大津美子さんの「ここに幸あり」の歌詞の意味が良く分かりません。 「ここに幸あり」は不朽の名曲で私も大好きですが、 その割にはこの歌詞がも一つ良く分かっていないのです。 この歌が歌われた昭和31年と言えば、日本はちょうど高度成長期に入る頃。 戦後強くなったのはナイロン靴下と女と言われ、 そしてもはや戦後ではないとも言われた成長期の日本でした。 こんな女性の地位が目覚しく向上しようとしていた頃の歌詞としては、 あまりにも不似合いな気がします。 特に「君を頼りに私は生きる」という所など、 単に夫唱婦随の歌なのでしょうか。 この曲に、そのスケールの大きさや格調の高さなどを感じる私には、 とてもそんな風には思えないのです。 そこには何かもっと深い意味が込められているように思うのですが、 いかがでしょうか。 Q 日本語を勉強中の中国人です。 「早春賦」の歌詞を読んでいますが、古典文法が入っているので、理解できなくて困っています。 特に理解に苦しんでいるところは次の三箇所です。 この歌をご存知の方がいらっしゃいましたら、教えていただけないでしょうか。 歌詞の参考ページです。 hi-ho. htm 1.「歌は思えど」 2.「さては時ぞと 思うあやにく」 3.「春と聞かねば 知らでありしを 聞けばせかるる 胸の思いを いかにせよとの この頃か」 また、質問文に不自然な表現がありましたら、それについてもご指摘いただければありがたく思います。 よろしくお願いいたします。 A ベストアンサー 1.春は名のみの 風の寒さや 谷の鶯(うぐいす) 歌は思えど 時にあらずと 声も立てず 時にあらずと 声も立てず 暦の上では春になったといっても、春とは名ばかりで、風は冷たく、まだまだ寒く感じます。 谷で冬を越した鶯が里に下りて、美しい声で春を告げようと思っても、まだこの風の冷たさに、春はまだ来ていない、まだその時ではないと、鳴き出そうとした声を潜めて春をじっと待っています。 2.氷解け去り 葦(あし)は角(つの)ぐむ さては時ぞと思う あやにく今日もきのうも 雪の空 今日もきのうも 雪の空 川や池に張っていた氷は解け始め、そこに生えている葦も芽をふき始めてきています。 さあ、いよいよ春が来たと思いきや、そんな思いとは裏腹に現実は厳しく、昨日も今日もまだ空はどんよりして雪が舞っています。 3.春と聞かねば 知らでありしを 聞けば急かるる(せかるる)胸の思(おもい)を いかにせよとの この頃か いかにせよとの この頃か 暦の上ではもう春になったのですと聞かされてなければ、まだ春だとは思わなかったのに、聞いてしまったので、もう、春が待ち遠しくなってしまい、季節の移り変わりさえ遅く感じ、春よ早く来いという待ち焦がれる思いをどう晴らしたらいいか判らないくらいである。 あいにく。 折悪しく。 2.[形動ナリ]目の前の事柄が、予想や期待に反していて好ましくないさま。 意地が悪い。 不都合だ。 間 ま が悪い。 予想以上に厳しい。 過酷だ。 この歌は難しい歌ですよ。 全体に伝わってくるイメージは明瞭ですが、字句の説明は非常に難解です。 自信ありません。 1.春は名のみの 風の寒さや 谷の鶯(うぐいす) 歌は思えど 時にあらずと 声も立てず 時にあらずと 声も立てず 暦の上では春になったといっても、春とは名ばかりで、風は冷たく、まだまだ寒く感じます。 谷で冬を越した鶯が里に下りて、美しい声で春を告げようと思っても、まだこの風の冷たさに、春はまだ来ていない、まだその時ではないと、鳴き出そうとした声を潜めて春をじっと待っています。 2.氷解け去り 葦(あし)は角(つの)ぐむ さては時ぞと思う あやにく今日もき... Q 1. きんらんどんすの 帯しめながら 花嫁御寮は なぜ泣くのだろ 2. 文金島田に 髪結いながら 花嫁御寮は なぜ泣くのだろ 3. あねさんごっこの 花嫁人形は 赤い鹿の子の 振袖着てる 4. 泣けば鹿の子の たもとがきれる 涙で鹿の子の 赤い紅にじむ 5. 泣くに泣かれぬ 花嫁人形は 赤い鹿の子の 千代紙衣装 1と2で泣いているのは人間の花嫁でしょうか?「帯しめながら泣く」は人間にしかできませんよね。 4で泣くのは、人形遊び(あねさんごっと)をしている子供でしょうか? それとも全て主体は「花嫁人形」なのでしょうか?題名がそうですし。 それにしては5で「泣くに泣かれぬ花嫁人形」とあるので混乱してしまいます。 よろしくお願いします。 Q 日本語を勉強中の中国人です。 「夏の思い出」という唱歌の歌詞を読みましたが、理解できないところがあるので、質問をさせてください。 歌詞の全文はこちらでご覧ください。 mahoroba. html 1.「うかびくる」は古い表示でしょうか。 辞書で調べましたが、見つけませんでした。 「浮かんでくる」という意味でしょうか。 2.「やさしい影」は何の物の影でしょうか。 水芭蕉のですか。 3.この歌詞の中の「水芭蕉」はいったいどこに咲いているのでしょうか。 野の小径ですか。 それとも水のほとりなのでしょうか。 分からなくなりました。 4.「夢見て咲いている水のほとり」とはどのような意味でしょうか。 句読点がないので、混乱しています。 誰が夢を見たのでしょうか。 作詞者自身ですか。 第二段落の中の「夢みて匂っている水のほとり」もこれと同じような理由で、よく理解できません。 句読点を入れていただければ助かります。 5.「花のなかに そよそよと ゆれゆれる 浮き島よ」とはどのようなことを指すのでしょうか。 なんか省略が多すぎるような気がします。 風情を壊してしまって申し訳ありません。 具体的な情景をつかみたいので、説明していただけないでしょうか。 また、質問文に不自然な表現がありましたら、それについてもご指摘いただければありがたく思います。 よろしくお願いいたします。 日本語を勉強中の中国人です。 「夏の思い出」という唱歌の歌詞を読みましたが、理解できないところがあるので、質問をさせてください。 歌詞の全文はこちらでご覧ください。 mahoroba. html 1.「うかびくる」は古い表示でしょうか。 辞書で調べましたが、見つけませんでした。 「浮かんでくる」という意味でしょうか。 2.「やさしい影」は何の物の影でしょうか。 水芭蕉のですか。 3.この歌詞の中の「水芭蕉」はいったいどこに咲いている... A ベストアンサー 1.「うかびくる」は古い表示でしょうか。 辞書で調べましたが、見つけませんでした。 「浮かんでくる」という意味でしょうか。 その尾瀬沼は霧が深く、野の小径を歩いていくと、その霧の中に何かぼんやりとやさしい影が浮かんでくるのです。 そう、水芭蕉の花が咲いているのです。 まるで水のほとりで夢でも見ているかのように咲いているのです。 2.「やさしい影」は何の物の影でしょうか。 水芭蕉のですか。 3.この歌詞の中の「水芭蕉」はいったいどこに咲いているのでしょうか。 野の小径ですか。 それとも水のほとりなのでしょうか。 分からなくなりました。 尾瀬沼のすばらしい景色をご堪能ください。 towabank. html 4.「夢見て咲いている水のほとり」とはどのような意味でしょうか。 句読点がないので、混乱しています。 誰が夢を見たのでしょうか。 作詞者自身ですか。 第二段落の中の「夢みて匂っている水のほとり」もこれと同じような理由で、よく理解できません。 句読点を入れていただければ助かります。 第二段落も同じです。 5.「花のなかに そよそよと ゆれゆれる 浮き島よ」とはどのようなことを指すのでしょうか。 なんか省略が多すぎるような気がします。 風情を壊してしまって申し訳ありません。 具体的な情景をつかみたいので、説明していただけないでしょうか。 水の中に咲いている様子が「浮き島」のように見える水芭蕉もあるのです。 【浮き島】のイメージが下記の写真で解るといいのですが・・・。 page. sannet. htm 質問文の1. 【辞書で調べましたが、見つけませんでした。 質問文5. 【なんか省略が多すぎるような気がします。 しかし、ここではそのような言葉を使うのではなく、「この文章は省略されたものが多すぎるような気がしています」などの方が、質問文としては良いでしょう。 歌詞はメロディーに当てはめ、音符に乗せることなどが優先され、倒置法が用いられていたり、省略されたり、妙な造語が出てきたり、擬態語が使われたりします。 さらには、歌詞独特の擬人法が駆使されていたりして、詩自体の文意が解りにくくなっていることが多いですね。 頑張ってください。 1.「うかびくる」は古い表示でしょうか。 辞書で調べましたが、見つけませんでした。 「浮かんでくる」という意味でしょうか。 その尾瀬沼は霧が深く、野の小径を歩いていくと、その霧の中に何かぼんやりとやさしい影が浮かんでくるのです。 そう、水芭蕉の花が咲いているのです。 まるで水のほとりで夢でも見ているかのように咲いているのです。 2.「やさしい影」は何の物の影でしょうか。 水芭蕉のですか。 Q 皆様、こんにちは。 最近何かとよく耳にする『更迭』と『罷免』ですが、意味が同じように思えてなりません。 他にも『解任』などもあったりして どちらも、『人を辞めさす』という意味で間違いないと思いますが。 gooの国語辞典で調べると、『罷免』は単に辞めさす事。 『更迭』は他の人に変える事とでてきます。 これは単にメディアがきちんとした使い方をしていないという事なのでしょうか? なんだかうまくまとまりませんが、『更迭』と『罷免』について分かりやすい用法や明確な違いをご存知の方がいらっしゃれば是非教えて下さい。 よろしくお願い致します。 Q さくら さくら 弥生の空は 見わたすかぎり 霞か雲か 匂ひぞ出づる いざや いざや 見に行かん 「霞か雲か」というのは桜を指しているのでしょうか?(比喩) それとも「弥生の空は」とありますので、雲のことを指しているのでしょうか? 比喩だとすると桜が空に輝いているということでしょうか? 空に輝いているのであれば、どこにいても見えますので、「見に行かん」がおかしくなります。 わざわざ「見渡すかぎり」といっています。 それとも地には桜が、空には雲が美しく輝いていると解釈してよいのでしょうか? 「匂ひぞ出づる」の「匂ひ」は、生き生きとした美しさなどが溢れることですが、雲や霞に「匂ふ」などと表現はしないと思うのですが。 すると「桜が匂ふ」という解釈になります。 よろしくお願いします。
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父母が 頭 かしらかき撫で幸 幸 さくあれていひし 言葉 けとばぜ忘れかねつる 読み:ちちははが かしらかきなで さちあれて いひしけとばぜ わすれかねつる 作者と出典 丈部稲麻呂 はせつかべのいなまろ 万葉集巻20-4346 現代語訳 父母が私の頭を撫でてと無事であれと言った言葉が忘れられない 万葉集の原文 知々波々我 可之良加伎奈弖 佐久安例弖 伊比之氣等婆是 和須礼加祢豆流 句切れ 句切れなし 語彙と文法 ・幸く…読みは「さく」。 無事であるとの意味 ・言葉ぜ…言葉は「けとば」と読まれている。 「ぜ」とどちらも方言。 ・「ぜ」は強意の「ぞ」 ・忘れかねつるの「つる」は完了の助動詞「つ」の連体形 解説と鑑賞 一首は、別れ際、自分の無事を祈って頭を撫でてくれた父や母のしぐさや言葉を通して、両親への思い、望郷の念を切々と詠んだものとされている。 「忘れかねつる」というのは、後からの回想なので、任地である九州へ向かう途中において、別れの際の家族の姿を忘れがたく思い出している作者の姿がうかがえる。 父母の自分を思う思いを受け止めながら、また自分からもそれを「忘れかねつる」として、両親と離れる悲しさを表す。 防人歌のモチーフとしては、防人の任務や、防人に向かう決意を詠んだ歌もあるが、この歌では、家族の情が詠まれている点がポイントである。 防人とは 防人(さきもり)とは、 飛鳥時代から平安時代の間に課せられていた税の1つ。 当時は、税金をお金ではなく、現物や労働で納めていた。 防人は、天皇の命により、北九州の警護を担当する仕事、戦争をしたわけではないが、当時の旅行は今よりも危険なものであり、防人の家族たちは、悲しみの情を余儀なくされた。 これらの防人の歌は、大伴家持によって集められ書き留められた。 関連記事: 万葉集の東歌の特徴 万葉集巻十四・古今集巻二十にある和歌を指す。 『万葉集』の東歌は、国名の明らかなもの 90首と不明のもの 140首から成るもので、多くは、東国の方言が使われて詠まれている。 文学上の特色は地方性、民謡性に認められ、粗野で大胆な表現や生活的な素材、豊富な方言使用などにより独自の世界をなしており、「東歌」として区別されて扱われている。 歌人の岡野弘彦は、万葉集での好みは、東歌であるといっており、そのように独特の魅力がある。 「父母が頭かき撫で」の一首の解説 防人の歌には父母への脂肪を歌った歌が多く見られるこの歌は駿河国の防人歌という項に収められており、駿河、静岡県から、九州へ出かけて行った兵士の歌。 またこの歌は、駿河国瀧盛岡の一番最後に収められているため、作者の、丈部稲麻呂 はせつかべのいなまろ はおそらく最年少であったと思われている。 「頭を撫でる」の行為の意味 「頭を撫でる」という行為が含まれているので、小さい子供に対する仕草のようにも見えるが、あくまで兵士として徴収された作者なので、子供というほど年少者であったわけではないとも言われている。 当時、頭を撫でることには旅人の無事を祈る意味合いがあった。 聖武天皇が使いを送る際にも「かき撫でそ ねぎたまふ うち撫でそ ねぎたまふ」(6-976)のような歌があり、当時の習慣であったのだろう。 実際の情景か また「父母が頭かき撫で幸あれて言ひし」を、実際にあった出来事の描写というよりも、事実としていくらか修飾も加わっているという見方もある。 要は必ずしも頭を撫でたというわけではなく、頭を実際に撫でたとしても、この作者は子どもではなかったという点を承知の上で鑑賞する必要があるだろう。 防人歌の内容の違い 興味深いことに、防人歌は万葉集で地域別にまとめられているが、上総、今の千葉県の防人が詠んだ歌に関しては、妻を詠んだ歌が多く、駿河国の作品には、父母を読む歌が多い。 特に駿河国の一連の歌に関しては、父母、家との一体感が強く、それらと別れなければならない離別の悲しみが強く打ち出されて呼ばれているところに特徴がある。 単に読み込まれる対象の違いではなく、根底に発想の相違があったと推測することができる。
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大津美子さんの「ここに幸あり」の歌詞の意味が良く分かりません。 「ここに幸あり」は不朽の名曲で私も大好きですが、 その割にはこの歌詞がも一つ良く分かっていないのです。 この歌が歌われた昭和31年と言えば、日本はちょうど高度成長期に入る頃。 戦後強くなったのはナイロン靴下と女と言われ、 そしてもはや戦後ではないとも言われた成長期の日本でした。 こんな女性の地位が目覚しく向上しようとしていた頃の歌詞としては、 あまりにも不似合いな気がします。 特に「君を頼りに私は生きる」という所など、 単に夫唱婦随の歌なのでしょうか。 この曲に、そのスケールの大きさや格調の高さなどを感じる私には、 とてもそんな風には思えないのです。 そこには何かもっと深い意味が込められているように思うのですが、 いかがでしょうか。 Q 日本語を勉強中の中国人です。 「早春賦」の歌詞を読んでいますが、古典文法が入っているので、理解できなくて困っています。 特に理解に苦しんでいるところは次の三箇所です。 この歌をご存知の方がいらっしゃいましたら、教えていただけないでしょうか。 歌詞の参考ページです。 hi-ho. htm 1.「歌は思えど」 2.「さては時ぞと 思うあやにく」 3.「春と聞かねば 知らでありしを 聞けばせかるる 胸の思いを いかにせよとの この頃か」 また、質問文に不自然な表現がありましたら、それについてもご指摘いただければありがたく思います。 よろしくお願いいたします。 A ベストアンサー 1.春は名のみの 風の寒さや 谷の鶯(うぐいす) 歌は思えど 時にあらずと 声も立てず 時にあらずと 声も立てず 暦の上では春になったといっても、春とは名ばかりで、風は冷たく、まだまだ寒く感じます。 谷で冬を越した鶯が里に下りて、美しい声で春を告げようと思っても、まだこの風の冷たさに、春はまだ来ていない、まだその時ではないと、鳴き出そうとした声を潜めて春をじっと待っています。 2.氷解け去り 葦(あし)は角(つの)ぐむ さては時ぞと思う あやにく今日もきのうも 雪の空 今日もきのうも 雪の空 川や池に張っていた氷は解け始め、そこに生えている葦も芽をふき始めてきています。 さあ、いよいよ春が来たと思いきや、そんな思いとは裏腹に現実は厳しく、昨日も今日もまだ空はどんよりして雪が舞っています。 3.春と聞かねば 知らでありしを 聞けば急かるる(せかるる)胸の思(おもい)を いかにせよとの この頃か いかにせよとの この頃か 暦の上ではもう春になったのですと聞かされてなければ、まだ春だとは思わなかったのに、聞いてしまったので、もう、春が待ち遠しくなってしまい、季節の移り変わりさえ遅く感じ、春よ早く来いという待ち焦がれる思いをどう晴らしたらいいか判らないくらいである。 あいにく。 折悪しく。 2.[形動ナリ]目の前の事柄が、予想や期待に反していて好ましくないさま。 意地が悪い。 不都合だ。 間 ま が悪い。 予想以上に厳しい。 過酷だ。 この歌は難しい歌ですよ。 全体に伝わってくるイメージは明瞭ですが、字句の説明は非常に難解です。 自信ありません。 1.春は名のみの 風の寒さや 谷の鶯(うぐいす) 歌は思えど 時にあらずと 声も立てず 時にあらずと 声も立てず 暦の上では春になったといっても、春とは名ばかりで、風は冷たく、まだまだ寒く感じます。 谷で冬を越した鶯が里に下りて、美しい声で春を告げようと思っても、まだこの風の冷たさに、春はまだ来ていない、まだその時ではないと、鳴き出そうとした声を潜めて春をじっと待っています。 2.氷解け去り 葦(あし)は角(つの)ぐむ さては時ぞと思う あやにく今日もき... Q 1. きんらんどんすの 帯しめながら 花嫁御寮は なぜ泣くのだろ 2. 文金島田に 髪結いながら 花嫁御寮は なぜ泣くのだろ 3. あねさんごっこの 花嫁人形は 赤い鹿の子の 振袖着てる 4. 泣けば鹿の子の たもとがきれる 涙で鹿の子の 赤い紅にじむ 5. 泣くに泣かれぬ 花嫁人形は 赤い鹿の子の 千代紙衣装 1と2で泣いているのは人間の花嫁でしょうか?「帯しめながら泣く」は人間にしかできませんよね。 4で泣くのは、人形遊び(あねさんごっと)をしている子供でしょうか? それとも全て主体は「花嫁人形」なのでしょうか?題名がそうですし。 それにしては5で「泣くに泣かれぬ花嫁人形」とあるので混乱してしまいます。 よろしくお願いします。 Q 日本語を勉強中の中国人です。 「夏の思い出」という唱歌の歌詞を読みましたが、理解できないところがあるので、質問をさせてください。 歌詞の全文はこちらでご覧ください。 mahoroba. html 1.「うかびくる」は古い表示でしょうか。 辞書で調べましたが、見つけませんでした。 「浮かんでくる」という意味でしょうか。 2.「やさしい影」は何の物の影でしょうか。 水芭蕉のですか。 3.この歌詞の中の「水芭蕉」はいったいどこに咲いているのでしょうか。 野の小径ですか。 それとも水のほとりなのでしょうか。 分からなくなりました。 4.「夢見て咲いている水のほとり」とはどのような意味でしょうか。 句読点がないので、混乱しています。 誰が夢を見たのでしょうか。 作詞者自身ですか。 第二段落の中の「夢みて匂っている水のほとり」もこれと同じような理由で、よく理解できません。 句読点を入れていただければ助かります。 5.「花のなかに そよそよと ゆれゆれる 浮き島よ」とはどのようなことを指すのでしょうか。 なんか省略が多すぎるような気がします。 風情を壊してしまって申し訳ありません。 具体的な情景をつかみたいので、説明していただけないでしょうか。 また、質問文に不自然な表現がありましたら、それについてもご指摘いただければありがたく思います。 よろしくお願いいたします。 日本語を勉強中の中国人です。 「夏の思い出」という唱歌の歌詞を読みましたが、理解できないところがあるので、質問をさせてください。 歌詞の全文はこちらでご覧ください。 mahoroba. html 1.「うかびくる」は古い表示でしょうか。 辞書で調べましたが、見つけませんでした。 「浮かんでくる」という意味でしょうか。 2.「やさしい影」は何の物の影でしょうか。 水芭蕉のですか。 3.この歌詞の中の「水芭蕉」はいったいどこに咲いている... A ベストアンサー 1.「うかびくる」は古い表示でしょうか。 辞書で調べましたが、見つけませんでした。 「浮かんでくる」という意味でしょうか。 その尾瀬沼は霧が深く、野の小径を歩いていくと、その霧の中に何かぼんやりとやさしい影が浮かんでくるのです。 そう、水芭蕉の花が咲いているのです。 まるで水のほとりで夢でも見ているかのように咲いているのです。 2.「やさしい影」は何の物の影でしょうか。 水芭蕉のですか。 3.この歌詞の中の「水芭蕉」はいったいどこに咲いているのでしょうか。 野の小径ですか。 それとも水のほとりなのでしょうか。 分からなくなりました。 尾瀬沼のすばらしい景色をご堪能ください。 towabank. html 4.「夢見て咲いている水のほとり」とはどのような意味でしょうか。 句読点がないので、混乱しています。 誰が夢を見たのでしょうか。 作詞者自身ですか。 第二段落の中の「夢みて匂っている水のほとり」もこれと同じような理由で、よく理解できません。 句読点を入れていただければ助かります。 第二段落も同じです。 5.「花のなかに そよそよと ゆれゆれる 浮き島よ」とはどのようなことを指すのでしょうか。 なんか省略が多すぎるような気がします。 風情を壊してしまって申し訳ありません。 具体的な情景をつかみたいので、説明していただけないでしょうか。 水の中に咲いている様子が「浮き島」のように見える水芭蕉もあるのです。 【浮き島】のイメージが下記の写真で解るといいのですが・・・。 page. sannet. htm 質問文の1. 【辞書で調べましたが、見つけませんでした。 質問文5. 【なんか省略が多すぎるような気がします。 しかし、ここではそのような言葉を使うのではなく、「この文章は省略されたものが多すぎるような気がしています」などの方が、質問文としては良いでしょう。 歌詞はメロディーに当てはめ、音符に乗せることなどが優先され、倒置法が用いられていたり、省略されたり、妙な造語が出てきたり、擬態語が使われたりします。 さらには、歌詞独特の擬人法が駆使されていたりして、詩自体の文意が解りにくくなっていることが多いですね。 頑張ってください。 1.「うかびくる」は古い表示でしょうか。 辞書で調べましたが、見つけませんでした。 「浮かんでくる」という意味でしょうか。 その尾瀬沼は霧が深く、野の小径を歩いていくと、その霧の中に何かぼんやりとやさしい影が浮かんでくるのです。 そう、水芭蕉の花が咲いているのです。 まるで水のほとりで夢でも見ているかのように咲いているのです。 2.「やさしい影」は何の物の影でしょうか。 水芭蕉のですか。 Q 皆様、こんにちは。 最近何かとよく耳にする『更迭』と『罷免』ですが、意味が同じように思えてなりません。 他にも『解任』などもあったりして どちらも、『人を辞めさす』という意味で間違いないと思いますが。 gooの国語辞典で調べると、『罷免』は単に辞めさす事。 『更迭』は他の人に変える事とでてきます。 これは単にメディアがきちんとした使い方をしていないという事なのでしょうか? なんだかうまくまとまりませんが、『更迭』と『罷免』について分かりやすい用法や明確な違いをご存知の方がいらっしゃれば是非教えて下さい。 よろしくお願い致します。 Q さくら さくら 弥生の空は 見わたすかぎり 霞か雲か 匂ひぞ出づる いざや いざや 見に行かん 「霞か雲か」というのは桜を指しているのでしょうか?(比喩) それとも「弥生の空は」とありますので、雲のことを指しているのでしょうか? 比喩だとすると桜が空に輝いているということでしょうか? 空に輝いているのであれば、どこにいても見えますので、「見に行かん」がおかしくなります。 わざわざ「見渡すかぎり」といっています。 それとも地には桜が、空には雲が美しく輝いていると解釈してよいのでしょうか? 「匂ひぞ出づる」の「匂ひ」は、生き生きとした美しさなどが溢れることですが、雲や霞に「匂ふ」などと表現はしないと思うのですが。 すると「桜が匂ふ」という解釈になります。 よろしくお願いします。
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