・小学2年からダンスレッスン、 ボイストレーニング開始。 ・高校時代ファッション誌の読者モデルを経験。 ・東京ヤクルトスワローズの、 公認パフォーマンスユニットメンバー &公認サポーターソングユニットの メインボーカルを担当(2008年)。 ・週刊少年ジャンプ スーパーアニメツアー、 「トリコ」の主題歌参加(2010年)。 ・カラオケDAMガイドボーカルを100曲以上担当。 などなど!! 特技は、 ・すぐに曲を覚えて歌うこと ・パソコンの早打ち で、なんと資格は、 ・パソコンスピード認定試験2級 ・文書デザイン検定試験1級 ・日本語ワープロ検定1級 だそうな。。。 jpのタイムフリー聴取機能で 過去1週間以内に放送された番組を配信中! 聴取を開始してから24時間以内であれば 合計3時間まで聴取することができます。 jpのタイムフリー聴取機能で 過去1週間以内に放送された番組を配信中! 聴取を開始してから24時間以内であれば 合計3時間まで聴取することができます。 jpのタイムフリー聴取機能で 過去1週間以内に放送された番組を配信中! 聴取を開始してから24時間以内であれば 合計3時間まで聴取することができます。 これは、グルメな知人の手作り。 熊本の郷土料理の「ひこずり」。 さ~て、次回、 6月4日木曜日よる10時からの、 【今村直美の歌謡曲でないと!】は~。 jpのタイムフリー聴取機能で 過去1週間以内に放送された番組を配信中! 聴取を開始してから24時間以内であれば 合計3時間まで聴取することができます。 jpのタイムフリー聴取機能で 過去1週間以内に放送された番組を配信中! 聴取を開始してから24時間以内であれば 合計3時間まで聴取することができます。 あの自然なファルセットへの流れ。。。 jpのタイムフリー聴取機能で 過去1週間以内に放送された番組を配信中! 聴取を開始してから24時間以内であれば 合計3時間まで聴取することができます。 2018年1月17日リリースの、 デビュー曲「下町純情」は、 オリコン演歌・歌謡曲ランキングで初登場8位。 2曲目:「夢芝居」 梅沢富美男さんのカバー曲です。 2019年12月25日にリリースされた、 2枚組の、 【辰巳ゆうと ファーストアルバム -力いっぱい、歌いました!-】の、 Disc1『演歌&歌謡曲盤』から選曲しました。 3曲目:「初恋」 村下孝蔵さんのカバー曲です。 これは、ファーストアルバムの Disc2『ポップス&ニューミュージック盤』 から選曲しました。 Bタイプの3曲目には、 因幡晃さんのカバー曲「わかって下さい」 が収録されています。 jpのタイムフリー聴取機能で 過去1週間以内に放送された番組を配信中! 聴取を開始してから24時間以内であれば 合計3時間まで聴取することができます。 紙袋、菓子やギフトの箱などはもちろん、 洋服は特に捨てられません!! だって、気に入って買ったんですもの;。 体形的に着られなくなったモノで、 まだ傷んでいない服は、 華奢な知人に着てもらうなど、 出来るだけ、 捨てないようにはしているんですが;。 だけど、、、まだ着たい。。。 ・・・。 温かい目で見てて下さい。。。 jpのタイムフリー聴取機能で 過去1週間以内に放送された番組を配信中! 聴取を開始してから24時間以内であれば 合計3時間まで聴取することができます。 jpのタイムフリー聴取機能で 過去1週間以内に放送された番組を配信中! 聴取を開始してから24時間以内であれば 合計3時間まで聴取することができます。 作詞作曲は、吉幾三さん! 2曲目:「母」/氷川きよし 2020年2月4日リリース、 デビュー21年目の新曲。 氷川きよしさんご自身の中にある、 曲テーマの具体的な想いと、 「母」一文字で!と、 作詞家なかにし礼さんに お願いし、 およそ3年の月日をかけて 出来上がった作品。 6曲目:「しあわせに、なりたいね」 /石川さゆり 2020年3月25日リリース、 126枚目のシングル曲。 7曲目:「ふるさとは今もかわらず」 /新沼謙治 この曲は、2012年11月21日に、 両A面シングル、 『雪の宿/ふるさとは今もかわらず』 としてリリース。 震災、妻の死を乗り越え、 ふるさとの明るい未来と復興を思いながら、 新沼謙治さんご本人が作詞作曲を手掛け、 多くの人を励まし続けている作品。 /合唱Ver. 」が、 譜面(ピアノ・合唱)を特典封入して リリースされています。 番組内でもお話した、 新沼謙治さんとのエピソード。 もうずいぶん前に、 ワタシが司会をつとめるイベントの ゲストとしてお会いした、新沼謙治さん。 jpのタイムフリー聴取機能で 過去1週間以内に放送された番組を配信中! 聴取を開始してから24時間以内であれば 合計3時間まで聴取することができます。 カテゴリー: , 投稿日: 投稿者: 投稿ナビゲーション.
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UPCH-5498 ¥1,200(税込) 1. 月ノ涙 作詞・作曲・編曲:織田哲郎 2. end of innocence 作詞・作曲・編曲:織田哲郎 3. 月ノ涙(Crescente Version) 作詞・作曲:織田哲郎 編曲:坪口昌恭 4. 月ノ涙(Instrumental) 作曲・編曲:織田哲郎 UPCH-1541 ¥3,000(税込) 1. もう少しがんばってみよう。 青空 3. 瞳閉じれば〜Let's dance〜 4. TONIGHT 5. インソムニア 6. 最後の恋 7. 真夏の夜の甘い夢 8. キズナ 9. Sunrise Sunset 10. 祈り 11. 真夜中の虹 12. 明日へ UPCH-1517 ¥3,059(税込) 1. 負けないで 2. シーズン・イン・ザ・サン 3. ボクの背中には羽根がある 4. 愛のために。 碧いうさぎ 6. 突然 7. 世界中の誰よりきっと 8. この愛に泳ぎ疲れても 9. Anniversary 10. 世界が終るまでは… 11. 恋心 12. 東海テレビ制作・フジテレビ系列放送昼の連続ドラマ「愛の迷宮」主題歌として制作されたわけですが、まず『月ノ涙』の聞きどころからお聞かせ下さい。 織田 まず番組スタッフとの打ち合わせの中で膨らませたイメージを元に作詞、作曲をしました。 自分で編曲したバージョンは「melodies」からの流れを汲んだ音作りで、小松亮太さんのバンドネオンと絡んで、いい感じに仕上がったと思います。 Crescente Versionの方は「坪口昌恭TRIO」(piano坪口昌恭 wood bass菊地雅晃 drum藤井信雄)による少々アバンギャルドなジャズバージョンです。 アレンジ(編曲)は坪口さんにお願いしています。 どちらもアダルトな、いい味出ている仕上がりになりました。 こういうダークな色合いの作品を自分のシングルで出した事はないですね。 今回はなにしろドラマがダークですから(笑)ダークな渋みを楽しんでいただければ、と思います。 さて、前回は1993年織田さんが作曲家としてCDシングルセールスの驚異的な日本記録を達成した年のお話を伺いました。 今回は1994年、年明け早々から全国9カ所で展開されたコンサートツアーのお話からお聞かせ下さい。 織田 了解。 この年のライブツアーも十数人編成で、大所帯だったね。 ギターは葉山たけし、サックスは勝田くん。 コーラス、ブラスセクションもあり、賑やかな編成でした。 札幌、仙台、東京、埼玉(和光市)、名古屋、大阪、広島、福岡など全国を回りました。 この時は高知でもライブをやったんじゃないかな。 もともとこんなライブをやってみたい、と初めて感じたレコードは中学生の頃に聴いたというライブアルバムで、確か30人位の大所帯だった。 ただその中でボーカルのではなくてバンマスのになりたかったんだけど。 でもまあある程度大所帯での賑やかなツアー、という夢はかなえたね。 ギタリストとしてはもともとブルースや南部系の音楽、まあちょっとイナタい感じのものが得意だったんだけど、一緒にやり始めてみたら実はすごく器用で、どんなジャンルにも対応が早いし、新しいものを取り入れようとする貪欲な姿勢があった。 それはギターだけじゃなく打ち込みやアレンジに対してもね。 それでTUBEのアルバムを制作していた頃にアレンジを任せたりするようになって。 それからは随分良いコンビネーションで仕事が出来たと思うよ。 織田 彼が編曲したもののなかでFIELD OF VIEWの「突然」や「DAN DAN 心魅かれてく」なんか特に好きだな。 彼はとにかく見極めが早いんですよ。 そこがプロのアレンジャー向きですね。 1994年の楽曲提供を改めて振り返ると、ZARD「この愛に泳ぎ疲れても」「あなたを感じていたい」WANDS「世界が終るまでは…」DEEN「瞳そらさないで」とこの年もメガヒット連発でした。 織田 「この愛に泳ぎ疲れても」はヨーロッパ歌謡曲的なメロディーと坂井泉水さんの詞、声の質感がよくマッチしたと思うよ。 いろいろなものがうまく掛け算になって、相乗効果が良い方向に出た作品ですね。 この曲の場合、ZARDの曲としては珍しい曲想だったし、詞の内容、世界観も異質なものだったけど、それでも多くのファンに受け入れられたよね。 それまでは爽やかかつナチュラルで、「負けないで」に代表されるように前向きな作品が多かったけど。 「ヨーロッパ歌謡曲的なメロディー」という表現は面白いですね。 「歌謡曲」という言葉を誰が発明したのか分かりませんが、素晴らしい言葉ですよね。 織田 そうだね、「歌謡曲」。 ホント、良い言葉だと思うよ。 [編集部注:作詞家セールスランキング日本歴代第1位(オリコン調べ)] 織田 俺が20歳そこそこの頃にね。 村田有美ちゃんの「Mr. ロマンス」という曲で。 詞と曲のどちらが先だったかは覚えてないけど、原稿用紙に縦書きでサラサラって書いた歌詞の原稿は見た覚えがある。 当時そういう感じで詞の原稿が届くのを見たことがなかったし、「これが阿久悠さんの原稿かぁ、カッコイイな」と思ったよ。 文字がキレイだったし、原稿用紙の升目を意識しないで、サラサラサラって書いてある感じがとても味わい深くて、額に入れて飾っておきたい感じ。 阿久悠さんの詞に曲を付けたのはそれ一回だけだったね。 その後、阿久悠さんとは仕事上の接点はなかったのは残念です。 それ以降の10年、20年というのは俺にはロックやポップス色の強い作曲家としてのイメージがあったから演歌方面からの注文はほとんどなかったけど、阿久悠さんの書いた詞でちゃんとした演歌を書いてみたかった。 亜蘭知子。 巨匠でいえば、松本隆さんも印象深い思い出があります。 織田 上杉君はなにしろ詩人として本当に才能のある人だと思うから、これからもいい作品を作り続けて欲しいな。 織田 そう、清水宏次朗君のアルバムをプロデュースした時だね。 その時は最初に松本隆さんの書いてくれた歌詞が俺にはどうしてもしっくりこなくて。 書き直してもらえないかな、と言ったらレコード会社のディレクターが「そんなこととても僕は言えません」と言うもんで(笑)俺が松本さんに直接電話しました。 それで松本さんに「こういうイメージでお願いしたい」というコンセプトを伝えたら、気持ち良く対応してくれて、すかさず見事イメージに合う最高の詞に書き直してくれた。 さすがでしたよ。 俺も逆の立場でよく思うけど、違うなら違うとハッキリ伝えてくれた方が良いんですよ。 作り手の方はそう思ってる人が多いんじゃないかな。 そりゃあ、自分の作ったものにダメ出しされるとガッカリはするけど、こう違う、とかもっとこういう風にして欲しいとかちゃんと言ってくれた方がイイんだよ。 いろいろ変に気を遣って、なし崩しみたいにしてしまう方が結果上手くいかないんだ。 織田 そうだね。 あの詞もさすがだと思いました。 世相を振り返ると、この年、政界は激動の一年でした。 政党の離合集散が繰り返され、6月には自民党と社会党が連立政権を組み、村山内閣が誕生します。 スポーツ界ではリレハンメル冬季五輪、大相撲では貴乃花、曙、武蔵丸全盛時代、プロ野球ペナントレースも巨人と中日による伝説の10・8ナゴヤ球場決戦(プロ野球史上初の最終戦首位同率決戦)やイチロー選手のシーズン200本安打を超える日本記録が話題に上る一方、F1・サンマリノGPでアイルトン・セナが事故死という衝撃的な出来事もありました。 音楽界では小室哲哉さんがプロデュースしたアーティストが次々と大ブレイク、Mr. Children「innocent world」が日本レコード大賞を受賞した年でもあります。 織田 そう聞くと随分前のように感じるね。 干支もひとまわりしている(笑)。 織田 山地正倫さんのブランド「MASATOMO」との出会いは、「POP STATES(洋楽王国)」というテレビ番組の司会をやった時に衣装を借りに行ったことがキッカケです。 それ以来すっかりお気に入りになって、付き合いが始まったんです。 その後話をいろいろしていたら、同じ高松幼稚園出身だということが判明して(笑)。 今でもなにかと「MASATOMO」の衣装を使わせてもらっています。 この時のパリコレはパリの古い建物、ミュージアムのようなところで行われて、バレーボール元日本代表の川合俊一さんも出演しました。 ファッションモデルは初めての経験だったし、すごく緊張して、決めのポーズや歩き方など動きが固かった(笑)。 こういうショーは分刻みのスケジュールで進行するし、よく言われるように楽屋裏はそりゃもうバタバタで、慌しかった。 でも面白かったし、楽しめたね。 この年は自分のシングル「君の笑顔を守りたい/遠い夏」のリリース、他人への楽曲提供以外に、相川のデビューに向けての準備もあって、かなり忙しかった。 Hollywood MotorsやMAGIC、BA-JIの準備もこの年に始まっていたから、忙しかったね。 俺自身も表に出る機会が激減したし。 織田 彼らがデモテープを送ってきて、それを聞いて、「こりゃあ、イカしてる」と思った。 それですぐに本人たちと会った。 ギターの本郷信、ドラムスの井上朗の二人組のユニットでね。 デビューアルバム「Hollywood Motors」、セカンドアルバム「キリンライス」は二枚とも良いアルバムだと思うよ。 俺もプロデュースしていて楽しかった。 ギターの本郷信は才能もセンスもあって、その後相川のアルバム制作にもちょくちょく参加してもらっています。 山崎さんからは「織田君、何とかしてよ」って、時折そういう依頼が舞い込むんですよ(笑)。 「BLACK CATS」の時もそう。 メンバーがやめちゃったとかそんな時ばっか(笑)まあ俺は元々ロカビリーやロックンロールが大好きなんで。 それでMAGICのメンバーと話をしたら、純粋なロカビリーだけにとらわれず、バンドとしての枠を広げたいということだったので、打ち込みやさまざまな音楽とロカビリーとの融合にもチャレンジしました。 残念ながらそれまでのロカビリーファンからはあまり好意的に受け入れられなかったらしいけど(苦笑)。 でもいいアルバムでしたよ。 彼女は元々10代から役者をやっていて、とにかく何をやってもセンスのある子でね。 ただあまり自分からがんがん前に出るようなタイプじゃないので、バンドでやってみたら、という感じでスタートしました。 BA-JIは今どれを聞いても良いアルバムだと思うよ。 メンバーもみんな才能あるミュージシャン達で、俺も一緒にやっていて、すごく楽しめたんだけど、やっぱり微妙にやる気があるんだか、ないんだかわからないようなダラっとした感じでね。 そこが持ち味ではあるんだけど、ちょっともったいなかったな。 次回は相川七瀬さん、デビューのお話をお伺いします。 次回更新は12月12日(水)を予定しています。 よろしくお願いします。 織田 了解。 神戸の皆さん、ライブでお会いしましょう。 東京都出身。 中学時代をロンドンで過ごし、15歳で帰国。 高校時代にバンドを組みエレキギターを弾きはじめ、同時にオリジナル曲の創作をはじめる。 1979年にギタリストの北島健二(現FENCE OF DEFENSE、PEARL)らと共にプロデュースユニットWHYを結成し、アルバム『WHY』でデビュー。 それと並行し、プロデュース業も開始する。 そして1983年にアルバム『VOICES』でソロデビュー。 1986年、TUBEに提供した『シーズン・イン・ザ・サン』が大ヒットし、1990年には B. クイーンズ『おどるポンポコリン』で日本レコード大賞を受賞。 1992年には自身のシングル『いつまでも変わらぬ愛を』がミリオンセラーに。 1993年、オリコンチャート・ベストセラー作家部門において、12,404,990枚という史上最高のセールスで1位を獲得。 以後、相川七瀬等を中心に様々なアーティストのプロデュースを手掛ける。 日本音楽史上歴代作曲家売上ランキング第3位となる4,000万枚超えるセールス(CDシングル・2007 年3月現在オリコン調べ)を記録する日本を代表する作曲家。 2007年5月23日(水)自身14年ぶりとなるフルオリジナルアルバム「One Night」をユニバーサルミュージック(株)より発表。 vol. 16 1994年 作曲家としての頂点を極めたあとに•
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スカイツリーが開業して久しい今でも、東京のシンボルとして偉容を誇っている東京タワー。 正式名称を日本電波塔といい、1958 昭和33 年に完成した。 正式な竣工日は12月23日になるが、プレオープンとして公開が始まったのは12月7日。 今から59年前のことであった。 着工から約1年半を要して東京の空に聳え立った高さ333メートルのタワーは、小説や映画、そして歌謡曲の題材としても数多く採り上げられている。 当時、巷の話題を独占していた東京タワーは、完成する前から逸早く歌が作られた。 山下敬二郎と朝丘雪路が歌った「テレビ塔音頭」は創立間もない東芝レコードから。 当時はまた東京芝浦電機の音楽事業部だった。 B面の「テレビ塔の見える道」は美空ひばり「お祭りマンボ」などで知られる原六朗の作詞・作曲によるもの。 「有楽町で逢いましょう」がヒットして一躍スターとなったフランク永井のナンバーには銀座をはじめとする東京の名所が歌われたものが多く、これもそのひとつである。 塔の高さがタイトルに掲げられた「東京333米」はミラクル・ヴォイス名義で出された覆面歌手もので、フランク永井ばりの低音の魅力で歌われるムード歌謡。 3番の歌詞には、パリのエッフェル塔まで登場するスケールの大きさ。 かくしてその正体はキングレコードの青山ヨシオであった。 といっても今は誰も知らないだろう。 開塔の翌年、59年には、美空ひばりがその名もズバリ「東京タワー」という曲を出した。 船村徹の作曲による、明るくモダンなナンバーである。 船村というと大作曲家になってからの演歌系の作品が想起されるが、小林旭の「ダイナマイトが百五十屯」しかり、明るくポップな作品も多く手がけているのだ。 原田信夫が歌う「夜霧のテレビ塔」はポリドールからの発売。 東京タワーの名も定着した1960年の作品だが、あえてこのタイトルが用いられている。 原田は後にザ・キャラクターズを結成し、69年に「港町シャンソン」をヒットさせる人物。 曲自体はあまり知られていないだろうが、西田佐知子の大ヒット「アカシアの雨がやむとき」のカップリング曲だったため、タイトルになんとなく聞き覚えがあるという方は多いかもしれない。 また、東京の新名所となったタワーを舞台にした映画が少なからずある中で、最も初期の作品に挙げられるのが59年2月に封切られた日活『東京ロマンス・ウェイ』。 若者たちの恋と友情が描かれた青春明朗篇は二谷英明の主演で、ロカビリー歌手として人気絶頂の平尾昌晃が出演して同名主題歌も歌っている。 さらに同じ月には大映で『たそがれの東京タワー』というメロドラマ仕立ての作品も封切られており、こちらはフランク永井「たそがれのテレビ塔」が主題歌となった。 しかし、東京タワーが出てくる映画で印象的なのは、やはり『モスラ』ではないだろうか。 東宝のお家芸である特撮怪獣映画の代表作のひとつで、妖精の如き小美人役をザ・ピーナッツが演じたことで知られる。 ふたりが歌う挿入歌「インファントの娘」のレコードジャケットにもタワーが写っているが、これは幼虫のモスラが麓に繭を作り、羽化する際に崩落してしまった無残な姿なので、当時のタワーの関係者はきっと快く思わなかったことだろう。 が、今となっては特撮映画の歴史に残る名シーンとなっている。 「インファントの娘」は宮川泰がアレンジしていることもあり、ヒット曲「ウナ・セラ・ディ東京」を想わせる、ゆったりとした雰囲気でムードたっぷりの良歌である。 その後、東京の風景にすっかり溶け込んだ東京タワーは歌の題材としてはしばらく鳴りを潜めた感はあるものの、79年には遠藤賢司がアルバム『東京ワッショイ』の1曲として「哀愁の東京タワー」を発表している。 もっともこれは60年代ムード歌謡のパロディとおぼしく、時代に則したシティポップの曲としては、松任谷由実「手のひらの東京タワー」が代表的な作品といえるだろう。 81年のヒットアルバム『昨晩お会いしましょう』に収められており、同アルバムの「タワー・サイド・メモリー」では神戸ポートタワーが歌われているのが面白い。 「手のひらの東京タワー」は実は石川セリに提供された曲で、彼女のアルバム『星くずの街で』に収録。 2004年には野宮真貴もカヴァーした。 最近ではスカイツリーをテーマにした曲もたくさんあるのだが、まだヒット曲は生まれていないようだ。 主に昭和の音楽、テレビ、映画などについて執筆活動を手がける。 著書に『東京レコード散歩』『王様のレコード』『昭和歌謡レコード大全』など。
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