野球(小学校)、少林寺拳法(小学校~中学校、2段)、柔道(中学)、ラグビー(高校)。 高校でのラグビー部入部をきっかけにウェイトトレーニングを始める。 高校入学当初60kg弱の体重が卒業時には80kgを超えるまでに巨大化したことがきっかけでウェイトトレーニングの虜となる。 高校卒業後、1年の浪人生活を経て早稲田大学入学。 2年生時より大学ボディビル界の名門、早稲田大学バーベルクラブに入部し本格的にコンテストビルダーとしてのスタートを切る。 1994年デビュー戦、関東学生3位、全日本学生4位。 1995年関東、全日本ともに優勝。 翌年も両コンテストを連覇し、当時史上2人目の全日本学生2連覇を達成。 1997年スポーツサプリメントメーカーの老舗、㈱健康体力研究所に入社。 営業・フィットネスアドバイザーとして活躍。 2000年退社、かねてより目標としていたアメリカボディビル留学を実現させて7ヶ月ボディビルに集中した生活を送る。 帰国後、ミスター日本で3位入賞、世界選手権75kg級6位入賞と国内外で優秀な成績を収める。 同時にパーソナルトレーナーとして一般人の健康維持からコンテストビルダー、アスリートまで男女数多くのクライアントを指導。 2001年アジア選手権80kg級優勝を機にプロ転向を模索。 2002年冬、正式にプロ転向を表明。 2005年アイアンマンプロにてプロデビューを遂げるがプロの壁は厚くその他大勢の15位。 翌年も同コンテスト15位と低迷。 プロの壁は厚く通用しないと思われたが、カリスマトレーナーとして知られるミロス・シャシブの指導を受けてから大きな進歩を見せ、2006年10月オランダグランプリで遂に4位入賞を果たす。 2007年引き続きミロスの指導の下、アイアンマンプロ7位、サクラメントプロ3位入賞で日本人男子史上初のオリンピア出場権を奪取。 同年9月、オリンピアデビューは13位。 2009年2回目のオリンピア出場で9位、同年のモーストインプルーブドアスリート賞受賞。 アメリカのトップサプリメントブランド・ギャスパリニュートリションとスポンサー契約。 2010年、世界ランキング9位。 4月、オーランドプロにて日本人史上初となるIFBBプロコンテスト優勝。 北米の人気ボディビル雑誌・マッスルマグインターナショナルとスポンサー契約。 現在もロサンゼルスを拠点にトッププロとして活躍。 日夜ハードトレーニングに励むと同時に俳優活動も開始。 2013年のアーノルドクラシックでは5位! 実は大会の3週間前に手首を骨折していたにもかかわらず。。。 すごい! そして2016年、なんとアーノルドクラシック優勝!凄すぎる! YouTubeチャンネルもあります。 山岸秀匡さんのトレーニング 1週間のトレーニングルーティンは、体の各パートを5個か6個に分けて 週に1回トレーニングをする。 月曜 脚(カーフを除く。 カーフまでやる気力がないらしい。 スーパージャイアントセット(?)。 インターバルなしで、次々にやってます。 大変参考になります。 youtube. 規制薬物(アナボリックステロイド?)を所持していたため。 これによって、スポンサーから契約を解除される。 2008年1月に釈放。 保釈金は18万ドル(日本円にして約2000万円) 日本人でオリンピアに出場すること自体がすごいことです。 遺伝子的に欧米人とは筋肉のつき方が違います。 山岸さん自身の素質もあったのでしょうが、その凄まじい努力があってこそです。 トレーニングと食事管理と休養。 自身の体をつくり上げることが仕事ってすごいですね。 英語もペラペラですし。 やはり、日本とアメリカではボディビルやフィットネスに対する意識の違いが大きいです。 当然ギャランティーも雲泥の差だと思います。 スポンサーリンク 山岸秀匡さんはステロイドを使用している? 山岸さんは日本人で唯一のプロボディビルダーなので、並外れて筋肉量があります。 そうなると気になるのはステロイドを使っているの?という点です。 結論から言うと、 使ってます。 使っているのを見たわけじゃありません。 ステロイドを使った上で、ボディビルとしての身体を競うのが「プロボディビルダー」です。 そこに良し悪しはありません。 そういう競技です。 最近は日本でもNPCJと協力してボディビルやフィットネスの普及に尽力されているようなので、筋トレ好きの私としては嬉しいです。 今後も活躍されることを期待しています。
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ボディビルダーになる方法 そもそもボディビルダーになるにはどのような方法があるのか?気になる人も多いと思います。 ボディビルダーになるには、特に資格は必要なく、筋肉を付けたいと思う人は誰でも目指すことができます。 ボディビルダーになる方法として、トレーニングや食事の管理など日常から地道な身体づくりをする必要があります。 ボディビルダーは、 スポーツの中でもマイナーな競技とされていて、プロ1本で活動している人は、世界で見ても200人程といわれています。 スポーツトレーナーやジムの運営をして他の仕事と掛け持ちながら、アマチュアとして活動している人が多いようです。 またプロとして活動する方法は、大会やコンテストで賞金を獲得したり、有名になってスポンサーを獲得することでしょう。 IFBB(国際ボディビルダーズ連盟)が主催する プロライセンス(プロカード)の資格を取得することで、スポンサー獲得に有利になります。 ボディビルダーに関する資格 ボディビルダーになる方法として、特に必要な資格はありませんが、プロとアマチュアを分けるための資格が存在します。 また、アマチュアのボディビルダーは、ジムなどで働きながら活動しているケースが多いため、採用や活動するうえで有利となる資格があります。 ここでは、ボディビルダーに関する資格を解説していきます。 IFBB公認指導員 世界的に有名な団体であるIFBB(国際ボディビルダーズ連盟)が発行しているプロライセンス(プロカード)があります。 IFBBは、ターミネーターで有名なアーノルド・シュワルツェネッガーをはじめとしたボディビル界の超有名人たちが活躍していた団体です。 ボディビルの聖地であるアメリカのIFBBが発行しているプロライセンスは、知名度・権威の高いライセンスとなっています。 これまで日本では、プロライセンスの発行がなかったのですが、2017年にNPCJ団体がIFBBのプロライセンス(プロカード)の発行が認められ、国内初の快挙となりました。 プロになる方法として、 NPCJ主催の大会に優勝すればプロライセンス(プロカード)が得られるチャンスがあります。 JBBF公認指導員 JBBF団体が発行する公認指導員という資格は、ボディビルの専門家として証明できますが、プロのボディビルダーを証明するものではありません。 これは、ボディビル・フィットネス競技の普及拡大と一般の方への健康増進に貢献するためのトレーニング指導員を育成する資格です。 ボディビルダーになる方法として、絶対に必要な資格ではありませんが、 競技者・指導者としてのレベルをさらに高めたいボディビルダーが多く取得しています。 受験資格として、3年以上の実技経験が必要になり、講習会と筆記試験で合否を決めます。 出題科目の例として、生理学・機能解剖学・栄養学などの運動や健康に関する問題が出題されます。 パーソナルトレーナー パーソナルトレーナーとは、マンツーマンでポージング指導やトレーニング指導、栄養指導を行う専門家です。 アマチュアとして活動をしていくときに、パーソナルトレーナーの資格を取得しておくと ジムの採用やスキルアップに有利です。 また、自分の体を理解することにもつながるためボディビルダーを目指す人にとって、一石二鳥といえます。 パーソナルトレーナーについての資格はさまざま種類があるため、自分の適性・費用に合わせて受験することをオススメします。 ボディビルダーの仕事って?(仕事内容) ボディビルダーの仕事は、 ボディビルの大会やコンテストに出場して賞金を得ることです。 大会の順位は、審査員による採点で決まります。 ボディビルダーがポーズをとって、筋肉の量やバランス、皮下脂肪がないか、輪郭の見える筋肉などの美しさを競います。 出場者は、予選となる「規定ポーズ」で審査されて、数名の予選通過者が「フリーポーズ」の審査を受けます。 「フリーポーズ」では、音楽に合わせて自由なポーズを取ります。 コンテストで上位に入賞するためには、 普段の食事の管理や日常の地道な身体づくりが大切な仕事となります。 ボディビルダーのトレーニング・食事 ボディビルダーになるには、日々のトレーニングや食事管理は欠かせません。 常に大会のときのような仕上がった身体をしているわけでなく、普段は体重や筋肉量も増やして皮下脂肪を蓄えています。 そこで、ここではボディビルダーはどのようなトレーニングをしているのか、どのような食事管理をしているのか解説していきます。 ボディビルダーのトレーニング ボディビルダーのトレーニングは、一般的な筋トレやダイエットするためのトレーニングとは大きく異なります。 ボディビルダーは、全身の筋肉が評価対象になるため全身を鍛えるトレーニングをします。 マルチエクササイズセットと呼ばれるトレーニングでは、4種目を各1セットずつ一定部位を集中して行います。 例えば、胸元を鍛えるとすれば、下記のようにトレーニングを行います。 ・ディビルダーベンチプレスを1セット ・インクラインベンチプレスを1セット ・ディップスを1セット ・ダンベルプレスを1セット これを集中して3~4セット行うトレーニングが、マルチエクササイズセットです。 その他に有名なトレーニングとして、 レストポーズ法やスーパーセットなどが挙げられます。 同じトレーニングを繰り返していても、筋肉の最大化は見込めないため、その他にも日によって鍛えたい部位を変えてトレーニングする必要があります。 ボディビルダーの食事 ボディビルダーの食事として、身体に筋肉を付けるためには、筋肉トレーニングよりも栄養管理の方が大切といわれています。 そのなかで卵は、重要な食材の1つです。 特に 卵白が良いといわれ、豊富なたんぱく質が含まれています。 タンパク質は人間の身体をつくる重要な栄養素でボディビルダーには欠かせません。 その他にも、 栄養素が豊富なオートミールやシリアルを食べることもあります。 またトレーニングが終わった後や就寝前は、プロテインを飲むことで豊富なたんぱく質やアミノ酸を効果的に摂取できます。 ボディビルダーの食事の特徴として、食事を何回かに分けて摂取することで、常に身体にアミノ酸を蓄える効果があります。 ボディビルダーの大会(主催団体) ボディビルダーを目指す人なら、大会に出場して自分の肉体美を評価されたいと思う人は多いでしょう。 ボディビルダーの大会では、筋肉の大きさを競い合い、体すべてが評価基準です。 主さ基準として、 筋肉量・大きさ・均製度、輪郭の際立ちが評価のポイントとなります。 ここでは、国内のボディビル大会の主催団体を解説していきます! JBBF(日本ボディビル・フィットネス連盟) は、1955年に設立された日本で最も歴史のあるフィットネス団体です。 国内最大の規模やドーピング検査基準など他の団体よりもレベルが高く、日本で最も名高い大会として認められています。 全日本大会で優勝、もしくは3位以内に入るなどの好成績を収めた選手は、 世界大会に挑戦する権利を得ることができます。 とはいえ、初心者の人のための大会も用意されているため、実力試しに出場してみてはいかがでしょうか。 【NPCJ出場にオススメな人】 ・はじめ大会に出ようとしている人 ・海外で活躍するボディビルダーを見てみたい人 ・ユニークな大会に出てみたい人 BBJ(ベストボディジャパン) は、2013年に設立された細マッチョコンテストの先駆けと呼ばれている団体です。 元K-1選手の魔裟斗さんがスーパーバイザーを務めていることでも有名な大会です。 細マッチョを少し大きくしたイケメンや、スタイルのいいモデルが参加するJBBFやNPCJに比べるとライトで初心者でも参加しやすい大会です。 ボディビルダーになりたてで、 まだ自分の身体に自信がないという人や、モデル体型で体を大きくしたい人にオススメです。 BBJに優勝するとテレビに出られることも多いため、出場して段階的に名を上げたいという人が出場する傾向があります。 【BBJ出場にオススメな人】 ・自分の体にまだ自信がない人 ・自分のルックスに自信がある人 ・テレビに出て知名度を上げたい人 SSA(サマースタイルアワード) は、2015年に設立されたタレントで俳優の金子賢さんが主催する団体です。 金子賢さんが、夏に似合う男女を決めたいという思いから開催された大会といわれています。 評価基準は、BBJに似ていてスタイルの良い細マッチョが評価されるため、これから体を大きくしたい人や夏にモテたいという人はオススメです。 そして、 日本国内のフィットネス団体が主催する大会の中で、唯一賞金が出ます。 最高100万円が出るということで、出場者にとっては盛り上がる良いモチベーションになりますよね。 【SSA出場にオススメな人】 ・夏に似合う体を作りたい人 ・モテたいカッコいい男になりたい人 ・賞金をゲットしたい人 ボディビルダーの給料 ボディビルダーの給料は、コンテストや大会に出て賞金を稼ぐことやスポンサーからの収入がメインになります。 しかし、プロとしてボディビルダー1本で生計を立てている人は、ほんの一部でほとんどのボディビルダーはその他にも仕事をして生活をしている人が多いです。 アメリカの大会では、 最高約2400万の賞金、平均200万~300万程度の賞金がありますが、日本国内のコンテスト大会では、賞金がほとんどなく海外と日本では大きな差があります。 日本から出場して入賞したとしても、投稿費や滞在費、現地でのトレーニング費用などの方が高くつきます。 スポンサーがつけば、それらの費用を負担してくれる場合もありますが、ほとんどのボディビルダーは、他でスポーツトレーナーやジムの運営をしながらアマチュアとして活動している人が多いです。 ボディビルダーのやりがい・大変なこと ボディビルダーとして活動していく中で、活動していてよかった・嬉しかったことのやりがいや辛かった・苦労したことの大変なことがあると思います。 ここでは、ボディビルダーのやりがいや大変なことを解説していきます。 ボディビルダーのやりがい ボディビルダーは、上手く体を鍛え食事制限をしながら、美しい筋肉をつけることが仕事になります。 そのため、コンテストや大会で自分の体が評価され入賞することができれば、今までの厳しいトレーニングや食事管理を乗り越えた甲斐があったと他では味わえない喜び、やりがいを得られます。 そのような鍛え抜かれた体を通して、 他の人に感動を与えられるということは、ボディビルダーになってよかったと感じることができます。 また、体を鍛え食事を制限する知識を他の人へ共有して感謝されれば、ボディビルダー活動のモチベーションにつながるでしょう。 ボディビルダーの大変なこと ボディビルダーになったときに大変なことは、十分な収入が得られずボディビルダー1本では生活できないことでしょう。 日本国内のコンテクストや大会では、賞金が出ないことが多いため他の仕事と掛け持ちして活動する必要があります。 また、 厳しいトレーニングと食事管理は、想像以上に過酷なため辛いといえるでしょう。 コンテストや大会前になると禁酒はもちろん食事制限をしながら、日々厳しいトレーニングを続けるためボディビルダーにとって食事の管理は宿命であり大変なことです。 ボディビルダーの現状・将来性 プロとして生計を立てている人が少なく、他の職業と掛け持ちをしながら活動しているボディビルダーですが、実際の現状や将来性はどのようなものなのでしょうか。 ここでは、ボディビルダーの現状や将来性について解説していきます。 ボディビルダーの現状 現在、「日本ボディビル・フィットネス連盟」に登録しているボディビルダーは、男性が約3100人、女性が約320人となっています。 日本人でプロとして活動しているボディビルダーは、わずかに1人です。 日本で唯一のプロボディビルダーは、 アメリカを拠点に活動している山岸秀匡さんという人になります。 コンテストや大会の賞金は、アメリカと日本では大きな差があります。 エンターテイメントの要素が強いアメリカは、高額な賞金を用意できますが、 日本はまだアメリカに追いつけていないのが現状です。 日本においてもボディビルダーという競技を、メジャーな競技へと盛り上げる必要があるといえます。 ボディビルダーの将来性 近年では、魔裟斗さんや金子賢さんなど知名度のある人が関わって業界を盛り上げていることもあり、 日本で活躍しているボディビルダーも増えてきています。 また、フィットネスやダイエットをする人が増えている影響もあり、スポーツトレーナーやジムの運営の需要も大きくなってきている傾向があります。 ボディビルダーは、自身の体や食事管理をする以外にも、 ボディビルダーに興味のある人や目指している人に向けて、ボディビルダーになる方法を教えていく活動が大切になるでしょう。 ボディビルダーに向いている人 ボディビルダーになる方法は、なりたいという気持ちがあれば誰でも目指すことができます。 しかし、厳しいトレーニングや食事・栄養管理の徹底など、努力をし続けることが一番の近道となります。 自分自身の筋肉と体と向き合って極限まで鍛えて管理することはもちろんのこと、その鍛えた筋肉をより美しく見せるために、全身の脂肪を落とす作業も必要になります。 そのため、 毎日のトレーニングから自分を追い込み、自己管理できるストイックな人は向いているといえます。 また強く美しいボディビルダーになる方法として、筋肉の仕組みを理解する解剖学や栄養学の知識を身に付ける必要があります。 ボディビルダーの適性 ボディビルダーは、 強い精神力と知性を持った人に適性があるといえます。 ボディビルダーに向いている人の適性を下記にまとめました。 【ボディビルダーに向いている人の適性】 ・ストイックな人 ・周囲の声を気にしない人 ・ナルシストな人 ・勉強熱心な人 ・向上心がある人 ボディビルダーになる方法?仕事内容・トレーニング・大会|まとめ いかがでしたでしょうか。 ボディビルダーになる方法とは、実際どのような仕事をしているのか、トレーニング方法、大会の種類について解説させていただきました。 ボディビルダーになるには、体を鍛えて食事の管理を徹底する以外にも、 どのようにして生計立てていくのか、計画的に進めていくことが必要になるでしょう。 とはいえ、ボディビルダーとして活動するといっても、それぞれ目指す方向性によって、活動する内容も変わってくるため、自身の目指す方向を定めることが重要といえます。
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伝説のボディビルダー 皆様は、飽食といわれる現代の日本で、事実上の飢えで亡くなったと噂される、伝説のボディービルダー、「マッスル北村」のことをご存知だろうか? 写真だけを見ると、感想は「なんとも凄い肉体!」である。 格闘漫画「グラップラー刃牙」に登場する、愚地克己のモデルにもなったほどである。 彼は、不思議な学歴タレントとして、テレビでも活躍していた。 マッスル北村の伝説 ・ 家族と一緒にとる「普通の食事」以外に、卵を20-30個、牛乳を2-3リットル、さらに鯖の缶詰を3缶、加えてプロテインの粉末300gを毎日摂取した ・ 筋肉のサイズアップに効果があるとして、鶏肉をミキサーにかけペースト状にしたものを大量に摂取した その動画がこちら にわかに信じがたい光景である。 筆者はロッキーに憧れ、卵白を飲んだことがあるのだが、これが全くの無味で、しかも喉元に来ると、大量の痰を飲み込んでいるような違和感が、全体に広がるのである。 それをこれほどの量を食べる、否、摂取するなんて、世にも奇妙な光景である。 ここにエッセンスを加え、風味を和らげるのは、熟練者ならではの知恵であるといえよう。 しかし、動画に見られるように、お世辞でも美味しいといえないものを勧めるほどになる、というのは狂気の沙汰であるといえる。 他にも ・ 関東学生選手権を圧倒的実力で優勝 ・ ボディビルに専念するため東大を中退 ・ 大会前の2日で85kgから98kgへ増量、そこから減量のため100kmマラソン、気絶することなく計120kmを走り抜き、1日で14kgの減量に成功 数々の伝説を生み出したマッスル北村。 彼の壮絶な肉体もさることながら、その彼が生きた人生も凄絶であったのである。 まさにエリート中のエリートと呼べる経歴である。 ボディービルダーとしての経歴も、輝かしいことがお分かりになるだろう。 旺盛な好奇心、研究に明け暮れる日々 修理しまくる幼少時代 マッスル北村 (本名、北村克己)は1960年10月6日、東京都に生まれる。 父は彫刻家、後に妹が生まれ、4人家族の長男として育っていくのである。 この頃は、冒頭の写真のイメージとは異なり、おとなしい子どもであったようだ。 小学校時、マッスル北村は「ラジオ組み立てキット」に夢中になり、ラジオにとどまらず電気に興味を持ち、夢中で研究し始めたという。 家にある壊れたラジオを分解しては、修理していた。 それだけでは飽き足らずに、壊れたテレビを電気屋に譲ってもらい、それをまた分解し、壊れた原因を探り、修理していたという。 この時から、マッスル北村は、熱中すると、とことん打ち込む、という姿勢がひしひしと感じられる。 目の前にある興味、それに対して、一辺倒に取り組む。 この時から、マッスル北村は「がむしゃら」という言葉が、ぴったりの人間になっていった。 「走るんだったら倒れるまで走る」レールからはみ出し、己の道へ 中学2年生。 当時、マッスル北村は、自転車に熱中していたのだ。 夏休みが終わる2日前、8月30日深夜2時。 マッスル北村は、夏休みの課題として、自転車を題材にした研究をしており、その最後を飾る実験として、自宅から200キロほどの距離にある奥多摩まで自転車で行くことを計画したのである。 車で走るとしても相当な時間を要する距離なのだが、それを自転車で行くというのだから恐ろしい計画である。 そしてここは、マッスル北村、やはり普通の長距離サイクリングではなかった。 アップダウンの激しい道を、ほとんど飲まず食わずの状態で、走り続けたのだ。 しかし、無謀なこの計画は、完遂されること無く終わったのである。 (課題は完成した模様) およそ16時間に渡る走行の末、牛乳を口にした。 しかし自宅から持ってきたその牛乳は、数日経ちゼラチン状に固まっていたのだ。 その後の道中で気を失い、病院に運ばれたことは想像に難しくない。 マッスル北村が次に目覚めたのは、奥多摩病院の8号室だった。 これまで親に心配など一つもかけたことがなく、勉強熱心で悪いこともせず、学校では学級委員はもちろんのこと生徒会委員にまでなるぐらいの優等生お坊ちゃまが、自分の夢にはしり、親の夢や希望を破り、心配ばかりかけるようになってしまったのです。 この日から私は兄と両親の板ばさみになり、両方の間を行ったり来たりする立場に立たされるようになったのです。 兄にとって完全燃焼人生の第一歩とも言える記念すべき日かもしれませんが、両親にとって大変な日々の始まりでもありました。 (思い出ぽろぽろ) これは、妹である善美さんの手記から引用している。 きっと本人からすれば、完璧な予定が組まれていたのであろう。 思い立った計画に、ワクワクしすぎたのか、大切な資本である自分の体を度外視し、配慮が足りていないような気がする。 この見落としが後に、大きな問題になることは、この時誰も知る由がなかったのであろう。 「生きるとは何か?」自問自答する高校時代 高校時代、相も変わらず、多くのことに感心を持っていた。 学校から帰宅すると、自己鍛錬と称し、トレーニングに明け暮れて、夜になると、宮本武蔵や大山倍達、などの偉人たちの本を始め、物理学、哲学、宗教、多岐にわたり読み漁り、「自分が何者であるか」を、探求していた。 「 ボクには時間が無い」 卒業へと近づいた、マッスル北村は、この言葉が口癖になっていたようだ。 一見平穏だった浪人時代 今思い返せば、兄の39年間の人生の中で親が兄に対して心配せず、将来を夢見られたのは小・中学校時代と唯一この浪人時代ではなかったではないでしょうか。 親も兄が勉強をしている姿をみては、これで兄もまともな人生(!? )を送ってくれるのではないかと夢を描いていたようです。 思い出ぽろぽろ 冒頭で少し触れたのだが、マッスル北村は 現役で防衛医科大学校と、早稲田大学理工学部に合格しているのである。 がしかし、これらの大学には通わず、彼は、浪人の道を選んだのである。 考察するに、彼が目標としたのは、東京大学であり、合格した二つの大学は、自らの力量を測るための受験であったのではないだろうか。 合格へと勉学に励む、マッスル北村、それを見守る両親。 この時間は、お互い同じ方向を見ていた時期であったといえる。 しかし、マッスル北村は熱中、いや没頭できるものを求めていたはずである。 「生きるということは何か」を探求した上の、純粋なる刹那主義。 東京大学を合格したマッスル北村にとって、東京大学は既に、面白味のないものになってしまっていたのである。 ボディービルとの出会い 東京大学入学後、目標を失い、抜け殻状態であった。 この時、マッスル北村が出会ったのがボディービルである。 そこで自分と周りとの図体の違いに恥じらいを感じる。 そして、それをも通り越し、怒りまで覚えるほど悔しい思いをしたのだという。 彼はそれから、魂を吹き込まれたが如く、この道にのめり込んでいくのである。 それからというもの、ボディビルに対し、常軌を逸したほど没頭し、 大学の授業には全く出席せず、果ては東京大学を中退するに至っている。 熱い魂を呼び戻したマッスル北村は、前例の通り、全力で走り出すのである。 あの夏休み、後先考えずに、計画を遂行した日のように、彼の足は再び、彼の道を走り出したのである。 一念発起で、一発合格。 でも中退 そんな中、「 自分はどうあるべきか。 人の役に立ちたい」と、またもや猛勉強を開始。 そして東京医科歯科大医学部に合格、入学するも、「 ボディビルを極め、ボクはボディビルを通じて万人を勇気づける心の医者になりたい」、この志に行き着き、ボディビル一本に集中して取り組む為に中退。 「入学式で親と写真を撮ったんだけど、これ以降、父の笑った顔を見たことがない」と本人も語っており、父親との関係は衝突の連続であったようだ。 とまらないオーバートレーニング それからというもの、ありえない程の、たゆまない努力をするマッスル北村は 、1986年7月20日 「ジャパン チャンピオンシップス」において、日本人最高のバルクとして謳われた石井直方を破り、優勝。 ボディビルダーの憧れである「ミスターユニバース」の切符を手にする。 しかし、筋肉増強剤であるナンドロロン使用により、失格とされてしまう。 その時のトラブルが元で、コンテストビルダーとしての道を、閉ざされる結果になったのである。 これに関し、後に著書にて「はめられた」と語っている。 事実のほどは、定かではないのだが、たとえもしドーピングをしていたとしても、筆者は彼を美しいと賞賛したい。 一点へと曇りなく突き進む姿は、まさに芸術といっても、過言ではないだろう。 「僕はそんなカロリーすら摂取したくない」 しかし熱量の冷めないマッスル北村は、今までと変わらず、常人ではありえないトレーニングに、日々を費やすのである。 急激な減量により、身体中の電解質が不足したり、低血糖症のために倒れ、何度も救急車で病院に搬送されることになる。 2000年8月3日、ボディビルの大会に参加するべく、脂肪を落とすため、20kgの急な減量を行った結果、異常な低血糖状態となり、急性心不全を引き起こして亡くなることとなった。 享年39。 これが亡くなった原因が事実上の飢え、だといわれる所以である。 亡くなる数日前にも、倒れて救急車で運ばれており、この時は、処置が間に合い助かっていた。 この時、身を心配した妹が「めまいがしたらアメを舐めて。 アメでいいから」と懇願するも、「僕はそんなカロリーすら摂取したくない」と断る徹底ぶりであったという。 『物事には全て理由がある』 幼い頃から、興味を抱いたものには片っ端から、研究し、道理を探り、とことん突き詰め、目標を達成してきたマッスル北村。 「 物事には全て理由がある」 この探究心こそが、彼の生き急ぐ足に、安息を与えなかった理由なのではないだろうか。 『自分の限界を見てみたい』 善美さんは語る。 昔、「北村(克己)さんは、才能と天性に恵まれていて悩みが無くていいですよね。 」と兄のことで電話をいただいたことがあったのですが、そのとき思わず「まさか、兄は悩んでばかりですよ!」と即答したほどです。 悩んでお酒に走ったこともありました。 飲む量も常人のレベルではないのです。 お酒が大好きということもあるのですが、一度あけた蓋は底を尽くまで飲み干すのです。 日本酒でも焼酎でもワインでもお酒の種類にかかわらず、2Lでも3Lでも。 2本でも3本でも。 飲んで現実逃避したかったのか、考えをまとめたかったのか、悩みを解決する道を探していたのかそれはわかりませんが、家族も友人も愛犬もそんな兄を心から心配しました。 愛犬 チビ も兄にお灸を据えるため兄のトレーニングに使う大切な手に深く噛み付いたことも数回ありました。 思い出ぽろぽろ マッスル北村は、言わずもがな茨の道を歩んでいたのだ。 厳しい道程に、立ちはだかる壁、試行錯誤し、乗り越え、また進み出す。 なぜ、こういったことができたのだろうか。 善美さんの言葉にもあるのだが、きっとそれは、彼が自分の道、夢というものに、出会ったからである。 夢を目指す者と、周囲の人達。 お互いが、いくら思い合っても、幾分、折り合いがつかない部分があるだろう。 夢を目指す者は、ひたすら突き進むのだ、いかに問題があろうと、それが己の道であると知っている。 しかし周囲の人達はそうではない。 「別にすごい人間にならなくていい、平凡な幸せを築いて欲しい」 親という立場になれば、余計にこう思わざるをえない。 マッスル北村にとって、その思いは痛いほど感じるであろう。 そして後髪を引くような優しい思いを、振り切る痛み、問題に直面したときの痛み、両方がのしかかり生まれる悩み。 これは体験する本人でないと、計り知れないものである。 それでも、なお信条を貫き、限界に挑戦し続けるということは、常人では耐え難く、険しい人生であったことは、言うまでもない。 限界の最中 マッスル北村の言葉をひとつ紹介したい。 「 他人を納得させる記録や結果よりも、たとえ自己満足と笑われようが自分で自分に心から「よくやった」とひとこと言える闘いこそ、まことの勝利であり人間としての自信と誇りを得て人生で最も大切な優しさや思いやりを身にまとう瞬間だと思う」 この言葉は、彼の人間性と生き様をまじまじと表している。 限界に挑む中、彼は、何が大切であるかを悟っていたのだろう。 燃え尽きるまで マッスル北村は、真っ直ぐすぎる生き方を通し、若くして亡くなった訳であるが、彼の周囲の人間は、わかっていたであろう。 それが彼の、「マッスル北村」という人間の本当の幸せであったということを。 死後、十数年経った今でも、マッスル北村は人々を魅了してやまない。 死去から12年後、2012年8月31日、書籍『マッスル北村 伝説のバルクアップトレーニング』が発売され、2015年9月23日放送の『この話、凄くないですか? 』(フジテレビ)では、秋山竜次(ロバート)により、生前のエピソードなどが語られた。 マッスル北村の願いは叶っている。 なぜなら彼は、その人生で、こうして万人を勇気づける医者になれたのだから。 これほどまでに、私達が、実直に、格好良く生きることは難しい。 しかし、彼を偲び、人生をなぞるように思い馳せ、私達の送る人生の糧にしていくことは難しくないだろう。 許諾元:北村善美 参照元:、、YouTube この記事を友達にシェアしよう!
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