの存在に感謝したりすることでそれは可能になります。 これにはかなりの時間を要する人もいますので、決してあせらず気長に向き合いましょう。 失恋から立ち直ると言えば、次の恋愛をやって失恋の悲しさを忘れてしまえばよいという考え方を持つ人が少なくないのも事実です。 しかし、それでは根本的な解決にはならず、ふとした瞬間に失恋のことを思い出して辛い思いをすることになります。 自分の中で整理できるまでいったん落ち着いて、それから新たな恋愛をすることをおすすめします。 友達に話を聞いてもらう 逃げ出さず、区切りをつけるのが大切と分かってもらえたことでしょう。 では、どのようにすればうまくいくのかについてお伝えします。 悲しさを分けあって半分にとまでは言えなくても、1人で考え込むよりは友達に聞いてもらったほうがずっと良い結果になります。 何かアドバイスをもらう必要はありません。 静かにうなずきながらただただ聞いてくれる、そんな友達に相談してみましょう。 きっと自然に考えがまとまってこれまでは見えなかったもの・思いつかなかったものに出会えることでしょう。 泣ける音楽や本で思いっきり涙を流す あえて涙を流すことも、区切りをつけるための方法としておすすめです。 というのも、人間だれしも1つの感情が長続きすることはないのです。 悲しさ・辛さも同様で、ずっと悲しみ続けるのは、悲しさを忘れるよりも難しいといっても良いくらいです。 泣ける音楽を聴いたり、本を読んだりすることで目一杯悲しむと、より早い段階で客観的に失恋を見ることができるようになります。 失恋からの立ち直りを早くしたいという方はぜひやってみてください。 自分に自信をつける 次の恋愛に進むためには、自信を回復させる必要があります。 失恋に区切りをつけるのと同時に自分を見つめなおし、さらに魅力的になるよう努力しましょう。 まず、かんたんに変えることができるのは見た目です。 見た目と言っても顔だけのことではありません。 ファッションを洗練させる、髪型を思い切って変えてみるのようにこれまでとは違った自分を目指しましょう。 失恋を客観的に見るようにと述べましたが、そこで得られる教訓のようなものがきっとあるはずです。 例えば、それが相手への感謝が足りなかったというものなら、すべての人に感謝しながら接するようにしてみましょう。 そうすることで二度と同じ過ちは繰り返さないと心のうちで思えるので、自信を回復できます。 失恋から立ち直れるようにがんばろう!と思っていただけたでしょうか。 繰り返しにはなりますが、失恋から立ち直るのは苦しく大変なことです。 しかし、まずはしっかりと失恋を乗り越えてください。 逃げ出さず区切りをつける、友達に話を聞いてもらう、泣ける音楽や本で思いっきり涙を流す、自分に自信をつけるなどをお伝えしましたが、この記事でヒントを得たあなたなら、きっとどんな辛さからも逃げ出すことなく、正面から乗り越えられるはずです! やっかいなことに、失恋から立ち直るというのは、今立ち直ったなというような実感を伴わないものです。 おそらく次の恋愛に進んだその時に、あぁ自分は失恋を乗り越えられたんだと気づけるのでしょう。 失恋を振り返る際も、自分は幸せになってしかるべきだという思いをけっして捨てることなく、新たなスタートの準備を進めていきましょう。

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