古バビロニア王国 は、を淘汰し、セム系遊牧民のアムル人によって作られた。 前18世紀、第6代王ハンムラビ王の時にメソポタミア全土の統一を果たし、道路・運河を整えて中央集権体制を確立、警察制度や郵便制度、バビロニア語を共通語とした。 ハンムラビ法典 ハンムラビ法典は、前18世紀頃、バビロン第1王朝第6代の王ハンムラビによって設定された。 これまであったシュメール法を元にハンムラビ法典を制定した。 多くの都市の広場に条文を刻んだ石柱が建てられ、メソポタミア世界に共通の秩序を確立した。 ハンムラビ法典はその目的を、「全土に正義をいきわたらせるため、悪事を撲滅するため、強者が弱者をしいたげないため」と述べている。 「目には目を、歯には歯を」 「目には目を、歯には歯を」とは、ハンムラビ法典の同害復讐法の原則を表す言葉である。 しかし、貴族・平民・奴隷の身分差によって刑罰にも差が設けられていた。 商法 ハンムラビの時代には安定した政治から商業が発達し、都市の大商人から元手を借りて広域で商業を行なう「代理人」も出現した。 ハンムラビ法典は、「代理人が利益を上げなかった時には大商人に借りた銀の2倍を返す、盗賊に商品を奪われた時には責任を負わなくてよい。 代理人が商人に元手を借りているのをごまかした時には、元手の3倍を支払い、大商人が代理人から利益の分配を受けているのにごまかそうとした時には受け取り分の6倍を罰金として支払う」などの規定をもうけている。 貸し付け 貧民は神殿に行って食料や種などを借りることが出来たが、当時の貸し付け利子は大麦は33%、銀は20%という高利だった。 ハンムラビ法典の発見 1901年にフランスの探検隊がペルシアの古都スサで、高さ2. 25メートルの黒い玄武岩の円柱に楔型文字で刻まれた、前文と2822条の条文からなるハンムラビ法典を発掘した。 前文は、神々の代表エンリルがバビロンの守護神マルドゥクを全メソポタミアの王とし、その忠実な召し使いであるハンムラビをして、正義をかかげさせたとしている。 ハンムラビ法典 序文 敬虔なる君主で、神を畏れる朕ハンムラビをして国の中に正義を輝かせるために、悪者と奸者とを殲滅させるために、シャマシュ神のように黒い頭どもに向かって立ち昇り国土を照らすために、アヌ神とエンリル神とは朕の名をこう呼び給うた。 これは人びとの幸せを満たすためである。 ハンムラビ法典 本文 第196条 もし人がアウィルムの子の目を潰したときは彼の目を潰す。 第197条 もし人の骨を折ったときは彼の骨を折る。 第198条 もしムシュケヌムの目を潰したりあるいはムシュケヌムの骨を折ったりしたときは銀1マヌを支払う。 第199条 もし人の奴隷の目を潰したりあるいは人の奴隷の骨を折ったりしたときはその価の半額を支払う。
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楔形文字はもともとを表記するための文字であるため、の言語を表記すると音素の区別が不十分になる問題が生じる。 文書の地の文はので記されており、この語ではセム語派独特の音素の消失がある程度起きているほか、楔形文字による表記の歴史が長いため、表記法が工夫されている。 しかし、ハンムラビは同じセム語派でも楔形文字の表記の歴史が浅いのアムル語を用いるアムル人である。 アムル人のアムル語人名は楔形文字では不十分にしか表記されておらず、語義の解釈の障害となる。 また、アムル人の人名に組み込まれた神名には語彙で呼ばれるものがよくあることが知られているため、前半に関しては「(父方の)おじさん(と呼ばれる神)」であるとされる。 以上から、ハンムラビの名の発音と意味の解釈は、• 生涯 [ ] 詳細は「」を参照 父 () 前1812年 - 前1793年 の時代にはまだささやかな王国であり、強国に囲まれていた。 南では地方、北ではとアッシューム、東ではチグリス川左岸を、それぞれの勢力が支配していた。 頃は、それぞれの勢力がメソポタミアに侵入しようとしていた。 メソポタミアの再統一 [ ] 、ハンムラビはの第6代目の王となった。 当初は、、といった当時メソポタミアに覇を競った大国間に挟まれ、北方のに、南方のにが健在であった。 ハンムラビは弱小国の王であったが北方のと同盟し、次第に頭角を現した。 ハンムラビは頃までに、南のラルサ王のリム・シン1世からイシンを奪い、ティグリス川を渡り、この辺の主要都市を征服した。 西では、ユーフラテス川流域のを占領。 にラルサを併合し南方の諸都市を征服してバビロンを拡張し、にはを破壊してマリ争奪戦に決着をつけた。 頃、アッシリアへ出兵して征服し、メソポタミア地方を統一した。 都市国家バビロンが及びの地を再統一したことにより、シュメール及びアッカドの地の王の地位を獲得した。 統一されたこの地域はとも呼ばれるようになった。 ハンムラビ法 [ ] ハンムラビは『』と呼ばれるによって都市文明を確立したことで有名である。 『ハンムラビ法典』は被害者や加害者の身分によって刑罰に違いを付け、身体刑を多く科すため、現代の視点からは残酷であると見られる。 しかし成文法を作るだけでなく、法を体系化しようとしたことは、文明の発達にとって重要な一歩であるとみなされる。 『』にある「目には目を、歯には歯を」という言葉は『ハンムラビ法典』に遡ることができ、同害復讐法体系との関連が指摘されている。 ハンムラビはこのほかにも、手段改良への援助を行うなど、バビロンの改良に努めた。 最後 [ ] ハンムラビは、に死ぬまで王として統治した。 死亡年は、、あるいは年代測定法の違いにより紀元前1728年から紀元前1686年までにわたる。 死後 [ ] 紀元前1531年、第11代の王 ()の治世に、に率いられた人の急襲に遭い、バビロニア王国は壊滅した。 すぐに、 ()王( Agum Kakrime)に率いられた人が奪回した。 多くの都市の反抗に遭いながらも、カッシート人は400年にわたって支配を続け、ハンムラビ法典を尊重した。 旧約聖書のニムロデ [ ] 学者の中には、ハンムラビと『』の『』に登場するバビロンの王ニムロデを結びつけるものもいる。 ハンムラビの名は「偉大なるハム」とも解釈可能である。 ニムロデはの三男、の孫にあたり、の建設者とされる。 脚注 [ ]• 『中学社会 歴史』(株式会社。 平成10年1月20日発行。 検定済。 中学校社会科用)p 15には、「さらに, 紀元前18世紀ごろ, この地域を統一したハムラビ王は, 法典をつくって人々や奴隷を支配した。 」と記載されている• フランソワ・トレモリエール、カトリーヌ・リシ編者、樺山紘一日本語版監修『ラルース 図説 世界史人物百科』I 古代ー中世 原書房 2004年 5ページ 参照 [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。 Arnold, Bill T. 2005. Who Were the Babylonians? Brill Academic Publishers. Breasted, James Henry 2003. Ancient Time or a History of the Early World, Part 1. Kessinger Publishing. DeBlois, Lukas 1997. An Introduction to the Ancient World. Routledge Publishing. 中田一郎『ハンムラビ「法典」』リトン〈古代オリエント資料集成1〉、東京(原著1999年12月20日)、初版、151-153頁(日本語)。。 Van De Mieroop, Marc 2005. King Hammurabi of Babylon: A Biography. Blackwell Publishing. Britannica, 1911. 関連項目 [ ]• 先代: () 6代 前1792年 - 前1750年 次代:.
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中学社会の歴史で 『メソポタミア文明』というものが出てきますね。 チグリス・ユーフラテス川に挟まれた地域で発展した文明のことです。 アメリカ大陸と南アメリカ大陸に挟まれた地域で発展した 『メソアメリカ文明』というものもあります。 メソポタミア文明で発明されたものは現在でも使われています。 表例は 『60進法』でしょう。 60は1~6までの約数を持っていることから、分割するのに都合のいい数字ですね。 代の60進法と言えば、何といっても 『時間』です。 1時間が60分になっていますね。 そして、もう一つ、生活の中に溶け込んでいる文言があります。 それは 『目には目を、歯には歯を』の語源となった 『ハムラビ法典』です(ハンムラビ法典と記載されることもある)。 今回は、 『ハムラビ法典』について、少し考えていきたいと思います。 ハムラビ法典とは 中学レベルでは… 『メソポタミア文明の中で作られた法典』という背景、 『ハムラビ王が作った』という経緯、 『目には目を、歯には歯を』という内容を分かっていれば十分です。 高校の世界史レベルになると、 『バビロン第一王朝』もキーワードになりますね。 ハムラビ法典は「復讐法」? 『相手』にもよりますよね。 『やられたらやり返す、倍返しだ!』なんてドラマのセリフにもある通り、やられた側の復讐は行き過ぎることが多いです。 ましてや、相手に非がある場合など、周りの人間も復讐という正義に酔って歯止めが効かなくなることもありますね。 『ハムラビ法典』では、これを恐れて、 『刑罰の基準』を作ったのです。 自分が理不尽に受けてしまった 『不利益』に対して、相手にどれだけの 『罰』を与えられるか。 この基準を作ることで 『過度な復讐』や 『復讐の連鎖』を防ごうとしたわけです。 『犯罪』に対する 『刑罰』をあらかじめ決めておく。 この考えは 『罪刑法定主義』と言って、現代の世界の法律の基本中の基本となっています。 なぜ、ハムラビ法典は「復讐法」と呼ばれるのか 最古の原因として、 『キリスト教』が挙げられます。 「マタイ伝」5章38~40節では、簡単に言うとこう書かれています。 意訳)どこぞの宗教では「目には目を…」ってあったけど、キリスト教は「右の頬を打たれたら左の頬を出せ」だよね。 キリスト教は復讐の公認を否定している宗教だよ。 もちろん、これは 『解釈』の方法によって変わってきます。 布教という事情を考えたら仕方ないのかもしれませんね。 結局、この 『解釈』によって、復讐法にもなれば近代的な法律にもなりうるわけです。 要は、ハムラビ法典をどう 『解釈したいか』、そして 『評価したいか』というところになります。 日本でも、江戸時代には 『かたき討ち』が認められていました。 幕府に申請して行うため、かなりハードルは高かったようですが、文化の一つとして存在していました。 そのため 『目には目を』の文言は 『かたき討ち』の考えになじんだのでしょう。 しかし、実際のハムラビ法典は、 『復讐の制限』と考えられますし、犯罪に対する罰を明確にすることによって 『犯罪の抑止力』と考えることもできます。 有名な 『目には目を』以外の部分を見てみると、お医者さんや理髪師、大工さんの給料や仕事にミスがあったときの 『賠償』まで書かれているんですよ。 まとめ 現代の日本では、罪に対する罰則は法律に記載されていますし、その権力を行使するのは国家にあると定められています。 だから、現代の日本の法律に当てはめると 『近代的な法律』、時代背景を考えた学術面から考えると 『復讐法』と考えることもできる、ということになるでしょう。 夏の自由研究は理科を中心に考えられがちですが、このような社会的歴史的なことに目を向けてみるのも面白いと思いますよ。
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