「ワニが死ぬまでの100日間」を描いた作品に時間軸のズレは持ち込んでいないと思います。 — コメント用垢 K1374Fz2vn63C9r どう見ても桜の写真は2枚とも雲の位置とか全く同じなので、数年後の写真とは思えないです。 数年後にせっかく綺麗な桜咲いてるのに昔の同じ写真をポストするのも、なんか違和感あるなと思いました。 4枚目百景坂交差点を遠目で見た絵であることが分かる。 つまりよそ見をしていて急発進したところひよこをはねそうになり。 そして車は停車している。 この位置で停車するということはひよこに気づいて停車したと思われる。 ということはワニくんを轢く可能性があるのはその横をすり抜けるバイク・・つまりねずみくんという事になってしまう。 🐊が🐥を助けて轢かれた 2. 🐭がLINEを送った時点で既読は1 グループ計3 既読は🐊 3. 助けられた🐥がLINEを見た時には既読は2人 全員既読 4. 最後の写真の左奥に🐥が見え、同じ信号がある事から🐊は🐭と同じ道路にいた事がわかる 近距離 5. 4枚目の図の通り)という考察はどうですかね。 ただ、ネズミ君のツイートでワニ君の判断が遅れた可能性も残してしまうのでネズミ君は辛い立場となる説ですが。 もちろんネズミ君に責任はありませんがそのように自分を責める気持ちが残ってしまいそう。 — SAno71 SAno71.
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「100日後に死ぬワニ」100日目の詳しい解説 「100日後に死ぬワニ」 100日目 — きくちゆうき yuukikikuchi 1回読んだだけだと、すぐにはわからない様々な解釈の余地があるように思える作品ですね。 まず、1枚めはワニが死んで1年後の未来であると解釈できます。 その証拠におにぎりが4つしかありません。 また「迎えに行く」と言いながらヘルメットを持っていないのも不自然です。 Twitterでは、ワニの命日に死を悼むため、春一番が吹くのに合わせて、仲間たちと献杯をしようとしていると解釈している人もいました。 そして2枚めは、ネズミが事故現場で撮影した桜の画像を、ワニとのグループLINEに送信している場面と解釈できます。 ワニはこの1年前に死んでいるので、3人のグループLINEなのに既読が1しかつかないのです。 またTwitterでは1枚めを100日目、2枚めを1年後とする説もあります。 その証拠として1枚めと2枚めでバイクの後輪泥除けの形状が微妙に違い、靴底の色も微妙に違うという指摘がありました。 この説も説得力があります。 そして3枚めですが、この3枚めからが「100日目」の時間軸にあるお話です。 ワニがひよこを車に轢かれそうなヒヨコを助けたものの、自分が車に轢かれて死んでしまったと解釈できます。 歩道に落ちたスマホはワニのスマホで、既読も2になっています。 また、2枚めでネズミが桜の画像を送信した後、「よくね?」とLINEしていますが、3枚めの桜の画像の後には「よくね?」がありません。 これも2枚めは1枚めの1年後である証拠の一つです。 そして続くラストの4枚め。 この4枚めはワニの死後、数分後、つまり1枚め、2枚めの1年前と解釈できます。 なぜなら拡大して見るとワニが助けたヒヨコが歩道を歩いているのが確認できるからです。 「ねずみがワニを轢き殺した」説と「歩きスマホで死んだ」説は間違い Twitterなどでは、1枚め&2枚めが1年後の世界であると解釈せずに、ネズミがワニを轢き殺したと解釈している人も多く見受けられます。 しかし、これは間違いです。 なぜなら、3枚めの1コマめにほんの少しですが、車が見えるからです。 ワニがネズミに轢かれて死ぬのならば、ここにはネズミのバイクが写っていなければ筋が通りません。 また、ワニは歩きスマホをしていて轢き殺された説もあるようです。 しかし、それだとワニがヒヨコを助けた場面との整合性がとれなくなるので、これも間違いです。 ちなみに3日目にも、同じようにワニが車に轢かれそうなヒヨコを間一髪助ける場面があります。 「100日後に死ぬワニ」 3日目 — きくちゆうき yuukikikuchi 3日目の「気をつけないと死んじゃうよ!! 」のセリフが皮肉にもフラグになってしまったようです。
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『100日後に死ぬワニ』を読んで最初に何となく感じたのは、作者は大丈夫?ということだった。 まるで雲ぶとんの上に座っているような、明るい何でもない日常を生きるワニくんに鬱的なものを感じたんだね。 ワニくんが生きているような平凡でありふれた日常は、誰もが共有できるもの。 その先に「死」が訪れる。 それは平凡な日常とは真逆だけど、人生80年の中で本当は誰もが共有しているわけだね。 100日間というのはそれを凝縮しただけ。 この100日でこれだけ話題になったのは、人々の普通の日常が新型コロナウイルスにさらされた危機感と、どこかでリンクしているんじゃないかな。 『メメント・モリ』から変わったこと 1980年代に私が『メメント・モリ(死を想え)』を書いたころと比べて、人間は本質的にそんなに変わっていないと思っている。 しかし、時代環境は大きく変わった。 95年以降、ネット的なバーチャル世界が世の中を席巻しはじめたけど、9. 11、3. 11、そして今の新型コロナの流行と、まるで逆襲するかのようにむき出しの現実が次々と容赦なく襲いかかってきている。 ワニくんの世界の、9. 11も地球温暖化も、コロナもなく、社会問題や政治問題もネグレクトして淡々と続く日常はリアリティーには欠けるが、時代の過酷とともに痛覚を停止させて生きる現代人の姿と重なるんだね。 つまり、「アンチリアル」にリアルを感じるんだ。 ワニくんはまだ生きていた? 死には病死、交通事故、殺人、孤独死、など様々な姿があるが、個人的な想いを言えば、ワニくんの最期は、血が流れたり苦しんだり、痛みを感じさせるようなリアリティーのある死に方ではない方がいいなと思っていた。 その意味で100日目の回でワニくんの全身を見せず、体の3分の1ほどしか描かなかったのはよかった。 顔を描くと生々しくなってしまうから。 ワニくんが花見に来るのが遅く、ネズミくんは「迎えに行くわ」の言葉とともにその場を立つ。 ネズミくんはその途中、スマホで撮った桜の写真をワニくんに送るわけだが、その次のコマではヒヨコが車道に居る様子が描かれている。 ひ弱なヒヨコが車道にいるのは危ないよね。 おそらくはワニくんがヒヨコを庇護できなくなった状態ということ。 ワニくんの腕や体の周辺に動きを表す複数の線(ヒヨコにも)があるのは、まさに死につつある臨終の一瞬を描いているということだろう。 この時点では虫の息だけど、まだ息があったんじゃないかな。 スマホが暗示する「死」.
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